フオリエ・ナスコシテ   作:カズあっと

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76話 小熊と柳と約束と。

 

 トラーパニ行政府迎賓館、その庭先を変わらぬ月明かりが照らしていた。

 連続する打撃音に射撃音。そして荒い息の音。

 

「遅ぇよ、若造」

 

 空を切る。拳を握ったオルトの左腕が肘の先から飛ばされた。

 

「……」

「いけっ! パンチだオルトん君!」

 

 幼い少女——ルカが黙したままに引き金を絞れば、年若い少女——リナが号令を掛ける。

 そして筋骨隆々とした若き巨漢、オルトは叫んだ。

 

「痛くねぇ!」

 

 再び空を切った右足を、枯れた柳にも似た男が砕いた。

 

「痛ぇ! じゃなくて痛くねぇ!」

 

 つい本音が漏れてしまっても、本音を隠すのは男の意地だ。そう彼は信じている。

 

「くっそー! フェイント失敗。もいっちょいけ! オルトん君。諦めの悪さが、君の武器だ!」

 

 だからこそ侍女服姿の少女、リナも迷わない。ただ癒し、意地を張る背中を支えた。

 

「おじさん、そろそろ疲れてきたんじゃない?」

「お嬢ちゃんこそ、おねむじゃねーんか?」

 

 無表情のまま銃声を鳴らし、問い掛けた少女ルカへ向けて柳の男、ジーノは唾を吐く。

 

「あっかんべー」

 

 難なく躱したルカが煽るが、隙を突こうとしたオルトのタックルは切られた。

 柳のジーノは汗さえ掻かず、そのまま膝で顎を打つ。

 

「痛くねぇ!」

 

 仰け反る巨漢は倒れない。

 

「ったくよぉ……。っと、ほい」

 

 ジーノはオルトの首と手首を掴んだままに身を寄せて、軽く脛を払った。

 巨漢が宙を一回り。

 腕を離したジーノだが、その足はオルトの頭部を踏み抜かず、飛び退いていた。刃がそこに立っている。

 

「まだまだ行くぜ! 今日こそ一本とってやる!」

「良い意気だ。が、今日で最後だろうからな。お前さんには、永遠に出来ねーかもしれねぇぜ?」

 

 威勢だけは立派な若造に鼻を鳴らしたジーノだが、状況は膠着していた。

 実力差は歴然であるにも関わらず、彼は子供達を倒す事も、この場から逃げ出す事も出来ずにいる。

 

「ど……らぁ!」

 

 鋭い連撃からの踏み込み。打撃は撒き餌で、本命は足指を潰す技。

 コイツには、何度か見せているもの。そう嗤った柳のジーノは、前蹴りを放った。

 破砕音。割れる骨。壊されたのは左膝。

 

「膝の抜きが甘ぇ。歩法がまだまだ身に付いてねーんだよ。首、晒したな?」

 

 必然、崩れ落ちる巨体へジーノは銃弾を躱し手刀を振り被る。狙いは、延髄への一撃。

 

「——治癒(キュア)

 

 だが、オルトの後ろにはリナがいる。小熊は顔を上げ、前蹴りを放った。治ったばかりの左膝、その下を鋭くしならせて。

 ならばジーノは飛び退くまでだ。ややあって、彼は首を傾げた。

 

「あん? 珍しいなお嬢ちゃん。弾切れか?」

 

 この時、ルカからの銃撃がなかった。彼女の視線は何故だか遠くへと向いていて——。

 

「ん、なんでもない。弾はまだまだある」

 

 再びの銃撃。難なく躱したジーノだが。

 

 ——ゾクリ。

 

 悪寒が走った。肉体の制御は出来ている。はずなのに、自律神経の制御が狂う。

 ほんの一瞬だけルカの見ていた方向、港の倉庫街へと視線を向けた彼は聴く。

 

 鋼の獣の咆哮を。そして、顎へ強い衝撃が走る。

 身体が宙へ浮いている。飛んでなく、跳んでもいない。足裏に、大地の感触がなかった。

 

 

 

「いっぽーん! もういっちょ! トドメだオルトんくん!」

 

 リナがうるさい。だが、そんな事さえ気にならず、オルトは自分の右拳を見ていた。

 硬い物を殴り抜いた感触。確かなもの。

 

「流石は馬鹿力。当たれば大したもの。当たれば」

 

 オルトはウンウンと頷くルカの嫌味も気にならない。右拳に走る痺れと痛み。

 人を、殴り抜いた手応え。

 

 その感触が本物かどうかさえ、彼にはわからないでいた。

 

「つつ……」

 

 渋い声に顔が自然と上がった。背中では「さっさとブチ殺せー」などと相変わらずリナがうるさい。

 

「……ぺっ。馬鹿力がよぉ……」

 

 軽い音と共に地面に転がる白く硬い物。

 駆け出そうとするリナを押し留める。

 確かに殴り飛ばしたが、相手は魔銀。無頼である柳のジーノであった。

 

 これだけで、勝てるはずもない。

 その実力は身に染み付けられている。脳筋だの馬鹿だのと言われるオルトだが、こと戦闘においての判断はついていた。

 

 風が吹く。夏の終わり、その近くの潮風が。

 月に照らされた子供と大人。たった四名は一幅の画の様に静かに佇む。動きはなかった。

 

「ああ、そうだな。確かに一本だ。よぉ、小僧」

 

 鬱々と、平坦な声で呟くジーノ。飄々として、捉え所のない、風にそよいだ柳。

 柳は起き上がる。そして息を吐いた。

 

「ご褒美だね! お魚屋さん!」

「ちげーよ」

 

 オルトの足からふっと力が抜けた。ガクリと膝を突きかける。何とか持ち堪えたが。

 

「……重い」

「オルト、ちょっとは痩せなよ」

 

 ルカと、ついでにリナに支えられている。

 ポンポンと銃を放り捨てたルカが、ここまで来ていた。リナは、あまり役に立ってはいない。

 

「気抜くと、しんでーな。リナは大丈夫か?」

「とーぜん! ゲロマズに耐えた私に敵はない!」

 

 紫色に発光している。とても頭の方は大丈夫だと思えなかったが、オルトは目を逸らした。

 かなり、疲れている。

 

 当然だ。何度、治癒を受けた。

 治癒は肉体の再生さえもする。折れた骨も繋ぐし、壊れた肉だって癒した。その代償は、一つ。

 

「リナ、ジーノは楊枝屋さん。間違えたら失礼」

 

 術力。生命力の余剰。つまりは命そのものだ。

 

「そっちも、ちげーよ」

 

 ジーノは口元を拭う。僅かな裂傷も、内出血による腫れさえも見られない。——自己治癒。

 柳には、まだまだ余裕がある様だった。

 ならば男として、オルトは備えねばならない。

 

「……まだ、やるか?」

 

 尋ねれば、ジーノがククッと笑う。

 

「……急げ。四番倉庫街、悪趣味なアレだ」

「何、言ってんだ?」

 

 オルトは首を傾げた。だが、直ぐに思い出す。何のためにジーノの下へ来た。それは、この武術家「一発入れる為でなく——。

 

「——母ちゃん!」

 

 母親(アウグスタ)の居場所を突き止める為だった。随分と痛い思いをしたが。

 

「待つ。父上が向かってる」

 

 ルカに頭でグリグリされた。脇腹を。

 

「えっ!? アントニオ様が!?」

 

 リナも驚いて、足を踏んでくる。小指であった。

 

「いてーよ。兄貴が、もう戻ってんの?」

 

 オルトが疑問を口にすれば、ルカは無言で頷いた。そして、柳のジーノは苦笑して。

 

「やっぱ、そうかい。悪ぃなガキ共、ちょいとばかし褒美はお預けだ。俺ぁ、逃げるぜ。……の前に荷物を取って来ねぇとな」

 

 よっと、と立ち上がったジーノは手を挙げる。降伏を示すハンドサインであった。

 

「……どうやら一雨、来そうだしな。あばよ」

 

 ジーノは、行政府迎賓館客室を見ている。

 空に再び叢雲が掛かり、湿った風が生温く匂った。

 

 

 

 ジーノが、オルト達が視線を向けたトラーパニ行政府迎賓館客室に、一人の男がいた。

 

「つつつ……。なんなんだあのガキは……」

 

 頭の瘤を撫でる男。

 実態なき先物投資に乗った者からの資本を用い、配当とする事で莫大な富を築いた商人。

 

「畜生、顎まで。野蛮な糞餓鬼め……」

 

 噛み合わせを確かめる彼は、権力を求め、王国財務省へ近付いた事により故郷、トラーパニへと帰って来る事になった煽動者であった。

 

「痛くねぇ!」

 

 窓の外が、やけにうるさい。だが煽動者にはその物音に、心当たりがあった。

 淡々とした「成敗」の一言で人様の頭を鈍器で殴り付け、顎にまで一撃を入れた糞餓鬼。

 

「くっそー! フェイント失敗。もいっちょいけ! オルトん君。諦めの悪さが、君の武器だ!」

 

 随分と騒がしい。だが煽動者は慌てない。彼には状況が見えている。

 今、不法侵入者とそのお仲間達が騒ぎを起こしている事なぞ、見え透いていた。声からは二人。合わせて三人か。そう彼は踏んでいる。

 

「馬鹿なガキ共が。ククッ……」

 

 煽動者には余裕があった。彼と監査官との護衛を務める無頼、柳のジーノは魔銀位階の冒険者。

 殺人も厭わぬ暴力そのものだ。

 

 一人はあの女の息子だろう、声でわかった。

 もう一人は「あの」孤児院出だという侍女か。煽動者はそこまで推測している。

 

「おじさん、そろそろ疲れてきたんじゃない?」

 

 ——あのガキっ! 

 

 一瞬だけ怒りが燃え上がる。あの淡々とした声は、先程も聴いたもの。しかし彼は落ち着きを取り戻す。

 

「お嬢ちゃんこそ、おねむじゃねーんか?」

 

 飄々とした声。金で動く戦力は手駒のものである。

 所詮は錬鉄と女子供の三人。暴力でしか生きられない破落戸に敵うはずもない。

 

 ——そういえば、あのガキは姪だったか?

 

 煽動者は楽しくなってきていた。

 ジーノが無力化した後に、ガキ共を憲兵へ突き出したりする気はなかった。

 あちらは貴族で、法など曲げる。現に、新法とやらのせいで、多くの民が損害を出している。

 

 ——どうせ、女子供に甘いアイツの事だ。ならば少し痛ぶってやり、社会勉強でもさせてやろう。

 

 歪んだ笑みを浮かべた男。彼は水差しをグラスに注ぐと一息に呷る。野蛮な劇場だ。だがどうせなら、近場で眺めておこうと。

 脳の揺れが治らず、まだ覚束ない足取りで煽動者は窓へと向かった。

 

「なんだアレ……」

 

 その光景は目を疑うものだった。何せ、侍女姿の少女が発光している。紫色で、毒々しくも煌びやかに。

 しかも、あの女の息子は腕が飛び、脚が捥げても立ち上がる。痛みなど、ないかの様に。

 破砕音。割れた骨。壊れたのは左膝。

 

「膝の抜きが甘ぇ。歩法がまだまだ身に付いてねーんだよ。首、晒したな?」

 

 余裕たっぷりで腕を上げた護衛に、煽動者は思わず声が上がってしまう。

 

「ばっ——!」

 

 叫びかけた罵声を焼き菓子を放り込む事で抑え、黙った。それが得策でない事を煽動者も知っている。

 柳のジーノは監査官の護衛であった。

 機嫌を損ねる訳にもいかず、また油断のならない糞餓鬼に狙われては敵わない。

 

「クソったれ! 銃は、どこだ……」

 

 ホルスターに収めていた銃。監査官からちょろまかしたアヴェンティーノの新型が、どこにもない。

 両手で扱う、鰐の鱗でさえ貫く新型だ。護身用には充分なものである。

 

 発砲音。そして彼は見た。あの無表情な糞餓鬼が片手でソレを放つのを。

 その銃弾が、粗暴な小熊の皮膚さえ貫けず地へと落ちるのを。

 

「——ひっ!」

 

 何が起こったのかわからない。監査官の護衛、柳のジーノの身体が宙へ舞っていた。

 魔銀位階の冒険者、暴力の専門家の肉体が。

 煽動者は焼き菓子を口へと放り込む。

 

 味はしない。早く、此処を離れなければ。

 

「いっぽーん! もういっちょ! トドメだオルトんくん!」

 

 そう思った矢先に、不気味に発光する侍女からの無駄に能天気な叫び声を聴いていた。

 煽動者は動けない。何がどうなっているのかさえ、わからないでいる。

 

 気が焦る。けれども身体が動かない。何をしているジーノ、貴様は護衛だろうが。俺を——。

 

「ああ、そうだな。確かに一本だ。よぉ、小僧」

 

 平坦な声で呪縛が解けた。もうコイツは役には立たないという気付きが、煽動者の脚を動かす。

 反転、室内へ。出口なら非常口がある。今のうちに荷物を抱え、立ち去りさえすれば。

 

 再起の目はまだあった。単純な暴力なんぞに屈して堪るものか。

 理と利、知恵と情を用い、ここまで来たのだ。

 いずれ俺は国政に打って出て議員となり、必ずや——。

 

 ——これはな、異界を生成する為の鍵だ。霊核を多く集め、これを掲げて大義を願う事で望みを叶えるものよ。尤も、都合の良い奇跡など起こるべくもないがのう。法を軽視し、暴力を良しとする輩に対抗する為の、儂ら王国財務省最大派閥、赤い獅子の切り札ぞ。

 

 いつだか、監査官が自慢げに見せていたあの石。

 それを思い出した煽動者は監査官の部屋へ走った。

 アレは奴の荷物として片付けられている。そして大量の霊核も確保されている。

 

「聴け、この声なき声を。搾取され、踏み躙られ、それでも黙して耐え続けてきた叫びを!」

 

 煽動者は赤き輝きを手にし、祈る。

 開いた鞄からは、透き通る光。それは力そのものである霊核の純粋なる煌めき。

 

「俺こそが正義の代行。遂に鉄槌を下す時が来た。血に奢った者共から、この国を、我等が故郷を……」

 

 無色が赤、否、紅へ流れ込む。男は謂れなき全能感に酔っていた。

 

「……あの女も、いずれわかる。俺こそが真に彼女を——いや、この街を統べるべきだと」

 

 呟きは、静かなものだった。眩い光が溢れる。

 音が消え、匂いも遠ざかる。

 薄皮の様に剥がれてゆく世界。

 顕現するは、異なる真実。

 

「おおっ、おおっ……。奥方様……」

 

 瞳を閉じれば瞼の裏に、母の貌。変わらず儚く微笑み続ける嫋やかな女。

 

「ひっ」

 

 だが世界は裏返る。像は輪郭を失い、熱が失われていった。浮かぶのは、無数の紙片の中から溢れ出す無機質な数字たち。

 ソレは、人の貌をしていた。嘆き、哀しみ、苦しむ老若男女の同じ貌。

 

「たっ、た……」

 

 先導者を自認する男の祈りは何処へ届く事もなく、新たな異界が産声をあげた。

 

 

 

「んなっ! またかよっ!」

 

 一瞬、地が揺れた。

 

「……違う。リナ、下がって」

 

 また地震かと叫び掛けたオルトだが、ルカの一言に意識を向ける。双剣を構えた相棒が見るものは。

 

「黒の……」

「オルト、構えて」

 

 トラーパニが誇る、キエッリーニの白の家。を模した行政府迎賓館。その白亜が赤黒く輝いた。

 覆い尽くすかの様に光が満ちてゆく。

 

 その光を知っている。忘れるはずもない光。かつて赤い屋根の家で見た色に、渦喰らい(マニャ・ヴォルティチェ)を取り出そうとしたのだが。

 

「ぐ、ぬぉぉぉぉっ!」

 

 出ない。オルトは収納の術式が苦手であった。

  

「ルカ様、これって……」

 

 震えるリナの声。あの夜見たものを思い出せば無理もない。オルトの気は逸る。またあんな怪物が出て来るならば、無手では対処しきれないからだ。

 

「多分、あの時と同じ。でも……」

 

 ルカが屋敷へ向けて手榴弾を投げる。爆発で、傷一つもなかった。異界は名の通り異なる世界。

 壊すには、文字通りに世界一つを殺し尽くす必要があった。

 

 浮かび上がる、数字と数式。

 飛び交う紙束に札束。

 滲み出る顔、貌、(かお)

 口を開けた異界がここに、再び産声をあげる。

 

 ——ピッギャー!

 

 肉塊が、溢れ出す。黒き屋敷の中から。

 

「ハッ!」

 

 ルカが双剣を振るい、伸びた触手を断ち切った。血にもインクにも似た液体が飛び散る。

 身体を回転させながらルカは、瞬時に五本の触手を断ち切るが——。

 

「嘘でしょ……」

 

 リナの声は震えたままに。

 眼前では欲望をカタチにしたような夥しい触手の群れが、巨大な肉塊を突き破り生えながら蠢いている。

 

「嘘じゃない。大きくて多い、あの時よりも」

 

 唸り続けるオルトを尻目に、ルカは回転の速度を上げた。

 白い月の下、銀閃が煌めき剣が舞う。瞬く間に肉の触手は切り刻まれる。十、二十、三十。

 

「ルカっ! えーい、荒縄くん!」

 

 リナが叫んで荒縄くん二号を投げつけた。

 

「ありがと、リナ。でも、無駄遣いはダメ。……ダメか」

 

 ルカの頭上へ生まれた、巨大な肉塊へと。

 その肉塊へと斬りかかったルカだが断ち切れず、蹴りを入れる。

 

「ルカっ! 危ない!」

 

 またもリナが叫んだが、ルカは肉塊を足場として伸びてくる別の触手を切り刻んだ。

 それでも、触手の数は減っていない。

 

「オルト、頼りにしてる」

 

 十を刻めば二十が、二十を刻めば四十が、五十を刻めば百の数へと。肉塊が蠢き、産声をあげ続ける。

 見る間に迎賓館敷地内は夥しい肉塊の群れにより、覆われていった。

 それでもルカは双剣を振るい続ける。背中に守る、オルトとリナの前で。

 

「待たせたな」

 

 そんな彼女が待ち望んでいた声が。

 

「遅い、鈍間」

 

 ルカの唇には微笑みが浮かんでいた。

 

「そーいうなって。リナを、頼んだぜ」

 

 頼もしい相棒にして剣を捧げた主人が、肉塊を叩き潰した。巨大な斧、渦喰らい(マニャ・ヴォルティチェ)によって。

 

「任せて、相棒」

「おう、任せた相棒。そして、俺に任せろ」

 

 吹き荒ぶ巨大な暴力が、肉塊を切り裂き、叩き潰してゆく。触手はオルトに通らない。全身の運動の中に巻き込んで、捻り潰していった。

 

「いけいけオルトっ!」

 

 紫色に輝いたままのリナは、ルカへと分身活性を用いる。

 武具を振るえぬ彼女には、それだけしか出来ない。

 

 出来ないからこそ、オルトとルカ。二人の患者の状態を把握する。

 負傷はないか、疲れはないか。それを見極めて、一瞬での対処を施した。

 二人とも、既に疲労は色濃いものだった。

 

「オルト、交代」

「まだ、やれるっ!」

 

 叫び合う、相棒にして主従。その意見は対立していた。だからこそ、リナは叫ぶ。

 

「主治医判断っ! 交代!」

 

 バカみたいに笑うオルトがこれまでに、何を犠牲にしてきたのか癒師は知る。

 

「暴れ足んねーぜ」

 

 命だ。

 リナは広い背中に手を当てる。治癒も分身活性も接触を前提としていた。もう傷はない。だが、それが無事を示すものではないと、リナはもう知っている。

 

「行って来い! 男の子っ!」

 

 だからこそ背中を押した。遠ざかってゆく背中。

 

「私達は、負けないよ」

 

 戻ってきたルカをリナが抱きしめる。小さな身体への分身活性。

 

「知ってますぅ〜。でもルカ様も、無茶しちゃダメですからね。怒っちゃうん、ですからね!」

「——婦女を護りし、剣なれば」

 

 リナの前でルカが勇ましく、双剣を構え直した。

 オルトは肉塊を屠り続ける。だがそれでも——。

 人の欲望が異形と化した肉塊は、増え続けていた。

 

 それでも月は変わらない。無慈悲に微笑んで、悍ましき醜さも、ひたむきさも覚悟も。等しく冷たく見つめていた。

 

 

 

 月が僅かに降りている。そんなものは幻想だ。オルトは夥しい数の肉塊を叩き潰しながら、戦場を俯瞰していた。

 

 ——キリがねぇなぁ、おい。

 

 大斧を振り回すだけで、肉塊は叩き潰せる。大した敵ではない、簡単に屠れた。

 だが、それでも。

 幾度切り裂いて、踏み抜いて、叩き潰しても。

 

「んだ? 化け物か!?」

「知らね、とにかくぶっ殺せ!」

 

 ああ、もう敷地外まで増えてんのか。

 オルトは警備の声を聴く。取り敢えずぶっ殺せ。その判断は正しいもので、だからこそ、こうして彼も暴れ回っていた。物量に圧殺されぬために。

 

「——刀剣顕現」

 

 短い声。ルカと場所を入れ替える。

 巨大な肉塊が一つ、破裂した。

 塵となり、霧散してゆき光と変わる。対象の内側へ剣を顕現させ、破壊を齎す恐ろしい技だった。

 

 ——何本目だ? 剣はあと、幾つある?

 

 オルトはリナの側へ。背中に触れる暖かさ。身体に活力が漲った。

 ルカが双剣を振るう。切り裂かれてゆく触手達。

 

 だが、それは限りあるもの。収納に納められた剣が尽きれば使えない。

 そうこうしているうちにも、肉塊は増え続けた。

 

「もっと応援を呼べ! 何が何だかわかんねーが、抑えきれなきゃ大変なことになるぞ!」

 

 遠く聴こえる怒鳴り声。

 

「げっ! そっち行きやがった! 追えっ!」

 

 膨張し、増殖し、分裂し、自律して。世界を覆ってゆかんとする肉塊。異なる世界そのものが、この世界の全てを食い尽くし、なり変わらんとする欲望。その現象を——。

 

「こいつは、『異界侵蝕』だっ! ありったけの戦力を連れて来い! こいつは、戦争だっ!」

 

 焦りの滲む声に漏れ出た言葉を聞いた。それでオルトは腑に落ちる。

 出会した事はない、見た事とない。伝え聞いて知っていた、世界の危機を意味する言葉を。

 

「そうかよ。なら、やって——」

 

 呟いて、渦喰らい(マニャ・ヴォルティチェ)を大地へ突き立てようとする。だが——。

 

「……くれぇ、よ、こせ……」

 

 呻き声は緩慢に。されど鋭く尖った刃がルカの脇腹を掠めていく。

 

「くっ!」

 

 短かな苦悶。途切れた運動に、静止する世界。

 夥しい数の欲望が、ルカを狙い口を開いた。

 

「……っ、痛くねぇ!」

 

 その悪意を全身で弾き返したオルト。

 一跳びでルカとの立ち位置を入れ替えた彼は、再び破壊を開始する。

 

「死なせ、ねぇ!」

 

 猛る小熊は大斧を振るった。原型を留める事なく壊れゆく肉が、壁となって積もっていった。

 

 このままでは、マズイ。

 そう考えてはいるものの、だからといって打てる手があるでない。例えあったとしても——。

 

「オルト、代わる。溜めて」

 

 ルカはそれを知っていた。現状を打破する手段はある。巨大なるもの、広がり続ける海へ抗うために、キエッリーニ開祖が造りし渦喰らい(マニャ・ヴォルティチェ)。その権能を発揮したならば、増殖も膨張も、一時的になら止められる。

 

「ざっ、けんなぁ!」

 

 だが、そうするには時間が必要だった。

 リナが荒縄くんを投げつける。

 ルカが刀剣顕現し肉塊を弾き飛ばすも、別の肉塊が突っ込んできたからだった。

 

 今、手を止めれば負担は全てルカへゆく。そうなれば、物量に圧殺される。それでは誰も守れない。

 ルカを信じていない訳じゃない。だがそれでもオルトの戦士としての勘は、切り札を用いる事を拒んでいた。

 もう迎賓館中庭に、肉塊(異界)が侵蝕していない場所は、殆ど残されてはいなかった。

 

 ——考えろ、考えろ。このまま前線を維持し続けながら、ぶちのめす方法を。

 

 きっと、止める事は出来る。増殖も膨張も必ず。

 だが、それまでに埋め尽くされてしまえばルカは、リナはどうなる。オルトだって肉塊の中へ身体が埋もれてしまえば、異界そのものを屠る術はなかった。

 

 

 

「おーおー。随分と面倒な事になってんな。おっと」

 

 静かな声だった。だが、やけに通るもの。ゆらりと揺れる影。

 影は肉塊の一つをクルリと裏返し、踏みつけた。

 

 その肉塊はサラサラとした塵となり、光となって消えてゆく。影がそのまま腕を振り、別の肉塊へ拳を穿つとまた一つ消えてゆく。

 

 背は高くない。痩せている。蒼白い肌、無精髭。

 どこにでもいそうな、街の男。そう見えた。

 

「お魚屋さん!」

 

 リナの呼び掛けに男は憮然とし顎を撫で、また別の肉塊を投げた。

 地に叩きつけられた異界存在は塵と光となって消えてゆく。

 

「逃げるんじゃ、なかったの? おじさん」

 

 剣を振るいながらも、ルカの声は冷たい。ククッと笑った男。その足が肉塊から浮かぶ顔を踏み抜いた。

 

「船も出てねーし、荷物も忘れてな。金ねーと困るだろ? ……気持ち悪ぃ手応えだな」

 

 柳の様にゆらゆらと、風にそよぎながら男は痩せた身体で踊る。静かに、それが当たり前の様子で。

 

「ジーノ!」

「小僧に、呼び捨てされる謂れはねーよ」

 

 苦い顔をしながら魔銀位階の冒険者、柳のジーノは肉塊を屠っていった。

 

「どういうつもり? お魚屋さん。もしかして、お得意様へのサービス(セルヴィツィオ)とか?」

 

 リナが朗らかに笑えば、ジーノはハァと息を吐く。

 

「悪ぃが、魚の手持ちはねーぜ?」

 

 軽口を叩くもジーノは打ち、投げ、穿ちながら塵と光を作り出す。柳の足元では白い石床が見えていた。

 

「手、抜いてやがったか、おっさん」

 

 オルトが肉塊を屠るも、消えはしない。ビクビクと蠢いて、活動を止めるだけである。

 

「稽古なんだから、当たりめぇだろ。で、小僧。何か手はあるか? ないならさっさとズラかるが。こんなんじゃ、荷物どころじゃねーし」

 

 飄々として、ジーノはオルトへ問い掛けた。

 街中から、悲鳴と怒号が聴こえてきている。このままでは、いけない。青年は信じた。

 

「ある。……頼めるか?」

 

 オルトは答える。ジーノは肩を竦めると、彼の前へ立つ。

 

「ま、一本の褒美だ。くれてやるよ」

 

 男二人、拳を交えた彼らにそれ以上はいらない。

 シッと息を吐き出して、オルトはルカとリナの隣へ跳んだ。

 

「ルカも、頼んだ。任せたぞ、相棒」

 

 二人は視線を交わす。

 

「任せて、相棒」

 

 ルカが双剣を振り舞い、オルトは静かに斧を大地へと突き立てた。

 風にそよぐ柳の様に、飄々として技を振るうジーノの背中が見える。

 

「やれやれ、オメェかよ。どうやら似合いの場所へ、堕ちたまったみてぇだな……」

 

 そんな呆れ声を、気にする余裕はなかった。

 

「死なせねぇ」

 

 街も、人も、誰も。

 トラーパニを預かるキエッリーニの惣領息子、小熊のオルトは誓いを胸に、意識を沈めた。

 

 黒い夜の帷に浮かぶ真っ白な月は、少しだけ低い場所に居る。




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ビタロサ王国シシリア州における、一般的な冒険者の日常。(作者:カズあっと)(オリジナルファンタジー/冒険・バトル)

▼ ビタロサ王国シシリア州カターニア市は旧都であり、冒険者の街としても名高い。▼ その街に住むレンツォもまた冒険者として生計を立てている。▼ そこそこ優秀であったが夢破れ、将来の目標を失ってしまったレンツォはそれでもそれなりにやっている。▼ そんな、平凡な日常のお話。▼ 普通の人達が普通に頑張る物語。▼ ▼ お読み頂き、ありがとうございます。二章完結しました…


総合評価:764/評価:8.19/完結:30話/更新日時:2025年08月30日(土) 00:27 小説情報

ちょっとだけ愉快な仮面の冒険者(作者:乾燥海藻類)(原作:wizardry variants daphne)

タイトル通りです。▼一周年おめでとうございます。


総合評価:426/評価:8.16/完結:10話/更新日時:2025年10月24日(金) 19:50 小説情報

【本編完結】呪術高専伝タフ(続編投稿済み)(作者:魚の肝)(原作:呪術廻戦)

ある日、▼異▼常▼猿▼愛▼者▼のマネモブ花沢喜一は田舎道を歩いているとゴリラに突然襲われて、(なにっ)この世から消えるっしてしまった。そして目覚めたら呪術廻戦の世界に転生していたんだよね猿くない?▼ ムフフフ見て見てタフ坊描いたのん{IMG203881}▼ 禁断のタフ坊"二度打ち"▼ https://img.syosetu.org/img…


総合評価:1142/評価:7.96/連載:56話/更新日時:2025年02月08日(土) 21:07 小説情報

つぶやきギデオン(作者:赤銀)(原作:トリッカル・もちもちほっぺ大作戦 )

▼ギデオンがつぶやくだけ▼刊行用に表紙作成しました↓▼【挿絵表示】▼表紙カバー↓▼【挿絵表示】▼BOOTHの入荷完了しました。▼https://booth.pm/ja/items/8090929▼電子書籍用版は↓です。▼https://sekiginn.booth.pm/items/8165266▼応援してくださる皆さんありがとうございます。▼ちょっと私も心…


総合評価:297/評価:8.83/完結:29話/更新日時:2026年05月26日(火) 18:30 小説情報

新運命「愚弄」の行人「マネモブ」(作者:異常猿愛者)(原作:崩壊:スターレイル)

覚悟してください 猿展開を撃ち込みますッ▼ヒィエエエ オンパロスに乗り込む黙示録の四騎士だあ▼【挿絵表示】▼


総合評価:663/評価:8.62/連載:71話/更新日時:2026年01月31日(土) 12:00 小説情報


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