フオリエ・ナスコシテ   作:カズあっと

78 / 78
78話 夜明け。

 

 ルカの振るう双剣の隙間を縫って、触腕がオルトの右腿を貫く。

 

「「オルトっ!」」

 

 前に立つルカと、背中にひっついたリナが叫んだ。

 ルカの剣戟が鋭さを増し、背中からは治癒の術式。

 傷は、たちどころに塞がった。

 だが肉を抉られ貫かれ、平気であるはずもない。

 

「おおっ……。恨めしい、憎らしい、奪うな、返せ」

 

 肉塊達は表層に現れた口々を開き、怨嗟の声を漏らす。それは単純な音ではなかった。

 呪詛である。

 言葉や意志は他者にも働きかけ、世界そのものにさえ影響を与える。

 

 その負の性質を利用した術式を、呪いと呼んだ。

 対象の心に疑心暗鬼や迷いを生み出す弱化の術式。

 人は弱い。迷いは隙を生み、集中を乱した。

 

 だからこそオルトは、痛くとも不敵に笑う。

 平気であると見せつけるように。それもまた、一つの術式であった。

 

「効かねぇよ、俺達にはよ。二人とも、もうちっとだけ頼むぜ」

 

 言いながら、父親の形見である渦喰らい(マニャ・ヴォルティチェ)を握り締め、オルトは「敵」を睨み続ける。

 

 それは異界の怪物で、巨大な肉塊であった。またその一撃が、オルトの肩を抉る。

 リナが即座に治癒をして、ルカも果敢に双剣を振っている。

 

「おおお……。奪われた。返せ、寄越せぇ……」

 

 歪んだ唇による、身勝手な罵り。それはそれで、誰もが持つものなのだろう。だからといって、好き勝手をさせるつもりはなかった。

 

「搾取を許すな……。俺の、モノだぁ……」

 

 その欲望は今も膨れ上がり、増え続けながら、世界を圧し潰さんとしているかにも見えた。

 残るはオルトを中心として、ルカの死守する僅かな範囲だけ。

 見渡せば、枯れた柳の背中ももう、見なくなっている。だがお陰で時間を稼げた。溜めも充分だ。

 

「頼んだぜ、渦喰らい(マニャ・ヴォルティチェ)

 

 オルトは斧を振り上げる。誓いを胸に、祈りを唇へと乗せて。

 

「——ぶっ潰す!」

 

 猛る小熊の咆哮と共に、停止する肉塊、静止する世界。

 渦喰らい(マニャ・ヴォルティチェ)——梟雄と称されたキエッリーニ開祖より、連綿とトラーパニ子爵家に受け継がれてきた強大な術具。

 

 キエッリーニの代々当主が、トラーパニ子爵が、家族を、仲間を、街を。

 巨大なる大異界・海に抗い護るため、振るい続けてきた武具だ。

 その権能は、圧縮による縮小。

 

 未熟であれど、それを握るは次期子爵(未来)

 渦喰らいが、鋭く振り下ろされた。

 切り裂かれてゆく手近な位置にある肉塊。膨張し、増殖し、自律して暴れ回る怪物の一部が屠られる。

 残るのは、圧し潰された欲望が一つだけ。

 

 突然に迎賓館玄関口付近の肉塊が、一気に消え去った。一瞬だけ見えた扉。開け放たれている。

 瞬く間に肉塊により埋め尽くされた光景であるが、直感が告げた。

 

 ——ジーノのおっさん!

 

 何をした、どんな手を使ったのかまではオルトにもわからない。

 わからなくとも、ジーノが向かった先には目星が付いている。

 

 向かう先は、ルカが感じ取ったという大量の霊核の気配、迎賓館、客室。そこに異界侵蝕の核となる異界があるに違いない。

 異界そのものを破壊、ないし攻略をしなければ侵食は止まらない。

 

 冒険者であるジーノがそれを知らぬ筈もなく、またそうしなければ、終わりはない。出来なければ、喰われるだけである。

 異なる世界同士による生存競争。異界侵食が戦争と呼ばれる所以でもあった。

 隣から、小さな影が飛び出した。

 

「行くよ、相棒」

 

 冒険者ではないルカである。

 彼女は双剣で、瞬く間に肉塊から伸びる触手を切り裂いた。

 肉塊の増殖により震え続けていた大地の、その揺れはもう収まっている。

 それでも、まだまだ異形の欲望がこの場所には、この街には数限りなく、ひしめいていて。

 だからこそ、止めなくてはならない。

 

「借りるぞ」

 

 念のためにと、荒縄くん二号を手にしていたリナからソレを奪い取り、リナ自身の身体をオルトは背中に括り付ける。

 おんぶであった。背中には、結構大きいおっぱいの感触が当たっている。それでもオルトは迷わない。

 

「え、えぇ……」

 

 困惑するリナの声など無視をして、大斧でまた一つずつ、肉塊を叩き潰し始めた。

 

「痛い、痛い……。横暴だ、許されんぞ……」

 

 口々に連なる恨み言。それが呪いであろうが、術式であろうが、オルトには関係がない。

 ルカの双剣では、もう肉塊には通らない。

 だが代わりにルカの小さな身体が、道を切り開く。

 

「サクサク殺すよ。鬱陶しい」

 

 ルカは肉塊共から浮き上がる顔、その発する呪詛に心底うんざりしているようだった。

 物騒ではあるも、その気概が頼もしい。

 

「露払いは任せたぜ。相棒」

 

 ならば応えてやるのが、主の役目であった。背中にリナをおんぶして、ルカとは隣合わせに立つ。

 

「いや、何格好付けてんですか若様。この格好、すっごく恥ずかしいんですけど」

 

 リナの抗議は受け付けないでおく。こうしておけばリナを置いて行かずに済むし、移動も楽だ。

 例え怪物が数だけの雑魚であっても、リナが一人で無事にいられる戦場ではなかった。

 

「ま、気にすんな。お前らも、誰も。死なせねぇよ」

 

 ルカからもリナからも、離れるわけにはいかない。

 確かに膨張や増殖は止められた。だが、圧縮の権能により巨大化を止め、体積を減らしたところで質量は変わらない。その脅威は別の形で現れる。

 

 ——だからこそ、その前に。

 

 ジーノと合流し、根から断つ。

 状況によっては不利となる渦喰らい(マニャ・ヴォルティチェ)の権能を用いた以上、速攻が求められた。

 

「じゃ、改めて反撃だ」

 

 肉塊の一つを切り裂く。

 運が良かったのか、霊核へ体内術力が注がれての現象——消失反応が起こり、肉塊が塵と光と化して消えてゆく。

 

 ジーノは技にてこれを熟した。オルトもルカも、まだその高みにはなかった。

 だがそれは、足を止める理由とならない。三人による攻略が、始まった。

 

 

 

 双剣が煌めき、斧が唸りを上げる。そして背中に括られた侍女が、紫色に輝いてもいた。

 

「刀剣顕現」

 

 肉塊の一つ、その中心部に剣が現れ、塵と光へ化した。ルカは素早く手を伸ばし、収納を行う。

 

「あと、何本だ?」

「五本。使い捨てでは厳しい」

 

 オルトが肉塊へと大斧を叩き付けて尋ねれば、ルカは歯噛みするようにして答えた。

 従姉妹が双剣を振るい、迫り来る脅威を逸らし、いなし、弾く。

 既に肉塊は、ルカの細腕では斬れなくなっていた。

 

 圧縮の権能は対象の体積こそ縮小させるが、質量は変わらない。密度を高める事により対象を縮小させているためだ。

 

「ちっ、どこまで増え続けてるってんだ!」

 

 増殖や膨張は止まっているものの、肉塊はもう、オルトでさえ一撃で屠れる硬さでも、重さでもなくなっている。

 数は確かに減っていた。だが、駆逐速度は時間に比例して遅くなってもいる。

 それが意味する事とは。

 

「もっと爆弾を持って来やがれ! 押し留めて一気に吹き飛ばす!」

「若が、留めてくれてんだ! ちっとでも減らすぞ! おらっ! 範囲内に集めろ!」

 

 味方の不利である。そして、自分達の力不足であった。

 

「シッ!」

 

 触腕による刺突をいなしたルカの身体が弾かれる。

 姿勢を崩さず着地に問題はないものの、手に持つ双剣の一つが折れていた。

 

「どらあっ! ちっくしょー!」

 

 オルトは何度も大斧を振るうことでやっと、肉塊一つを原型も留めぬ程に叩き潰せた。

 それでもやっと、肉塊を駆逐しながら迎賓館の玄関口まで辿り着く。

 やたらとデカい肉塊が入り口を塞いでいる。ルカが剣を入れ替えて、隣に並んだ。

 

「……刀剣顕現」

 

 地面に手を付けたルカが呟けば、巨大な肉塊が爆発し、サラサラと塵と光と化してゆく。カタンと軽い音がして、砕けた剣の握りだけが地面へ落ちた。

 

「あと、四本。流石にこのまま異界に潜るのは、やや心許ない」

 

 目を凝らせば、深い闇がある。屋内の灯りは圧迫により破壊され、既に光を灯さない。

 見える範囲に怪物の姿こそないものの、破壊の痕跡だけが闇の中に残されていた。

 

「つっても、引き返す余裕もねーし。もう突っ込むしかねーんだよな……」

 

 やれるのか。さしものオルトも不安を覚えた。

 圧縮の権能が解ければ、また肉塊が溢れ出る。怪物の増殖を止めるには、元を断たねばならない。

 だからこそ、こうしてやって来ている。

 

「オルトさ、不安になるのもわかるけど、引き返してどーにもなるもんじゃないじゃん?」

 

 リナが笑えば、ルカが続けた。

 

「放っておいて、解決する問題じゃない。それに、おじさんと合流出来れば攻略もなんとかなる。多分」

 

 そうだ、ジーノは既に先へ進んでいた。

 事態を解決するために、大元となる異界へ潜り込み、攻略に挑んでいる筈である。

 オルトはそう考えて、気合を入れた。

 

「行くぜ。取り敢えず、一発デカいのをお見舞いしてから、突っ込むぜ」

 

 渦喰らいを振り上げる。背中のリナは気になるが、腕力には自信があった。

 密度の高まった肉塊には苦戦をしたが、それは隙を作らぬため、動き続けたからだった。

 

「ルカ、吹き飛ばされんなよ。すうっ——」

 

 一言告げて、息を吸う。

 しっかりと構えての一撃は、圧縮した大海蛇(セルペンテ・マリーノ)すらをも屠った。

 全力なら、衝撃波だけでもこの屋敷くらいは——。

 

 ——ドゴォン!

 

 振り下ろそうとしたその瞬間、鳴り響いた爆音。

 

「があぁぁぁぁ! ちぃっっっ!」

 

 続く獣の如き咆哮と共に、迎賓館の一室が弾け飛んでいた。

 一瞬で吹き荒ぶ爆風、熱風、凄まじい衝撃波と、無慈悲なまでの破壊。

 何度も繰り返される、大きな破裂音。

 

「なっ!」

 

 屋敷の一角が吹き飛んで、炎を上げている。

 その煙と共に、未だ黒き天へと舞い上がるのは、消失反応による眩い塵と光。

 その中から、ゆらゆらと覚束ない足取りで歩み出て来た人影がある。背中に大きな荷物を抱えていた。

 

 背は高くなく、痩せている。

 青白い肌、無精髭。

 着物は襤褸となり、晒された肌には夥しい火傷らしき傷を負っている。足を、らしくもなく引き摺ってもいた。

 

「痛てて……。ちぃと、きっちぃなぁ……」

 

 それでも声は飄々と。

 どこか捉え所のない男。魔銀位階の冒険者。王都の無頼である、柳のジーノであった。

 

「リナっ!」

「我はここに集いたる——」

 

 オルトが駆け、リナが詠唱を開始する。

 

「よぉ、ガキ共。ちっとばかし、しんどいぜ。——って」

 

 つんのめりそうになるジーノをオルトが支えた。

 

「——慈愛深き、救いのラッパを吹く御使よ。我に御力を貸し与えたまへ。優しき光を賜りたまへ。治癒(キュア)

 

 オルトの背中越しにジーノの頭をムンズと掴んだリナの詠唱が完成し、癒しの光が無頼の身を包んだ。

 

「おー、こりゃすげぇ。恩に着るぜ、嬢ちゃんよ」

 

 焼け爛れたジーノの肌が再生してゆく。「それにしても、反則すぎんだろう……」などという大人の呟きは無視をして、術式は必要な治療を施した。

 

「異界は?」

「まだまだ元気に侵蝕中よ」

 

 手を離したオルトが尋ねれば、ジーノは膝の調子を確かめる。背中にも手にも、彼はかなりの大荷物をかかえていた。

 

「爆発は? 怪物の攻撃か?」

 

 更に状況確認は続く。怪我と治癒による負荷の影響からか、ジーノの呼吸にはやや乱れがあった。

 

「奥の手ってヤツよ。——っと」

「危ない、はい」

 

 ジーノが手に下げた鞄を取り落とし掛けるも、ルカが受け止める。

 

「……お、おう。あんがとよ、嬢ちゃん」

 

 気まずそうに礼を伝えるジーノを、ルカが真っ直ぐに見上げていた。その唇が再び開かれる。

 

「おじさん、異界攻略手伝って。私達四人で行く」

「はぁ!?」

 

 幼い騎士の要求に、素っ頓狂な声を上げる無頼。

 

「頼む。この騒動を鎮めるのに、力が足りねぇ。協力してくれ!」

 

 小熊が真摯に頭を下げて、頼み込む。

 

「いやー、火傷の治療って、第三度までなると、かなりお高くなっちゃうんですよねー。請求しなくちゃ」

 

 恩着せがましく追い込む侍女がいて、「あー」と呟いた中年は、ますます気まずそうに頬を掻く。腕には鞄を抱えたままに。

 

「あー、いや、おじさん怪我人だろ? 流石に厳しいかなってよぉ……」

「治したし! 怪我人じゃないもん!」

 

 おずおずと答えた中年の、逃げ口を塞いだ癒師である。紫色に発光したままであるも、その眼差しは真剣であった。

 

「ってもよ、死ぬぜ。第一、俺の技は対人用よ。怪物相手にゃ大して上手かねーぜ。やたら硬いし、雑にせよ速ぇ。ちっと俺にゃ、手が余る。だからこそ、奥の手も使った訳だしな。それによ……」

 

 疲れたように、長々と吐き出されたのは弱音。

 そこでオルトは再び察する。圧縮の権能による、副作用というものを。

 やれやれと、首を振る柳。

 

「大丈夫、ジーノおじさんは強い。まだまだヤレる。私が保証する。それに、奥の手もまだ……」

 

 ルカが喰らいつく。その視線はジーノの持つ、鞄へ向けて注がれていた。彼女の言葉には根拠はないが、強い圧がある。

 

「行くよ! 異界攻略! 正義のお魚屋さん!」

 

 無頼へと侍女が畳み掛けた。

 

「時間がねぇんだ! 急がねーと! 頼む!」

 

 渦喰らいを置いたオルトが、ジーノの肩を掴んで吠える。

 

「気持ちはわからんでもねーけどな。命は投げ捨てるもんじゃねーよ、若いの。それに、ちっと待ってろ。そうすれば——げっ」

 

 噛んで含めて嗜めるかのように優しく言った無頼だが、彼は一瞬だけ身を竦ませた。

 そして、なんとも言えない叫びを漏らすとオルトの手首を掴み引きつけて、膝を落としてゆく。

 

「——チッ、もう来てんのかよ。悪いがお前ら、おじさんは野暮用だ」

 

 スッと落ちる腰。距離が消えた。平凡な体格の背は揺れず、屈強なオルトの体幹だけが崩れる。

 その刹那——。

 

「うおっ」

「え?」

 

 小熊の身体が、背負ったリナとも重なる驚愕の声と共に、弧を描いて反転した。ダンと音を立て、地を叩いたのは分厚い掌。

 半身となってリナを庇ったオルトの背中。

 

「——っ」

 

 その光景を呆然と見ていたルカだが、不意に顔を上げていた。夜気の中、はっきりと聴こえる含み笑い。

 

「感心、感心。良いな。受け身も鍛錬も、怠るんじゃねーぜ。もう二度と会う事もねーとは思うが、まぁ、悪くもなかったぜ。——アバよ、クソガキども」

 

 低い声で呟いて、無頼は手を離す。柳のジーノはその身を翻し、地を蹴った。

 その姿はあくまでも飄々としていて。

 寄るべなく、頼りなく。風にそよぐ柳のように。

 

「「「ま,待てっ!」」」

 

 同じ言葉が三つだけ重なった。

 柳の含み笑いは、もう聴こえない。パチパチと建物の燃える火の音と、物の、肉の焼ける臭いが漂った。

 

「チッ! ——こうしちゃいられねー!」

 

 立ち上がり、罵りを断ち切って斧を持つ。当てが外れたとはいえ、やるべき事は変わらない。

 

「う、うん。オルト、ルカ、行こ!」

 

 侍女もそれを知る。彼女は大切な兄貴分も妹分に声をかけ、怖さを拭って勇気を振り絞ろうとする。

 ドウと音が鳴り、柱の一つが倒れた。

 

「……辛い、……痛い、……助けて、……恨めしい。おおっ、……寄越せ、……何もかも」

 

 火の手からは、焼け爛れた肉塊達がワラワラと湧き出してきている。

 際限なく、痛みも苦しみも恨みも抱え、欲望と怨嗟の声で呻きながら。

 

「「ルカ?」」

 

 ルカが双剣を仕舞った。訝しげな声は、残る二人のもの。小さな騎士ルカが、恭しく膝をついていた。

 

「何してんだ、急がねーと」

「どったの?」

 

 全く別々の言葉が、彼女へと投げかけられる。そして二人は声を聴く。

 

「大丈夫。もう、心配ない」

 

 顔を伏せたルカによる小さな呟きを。

 屋敷は燃えている。火音はバチバチと鳴り響き、肉の蠢く悍ましき音も、絶える事なき怨嗟の言葉も終わらない。

 それでも——。

 

 若者達の耳に、音が響いた。

 それは硬い音。

 氷と鉄が触れ合って、微かに響く小さなもの。

 それは段々と高くなり。

 

 タンと、軽い音が鳴る。

 揺らめく炎と月の光を浴びて、立つのは男。騎士鎧を纏い、腕に女を抱いた美丈夫。一振りの剣。

 

「ふふっ……」

 

 その胸元からは、玲瓏な声がする。

 真紅のマントに包まれて、黒衣を纏う白い肌。

 微かに香る茉莉花が、その色彩を思い描かす。

 

「待たせましたね。でも、夜遊びはあまり感心しないかしら?」

 

 含み笑いは軽やかに、ただ優しい音だった。

 

「か、母ちゃん!」

「奥方様!」

 

 オルトとリナ。若い二人が呼ぶその人は。

 慈母の微笑を浮かべる女。その名こそが、アウグスタ・ビアンカ=キエッリーニ。

 

 トラーパニの母であり、領主代行にして、子爵家キエッリーニの未亡人。そして剣を握りし、女主人。

 

「おかえりなさいませ、奥方様」

 

 顔を上げたルカが、猫のように目を細めた。

 

「ええ。三人とも、ただいま」

 

 女がくすぐったげに頷けば、ルカが立ち上がる。

 

「状況の説明は、必要でしょうか?」

「結構よ。よく、頑張りましたね」

 

 母は何でも知っている。なんて事はなくとも、彼女は知っていた。今を。

 常に白の屋敷から、トラーパニを見守り続けてきた領主代行は、場に落ち着きを与える。

 

「こら、アントニオ」

 

 そんなアウグスタが肘を突く。男の胸へ。

 

「あ、ああ。オルト、渦喰らい(マニャ・ヴォルティチェ)の扱い、見事だ」

 

 そして彼は静かに言う。

 

「兄貴っ!」

 

 オルトは拳を握り締め、喜びを噛み締めた。

 

「違うでしょ。この子は褒めてもどうせ、すぐに忘れてしまうのですから」

 

 女はまた、男の胸を肘で突く。だが、その眼差しは息子へと注がれたまま、どこか遠くを見ている。

 

「ほら、たまには父親らしいところを見せなさい」

 

 女主人に促され、父が向き合うのは娘。騎士となったばかりの十二歳、ルカである。

 

「あ、ああ。……ルカ、よくやった」

「うん」

 

 それだけで、言葉は途切れた。絡み合う視線、睨み合う父娘。

 

「それだけ?」

 

 呆然として漏れた声はリナのもの。侍女を包む紫色の発光は収まって、元気で可愛い娘の姿があった。

 それでも、そんな小さな呟きにより結ばれた、女達の視線。それは一つの言葉を導き出した。

 

「「「ポヴェロ(残念)」」」

 

 同じ言葉が紡がれて、陽気なもの、静かなもの、落ち着いたもの。三つの笑い声が重なる。

 

「まぁ、いいわ。中には?」

 

 迎賓館へと目を向けて、女が尋ねた。相変わらず炎に焼かれた肉塊が這い出して、唸りを上げている。

 凄惨な現場にも、アウグスタは眉を動かさない。

 

「誰もいねぇ、はずだ」

 

 息子の答えに、「そう」と頷いた女。その視線は上を向く。己を抱いた男の顔へと。

 月ももう、随分と落ちていた。揺らめく炎に照らされて、男の顔は赤く輝く。

 

「アントニオ」

「はっ」

 

 アウグスタが剣へと向けて呼びかける。騎士は優しく丁寧に、女主人の身体を大地へと横たえた。

 立ち上がろうとするアウグスタ。その身体がよろめいた。

 

「ほいよ、危ねぇ」

「お気をつけください」

 

 オルトとルカ。すぐに二人が側へとやって来て、その身体を支える。軽い礼の言葉を口にして、真っ直ぐに背筋を伸ばした。

 

 足元にアントニオが跪いている。片膝を立て、首を垂らした騎士の礼。造形こそ優美でありながら、その内に隠した熱も確かなものであり。

 

「顔を上げなさい。我が剣よ」

 

 アウグスタは唇を引き結んで一人立つ。

 短い返事と共に、アントニオの顔が上がった。

 交錯する視線、伝え合うは意志。主従に言葉は要らず、既に繋がり合っている。

 

 だからこそ、それは確認であり、静かな儀式。

 女の唇が再び開かれて、命令(オルディネ)が告げられる。

 

インヴァデーレ・ミエイ・カルヴァリーエ(侵略せよ、私の騎士)

 

 それは十四年前の悲劇。その後の長きに渡り続けられた苛烈なものであり。

 

スイ、ミア・シニョーラ(はい、我が夫人)

 

 護るため、二人が共に望むものでもあった。

 アントニオが腰を僅かに落とし、親指で剣の鍔口を僅かに押し出せば、剣身が鈍く輝く。

 

 ——ただ、一閃。

 

 無言のままに振られた銀光は、真夏の夢にも似て、ただ冷たく振り切られる。

 炎も怨嗟も欲望も、ただそれだけで消え去った。

 チンと、鞘に収まる音がする。

 

 切り裂かれた空に、光が漏れ出す。月の落ちた夏の夜空は、既に白み始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




お読みいただきありがとうございます。
あと2話程度で完結します。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

ビタロサ王国シシリア州における、一般的な冒険者の日常。(作者:カズあっと)(オリジナルファンタジー/冒険・バトル)

▼ ビタロサ王国シシリア州カターニア市は旧都であり、冒険者の街としても名高い。▼ その街に住むレンツォもまた冒険者として生計を立てている。▼ そこそこ優秀であったが夢破れ、将来の目標を失ってしまったレンツォはそれでもそれなりにやっている。▼ そんな、平凡な日常のお話。▼ 普通の人達が普通に頑張る物語。▼ ▼ お読み頂き、ありがとうございます。二章完結しました…


総合評価:764/評価:8.19/完結:30話/更新日時:2025年08月30日(土) 00:27 小説情報

ちょっとだけ愉快な仮面の冒険者(作者:乾燥海藻類)(原作:wizardry variants daphne)

タイトル通りです。▼一周年おめでとうございます。


総合評価:428/評価:8.16/完結:10話/更新日時:2025年10月24日(金) 19:50 小説情報

魔女(CEO)の宅配便。〜弊社、従業員は猫なもので〜(作者:カズあっと)(オリジナルファンタジー/日常)

▼ 魔女であるモモは二十七歳。ロジスティック(物流)を営むCEOである。▼ 百を超える従業員たちを率い、ビジネス界に立っている。▼ 彼女は、幼い頃に「あの物語」に憧れて、宅Q便をを続けていた。黒猫は関係ない。▼ 優しさに包まれてきっと、「あの子」みたいになれると信じた、かつての少女の今を描いた物語。▼ ▼ 完結しました。▼ たまに息抜きに軽い短編を投稿するつ…


総合評価:130/評価:8.2/連載:14話/更新日時:2026年06月21日(日) 10:11 小説情報

TOUGH ハンティング・ファイト(作者:ポジョンボ)(原作:TOUGH)

不知火御殿での幽玄真影流当主、日下部覚吾との死闘から2年。灘・真・神影流の道場を切り盛りする宮沢憙一の元にかつての顔なじみ、宮下和香が姿を現す。▼和香の口から憙一も知っているある男、道元がさらなる興行の為に憙一と接触しようとしている事を伝えられる。▼憙一の前に現れる道元、道元が提案したのは憙一にとっての新たなる戦場を用意するというもの。▼それは人界と切り離さ…


総合評価:487/評価:8.95/完結:14話/更新日時:2025年04月01日(火) 01:47 小説情報

新運命「愚弄」の行人「マネモブ」(作者:異常猿愛者)(原作:崩壊:スターレイル)

覚悟してください 猿展開を撃ち込みますッ▼ヒィエエエ オンパロスに乗り込む黙示録の四騎士だあ▼【挿絵表示】▼


総合評価:663/評価:8.62/連載:71話/更新日時:2026年01月31日(土) 12:00 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>