フオリエ・ナスコシテ   作:カズあっと

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8話 扉の前。そしてその背中。

 

 朝の港町。水面に反射する光が波間で細かく踊り、行き交う人々の声と混ざり合っている。

 薄桃色に染まった石畳を踏みしめると、潮の香りと商人の呼ぶ声が入り混じり、町全体がゆっくり目を覚ますようだった。

 

 ——母ちゃんに仕事を任された。

 

 誇らしさと期待が胸を満たす。オルトは胸を張って、軽やかに歩いた。潮風に運ばれ、陽光に晒されて造られた塩の結晶が街並みを淡く彩る。見慣れた景色でさえ、今日は少し眩しく映った。

 

「おい。重いなら持つぞ」

「アンタに持たせたら、すぐ失くすでしょ!」

 

 手ぶらの彼の横を、フィオナが背と両手に荷物を抱えてやっと追い付いてきた。

 オルトは一瞬だけ歩幅を緩める。重そうだと思ったからだ——しかし彼はすぐに腕を下ろし、いつもの調子で返す。

 

「フィオナ、もう少し急げよ。時は金なりじゃなかったのか?」

「オルト。アンタねぇ……」

 

 フィオナの足取りは鈍い。荷のせいだけではない、不安が肩にのしかかっているようにも見えた。

 

「心配事でもあんのか? 安心しろ。トラーパニの冒険者は皆、気の良い奴らだ。それに、俺がいる」

「知ってるわよ。私も冒険者だし」

「そうだった。なら、恐がる事はねぇだろ。……で、その荷物は何だ?」

 

 フィオナが大きく吐息を漏らす。頭上の青空に、アルバトロス(アホウドリ)が一羽虚しく鳴いた。オルトには何の荷かは見当がつかない。納品か行商か、とりあえず横着な気配を感じる程度のことである。

 

「それにしても、胡散臭いヤツらが増えたわね」

「観光客に、なんて事言いやがる。常識で喋れよ」

「……観光客じゃないわよ。あれは——」

 

 フィオナは言葉を切り、視線を遠くへ泳がせた。港のあちこちに、肩に赤い刺繍を巻いた者たちが立っている。

 大声で世間話をする者、荷運びを手伝うふりをする者、酒樽の上で煙草をふかす者——いずれも見慣れぬ顔だ。町の人々はさっと視線を逸らし、通り過ぎていく。

 

「んーだよ。何かあんのか?」

 

 オルトは能天気に笑って受け流す。

 組合の連中や現場の冒険者達は「関わるな」とだけ言っていたが、多くは「意味不明なことを延々喋るから鬱陶しい」程度の印象で済ませているらしい。

 面倒なのは嫌いだ、オルトはそう思った。

 

「……いえ、いいわ。私って、バカよね」

 

 フィオナが自嘲気味に笑ったのを、オルトは見逃さなかったが、深追いはしない。

 元気に振る舞えば誰かの気分が軽くなることもある——彼はそう信じている。

 

「何とかとは紙一重ってヤツか? 自惚れ屋だな」

「……そうかもね」

 

 フィオナの顔に一瞬だけ影が差す。肩にかけた紐をぎゅっと握り直す仕草が、彼女の内心を物語っていた。

 声の大きい男が苦手なのか——彼女は無意識に身構えているのだろう。しかし、目の前の連中は悪目立ちしているようにも見えない。必要以上に恐れることではない、というのがオルトの判断だ。

 

「——ああ。ひょっとして、しつこく迫られた口か? お前も、見てくれだけは佳いもんな」

 

 オルトはそんなつもりで、さりげなく話題を変えようとした。

 フィオナは首を振る。短く、しかし確かな否定だ。

 

「違うわよ」

 

 フィオナは肩を竦め、小さく息を吐いた。その前向きな顔が、ほんの少しだけ揺れる。

 

「なら、偏見を持つな。人を見るのは、思想や信条でなく行いだぜ。お前の言葉だろう?」

 

 オルトは得意げに笑い、指を立ててみせる。明るく振る舞う声色。

 深刻な話は苦手だ。だが、相手のプライドを壊さない程度には、支えてやりたい。

 

 フィオナは肩を竦め直す。短い沈黙の後、呟くように言葉が零れる。

 

「……本当、お気楽で羨ましいわ」

「前向きなのだけが取り柄って、よく褒められるかんな。フィオナも元気出していけよ。元気があれば、何でも出来るさ」

 

 会話は軽く流れていく。オルトはこれ以上深く踏み込まず、フィオナの距離感を尊重する。

 今日は不機嫌な日なのだろう、と彼は納得し、その場の雰囲気を壊さないことを選んだ。

 

「昔は、あんなのいなかったのにねぇ……」

 

 フィオナが年寄りじみた口調で愚痴を零すと、オルトはくすりと目を細める。

 港の古株たちは赤布連中をちらりと見て視線を伏せるだけで、誰も大声で注意する者はいない。

 年寄りの噂話には十四年前のことやその後の復興にまつわる語りが混じっているのだろう。人々は優しさと同時に、距離を置くことを学んだのだ。

 

 そのとき、オルトの眉が一瞬動いた。

 後ろからの気配——ルカとリナが影の合間からこちらを覗いている。二人は物陰を縫って、こっそり追ってきたらしい。

 

「……なんでついてくるんだよ」

 

 振り返れば、ルカが少し顔を赤らめて物陰に隠れている。リナは好奇心に満ちた瞳でこちらを見ていた。

 ルカの気配消しはまだ甘く、潮風がそれを容赦なくさらしている。

 

 ——バレバレだ。何してんだアイツら。

 

「……まあ、いいか」

 

 オルトは独りごちた。面倒も一緒なら悪くない。

 片手を上げれば、リナがふざけてルカを抱き上げ、「にゃーん」と鳴いてみせる。意味はないが、場は一瞬和む。

 

 ルカが何を怒っているのか、オルトには分からない。たぶん些細なことだろうと放っておく。

 そうして二人が肩を並べると、ほどなくして冒険者組合の建物が視界に入った。木の扉越しに、今日の仕事——そして小さな冒険の匂いが漂ってくる。

 

 オルトは深く息を吸い、扉に手をかけた。今日の一歩を踏み出すときの高揚が、胸の奥でまた小さく弾んだ。

 その背後では、リナがルカの袖を引いていた。

 

 

 冒険者組合の木製の扉を押し開けると、室内には昼下がりの光が差し込み、埃混じりの空気がゆっくりと漂っていた。

 

 オルトは深呼吸をひとつ。ここからが本番だ——母ちゃんから託された使命、組合への協力要請。

 肩にはフィオナから奪い取った荷物がまだ残るが、彼の心は集中していた。ここまで来れば、もう失くさないだろう。

 

「ようこそ、いらっしゃいまし。オルト様。本日はどのようなご依頼をお受けでしょうか?」

 

 いつも美人な組合の受付嬢からのご挨拶。いつも通りの質問であるも、そうでないのは、オルトの方だ。

 

「悪ぃな。今日は冒険者としてじゃなく、依頼人として来た。支部長とかのお偉いさんに、約束を取り付ける事は出来るか? 今日中なら、いくらでも待つ」

 

 かしこまりました。と頭を下げた受付は、奥へと向かう。その間に足を、思い切り踏まれていた。

 フィオナである。軍靴を履いているので、別に痛くはない。

 

「鼻の下、のばしてんじゃないわよ。バカオルト」

 

 不機嫌の日は継続中のようだった。冒険者組合は受付に綺麗どころを揃えている。多くの冒険者達も受付目当てで入り浸るので、釘を刺してるつもりだろう。

 

「フィオナはやんねーの? 勧誘来てただろ?」

「冗談。手の掛かる弟分で手一杯で、脳筋共の世話なんて、やってられないわよ」

 

 フィオナはミリオッツイ商会の一人娘であり、弟はいない。

 もしかしてルカの事か、それとも学府で後輩でも出来たのかと納得したオルトは、少し嬉しくなった。

 

「ルカか? それとも後輩かなんかか? 今度紹介しろよ。フィオナの弟分か、兄貴分としては、可愛がってやんねーとな」

「……あに言ってんのよ。アンタのことよ」

 

 おかしな事を言い出すフィオナであった。彼女は歳下であり、兄妹が逆転する事などないのだ。

 

「お兄様って呼んでくれても良いぞ?」

「私のことは、フィオナお姉様って呼びなさいな。それくらい、わかるでしょう?」

 

 なるほど。まったくわからん。フィオナの話はいつも難しい。

 

「おう。待たせて悪いな錬鉄の。小熊の坊ちゃんが依頼とは、随分と偉くなったじゃねぇか。まぁ、入れ入れ。丁度暇してたところだ。……そういやお前、いつも金欠じゃなかったか?」

 

 オルトは苦笑する。錬鉄——冒険者位階の中でも中堅クラスだ。一人前と認められた鉄位階の異称。

 まだまだ上がある。だが、ここまで来られたのは皆のおかげだと、彼は素直に思っていた。

 

 奥から出て来た組合支部長が手を挙げて手招きしている。オルトは丁寧に頭を下げた。

 

「お忙しい中お時間を頂き、ありがとうございます。冒険者組合トラーパニ支部長殿」

 

 支部長が目を白黒させているのは予想通りだが、何故、フィオナまでもが口を開けっ放しなのかは、オルトにはわからない。

 母ちゃんが言うように、女心とは実に難しいものだとオルトは思っていた。

 

 そんなこんなで応接室に入る。相変わらず、飾り気のない部屋だった。実に組合らしい。

 どういう訳だか、会話の主導権を握れている。

 最近では母ちゃんにも怒られなくなってきたので、これが教育の成果なのだろうと、オルトは達成感を感じている。

 

「今日は、霊核供給の件で皆さんにご相談に参りました。供給量を増やすため、組合の冒険者達の協力をお願いしたくて」

 

 オルトの言葉は端的だが、堂々としている。責任を背負った者だけが持つ自信が、自然に口調に滲む。

 

「なるほど……で、具体的には?」

 

 依頼内容に入ったためか、支部長の目が鋭くなる。

 言葉遣いだって改まった。目の奥には、荒くれ者たちをまとめるだけではない、組合としての誇りと責任感が垣間見える。

 

「俺達の母なる島シシリアで、国の危機をどうにかしてやろうっていう話です。王都で足りない霊核を、俺達で埋める。単純な話でしょう?」

 

 オルトは胸を張り、用件を簡潔に伝える。応接室の空気は穏やかだが、支部長は耳をそばだて、目を細めて真剣に聞く。

 

「なるほど。我々としても悪くない話だ。報酬は全て社会に還元される——組合としての流儀は譲れないが、協力できる部分は考えよう」

 

 言葉に重みがある。地方支部といえど、冒険者魂の端々がにじみ出ていることをオルトは感じた。力任せで解決するだけの組織ではない。秩序と高潔さが根底にあるのだ。

 

 フィオナは小さく頷き、補足する。

 

「奥方様曰く、二大貴族にも協力を求めています」

 

 オルトは頷き、胸の中で小さく決意を固める——今日の任務は、ただ荷を届けるだけでも、話をするだけでもない。冒険者たちの力を引き出し、霊核を確保するための先導者でもあるのだ。

 

「ならば、冒険者達(バカ野郎達)を煽ってやれ」

 

 支部長が指示を出すと、次々と受付や職員たち、そして組合にいた冒険者達が集まってくる。

 オルトは軽く手を振り、笑みを返す。

 

 ——さて、どう言おう。

 

 母ちゃんなら、理路整然と説明するだろう。

 だが、俺にはそんな芸当はできない。

 ならば——俺のやり方で行くしかない。

 

「聞いてくれ、今日は特別な任務だ!」

 

 オルトの声が響く。冒険者たちは一瞬静まり、耳を傾ける。

 

「皆の協力次第で、飢えて死ぬ子供や、不当な暴力に晒される者達を救えるぜ! 報酬には前払いもあるぜ!」

 

 ざわめきが広がる。疑いの目もあれば、興味を示す目もある。

 

 ——よし、食いついてきた。

 

 オルトは続ける。

 

「俺達の母なる島シシリアで、国の危機をどうにかしてやろう! 王都で足りない霊核を、俺達で埋める! 単純な話だろ?」

 

 一人の若い冒険者が拳を上げた。

 

「やってやろうじゃねぇか!」

 

 その声に、別の者が続く。

 

「坊ちゃんがそこまで言うなら、乗ってやるよ!」

 

 笑い声と拍手が混じる。

 オルトは小さく息を吐いた。

 

 ——上手くいった。母ちゃん、見てるか?

 

 オルトの豪快な声色は、叱責ではなく、煽るでもなく、まさに励ましのためのものだった。

 

 ざわめきの中、一角に貼られた依頼書が目に留まる。赤い印が示す異界攻略のマーク——オルトの胸が小さく弾んだ。偶然とはいえ、この場で新たな任務を見つけたのだ。

 

 冒険者たちの間を歩きながら、オルトは計画を頭の中で整理した。フィオナが横で荷を支え、婆やが二大貴族とのやり取りを整えている。すべてが、母ちゃんの期待通りに動いている。

 

 ——何より、任務はこれからが本番だ。

 

 胸の奥に小さな高揚が残る。任務はまだ半ばに過ぎない。それでも、この一歩が確かに未来を変える第一歩であることは、オルトには分かっていた。

 

 ゆっくりと息を整え、荷物を肩にかけ直す。扉の向こうでは、冒険者たちのざわめきが絶えず続いている——だが、その声はもう、不安ではなく、希望の音色に聞こえた。

 

 オルトは静かに笑みを浮かべた。今日の一歩が、これからの道を拓く——そう信じる力が、胸の中に確かにあった。

 

 

 ——そのとき、少し離れた影の中で、ルカが静かに息を吐く。

 心の奥で小さな対抗心が疼いた。オルトが軽やかに場をまとめる様子が少し羨ましく、少し悔しい。

 同時に、胸の奥がほんのり暖かくなるのを感じた。

 誇らしそうな顔を見て、少しだけ鼓動が早まる。

 気付けば、ほんの少しだけ嬉しい気持ちも混じっていた。

 

「……ふん、私も負けてられない」

 

 背中越しに漂うオルトの高揚と、冒険者たちの熱気。その光景が、ルカにとって挑戦の火種となる。

 扉の向こうでは、まだ多くの出来事が待っている。

 今日の任務は終わらない。だが、この瞬間が、次の一歩を刻む合図なのだ。

 

 肩に力を込め、ルカは気持ちを引き締める。

 見た目は冷静を装っているが、胸の奥には、ほんのわずかな熱と、揺らぎが混ざり合う。

 

 さあ、明日はいよいよ異界へ。ルカの小さな決意もまた、今日の空気にそっと混ざっていた。





 ちょっとカッコ良い感じになったオルトですが、本人は上手くやれたつもりでも、身内から見ると「ちょっと舞い上がってた」くらいだったようです。
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