電波令嬢とラムネ味 作:大出勤
「地底人と地球人のハーフってどんな子供を産むと思う?」
突然そんな与太話を振られて僕は面を食らった。
いや、面を食らうのは今に始まった話じゃない。
僕は視線の先に少女を捉える。
僕と同学年のその少女は、光の反射具合では灰色にも銀色にも見える長髪を無造作に背中の向こう側へと流し、小さな桜色の唇に大きな翡翠の瞳で中学生らしさを多分に残した顔立ちをしている。背丈も小さいので第三者に対して小学生と自己主張してもきっと通用するだろう。ただし、感情とは無縁のニュートラルに入ったその相貌を見れば、幼さとは無縁の淡々とした深遠を覗いて流石に小学生は無いなと結論付けるかもしれない。或いは下世話な話、胸部を見れば一目瞭然だ。服の上からでも分かる膨らみが見えて、小中学生はちょっと無いなと思えるから。
この少女の名前を
そして何の誤りなのか、世界滅亡の兆候の一種なのか、そんな電波少女秋園さんの彼氏が僕である。
勿論冴えないただの男子高校生である僕が何も理由も無く秋園さんみたいな美少女───と素直に言うには僕の中にある一般的な彼女像の尺度を太陽系から飛び越えて銀河系まで伸ばす必要性があるんだけど───と付き合い始めたかと言えば、当然事情はある。
短い回想を振り返っていると、リマインドのつもりか秋園さんの絹のようにしなやかな白い指が僕のブレザーの裾を掴んだ。潤んだ上目遣いが僕を怯ませる。
「どう思う?」
「どうって……前提条件に思案の余地があるかと思うな。地底人も地球人じゃないかなって。地球で生きているんだから同じ地球人だよね」
「私は違うと思う。英語で言うと地球人は"on the Earth"、でも地底人は"in the Earth"だから種別が異なるわ」
「宇宙から見れば地底人だって地球の上に乗っているって言うんじゃないかな。マントルの中で生活している訳でもない限り誰もが地面の上で生きていて、だからこそ地底人だって地球人だ」
自分でも何を言っているかは良く分からない。でもこれが秋園さんとの会話のパターンA。つまり日常的な会話形式であり、僕は五里霧中に回答して秋園さんが満足そうに微笑む謎の時間である。この1時間でよくよく僕は理解していた。秋園さんの言葉の中身が理解できないってことを理解していた。
「私、宇宙は嫌いよ」
飛び道具的に出てきたその言葉に僕の目が一瞬点になる。
……まあ理解はできるけど。
「秋園さんってその、嫌な呼ばれ方をしてるもんね」
おずおずと言えば、肯定を示すように秋園さんの頭が軽くコクリと頷いた。
秋園さんは自称地底人ではあるものの、学内の同級生にはその自分で張り付けたレッテルは全く浸透せず、代わりに全く異なる異名が幅を利かせている。
誰が言ったか、秋園さんの電波的言動を揶揄して付いた二つ名である。元は太陽系に名を連ねる惑星の一つだった冥王星は、2006年に太陽系の枠組みから外され、海王星の外側を公転する準惑星へと再分類されてしまった。太陽系から仲間外れになって今では誰も見向きもしないような小さな天体となった冥王星を文字って、秋園さんはそんな渾名を付けられてしまったのだ。
正直、ウチの高校の生徒がやりそうなことだ。
偏差値は地域トップ校、周辺中学から秀才が集うこの西賀南高校は表向き虐めや暴力事件などは発生していないが、それ故に優れた頭脳を活用して教養の皮を被った陰湿な悪口が校内を闊歩している。SNSで言うなれば京言葉みたいなものがここでは今の流行となってしまっているのだ。
ただ、所詮は高校生。上手くウィットに溢れた誹謗の言葉が作れるかと言えばそんなはずもなく、頭隠して尻隠さず、学識で包まれた皮を一枚捲ればストレートな誹謗中傷ばかりであまりにも世の中が嫌になる。秋園さんが極めて変人であるのは僕だって認めるけども、それを中傷する首魁だってまた非難されるべき対象のはずなのに。
「子供を身籠ったら帰郷して錦を飾るの」
「帰郷っていうか秋園さんの故郷ってここだよね?」
また理解不能なことを言い始めた秋園さんが首をふるふるとした。連動して長い髪が左右に靡く。
「本当の故郷は地底。生物の系譜を辿ればみんな地底から生まれ育ってるもの」
「じゃあ僕も地底出身の地底人ってこと?」
「部分的にはそう。でも違う。重要なのは精神構造。地底に惹きつけられる心が無いなら、それはもう立派な日の光を浴びる地球人。"on the Earth"の一員よ」
「じゃあ僕は地球人だね」
そう言うと首を縦に振って肯定してくる。
すると秋園さんは周囲を探すような仕草をした。
「どうしたの?」
「時計がない」
「ああ、そういう」
今僕たちがいるのは地元で有名な喫茶店『ノイ・アイン』だ。観葉植物や木造りの照明から放たれる明度低めの灯りによって落ち着いた空気が漂う、高校生からすれば少々背伸びをした雰囲気の言いカフェだったりする。少し場違いな僕たちは店内の隅にある四人席のソファーを申し訳なく思いつつ二人で占有しながら、1コーヒーとサンドイッチが出てくる1000円のセットを添えて放課後デートの途中だったりする。デートの前に一応という枕詞は付くけども。
因みに対面にて借りてきた猫みたく縮こまって座る秋園さんはチョコクッキーと水の組み合わせだった。どうもおこずかい事情が厳しいらしい。何におこずかいを使いこんでいるかは少々気になるところではあったけど、彼氏になってまだたった2時間の僕が聞ける話かどうかは微妙なラインだから聞けなかった。
店内は客が時間を忘れて寛げるように軽やかなクラシック音楽が流れている。店主はオーディオにご熱心みたいで、この店内BGMを流しているスピーカーもアンプと合わせて1000万円するとかギリギリしないとかそういう話を店のSNSで見た。おかげで会話が止まっても耳を音楽に傾ければ「あ、コイツいま音楽を楽しんでるんだな。じゃあそっとしておこう」と思ってくれるだろうし、変な目で見られることもないはずだ。秋園さんと来る場所としては我ながらピッタリだった。
全体を通して空気感を重視する店内には当然、時計なんて野暮なものはない。時間はいつしか人間を下に敷いて、時は人間の上位存在になった。そのせいで僕は学校に決まって朝8時10分に行かないと担任から叱咤激励を貰う羽目になる。この喫茶店みたく、時間なんて概念が消えればいいのになと僕はちょっとだけ願いながら代替案として懐から時計を取り出した。プラスチック製のちゃっちい腕時計で、ボディーが緑色だからとてもチープ感がある。小学生の時に当時の友達からもらって、意外に丈夫で時計盤が見やすいから重宝していたりする。
「17時6分だね」
「へぇ」
「なに?」
思わず言葉を返すけど、秋園さんはふるふると首を振った。
「ううん。ありがと。6分過ぎてた」
「ええと、何から?」
「2時間強付き合ってくれてありがとう。別れましょ。私達、これからは別の道を歩むの」
誠意のつもりかぺこりと頭を下げられて、僕は呆気に取られて見守るしかできない。
秋園さんは少しして頭を上げると、そのままカバンを持って席を立った。スカートの汚れを落とすような仕草をして、机に飲んでいたカフェオレ分のお金だけ置くと店内から立ち去る。
秋園さんの背中が見えた時点で、17時ちょうどに別れを切り出そうとしていたことを僕は悟る。
……そう。
これが秋園初が電波生命体だとか冥王星人だとか呼ばれる直接的なその所以である。こうなることは告白されたその瞬間から予見していたし、だからこそ僕はこうして付き合った。
軽く一回溜息を吐くと、僕はコーヒーを啜った。苦味は特に無い。香ばしく渋いコーヒー豆の香りと、サンドイッチに入っていた卵の甘味が口内で合わさる。この味が電波的青春の思い出として海馬に一生涯刻まれることになるのかな。……分かっていたんだからもうちょっと突飛なオーダーをすべきだったね、僕。
─── ─── ───
秋園初という電波少女にはある有名な噂がある。
誰か曰く、彼女は校内の男子生徒全員に告白しては振ろうとしている。それが事実かというと正直どうなのだろうという気はするけど。でもそう早合点してしまいそうになる根拠はあるから僕としても強く反駁しようもない。もう彼女でもないから秋園さんの名誉を守る気だって無いので。
入学してから2カ月経った6月、何故そんな奇特なことをしているのか、その理由は未だ判明していない。ただ事実としてあるのはその短い期間で約20人の男子生徒に告白しては全員と関係を断っている、思考回路の読めない電波少女であるということだけだ。これも上級生はともかう、一年の間では既に有名な話である。
そして今日僕もその一人に仲間入りしてしまった訳だけども。秋園さんと話して分かったが彼女は恋愛感情から告白をしている訳じゃない。表情や言葉の端々から「貴方に興味は無いけど話してやってる」という風格を感じられたし、じゃなければ2時間きっかりで振ろうだなんて考えないだろう。
まあ、有意義な二時間だった。秋園初という同級生は人生で始めて見るタイプの人間だ。当たり前だけど。こんな電波系少女がぽんぽん社会に生息していようものなら日本社会はもっと別の形に変容している。
人生初の告白と破局を電撃的に経験した翌日、僕はクラスメイトで腐れ縁の
「なるほど、噂通りの宇宙脳だな。そしてそれを知ってて付き合ったお前も相当な変わり者だ」
二輪は僕の一連の恋バナを聞いて秋園さんのみならず僕が告白を受けたことすら奇特なことだと評価した。その意見は非常に遺憾だ。
僕はやれやれと言いたげに目を細める二輪を見据える。
二輪遊人という男は年相応から2歩ほど垢抜けたスマートさを身に着けていて、かといって真面目過ぎるわけでもない。付和雷同というには堅毅さがあって、質実剛健というには惰弱さが目に付く。
だが総じてこの男の外面を表すのなら軽妙洒脱という四字熟語が当て嵌まるだろう。聡明さがありつつ捉えどころがないからだ。
人好きのするアイドル風な顔付き───俗的に言って二輪はイケメンだから、クラス人気も高くクラスメイトからは毎日のように昼休みは昼食兼友誼の誘いを受けている。それなのに何で僕とつるむことを選ぶのか。さっぱり分からないし理解に苦しむ。僕と二輪は中学一年生以来の付き合いだが、やはり関係性としては腐れ縁としかいう他なかった。
取りあえず僕は不本意さを形にするべく溜息を見せつける。露骨になり過ぎない程度に。
「僕を変人扱いするのは止めてくれよ。よくよく考えてほしいんだけど、まず前提として可愛い女の子から告白されたらまず裏がないか洞察する。そんな都合のいいことが現実にあるわけないんだからね。でも秋園さんに限って欺瞞はあっても詭弁は無い。電波系だからね。少なくとも僕を騙して自己利益を貪るような子じゃない」
「ほうほう」
「……何だよ」
「変人じゃないと言い張るには、抗弁の為に言葉を浪費しすぎているなと思っただけだ。別に大したことじゃない。ほら続けろ
訳知り顔のままうんうんと頷いて僕を見据えた。うるさいな。
ここで話を脱線させては二輪に負けた気分だ。僕は一度睨み付けて、それで留飲を下げることにした。
「僕は秋園さんに告白されて、人間的興味を覚えたんだ。勿論恋愛の甘酸っぱさを期待しなかったと言われたら否定できないけど、そんな些事以上に秋園さんがどんなことを考えていたか観測してみたかった。要するに、僕は社会的生物として、社会の枠組みから逸脱した秋園さんのことを知りたかったんだ」
大体言いたいことは言ったので腕を組んで視線を窓の外へと向ける。天気図上では梅雨前線は姿こそまだ表していないものの、空を覆う泥色の暗雲がその前兆を示唆している。
二輪は端正な顔の上に微笑を浮かべた。僕には分かる。理解不能な生物を見る目だ。
「その割には下芥、もし告白されなかったら秋園に関わろうとしなかったな」
「クラス違うからね」
「それもあるだろうが……まあいいか」
何かを言おうとしたが二輪は呆れたように言葉を失った。だから何が言いたいんだ。
僕は追及しようとしたが、その前に二輪は代わりの話題を切り出した。
「それで青春の味見をした感想はどうだった下芥」
「味見って……」
「じゃあ別の言葉にしてもいいぞ。体験版とかデモ版とか早期アクセス版とか」
見事なまでに全部ゲームの表現だな。ゲーマーである二輪らしいと言えばそうだけど。
「別に感想を求められても何もないけどな。会話に脈絡は無かったし、精々、人に関心が無いんだろうと思ったくらい。ま、簡単に理解できるほど冥王星は近くにないってことだよ」
「随分と文学的な言い回しだな。忌み名って要素を除けばだが。それでまだ興味は残っているのか?」
「多少はあるけど振られたしね。今はそうでもないよ」
「なるほどな。残念だったな」
僕は机の中から教科書を取り出すことで答える。昼休みの終わりが近いことを悟って二輪も「まあなんだ。次はもっとマトモな女子と付き合った方がいいぞ」とだけ言って自分の席へと戻って行った。余計なお世話である。
冥王星人とか称されている秋園さんだが、僕は一つだけその暗喩の中に矛盾が内包されていることに気付いていた。冥王星は惑星でなく準惑星である。その心は、冥王星は海王星と軌道共鳴の関係にあり、相互に重力を及ぼすことで衝突することなく太陽の周囲を公転することを可能にしているとか。秋園さんと会った後に調べて知ったことだ。
つまり宇宙空間下では冥王星は海王星と相互作用の関係にある。でも秋園さんには海王星となる存在が無い。
だから冥王星なんて名付けをした諸同級生はネーミングセンスが無い。誰が言ったかは知らないけど、知性の皮を被った稚拙なその考えには賛同しかねる。
結論、秋園初は素直に電波少女で良いと思う所存だ。
─── ─── ───
にわか雨が降り始めた放課後。日直だった僕は教室にあるホワイトボードの掃除を行い、職員室へ日誌を運ぶ仕事があった。本当は本日の日直は僕ともう一人佐原という卓球部の男子生徒がいたんだけど、今日に限って風邪で休んでしまったので何故か僕が全ての仕事を熟すことになった。出来ない訳じゃないけど非常に面倒だった。
それで二人ならば半時間で終わる仕事を一時間で片付けて、職員室を後にした頃には午後4時を回ってしまった。帰宅部の生徒はもう帰路に就いていて、残りの生徒は各々の部活動の拠点で課外活動に勤しんでいる時間だ。
帰る前に学食によって行こうかな。我慢できない程じゃないけど喉が渇いた。駅まで行かないとコンビニも自販機も無いのが西賀南高校の地理的な欠点である。
学食を包含した体育棟には本棟から二階の渡り廊下で外に出ることなく向かうことが可能だ。
僕は階段を上がって廊下を歩いていると、ふと教室内から話し声が聞こえてくる。まだこの時間に残っているなんて珍しい。思わず教室内へと脇目を振った。
右手へは渡り廊下が伸びていて、そのT字路の手前に1年4組がある。そこが秋園さんのクラスだなとか考えたのは中にいる人物を見たからなのか、自然と連想したのか自分でも分からない。
ともかく、秋園さんが教室内にいた。そしてもう一人男子生徒の姿もあった。遠目から見ても判別が付かないが多分知らない生徒だろう。場面的にあまり覗き見は宜しくない予感はしたけど、ちょっとした好奇心が疼いた僕はドアの嵌め込み窓から観察することにした。
身を屈めながら中の秋園さんたちにバレないようにチラチラと教室の中に目をやる。改めて見て、室内には秋園さんと知らない男子生徒の二人きりのようだった。男子生徒の方は知らないな。多分4組の誰かなんだろう。スポーツ刈りにしていて野性味のある顔立ち、半袖のYシャツから伸びた両腕はある程度しっかりと筋肉が付いている。運動部……それも野球部とかバレー部とか、腕力を求められるスポーツをやっている生徒かな。
秋園さんが淡白な表情なのに対して男子生徒は落ち付かない様子で両手を忙しなく動かしている。閉められたドアから声は微かにしか聞こえないが……まさか男の方から秋園さんに告白を? もしそうだとすれば勇者というか、変わり者というか。秋園さんは確かに見目は良いけど茫洋とした風貌に奇天烈な発言をする押しも押されもせぬ変人だ。名も知らぬ男子よ、僕はその勇気と胆力に心から敬服するよ。
これ以上他人の恋路を見るのも失礼だろう。秋園さんに振られて尚、諦めきれない未練がましい男みたいに思われるのも癪だ。
僕は静かに立ち上がり、踵を返そうと思ったその時、男子生徒が秋園さんの肩を掴んで顔を近づけようとしたのを見て僕の足が止まる。幾ら何でも強引過ぎやしないだろうか。
思わず凝視している間に、秋園さんが男子生徒を突きとばそうと両手を思い切り伸ばした。だが腕力の強さで敵わず、一瞬男子生徒の身体を後ろへ仰け反らせるだけに留まり、男子生徒は苛立ったような目を秋園さんへ向ける。
これ、不味くない?
なんだか揉めてる……というか一方的に男子生徒が秋園さんに迫っているように見える。
周囲を再確認。教師はおらず、他の生徒の姿も無い。外には部活動に勤しむ陸上部の姿があるが、ここは二階なので助けを求めても来てくれることはないだろう。教室しかない本棟なので文化部の教室が近くにあるなんてこともない。この場には僕しかいない事実を認めるしかないらしい。
状況を見ている間にも男子生徒は秋園さんに口を近づける。秋園さんは首を捻って顔を逸らそうと努力している。無音声でも僕には無理矢理キスを迫っている光景に僕には見えた。
流石に見過ごすには気分が悪い光景だ。
ああもう、そういう役回りはまだ二輪の方が得意だと思うんだけどな。僕はただの帰宅部で生まれてこの方スポーツとか武道とか一ミリも齧ったことがないもやしっ子だぞ。
でもしょうがない。どうもボコボコにされる覚悟を決めるしかないようだ。
ごくりと生唾を嚥下して、僕はドアの取っ掛かりに手を掛けて力を込めた。
「そこまでにしておきなよ」
と、上手く言えたかどうかは定かじゃない。なにせ緊張で舌の感覚が無い。
ただ男子生徒が秋園さんから教室内へと侵入してきた僕へと視線を移してきた辺り、存在を認識させることには成功したらしい。
それにしてもこの男子生徒、近くで見ると細身ながらガタイが良そうなのが分かる。Yシャツの布地をぴんと張らせる肩回りと胸板。想像以上に鍛え抜かれた筋肉である。こんな奴と喧嘩になったら最悪だ。……よし、ここは非暴力不服従でいこう。絶対に僕は殴らないぞ。まあもし戦ったとして、万に一も僕には勝ち目なんてないだろうけど。
「誰だよお前」
その声音は思ったより重厚感のあるガラガラとした声だった。不機嫌を滲ませるように声音が一段は低い。
「ただの通りがかりだよ。女の子が可哀想だろう、関係性は知らないけど紳士的に会話を重ねるべきなんじゃないかな」
「お前には関係ないだろ。これは俺と
眉間を盛大に顰めながら言った。名前呼びかあ……僕も一応そこの女の子と付き合ったことあるけど一度も名前で呼ばなかったよ? これが運動部の自信ってやつなのかな。
このまま引き下がりたい気分に駆られたけど、僕はグッと堪えて秋園さんの顔を捉える。
「秋園さんはこの男子と何を会話してたの?」
「襲われてた」
「そっか」
言葉の割には危機感を欠片も感じさせない乾いた双眸に、何だか秋園さんらしさを感じる。
ともかく、これではっきりと想像通りのシチュエーションだったことの裏取りが取れてしまった。お陰で男子生徒が僕を睥睨している。
僕は溜息を吐いて、しょうがなく口を開く。
「秋園さんはこう言ってるけど?」
「確かに少し強引だったのは認める。だが俺はただ初と話してただけだ。部外者が口出しする権利は───」
言っている間に秋園さんが唐突に早歩きで男子生徒の下から離れ、僕の方へと来ると、背中にすっと小さな身体を隠した。火に油注ぐのやめてくれないかな。その行動で僕、より恨まれそうなんだけど。
そんな予想は大正解。男子生徒は人を殺しそうなほど凶悪な表情で僕を睨んできた。勘弁してくれ。
「この人は元カレだから無関係じゃない」
「秋園さん?」
更に余計なことなことまで秋園さんは付け加えた。言わなきゃ善意で介入しただけの通りすがりで通ったのに。
案の定、憤怒を露わにしたまま男子生徒は会得が行ったように手を打つ。
「元カレかよお前。しかも元カノに今でも執着してるってか? ストーカーの癖にしゃしゃってんじゃねえぞ!」
男子生徒、ヒートアップである。元カレも事実といえばそうだけど、善意の通りすがりっていうのも事実なんだけどな。
どうするかと考えていると背後でシャツを摘ままれた。一瞥すると、秋園さんの表情はいつもと同じく能面なものに見えて、瞳は男子生徒を捉えずに天井へ向け目の端で状況を確認しているみたいだった。……秋園さんも不安だったよね。そりゃそうだ。明らかに目の前の男子生徒は自分の事しか見えてないし、何か不都合があれば腕力で解決しようという姿勢も透けて見える。どれだけ電波だろうが自称地底出身だろうが、恐怖は拭えなかったに違いない。
……まあ考えていた通りにやろうかな。
僕はコホンと息をついて、間を整える。
「いや、本当に善意の一般人なんだけど。それよりこれ続ける? あとちょっとしたら先生来るけど」
「は? こんな時間に教室に来る訳無いだろ」
怪訝な目で僕を見る男子生徒に続ける。
「僕は今日日直でね、日誌を届けた帰りだったんだ。でも届けてから気付いたんだけど本当なら日誌と一緒に運ぶ予定だった宿題のプリントを教室に忘れちゃってね。しかも本当なら二人で運ばなきゃならない量で、それを哀れに思った坪井先生が今やってる丸付けが終わったら手伝ってくれるって。そろそろ教室の前を通りがかるんじゃないかな」
今度は滔々と話せた自信がある。当然欺瞞だ。宿題の回収なんて今日は無かった。でも他クラスである目の前の男子生徒にはその事実は分からないだろう。
須臾とも永遠とも判断付かぬ空白の後、男子生徒は僕から視線を切った。
「……チッ。初、じゃあな」
男子生徒は席から自分のスクールバックを持って肩に掛けると、教室の反対側の出口から去って行った。
……ふぅ。本当に怖かった。二度とこんなハッタリはしたくない。
あの男子生徒に真っ当な判断能力があって良かった。もし教師なんて関係無いとばかりに闘争を望まれたら僕は秋園さんに「僕のことは良いから早く逃げろ!」とゾンビ映画の冒頭で死ぬ恋人役みたく言い放たなければならなかったし。
額に浮き出た冷や汗を袖で拭っていると、またシャツをつんつんと引かれた。
目を向ければ秋園さんが澄んだ目をして僕を見つめている。なんだろう。私は地底人だから余計なことをしなくてもどうにかなったとか嘯くんだろうか。凄いありえそう。
そんな若干失礼な想像をしつつ身構えていると、秋園さんの小さな顔が俯いた。
俯いたのではなく頭を下げたのだと気付くのにちょっぴり時間がかかった。
「ありがとう」
……まさか秋園さんから謝辞をもらえるとは。
衝撃だ。地底人にもそういう一般的な感性はあるんだ、とか言うのは失礼な気もするけど、やっぱりとてもびっくりだ。
「どうってことないよ。それより肩とか大丈夫だった?」
「ん、大丈夫。地底人は手折れない」
ダイヤモンドは砕けないみたいに言われても。
ともかく、そうだね。
「怪我が無いなら良かった。ともかく今後は気を付けなよ。今までみたいに告白しまくるのは止めないけど、それを見て自分もいけるんじゃないかとか変な妄想を抱いて暴走する思春期の男子高校生だって皆無じゃないんだし、今日みたいに危ない目に遭う可能性だってある。彼氏を作るなら彼氏を作るでちゃんと人間性とか相性を吟味してから告白した方が良いよ」
今日の一件は100%男子生徒が悪いけど、その原因の一端には秋園さんにもあるだろう。予想だけどあの男子生徒は自分でもいけると勘違いして、秋園さんに断られたことで逆切れをしたんじゃなかろうか。秋園さんはゴスロリ服とか似合うだろう可愛い系の見た目をしてるから、そりゃ付き合えるなら付き合いたいと思う点は否定しない。特に秋園さんはこの二か月で告白しまくっている。言い方は悪いけど尻軽な印象も拭い切れない。だからこそあの男子生徒も算段を付けて踏み込んだのかもしれない。
その辺りまで考察して僕は頭を振った。
止めだ止め。僕にそこまで深入りする気はない。秋園さんに振られた身分でそんなことを考えていたら本当に未練がましい諦めの悪い奴と思われてしまう。
「じゃあ僕はこれで」
居心地も悪くなってきたところで僕は帰ろうとして、右足を一歩前に出したところでまたシャツを引っ張られた。せめて言葉で引き留めて欲しい、一瞬心が跳ねそうになるから。
今度は振り向かないまま、暗にもう会話は終わっているとのだと伝えるつもりで秋園さんの言葉を待つ。
「あの……聞いて良い?」
「どうぞ」
「名前、聞かせて?」
……え、本当に言ってるのかこの子。僕って一応元カレだったよね。そう言えば苗字すら秋園さんに呼ばれた記憶も無かったし……マジか、名前も知らずに告白をしてきたのか。
急速に冷え込む自分の感情に一人苦笑いを浮かべつつ僕は言った。
「
「下芥……うん。充清って呼ぶね」
「どっちでもいいよ」
元恋人とはいえほぼ初対面に近い相手に対して名前呼びとは、僕は秋園さんの社交性を舐めていたのかもしれない。それか社交性が無さすぎて名前呼びに特別な意味を見いだせていないだけの可能性もあるけど。考えたら後者な気がしてきた。
秋園さんは背後でこくりと頷くみたいに相槌を打った。
「私も自己紹介。
それは知ってる。
「そっか。じゃあ秋園さん、僕は帰るから。今後は気を付けてね」
これ以上関わってもお互いの為にならないだろう。僕は元カレに執着するメンヘラストーカーみたいに思われたくないし、恋多き(?)秋園さんも僕みたいな既に品定めが済んだ男と一緒にいたところで得られるものは何もないはずだ。
今度はシャツを摘ままれないように、早足で僕は下駄箱へと向かう。喉の渇きは既に消えていた。
文学ラブコメラノベライクです(あくまで風味)