電波令嬢とラムネ味 作:大出勤
一週間が微かに残っていた春風の匂いと共に過ぎ去った。
ボディーガードを一週間ほど続けている間に、気付けば梅雨前線は関東平野の上空を支配権に置いていた。
おかげで今日も空は暗澹たる雨雲模様が広がっており、雨もパラパラと降りしきっている。
普段なら雨合羽を羽織って自転車通学をするところだけど、夏の暑さを先取りしたかのような気温と雨には堪らずここ一週間はずっとバス通学に切り替えていた。だから秋園さんとは乗るバスの時間だけ決めて、車内で合流する形を取っている。
一先ず近況を言えば、ここ一週間は極めて平穏そのものだった。秋園さんと時折雑談をしながら登校するのみで、初日以降は杉沢くんの影も見ていない。秋園さんは依然と視線を感じるとずっと主張し続け、休み時間は教室の外へと避難しているらしいが、決して彼自体はストーカーという訳でもないらしい。
正直秋園さんが過敏に反応している気もしなくもない。でも秋園さんに陳情するにしても一週間はまだ早いかな、様子見は必要かな、と考えて僕は腹の底に本音を据えたままこの一週間バスに揺られ続けていた。
「もしかしてまた付き合い始めたのか? まさかあの冥王星人が電撃復縁とはな、驚天動地だ」
ボディーガードを始めて三日目、僕と秋園さんが一緒に下校している光景を見た二輪はそう言った。
「違うよ。僕と秋園さんはプラトニックだし、そもそも知人関係だから勘違いしないでほしいかな」
「知人関係? 友人ですらないのかよ」
「そりゃ違うでしょ。あの秋園さんだよ?」
「変人同士は惹かれ合う。違うか?」
「だから僕の事を変人扱いするのは止めて欲しい」
好い加減しつこいって。
「じゃあただの知人の下芥がなんで二人っきりで下校なんかしてるんだよ」
「気になるの?」
「後学の為だ。俺はこれで事情通を目指してるんだぜ」
それは絶対に嘘だろうけど、隠す理由もないので僕は秋園さんと杉沢くんの話をした。あわよくば二輪も巻き込んでやろうという魂胆だ。
二輪は相槌を頻繁に打ちながら僕の話を聞く姿勢を取った。口角を上げて時折意味深に頷いているから興味があること自体は本当らしい。
「つかバス通学なのか秋園って。印象に無いが……まあ現実的ではあるのか?」
話し終えた最初の一言目は、そんなつい零れてしまったかのような謎の言葉だった。
ぶつぶつと呟いていて何だか気味が悪い。
「そうだけど。変なところに引っ掛かるね」
「いや、何でもねえけどな。ただピンと来なかっただけで。それでお前は秋園と夏休み前まで一緒に登校する気満々って訳か」
「満々ってほどでもないけど」
不自然な返事だなと思いながらも追及はしない。二輪という男がかなり適当なことを言うことを僕は長い付き合いから知っていた。
二輪は鼻を鳴らす。
「杉沢ってやつは俺も知ってる。1組の野球部のパシリだろ」
「パシリ?」
「よく先輩からパシられて購買で菓子パンを買う姿が目撃されてるんだよ。ただ同情する必要は無いぞ。本人も中学時代に後輩をよくよくいびっていたらしいからな、今の姿を見て留飲を下げている同中の奴もいるって話だ」
野球部って言うのは少し驚きかもしれない。
西賀南高校の野球部は公立高校にしては結構強豪の方だ。去年は県大会ベスト4にも入り甲子園も射程圏内に捉えていて、この周辺の勉強の出来る球児はまず最初にここを目指すくらいだ。勿論、私立の推薦とかは除くけど。
そんな強豪校でも、いや、強豪校だからこそ上下関係が厳しいのかな。万年帰宅部の僕にはあまり良く分からない。
「へー。これまでに秋園さんと同じ学校だったとかも分かる?」
「小中は被ってないな。小学校で塾とか習い事が一緒だったりしたら分からんが……まあ無いだろ」
「断言なんてすごいね」
「言ったろ。情報通志望なんだ」
それは良く分からないけど。
ただそこまで知ってるならこれも二輪に聞いてみる。
「ところで杉沢くんはもしかして見栄っぱりだったりするのかな?」
「はあ? そりゃ知らんが……いや、そういや休みの私服はネックレスとか目立つブレスレットとか付けてるとか聞いたことがある。見栄っぱりというと少々誤謬があるが、目立ちたがり屋ではあるかもな」
なるほど。二輪がここまで使える男だと僕は今の今まで知らなかったな。
お陰で杉沢くんについては有る程度察しが付いた。これからは必要になったら二輪にまず聞くことにしよう。
「ありがとう二輪、お陰で結構考えが纏まったよ」
「まあ頑張れ。俺は外野から見てるから何かあれば手伝ってやるよ」
「うん。今は必要ないけど、もし僕の力で及びつかない事態になったら頼むよ」
そう、例えば力仕事とか。喧嘩とか。
僕が杉沢くんに呼び出されたのはそんな日の放課後だった。クラスメイトから「下芥に用事がある奴がいるよ」と声を掛けられて、教室の外を見れば気を張った様子で杉沢くんが立っていた。
これは長くなりそうだ。僕に用件という時点で安呑とした話題じゃないに決まってる。スマホをちらりと確認して、結局ロック画面を解除することもなく僕は席を立った。その時僕は初めて気づいたけど秋園さんの連絡先を知らなかったのだ。これでは今日は早く帰ってくれと連絡することが出来ない。……とはいえ知ったところで大した連絡をするわけでも無し、寧ろ知ることによって手間が増えて安寧が脅かされる可能性もさもありなん。
ともかく杉沢くんの件だ。手短に済むといいけど。
杉沢くんは教室の扉横で渋面を浮かべながら、内心を表すように指でとんとんと腕を叩いている。
……なんか勘違いされていたら嫌だし、先に言っておこう。
「久しぶりだね。一応言っておくけど僕は秋園さんとは付き合ってないから、別れろとか言っても無駄だよ」
「は?」
凄まれてしまった。途端にガンを付けられて凄い怖い。
「まあまあ落ち着いてよ杉沢くん。揶揄った訳とかじゃなくそこだけは明らかにしておきたかったんだよ。それで突然僕を呼んだ用件は秋園さんのことで間違いないかな?」
「……ああそうだよ。ここじゃ話しづらい、場所を変えるぞ」
「ちょっと待って、バック取ってくる」
僕はバックを取るについでにスマホを確認するフリをして二輪にチャットをして、秋園さんへ先に帰ってほしい旨の伝言を依頼する。遺憾ながら長引きそうな予感しかしないので。
二輪がアイコンタクトで了承と同情の意を示してきたのを視界の端で確認しつつ、僕は無言で歩き始めた杉沢くんの後をついていく。
歩きながらとふと目をやると、視線の先に杉沢くんのバッグでキーホルダーが揺れていた。恐竜型で、何かのマスコットなんだろうけど僕の知識には無い。ずっと付けっぱなしなのか糸が解れまくっている。何なら首が捥げかけで、上半身はコーヒーでも掛かったかのようなブラウン色で染まり切ってしまっている。
あまり几帳面に物を管理をする方では無いらしい。見た目通り、大雑把な性格ってことだね。
視界の先でずっと動いているから思わずそのキーホルダーを見ながら歩いていると、方角からして目的地が何となく分かった。
その予想と違うことなく、この時間帯に落ち着いて話せる場所ということで、連れて来られたのは校舎最上階、屋上手前のスペースだった。
「杉沢くんは部活大丈夫なの? 野球部だから結構厳しいよね?」
「今日は顧問が休みだから自由練習なんだよ」
杉沢くんは答えながら気怠そうにYシャツをパタパタとさせる。
「ベラベラと喋る趣味はねえから簡潔に言うが、お前ウザいんだよ。初から離れろよ」
「それは秋園さんが好きだから?」
「……決まってるだろ」
杉沢くんの瞳が一瞬宙を泳いだ。
黒だね。
嘘の気配には特別聡い訳じゃない僕でも確信できた。
「じゃあ一つ聞きたいんだけどさ、なんで秋園さんを好きになったの?」
「お前には関係ねえだろうが」
「君も知っての通り、僕は秋園さんと友人なんだ」
本当は友人じゃないけど、そう言った方が都合よく物事が転がりそう。
すまない秋園さん、今だけ僕の友人になってくれ。
「だから何だよ」
「杉沢くんが秋園さんのことが好きで、付き合いたいと思っているのであれば便宜を図れるって意味だよ。勿論上手くいくかは杉沢くんの努力次第だけど、或る程度融通を利かせることは出来るとは思うね」
声を低くして悪態を隠さない杉沢くんに僕は優しく説いた。
勿論これは詐術の一つでしかなく僕は杉沢くんを秋園さんに近付ける気はあまりない。無理矢理秋園さんに迫った禍根が拭い去さられる程の十分な時間がまだ経過していない以上、せめて夏休みが終わるまでは手八丁口八丁で誤魔化すつもりだ。
杉沢くんは後ろ髪をガシガシと掻くと、目を細めて僕を見る。
「言質、取ったってことで良いんだな」
「そう捉えてくれて構わないよ」
便宜を図るって言っただけだしね。確約は何もしていない。
杉沢くんは僕の詭弁に首を傾げたが、欺瞞を見抜くことは出来なかったようで最終的には頷いた。
「分かった。本当のことを話す」
「うん」
「その代わり何も出来なかったらお前ぶっ飛ばすからな」
それは勝手すぎやしないかな。
イラっと来つつも僕が無言で受け流すと、一瞬開けて杉沢くんは言う。
「……俺は野球部の先輩に脅されてる」
「脅されている?」
「ああそうだよ。部内で弄られ役の俺が秋園と付き合ってる様子がおもしれーんだろうよ。それで秋園と付き合わねえと色々と練習でしばくって言われて、最近はずっと部内で当たりが強い」
「はあ」
「だから俺と秋園をくっつけろ」
「……つまり秋園さんのことを好きじゃないってことでいいんだね?」
「当たり前だろうが。冥王星人に惚れるほど終わってねえよ」
一々癇に障る奴だなぁ。表情には出さないけども。
「くっつけろとは言うけどどうやってカップルになったことを証明するつもりなの? 聞いてる感じ結構横暴じゃんその先輩」
「マジそうなんだよ。だから適当に一カ月くらい表面上は付き合って、その間にカップル動画でも撮ろうと思う。それである程度ほとぼりが冷めたら破局。やるならそんな感じだろ」
「へぇ。でも失敗したと」
「…………まあな」
苦虫を嚙み潰したような顔を作った。やはり杉沢くん的にも告白を断れるのは予想外だったようだ。
「だからお前は俺のサポートをしろ。別に損な役回りをさせる訳じゃねえから構わねえだろ」
そう大上段で来られると余計に意欲とか下がる。
てか、僕なにもやるとか言ってないよね? 力になれるかもとは言ったかもしれないけど、どうも杉沢くんの中では僕の力添えは確定事項になっているみたいだ。
こうなるともう先程までの詭弁も楔としての効果が薄れる。ある程度思慮が回る相手にしかこの手の話術は通用しないのだ。
「一応含めておくけど、僕も出来ることは限られているからね」
「やるっつったよなお前。まさか二言はねえよな?」
拳を作って僕を威嚇する杉沢くんに溜息を吐いた。表に出すとボルテージを上げそうだから心の中で。
こんな物々しい感じになるんなら二輪も連れてくればよかったな、これ。
僕は暴力だけには自信が欠片もないのである。
─── ─── ───
部室へと向かう杉沢くんと別れると僕は大きな溜息を吐いた。
僕ということが、早速反省せねばなるまい。また癖で厄介事を引き受けてしまった。
いや、言い訳をすると引き受けたつもりは微塵もなかった。発言にだって子細気を付けたつもりだった。でもその子細は交渉が通じる相手にしか効かない繊細な方法であって、強弁を常とするああいう大上段な人間には向かない交渉術だった。その見誤りのせいで僕はまた陰鬱とした重荷を背負ってしまっている。
全く、これじゃ三月に誓いを立てた僕自身に顔向けが出来ない。まだ入学して三カ月ほどだというのにもう青春五か条を破りそうになっている。
でも秋園さんを見捨てるのも忍びない。少なくとも杉沢くんは胸襟を開いた訳じゃないだろう。全てでなくとも、嘘をついてるのは明白だ。
「今日彼氏と放課後デートなんだー」
「えー、いいじゃん羨ましい。こっちなんてアイツ全然告ってくれなくてさ」
「それはお互い悪いよ! アユから告ればいいじゃん!」
すれ違う女子生徒が交わす青春話に僕は気持ち、身を小さくしながら通りすがる。
一つ、薔薇色の青春から身を引く。
いま思い出した訳じゃない。ただ僕は少し反省していた。
そう、原点回帰するべきだ。
問題に対しては目を塞ぎ、困った声には耳を塞ぎ、余計なお節介を挟まないよう口を手で封じる。
僕に必要な青春とは即ち何もしない事。ただそれだけのはずだ。
「充清くん」
そう呼びかけられたのは高校入学時の原点となる意思を固めているその最中、下履きから靴に履き替えて下駄箱から出た瞬間だった。
僕は顔を見るまでもなくそのあえかな声音に手で応える。
「秋園さん、もしかして僕を待ってた?」
目を向けると、予想通り秋園さんの小ぶりな顔。丁度コクリと頷いているところだった。
「クラスメイトに伝言してたけど伝わってなかったかな」
「聞いた。でも彼に連れてかれたって聞いたから私、良くない未来を想像した」
「良くない未来?」
「恐喝されて、離れて行くんじゃないかなって。ボコボコにされるんじゃないかって」
思わず苦笑が漏れた。
随分と察しが良い。
いや、離れる気は無いけど、事態から身を引こうという気概があったことは否定ができない。
しかし、もしそれが気になって学校に残ったということのなら僕も肩入れされたもんだと思う。地底人? いやいや、やってることはただの同級生じゃないか。
「何を言われたの?」
僕は一考して、問題ない部分だけかくかくしかじかと話す。
一部始終を聞き終えた秋園さんは少々不機嫌気味に困り眉を作った。
「イヤよ」
次に放たれたのは杉沢くんへの敵意や軽蔑心が混じり合う、そんな心情を表す的確な一言だった。
「信じて欲しいのだけど、私、充清くんを困らせる気はなかったの」
「それは思ってもないよ」
「そう。良かった」
少し安堵した表情を浮かべながら、起伏に富んだ胸に手を置く。
しかしすぐに無表情へと戻る。
「どうにしかなきゃならないわね……」
眉間も表情もフラットに見えるけど、これが秋園さん的には悩ましげな表情なのだろうか。
杉沢くんを諦めさせることが出来る打開策を考えているのだろう。
「彼氏をまた作ればいいんじゃない?」
「それはもういいの」
「もういい?」
「一旦ね」
意図が読めない秋園さんの透明な声。
「大丈夫よ。充清くんに迷惑をかけることはしないから。充清は考えなくていい、これは私の問題」
譫言みたいに呟いた秋園さんと僕はその日もバスで帰った。
バスの車内は僕と秋園さん、それから地元の住民らしき人影が5人くらい。僕と秋園さんは一番後ろのロングシートに腰を掛けた。
隣に座っても会話はしない。
それもそうだ。
僕らの関係性を定義すると、本当にただの知人でしかない。無理に話題を出すことはないが、用件があれば遠慮もせず口を出す。相手を最大限尊重し、自分の都合がその尊重を上回った時だけ会話が生まれる。
秋園さんの澄んだ横顔を見る。
彼女の視線は通学路に沿って流れる河川へと向けられていて、窓ガラスに反射して見える瞳は無機質ながらも硬くも脆い砂岩のように思えた。
秋園さんの友人、ひいては味方と言える人物はきっと学校内に一人もいない。
同じクラスでなくとも流布されてくる冥王星人という噂からしてそうだ。
一人で授業を受け、一人で昼飯を食み、一人で孤独を抱える。
大衆への迎合を良しとする僕とは全く違う生き様で、何ともペシミスティックで。
ああもう。
だから、なんというか。
そう、言い訳をふらふらと迂遠に考えるのも飽き飽きだ。それを僕は言いたかった。
誰の事情にも深入りせず、誰からも頼られない人間になる。
そんな目的で以て青春5か条を設定したのは僕である。遵守するのも僕である。
ならば改定出来るのもまた僕しかいない。
───やはり、僕は秋園さんの置かれた状況を見過ごすことはできないみたいだ。
「秋園さん」
「なに」
僕は声を掛けると秋園さんが僕の方へ顔を向ける。その間にスマホを取り出して、と。
「写真を一枚、いいかな?」
スマホのカメラアプリ越しに見えた、油断と弛緩に身を任せていたところを抜かれたポカンとした秋園さんは普段より可愛く見えた。