《注意》この小説には、Hollow knightシリーズのネタバレがあります
数多の強敵をその針で打ち倒し、遂にファールームの頂点へと至ったホーネット。
最後の戦いも、これまでと同じ様に乗り越えられると信じていたが…
不気味な暗闇と純白の
聖脈行路が廃止され、微かな鼓動の音だけが支配する場所。
しかし、ムシどころか音すら入る事が叶わないその場所に、一匹の侵入者がいた。
赤き衣を纏ったムシが、軽やかな足音を立てながら揺り籠の中を進んでいるのだ。
「…………」
揺り籠の中にいるモノの正体が分かっていながら、それでも恐れる事なく進んで行く彼女の名はホーネット。
一切の恐れが見えない彼女は、その見た目も相まって無謀な若いムシにしか見えないかもしれないが…
彼女の素性を知るムシならば、ノミ酒に酔っていようとも決してその様な事は思わないだろう。
ホーネット…彼女は取引によって蒼白なる王と獣者の間に産まれた子、つまりは遥か昔に呪いで滅びたハロウネストの娘であり、同時に呪いの根源たる光輝を打ち倒した強き狩猟者でもあるのだ。
そんな彼女の経歴を考えれば、その歩みと表情に一切の歪みが無い事は至極当然なのである。
だから、彼女が目的地に至るまでに然程の時間はかからなかった。
地を蹴り、壁を蹴り、時にピンの山を弾く事で道なき道を行き……
遂に、彼女は揺り籠の中枢へと辿り着いた。
揺り籠を登り切った彼女が目にしたのは、巨大なシルクの繭。蒼白の光を宿して心臓の様に脈打つそれは、質こそ違うものの忘れ去られた原初の光輝に近いものだ。
しかし、先と同じ様に彼女が恐れる事は一切ない。そればかりか、その殻と針に最大限の戦意を込めて
ガラマッ!!
眠りについていた存在へと挑んだ。
その瞬間、内から突き出した鋏が繭を切り裂き、辺りを包んだ蒼白の光と共にシタデルの女王が目覚める。
ホーネットが見た女王の姿、それは異質そのものだった。
絹糸で構成された純白の長髪、胸を隠すかの様に組まれた腕、殻によって角ばっていない丸みを帯びた顔、くびれがはっきりした胴体。
ムシの世界には似つかわしくないその姿は、まるで別世界のヒトと呼ばれる存在の様であった。
六本の巨大なピンと共に現れた彼女は、暫くホーネットを見下ろし…
悲鳴にも似た、甲高い絶叫と共にその敵意を露わにした。
「はっ!!」
先手を取ったのはホーネット、目にも止まらぬ速さで空中に躍り出て"狩猟者"の名に恥じぬ鋭い一撃をシルクへと喰らわせる。
研ぎ澄まされた針、そして卓越した技量が合わさった一撃に切り裂けぬ物などないはずだが…
(…底が見えないわね)
彼女の攻撃は有効打になり得なかった。
その名に恥じぬ、女王を覆う膨大な量の絹糸。それが類を見ないほどの分厚い殻となって、ホーネットの一撃を防いだのだ。
「…っ!!」
そして有効打を与えられていなくとも、彼女に追撃は不可能だった。
空中にてその体を晒した彼女を囲む様に、横頭上から巨大なピンが彼女に迫って来たのだ。
逃げ道の無い攻撃、それがホーネットの殻を貫かんと
クロススティッチ
針がピンを弾く甲高い金属音、それと共にホーネットの姿が消える。
その瞬間に素早い斬撃の嵐がシルクを襲い、分厚い絹糸の殻を突き抜けて彼女が知らない痛みを与えた。
突然の出来事と未知の感覚に、女王たる彼女であろうとも動揺を隠せない。
(好機…!!)
絶対的な隙、ホーネットがそれ逃す事はない。
反撃後から素早く体勢を立て直し、道具と共に追撃を喰らわせた。
彼女の手から放たれたのは"ホラガイの刃"。
それが緩みを知らない回転と共にシルクへと突き刺さり、体を覆う絹糸の殻を抉っていく。
そして、守りが薄くなった箇所へと正確な針の斬撃が何度も突き刺さった。
連撃によって高まったフォーカスは、針に更なる鋭さを与え……
遂に、シルクはピンの支配を手放し地に堕ちた。
一つの隙が呼んだ、より大きな隙。
ホーネットはここで押し切ろうと、更に攻めの手を激しくする。
続けて彼女が放ったのは"刺殺の棘"。
絹糸の殻に埋め込まれた無数のそれらは、最大限の鋭さを手に入れた針の追撃と共にシルクの胴を滅茶苦茶に貫いた。
完璧な攻撃。普通のムシであれば満足に動く事はできないのだろうが…
「…小さき亡霊も、これ程までの存在と戦ったのね」
彼女が相対してる存在は、常識で測れる尺度に収まっていない。
あれだけの攻撃を受けてなお、女王シルクは平然と浮かび、ピンを操り、怒りの籠った視線を彼女に向け始めたのだ。
それは、この後の戦いが過去最大の困難になることを意味していた。
迫り来るピンの僅かな隙間を縫う様に回避し、反撃の針を突き刺す。
全身を使って振るわれたシルクの爪を飛び越し、頭上から降り注ぐピンを慎重に見極めて躱わす。
そして針を銛の様にシルクへと投げ刺し、彼女との間に開いた距離を一瞬にして詰めて攻めの手を緩めない。
何度も繰り返された攻防、一見すれば終始ホーネットが有利な様に見えるが実際の所はそうでも無かった。
「はぁ……ヤッ!!」
その殻に傷をつけられてはいないが、強力な攻撃を回避しながらの反撃は徐々に彼女の体へと疲労を蓄積させて行き、段々とその動きを鈍らせていた。
また、ピンが囲む様に襲い掛かる。もはや何度目かもわからないこの攻撃であり、彼女は同様にピンの間を通って躱して追撃を……
「!?」
キェアアァァァ!!
できなかった。
突然シルクが叫び、辺り一体に糸が張り巡らされたのだ。
一見無害に見えるが、その糸に途轍も無く嫌な予感を感じた彼女は本能的に回避だけに専念する。
疲れで鈍っていた体に突然の回避が更なる疲弊を与えてくるが、幸いにもその殻に糸が絡む事は無かった。
しかし、ここに来て繰り出された初見の攻撃は未だにシルクに余裕がある事を示した。
改めて思い知らされた敵の強大さに、ホーネットは更なる緊張を持たずにはいられない。
そして、更に繰り返される攻防。
同じ事の繰り返しではあったが、それでも段々と積もっていった疲弊は彼女の動きを確実に鈍らせており
(しまっ!)
遂に、ピンが彼女の殻を捉えた。
その質量と鋭さが合わさった一撃は彼女の殻を貫かんとしたが、彼女には仮面の守りがある。しかし確かに命中した攻撃は今までの均衡を崩し始め、先までの攻防は、一転して泥臭い削り合いとなった。
ピンによる強力な攻撃を貰いながらも、反撃の針で絹糸を奪い取り、奪い取ったそれで傷を縫う。
薄くなった守りを埋める様に、先よりも道具の使用頻度を上げて攻めの手を更に激しくする。
互いに漏れ出た絹糸が絡まり、どちらの物か分からなくなる程に混ざり合った時、
決着がついた
(これで、終わりよ!!)
「…はぁっ、はぁっ…!!」
ピンが空を裂く音に、針が弾く金属音、そして絹糸が解かれる柔らかい音、先までの激しい攻防を象徴していたものが今は無い。
残ったものは勝者たるホーネットに、息を整えんと彼女が発する喘鳴だけだ。
「………やっと、終わったのね」
戦いの余韻が抜けていく様に、その喘鳴が段々と小さくなっていく。
やがて喘鳴の音が収まり、平穏の静寂と共に安心感が
「!」
静寂と安心感が戻ってくる事は無かった。揺り籠の底から絹糸が伸びて来て、静寂を打ち破る様に落石を引き起こしたのだ。
無論急な出来事であろうとも、ただの落石が彼女に当たる事はない。
しかし伸びて来た糸は攻撃の為と言うよりは、何かの支えとする為の様であり…
キィィヤァァァ!!
(まだ、戦えるというの…!?)
揺り籠の底から、シルクが舞い戻って来た。
その顔には一切の表情が無いが、そこには無視できないほどの怒りが込められている。
ここからの戦いは、先よりも遥かに困難なものになる事が彼女には分かってしまった。
此度先手を取ったのは、シルクだ。
ただピンを放つだけで無く、張り巡らせた絹糸による落石と引き上げた棘によって逃げ場所を更に狭めてゆく。
より早く、より力強く、そしてより狡猾にホーネットを追い詰めんと攻撃の精度を上げて来た。
多少息を整えたとはいえども疲れが取り切れない彼女にとって、この攻撃はとても躱しきれるものでは無い。
それどころか、反撃すらままならない状態で仮面を割られていった。
大した時間を経ない内に、仮面の残りはたった一枚となり、
「っ!!」
(しまっ…!)
疲れと極度の緊張故にだろうか、遂に彼女の体をシルクの絹糸が縛り付けた。
道具も針も使えない程にガッチリと捕えられた彼女には、もはやなす術なく……
彼女の命運は、目の前の表情すら分からない上位者に握られてしまったのだ。
(これは…不味いわね、何もできないなんて)
絹糸に縛られ、文字通り身動き出来ないホーネット。そんな彼女を、シルクがじっと見つめていた。
(…一体、どうするつもりなのかしら)
彼女の命を取るつもりであれば、この上位者は今すぐにでもその爪で殻を抉る事が出来る。しかし未だにそうされ無い事に対して、彼女は小さな疑問を抱いた。
両者共々、何の言葉も発しない不気味な沈黙が暫く続き…
(…なっ!?!?)
急に彼女の視界が白一色になったかと思えば、不思議な事に柔らかい感触が彼女の全身を包み込んだ。
その柔らかさに、汚れ一つない純白の景色、そして微かに伝わる暖かさは本来ならば幸福感を与えるものである。
しかし突然で、そしてあまりにも予想外に過ぎた出来事であったため、彼女の心は快楽の代わりに困惑と混乱で満たされた。
「何を…!」
彼女に出来る事は、微弱な抵抗でしかない身動ぎだけである。しかしそれでも、心折れる事なき彼女の中で諦めるという選択肢はなかった。
全身を包む絹糸が解かれる様な奇跡を信じて、ひたすらに体を動かそうとするが…
「っ…!!?」
(これは、…何?)
そんな彼女を嘲笑うかの様に、或いはあやすかの様に、シルクは抱きしめる力を更に強くして更には彼女の顔を胸に押し付けた。
突如彼女の口の中に入ってきた何か…彼女は、その異物感に今すぐにでも吐き出して口を閉じたかったが、しかし強い力に押し付けられて叶わなかった。
そして口に突っ込まれたソレから、とあるものが注ぎ込まれる。
「ん"ん〜っ!!!??」
(なに!?なんだと、いうの!!?)
彼女の殻の中に注ぎ込まれたもの、それは絹糸であった。それも意のままに操る為の傀儡の糸ではなく、力を与える為のものだ。
しかし、彼女がここまで混乱している理由は予想だにしなかったシルクの行動では無い。
(何で、私は……)
(敵の手中に、あるというのに……)
ほぼ反射的に体を動かそうとはしているが、不思議な事に彼女は今の状況に対して不快感を抱いていないのだ。
(こんなに、安心しているの?)
(ありえない、ありえない!!この暖かさは、この感情はとうの昔に……!)
それどころか、彼女は一種の安心感と暖かさを感じていた。
彼女の中に生じた未知の感情、それこそが彼女を混乱の渦に放り込む元凶だった。
しかし、そんな安心感の中でも彼女は抵抗をやめなかった。だがそれは目の前の存在に対する抵抗では無く、己に対するものである。
とうの昔に捨てた、弱く幼い自分を出さないためのものだ。
幼き頃に愛情を注ぎ切る事なく夢見の守護者となった母、親としての愛を一切与える事がなかった父、決して愛情を求める先にはなり得なかった白きレディ。
とうの昔に捨てた筈の寂しさと愛への欲求が、絹糸を注がれるごとに心の底から浮かび上がってくる。
抱くことはないと諦めており、同時に抱かないのだと決意していた感情。
呪いを終わらせる為に夢見の守護者の死を見届けたあの日から、非情にも母の死を目の前で見過ごしたあの時から、子供としての自分は居なくなったのだと…そう、彼女は思い込んでいた。
しかし、
「…っ…っ…!!」
(やめて、やめて、やめて。これ以上…!)
(これ以上、私に注がないで…!!)
そんな彼女の、悲痛な決意を包み込むかの様にシルクは抱擁と授糸をやめなかった。やがて注がれる糸は彼女の殻だけで無く、心さえ満たして行き…
(…かあさま…ごめんなさい)
(わたし、わたしは……このあたたかさに、このやわらかさに抗えません…)
(ごめんなさい、ごめんなさい……)
(………)
遂に、彼女の抵抗は全て無くなった。
最早、ここにいるのは誇り高き狩猟者のホーネットでは無い。
暖かさと柔らかさと安心感に包まれ、赤子の様に顔を絹糸で汚した子供である。
やがて何かに包まれる感覚と共に、子供は初めての眠りについた。
母の愛と、絶対的な安心感に包まれた心地よい眠りに。
対等に並ぶものも、己を律する者も必要無く、ただ他者に求める役割は己の意のままに従う奴隷。
その上位者には、支配欲以外の感情は無かった。
だから、彼女がハロウネストの娘を求めた理由もそれに基づくものだった。
支配を広く強くするために利用するか、或いは他の紡ぐ者達の様に己の立場を脅かす存在として確実に排除するか。
彼女がホーネットに対して抱いた感情は、その程度のものでしか無かった。
しかし、こうして目の前で身動きできずに段々と弱っていく娘を見た瞬間、
己と同じ蒼白の光を宿した娘。その同一性と、少しの不完全さは彼女の中に未知の感情を湧かせた。
あれだけ己の殻を傷つけられたのに、あれだけ抹殺したいと思っていたのに、こんな感情を抱く事など無いはずなのに…
彼女は、目の前の娘を抱き締めたくて仕方が無くなったのだ。
そして今までそうして来た様に、自らの欲望に一切の躊躇もなく従った。
雁字搦めに縛られたソレを抱き締めた時、彼女が感じたものは僅かな満足と更なる欲求。
あれだけ憎く思えた目の前の存在が、弱々しく愛おしいものにしか思えなくなったからだろうか…少なくとも、彼女の中に不快感は無かった。
そして信じられないことに、彼女の中に生じた新たな欲求とは弱り切ったこの娘を元気付けたいというものだった。
あれだけ傷つけあったのに、自らの傷よりも彼女の殻に刻まれた傷の方が遥かに重大で優先すべきものに思えてしまったのだ。
その欲求に従うまでに大した時間は要らなかった。シルクは娘を更に抱き締めて己の胸に引き寄せ、その乳房から絹糸を与え始める。
その行動に対して抵抗するかの様に身動ぐ彼女であったが、しかし彼女は気にする事なく絹糸を注ぎ続けた。
彼女が意図したわけでは無いが、ホーネットの僅かな抵抗は一切の結果を出す事なく絹糸を与えられる度に弱くなって行き…
いつしか、乳飲み児の様に顔の周りを糸屑で汚した娘がそこにはいた。
彼女の顔は歪な恍惚で満たされており、もはや抵抗は出来ないだろう。
そして、それはシルクの表情無き容貌でも同じ事だった。
自らの絹糸悦楽の境地に至った彼女をゆっくり見下ろした時、シルクは心地よい暖かさと染み込んでくるような柔らかい幸せに包まれたのだ。
暫くはそんな彼女を眺めて余韻に浸っていたシルクだったが、やがて思い出したかのように彼女の背中を優しく叩き始める。
まるで繊細な花を愛でるかのような手つき…その後に小さなげっぷを聞いて一安心すると、彼女は繭を作り始めた。
自分を守るためではなく、その身に抱き締めた彼女を守る為のそれは、今まで紡いできた如何なるものよりも強固で、強靭で、決して解けぬなものである。
やがてファールーム全域の絹糸を費やした繭は、シタデルすらも覆い尽くす程の大きさとなり、遂には誰も入る事が出来ない真の揺り籠となった。
何故ここまで強固で巨大な繭を作れたのか、その様な疑問がシルクの中で生じたとしても彼女は答える事が出来ないのだろう。
張本ムシにすら分からない理由、けれどもそれは明確であった。
子を守らんとする母の思い。
例え実の子供で無かろうとも、支配欲の延長線上であろうとも、それは何よりも強いものであったという事なのだろう。
今日、この瞬間をもってファールームの女王は一匹の母親となったのだ。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
真エンド到達記念に書きました。