指輪転生   作:ナーロッパ大使館員

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ピアルノー氏の忘形見Ⅱ

 ルシャス・アンダマンは最初、自分の身に何が起こっているのか全(まった)く認識(にんしき)できていないようだった。

 アーロン・アンダマンの時と同じく、封筒を握った手から焔(ほのお)が彼の全身へと移っていくのを目にした時、どういう訳(わけ)かエリオンにはそれが酷(ひど)くゆっくりと、鈍重(どんじゅう)に広がっていく様(よう)に感じられた。

 焔がじわじわとルシャスの全身を取り巻き、呑み込まれた場所の皮膚(ひふ)は、火に触れた順(じゅん)に焼(や)け爛(ただ)れていく。

 そこまで来るとその相貌(そうぼう)は苦痛で歪(ゆが)み、彼は凄まじい叫(さけ)び声(ごえ)をあげていた。

 甲高(かんだか)い叫び声。

 焼かれて黒ずんだ表皮(ひょうひ)が灰(はい)に変わり、剥(は)がれて宙(そら)へと消えて行く。

 次々(つぎつぎ)と剥がれては灰になり、そこには……何も残っていない。

 ルシャス・アンダマンの身体の中身は、空(から)っぽだった。

 

 我(わ)が目を疑(うたが)いながらも、エリオンはその有(あ)り得(え)ざる現象(げんしょう)から目を離せずにいた。

 すると、その空間の中に……ルシャスの抜(ぬ)け殻(がら)の中に何かを見つける。

 小(ちい)さな人影(ひとかげ)。

 そこに見た物を理解するのに数迅(すうしゅん)を費(ついや)した後、彼は口(くち)だけを動かして声高(こわだか)に指示(しじ)を出した。

 

 「スヴェンセン!! アリシア・アンダマンを、叔母上を呼べ!

 ここに連れて来るんだ!!」

 

 

 ◇◇◇

 

 

 少し経ってからアリシア・アンダマンがスヴェンセンに担がれたままエリオンの待つ部屋に飛び込んできた。

 

 「っ……お待たせ……はぁっ……間に合ったかしら……」

 

 「ご静養中(せいようちゅう)のところを邪魔してしまい、申し訳ありません」

 

 「別にいいのよ、充分休ませて貰ったわ。 まだ寝起きで……ありがと……っと」

 スヴェンセンの手を借りて床に立つと、アリシアはエリオンの蒼白(そうはく)とした面持(おももち)と雑然(ざつぜん)とした寝室の一区画(いちくかく)を交互(こうご)に見て、それから、息を落ち着かせるように静かに尋ねた。

 「私は何をすればいいのかしら?」

 

 「彼を助けて下さい」

 

 床(ゆか)に膝(ひざ)を突(つ)くエリオンの目の前には、濡(ぬ)れたカーテンを被(かぶ)せられた膨(ふく)らみがある。

 それが弱々(よわよわ)しく上下動(じょうげどう)していた。

 

 「怪我(けが)をしてるの?」

 

 「はい。 火傷(やけど)です」

 

 「ここで?」

 そう言って周りを眺めながら、アリシアが訝(いぶ)しげに片方の眉(まゆ)を上げる。

 犠牲者の周囲に置かれていた家具にも、その下に敷かれた絨毯(じゅうたん)にも、焼け焦げた跡はない。

 

 「はい。 魔法の焔(ほのお)で全身を灼(や)かれました」

 

 「焔の魔法?……それって……」

 

 エリオンは布越しに持った薄緑色の封筒をアリシアに見せた。

 「魔法の封筒、と言ったところでしょうか……封を開けるたびに燃え上がり……開けた者を焼くのです。

 彼と揉(も)み合(あ)いになり、奪われまいと……その時に破れてしまい……」

 

 「……詳しい話は後で聞かせて。 創(きず)を見せて頂戴(ちょうだい)」

 

 エリオンがゆっくりとカーテンを持ち上げると、ルシャスは苦しそうに、弱々しく呻(うめ)いた。

 赤黒(あかぐろ)い体組織(たいそしき)が剥(む)き出(だ)しになる。

 あまりにも痛々しい光景に、エリオンは思わず顔を背けた。

 対してアリシアは目を背(そむ)けることもなく、屈(かがん)んで全身の患部(かんぶ)を検(あらた)めると、最後に無感情(むかんじょう)な口調(くちょう)で言い放(はな)った。

 

 「残念だけど、私にこの子を助けることは出来ないわ」

 

 その一言(ひとこと)は重(おも)く、エリオンの心にのし掛(か)かった。

 昨晩、ウィル・オーデンを退(しりぞ)けるのにこの呪いの焔が一役(ひとやく)買ったことで、彼は呪物(じゅぶつ)本来の恐ろしさを忘れてしまっていた。

 すると、アリシアがエリオンの肩にそっと手を置く。

 

 「治療に特化(とっか)した魔法使いか魔道具が必要よ。 エリオン、心当たりはある?」

 

 「残念ながら……しかし、もしもこの場所に所蔵されている叔父上の蒐集品(コレクション)を見ることができれば、或(ある)いは」

 

 「良かった。 じゃあ、それまでは私が何とかしてみましょう。 おいで、アララック」

 

 彼女の呼びかけに反応して首飾(くびかざ)りが光り、瞬く間に忠実(ちゅうじつ)な巨人(きょじん)が姿を顕(あらわ)す。

 エリオンが顔を上げるとアリシアは彼にウィンクをしたものの、その表情は傍目(はため)に分かるくらい引(ひ)き攣(つ)っていた。

 それから彼女はルシャスに向き直り、謳(うた)うような調子(ちょうし)で魔精(ジン)に語(かた)り掛(か)けた。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 神樹(しんじゅ)の蜜(みつ)を 注(そそ)ぎ為(な)せ

 変(へん)じて 朒(にく)を 肥(こ)やし成(な)せ

 光(ひかり)を遮(さえぎ)り 火(ひ)を封(ふう)じ 

 死国(しこく)を 停滞(ていたい)させ賜(たまえ)

 

 大祖(たいそ)の窼房(かぼう) 興(おこ)し成(な)せ

 紡(つむ)いで 創(きず)を 塞(ふさ)ぎ為(な)せ

 凍土(とうど)の奥(おく)で 死(し)の王(おう)を

 命(いのち)の石(いし)ごと 喰(く)い賜(たまえ)

 

 死出(しで)の路(みち)逝(ゆ)く愛(いと)し子(ご)を

 絡(から)めて 眠(ねむ)りに 落(お)とし為(な)せ

 焔(ほむら)と腐蝕(ふしょく)と悪疫(あくえき)を

 魔精(ませい)の銀糸(ぎんし)で 綴(と)じ賜(たまえ)

 

 

 ◇◇◇

 

 

 アリシアが言葉(ことば)を繰り返すと、それに合わせて魔精の身体から無数の白い繊維(せんい)が生じる。

 それは意志を持って規則的(きそくてき)に、几帳面(きちょうめん)に、流暢(りゅうちょう)に糸を撚(よ)り合(あ)わせ、肌理(きめ)細(こま)かな織布(しょくふ)を編(あ)み上(あ)げていった。

 彼女が謳(うた)い終わる頃には、横たわるルシャスの全身を純白(じゅんぱく)の織(お)り物(もの)が遍(あまね)く包(くる)み、痛々(いたいた)しい焼(や)け痕(あと)は一片(いっぺん)の隙間(すきま)無(な)く覆(おお)い隠されていた。

 

 「……ん! 上出来(じょうでき)じゃなくって?」

 

 アリシアが振り返ってエリオンとスヴェンセンを見た。

 しかし二人とも無表情(むひょうじょう)にアリシアを見ているばかりで、何の反応(はんのう)も寄越(よこ)さない。

 

 「あれ? 駄目(だめ)だったかしら……」

 

 「……ぇ」

 

 「? え? なに?」

 

 「…………すっげええぇぇぇ! 凄(すげ)えよアリシア様!」

 

 「え?え、……ふふ。 ありがとう」

 

 「おっぱいもお尻もバツンバツンで凄えけど、それどころじゃねえ!!

 な、エリオ……じゃね、旦那!!」

 

 「……何よそれぇ。 喜(よろこ)んで良いのかしら?」

 

 スヴェンセンの度(ど)を超(こ)えた無礼(ぶれい)を諌(いさ)める事も出来ずに、エリオンはただ呆然(ぼうぜん)と突っ立っている。

 アリシアが実演(じつえん)して見せたそれは、彼が直接(ちょくせつ)目にした、久方(ひさかた)ぶりの高度な魔法だった。

 学園を出て以来、努(つと)めて見ないように、触れないようにしてきた魔法の世界。

 どれだけ想(おも)い焦(こ)がれても決して届かないと避(さ)けてきた魔法使いの領分(りょうぶん)に再(ふたた)び触(ふ)れた事で、彼は一種の恍惚状態(こうこつじょうたい)に陥(おちい)ってしまっていた。

 

 美しい……。

 これだ。 これぞ真(しん)の魔法(まほう)だ。

 昨晩の様な暴力装置(ぼうりょくそうち)としての力(ちから)では無く、魔導師が使う本物(ほんもの)。

 そうだ、私の気持ちを、この感動を叔母上に……!

 

 「アリシア叔母上、貴女(あなた)は…… ンフッ、本物です。 帝国(ていこく)魔法省(まほうしょう)の認可(にんか)など必要無(な)い疑(うたが)う余地(よち)なく紛(まぎ)れも無(な)く、一流(いちりゅう)の魔導師。 その魔法は先人(せんじん)の研鑽(けんさん)を土台(どだい)に幾重(いくえ)にも綿密(めんみつ)に編(あ)まれ即興(そっきょう)で織(お)り成(な)される芸術品。 まさに理想の魔法だす。 ……叔母上は理想の体現者(たいげんしゃ)だす!……?……そして貴女の魔精(ジン)が作り出す嫋(たお)やかな、あの、「エリおn」輝く繊維で織られた布は、まるで神代(かみよ)のエルフが纏(まと)うころm「そこまで! ちょっと待ってエリオン」

 

 「え? はい」

 

 「……あなたってばもう、すごく褒(ほ)めてくれるのね! 嬉しいわ……でもね、さっきも言ったけどこれは延命(えんめい)に過(す)ぎないの。

 早く本格的な治療を施(ほどこ)さないと、死ぬわよ、この子」

 

 このアリシアの一言(ひとこと)は 惚(ほう)けて興奮しきっていたエリオンと震(ふる)えながら笑いを堪(こら)えていたスヴェンセンを、立ち向かうべき現実の問題の面前(めんぜん)へと引(ひ)き摺(ず)り降(お)ろし、二人は瞬間的に我(われ)に返(かえ)った。

 

 「……叔母上、この施術(せじゅつ)はどれくらい効果が続くのでしょうか」

 

 「どうかしら。 全身を灼かれた人間は……それがエルフやドワーフだろうがオークだろうが、魔法的治療(まほうてきちりょう)が無ければほぼ確実に死ぬわ。 遅かれ早かれ。

 その上で、長くて半月くらいかしら? 程度(ていど)に依(よ)るけど、短ければ数日ね」

 

 平時(へいじ)ならまだしも……

 「厳しいですね」

 

 「私もそう思う。 この子が馬車での移動に耐(た)えられるかは、また別の話だし……

 ウィルの件(けん)が片付かない限り、この場所を離れる気は無いんでしょ、エリオン?」

 

 「そうですね……代(か)わりに少勢(しょうぜい)で彼を囲(かこ)ってチタ・パルマまで送り出すことも出来ますが、そこを奴に狙われたら抗(あらが)う術(すべ)は有りません。

 現実的では無いでしょう」

 

 「どうするつもりなの?」

 

 「やはり旧代官邸(ここ)にある物で賄(まかな)う他(ほか)無(な)いですね。 ここにある魔道具を。

 調査に協力して下さいますか? 叔母上」

 

 「もちろん、喜んで」

 

 「では早速始めましょう……スヴェンセン、衛士と給仕一名をこの部屋に。 ルシャスの看病(かんびょう)を任(まか)せよう。

 それから、使用人頭(しようにんがしら)と衛士隊の士官(しかん)……いま敷地内にいる、主(おも)だった顔役(かおやく)を全員召集(ぜんいんしょうしゅう)してくれ」

 

 指示を出しながらエリオンは頭の中で先(・)ほ(・)ど(・)の光景を反芻(はんすう)していた。

 

 哀れなルシャス。 彼がここに来た目的はこの封筒だったのだろうか?

 しかし、仮にどれだけ酔っ払っていたとしても、ルシャス・アンダマンのそ(・)れ(・)は、呪いの恐ろしさを知っている人間の挙動ではなかった。

 もし事前に呪いの存在を知っていたのなら、あの様な取っ組み合いを挑んだりせず、封筒を盗み出す機会を待つ筈だ。

 私ならそうする。

 

 エリオンは両手で封筒を握るルシャス・アンダマンの姿と、これまで目にした歳不相応で子供のような態度を思い浮かべた。

 それから寝台の上に横たわるルシャスを……一回(ひとまわ)り小さくなったその身体を再び一瞥(いちべつ)するとすぐに顔を逸らし、椅子にかけたまま一時(いっとき)の思索(しさく)へと落ち込んでいった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 旧代官邸(きゅうだいかんてい)本館の代官執務室(だいかんしつむしつ)。

 館内(かんない)の個室の中で最大にして、最も豪奢(ごうしゃ)な区画(くかく)の中心(ちゅうしん)に在(あ)る、主人(しゅじん)の座所(ざしょ)。

 その最盛期(さいせいき)、ピアルノー・アンダマン在(あ)りし日には室内に所狭(ところせま)しと並べられていた最高位の秘宝(アーティファクト)の数々も今は無く、閑散(かんさん)としている。

 官邸で起こった事件から間も無く、エリオン・アンダマンは各部署(かくぶしょ)の責任者達を一堂(いちどう)に集め、今後の方針(ほうしん)を協議(きょうぎ)していた。

 

 「……従来(じゅうらい)の遺産分割(いさんぶんかつ)協議(きょうぎ)の準備に加(くわ)え、物資面(ぶっしめん)に不安はあるが今後の戦闘も考慮(こうりょ)して備える必要がある。

 再襲撃を見越(みこ)して 、敷地内(しきちない)の非戦闘員(ひせんとういん)は……昨晩の宴席(えんせき)に参加していた小人族(ハーフリング)の家族達は、今朝(けさ)、水柳(みずやなぎ)の家(いえ)へ送り出した。

 随行(ずいこう)した士卒(しそつ)達が追加物資(ついかぶっし)と共に帰還(きかん)するまで、衛士隊(えいしたい)と留守役(るすやく)の小人族で警戒(けいかい)にあたる。

 敵は一人だ。 敷地内の密(みつ)な巡廻(じゅんかい)と壁外(へきがい)への監視、何より出入りを厳しく制限して奴を侵入させないのが、当面(とうめん)の方針となる。

 ここまで、意見のある者は?」

 

 そう言ってからエリオンは順番に参加者を見回(みまわ)した。

 衛士隊長であるスヴェンセンと彼女の副官二名ほかエリオンの使用人頭(しようにんがしら)達、小人族(ハーフリング)士卒の統率者(とうそつしゃ)四名とマリオ。

 最後にアリシア・アンダマンと、その膝(ひざ)の上のアリエル。

 

 昨晩の襲撃そして、ウィル・オーデンの失踪について。

 ピアルノー・アンダマンの遺産相続をめぐる状況が混迷に向かっていることは、誰の目にも明らかだった。

 正(・)体(・)不(・)明(・)の(・)敵(・)が旧代官邸に侵入し、エリオンの命を狙った。 

 食事に薬物を盛り、屋敷の警備を機能不全に陥らせ、強力な魔法使いを館内へと引き入れた。

 それら全ての手引きをした裏切りの容疑者が、行方不明のウィル・オーデン。

 この件についてアリシア叔母上の無罪を証明するため、彼女にも会議への参加を依頼した。

 目下の課題は犯人一味の捜索。

 これが、参加者に対してエリオンが行った表向きの説明。

 

 「では次に……」

 

 「お待ち下さい、エリオン様」

 マリオが手を挙げて発言する。 エリオンは話しを切って頷(うなず)いた。

 

 「ご懸案(けんあん)に関して方針(ほうしん)に異論(いろん)はありません、しかし……御客人(おきゃくじん)を同席(どうせき)させている理由をご説明頂(いただ)きたく」

 

 御客人。 つまりアリシア・アンダマンの事だ。

 

 「私がアリシア殿に御参加下さるよう願(ねが)い出(で)たからだ。

 その理由を知りたければ後で個別(こべつ)に説明しよう……ただし、命(いのち)を賭(か)けて秘匿(ひとく)してもらう事になるが、問題無いな?」

 

 途端(とたん)に執務室は静まり返った。

 

 アリシア・アンダマンが魔法使いだと知っているのは、私とスヴェンセンの二人だけだ。

 この場にいる者のうち、一対一でウィル・オーデンに対抗できるのは彼女だけだろう。

 だからこそアリシア叔母上に防衛への協力を依頼した。

 しかし、それはそれとして彼女が無認可(むにんか)の魔導師であることは事実であり、そ(・)れ(・)をこの場で共有(きょうゆう)する腹積(はらづも)りは無い。

 

 エリオンの不穏な返答に対し、マリオはいつもの様子で平然と切り返した。

 

 「ご説明いただく必要は有りません。

 ただ私には、高貴(こうき)な御方を態々(わざわざ)防衛(ぼうえい)に組み込む必要性が見出(みいだ)せません。

 また、遺産(いさん)分割(ぶんかつ)協議(きょうぎ)に於(お)ける最重要(さいじゅうよう)人物(じんぶつ)と言っていい御方(おかた)を防衛の為とはいえ危険に晒(さら)すのは、エリオン様の職務上(しょくむじょう)は寧(むし)ろ問題が有るかと。

 そのように愚考(ぐこう)した次第(しだい)です」

 

 返す言葉が無い。

 

 「……彼の言う通りね。 私は失礼しますわ」

 アリシアは膝上(ひざうえ)からアリエルをそっと下ろすと、執務室の出口に向かった。

 「それでは皆様、ご機嫌よう」

 

 不服(ふふく)ではあったものの、エリオンはマリオの意見を無碍(むげ)に退(しりぞ)ける道理(どうり)が無い事を理解して、歯痒(はがゆ)い思いで彼女の背中を見送(みおく)った。

 

 致(いた)し方無(かたな)い……水柳の家はあくまで協力者であり、イズーダン子爵家(ししゃくけ)の私兵(しへい)ではないのだから。

 こちらの面子(めんつ)を立てる為に、万一(まんいち)、彼らの協力を失(うしな)う羽目(はめ)にでもなっては本末転倒(ほんまつてんとう)だ。

 

 「……他にはなにか?」

 

 「はい。 早々(そうそう)に偵察(ていさつ)を兼(か)ねた南領への伝令(でんれい)を選出(せんしゅつ)する必要があるかと存じます。

 我々(水柳の家)から一隊(いったい)を派遣しますので、御許可頂けますか?」

 

 「魔導師級の使い手だぞ? 小隊(しょうたい)でまともにやり合える相手じゃ無い」

 

 「やり合う気は一切(いっさい)ありません。 追跡されても森の中を行けば対応出来ます」

 

 「……分かった、マリオに一任(いちにん)しよう」

 

 「御意」

 

 「では次に、具体的な人員の配置について……」

 

 

 ◇◇◇

 

 

 そうして、会合(かいごう)は無事に終わった。

 参加者それぞれが持ち場へ帰っていくなか、スヴェンセンと話していたエリオンにマリオが声を掛けた。

 スヴェンセンが席を外そうとすると、マリオが彼女を引き留める。

 

 「衛士長殿もご同席(どうせき)下さい。 エリオン様に報告があります」

 

 エリオンはスヴェンセンに目配(めくば)せすると、マリオに話の続きを促(うなが)した。

 「報告とは?」

 

 「……昨日私達は水柳の家に帰還(きかん)し、その際に現地の巡回部隊(じゅんかいぶたい)から周辺の情報収集の結果と報告を受けました。

 こちらに戻って来る途上(とじょう)、斥候(せっこう)に同行(どうこう)し周辺の山谷(さんや)にある集落や農村を回ってきたのですが……」

 

 「それは聞いた。 何事(なにごと)も無かったんだろう?」

 

 「はい。 ただ道中(どうちゅう)、木々(きぎ)の樹皮(じゅひ)にやや多めに掻(か)き傷(きず)があり、密猟者(みつりょうしゃ)の野営跡(やえいあと)が点々(てんてん)とあるばかりで」

 

 「勿体(もったい)ぶらずに話してくれ。 何を見たんだ?」

 

 「証拠(しょうこ)らしい証拠(しょうこ)は何も……何もありませんでした。

 しかし、懸念(けねん)があります」

 

 「懸念(けねん)とは?」

 

 「臭(にお)いです。 ピアルノー様と旅をしていた時、ドワーフ、エルフ、辺境人(へんきょうじん)、他氏族(たしぞく)の同胞(どうほう)……他にも様々(さまざま)な種族と会いました。

 その時と、同じ臭(にお)いがするんです」

 

 「ふーん……まあ確かに、この辺りは南領でも比較的(ひかくてき)山深(やまぶか)くて森も古(ふる)いし、入植地もまばらで開墾(かいこん)が進んでいない地域(ちいき)も多いが」

 

 「そうではありません」

 

 「一体何が言いたいんだ? 報告と言う割(わり)に要領(ようりょう)を得ないぞ、マリオ」

 

 「確(かく)たる証拠(しょうこ)は無いのです。 しかし、微(かす)かな痕跡(こんせき)は有る。

 そして臭(にお)いは益々(ますます)強くなっている様に感じます」

 

 「つまり?」

 

 「残されている痕跡に対して強過(つよす)ぎるんです。 奴らの、オークの臭(にお)いが」

 

 「何?」

 

 「オークです。 オーク族」

 

 オーク族。

 同系(どうけい)の矮性種(わいせいしゅ)ゴブリン族と共に、帝国領内では絶滅(ぜつめつ)した種族だ。

 辺境域(へんきょういき)では氏族単位(しぞくたんい)の集落を作って生活していると聞いたことがある。

 それにたしか、神代(かみよ)には邪神に仕(つか)えて善神達と敵対したとか……。

 まあ、これは眉唾物(まゆつばもの)だが。

 

 「帝国領内にオークが侵入(しんにゅう)していると?」

 

 「そうは言っていません、しかし……この臭いの出所(でどころ)について私の経験上(けいけんじょう)それ以外の説明が難しいのです」

 

 いくらマリオの意見とはいえ、流石(さすが)に根拠(こんきょ)が薄(うす)いのでは?

 「じゃあ、どうすべきだと思う? 近くにオークがいるとして」

 

 「それは私が決める事ではありません」

 

 「……」

 

 エリオンの困(こま)った様(よう)な呆(あき)れた様(よう)な気持ちを汲(く)んだのか、返事を待たずにマリオは話を続けた。

 

 「私がお伝えしたいのは、オーク族が本当に恐ろしい、血も涙も無い戦士だと言う事です。 そして同時に、彼らの群れは洗練(せんれん)された軍隊(ぐんたい)です。

 血(ち)と鉄(てつ)の規律(きりつ)で動き、必要とあらば徹底的(てっていてき)に己(おのれ)の痕跡(こんせき)を消して行軍(こうぐん)します……戦いの、そ(・)の(・)時(・)まで」

 

 「スヴェンセン、どう思う?」

 

 エリオンが背後に立つスヴェンセンを振り返って尋(たず)ねると、彼女は眉(まゆ)を顰(ひそ)めて難しい顔をした。

 「そりゃぁ……装備も知れない数も知れないんじゃあ 下(くだ)せる判断(はんだん)は無(ね)えっすね」

 

 それもそうだ。

 

 「つっても小人の旦那がそこまで言う程の相手なら、戦わないのが一番いいんじゃねえかな」

 

 ? なるほど。

 質問した人間の意図(いと)を欠片(かけら)も汲(く)んでいない点(てん)に目(め)を瞑(つむ)れば、なかなか意表(いひょう)を突(つ)いた正論(せいろん)だ。

 だがまあ、今ここでどれだけ考えたところで、この程度の情報ではオークが本当に南領に居るのか見当(けんとう)もつかない。

 そうは言っても、他ならぬマリオの意見だ……。

 

 「分かった。 助言(じょげん)を無視すべきでは無いと思う。

 警備体制に不足(ふそく)が有れば、緊急時(きんきゅうじ)に備(そな)えて再編成(さいへんせい)してくれ。

 君の采配(さいはい)で 適宜(てきぎ)対応(たいおう)してくれて構(かま)わない。

 あとで報告だけ忘れずに」

 

 「よろしいのですか?」

 

 「そう言われると自信が無いな。 でも君には確信があるんだろう?」

 

 マリオは静かに頷いて返した。

 

 結局(けっきょく)マリオとアリエルの二人以外に帝国領外の実情を知っている者すら今のこの場所(旧代官邸)には居(お)らず、衛士隊長(スヴェンセン)はじめ私の指揮官の誰も、彼(マリオ)の語るオーク族の恐ろしさを理解出来ない。

 であればその意見を容(い)れて、マリオに任せるか否か。 それだけの事だ。

 「今後も何かに気が付いたら直ぐに教えてくれ」

 

 「承知しました。 ……微力(びりょく)を尽(つ)くします」

 

 そう言って彼が首(こうべ)を垂れる直前、エリオンの目に入ったマリオの表情は一瞬(いっしゅん)僅(わず)かに綻(ほころ)んで見えた。

 

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