時は、一月ほど遡る。
エリオン・アンダマンにとって耐え難い、かといって忘れる事は許されない一連の出来事はここから始まった。
◆◆◆
帝国東部イズーダン。
亡きアエル・アンダマンが立ち上げた開拓領の中心に、彼の妻子が今も暮らす邸宅が在る。
その晩、一日の仕事を終えたエリオン・アンダマンは屋敷に届いた郵便物に目を通していた。
多くは領内の文官や各領地の代官が纏めた報告書だが、中には家族それぞれへ宛てた個人的な書状も混じっている。
一先ずは公用の書類と私用の手紙を選分け、その中からさらに自分宛の手紙を取り分ける。
そこに一通、奇妙な封筒を見つけた。 極めて質の良い紙を使った、薄い緑色の封筒。 封蝋には見覚えの無い印章が押されている。
裏を見ると、そこには一言だけ〝エリオンへ〟と 書かれていた。
ナイフで封筒を開け、中身を取り出して折り畳まれていた手紙を開く。
それは領内の商会に勤務する知人からの私信……近況報告を装った、密偵からの報告書だった。
◇◇◇
……
……
……
アエル・アンダマンとリアンノン・アンダマンの二男にして、
イズーダン領主 アーロン・アンダマンの懐刀
〝物読み〟エリオン・アンダマン殿へ
追伸……近いうちに預かって頂いている鍵を取りに伺います。 久方ぶりのイズーダン料理が待ち遠しい!
◇◇◇
当たり障りの無い世間話を中心に、専用の暗号を用いて作成された報告書。 内容は概ねいつも通り。
ところが、その手紙の締めくくりに書かれた一文にエリオンは小さな違和感を覚えた。
預かっている鍵……これはいいとして、この「物読み」という呼び名。 思い出せないが、聞き覚えがある。
密偵からの定期報告は機密情報を孕むため、それらを隠すための特殊な言い回しつまり〝符牒〟を用いた暗号が決められている。
その為、暗号入りの手紙というものは無意味な言い回しをばら撒きつつ、その中に情報を紛れ込ませる。
物読み。 この言葉は符牒に含まれていない。
だが、どうしてか聞き覚えがある様に感じた。
何処かで聞いたか? ……演劇か何かの台詞が 頭に残っていたんだろう。
その時はそう考え、気に留める事はなかった。
それから半月程経ったある日、アンダマン本家からイズーダン子爵邸にピアルノー・アンダマンの訃報が届けられた。
◇◇◇
「エリオン様 お待ちしておりました。 どうぞお通りください」
本館付きの執事に案内され、玄関扉を通り抜けて真っ直ぐ執務室に入って行く。
「領主。 只今到着しました」
一礼し、相手の返答を待たずに面を上げた。
エリオンが入室した時、執務室では二人の人物が向かい合っていた。
重厚な書物机を前に立派な椅子に座っている男性。 彼はエリオンを見ると少しホッとしたような表情を見せた。
そしてもう一人、その男性に向かい合うようにして立っている女性。 エリオンに背を向けている彼女の表情は窺い知れないが、その挨拶には気づいたであろう。
「あぁ、エリオン。 呼び出してすまん。 まずは座ってくれ。 母さんも、さあ」
男性が立ち上がり、手振りで長椅子を指し示す。 逞しい体格の持ち主。
彼こそがエリオンの兄であり、イズーダン領の現領主にしてアンダマン家分家の長、アーロン・アンダマン子爵だ。
一方、彼に向かって立つその壮年の女性は暫くアーロンから視線を移さずにいたが、小さな溜息を吐いたあと、長椅子に腰を下ろした。
背が高く、姿勢の良い立ち姿。 鋭角で堀の深いはっきりとした顔立ち。
彼ら兄弟の母、リアンノン・アンダマンその人である。
二人が長椅子に掛けるのを見届けてから、アーロン・アンダマンは話を始めた。
「すでに聞き及んでいるだろうが、ピアルノー殿……叔父上が探索中に亡くなったそうだ」
エリオンは無言で頷いた。
「で、これが本家からの書状だが……」
そう言って手紙を顔の高さに持ち上げる。
「……実際は一足先に帝都へと帰還した隊員の証言と、今日までの状況を鑑みて 叔父上が〝死亡した事実〟の受理がなされた、という事らしい」
死亡の受理。
一定以上の期間、所在不明となった人々……失踪者や行方不明者を死亡した、と看做す公的な承認の事だ。
「失踪扱いですか」
「ん。 失踪の果てに帰還の見込み無し だな」
ピアルノー・アンダマンはその実績と経験を買われ、一線を退いた後も辺境探索の監督役を引き受けていた。
直近の報告によると ピアルノー叔父含め彼の参加する部隊の大半が行方不明となり、予定を一年以上超過した今現在も駐屯地では未帰還者の捜索が続けられているらしい事は聞いていた。
しかし帝国領外の、それも辺境域への探索行というものは 総じて長期化する傾向がある。
現にピアルノー・アンダマンが嘗て編成した無数の遠征も、当初の予定通りに帰還出来た事など数えるほどしか無い。 そういう物なのだ。
にも関わらず、著名な冒険者であるピアルノー叔父の未帰還を以て打ち切るが如く、この遠征を失敗に終わらせる意図とは?
「……何者かが、叔父上の死亡を帝室に申請した という事でしょうか?」
「そういう事だ。
どうやら、先の探索行で叔父上率いる部隊が皆諸共音信不通になってから定期的に隊員達の生死確認の申請が出されていたようだ。
探索に同行した使用人の家族や関係者、帝都在住の出資者まで、記録上の申請者は毎度毎度別の人物だが……かなり巧妙に根回しをしているらしく、誰が音頭を取っているか、今のところは判らない。
しかし遂に、それが受理された。 叔父上は公的には亡くなったのだ」
エリオンは視線を落として 頷いた。
ピアルノー・アンダマン……アンダマン家の異端児。
目立つ人だ。 家中にも敵対する人間がいるかも知れない。
とはいえ、アンダマン本家と叔父の確執は祖父存命の頃のことで、それも昔の話だと聞いている。
となると 叔父の〝公的な〟死によって得をするのは誰だ?
狙いはピアルノー・アンダマンの遺産だろうか。
アンダマン本家当主……ピアルノー・アンダマンの実の兄。
いや、寧ろ…… ピアルノー叔父と現当主の兄弟仲は決して悪くは無かった。
私見に過ぎないが、あの当主が叔父の死を願うとは考え難い。
大体、遺産相続の権利は第一に叔父の妻、次にその子供にある。
叔父の兄弟姉妹、つまりアンダマン本家の人間達が嘴を挟む余地は、叔父の遺族に比べればずっと小さいはずだ。
精々、嘗ての叔父の生活拠点であった旧代官邸に残置されている物品……有象無象の蒐集品……。
となれば、考えたくは無いが……叔父の妻君か、その関係者かも知れない。
「……叔父上の遺産はどうなるんでしょうか」
「エリオン、人を待たせています。 続きはそこで」
それまで口を噤んでいたリアンノンが立ち上がり、そのままついて来るよう息子達に無言で促した。
話を遮られたエリオンがアーロンを一瞥すると、兄は何とも言えない表情をし、僅かに肩をすくめてから立ち上がった。
◇◇◇
リアンノンに先導されて三人が応接室に入ると、来客用の長椅子にかけていた人物が立ち上がって会釈をした。
歳の頃は幾つだろうか。 かなりの老齢に見える。
オーデンと名乗るその男性は自身がピアルノー・アンダマンの管財人を担っている事と、叔父の遺産分けのために執り行われる協議に立ち会う証人として、ピアルノーから指名を受けている事をエリオン達に説明した。
「私がここに参りましたのは、故人から信任された証人として、その職務を全うするために御座います。
故人は生前、自身の遺産が正当に管理され、また全ての権利者に過不足なく継承される事を望んでおられました。
つきまして、その遺志を完遂するにあたり、各相続権者に御挨拶を差し上げている次第に御座います」
そう言ってから、オーデン氏は封のされた書状を懐から取り出し、これぞピアルノー・アンダマンからイズーダン子爵アンダマン家一同への遺言である、と三人に述べてから、その場で開封し内容を読み上げた。
◇◇◇
それは、父の生きていた頃の思い出に始まり、最近の無沙汰への謝罪と、自分に代わって叔父の遺族にそれとなく気をかけて欲しいという、控えめな要望の入り混じった手紙だった。
◇◇◇
その中身はさておき、蔵の奥から引っ張り出されて来た古文書の様な、齢の知れない老人が独特の抑揚をもってピアルノー叔父の書いたであろう文章を音読するのは、実に奇妙な光景だった。
多分同じ様に感じている兄に目配せしようと思ったが、瞳が歪むほど目に涙を溜めている母に気づいてやめた。
遺言を読み終わると、老紳士はヨロヨロと長椅子に腰を掛け、卓上に置かれたカップを手に取ってグイと水を飲んだ。
そうやって一服すると、くれぐれも内密にして欲しいと断った上で、証人である自分が抱えているジレンマを懇懇と語り出した。
後々考えると、どうやら母が兄と私の三人揃ってオーデン翁を出迎えさせたのは、この話を直接私達兄弟の耳に入れる必要があると判断したからだった。
それはピアルノー・アンダマンの遺産分割に関わる協議を実施する場所、その準備をする上で避けて通れない問題についての相談だった。
◇◇◇
オーデン氏曰く、彼の目下の悩みは故人つまりピアルノー・アンダマンが遺族のために遺産相続の会合場所として指定した家屋敷についての事らしい。
その打ち捨てられた邸宅は、〝旧代官邸〟と呼ばれている。 名前の示すとおり半世紀ほど前に役目を終えているものの、もともとアンダマン本家が南領に持っている飛び地を管轄する代官用の建物で、若き日のピアルノー・アンダマンが居住用に改修して以来彼が所有し、管理も行っていた。
この度、ピアルノー叔父の死亡に伴ってその敷地の管理権限がアンダマン本家に返還されるのだが、これが問題の発端となった。
しかも、我ら帝国貴族が封じる帝国法の中でも歴史が古い、貴族間の相続にかかわる条文が原因だ。
帝国法では、
"貴族の遺産分割に係る協議は、先ず遺言状によって指定された場所にて、証人立会いの下、相続人達の会合を以て開始する"
"会合を実施する場所と日程は、証人から当該の相続人達に通達されるまで、非公開を原則とする"
……という二つの規定がある。
これらの項目は、事前の不正を抑止するのがその目的とされている。
例えば遺産目録の改竄、一部の相続人による談合や相続人間の妨害行為、遺産に対する破壊や窃盗などの余地を排除するためだ。
その時まで、相続権者の素性は勿論、会合の場所と時間など一切の情報は公にされてはならない。 という考えらしい。
では、これの何が問題になっているのか?
要するに、旧代官邸の持ち主がアンダマン本家であるがため、彼らに会合前の準備を依頼できないのだ。
加えて、相続人間の権利の線引きが曖昧で広範であるがために、オーデン氏に代わって旧代官邸で準備を行う人材にも適任が居ないらしい。
一見するだけではオーデン氏が何を問題視しているのか、よく分からない。
しかし事実としてこの条文の存在によって、証人以外全ての相続権者が、会合の事前準備に携わることを実質禁止されてしまっていた。
今回の場合、本来であればピアルノー・アンダマンの遺言で遺産分割協議の会合場所として指定されている旧代官邸を事前に準備するに際し、証人は予め会場の所有者に依頼を出さなければならない。
会場の持ち主に事前許可を取る。 当たり前のことだ。
だがオーデン氏には、そうする事が出来なかった。
何故なら 帝国法の決まりに従えば、相続人の一方であるアンダマン本家の人間に、たとえ下準備が目的であったとしても遺産分割協議に関わる情報を知らせてはいけない。
即ち、
〝帝国南領にピアルノー本家が所有する旧代官邸がピアルノー・アンダマンの遺産分割協議の会場である〟
と云う事実を、前もって相続人に知らせてしまえば、それこそ、情報漏洩と見做される恐れがあるからだ。
会合を実施する場所と日程は、証人から当該の相続人達に通達されるまで、非公開を原則とする
つまりこれがオーデン氏が言うところの、アンダマン本家が抱える問題。
相続人でありながら、指定された会場の所有者でもあるアンダマン本家の立ち位置そのものだ。
それらの経緯を話す中で、彼はこのままでは職務を全うすることが出来ない、と仕切りに嘆いていた。
非効率で理不尽この上無い話だが、こういった二律背反は、割と頻繁に起こる。
仮に、帝国法に沿って従順に遺産分割協議を執り行ったとしよう。
包括的で曖昧な、この文言通りに下準備無く協議の場所に相続人達が集って、
〝さあ 話し合いだ〟
となったとして、順調に運ぶだろうか?
時に数週間に及ぶその協議の期間中、関係者の食事や滞在場所はどうなっている?
従者達の宿、食事ほか必要物資は? 誰がそれらを準備する?
貴族の遺産を分けるのだから、そう易々と終わらない事は目に見えている。
難事を熟す為には、何事も根回しが欠かせない。
この様な膠着状態では結局、誰かが補佐役を務めない限り遺産相続は始まらないし、終わらない。
さて、アンダマン家の分家や傍流まで見れば条件に該当する人間もいるではあろうが、南領と旧代官邸を知り、且つ相続人双方に関わりのある家は私達以外に無い事は分かっていた。
会合の補佐役として南領へ向かい、そのまま協議の続く限り旧代官邸に滞在するのは領主であるアーロン・アンダマンには難しく、ピアルノー・アンダマンと血縁の無いリアンノン・アンダマンも適任では無い。
そうして、ピアルノー・アンダマンの遺産分割協議、その会合の下準備を担う証人の補佐役として エリオン・アンダマンが指名される運びと相成った。