「叔父上の葬式には私が参列しようと思う」
オーデン氏が子爵邸を発った後、その日の夕食の席で三人が今後の予定を話し合っていた時のことだ。
アーロン・アンダマンの発言に、リアンノンとエリオンは食事の手を止めて彼を見た。
「まだ布告もされていないのに? 気が早いんじゃないかしら」
リアンノン・アンダマンはそう言ってから、錫の杯を口元に運んだ。
「すぐにされるよ」
アーロンの言うようにそう遠く無いうちに葬儀も執り行われる筈だ。
事実として、既に証人が遺産分けの準備に動き始めているのだから。
「そうね。 でも領主は領地に残りなさい。 私が行ってきますから」
するとアーロンは右手を額に乗せ、大袈裟な身振りで両目を覆い隠して首を振りながら言った。
「おぉ、かの厳かなるイズーダン執政閣下ともあろう御方が……何とまぁらしからぬことを仰られるのか」
「それは何のつもり?」
その芝居掛かった言い方に、リアンノンは眉根を寄せて訊き返す。
「いやなに、もしや母上……お歳を召されたせいで出歯亀趣味に目覚められたのかな?と」
「はあ?」
「いやいや、分かります。 他人の噂は楽しいもんですから……。 葬式ついでに叔父上の身辺を嗅ぎ回りに行くんでしょ?」
「……んぁ、な、失礼な子ね! そんなんじゃありません!!」
エリオンはイズーダンを離れられない。 南領出立に向けての準備をしなければならないからだ。
その為、叔父の葬式に招待されれば、必然的に二人のどちらかが参列する事となるのだが、互いにその役目を譲る気はない様だ。
そんな彼らを横目に、エリオンは改めてピアルノー・アンダマンの事を考えていた。
嘗てあれほど我が家にとって……私にとっても、大きな存在だったピアルノー叔父の死。
母も兄も早々にその事実を受け入れ、葬式の話をしている。
自身も、意外なくらい喪失感を伴わずにそれを受け入れることが出来ていた。
本人不在の葬儀。
比喩でも何でも無く、文字通り形骸化した儀式。
にも関わらず遺族とアンダマン一族にとって、心情の上でも勘定の上でも大きな意味を持っている。
こうして、かの名士の死は遺された者達によって淡々と手際良く処理されていく。
そう、貴族の死とはこういうものだ。
呆気ないような、虚しいような……。
「……ということだ。 エリオン、問題無いよな?」
「え? ああ、ごめん。 聞いてなかった」
「要するにだな、葬式には母さんと二人で行ってくる。 その時には留守を頼む」
「その必要が有るのなら構わないよ。
けれど、領主代行の任と南領行きの準備を私一人でこなすのはさすがに忙し過ぎるかな」
「うん。 じゃあどうすればいい?」
「まあ、外部の部下を領内業務に使って良いのなら問題無いと思う」
「お前の商会の人間か?」
アーロンの問いにエリオンが頷く。
「仕方が無いか。 ほどほどにな」
よし、領主のお墨付きだ。 公務となれば公金で支払いが立てられる。
タダ働きで会頭に嫌味を言われずに済むな。
◇◇◇
食事が終わった後、エリオンは私室で黙々と書き物に勤しんでいた。
正装から部屋巻きに着替えて書物机に座り、熱心に書簡を認めている。
そうして一通り仕事を済ませると、彼は大きく伸びをした。
少しすると立ち上がって安楽椅子に向い、そこに腰掛ける。
椅子の側の卓に積まれた手紙の束を手に取って、順番に検めていった。
日中に子爵邸に届けられた郵送物から取り分けておいた、エリオン宛の書簡だ。
そこに一際目立つ封筒を見つけて手に取る。
上質な薄緑色の植物紙。
特徴的な封蝋。
裏を返すと〝エリオンへ〟と書かれている。
ナイフの刃でその隙間を切り開き、中身を取り出した。
◇◇◇
私の教え子 最愛の弟の忘形見
君に託した例の物を受け取りに伺うのは、どうやら難
我が兄弟との約定により、委託物を私から君への遺産とし
この遺言を忘れず、君の才知を以て、正しく
その片割れは、南領にいる私の大切な
然るべく、箱の中身が受け継がれるよ
今こそ、役目を担って欲しい。
◇◇◇
斜めに切り裂かれた手紙。
封筒の内側を覗き見てみたが、もう半分は入っていない。
送り主の署名も見当たら無い。
なんだか……すこし不気味だな。
最初に手紙の内容を目にした時、エリオンは質の悪い悪戯を疑った。
そしてその直後、そこに書かれている断片的な言葉が彼の頭の中で歯車のように噛み合う。
◆◆◆
〝これは本来、アエルの役目だった。
お前の父……アエルが病に倒れた後、病床のアエルと相談して決めた。
エリオン お前に役目を託すと〟
◆◆◆
勢い良く立ち上がって書物机に向かい、引き出しにしまってあった開封済みの手紙を漁る。 そうして、一通の封筒を取り出した。
上質な薄緑色の植物紙。
特徴的な封蝋。
裏を返すと〝エリオンへ〟……同じだ。
二週間前に届けられた手紙もとい定期報告書が入っていた封筒。
中身を取り出し、見比べる。
文末の一行にエリオンの目が留まった。
〝追伸……近いうちに預かって頂いている鍵を取りに伺います。〟
取ってつけたような、一見無意味な追伸。
改めて見てみると、本文と筆跡が異なっている事も分かる。
後から書き加えられたに違いない。
つまり部下が私に送ってきた報告書を、何者かがその途上で掻っ攫って中身を取り出し、この追伸を書き加えた。
ついでに、この矢鱈と高価そうな緑色の封筒に移し替え、私の下へと送り出す。
無関係の二通を、目を引くような封筒を用いて関連付けたのか?
私への目印になるように?
……巧妙じゃないか。
内心ではあり得そうも無い馬鹿げた思いつきと知りながら、エリオンは口元が綻ぶのを抑えられずにいた。
鍵。
父の葬儀で、叔父が私に託したあの鍵。
文面から察するに、私からあれを受け取るためにイズーダン子爵邸へ訪れる予定が、何らかの事情で難しくなったのか?
では、この手紙は本当に叔父が私宛てに書いたのか?
とすれば、何時書かれた手紙なんだ?
有り得ない、しかし……まさか 生きているのか?
そうだとしたら何故こんな回りくどい真似を?
ここまで考えてから、ふとエリオンは安易にその突飛な結論に飛びついた自分を客観視し、自嘲混じりの溜息をついた。
馬鹿げている。 叔父の生存は……そうであったら良いけれども、この手紙がその証拠とはならないだろう。
寧ろ、これを書いた人間は私を揺さぶって、何かしらの行動を誘発しようとしているのでは無いか?
エリオンはもう一度、切り裂かれた手紙を手に取って読んだ。
曖昧でどうにでも捉えられる、訴えかける様な文章。
それでいて、暗にあの鍵と箱を指しているような言い回し……。
引き出しから鍵束を取り出すと、手紙と一緒に手に持ったまま廊下に走り出た。
◇◇◇
灯りの消された寝室の扉が開く。
中に誰かが寝ている様子は無い。
部屋に立ち入ると、溜まった空気が動き出して、そこに積もっていた埃と一緒にさざめく様子が目に見える気がした。
久しく使われていないその寝室は、エリオンの幼少期の私室であり、今は彼の弟の物となっている。
イズーダン子爵家の末子であるリオネル・アンダマンは、その姉と同様に帝都の学園付きの寮で生活をしており、実家に戻るのは年に数回の長期休暇の期間だけだ。
屋敷内の他の部屋と比べると色合いが全体に鮮やかで、いかにも子供が好みそうな内装に仕上げられている。
エリオンはそこにある賑やかなタイルや壁紙、飾漆喰を眺めながら、昔の自分と同じようにいずれ弟もこの部屋が嫌だと言い出すだろう、と考えていた。
と、そこで壁沿いに部屋を移動していたエリオンが突然立ち止まる。
その目の前の壁面には、獅子の頭部を形どったタイルが嵌め込まれていた。
彼は徐ろに両手の指先でその顔の縁を囲うように掴むと、そのまま真っ直ぐに引きずり出した。
そうしてザリザリと音を立てながら取り出した筒状の蓋を床に置き、ポッカリと空いた丸い穴に手を突っ込んで細長い包みを取り出す。
それは見るからに頑丈そうな鍵だった。
模様が飾り彫りされた、黒い大柄な鍵。
エリオンは鍵の持ち手部分にある紐通しの穴に、どこからか取り出した銀白色の鎖を通して首に掛けた。
彼はもう一度手紙を開くと、その文字列に視線を置いたまま、首から下げた鍵を片手でそっと握り込んだ。
順序立てて整理してみよう。
今朝、ピアルノー・アンダマンの訃報が齎された。
その日のうちに証人が我が家を訪れ、流れのままに補佐役へと就任した。
……ここ迄は、まあ、まだいい。
問題は、その頃合いを見計らったかの様に送られてきた手紙。
南領へ赴く私に宛てて届けられた手紙。
そして、その手紙に先駆けて届けられていた報告書。
そこに記されていた追伸文。 鍵を取りに伺います、か。
内容的には無関係だが、同じ植物紙製封筒に入っていた二通の手紙。
遺産分割協議の補佐役。
アンダマン家南領旧代官邸。
叔父の遺産。
小箱と鍵……。
決定的では無いまでも、無関係とも思えない。
そうなると、やはりこれは叔父が書いて寄越した手紙なのか?
しかし、仮にピアルノー・アンダマンの采配だったとしても、一体どうやって?
いくら何でも自分の死後の事柄までは予見出来まい。
全てを計算尽くだとしたら、流石に深謀遠慮が過ぎるだろう?
悪い冗談だ。
馬鹿げた考えだと繰り返し首を振るも、何もかもが自身を南領へと誘っているように感じられる事をエリオンは否定しきれなかった。
狙い澄ましたかのように、続け様に届いた二通の手紙が私に〝鍵の守り役〟としての立場を思い出させた。
手紙の主はほぼ間違いなく、ピアルノー・アンダマンの関係者だろう。 ……遺族か証人かもしれない。
となると、その真意は私にあの箱を探し出させることか、箱を開封させること? 或いはその両方か。
馬鹿正直に従うつもりは無いが……どうしたものか。
恐らく箱は叔父が保管しているのだろう。
叔父が明かさなかった、箱の中身は?
答えの出ない自問自答に陥りながらも、エリオンは心のどこかで隠し切れない昂りを感じていた。
それはとうの昔、子供の頃に諦めた夢の続きを見るような、純粋な高揚感だった。
まあ、やってみても問題は無いだろう。
南領での仕事ついでに、あの小箱を探す時間くらいは作れる筈だ。
もしかしたら本当に、叔父がお膳立てをしているのかも知れないし……。
彼の楽観的な考え方は正しかったのか、間違っていたのか。
この舵取りは後にエリオンと周囲の者達を、彼等が想いも寄らなかった運命の潮流へと落とし込むことになった。