海の下にあるはずの太陽の光がまだ見える。クワトロ上空はいまだ薄ら明るく、星も見えない。
ソウスケはフライゴンことトルーネンの背に乗り、眼下の高速道路に沿って進む。
「ハイパイに今帰ったらホリゼ教授に叱られる、いや研究費を切られる方が怖いな。ハイナレに行くには夜間クワトロ山地上空が辛すぎる。不時着して、リングマやアリアドスに喰われるのがオチだ。パイマイも遠すぎる」
フライゴンの後ろ、その背に耳と尻尾を出したイナホは立ち続けている。驚異的な体幹である。
やはり人間とは違うな。落としたら流石に倒れるのか?いや仮に出来たとしても、そのまま下から道連れだろう。ソウスケは考える。
落として仕留められるならトルーネンが実行していそうなんだよな。彼女の気性ならイナホへの怒りから多分やる。
ソウスケの背中から声がする。
「そろそろ薄明も終わるし、クワトロセントラルとかどう?」
暗殺計画を企てているソウスケに対してイナホが朗らかに提案した。
「クワトロのセントラル? ハイパイじゃないのか? いや、パイマイの方が人口はあるのか?」
「はい? 何言ってんの? クワトロセントラル見えてるでしょ?そこに」
街灯はあるが、クワトロの最大都市と言えるような光量は見えない。
「ハイウェイのジャンクション周りに市街地あるでしょ? それが、交通の要衝、クワトロセントラルタウンよ」
ポケセンの発着場に降り立ったトルーネンは鬱陶しそうに地面に身体をへばりつけた。ソウスケとイナホにさっさと降りろと言わんばかりに。
夜間着陸の設備に照らされたトルーネンのツルッとした肌がテカテカ光る。上空でぶち撒けたサイダーだ。
「私、先に休んどくわねー」
ポケセンに勝手に入るイナホを無視しながら、トルーネンに向き合う。オレンジのアイカバーの奥から睨んできたような気がしたが、瞬時に無表情に戻った。
「悪かった。今日は美味しいもん食わせてやるからな」
ソウスケは余計に睨まれた気がしながら、トルーネンにホースを向けた。
回復装置のチャイムが鳴る。
リーフェがその身体を弧に反らせてのびをする横でメラが飛び出す。
「わあい、マスター! 復活!」
ソウスケとの身長差を跳躍力で埋めた彼女はソウスケの首に抱きつき、頚静脈を狙おうとした。
「おい、メラ、吸血しかけてんぞ」
宿泊施設の鍵をカウンターで受け取り、ポケセン横の宿舎に向かったソウスケ。イナホがひょこっと現れた。
「貧相な設備ね」
「どこに目がついているんだ。布団がダブル、冷蔵庫完備。トイレも各階にあって水洗。大浴場もある。破格じゃないか。これが無料である素晴らしさをなぜ理解できない」
「急に早口になるわねあんた」
リーフェは激怒した。リーフェに旨味が分からぬ。けれども小麦の味については人一倍敏感であった。
ソウスケも激怒した。
「俺はこれをサンドイッチとは認められない」
「マスター。サンドイッチは、もっと堅くて、歯応えがあって、自由で救われてなくちゃいけないの」
「こら、食いものをダストシュートしないでよ、そこのパルデア人」
セキエイ圏の貧弱なサンドイッチはイナホの胃に収まった。
トルーネン以外ギチギチに詰まった、狭い布団。
熱い。
炎タイプ二匹に、猫は速やかに入眠するには暑すぎた。
……クワトロセントラルに着いてからは平和だったな。
夜は過ぎていった。
赤と青のツートンカラーの髪をした白衣の美人研究者、ホリゼが画面の向こうにいる。机の上に一つモンスターボールがある。
「やあ、元気にやっているかい。ソウスケ君。報告が途絶えているが、消息はどうかね」
彼女はからかうように話しかけてくる。内容からして本当にからかっていた。
「いや、今生きているからビデオ通話出来ているんですがホリゼ教授」
狭いポケセンの和室でソウスケはスマホを覗いていた。
「私は准教授だが。⋯⋯カイン君に聞いたところ割とマジでヤバかったと聞いたが」
その元凶がソウスケの両脇に二匹いる。二人、イナホとリーフェはすごくニコニコしている。
元来笑顔とは威嚇行為である。
「あ、はい」
ソウスケも笑顔である。
元来笑顔とは威嚇行為である。
「収穫が無いのか、収穫したマダツボミに襲われたのか知らんが、早く報告したまえよ」
ホリゼも笑顔を崩さずに言った。
「ハイソウシマス」
「さて、君の研究に役立てるために一つの動画を流してあげよう。これはあるトレーナーが自分のポケモンのとある問題行動について話すインタビューだ」
背景は清潔そうなダイニングキッチン。
一人の青年の両目を塗りつぶすように黒いラインが入っている。その後ろに両手が黒い竜の頭のパペットをつけたような赤髪の女がおり、その両目も塗りつぶされている。
「えー、あの日、(ピー)山に立て籠もり、(ピー)地方の全生命体をみな生贄に捧げて(ピー)を(ピー)しようとした(ピー)団のボスの(ピー)を蹴って潰して組織を壊滅させた前日のことですね」
ソウスケはピー音塗れの英雄譚に対して、あれかな、あの事件かな、と複数の伝説を思い浮かべていた。
「あの決戦は大変だったよねー」
後ろの女が言った。サザンドラである。その凶暴さと進化の困難さから、持つものはメサイアかフィクサーに限られる。それを擬人化させ、完全に彼女にしている彼の強さを疑うものはいないだろう。
「ああ。こいつが、頑張ってくれたからな。で、問題はその前日のことだ」
「ええ、私は脅迫したの」
「ああ。そうだった。前日にいきなり言われたんだ。やめようよと。負けたら貧弱な人間なんて、どんなザコポケモンにもミンチにされちゃうんだよ、と。でも負けたら地方ごと(ピー)になるから逃げるわけにいかないと言うと、ウォーグルで遠くまで逃げようと言うんだ」
彼は世間話のように続けた。
「もちろん僕は拒否した。そうしたら。いきなり押し倒してきて、ねえ、知ってる?私がマスターに噛みついたら、マスターなんか、脆いマスターなんかと言ってきたんだ」
「……そして彼女は、うわーんと泣き出してしまったんだ」
サザンドラの顔は真っ赤になっていた。
「だってマスターのその、終わりを想像してしまうだけで辛かったから」
英雄とその相棒の動画を見ていたソウスケから汗がダラダラ垂れる。
「という、動画なんだが、参考になったかな。愛情が深くても危害を加える可能性はある良い例だな。なつき擬人化の典型例だが、切り取れば一見怪しく見える場面もあるのだよ。ソウスケ君も似たような事例があったのなら報告しなさい」
「ハイソウデスネ」
相棒に締め上げられた俺の方が進行していないか?
ソウスケの手がきめ細やかなグローブの感触を感じる。リーフェが握り締めていた。
元来笑顔とは威嚇行為である。
「後、君がゲット出来るとは思えないそのキュウコンについても、また纏めなさい」
キモ。なんで分かんだよ。
ソウスケは笑顔であった。
「おーす! 未来のチャンピオン! レンゲは虫に愛でられる姫君こと、虫タイプのエキスパートだ。草タイプはすぐに食われてしまうぞ」
ジムのアドバイザーさんと名乗る男は言った。いつもお疲れ様である。
「あ、今日は相談に伺いましたんで、ジムの仕掛けは用意されなくて大丈夫です」
ジムは温室になっている。いそいそと男子達が何かの仕掛けを用意していた。地面が虫の糸まみれであり、足の踏み場がない。
落とし穴に落ちない試練か?それとも下からジムトレーナーが来るのか。いずれにせよここのジムトレーナーは良くやるな。
「ソウスケさんだな、ではこちらに」
木に同化した隠し気味の扉から控え室にソウスケは案内される。
「あなたがソウスケ⋯⋯ハイパイ大の学生さん!」
レンゲは自分より年下の女の子だった。薄いピンクの髪で、緑色のドレスを着ている。香水ではなく植物性の甘い匂いが漂っている。ソウスケは匂いがナゾノクサ系統かマダツボミ系統か検討していた。
「あたしはクワトロセントラルジムリーダーレンゲ! 虫タイプのことならなんでも聞いて! 挑戦じゃなければあなたのポケモン達確認出来るね」
他の手持ちとの関連まで見たいらしい。
メラ、リーフェ、トルーネン、イナホを並べていく。イナホはキュウコン姿だ。
「うわ、すごっ! こんな鍛えられたメラルバ久しぶりに見た! もうすぐウルガモスだね!」
彼女は飛びつくメラを撫でながら朗らかに言った。あの甘い匂いに突っ込んだのだろう。ソウスケの目的の一つがほぼ果たされた。
「⋯⋯あの、このレベルで進化していないの普通なんですか?」
「そうだね、普通かな。リーグトレーナーでもウルガモスへの進化は珍しいからね。滅茶苦茶進化レベルが高いらしいよ。私も大変だったなー」
メラはトルーネンより鍛えているのだが、そのレベルなのか。とソウスケは納得した。
「あ、そのフライゴンも良いね。可愛いよね。実質虫タイプだから愛でて良い?」
彼女はトルーネンの尾にぺちん、と柔らかくはたかれる。
おかしい。こんなにやんわりはたけたのか、こいつ。
「いやー。他の子達も明らかに強いから本気でバトルさせて欲しいよ。でもしないのか、残念!」
「⋯⋯ええ。パルデアのバッジはカウントされないし、一からクワトロのバッジを集めるとなると大分時間かかりますしね」
「やって損は無いと思うけどなー」
「ところで、もう一つの本題すけど、変な擬人化ポケモンの事例を知っていたら」
「ん?そうだねーそこの窓からジム内見えるでしょ。うちのジムトレーナーの一人に抱きついている二人。あれとか大分特殊だよ」
「ねえ、ねえ、ねえ、ねえ、ねえ、ねえ、ねえ、ねえ、ねえ!戦わせてよセワシ!」
ネッコアラのように角縁メガネの青年に抱き着く少女の片側。軽装和服に赤いワンポイントがある透明な翅。
「ねー、⋯⋯、私も戦わせてよセワシ」
もう片側は頭に輪っかがあり、背中に茶色い光輪みたいなものがついた、こちらも和服の少女。彼女も青年に抱きついている。
その二人の顔は瓜二つだった。
「ちょっとごめーん。セワシ君、ダブルシノブ貸してくれないかな、ちょっとインタビューしたいんだってさ」
ジム内部に入ったレンゲがセワシに呼びかけた。
「良いですよ。二人とも行ってきて」
二人はよりセワシに強く抱き着く。
「えー、嫌だ」
「えーー、嫌だ」
美少女二人にサンドイッチされているなんて、実にカインが羨やむであろう光景である。
セワシが二人に言う。
「行ってきなさい。間違っても私に1回でも触れられたらとか一撃でも入れられたらとか言うんじゃないぞ」
「なんで分かった?」
「なんで分かったのー?」
やるつもりだったのか。
「拙はシノブ!」
「拙はシノブ〜」
「テッカニンだよ! 便宜上テシノブ」
「ヌケニンだよ〜。便宜上ヌシノブ」
二人のツチニン系少女が言う。レンゲが補足する。
「シノブちゃんは元々、ツチニンとしてセワシの手持ちだったんだ。元々擬人化していたけど、少し鍛えたらテッカニンに進化してね。そして、ヌケニンも生まれたんだ」
通常のツチニンの進化である。そこに、ソウスケが口を挟む。
「もしかして、両方擬人化していたんですか」
「そう。だよね、セワシ?」
「そうですよ。しかも二人とも自認がシノブだったんですよ」
ソウスケは考える。ツチニンがテッカニンに進化して、なつき擬人化を維持するのは当然である。ヌケニンも技、性格が引き継がれることが確認されている。だが、ヌケニンになつき度まで引き継がれるのか。
ツチニン時代の記憶がヌケニンにもあり、擬人化を維持するほどの実態すらある。
もう一つの捻くれた考え方はなつき度では無く、ツチニンの擬人化状態がヌケニンにも引き継がれるということだ。
正直、ソウスケは二人の少女の魂の片方がぱっと複製されたというよりは分割されたと考えたかった。
「⋯⋯それだけで、論文書けそうなケースだね」
「ソウッすね。でも、なつき度による擬人化であることには差が無さそうです。非なつきという意味でカイのポケモン達のようなイレギュラーではありません」
ソウスケはクワトロセントラルホテルの広間で、ホリゼに報告していた。
エレガントというよりシンプルな内装のカフェの中、人間姿のイナホがショートケーキを美しい所作で食べている。横に抹茶ラテに手をつける余裕も無い緑髪の少女がいる。マスクも外して突っ伏している。
タイプ相性最悪のテッカニン娘テシノブの挑発に乗り、追いかけ回した結果だ。むしろ加速する前はリーフェの方が早くテシノブ本人やセワシにドン引きされていたのだが。
イナホ曰く、「初速でもテッカニンに勝てる猫ちゃんがすごいのよ。私も初速なら勝てるけど、加速されたら無理」
そこにソウスケが混ざり、お冷を飲む。飲み干したらお盆を持ったドータクンの擬人化、ユタカがついでくれた。
「なんで、ユタカさんがここで働いてんの?」
「ユタカで良いですよ。ご主人のご主人、イナホ様の分は補填しなければならないので。ちなみにミノルは皿洗いです」
ソウスケは思わず目頭が熱くなった。この従者は俺に対してここまで考えてくれていたのか。
それに引き換えあの女狐は、おとなしくしていたことと引き換えにカフェを要求してきやがって。
「あの、ご主人のご主人、代わりに払いますので何か頼んでください。頼まないと流石に⋯⋯」
ソウスケは広間に移動することを選んだ。
広間のソファの横にある郷土資料集。クワトロの霊峰ストーンハンマーの逸話集に目を通す。
「雪女、ユキメノコ類型集」
「ジグザグマ、マッスグマ類型集」
「神獣ロコン類型集」
「子成し御香による悲劇」
「⋯⋯死んだ人が現れる峰、最近?ポケモンの仕業?」
カインからの着信が鳴った。
「お前、今どこにいるんだ、え?クワトロセントラル?ムウマージの占星術すげーな。ドンピシャだ。ああ。アンリちゃんがお前には謝りたいんだってさ。ちょっと止められそうに無いから連れて行くぞ」
「あ、ソウスケさんに掛かってんのこれ? ちょ変われコラ」
カインの背景からムウマージことルナの呪詛や重量級ポケモン達の唸り声が響いている。やり合っているのか嬉しそうなマホイップ娘の鳴き声も聞こえる。ソウスケは通信をブチ切った。
こ、の、ば、か、や、ろ、う。
ソウスケはリーフェを叩き起こした。
「今晩はストーンハンマーのポケセンで寝るぞ。急げ、バスが無くなる」
ソウスケは逃亡を選択した。