蹄鉄の軌跡~あるいは馬(俺)の調教マニュアル~   作:斉宮 柴野

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実際の競馬界とは大きく異なる表現や設定がありますが、フィクションとして楽しんでいただければ幸いです。
今回は「新馬戦勝利後の大騒動」と「次走に向けた調教地獄」を描きました。真面目な成長物語のはずが、気づけば馬がブラック勤務してるお話になっています。


俺は競走馬、なぜか社畜

新馬戦でハナ差勝ちしただけなのに、俺たちはヒーローインタビューを受けることになった。なぜだ。普通ならサラッとVTRで終わるはずだろ。どうやら「中央競馬初の女性騎手、初騎乗初勝利!」というキャッチコピーが、スポーツ新聞どころかワイドショーまで釣り上げたらしい。さらに、たまたま現場に来ていたアイドルがゲスト解説をやっていて、その流れでインタビューが急遽生中継。俺に言わせりゃ完全に偶然の産物だ。

 

マイクの前に立つ萌。いや、立ってすらいない。膝から崩れ落ちて、地面に座り込んで泣きじゃくっている。

「やりました…!マストブリンガー君が、本当に…!」

泣きすぎて何言ってるか聞き取れねぇよ。字幕がなかったら放送事故だぞ。実況アナウンサーも困って「感極まっています!」と苦しいフォローを入れていた。

 

横で見ていた俺は、思わず鼻で笑ってしまった。だってそうだろ。俺はレース中に「負けたら乗り替わり決定」って本気で考えてたんだぞ?それが今は大観衆の前で「ありがとう」だの「一緒に勝てて幸せです」だの、まるでダービーでも制したかのように泣いている。ここまで喜ばれちゃあ、さすがの俺も降ろせなくなるじゃないか。

 

それにしても、インタビューのマイクを持ってるのがアイドルってのもカオスだった。髪をキラキラ巻いて「わぁ〜感動しましたぁ♡」とか言ってる。いや、お前絶対馬券買ってないだろ。隣でカメラマンが「泣き顔と馬のツーショットお願いしまーす!」と叫んで、萌が俺の首に抱きついて号泣カット。俺は完全に慰め役の彼氏か何かだ。

 

「今後の目標は?」

マイクを向けられた萌は、涙を袖で拭ってから、胸を張って高らかに宣言した。

「はい!この子と、無敗で凱旋門賞を勝ちます!」

 

会場がどよめいた。

「ええええ!?」

「凱旋門!?」

「無敗って…新馬戦ギリギリ勝ったばかりだぞ!?」

 

俺は天を仰いだ。やっぱりド素人だ、この女。せめて「まずは重賞を目指します」とか、現実的なコメントにしろよ!無敗で凱旋門賞とか、某二次元ゲームに毒されすぎだ。

 

アナウンサーが慌てて「いやぁ、大きな目標を掲げましたね!」とフォロー。観客は拍手喝采。なぜか涙ぐんでる人までいる。おい待て、みんな冷静になれ。俺まだデビューしたての新馬だぞ!?

 

しかも萌は調子に乗って続ける。

「世界中のお馬さんに夢と勇気を与えたいです!」

いや俺はまず賞金で牧場の借金返したいんだが。誰か通訳呼んでくれ。

 

インタビューが終わり、引き上げてくる途中。検量室前で服部騎手に会った。俺が本当なら乗ってもらう予定だったトップジョッキーだ。

「やるじゃねぇか、マストブリンガー」

「いえいえ、俺じゃなくて萌が…」と言おうとしたが、服部は俺ではなく萌に向かって「おめでとう。大舞台で会おうな」と一言。萌は「はいっ!」と満面の笑み。完全に騎手デビュー成功ヒロイン扱いじゃねぇか。俺の存在感どこ行った。

 

オーナーの美桜ちゃんは、スタンドで飛び跳ねてた勢いそのままにパドックに駆け込んできて、「萌ちゃんすごい!ブリちゃん最高!」と抱きついてきた。3人でぎゅうぎゅう。俺の首、窒息しそう。

「これでマストファームは安泰ね!」

安泰じゃねぇよ。勝ったのは新馬戦の1勝だけだ。賞金600万。ここから減っていくのが常識なんだ。お前は収支計算をしろ収支を。

 

その日の夜。厩舎に戻ると、同世代の馬たちが口々に声をかけてきた。

「おいおい、デビュー戦で勝っちまうとはな!」

「しかもあのポンコツ騎手で!」

「逆に尊敬するわ!」

 

いや、尊敬されるポイントそこなのかよ。俺の努力をもっと正しく評価してくれ。

 

萌はベッドに倒れ込むなり、「夢みたい…」と呟いて眠ってしまった。疲れと緊張で限界だったんだろう。掛け布団をかけてやると、無防備な寝顔でスースー寝息を立てている。

「まったく…凱旋門賞なんて軽々しく言いやがって」

そう文句を言いつつも、俺の心は少しだけ温かかった。こんなポンコツでも、誰よりも俺の勝利を喜んでくれたのは事実だからな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レース後、俺は表向き「次走に備えての休養」という理由で、一旦マストファームに戻された。新聞には「英才教育の一環」とか「馬優先主義」とか、それっぽい言葉が並んでいたが、真相はただ一つ。萌が「まだブリちゃんと一緒にいたい〜」と泣きついたからだ。

…おい新人騎手、俺は遊園地のぬいぐるみじゃねぇぞ。

 

だが、俺に本当の休みなど存在しなかった。

 

午前中は、生まれたばかりの妹の夜間放牧に付き合い、教育的指導。

「お兄ちゃん、夜はこわいよ〜」

「馬鹿、これからは昼夜問わず外を走らされるんだ。慣れとけ」

妹はすぐ疲れて座り込み、「やっぱ温泉がいい〜」と駄々をこねる。母ちゃん譲りの二足歩行で駆け寄ってきて、「妹ちゃんを甘やかしちゃダメよ!」とドヤ顔で説教する母ちゃん。お前が一番甘やかしてるんだがな。

 

昼は、母ちゃんの愚痴聞き。

「最近オーナーちゃん、馬房に来て写真ばっか撮ってくのよ〜。あれ写真集に載せてるんでしょ?プライバシーってものがあるのに!」

いや馬にプライバシー権ってあんのか?俺が「まあまあ」となだめていると、美桜ちゃん本人が「今日のおすすめ投資案件なんだけど!」とノリノリでやってきた。

「仮想草コインっていうんだ!草を仮想的に売買するんだって!」

「やめろォォォォ!!!」

俺は即座に彼女の携帯を蹄で弾き飛ばした。母ちゃんも「草は食べるものでしょ!」と珍しく正論を言う。

 

午後は牧場のレンタル事業の契約書チェック。税理士が送ってきたFAXをオーナーが「難しくて分かんない!」と泣きつくので、俺が蹄でスタンプを押す。さらに来年の種付け計画も俺が立案。母ちゃんが「次もルドルフ様がいいわ♡」とかウキウキしている横で、俺は血統表とにらめっこ。なんで俺がこのポンコツ牧場の経営者兼ブリーダーやらなきゃいけないんだ。

 

それだけじゃない。夜は牧場長の息子・啓太の家庭教師。

「ここ、分かんない…」

算数ドリルを見せられて、俺は思わず頭を抱えた。「分数の足し算か…よし、これは馬体重で考えろ。500キロの馬と480キロの馬を足すと…」

「980キロ!」

「そうだ、それを2頭で割ると…」

「490キロ!」

「そう!これが平均だ!」

…いや俺、何やってんだ。

 

そんなある日、牧場に見学に来たおばちゃんが俺を見て言った。

「あら、この馬さんずいぶん疲れてる顔ねぇ」

俺は即答した。「働きすぎなんだよォォォ!!」

 

美桜ちゃんは「そうなんだ!じゃあ休養延長だね!」とニコニコ。いや違う、そうじゃない。俺は牧場労働からの休みが欲しいんだ!

 

さらに悪いことに、妹が最近「兄ちゃんってかっこいい!」と無邪気に言ってくるもんだから、母ちゃんがドヤ顔で「でしょ?うちの子は最高なのよ」って調子に乗る。父親のルドルフの血統自慢まで始めて延々1時間。俺はその間ずっと相槌を打つ羽目になった。これ、拷問じゃないか?

 

そして極めつけ。夜、母ちゃんが真剣な顔で言ってきた。

「ねえ、あんた…来年のクラシック、勝てそう?」

「…まあ、勝つつもりだ」

「なら安心だわ。だってね、この牧場、あんたの賞金がなかったら破産するのよ」

おいィ!?!?母ちゃん、お前サラッと爆弾投げるなよ!

 

結局、俺の休養期間は「牧場経営、家族サービス、教育、投資防止」という四重苦で終わった。肉体的には回復しても、精神的には完全にブラック企業勤務。

次走?正直それどころじゃない。

 

…なぁJRA、俺は本当に競走馬なんだよな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

栗東トレセンに戻ると、待っていたのは再び地獄の調教だった。

「さあ、サウジアラビアCに向けて仕上げるわよ!」

未来ちゃん――俺のポンコツ調教師――が胸を張って取り出した調教メニューを見た瞬間、俺はその場でひっくり返りそうになった。

 

【地獄のスパルタプラン:毎日、3頭併せの追い切りを30本】

 

いや死ぬわ!!馬は機械じゃねえ!3本だってヘロヘロになるのに、30本って何?1日でクラシック潰す気か!?

 

俺が絶句していると、横から冷静な声が入る。

「待ってください先生」

萌だった。俺の鞍上…のはずだ。

「彼の回復力と筋肉の付き方を考えると、このプランはオーバーワークです。週2本の坂路単走で十分です。それ以外は馬なりのキャンター調整にしてください」

的確すぎる。まるで科学者か何かだ。

 

未来ちゃんは「うーん…」と唸りつつも、「じゃあそうしよっか!」とあっさり修正。完全に先生じゃなくて生徒だろお前。

 

そして修正版の調教が始まった。坂路での単走追い切り。俺の背中に跨るのは――なぜか萌ではなく大原師、つまり未来ちゃん本人だった。

「萌じゃまだこの子の末脚を引き出せないから!」

そう言って颯爽と跨った彼女のフォームを見て、俺は絶句した。

 

完璧。

膝で俺の胴をしっかりホールドし、手綱は柔らかく絶妙なテンション。指示は最小限だが的確。重心移動もバランスも理想的。

「うおおおお!?気持ちいい!!」

俺は思わず声を上げた。馬生でこんなにスムーズに走れたのは初めてだ。坂路を駆け上がりながら、俺は悟った。

 

…お前、騎手やれよ。

 

その間、萌は下でストップウォッチ片手に「ラップは12.4、次11.8です!」と冷静に分析を続けている。完全に調教師だ。

…もういい、今すぐ役割を交換しろ。

 

調教後、俺は息を切らしながら萌に言った。

「なあ…お前、本当は調教師やった方がよくないか?」

「えっ!?私、騎手ですよ?」

「お前の騎乗、荷物以外の何物でもないだろ。逆に未来ちゃんは完璧すぎる。あれは騎手の乗り方だ」

「で、でも…私、馬に乗りたくて騎手になったんです」

「知ってる。でもな、馬を走らせるのは必ずしも鞍上じゃない。プランを立てるやつ、育てるやつがいて、初めて馬は強くなるんだ」

 

珍しく真面目なことを言った気がする。萌は目を潤ませながら「私…先生に相談してみます」と呟いた。

 

一方で未来ちゃんは、「いやー楽しかった!また乗るね!」とケロッとしていた。お前ほんとに調教師か?

 

その日の夜、厩舎の先輩馬たちが口々に言った。

「おいマストブリンガー、お前のとこ役割逆だろ」

「見てたけど、完全に大原が騎手で萌が師匠だったぞ」

「これ、表向き逆にしてる意味あるのか?」

俺は首を振った。「ない。まったくない」

 

でも現実は厳しい。免許の問題がある。未来ちゃんが調教師免許を返上して騎手試験を受け直すなんて非現実的だし、萌が調教師免許を取るのも年単位の話だ。

つまりこの茶番は、まだまだ続くってことだ。

 

数日後、坂路でまた未来ちゃんが跨ってきた。

「ブリちゃん、今日は終い重点でいくよ!」

そのフォームは相変わらず完璧で、俺はスイスイと加速していく。ゴールした瞬間、心の底から「最高!」と叫びたくなった。

下で時計を取っていた萌は「上がり3ハロン35.8!」と冷静に評価している。

…だから!今すぐ役割を交換しろって!!!

 

こうして俺は、次走に向けて調教を積んでいくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

極めつけは、オーナーの美桜ちゃんだった。

トレセンに顔を出した彼女は、俺の馬体を撫でながらキラキラした目で言った。

「マストブリンガー君、次走は菊花賞にしましょう!京都競馬場の3000mよ!」

 

……。

 

自分の管理馬の馬齢も分からんのか、この女は。

俺はまだ2歳。3歳クラシックに出る資格すらねぇのに、いきなり3000mの菊花賞に出せって?

俺は蹄で地面をガンガン叩き、猛抗議した。

 

「ダメ!絶対ダメ!ルールブック持ってこい!2歳馬が菊花賞に出走できるか、最初から最後まで読んでやるから!」

 

オーナーは「え〜?」と唇を尖らせていたが、結局俺の説明に押し切られて断念した。ふぅ、危なかった。俺が出走取り消しになって新聞に「管理馬の年齢も把握していない」とか書かれたら、こっちの信用も地に落ちるからな。

 

結局、次走は東京競馬場で行われるG3、サウジアラビアRCに決定した。

クラシック戦線を占う重要な一戦。ここで結果を残せば、俺の評価は一気に跳ね上がる。申し分ない。

 

ただし、俺の心にはひとつだけ祈りがあった。

 

未来さん、頼むから俺の併せ馬の相手に、現役のG1馬を連れてこないでください。

「同じリアルジャダイ産駒だから参考になると思って!」って言って呼ばれてきたのが、ライス…じゃなくて「ダイスシャワー」いや名前変わってても正体はバレバレだろ!この世界じゃ去年から天皇賞連覇してる怪物だぞ!?

 

さらに「マイルで切れ味を磨こう!」って連れてこられたのが「トロトロサンダー」おい、それトロットサンダーだよな!?マイルの化け物相手に俺がどんな勉強になるんだ!?

 

極めつけは「スピード系の血統とも併せよう!」って言って現れた「ザクロバクシンオー」

いやいやいや!サクラバクシンオーのパチモンかと思ったら、走り見た瞬間に本物だって分かったよ!スタートからトップギア、ハロンごとに時計壊れてんじゃねえか!

 

格が違いすぎて調教にならない。俺が必死に食らいついてる横で、先輩方は「筋がいいな」「俺たちが現役のうちに上がってこい」とか笑顔で言ってくる。ありがたいけど、どうやってお前ら連れてきたんだ未来ちゃん!?お前の人脈どこで作ったんだ!?

 

そして萌さん。

俺の首筋には、まだ前走でお前が的外れに振った鞭の痕が残ってるんです。痛いんです。

馬だから絆創膏とか湿布とか貼れないんです。なのに「えいっ!」ってまた同じとこ叩くのはやめろォォォ!俺はMじゃない!

 

さらに「次はもっとタイミングよく当てられるように練習します!」って、違う!そこを磨くな!磨くとこはフォームとバランスだ!

 

そして最後に美桜さん。

俺はあんたの秘書じゃない。なんで会社の決算報告書を俺の厩舎に持ってくるんだ。

「ブリちゃん、赤字って何?」じゃねぇ!俺は競走馬だ!損益計算書を読む馬なんて聞いたことあるか!?

しかも「領収書って馬でも切れるのかな?」って俺に聞くな。切れねぇよ!俺の蹄は印鑑じゃねえ!

 

俺の祈りは、ただひとつ。

どうか神様、次のレースだけは普通の環境で走らせてください。

ライバルがG1馬でも、鞍上がポンコツでも、オーナーがバカでもいい。

せめて、「常識の範囲内」でお願いします。

 

……いや無理か、この世界じゃ。

 

 




「無敗で凱旋門賞!」発言から一気に暴走モード。
牧場もトレセンも常識が通用しないので、ブリちゃんの胃に穴が開かないか心配です。
次回はいよいよデイリー杯。果たして本当に“普通の環境”で走れるのか…?(走れない予感しかしませんが)
感想で「未来ちゃんに騎手やらせろ派」か「萌が覚醒する派」か、ぜひ教えてください!
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