蹄鉄の軌跡~あるいは馬(俺)の調教マニュアル~ 作:斉宮 柴野
実際の競馬界とは違う点が多々あるかもしれませんが、ギャグ漫画的世界観としてお楽しみください。
俺がそんな春先の出来事を思い出していたのは、東京競馬場の観客席で京王杯2歳ステークス(G2)を見ていたからだ。
体重500キロオーバーの競走馬が普通に観客席に座ってレーシングプログラムを読んでる。隣のおっちゃんは焼き鳥を食いながら「お、今日は馬券当たりそうだ」とか言ってるし、誰も俺を気にしない。さすがギャグ漫画の世界観、順応力が高すぎる。
お目当てはただ一頭。俺と同世代の怪物、ピーターⅡ。すでに新馬戦と札幌2歳ステークスを圧勝し、ここでも圧倒的一番人気を背負っている馬だ。
《さあ、ピーターⅡ、楽な手応えで先頭だ!後続を突き放す!強い!》
実況は熱を帯びていたが、俺は違うものを見ていた。
(こいつ、とんでもない芸当をやってのけるな…)
時計だ。ラップタイム。
最初の200mは11秒台。ハイペースで飛ばしたかと思えば、次の200mは13秒台まで落とす。そしてまた11秒台。つまり、極端なペースの揺さぶりを自ら仕掛けている。
後続の馬たちはたまらない。急にペースを落とされれば掛かる馬が出るし、追走リズムが狂えば脚を使わされる。スタミナは削られ、折り合いを欠き、結局は自滅。まるで二流のボクサーを翻弄する世界王者みたいな走りだ。
「やべえなあいつ…」
思わず呟いた。2歳の時点でこれをやれる馬は見たことがない。普通ならまだ幼い精神面や体力で不安定さが残るもんだが、こいつは既に完成の域に達している。
原作では「経験の差」なんて曖昧な表現で片付けられていたが、実際はもっとエグい。明確に頭一つ抜けている。
スタンドで見ている観客はただ「強い!」と盛り上がっているが、俺には分かる。この走りは相手を潰す走りだ。自分だけが楽をして、他を徹底的に苦しめる。騎手の腕もあるだろうが、馬自身がそういう走りを理解している。
「……面白ぇ」
思わず笑みが漏れた。手強い。間違いなく手強い。だが、こういうライバルがいるからこそ競馬は面白い。
もし俺が今の戦法のまま後方から差すだけなら、間違いなくこいつにやられる。ペースを操る相手に対して、差し一本調子じゃ勝てない。俺はスタミナと持続力を活かした、自分だけの武器を見つけなきゃならない。
京王杯は結局、ピーターⅡが後続を5馬身突き放して圧勝した。ゴール前ですら余裕綽々で、流すようにフィニッシュ。会場のファンは大歓声。
俺は一頭だけ、静かに笑っていた。
(いいぞ、ピーターⅡ。お前は最高のライバルだ。だが、俺は絶対に勝つ。スタミナとトップスピード、そして俺自身の経験でな!)
ギャグ漫画の客席で、焼き鳥の煙に包まれながら、俺は心の中で宣戦布告をしていた。
◆
「よし、次は俺の番だ」
2歳王者を決める大一番、**朝日杯フューチュリティステークス(G1)**に向けて、俺は意気込みを新たにし、英気を養うためにマストファームへと戻ってきた。
だが、厩舎の前にいたのは、俺が会いたくなかった珍客だった。
白い犬?いや、ロバ?いや、もう言うまでもない。うんこたれ蔵こと、マキバオーだ。
「…何しに来た?」
俺がジト目で尋ねると、たれ蔵は満面の笑顔で答えた。
「んあ!親分が、あんたに用があるって言ってるのね!」
その頭の上で、例のチュウ兵衛親分がちょこんと腕を組んでいた。見た目はただのネズミだが、口の利き方は完全に任侠のそれだ。
話を聞くと、どうやらたれ蔵にもようやく主戦騎手が決まったらしい。体重の軽い山本菅助。原作通りだな。あの小さな馬体を活かすには、確かに菅助しかいない。
だがチュウ兵衛親分は深刻な顔で言った。
「マストブリンガーの旦那。俺はただのネズミだ。レースの駆け引きなんざ分かりゃしねえ。だがな、菅助だけに任せるのも不安だ。俺もセコンドとして、調教や展開の知識を身につけて、あいつに的確な指示を出せるようになりてえんだ」
…なるほど。馬(たれ蔵)、騎手(菅助)、セコンド(チュウ兵衛)という三位一体システムを作ろうってことか。理屈は分かる。だが俺の心境は複雑だった。
「で、本多の社長に相談したらな、『それならマストファリゾート……じゃなかった、マストファームに行け』って紹介されたんでさ。旦那の牧場は日本一だからな」
……あの社長、また面倒事を押し付けやがったな。俺の牧場はリゾート施設じゃない。
「んあー!温泉入れるのねー!」
早速たれ蔵が放牧地の隅にある露天風呂にダイブした。温泉の利用料はちゃんと請求するからな。あとで美桜ちゃんにツケ回す。
「で、俺に何をしろと?」
温泉から湯気を立てながら出てきたたれ蔵に聞くと、チュウ兵衛が答えた。
「旦那の知識をちょいと分けてほしい。展開予想やラップ分析の基礎だな」
……確かに理屈は合っている。だが、冷静に考えてみろ。俺は競走馬だ。競走馬がライバルのセコンドを教育するって、どんな構図だよ。
「頼むよ旦那。ここで借りを作れば、いずれ返す。たれ蔵の未来にゃ旦那も関わることになるんだ。ここは一つ、男気を見せてくれや」
「んあ!頼むなのね!」
たれ蔵が無邪気に笑う。くそ、断りづれえ。
「はぁ…。分かったよ。ただし授業料は高いぞ」
「焼き鳥3本でどうだ」
「安すぎるわ!」
「マストファーム育成メソッド特別コース。施設利用料込みで、月額50万だ。支払いは本田リッチファーム経由で頼む」
「げえっ!金取るのかよ!」
「当たり前だ。ビジネスだからな」
こうして、俺の牧場に、日本一珍妙な弟子(と居候)が転がり込んできた。GIを前にして、俺の仕事がまた一つ増えた瞬間だった。
◆
初日からトラブルは起きた。
「んあー!今日はどこ走ればいいのね!」
「お前は黙ってコースを一周しろ!説明は親分にする!」
「旦那、直線でどのくらい仕掛ければいい?」
「心拍数を見ろ!たれ蔵のバテ具合を計算してラップに換算しろ!」
俺が講師で、チュウ兵衛が通訳で、たれ蔵はただ走るだけ。授業スタイルがすでにカオスだ。
さらに夜。厩舎の前で、俺の妹(ルドルフ産駒)がじっと見つめてきた。
「お兄ちゃん…あの白いやつ、なんでここにいるの?」
「ビジネスだ」
「ふーん。あんな小さいのに?」
「小さくても需要はあるんだよ」
妹の冷ややかな目に、俺は思わずそっぽを向いた。
それから数日、俺はたれ蔵とチュウ兵衛に「レース展開基礎講座」を開くことになった。
「まず、ペースには3種類ある。スロー、平均、ハイ。分かるな?」
「んあー、スローは眠くなるのね!」
「違う!お前が眠くなるかどうかの話じゃねえ!」
「スタート直後は位置取りが重要だ。ハナを切るか、控えるかで展開は変わる」
「んあー!ハナって鼻のことなのね?」
「ちげえ!馬群の先頭のことだ!」
……講師としての俺の忍耐力が試される日々だった。
だが意外なことに、チュウ兵衛は飲み込みが早かった。メモ帳(どこから持ってきたんだネズミが)にカリカリとラップタイムを書き込み、展開図を描いている。
「なるほど、旦那の言うことを聞けば、菅助にどう指示出すかの筋道が立つ」
「そうだ。それが分かればお前がレース中に“右だ左だ”と叫ぶだけでも価値がある」
「んあー!俺は何をすればいいのね?」
「お前は黙って走れ!」
数日後、社長が来て状況を見て大爆笑した。
「君の牧場は面白いね!黒鹿毛の2歳馬が講師で、白いポニーみたいなのが生徒で、ネズミが通訳だなんて!これは新しい観光コンテンツだ!」
「違う!商売にすんな!」
だが気付けば、俺たちの“授業”を見に来る近隣牧場の人間や観光客がちらほら増えていた。
「見て見て!ネズミがメモしてる!」
「白いのが温泉入ってる!」
「黒鹿毛が黒板に蹄で字を書いてる!」
いや、黒板はホワイトボードだ。マジックで字書いてるのは啓太(牧場長の息子)だ。俺が書けるわけないだろ。
俺は経営者脳をフル回転させた。
(…これ、ショーとして売れるんじゃねえか?)
「週末限定!マストファーム教育プログラム公開講座!」
「料金は?」
「大人2000円、子供1000円。温泉セットなら+500円」
気付けば完全に観光ビジネスに転化していた。たれ蔵は勝手に湯船で泳ぎ、親分は勝手に売店で解説本を売り始める。
「旦那、このテキストよく売れるぜ」
「ちょっと待て、それ俺の講義ノートだ!」
「コピー取ったから大丈夫だ」
著作権侵害だろ!
それでも効果は出ていた。たれ蔵の走りは日に日に無駄が減り、フォームも安定してきた。
「んあー!ぼく、ちょっと速くなった気がするのね!」
「気のせいじゃねえ。事実だ。俺の指導料は高いからな」
親分も自信を深めていた。
「旦那の理論で展開を読むと、菅助にどう声をかけるか明確になった」
「そうだ。ゴール前で『外に出ろ!』と叫ぶだけでも意味がある」
「んあー!ぼくは?」
「お前は真っ直ぐ走れ!」
◆
だが、オーナー美桜ちゃんは不満げだった。
「ねえマストブリンガー君、どうしてライバルを強くしてあげてるの?自分が損するじゃない」
「違うな。強いライバルがいるからこそ、勝った時に価値が出るんだ」
「へえ…。でもお金取ってるあたりが、すごくブリンガー君らしい」
馬に金勘定を突っ込まれるってどういう状況だよ。
ある晩、たれ蔵が真剣な顔で俺に言った。
「ねえブリンガー。ぼく、勝てるのかな…?」
「お前が?」
「うん。だってぼく、小さいし。周りはでっかい怪物ばっかりなのね」
一瞬、答えに詰まった。だがすぐに笑ってやった。
「勝てるさ。お前には親分がいる。菅助もいる。そして何より、お前には根性がある」
「んあー!根性!それなら負けないのね!」
急に元気になる単純さよ。だが、こういう奴が一番怖いのも知っている。
……と、そこへ未来ちゃん(大原師)が現れて冷たい声で言った。
「ブリンガー。アンタ、余計なことしてないでしょうね?」
「い、いや?ただのビジネスだ」
「弟子育成ビジネスとか、前代未聞よ」
……俺もそう思う。
こうして、俺は競走馬でありながら、教育者であり、経営者であり、そしてライバルのコーチでもあるという意味不明な肩書を背負うことになった。
だが悪くない。むしろ面白い。ビジネスは回り、ライバルは育ち、俺の知識も役立つ。
次のG1、朝日杯がますます楽しみになってきた。
ブリンガー先生による展開講座、いかがでしたか?
書いていて自分でも「お前馬だよな!?」とツッコミ入れながら進めていました(笑)
次回は朝日杯へ向けて、それぞれの陣営がどう仕上げてくるかを描く予定です。
感想で「親分のセコンド作戦はアリかナシか?」ぜひ教えていただけると嬉しいです!