蹄鉄の軌跡~あるいは馬(俺)の調教マニュアル~   作:斉宮 柴野

15 / 33
今回は少し真面目に、自分の戦術を固めたブリンガーの「逃げ馬宣言」を描いてみました。
もちろんその裏では相変わらずギャグ全開の日常ですが(笑)、いよいよ朝日杯を前に本筋が動き出します。
実際の競馬界とは違う部分も多いと思いますが、どうぞ世界観として楽しんでいただければ幸いです。


逃げるが勝ちの哲学

チュウ兵衛の指導は順調に進んでいる。ネズミに調教の筋があるかは知らんが、彼の熱意は本物だ。毎晩、ロッカールームにこもって過去のレースVTRを食い入るように見ては、「ここで仕掛けるのが常道だが、あえて待つ!」とか、「外差し勢の脚色を確認しつつ内ラチ沿いを突くべし!」とか勝手に解説している。お前、解説者に転職した方がいいんじゃないか?と思うくらいの熱量だ。

 

その甲斐あって、たれ蔵も1ハロン15秒のキャンターを楽々こなせるようになってきた。1歳の秋にしては上出来だろう。本人は「んあー!ボクもう日本ダービー出られるのね!」と調子に乗っているが、出られるわけがない。せめて新馬戦から始めろ。

 

一方で俺の方はというと、自分の走りについてようやく結論が出た。俺は――逃げ馬になる。

 

デイリー杯の勝ち方で確信した。俺には一瞬で弾けるような末脚はない。最後の直線で「差して追い込む」なんて芸当は向いていない。その代わり、どこまでも持つ無尽蔵のスタミナと、一度スピードに乗れば落とさず走り続けられる持続力がある。極論、1200メートル戦ならゲートが開いた瞬間からゴール板まで全力疾走し続けられるんじゃないかとすら思う。だったら答えは一つ。スタートからハナを奪い、後続をバテさせて俺の土俵に持ち込む。

 

俺は血統的にもその方向性に適性がある。父リアルジャダイからは怪物的なスタミナ、母父トウホウボーイからは高いスピード性能。だが、爆発力を決めるスプリント的瞬発力だけはどうにも薄い。だから差しや追い込みに回ると、どうしても最後の最後で切れ負けしてしまう。ならば自分から主導権を握ってしまえばいい。これならピーターⅡの揺さぶりペースにも付き合える。奴が11秒台、13秒台とラップを乱してきても、俺はマラソン選手よろしく淡々と走り続けて、最終的にバテたところを押し切る。これが俺の戦い方だ。

 

問題は、その戦術を誰が理解してくれるか、だ。

未来ちゃんは「やっぱり差しよ!直線一気の方がカッコいいもの!」と意味不明な理由で反対するし、オーナーの美桜ちゃんは「無敗で凱旋門賞!」しか言わない。戦術以前の問題だ。唯一、萌だけは俺の話を聞いて「理にかなってます」と分析してくれた。ただし萌はトランス状態じゃないと何もできないので、実際のレースで役に立つかどうかは未知数。

 

俺は自分で自分の調教メニューを組んだ。坂路を2本、最後までビッシリ。息を切らせてからプール調教。そこからキャンターで心拍数を落ち着けるリカバリー走。俺が馬房に戻ってハアハア言ってると、未来ちゃんが「ちょっとやりすぎじゃない!?」と焦っていたが、これくらいやらなきゃ心肺は作れない。

 

カスケードの母、ヒロポンさんにまで「アンタ、働きすぎで早死にするわよ」と心配される始末だが、大丈夫だ。俺は経営者でもあるから自己管理も抜群。栄養バランスのとれた飼い葉、質の高い睡眠、温泉での疲労回復。俺ほど福利厚生に恵まれた競走馬はいない。

 

それに比べて、うちの珍客二人はどうだ。たれ蔵は放牧地でドロドロになって転げ回り、「んあー!土の味は最高なのね!」と意味不明なことを言っている。親分は親分で、「旦那、この借金帳簿の付け方教えてくれ!」と経理を覚え始めている。何を目指しているんだお前は。

 

しかし、笑いながらも思う。俺は転生前、人間として競馬ファンだった。差し切りや大外一気にロマンを感じていた。でも今は違う。馬として生きてみて分かる。逃げは究極の戦術だ。逃げ切り勝ちほど気持ちいいものはない。ペースを作るのは俺。後続は全員、俺のリズムに巻き込まれる。支配する快感。これだ。これこそが俺の生き様だ。

 

次走の朝日杯、俺は迷わずスタートから飛ばす。ハナを切って、自分の世界に持ち込む。たとえ直線で後ろから迫られても、最後まで脚は止めない。差し切りなんてクソ食らえ。勝ち方にだって流儀がある。俺は、俺の流儀で勝つ。

 

 

夜、放牧地でカスケードと話す機会があった。

「先輩、朝日杯はどう走る?」

「決まってる。逃げる」

「ほう、面白いな。俺は差しだ。正反対だな」

「だからこそ面白いだろ。真っ向勝負だ」

カスケードがニヤリと笑った。

「なら、俺も楽しみにしておく」

 

そこへたれ蔵が乱入してきた。

「んあー!ボクも混ぜてほしいのね!」

「お前はまだ新馬戦すら出てねえだろ!」

「でもボク、逃げるの得意なのね!ただしスタートでつまずくのね!」

「致命的じゃねえか!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺の肉体改造は順調だ。トモの筋肉もパンパンにつき、息の入りも明らかに良くなってきた。美桜ちゃんが未だに俺のウォーキングプールを占領しているのは困るが(裸なので眼福ではある)、そこは耐えるしかない。俺は競走馬だ、下半身より心肺機能を鍛えろ。

 

それにしても、俺が育てた(?)未来ちゃんは、今や「若き名伯楽」として完全にブレイクしていた。俺以外の管理馬で、青葉賞に始まり函館記念、新潟記念、オールカマー、アルゼンチン共和国杯と、重賞を5つも制覇。俺を含めれば年間7勝だ。もう完全にトップトレーナー扱いされている。

 

だが、その裏で何が行われているかを知っているのは、俺と未来ちゃん本人だけだ。

「おい、明日の追い切りだが、少し重馬場が残るから、無理せず終いだけ伸ばせ」

「はいッス!兄貴!」

電話の向こうで返事をしているのは、未来ちゃんの管理馬である古馬のサラブレッドだ。…いや、なんで俺が他の馬の面倒まで見てるんだ!おかしいだろうが!俺は自分の調教だけで手一杯なんだよ!

 

しかも未来ちゃん、テレビでは「自ら騎乗して調教するスタイル」が斬新だと持て囃されているが、真実は違う。あれは俺が止めないと、彼女が脳筋スパルタ調教で馬を壊しかねないからだ。未来ちゃんの頭の中には「坂路×100本=強い!」という小学生みたいな方程式がインプットされている。危険すぎる。

 

一度、俺がうっかり見逃したら、未来ちゃんが若駒に「今日はゲートから2000m全力で走ってみよっか!」と平然と言い放ったことがある。その若駒は次の日にグッタリして、調教師会の獣医から「過労死寸前」と診断された。俺が「もう二度とやるな!」と説教してからはマシになったが、基本的に彼女は馬を壊す一歩手前で止めるタイプだ。まるでブラック企業の上司だな。

 

そんな彼女がテレビに映るときは、笑顔で「馬と心を通わせながら、一緒に成長するのが私の調教です!」とか言ってる。嘘をつくな。心を通わせるどころか、馬の悲鳴をBGMにしてるだろうが!それを全国放送で「名伯楽」扱いしてる競馬メディアの節穴っぷりには呆れるばかりだ。

 

それでも、未来ちゃんの騎乗技術だけは本物だ。調教で俺の背中に乗ると、完璧なバランスで邪魔をせず、しかも的確にギアを切り替えてくれる。調教中だけなら、服部騎手レベルだと思う。問題は、彼女が「調教師」であって「騎手」じゃないこと。適材適所って言葉を誰か教えてやれ。

 

俺は最近、本気で考えている。未来ちゃんを騎手に転向させ、萌を調教師に据えた方が世の中のためなんじゃないかと。萌は萌で、座学に関しては天才だ。血統診断から調教メニューの組み立てまで、理論的に破綻がない。トレセンでも「天才ブレーン」と噂されている。まあ、実際に乗せるとただの荷物なんだが…。

 

お前ら、絶対に役割を間違えてるだろ。

 

とはいえ、役割が逆でも俺の負担が減るかといえば、そうでもない。どうせ未来ちゃんは「マストブリンガー君の調教は私が責任持って!」とか言い出すだろうし、萌は萌で「データ的には明日も坂路で17-17を3本!」とか紙の束を持ってきそうだ。結局、俺が采配を振るわなきゃバランスは取れない。なんなんだ、このブラック企業感。

 

最近は社労士の先生にまで相談される始末だ。「マストブリンガーさん、未来調教師の労務管理についてアドバイスを…」って、俺は馬だぞ!?なんで調教師の働き方改革まで考えなきゃいけないんだ!?

 

でもまあ、結果は出ている。未来ちゃんの管理馬は片っ端から重賞を勝っているし、俺自身も無敗でG1戦線に挑む立場にいる。つまり、このチームはポンコツで脳筋でバカだが、奇跡的に機能しているってわけだ。

 

それにしても、美桜ちゃん。お前は本当に何とかならんのか。俺が心肺機能を鍛えるためにウォーキングプールを使いたいのに、なんで毎日そこで泳ぎの自主練をしてるんだ。「アスリートの彼氏に追いつくために体力をつけるの!」とか言ってるが、その彼氏って誰だよ?まさか俺じゃないよな!?俺は馬だぞ!?

 

俺の休養時間は、妹の子守り、母ちゃんの愚痴聞き、未来ちゃんの暴走ストップ、萌の座学チェック、そして美桜ちゃんのプール監視で全部潰れる。これが「名伯楽の管理馬」の日常だ。おい、社台の同期たち、俺と代われ。

 

 

 

 

 

 

 

 

萌は、相変わらず俺以外では勝ち鞍ゼロ。だが、今やアイドルとしてテレビのバラエティ番組に引っ張りだこだ。本人は「騎手としても頑張りたいです!」とか殊勝なことを言っているが、現実は歌って踊れる人気者。来年1月にはCDデビューも決まっているらしい。所属レーベルはソニー。いや、どこまで本気なんだよ。収入も騎手よりタレント業の方が多いそうだ。そりゃそうだ、騎手の方は俺にしか乗れないんだから。

 

まあ、俺としては別に構わん。このまま俺の専属騎手になって、俺と一緒に引退するならちょうどいい。引退後は「最強馬とその専属アイドル騎手」として全国のホールを回って講演会でもすれば、余生は安泰だ。俺がステージに立ったら、それはそれでウケるだろう。馬がマイクで喋っている時点で漫才みたいなもんだ。

 

ちなみに、俺の馬房はもはや馬小屋ではない。普通の馬房が畳一畳分の寝藁だとしたら、俺のは豪華スイートルームだ。まず、俺専用の電話回線が引かれている。牧場スタッフがFAXでやり取りしている時代に、なぜか俺の机には光回線が直結している。ネット会議までやれるぞ。寝藁の代わりにフランス製の高級ベッドが置かれており、マットレスの硬さはオーダーメイド。蹄で跳ねても沈まない特殊素材だ。

 

そして、執務用の机。これがまた重厚感のあるマホガニー製。椅子は革張りで、俺の体型に合わせて作られている。いや、馬のケツサイズに合わせたオーダーメイドチェアって聞いたことあるか?デスクの上には電話、タブレット、書類の山。来客用にネスプレッソマシンまで置いてある。完全に役員室だ。たまに未来ちゃんが「先生、相談があるんですが…」って入ってきて、俺の机の前で正座してる。逆だろ普通。

 

そんな俺のオフィスに、今日も萌がやってきた。テレビ収録帰りらしく、衣装のままだ。セーラー服風のアイドル衣装に、キラキラしたピンマイクがまだついている。おい、それで馬房に入るな。藁まみれになったら衣装代がやばいぞ。

「ただいま戻りましたー!」

「おう、おかえり。今日の収録はどうだった?」

「楽しかったです!でも、芸人さんに無茶ぶりされて、即興でモノマネしました」

「何のモノマネだ?」

「マストブリンガー君のモノマネです!」

「おい!」

 

彼女は俺の走りのフォームを真似して、手をカカトに見立てて地団駄を踏み始めた。スタジオは爆笑だったらしい。俺は爆笑じゃ済まん。全国ネットで俺の走りをネタにするな。あれは芸じゃなくて本業だぞ。

 

「でも安心してください!最後にちゃんと『私の一番のパートナー、マストブリンガー君です!』って言ってきましたから!」

「いや、だからって俺の動きをバラすな!」

 

そのあと萌は机の前に座り、アイドルスマイルから一転して真面目な表情になった。こういう切り替えだけは一流だ。

「それで、朝日杯の作戦なんですけど…」

やっと本題に入ったか。俺もペンを蹄でカチカチさせながら待つ。萌は資料を取り出して、堂々と発表した。

「スタートからハナを切って逃げます!」

「お前、俺の考えてたこと盗んだだろ」

「えっ、被りました?」

「完全に同じだ。まあいい。俺は逃げ馬に転向するって決めたし、朝日杯はそれを証明する舞台になる」

 

俺の作戦と萌の作戦が珍しく一致した瞬間だった。これは勝てる。いや、勝つしかない。だが問題は一つ。萌は緊張すると鞭が首筋に当たるんだよ。あれを本番でやられたら、俺はスタート直後に落馬するぞ。

 

「その前に頼みがある」

「なんでしょう?」

「CDデビューしたら、収録スタジオに俺も連れてけ」

「え?」

「俺がバックコーラスやる」

「無理です!」




ブラック調教師・未来、アイドル騎手・萌、そしてオフィス馬・ブリンガー。
書いている本人も「なんの職場コントだこれ」とツッコミ入れながら進めていました。
次はいよいよ朝日杯本番。ブリンガーの「逃げ」が通用するのか、それとも…?
感想で「逃げ戦術アリ?ナシ?」を教えてもらえると嬉しいです!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。