蹄鉄の軌跡~あるいは馬(俺)の調教マニュアル~ 作:斉宮 柴野
不良馬場、ライバルとの火花、そして陣営のポンコツぶりをギャグとシリアスを交えて描いてみました。
実際の競馬とは異なる演出もありますが、マキバオー的な空気感で楽しんでいただければ幸いです。
1994年12月11日、中山競馬場。
朝日杯3歳ステークス、決戦の舞台は冷たい雨に沈んでいた。
いや、沈むっていうか洪水だろこれ。俺の蹄がズボズボ沈むんだぞ。どう見ても競馬じゃなく障害物競走だ。
馬場状態は発表で「不良」。完全にドロ遊びの領域だ。こんなの子供の砂場じゃねえんだぞ。俺のスタミナでこそ耐えられるが、他の繊細なお坊ちゃま血統には相当こたえるはずだ。
パドックの周回が始まり、雨具姿のファンが傘を揺らしながら声援を送っている。
実況席からはいつもの声。
実況:
「さあ、GI朝日杯3歳ステークス!激しい雨の中、3歳王者決定戦のパドックです!解説は元騎手の本部さん、よろしくお願いします!」
解説・本部:
「いやあ、これはタフなコンディションですね。馬場が緩んで、完全に消耗戦。スタミナとパワーを持つ馬が浮上しますよ」
実況:
「人気は三頭に集中していますね!まずはデビュー以来無傷の3連勝、デイリー杯3歳ステークスを制したマストブリンガー。単勝3.2倍の3番人気!」
よっしゃ、3番人気。悪くねえ。ここまで来りゃ、人気より内容で示せばいい。
解説・本部:
「いやあ、マストブリンガー、馬体は見事ですよ。不良馬場も問題なさそうなトモの厚みとパワーを感じます。ただ、問題は陣営でしょうね。馬は強くても、チームが若すぎる」
やめろ!核心を突くな!
俺は思わず顔を背けた。なぜなら、その陣営が視界の端でとんでもないことをやらかしていたからだ。
パドックの馬主エリアで、白いチア衣装を着た美桜ちゃんと未来ちゃんが、雨に打たれながら全力で踊っていた。
「フレー!フレー!マ・ス・ト・ブ・リ・ン・ガー!」
お前ら何やってんだ。ここは応援団のステージじゃない。よりによって雨で透け透けだ。
白い衣装は完全に透け、下着のラインどころか、美桜ちゃんの乳首までクッキリ出ていた。おい、そこのカメラマン!お前のレンズは明らかに馬じゃなく美桜ちゃんを追ってるだろ!馬主の乳首抜き映像を全国中継すんじゃねえ!
未来ちゃん?未来ちゃんも楽しそうに跳ね回ってるよ。髪の毛ビショビショでアイドル気取りか?あんた調教師だろ!俺の調教メニュー考える方が先だろ!
しかも踊りながら「ねえマスト、明日の朝もう一本やろっか!」って口パクしてくるんじゃねえ!やらねえ!死ぬ!
実況:
「さあそして1番人気、こちらは京王杯3歳ステークスを圧巻の内容で制した無敗のピーターⅡ!単勝1.8倍です!」
ピーターⅡが悠然と歩いてきた。雨なんか意に介さない堂々たる姿。毛ヅヤは黒光り、筋肉はパンパン、まさに王者の風格だ。
ファンからも大歓声。俺と違って、ちゃんと馬を見て歓声上げてるのがムカつく。
実況:
「そしてもう一頭、無敗の2番人気ブジキセキ!新馬戦と芙蓉ステークスを連勝、こちらも底を見せていません!」
おっと、ブジキセキもいたか。こっちは名前の通り地味にしぶといタイプ。中山の不良馬場、こういう馬が浮上してくるんだよな。嫌な存在だ。
実況:
「この3頭、人気は割れています!果たして世代の頂点に立つのはどの馬か!」
解説・本部:
「いやあ、どの馬も良い仕上がりですね。ただ、マストブリンガーは陣営が…ああ、ほら、馬主さんと調教師さん、また踊ってますよ」
黙れ解説!頼むからこれ以上言うな!俺は今にも「馬主と調教師の羞恥プレイに巻き込まれた黒鹿毛」という烙印を押されるところなんだ!
雨の中、俺は静かに首を振った。
ピーターⅡの風格、ブジキセキの堅実さ、そして俺のスタミナ。
全部ひっくるめて、今日の勝負は間違いなく歴史に残る激戦になる。
…その前に、俺のチームの恥さらしをどうにかしてくれ。
◆
「騎手騎乗!」
その合図と同時に、萌の空気がガラッと変わった。
カチリ、と見えもしないスイッチの音が聞こえた気がする。目は青白く光り、全身から変なオーラが立ち上っていた。お前ほんとに新人騎手か?どう見てもゾーンに入った格闘家だろ。俺の背中に跨ろうとしたその瞬間――
ズルッ。
「んぎゃっ!」
雨で濡れた鞍に足を滑らせ、見事に反対側へダイブ。
ずっこけ方が派手すぎて、パドックにいた観客全員の声が揃った。
「「「あーーーーっ!!!」」」
俺の耳が痛い!お前らコーラス部か!
美桜ちゃんと未来ちゃんは悲鳴を上げ、顔を真っ青にして駆け寄ろうとしていた。が――
萌はまるで何事もなかったかのように受け身を決め、くるりと回転してスッと立ち上がった。いや、その動き、完全に柔道の達人だろ。誰だよお前にそんな技仕込んだの。
観客からも「おおおお!」と拍手。おい!なんで落馬に拍手が起きてんだよ!俺はサーカス馬じゃない!
そして萌は何事もなかったかのように軽やかに俺の背中に飛び乗った。
鮮やかすぎて逆に怖い。さっきまでドジっ子だったのに、いきなりスーパーヒロイン。人格何人いるんだお前。
「…雨が降るな」
俺は思わずボソッと呟いた。
無視。完全無視。いや、そもそもさっきから土砂降りだし。俺が言いたいのはそういう意味じゃないんだよ。もう少し空気を読め!
すると解説席から声が飛んだ。
解説・本部:
「おっと、暁萌騎手、ここでまさかの落馬!しかし驚異的な身のこなしですぐに騎乗し直しました!」
実況:
「いやあ、びっくりしましたね!あれほど見事な受け身を取れるジョッキーは見たことがありません!」
違う違う!そんな特技いらん!お前らもっと心配しろ!
俺の耳元で、美桜ちゃんの怒鳴り声が飛んでくる。
「萌ちゃん!お願いだから真面目にやって!」
未来ちゃんも必死だ。
「そうだよ!あなたはこの馬の専属なんだから、落ち着いて!」
だが萌は青白く光る目をしたまま、まるで聞いちゃいない。完全に別世界に行ってる。もうこうなったら止められん。
俺は溜息をついた。
(よりによってGIのパドックで落馬芸披露とか、どんな伝説残すつもりだよ…)
観客の方を見れば、ファンの一部は腹を抱えて笑ってるし、一部は「萌ちゃんがんばれー!」と声援を送ってるし、中には「これも演出か?」と真顔で議論してるやつまでいる。違う!演出じゃねえ!ただの事故だ!
その間もピーターⅡは悠然と歩き、ブジキセキは集中した顔で黙々と周回していた。ライバルたちは完璧。対してうちのチームは馬主と調教師が透け透けチアダンス、騎手は落馬芸。どう見てもサーカス団だ。俺だけがまともに見えるが、馬がまとも枠っておかしいだろ。
だが、不思議と不安はなかった。
むしろ「これがうちのチームだ」と妙に納得してしまった。ポンコツの集まりだが、俺はこいつらと一緒にここまで来たんだ。雨が降ろうが落馬しようが、最後に勝てば全部笑い話だ。
◆
パドックの停止命令がかかった。各馬が足を止め、騎手を背に静かに佇む。
雨は相変わらず土砂降り。水しぶきが俺の蹄を濡らすたびに、体中の血が沸き立つ。これから始まるのはただのレースじゃない。世代の覇権をかけた戦争だ。
俺の隣にいたのは、黒光りする馬体のピーターⅡ。
「面白いチームだな、マストブリンガー。だが、今日はお前の茶番もここまでだ」
その声は静かだが、俺の耳奥に鋭く突き刺さる。
「不足はない、ピーターⅡ。お前を倒して、俺が世代最強を証明する」
俺も睨み返す。逃げ腰なんて一切なし。むしろ待ってたぞ、この瞬間。
…と、そこへ。ぬっと割って入ってきたのはもう一頭の無敗馬。
サンデーサイデンス産駒、ブジキセキ。名前からしてパチモン臭いが、オーラは本物だった。筋肉の張り、毛ヅヤ、そして立ち振る舞い。全部が洗練されてる。
「お二方、随分楽しそうですね。ですが、このレースを制するのは僕ですよ」
ブジキセキは涼しい顔で言い放つ。挑発というより、当然の事実を告げるかのように。
「俺が勝つ!」
「いや、私が勝つ!」
「僕が勝ちます」
三頭の闘志が、雨のパドックで正面衝突した。俺の鼻息と、ピーターⅡの眼光と、ブジキセキの冷静なオーラ。火花どころか、雷鳴が鳴り響きそうな雰囲気だ。
もちろん、人間どもも負けていない。
ピーターⅡの鞍上、山中が口角を吊り上げる。
「お手柔らかに頼むぜ、マストブリンガー!ただし、勝つのは俺だ!」
ブジキセキの鞍上、竹豊が涼しい顔で言う。
「先輩方、胸をお借りします。……まあ、勝つのは僕ですが」
お前まで本家のパロディか!いや、ちょっと似てるから余計に腹立つ!
そして――俺の背中の萌。
「あ、竹騎手!この間のテレビ見ました!すっごく面白かったです!私ファンなんです!」
おい待て。お前だけアイドル感覚で世間話すんな!
俺は絶句、ピーターⅡとブジキセキは怪訝な顔。山中も竹豊も「え?」みたいな表情だ。
お前ほんとに戦場に来てる自覚あるのか?GIレース前だぞ!?
未来ちゃんは未来ちゃんで、パドックの外から必死に応援している。
「萌ちゃん!集中!集中しろってば!」
いや、お前もさっきまで透け透けチア踊ってたろ。どの口で言うんだよ。
美桜ちゃんはチアのポンポンを振りながら叫んでいた。
「萌ちゃん!あの竹騎手のサインもらってきて!」
お前も乗っかるな!!俺が恥ずかしいわ!!
その光景に、解説の本部が半笑いでコメントしていた。
「いやあ、マストブリンガー陣営、やはり一筋縄ではいきませんねぇ…。でも、これが彼らの強さの源なんでしょう」
フォローになってねえよ!ただのイロモノ集団だ!
それでも、俺の心は妙に落ち着いていた。
ピーターⅡも、ブジキセキも強い。だが、俺には俺の走りがある。スタートから全開、最後まで押し切る。それが俺の戦法。
パドックに再び動き出す合図がかかる。俺たちはそれぞれの思惑を胸に、地下馬道へと歩き出した。
コンクリートの壁に蹄の音が響く。雨音と混じり、心臓の鼓動が加速していく。
「次は本馬場だ」
ピーターⅡが低く呟く。
「勝つのは僕だ」
ブジキセキが静かに断言する。
「いや、勝つのは――俺だ」
3歳王者を決める戦いが、ついに幕を開ける。
馬主と調教師の透け透けチア、騎手の落馬芸。
どう考えても「三流コント集団」ですが、ブリンガーが妙に冷静に締めてくれるおかげで、ちゃんと王者決定戦の空気になったかなと思います。
次回はいよいよ本馬場入場からレース本番!実況風に盛り上げる予定ですので、ぜひ最後までお付き合いください!