蹄鉄の軌跡~あるいは馬(俺)の調教マニュアル~ 作:斉宮 柴野
実際の競馬とは異なる描写もありますが、三強の死闘と、それぞれの未来への誓いを描きました。楽しんでいただければ幸いです。
ゴールまで残り50m!
誰もが「このまま叩き合って、3頭横並びで突っ込む」と思ってた。俺もそう思ってた。…だが。
《ピーターⅡだ!ピーターⅡが半馬身抜け出す!》
は?おい待て。俺とブジキセキはもう脚が棒だぞ!?
視界は真っ白、肺は火事場、尻尾は完全にフラフラ。
なのに――横のピーターⅡは、そこからもう一段階ギアを上げやがった!
(嘘だろ…ここからまだ**二の脚(にのあし)**があるのか!?)
(バケモンかよ!)
《ピーターⅡ!伸びる伸びる!世代最強の走り!》
俺の耳元で萌が叫んだ。
「ブリンガー君!限界を超えて!もう一度!!」
「無茶言うな!俺、今すでに酸欠で意識飛びかけてるんだぞ!!」
ブジキセキの鞍上、竹も絶叫している。
「残せ!残せええええ!」
「残す脚なんか残ってないですよおおお!!」
泥と汗と涙で、誰が誰やら分からない。
ただ一つ分かったのは――
ピーターⅡは本物だ。
俺やブジキセキが全てを吐き出した、そのさらに先を走っていやがる。
《ピーターⅡ!ピーターⅡ!一着でゴールイン!》
「くそっ…やられた…!」
俺は歯を食いしばった。
悔しい。悔しすぎる。だけど、爽快でもあった。
これだ。これこそ「世代最強」。
俺たちの限界を粉々に打ち砕く、底力の怪物。
ピーターⅡ――お前が、今の王者だ。
◆
ゴール板を駆け抜けた瞬間、俺は自分の心臓が破裂したかと思った。視界は泥だらけで何も見えねえ。耳もキーンと鳴って実況の声すらまともに聞こえない。とにかく苦しい。脚は棒切れ、肺は火事場、脳みそは完全にショート寸前。
「ブリンガー君!ゴールしました!」
背中の萌が興奮気味に叫んでるが、そんなこと分かっとるわ!問題は結果だ!
ふらふらと歩いて引き上げながら、電光掲示板を見上げた。そこに映った数字を見て、俺は目を疑った。
1分32秒1。
「………え?」
雨でぐちゃぐちゃの不良馬場だぞ?普通なら1分36秒とか37秒で十分勝ち時計だ。なのに、1分32秒台?どこの世界の高速馬場だよ!いやここはギャグ漫画の世界だった。納得した。いや納得できねえ!
実況も解説も叫んでる。
《出ました!1分32秒1!不良馬場で信じられない日本レコード!》
《いやもうこれは常識を破壊するタイムですよ!後世まで語り継がれる伝説でしょう!》
場内のどよめきが地鳴りみたいに響く。ファンも関係者も、口を揃えて「バケモンだ」と言ってる。ああ、知ってる。俺も走った当事者だからよく分かる。今日のレースは狂ってた。
で、肝心の順位。
《勝ったのはピーターⅡ!世代最強を証明する圧巻の走り!》
くそっ、分かってる。あいつは強かった。強すぎた。問題は俺とブジキセキのどっちが2着かってことだ。
電光掲示板が点滅し、結果が映し出される。
2着 7 マストブリンガー
2着 4 ブジキセキ
「………同着?」
俺は目を疑った。横でブジキセキも同じ顔をしてた。いや馬だから顔の表情は大差ないんだけど、雰囲気で分かる。
「なあブリンガー君、これってつまり…」
「俺ら、仲良く2着ってことだな」
「………はああああ!?こんな死闘の末に、一緒くたにされるとか納得できないですよ!!」
「俺だって納得できねえよ!ハナ差でもいいからどっちかにしろよ!」
後ろで萌とブジキセキの鞍上・竹豊(パチモン)が握手して「いやーいいレースでしたね!」とかやってる。おいお前ら、和解モードに入るの早すぎだろ!
◆
負けた……俺は負けた……。
あの時の坂の手応え、まだ脚が残ってるって信じてた。でも違った。最後の最後で、ピーターⅡのやつ、意味不明に二の脚を繰り出して俺たちを置き去りにしやがった。おかしいだろ、燃料タンクが二つ付いてるのか?ハイブリッドカーか?
「うわあああん!私のせいだぁぁぁ!」
いきなり背中で萌が泣き出した。あー始まったぞ。
「私がもっと上手に乗れてればぁぁ!マストブリンガー君は勝てたのにぃぃ!」
お前、あそこで鞍からスッテンコロリン落ちたやつが言うセリフじゃねえぞ?いや、あれは俺もビビったけどさ。
「泣くな。今日の騎乗は完璧だった」
「ほんとぉぉぉ?(鼻水ズルズル)」
「鼻水こすりつけんなぁぁぁ!!」
馬の耳の穴に突っ込んでくんな!洗浄液じゃねえぞ俺は!
でもまあ、内心では分かってる。萌のせいじゃない。美桜ちゃんでも未来ちゃんでもない。俺自身がピーターⅡに完敗したんだ。
(……やべぇ。あいつ、次元が違う。俺が全力でやっとこさギリギリ食らいつけるレベル。正直……もう一生勝てないかもしれねぇ)
そんな弱気が、チラッと頭をよぎった。
「アーハッハッハッ!」
いきなり爆笑が響いた。なんだ?この湿っぽい空気をぶち壊す野郎は?
ブジキセキだった。大雨の中で泥だらけになってんのに、竹騎手とハイタッチしてゲラゲラ笑ってる。お前余裕ありすぎだろ!
「いやぁ参った!負けましたよ竹さん!」
『おう、あいつ化け物だな!』
「でも楽しかったぁ!あそこから伸びるとか普通あり得ないでしょ!ねぇブリンガーさん!」
急にこっち来るな!俺は今、自分のプライドがボロボロで立ち直れないんだ!
「いやあブリンガーさん!あなたも凄かった!正直、僕、ちょっとナメてました!いやごめん!」
「いやごめんて……何か軽いな!」
「だって楽しいんですもん!今日で分かりました。あなたも僕のライバルです!来年のクラシックは、僕が勝ちますよ!」
そう言って、泥だらけの顔にキラッキラの笑顔浮かべやがった。おい、なんでそんな爽やかでいられるんだよ。俺なんか、心の中ドブ川みたいに濁ってんのに。
「マストブリンガー君、悔しい顔もイケてる!」
横で美桜ちゃんが写真撮ってる。やめろ!SNSにアップすんな!「♯泥だらけでも男前」とかタグ付けすんな!
未来ちゃんは未来ちゃんで「次はもっと強い調教メニュー考えますから!」って言いながら、俺の横で筋トレメニューをノートに書いてる。おい、いきなり『明日から1日坂路ダッシュ20本』って書くのやめろ!俺は死ぬぞ!?
極めつけは萌。
「わ、私……来年は絶対に落馬しません!」
おい、そこ誓うとこか?目標のハードル低すぎない!?
◆
勝者、ピーターⅡが歩み寄ってきた。雨に濡れてピカピカの鹿毛、こいつはシャンプーのCMでも狙ってるのか?ってくらい光ってやがる。
「今日は、俺の勝ちだ」
……おい、わざわざマウント取りにきたのか?俺は顔をしかめた。
「嫌味なら聞きたくねぇぞ」
「違う。逆だ」
そう言って、ピーターⅡは静かに首を振った。
「今日は勝てた。でも、明日勝てるかは分からん。この先、ずっとだ」
……ん?なんだその深いこと言う感じ。急に哲学者みたいになったな。
「お前と、そしてブジキセキと走って、確信した。つまり……また走りたくなった。どっちが勝つか分からない勝負を、全力でやり合いたい。来年、おそらくここで待ってる」
……。
あれ?めっちゃイイやつじゃんコイツ。勝者の余裕ってやつか?
「……あー、そうかよ。上から目線っぽいけど、まあ悪い気はしねぇな」
俺がそう返そうとした瞬間。
「キャー!ピーターⅡ様ーーー!!」
観客席の女どもが一斉に黄色い声をあげた。何だよ、様って。俺には「ブリンガーくん頑張れー」しか飛んでこねぇのに。差別だ!
ピーターⅡはそれ以上何も言わず、クールに踵を返した。雨に濡れたターフを堂々と歩いていくその後ろ姿……くっそ、絵になる。ポスターにしたら即完売だろうな。
「ブリンガー君!カッコよかったよ!負けても!」
おい美桜ちゃん、その慰め方は傷に塩塗ってんのと同じだからな!?
「ブリンガー君!来年はもっと強く仕上げますから!一緒にスパルタメニューを!」
未来ちゃん、お前の“もっと強く”は大体“死ぬほどキツい”に翻訳されるんだよ!やめろ、俺は馬だけどブラック企業に就職した覚えはない!
極めつけは萌。
「……あ、あの……」
なんだよ、今さらシリアスな空気か?
「わ、私……今日の落馬、全国ネットで流れちゃいましたぁぁぁ!」
お前かよ!せっかくピーターⅡがいい話で締めてくれたのに台無しだわ!
場内のスクリーンには、さっきの「スッテンコロリン」の映像がスロー再生で何度もリピートされていた。実況の「うわっと!暁萌、落馬ーっ!」って声がこだまのように響く。客席からは笑いと悲鳴が半々。おいJRA、空気読め。
「うあああああ!!恥ずかしいぃぃ!」
俺の背中で萌が暴れる。頼む、やめてくれ!蹄がもげるほど恥ずかしいのはこっちだ!
そんなドタバタの横で、ブジキセキが爽やかに近づいてきた。
「いやー、いいレースでしたね!僕は負けましたけど、超楽しかったです!」
お前、さっきまで絶叫してたよな!?体力のリカバリー早すぎんだろ。
「マストブリンガーさん、また来年、ここで勝負しましょう!僕はもっと速くなりますよ!」
……。
なんだよ、こいつら。勝ったやつも負けたやつも全員爽やかすぎるだろ。俺ひとりだけ胃に穴が開きそうなのに。
美桜ちゃんは「来年は勝利の口取り式でこのチア衣装着るね!」とか言い出すし、未来ちゃんは「調教用に馬用プロテインタンク買いました!」と笑顔で発表するし、萌は「落馬は絶対しません!」と宣言してる。……いや、せめて“勝ちます”を目標にしろよ。
ピーターⅡ、あいつは確かに強い。ブジキセキも恐ろしく速い。正直、俺は今日、自分の限界を見せつけられた。だが――
◆
ブジキセキの潔さ。ピーターⅡの敬意。
あいつらは、負けても勝っても清々しい顔をしてやがる。
……で、俺は何考えてた?
「一生勝てないかもしれない」?
バッカヤロウ!!弱気になるのも程があるだろ!俺はなんのために転生までしてきたんだ!
「萌!」
「な、何?」
「俺を叩け!気合を入れるんだ!」
「え?な、なんで?」
「いいから!とにかくビシッといけ!」
「う、うん、分かった!」
バシッ!!!!!!
頬に柔らかい感触。硬いのじゃない。これは……平手打ち?しかもなんかぷにぷにしてる。
「……おい、何で耳を叩くんだよ…。せめてクビ(首)にしろって言ってんだろうが!」
「ご、ごめんなさーい!顔の横に手が滑っちゃって!」
「滑るな!お前、雨で落馬したばっかだろ!滑るのはレースだけで十分だ!」
でも、不思議と気合が戻った。まあいい。萌のビンタ……いや耳叩きでも効果はあった。
俺は、去りゆくピーターⅡの背中に向かって、肺が裂けるほどの声で叫んだ。
「ピーターⅡ!次は俺が勝つ!またやろうぜ!何度でもだ!!」
雨上がりの空に俺の叫びが響く。観客席のオッサンが「おお!」と拍手したかと思えば、横のオバサンが「うるさい!」と座布団投げてきた。ここ競馬場だろ!大相撲じゃねえんだよ!
美桜ちゃんは涙を流して「マスト君、青春だね!」とか言ってるし、未来ちゃんは「じゃあ明日から二倍の追い切りメニューですね!」と元気に宣言してる。違うだろ!なんで再起の誓いが即ブラック調教に直結するんだよ!
そして萌はというと……。
「……あの、私、やっぱり平手じゃなくてムチで叩いた方が良かったですかね?」
「絶対やめろぉぉぉ!」
俺は慌てて全力否定した。競走馬が騎手にムチで顔を叩かれるなんて、週刊誌に載ったら大炎上だ。競馬界の未来に関わる。
そんなドタバタの中で、俺は改めて決意した。
負けは負けだ。でも、終わりじゃない。むしろ、ここからが始まりだ。
――クラシックシーズン。
皐月賞、日本ダービー、菊花賞。
あの3冠レースが、俺たちを待っている。
「萌、美桜ちゃん、未来ちゃん」
「な、なに?」
「え、呼ばれた?」
「はい、なんでしょう」
「お前らポンコツでも、俺のチームだ。どんなに足引っ張られても、絶対勝つ。だから、次も一緒に戦うぞ!」
「……うわあああん!マストブリンガー君ありがとうぅぅぅ!」
萌がまた泣きながら俺の首に抱きついた。苦しい。窒息する!
「マスト君!愛してるー!」
いや、それ馬主が馬に言うセリフじゃないからな!?
未来ちゃんは「よし、絆も深まったところで、さっそく坂路20本メニューを…」とメモ取り出してるし。ポンコツどころか鬼だろお前は!
でもまあ、いい。こいつらがいなけりゃ、俺はここまで来れなかったのも事実だ。
ピーターⅡ。お前は強い。確かに今日の俺じゃ届かなかった。
だがな――次は必ず倒す!
そしてブジキセキ。お前のその爽やかさ、次は叩き潰してやる!
……いや、叩き潰すっていうより、できれば普通に勝ちたい。あいつ、負けても楽しそうだから、勝ち甲斐があんまりないんだよな。
ともかく!クラシックの戦いはもう始まっている!
俺は改めて、空に向かって吠えた。
「世代最強の座は、俺がもらう!!」
――その声は、まだ湿った中山競馬場に、力強く木霊した。
ピーターⅡの勝利、ブリンガー&ブジキセキの同着。
書きながら自分でも「こんな結果になるのか!」と驚きつつ、熱と笑いを詰め込みました。
いよいよ次はクラシック戦線。ここからさらに熱くなる予定です。
ぜひ感想をいただけると嬉しいです!