蹄鉄の軌跡~あるいは馬(俺)の調教マニュアル~ 作:斉宮 柴野
実際の競馬とは異なる描写や、牧場のハイテク化などフィクション全開ですが、楽しんでいただければ幸いです。
朝日杯の激闘を終えて、年末年始の放牧タイム。
俺はマストファームに戻ってきた。
「どうせまたカレーなんだろ…」
そう身構えていた俺の予想は、いい意味で裏切られた。
馬房――いや、俺専用の執務室に戻ってみれば、デスクにホコリひとつ落ちてない。書類はすべてクリアファイルで仕分けされ、鉛筆まで削り揃えられている。
おかしい。いや、正直ありがたいんだけど、逆におかしい。
俺は違和感を覚えて、二足歩行のまま牧場長室へと突撃した。
「失礼するぞ!って、母ちゃん!?」
そこにいたのは、特注のゲーミングチェアにふんぞり返り、経営資料を蹄でめくる、我が母マストテイクだった。
「あら、おかえりブリンガー。朝日杯、惜しかったわね」
「いや、それより何してんだ!?こんなところで!」
「何って、見ての通り。私が新しい牧場長よ」
……は?
「前の牧場長、あまりに成長しないからクビにしてやったの。今はほら、掃除担当」
視線を向けると、元牧場長が満面の笑みで厩舎の床を磨いていた。
「いやー!馬と触れ合えるなら役職なんて要りませんよ!マストテイク牧場長の方が的確なんで!」
なんだこの幸福そうなリストラ社員。逆に救いようがねぇな…。
息子の啓太に至っては、母ちゃんの隣で秘書みたいに働いている。
「牧場長、来客です。あとB放牧地の蹄跡が乱れていたので、馬場整備の指示出しておきました」
……小学生がこの牧場の最大戦力ってどうなんだ。
美桜ちゃんに確認すると、
「有能な人――じゃなくて馬がトップになるのは当然でしょ?」
とあっさり言いやがった。いや、お前馬主だろ!その発想でいいのか!?
母ちゃんはドヤ顔で言う。
「仕事は頭脳でするものよ」
「いや、母ちゃん。身重なんだから無理するなよ?」
「安心しなさい。このゲーミングチェア、リクライニングもマッサージもついてるから」
……そんな問題じゃねぇ。
さらに驚いたのは、牧場の雰囲気だ。
・餌やりスケジュールは完全デジタル化。
・温泉施設の利用は完全予約制。
・馬房にはICカードで入室管理。
・スタッフのタイムカードは顔認証。
なんだこのハイテク牧場!?
俺がいない間にIT企業になってるじゃねぇか!
「ブリンガー」母ちゃんが資料をめくりながら言う。
「あなたの今後のローテーション案、まとめておいたわ」
「えっ、母ちゃんが!?」
「当然よ。私の息子だもの。勝たせるに決まってるでしょ」
資料を覗くと、
皐月賞、日本ダービー、菊花賞の三冠プランに加え、宝塚記念、有馬記念まで視野に入れた鉄壁のローテーションが組まれていた。
……おかしい。人間でもここまで頭回らないぞ?
「母ちゃん、まさかとは思うが」
「ええ、夜な夜なJRAデータベースに潜入して全頭の血統と戦績を分析してるわ」
「潜入!?それ犯罪じゃねぇか!?」
「安心しなさい。私は馬だから逮捕されないわ」
いや、そういう理屈で回避できるのか、日本の法律…。
一方、元牧場長は汗だくになりながらモップをかけていた。
「牧場長ってのはね、馬を第一に考えるべきなんですよ!私はそれに気づけた!今が一番幸せです!」
洗脳か?それとも本物の悟りか?怖い。
啓太はというと、母ちゃんにタブレットを渡しながら、
「母上、来週の会議で使うプレゼン資料は完成済みです。マストブリンガーのGI奪取計画はページ40に」
「ありがとう、啓太」
……小学生だよな?お前、何で会社役員みたいに喋ってんだ。
結局、母ちゃんのカリスマ経営力で牧場の体制は一新されていた。
俺が「馬房にWi-Fiが欲しい」と言ったら即日導入されたし、「温泉の温度が低い」と言えばIoT制御で自動調整されるようになった。
便利すぎるだろ。ここ、本当に牧場か?
「……まあいいか」
俺は飼い葉を食べながら思った。
ポンコツチームに悩まされる日々だったが、母ちゃんのおかげで少なくとも牧場は安泰だ。
「ブリンガー」
「ん?」
「次は勝ちなさい」
母ちゃんは、それだけ言ってまた資料に目を落とした。
シンプルだが、やけに説得力がある。
俺は心の中で答えた。
(ああ、次は必ず勝つ。クラシックで、ピーターⅡを倒してな!)
――マストファームの新体制のもと、俺の再起は静かに始まった。
◆
年が明けて、俺はのんびりと日光浴していた。
朝日杯の激闘もようやく一段落。たまにはゆるゆる過ごしていいだろう。
「ブリンガー先輩、聞いたか?カスケードが来てるってよ」
牧場スタッフの噂話が耳に入る。
(ん?あの漆黒の怪物が?)
興味本位で育成牧場の方へ足を運ぶと、そこには見慣れた青鹿毛――カスケードがいた。
まだ明け2歳になったばかりだというのに、古馬顔負けのハードな坂路調教をこなしている。
しかも時計を測ってみれば、ラスト2ハロン11秒台連発。化け物か。
(いや、すごい仕上がりだよ確かに。けどな、お前まだ2歳の新年だぞ。ここで無理したらソエや屈腱炎のリスクが跳ね上がる。少しは加減を覚えろ…)
俺が心配して見ていると、カスケードが俺に気づいた。
「マストブリンガー先輩!ご無沙汰しております!朝日杯、見事な走りでした!」
相変わらず妙に礼儀正しい。礼儀正しい怪物ってなんか気持ち悪いな。
「ああ。それよりお前、オフくらい休めよ。ヒロポンさんが心配するぞ。ちょうど温泉に来てるから案内してやる」
そう言うと、カスケードはプイッと顔を背けた。
「べ、別に母さんに会いに来たわけじゃない!俺はただ、ここの坂路コースを試したかっただけだ!」
出たよ、ツンデレ。
「そうか。じゃあヒロポンさんにはこう伝えておくよ。『カスケードは会いたくないと言ってる。だから母ちゃんは一人で温泉ゆっくり楽しんでくれ』ってな」
俺が踵を返そうとした瞬間、背後でドン!と砂を蹴る音がした。
振り返ると、カスケードがありえないほど取り乱している。
「ま、待て!待ってください先輩!そんなこと言ったら母さんが悲しむじゃないか!」
「ん?さっき会いたくないって言ったよな?」
「い、いや!俺はただ!その……タイミングというものがあるんだ!」
「タイミングねえ。つまり、お前は会いたいのか、会いたくないのか、どっちだ?」
「会いたいに決まっているだろう!」
「素直じゃない奴め」
結局、俺の案内でカスケードはヒロポンさんの元へと向かった。
「母さん…!」
「まあ、カスケード!あなた、また無理なトレーニングをして…!」
温泉施設で繰り広げられる親子の再会。俺は少し離れた場所から眺めていた。
最強の怪物の、俺だけが知る一面。まあ、たまにはこういうのも悪くない。
……で終わるかと思ったら、話はここからが本番だった。
ヒロポンさんは優雅に湯船に浸かりながら、息子をじっと見つめている。
「カスケード、あなた来年デビューなんでしょう?無理は禁物よ」
「わ、分かってる!俺はただ、強くなりたくて!」
「強くなるのは結構。でもね、母さんに会いに来たことくらい、素直に言ってちょうだい」
「~~っ!そ、そんなことは……」
「先輩、どうにかしてください!」
カスケードが助けを求めてきた。俺をなんだと思ってるんだ。ツンデレ矯正士じゃないぞ。
「じゃあ、俺が代わりに言っといてやろうか?『母さんに会いたくて来ました』って」
「や、やめろ!俺の口から言う!」
「なら言えよ」
「……あ、会いたかったんだ、母さん」
「まあ!」
ヒロポンさんが涙ぐむ。カスケードは耳まで真っ赤だ。
(やれやれ。怪物の正体はマザコンか。ファンが聞いたら卒倒するな)
だが、この後がさらに面白かった。
「カスケード、せっかくだから温泉に入りなさい」
「えっ!?お、俺は別に……」
「入れよ」
俺が背中を押すと、ドボーン!と派手に湯船に落ちた。
「ぬ、ぬるい!いや熱い!いや気持ちいい!」
「落ち着け」
◆
「まあまあ。今日は温泉でゆっくりしろ。俺が特別に貸切チケットを出してやる」
「…そ、それなら仕方ないな。少しだけ休んでやる」
お前、完全に休む気満々だろ。
温泉に浸かるカスケードと、その横で幸せそうに息子を眺めるヒロポンさん。
その光景を見て、俺はふと思った。
(あいつ、表では王者の風格で孤高を演じてるけど、中身はただのマザコンじゃねえか)
このギャップ、ファンに見せたら確実にイメージ崩壊だな。
「ブリンガー先輩」
湯気の向こうから、カスケードが真剣な目で俺を見る。
「俺は、負けません。朝日杯を見て確信しました。あなたも強い、ブジキセキも強い。でも、俺が最強です。世界の競馬史を塗り替えるのは俺です」
「へえ、言うじゃねえか」
「そのために、母さんにも誓ったんです。怪我をせず、必ず無敗でクラシック三冠を獲るって」
ヒロポンさんが小さく頷く。
なるほどな。だからあの鬼調教か。
「おう、望むところだ。だがな、こうして親子で温泉に浸かってる姿、俺がばらしたらイメージ崩壊するぞ?」
「や、やめてください先輩!!!」
風呂桶を投げつけてきやがった。危ないだろうが!
そこに、美桜ちゃんがまたもや乱入してきた。
「はいはーい!お風呂上がりの牛乳サービスでーす!しかも今日は特別にチアガールバージョン!」
おい、なぜその格好でここに来る!?温泉にチアガールはいらんだろ!?
「ひ、ひぃっ……!」
カスケードが顔を真っ赤にして湯船に沈んでいく。溺れるぞお前!
「……先輩。やっぱりあなたのチーム、カオスすぎます」
「俺が一番困ってるんだよ!」
結局この日、カスケードはヒロポンさんとしっかり親子の時間を過ごした。
そして帰り際に俺へ一言。
「先輩。今日のことは絶対秘密にしてください」
「考えておく」
「絶対だぞ!」
熱いレースの後に、あえてギャグと家族ネタを挟んでみました。
カスケードの「ツンデレ&マザコン」という一面を描くことで、彼のキャラクターをより好きになってもらえたら嬉しいです。
三冠を狙うブリンガー、ピーターⅡ、そしてブジキセキ……激闘はここからが本番です。
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