蹄鉄の軌跡~あるいは馬(俺)の調教マニュアル~   作:斉宮 柴野

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実際の競馬界とは異なる描写や演出がありますが、あくまでフィクションとしてお楽しみください。
今回は主人公ブリンガーの相棒・萌に焦点を当てた「覚醒回」です。芸人との出会いから「調整点」というテーマを学び、ポンコツから真のジョッキーへと成長していく様子を描いてみました。


ポンコツ騎手、覚醒す

年が明けて、俺はクラシックに向けた乗り込みを再開していた。泥んこレースの疲れもようやく取れて、筋肉も回復してきたところだ。よし、これからは調整しながらピーターⅡをぶっ倒すプランを立てるぞ…と思っていたら、世間はまったく別の方向で盛り上がっていた。

 

そう、萌ちゃんブームだ。

 

なんと、あの萌が1月に出したデビューCDが、いきなりミリオンヒット。しかもたったの1ヶ月でだぞ?バブルか?握手券でもついてんのか?いや、たぶん「馬と握手券」っていう意味不明な特典がついてるんだろう。俺の前脚でサイン書かされた紙束を思い出して、頭を抱えた。

 

気づけば萌は「話題の女性騎手」なんて枠を通り越して、今や国民的アイドル。街を歩けば女子中高生が「萌ちゃんポーズ!」とか言って真似してる。おい、そんなポーズは俺も知らんぞ。本人も知らんだろ。

 

で、その萌があるバラエティ番組に出ていた。俺は執務室(馬房)のタブレットでチェックしていたんだが、チャレンジ企画とかいう地獄が展開されていた。内容は、ベテラン芸人とコンビを組んで様々な難関に挑戦するってやつ。いや、アイドルなのか芸人なのかジョッキーなのか、ポジションをはっきりさせろ。

 

問題は、そこでの萌の立ち回りだ。芸人のボケに合わせようとするんだが、合わせ方が極端すぎて、完全にポンコツ化していた。たとえば、芸人が「ここでズッコケるボケやります!」って仕掛けたら、萌はマジで骨折する勢いで転倒する。いや、笑えねえよ!番組スタッフが本気で救急車呼びかけてただろ。

 

さらに「ギャグで大声出してください!」って振られると、全力で俺の名前を叫ぶんだ。

「マストブリンガー君ーーー!!!」

全国ネットで叫ぶな!俺が馬房で恥ずかしいじゃねえか!

 

見かねたベテラン芸人が、萌に真顔で語りかけていた。

「萌ちゃん、違うんだ。無理に俺に合わせようとして、君がゼロになる必要はないんだよ」

「え、ゼロ…?」

「そう。お互いのできること、できないことを理解して、二人で一つのゴールを目指せる“調整点”を探すんだ。それがコンビってもんさ」

 

その瞬間、萌の目がキラーンと光った。嫌な予感しかしない。

「調整点…?あ、競馬でも同じかもしれない…!」

いや、そりゃそうだよ。馬と人間の息が合わなきゃ走れねえからな。でもお前は今さら気づいたのか!?

 

そして次のコーナーで「萌ちゃん、熱湯風呂に挑戦!」って企画が出た。芸人が「熱い熱い!」ってギャグでやってるのに、萌は本気で飛び込んで本気で茹で上がってた。

「アッツーーー!!!」

お茶漬けかお前は。

 

でも不思議なことに、そのポンコツぶりが逆にウケて、観客は大爆笑。SNSでは「萌ちゃん天然かわいい!」ってトレンド入り。俺は頭を抱えながらも、「まあ、人気が出るのはいいことか…」と半ば諦めていた。

 

ただ、萌本人は芸人の言葉をガチで心に刻んでいたらしい。収録後のインタビューでこう語っていた。

「合わせるだけじゃダメ。私と相棒がそれぞれの力を出して、一緒に勝つ方法を探さなきゃいけないんです。だから今年は、ブリンガー君と調整点を見つけて、クラシックを勝ちたい!」

そのコメントにスタジオが「おおー!」って拍手喝采。俺の馬房では「おおー」じゃなくて「やっと気づいたのかよ!」ってツッコミが響いていた。

 

後日、厩舎に戻ってきた萌が俺に報告してきた。

「ねえブリンガー君、私ね、気づいたんだ!合わせすぎるとゼロになるんだって!」

「うん、知ってた」

「だから、これからはお互いのいいところを出し合って、調整点を探そう!」

「それ、俺がいつもやってることな」

「え、そうだったの!?」

こいつ、今さら何を言ってんだ…。でもまあ、少しは成長したのかもしれない。

 

こうして、国民的アイドルになった萌と、走るGMこと俺のクラシック挑戦が幕を開ける。だが俺の胸には一抹の不安が残っていた。

(…調整点って言いながら、また俺に全部調整させるパターンじゃないだろうな?)

 

 

 

 

 

 

俺が坂路でゼーハー言いながら調教してる横で、萌が美桜ちゃんに呼び出されていた。なんだなんだ、ついに俺を差し置いて結婚式の相談か?と思ったら、全然違った。

 

「萌ちゃん、お願い!私の馬主仲間から、どうしても君に乗ってほしいって頼まれちゃって!」

 

は?なんだそれ。俺以外の馬に、俺の騎手を貸し出すだと?貸馬ならぬ貸ジョッキー制度か?聞いてないぞそんなもん。

 

どうやら、俺の朝日杯激走と萌のアイドルブームのおかげで、美桜ちゃんは馬主仲間の人脈が広がったらしい。「あの新人騎手にウチの馬を乗せたい」って話が殺到してるんだと。いや、それは分かるけどな。分かるけど、俺の専属騎手だろうが!

 

「でも、私、しばらくブリンガー君以外に乗ってないし…」

萌がちょっと不安そうに言った。そうだろそうだろ。俺の背中の乗り心地は特注だからな。他の馬に乗ったら、たぶん「なんか背中が合わない…」って変な違和感に襲われるはずだ。

 

でも、その時、萌の目がキラーンと光った。おい、嫌な予感しかしない。

(調整点…試してみたい!)

あー、あの芸人の言葉を思い出してんだな。ゼロになるな、調整点を探せ、ってやつ。バラエティ番組で熱湯風呂に飛び込んだ結果、得た人生訓をこんなところで使うんじゃない。

 

「…分かりました。やらせてください!」

うわ、やる気出しちゃったよ。

 

その日の午後、俺の馬房に戻ってきた萌が、やけにドヤ顔で報告してきた。

「ブリンガー君、私ね、来週は別の馬に乗ることになったの!」

「ほう、それはおめでとう。で、どんな馬なんだ?」

「名前はグリーンフラッシュ号!まだ未勝利なんだけど、足は速いって評判なの!」

「ふーん…。で、そいつの気性は?」

「暴れん坊で、人を振り落としまくるんだって!」

「それ地雷じゃねえか!」

 

俺は頭を抱えた。なんでわざわざそんな危険物に新人アイドルジョッキーを乗せるんだ。絶対に「話題作り」以外の理由が見つからん。

 

「でも大丈夫!私、調整点を探すから!」

「お前、その“調整点”って言葉便利に使いすぎじゃないか?」

「えへへ、魔法の言葉だもん!」

やべえ、完全に洗脳されてる。芸人の一言でここまで人生観変える奴、見たことないぞ。

 

 

 

 

 

 

 

俺がせっせと坂路を走っている間、萌は「特命」ってやつで別の厩舎に呼ばれていた。例の「他の馬に乗ってくれ依頼」だ。まあ俺の耳にも聞こえてきたんだが、現場は相当カオスだったらしい。

 

厩舎に着いた萌を見た瞬間、その馬は顔をしかめてこう言ったらしい。

「あんたが、あの暁萌か!勘弁してくれよ!」

…あーあ。言っちゃったよ。馬同士のネットワークはマジで早い。トレセンのウワサは光より速い。

 

「お前のひどい騎乗の噂はトレセン中に広まってるんだぞ!俺の背中を滅茶苦茶にされるのはごめんだ!」

直球ストレートすぎる拒否。しかも胸元めがけて160キロ。審判止めろ。

 

その場にいた馬主と調教師が慌てて割って入る。

「頼む!一度でいいんだ!!」

「そうだ!このレースを勝てば、お前の飼い葉もグレードアップしてやる!」

やめろ。馬に「飼い葉賄賂」って現金渡すみたいなノリで言うな。これが通じるのがこの世界のカオスなところだ。

 

で、その馬は渋々承諾。条件は「一度だけ」完全にお試し乗車プラン。レンタカーか。

 

さて、その調教。俺も横で見てたんだが――。

いつもの萌なら、馬が暴れたら「わあああ!」って叫んで背中で高速タンバリン叩いてるようなもんだ。でも違った。妙に落ち着いてたんだ。

 

「ごめんね、まだ不器用だけど、あなたの邪魔はしないように頑張るから。あなたの走りやすいリズムを、私に教えて?」

……おお。ちゃんと会話しとる。しかも敬語。俺なんか「おいブリンガー君!」って呼びなのに、初対面の馬には低姿勢かよ。どういう基準なんだ。

 

最初は「信用できるかよ」って感じだったその馬も、だんだん耳がこっち向きになってきて、歩調も合ってきた。萌は馬の動きを無理に制御せず、ただリズムを聞き取って寄り添っていく。おお…珍しくちゃんと騎手してる。

 

「よし…じゃあちょっとスピード上げてみる?」

「ふん…分かった。だが変なことすんなよ?」

「大丈夫!あなたが行きたいように走って!」

「おい、マジで任せるのか…?…あれ、走りやすいぞ」

本当に会話してやがる。俺のときは「もっとだ!もっとだ!」しか言わねえのに。差別だろ。

 

で、追い切り。

結果――完璧。時計も文句なし、フォームも美しい。何より、馬が「悪くなかったな…」って顔してる。あの萌が、ついに「調整点」ってやつを体現してみせたのか。

 

調教師が大喜びで美桜ちゃんに電話。

「いやー萌騎手、最高ですよ!完璧でした!これならレースも期待できます!」

俺の馬房に戻ってきた美桜ちゃんは、両手を広げて叫んだ。

「やったー!これでまた株が上がる!スポンサーも増える!」

喜びのベクトルが違う。

 

その日の夜、萌は俺の横でゴロンと寝転がりながら語ってきた。

「ねえブリンガー君、私ね、初めて分かった気がするの。無理に相手に合わせようとするんじゃなくて、相手の声をちゃんと聞くことが大事なんだって」

「……今さらかよ」

「だって今までは、合わせる=いいことって思ってたんだもん。でも違った。相手が気持ちよく走れるように、私が“ずれる”勇気を持つのが大事なんだって!」

「ほう…お前にしてはまともなこと言うじゃねえか」

「でしょ!?これで私、完璧になったかも!」

「調子乗んな」

 

でもまあ、俺も少し安心した。萌がここまで成長するとは思ってなかった。少なくとも「騎手=背中で太鼓」からは卒業できたらしい。

 

そして翌週のレース。萌が乗ったその馬は…まあ勝てなかったけど、掲示板(5着)には入った。結果を見た俺は思わず笑った。

「お前、ホントにポンコツ成長曲線だな」

「え?何?」

「いや、なんでもねえ」

 

勝てなかったけど、その馬の目は輝いてた。

「また乗ってもいいぞ」

そう言われた萌が、嬉しそうにニコッと笑ったのを俺は見逃さなかった。

 

そして思った。

(……俺も、もうちょっと萌の声を聞いてやってもいいのかもな)

 

 

 

 

 

 

 

レース本番の日。俺はマストファームの執務室(馬房)で、例の専用タブレットをポリポリ蹄で操作しながら、萌のレースを見守っていた。

(どうせ今日もポンコツ炸裂だろ。ゲート前で転ぶとか、返し馬で逆走するとか、そんなんだろ)

完全に油断してた。

 

ところがだ。ゲートインから全然違った。萌の顔がピキーンと引き締まってる。いつもの「ごめんなさい!ごめんなさい!」みたいな半泣き顔じゃない。瞳は青白く光ってるけど、あの不気味なトランス状態とは違って、妙に落ち着いてる。

スタート!

《各馬、きれいにそろったスタートです!》

うわ、ちゃんと出た!出遅れゼロ!やればできる子だったのか!?

 

そして道中。萌は俺のデビュー戦みたいに奇跡的な分析に頼るわけでもなく、馬の呼吸を感じ取りながら「今は抑える」「ここで一歩前へ」と的確に指示を出している。おい、誰だこいつ。暁萌じゃないぞ。

 

最後の直線。萌が馬の首筋をポンと叩いた瞬間、馬がビュンッと加速した。

「行こう!」

「おう!」

会話しとる!馬と騎手が普通に会話しとる!俺のときは「もっと!もっと前!」って叫んで俺がゼーハー言ってるのに、こっちは完全に信頼関係できてやがる。

 

そのままゴール板を突き抜けて――1馬身差の完勝。

《勝ったのは暁萌!ついにマストブリンガー以外の馬での初勝利です!》

場内大歓声。俺はタブレットを思わず落とした。

「……マジかよ」

 

その勝利を皮切りに、萌の勝ち星ラッシュが始まった。もうダム決壊ってレベルじゃない。バケツひっくり返したみたいな勢いだ。

「あの新人ジョッキーすげえぞ!」

「冷静なペース判断だ!」

「馬の能力を100%引き出してる!」

関係者の評価爆上がり。俺の耳にも毎日のように噂が飛び込んでくる。

 

なんなら騎手会のベテランどもがポツリと言ってた。

「あいつ、天才かもしれん」

やめろ。俺のポンコツ枠が消える。

 

気づけば3月までに、萌はなんと8勝を挙げていた。新人の成績としては異常。

「おい未来ちゃん、これって普通?」

俺が専用電話で確認すると、未来ちゃんは鼻で笑った。

「普通なわけないでしょ。異常。あなたのせいでうちの厩舎も異常」

辛辣。だが正論。

 

俺はまたタブレットで萌の勝利者インタビューを見た。

インタビュアー「この快進撃の秘密は何ですか?」

萌「馬とお話しすることです!」

……え、ガチで言っちゃったよ。会場ざわざわ。

インタビュアー「……お話?」

萌「はい!馬が何をしたいか、どう走りたいか、ちゃんと聞くんです。そうすると、教えてくれるんです!」

……宗教か。

 

だが結果が出てるから誰も否定できない。SNSでは「馬語が分かる新人ジョッキー」とか「ポンコツから覚醒した天才」なんてハッシュタグで拡散されている。俺はモニターの前で頭を抱えた。

「おいおい、マジかよ…」

 

俺の知らないところで、俺の鞍上はとんでもない進化を遂げていた。ついこの前まで鞍から転げ落ちて泥だらけだった奴が、今や馬を自在に操ってレースを勝ちまくっている。

ポンコツはもういない。そこにいるのは、本物のジョッキーだ。

 

――でもな、萌。

お前がどれだけ強くなっても、俺の鞍上はお前しかいないんだぞ。クラシック、頼むから一緒に勝とうな。




これまで「落馬芸」「背中で太鼓」など散々なポンコツぶりを発揮してきた萌ですが、ようやく騎手としてのスタートラインに立ちました。
バラエティ番組の一言から人生を変えるあたり、彼女らしい単純さと真っ直ぐさが出ていたと思います。
次回からはクラシック編本格突入。ブリンガー、ピーターⅡ、ブジキセキ、そして成長した萌。世代最強を懸けた激闘が、いよいよ幕を開けます。
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