蹄鉄の軌跡~あるいは馬(俺)の調教マニュアル~ 作:斉宮 柴野
今回は弥生賞当日。パドックでのライバルとの邂逅、アンチによる妨害、そして地下馬道での決意までを描きました。クラシック開幕を前に、ブリンガーと萌の覚悟が試される一戦です。
弥生賞当日、中山競馬場のパドック。
さすがにクラシックトライアル、空気がピリッと張り詰めている。観客席の熱気、テレビカメラ、報道陣。全部ひっくるめて、俺たちを「主役」として扱ってくれているのはありがたいが、ちょっと落ち着かない。
そんな中、朝日杯で俺と死闘を演じたあの男――ブジキセキは、実にハツラツとしていた。
「マストブリンガーさん!今日こそ勝ちますよ!」
おいおい、俺はまだ飼い葉をモグモグしてただけだぞ。なぜ最初に突撃してくるのがこいつなんだ。
その目はギラギラしてるっていうより、なんかピクニック前の小学生みたいなキラキラだ。こいつ、本当にG2のパドックにいるんだよな?
鞍上の竹騎手が歩いてきた瞬間、ブジキセキはさらにテンションアップ。
「竹さん!僕、今日はやりますよ~!!」
「ああ、その意気だ。だが、くれぐれも無理はするなよ。その…あのことは…」
竹騎手が何かを言いかけたけど、ブジキセキはそれをバッサリ遮って、にっこり笑った。
「気にしない、気にしない!なるようにしかなりませんよ!」
おい待て、それ絶対気にしなきゃいけないやつだろ。
竹騎手の顔が「いやマジで気にしろ」ってサインを出してるのに、こいつは全然気づかない。いや、気づいてるけど無視してるのか?どっちにしろ危うい。
その気合乗りは、まるでGIの本番のようだ。鼻の穴が広がりすぎて、遠目だと完全に掃除機。パドック解説のオッサンが「いやぁ、いいですねぇ、実に闘志が漲ってますねぇ」とか言ってるけど、俺から見りゃただの無謀な突撃兵だ。
「マストブリンガー、俺ともう一度、本気でやろう!」
「いやお前、死ぬ気か?朝日杯であれだけ突っ込んで、また同じことやるのか?」
「そうですよ!僕は全力を尽くしたい!結果はどうでもいい!今日、僕はここで燃え尽きるんだぁぁぁ!」
「いや結果どうでもいいはやめろ!俺は勝ちたいんだよ!」
俺のツッコミなんざ完全スルーして、ブジキセキはクルクル回ってウォーミングアップを始めた。パドックの芝を削るなバカ!管理のおっちゃんが泣いてるぞ!
そこへ美桜ちゃんと未来ちゃんが到着。なぜか二人揃ってチアガール衣装だ。やめろお前ら!雨で透けたあの事件を忘れたのか!?
「ブリンガー君!頑張ってね!」
「今日は絶対勝ちましょう!」
観客席からどよめきが起きている。ああ、もう恥ずかしい!カメラさん、頼むから馬じゃなくてそっちを映せ。
「ねえブリンガー」未来ちゃんが小声で囁いた。
「ブジキセキ、あれ…ちょっと危ないんじゃない?」
「分かってる。でも、あいつはそういう奴だ。無邪気で真っ直ぐで、そして危なっかしい」
「…でも、そういうの、ちょっと羨ましいな」
未来ちゃんがポツリと言った。俺は一瞬、黙った。確かに、ブジキセキのあの無鉄砲な輝きは、どこか眩しい。勝ち負けじゃなく、ただ「走ること」に全力を注ぐ姿。俺にはない何かだ。
だが、俺は俺のやり方で勝つしかない。
「よし、萌。今日も行くぞ」
「はい!…あの、ブリンガー君」
「ん?」
「今日は絶対、落馬しません!」
「いや、それ普通の前提だからな?」
騎手紹介で、竹騎手が堂々と観客に挨拶している。その横で、萌は観客に向かって「アイドルスマイル」まで振りまいている。なんだこの温度差。竹騎手がシリアスに「勝ちに来ました」って言った直後に「よろしくお願いしま~す☆」って声を張り上げるんじゃねえ!
そして、実況の声が響く。
《さあ、いよいよクラシックを占う重要な一戦、弥生賞!注目のマストブリンガー、そしてブジキセキ!両馬とも気配は万全です!》
…いや、片方は気配が万全すぎて逆に怖いんだが。
ブジキセキの気合が、馬場全体を揺らしている。まるで「今日この瞬間が最後の舞台でも構わない」と言ってるような輝き。俺の耳には、竹騎手が言いかけた「その…あのことは…」という言葉が、ずっと引っかかっていた。
何か隠されているのかもしれない。だが、今は考えても仕方ない。
俺はただ、目の前のライバルを全力で叩き潰すだけだ。
雑音を黙らせるために。俺自身の誇りのために。そして――ブジキセキという無邪気な挑戦者に、真の勝負を教えるために。
「行くぞ、弥生賞!」
◆
俺が中山競馬場に到着したのは、レース当日の朝だった。
栗東からの長距離輸送だぞ?普通なら前日には到着して、滞在厩舎でのんびり過ごすもんだ。それをわざわざ当日輸送で突っ込んでくるとか、正気の沙汰じゃない。いや、正気なのは俺じゃなくて相手のほうだ。
だってよ、事前に押さえてた滞在厩舎が、大破してたんだぜ?
壁にはでっかくスプレーで落書き。『新人騎手を乗せ続ける馬鹿に、天罰を』。
……ああ、そういうことね。俺を応援してるフリした、萌アンチの仕業か。まったく、どこまで陰湿なんだ。馬小屋に八つ当たりしてどうすんだよ。馬に八つ当たりするならニンジン隠すとか、リンゴにワサビ仕込むとか、もっと可愛げのある嫌がらせにしろや。
もちろん警察を呼んだ。が――出てきたのがまた最低だった。
「いやー、大変でしたね、萌ちゃん。いやあ、馬房が壊されるなんて、ひどい話だ。でもさあ、俺も人情がある警官だからさあ…犯人捕まえてほしいなら、今夜、一晩…な?」
……。
俺の中で、ブチッと音がした。
この野郎、萌に色目使いやがったな。
俺は身を翻し、何食わぬ顔で尻を振った瞬間――ドゴォッ!
「ぐはっ!?」
強烈な後ろ蹴りを、そいつの腹に一発ぶち込んでやった。警官は地面でのたうちまわっている。
「こ、この馬、公務執行妨害で……!」
必死に叫んでたけど、無駄無駄。だって、ここは競馬場。装鞍所で馬に蹴られるなんて、ただの「不運な事故」で処理されるに決まってる。そもそも俺は馬だ。逮捕なんてできるわけない。
「おいブリンガー!何してんの!」
萌が慌てて駆け寄ってきた。俺は鼻を鳴らして言ってやる。
「何って、お前を守っただけだ」
「いや、そうだけどさぁ…いや、ありがとうなんだけど…いやでも…!」
萌は顔を真っ赤にしてプルプル震えている。守ってやったんだから素直に喜べよな。
未来ちゃんは遠くから「ナイスキック!」と親指を立てているし、美桜ちゃんは「後でJRAに正式にクレーム入れておくわね」と冷静にメモを取っている。さすが俺のポンコツチーム、役割分担が完璧だ。
とにかく、そんな騒ぎがあったせいで、俺たちは当日輸送を余儀なくされた。
馬運車に揺られながら、俺は窓の外を眺める。
「なあ萌」
「なに?」
「お前、正直言って怖いだろ?こんな状況で俺に乗るの」
「……うん、ちょっと怖い。でもね、私、決めたんだ」
「決めた?」
「もう逃げない。雑音とか、嫌がらせとか、アンチとか。全部背負って走るって」
……おいおい。急にカッコいいこと言いやがるな、このポンコツ。
だが、ちょっと安心した。俺が戦うのはコースの中だけじゃない。鞍上も同じ覚悟を持ってくれるなら、俺たちは負けねえ。
途中のサービスエリアで休憩を挟んだとき、運転手のおっちゃんが「馬運車に乗ってる馬がカレーを食うのは見たことない」って大笑いしてた。だって仕方ないだろ!移動中でも腹は減るんだよ!
萌が隣で「絶対匂いが充満してる…」って泣きそうになってたけど、俺の胃袋はもう止まらん。
そうこうしてるうちに、中山に到着。
ゲート試験のときみたいに、俺は鼻をヒクヒクさせながら装鞍所へ向かう。あの警官の姿はもうなかった。たぶん救急車で運ばれたんだろう。ざまあみろ。
「ブリンガー、準備できてる?」
「もちろんだ。お前は?」
「うん!大丈夫!今日こそ、全部ぶつける!」
その言葉に、俺の心も熱くなる。
ふざけた妨害や腐ったアンチに負けてたまるか。
今日の弥生賞、俺たちは全力で勝ちに行く。
◆
「ご、ごめんなさい、マストブリンガー君…私のせいで…」
萌が目を潤ませながら謝ってきた。昨日の厩舎破壊事件と、俺が警官を蹴っ飛ばした件を、全部自分のせいだと思い込んでるらしい。
馬鹿だな。あんなもん、お前のせいじゃねえ。アンチとか、腐った奴らのせいだ。だが、口で言っても伝わらないだろう。だから俺は俺なりの方法で「気にするな」と伝えることにした。
……ガブッ。
俺は迷わず萌の胸をぱくりと咥え、そのままペロペロと舐めてやった。
「きゃああああああ!このセクハラ馬!!」
悲鳴と同時に、首筋に渾身の一鞭が炸裂!ビシィィッ!
「ぐふっ!?」
俺は思わず仰け反った。いや、こっちとしては気遣いのつもりだったんだが?
「どこが気遣いよ!馬鹿!変態!」
「いやいや、胸を舐める=安心しろって意味だろ?世界共通だろ?」
「聞いたことないわ!!」
萌は顔を真っ赤にして俺の鼻をペシペシ叩いてきた。……理不尽。
未来ちゃんは遠くからニヤニヤ眺めているし、美桜ちゃんは「まあまあ、萌ちゃん。ブリンガーの慰め方は馬基準なのよ」とか適当なことを言ってフォローしてる。
違う、俺だって人間的に気遣ったんだぞ。まあ結果的にセクハラになったが。
俺は首を振り、ムチでヒリヒリする首筋をかばいながら萌に告げた。
「いいか、萌。お前のせいじゃない。あの厩舎を壊した奴は俺の蹄鉄で踏み潰してやるし、警官も俺が蹴り飛ばした。だからお前は、ただ俺の背中に乗ってろ。それだけでいい」
「……ほんとにそう思ってる?」
「ああ。お前は俺の鞍上だ。ポンコツでも、泣き虫でも、胸が柔らかくても関係ねえ」
「最後の余計!」
また叩かれた。でも、少し笑った顔が戻ったから良しとしよう。
そしてパドックへ向かう地下馬道。
蹄音がコツコツと響き渡る。俺の両脇には未来ちゃんと萌。後ろには美桜ちゃん。
この数日で積もり積もったものが、全部ここに集まっている気がした。
理不尽な妨害。腐った権力。アンチの陰湿な嫌がらせ。
それに加えて、ライバルたちの影。
ピーターⅡの不気味な静けさ。ブジキセキの明るすぎる闘志。
どれも腹立たしい。どれも簡単には超えられない壁だ。
でも――そんなものを黙らせる方法は一つしかない。
勝つことだ。
圧倒的な走りで、すべてをねじ伏せる。
勝利こそが最強の正義であり、最大の報復。
俺が走って走って走り抜けば、どんなアンチも、どんな腐った権力も、何も言えなくなる。
「ブリンガー」
萌が小さく呼んだ。
「ん?」
「私ね、まだ怖いんだ。でもね…一緒に走ってれば、大丈夫って思える」
「……そうか」
「だから…今日も、絶対勝とうね」
俺は鼻を鳴らした。
「当たり前だ。俺たちは勝つ。それしかねえ」
地下道の先に、光が見える。
パドックのざわめきが耳に届く。
数万人の視線が、俺たちを待っている。
俺はかつてないほどの静かな怒りと闘志を胸に、その舞台へ歩を進めた。
宣戦布告だ。
世界に、アンチに、ライバルに、そして自分に。
「全部、俺たちが黙らせてやる」
――弥生賞、決戦の幕が上がる。
だんだん「笑い」よりも「勝つしかない」という緊張感が前に出てきましたね。
ブジキセキの無邪気すぎる輝きがどう弥生賞でぶつかるのか、そしてアンチを含めた外野を黙らせることができるのか――次はいよいよレース本番です。
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