蹄鉄の軌跡~あるいは馬(俺)の調教マニュアル~ 作:斉宮 柴野
弥生賞本番を描きました。感情に呑まれて自滅するブリンガー、そしてブジキセキの突然の退場。
ギャグから一転、重い展開ですが、クラシックへの道筋を示す大事な一戦です。
ガシャン!弥生賞のゲートが開いた瞬間、俺は獣のように飛び出した。
怒りが燃料だ。いや、ガソリンどころかジェット燃料クラス。俺の全身の筋肉が「今日は誰にも邪魔させねえ」って叫んでいた。
(絶対に負けられねえ。俺が負けたら、またあのポンコツチームが「お笑い厩舎」だの「アイドル騎手ごっこ」だの言われるんだ。笑っていいのは俺だけだ。外野は黙ってろ!)
だから俺は躊躇なくハナを奪った。泥が跳ねる音も、観客の歓声も聞こえねえ。ただひたすらに先頭だけを目指した。
「ブリンガー、行きすぎじゃ…!」
背中で萌がビビってるけど無視だ!今日は容赦しねえ!
……が、横を見るとブジキセキは来ない。
「え?」
朝日杯の時みたいに真横でギャーギャー騒いでくると思ったのに、奴は2番手で静かに俺を見ている。まるで俺の動きを観察してるみたいに。
(ふふふ、俺の勝ちパターンだ。好き放題ラップ刻める。これはもらった!)
俺は完全にそう信じていた。……この時までは。
向こう正面。
俺は鼻歌交じりでラップを刻む。
「へっへっへ、俺の独壇場だぜ」
が、後ろからブジキセキの声が聞こえた。
「随分と飛ばしますねぇ、ブリンガーさん」
「うるせえ!口閉じてろ!」
「……感情的ですよ。今日はラップが雑です」
ぐっ。図星つかれた。確かに今日はペース配分よりも「突き放す!」って気持ちで走ってる。だがそれが何だ。競馬は気持ちだろうが!
「はっはっは!萌ちゃん、今日のブリンガーさん、イレ込みすぎですよ!」
背中の萌が苦笑してる。
「う、うるさい!今日は気合いの走りなんです!」
……おい、まさか萌まで俺をフォローせずに敵サイドに回るのか!?
◆
残り1000mのハロン棒。俺の身体はまだ軽い。肺も余裕。スタミナはたっぷり残ってる。
(よし、このままスパートすれば押し切れる!勝てる!雑音もアンチも全部黙らせてやる!)
俺はギアを上げようとした。
その瞬間。
「ダメです、ブリンガー君!早すぎます!!」
萌が慌てて手綱を引いた。
(はぁ!?今だぞ今!勢いに乗って後ろを突き放すタイミングだろ!)
「落ち着いて!まだ坂もあるんですよ!ここで飛ばしたら絶対バテます!」
(黙れ!俺はお前と美桜ちゃんと未来ちゃんのために走ってんだ!それを止めるって何だ!)
俺は完全に頭に血が上っていた。
「もういい!俺は全力で行かせてもらう!!」
萌の手綱を振り切る勢いで脚を叩きつけ、グイグイとスピードを上げていく。
「きゃああああ!言うこと聞いてえええ!」
背中で萌が悲鳴を上げてるが、知らん!俺は行くんだ!
3コーナーの入り口。
ブジキセキが冷静に俺を見ていた。
(前半1000mを56秒台…無茶苦茶だ。中山でそんな殺人ペース、持つわけない。マストブリンガー、今日は感情に呑まれてる)
そう、完全に読まれてた。
「ブリンガー!抑えて!まだだってば!」
萌が必死に叫ぶ。
だが俺は完全に聞く耳を持たなかった。
(ここで抑えたらアンチがまた騒ぐんだ!「所詮アイドルジョッキー(笑)」とか!「ポンコツ厩舎(笑)」とか!ふざけんな!俺は結果で黙らせる!)
俺は怒りを燃料に、さらに加速する。後続との差は開いた。スタンドからは大歓声。
《マストブリンガー、どんどん差を広げていく!これは大逃げだ!》
(見ろよ!これが俺たちの答えだ!)
だが萌は涙声で叫んでいた。
「違うよブリンガー君…これは勝つ走りじゃない!ただの自滅だよ!」
俺は胸がズキンとした。でも止まれなかった。
残り600m。
脚が急に重くなった。
(え…嘘だろ?まだこんな距離残ってんのか?)
視界が滲む。肺が焼ける。だが俺は歯を食いしばった。
「ブリンガー!もう無理だって!抑えてええ!」
(ふざけんな!ここで止まったら…俺は!)
4コーナー手前。
横からブジキセキがスッと並んできた。
「やっぱりな。あなた、今日は感情で走ってる」
(うるせえええ!俺はまだ行ける!)
「行けてないですよ。ほら、脚、もう止まってる」
気づけば俺の足取りはガクガクで、体が前に出ない。
最終コーナー。
観客のどよめきが聞こえる。
《マストブリンガー、苦しい!早すぎたか!?》
萌が必死に体を前に投げ出して合図を送る。
「ブリンガー!お願い!私の声を聞いて!」
◆
直線に入った瞬間、観客の歓声が一段と大きくなった。雨は止んでるけど馬場はドロドロ、足元が泥沼みたいに重い。だけど俺は強気だった。
(よし、スローペースで脚は残ってる。ここからが俺の時間だ!心臓破りの坂?笑わせんな!俺の心臓はまだピンピンしてるわ!)
……と、自分に言い聞かせた矢先だった。
(ん?あれ?おかしいぞ……足が……)
右前脚が鉛みたいに重い。いや、左もだ。いや、全部だ!四肢がストライキを起こした!
(なんでだよ!?まだ俺のスタミナゲージは満タンのはずだろ!?え?どこいった?残りゲージ詐欺!?)
実況の声が耳に突き刺さる。
《マストブリンガー、完全に失速!坂を前にして脚が止まった!》
(やめろーー!!そんな実況いらねえーー!!)
横を見ると、ブジキセキがグイッと伸びて一気に前に出た。
「じゃあ先に行きますね!」
(待てコラァァァ!俺を置いてくな!)
鞍上の萌が叫ぶ。
「ブリンガー君、頑張って!まだ残り200mです!」
(いや、200mって!今の俺にとってフルマラソンだわ!)
必死に脚を動かそうとするけど、全然反応しない。脳から「走れ!」って信号を送っても、脚が「残業代出ません」みたいな顔して無視してる。
(おい俺の脚!働け!ブラック企業の社畜精神を見せろ!)
観客の声が聞こえる。
「やっぱりポンコツ厩舎じゃダメか」
「ほら見ろ、アイドルジョッキーの限界だ」
(うるせえーー!!それ言っていいのは俺だけだっていつも言ってんだろ!)
その頃、先頭を走るブジキセキも必死だった。
(やばい…右前脚が燃えるみたいに痛い…!)
顔は笑ってるけど、心の中では悲鳴を上げてる。
(まいったな…まだ持つと思ったのに…皐月賞もダービーも見据えてたのに…これじゃあ…)
竹騎手が声をかける。
『大丈夫か、ブジキセキ!』
「大丈夫です!せめてこの勝利だけは…!」
後方からは他の馬たちが一気に押し寄せてくる。
《ブジキセキ先頭!しかし後続も迫る!マストブリンガーは大失速!》
(やめろ!実況よ、俺の心をえぐるな!)
萌が涙声で叫ぶ。
「お願いブリンガー君!もう一歩だけでいいから!」
(……萌……お前の声は聞こえてる。でもな……俺の脚は完全にサボってるんだ……)
坂の半ばで、俺は完全に止まった。泥の中で空回り。
(ああ…マキバオーならここで根性を見せたんだろうな…。…何でこうなるんだよ…!)
前を行くブジキセキの背中が遠ざかる。ピーターⅡの時と同じだ。勝てると思ったのに、勝てない。
(くそっ…また半馬身どころか、何馬身も差がついちまうのかよ!)
最後の力を振り絞って、俺は声にならない声で叫んだ。
(負けたくねええええ!!!)
結局、俺は坂の途中で完全に脚が止まり、後続に次々と抜かれていった。
萌は泣きながら鞭を入れるけど、もう反応できない。
(ごめんな…萌…今日は俺が感情に呑まれたせいで…こんな走りになっちまった…)
ゴール板の手前で、俺はようやく歩くようなスピードでなんとかゴール。
観客からは拍手とため息が入り混じった微妙な反応。
(ああ…敗北の味ってやつは、泥水みたいにしょっぱいな…)
◆
ゴール板を過ぎた瞬間、俺は息が止まるかと思った。
(ゼェッ…ゼェッ…はぁ…はぁ…何だこれ…心臓が破裂しそうだ…)
結果は10着。掲示板どころか連対もできなかった。生まれて初めてだ。
(…なんで俺は萌の言うことを無視した?なんでペース配分をぶっ壊した?なんで感情で走っちまった?バカか俺は!)
俺が自己嫌悪に陥っていたその時だった。
「ドタン!」
嫌な音がターフに響いた。観客のざわめきが一気に広がる。
(え?今の音、何だ?)
振り返ると、さっき勝利の雄叫びを上げていたブジキセキが、ゴールを過ぎたところで崩れるように倒れ込んでいた。
「おい!ブジキセキ!」
俺は泥まみれの身体を引きずりながら駆け寄った。
竹騎手が慌てて降りて声をかける。
「おい、大丈夫か!?立てるか!?」
ブジキセキは苦笑しながら答えた。
「だ、大丈夫ですって…たぶん…。ちょっと足が…」
だけど、その顔は汗じゃなく脂汗でぐっしょりだった。俺にはわかった。これはただ事じゃない。
「…またGIでやりたかったのに、このザマじゃ無理っぽいですね」
ブジキセキは俺にだけ聞こえる声で言った。
「勝ち逃げみたいで済みません。僕はここまでみたいです」
(なに言ってやがる…お前はまだこれからクラシックだろ!皐月賞もダービーもあるんだぞ!)
声に出したかったけど、俺の喉はカラカラで音が出なかった。
ブジキセキは続ける。
「…ピーターⅡに、よろしく言っといてください」
その顔は、不思議と晴れやかだった。
やがて馬運車が到着し、ブジキセキは担架に乗せられて運ばれていった。観客席からは悲鳴とすすり泣き。
俺は動けず、ただその背中を見送ることしかできなかった。
数日後。スポーツ新聞の一面に、でかでかと載っていた。
『ブジキセキ、重度屈腱炎で引退』
(予後不良一歩手前…か)
記事を読んで、胸の奥がズシンと重くなった。
(これで…奴とはもう二度と走れないのか…)
朝日杯で2着同着だった時、ブジキセキは「来年はライバルだ」って笑ってた。
弥生賞のパドックでは、「今日こそ勝ちますよ!」って胸を張ってた。
その全部が、もう聞けない。
「…あーあ」
思わず声が漏れた。
(俺は勝手に「いつか倒すべき相手」だと思ってたけど、もう追いかけられない。手が届かない星になっちまった)
俺の馬房にやってきた美桜ちゃんは、新聞を見て泣いてた。
「ひどい…せっかくライバルになれたのに…」
未来ちゃんも沈んだ顔で呟いた。
「これだから競馬は怖いんです。才能ある馬ほど…あっけなく…」
萌は震える声で言った。
「私、ブジキセキのジョッキーさんに…『また一緒に走ろうね』って言ったのに…」
…お前ら泣くなよ。俺まで泣きそうになるだろ。
だけど俺は、いつもの調子で言い返した。
「まあ、しょうがねえさ。馬の脚は消耗品なんだ。俺だっていつ壊れるかわからん」
そう口にしたけど、胸の奥はズタズタだった。
夜。俺は一人で放牧地を歩いていた。冬の星空が広がっている。
(…ブジキセキ、お前はもうここにはいないんだな)
でも、耳元であの声がよみがえる。
「なるようにしかなりませんよ!」
あの無邪気な笑顔。あの真っ直ぐな目。
「お前、最後まで楽しそうに走ってたな…」
俺は空に向かって呟いた。
(安心しろ。ピーターⅡにはちゃんと伝えてやるよ。「ブジキセキがよろしく」ってな)
でもな、正直に言うと――
(本当はまだやりたかったよな。皐月賞も、ダービーも、有馬だって。俺と、お前と、ピーターⅡでさ。三強って呼ばれて、死ぬほど叩き合って、それで誰が一番強いか決めたかったよな)
胸が締め付けられる。悔しい。悲しい。
でも泣くのは似合わねえ。俺は勝ち続けるしかない。ブジキセキの分まで。
「だから見てろよ、ブジキセキ」
俺は夜空に向かって吠えた。
「お前が見たかった景色、俺が必ず見せてやる!」
その声は冬空に吸い込まれていった。
こうして俺の胸には、新しい重荷が加わった。
敗北の痛みと、ライバルを失った虚しさ。
だけど、それを背負ってでも走り続けるのが競走馬ってもんだろ。
(ピーターⅡ、次はお前だ。逃げも隠れもさせねえ。ブジキセキの分まで、俺がぶつかっていく!)
俺は夜空の星を見上げながら、強く、強く誓った。
ブジキセキをここで退場させるかどうか、実はかなり迷いました。
でも「走る楽しさを全力で体現して、そのまま燃え尽きる」キャラだからこそ、このタイミングが一番綺麗に輝けると感じました。
ブリンガーは敗北と喪失を背負い、次はいよいよ皐月賞へ。
感想をいただけると嬉しいです。次回もぜひお付き合いください!