蹄鉄の軌跡~あるいは馬(俺)の調教マニュアル~ 作:斉宮 柴野
皐月賞もダービーも、宿敵ピーターⅡの前に敗北を喫した。
だが落ち込むどころか、彼の執念はさらに加速。
今回は「口取り式で二足歩行する馬」と「ライバルを四六時中監視する馬」という、
史上初の“社会適応型ストーカー競走馬コメディ”をお送りします。
※動物倫理的な意味ではギリギリセーフ、たぶん。
春のクラシック戦線――俺にとっては、銀色の記憶に満ちている。そう、「銀メダル」という名の、屈辱の輝きだ。
…いや、輝いてねえ。くすんでやがる。眩しい金色のピーターⅡの尻を追いかける、情けない俺の顔が写ってるだけだ。
まず皐月賞。
快晴、良馬場、絶好のコンディション。
俺は弥生賞の教訓を胸に、逃げではなく先行策を選んだ。ピーターⅡをマークして、ぴったりついていく作戦だ。理論上は完璧。だが現実は非情だった。
3コーナーの手前で、奴がチラッと後ろを見た。
(あ、いるな)
って顔だ。おい、何その余裕。
こっちは必死にゼーハー言いながら食らいついてんのに、あの野郎、馬体に一滴の汗もねえ。
で、坂を上がる瞬間、軽く尻尾を揺らして――スッと加速。
思わず「おい待て!」って叫んじまった。
着差は1馬身半。でも、体感的には10馬身離された気分だ。
実況の声が響く。「完璧なレース運び!ピーターⅡ、堂々の勝利!」
…完璧なのはあいつで、俺はただの背景だよ!
次、日本ダービー。
府中の2400メートル。長い直線。ここなら俺のスタミナが生きる。
皐月賞でやられた悔しさを胸に、萌とともに燃えていた。
「今日こそ勝つぞ!」
「はい、ブリンガー君!一緒にやりましょう!」
――と、言った本人がスタート直後に手綱を絡ませてバランス崩すな。
「ご、ごめん!今のナシで!」
ナシじゃねえよ!一番大事な瞬間だろうが!
それでもなんとか立て直して、3コーナーでは理想的な位置。
ピーターⅡも手応え抜群で前にいる。
俺は心の中で吠えた。(ここだ!勝負!)
直線に入って、渾身のスパートをかけた。
萌の合図と、俺の脚がぴたりと合う。完璧だ!
……と思った次の瞬間、横を通り過ぎる流星。
(え、嘘だろ。もう来たのか!?)
ピーターⅡ、外から楽々と差していった。
こっちは全力でゼーハー言ってるのに、あの顔。涼しい顔で、ちょっとこっち見て笑ってるんだよ。
なんか言ったぞ、あいつ。
「ブリンガー、いい走りだ。だが――届かないな」
うるせぇえええええ!!
ゴール後、萌が俺の首をポンポン叩いた。
「ごめんね、全力は尽くしたけど…」
「分かってる。萌のせいじゃねえ。悪いのは俺だ」
「え、そうなの?」
「……いや、ピーターⅡだな」
「ですよね!」
納得するな。
表彰式では、奴が堂々と王者スマイルを見せていた。
新聞は翌日から「新時代の覇王、ピーターⅡ!」の大見出し。
その横に小さく、「安定の2着、マストブリンガー」。
安定って言うな。褒めてるようで一番刺さるんだよ!
関係者コメントも地味に刺さる。
美桜ちゃん「惜しかったですね!でも、2着も立派です!」
未来ちゃん「調教の成果は出てます。次こそは勝てますよ」
萌「いやー、ピーターⅡさん、マジで強かったですね!推し増ししました!」
お前、敵を推すな。担当馬に失礼だろ。ファンクラブ入る気満々じゃねえか。
結果、春の二冠はピーターⅡの完全勝利。
俺はというと、「常に上位に食い込む安定感でファンの信頼を集める実力派」とかいう微妙な評価になった。つまり、「勝てないけど頑張ってるやつ」
一番つらいやつ。
ファンレターもだんだん変化してきた。
「ブリンガー君の2着姿、今日も美しかったです!」
「勝てないけど愛してます!」
「推しが2着でも幸せです!」
俺は推しじゃなくて競走馬だ!勝ってナンボなんだよ!!
そして、ピーターⅡ陣営のコメントがまた腹立つ。
「マストブリンガーは本当に強い。彼がいるから自分も高みに行ける」
…何だそれ。勝者の余裕コメント。
「ライバルがいてこそ」とか言ってるけど、俺はお前の踏み台じゃねえ。
でもな、その言葉を聞いた時、ちょっとだけ思ったんだ。
(あいつ、本当に強いな)って。
悔しいけど、素直にそう思っちまった。
帰り道、萌がぼそっと言った。
「でも、ブリンガー君がいなかったら、私もここまで成長できなかったかも」
「それ、慰めのつもりか?」
「ううん、感謝だよ」
……そう言われると、悪い気はしねえんだよな。
皐月賞もダービーも、完敗。
でも俺はまだ終わっちゃいねえ。
夏が来る。新しい舞台が待ってる。
「なあ萌、次こそあいつに勝つぞ」
「はい!でもその前に、写真撮っていい?2着まであと一歩ってタイトルで」
やめろ!縁起でもねえ!!
◆
いやあ、人間ってやつは現金なもんだな。
好き勝手言ってたくせに、今じゃ手のひらクルックルだ。
なぜなら――うちのチーム、全員がとんでもない勢いで出世している。
まず萌。
俺でクラシック連続2着ってだけでも新人としては異例なのに、青葉賞を勝った俺の先輩馬・マストアンサー(通称:アンサー先輩)に乗って、なんと古馬相手に安田記念(GI)を制覇してしまった。
…あのポンコツ、ついこの前まで調整点だのテンパり笑いだの言ってたのに、いつの間に神に愛されたジョッキーになってんだよ。
インタビューでもキメ顔で「はい、今日も馬と気持ちを合わせて走れました」って言ってたけど、あれ絶対俺が作ったスピーチ原稿そのままだぞ。
しかも本人が「ねえブリンガー君、あの馬と気持ちを合わせるって言葉、めっちゃバズってるんだけど!」って喜んでたからな。
お前、それ俺のセリフだ!著作権料払え!
そして未来ちゃん。
安田記念の勝利で、調教師として完全に覚醒したらしい。
JRAの関係者インタビューで「若いのに落ち着いてますね」と言われたら、「はい、馬が全部考えてくれるので」とか言ってた。
おい、俺のことかそれ。嬉しいけど、言い方よ。
で、なぜか俺も東京競馬場に呼ばれた。
「ブリンガー君も調教助手として登録してるんだから、一緒に来て!」
って萌が言うもんだから、つい行ってしまったんだ。
いや、正直俺の出番なんてないと思ってたんだよ。
でも、レースが終わってみたら――なぜか俺が口取り式に呼ばれてた。
しかも二足歩行で。
「おいおいおい、俺、出ていいのかこれ?」
「いいのいいの!未来ちゃんが申請出しておいたから!」
「どんな申請だよ!」
「精神的支柱としての参加希望だって!」
ふざけるな未来ちゃん!俺は置物か!
それでも、「ここまで来たらもうやるしかねえ!」と思い直し、蹄にグローブをはめ、直立二足歩行でパドックへ向かった。
人間スタッフたちがざわついていた。
「あの馬…立ってるぞ…!」
「え、公式に認められたんですか?」
「知らん、でも誰も止められないらしい」
そりゃそうだ。JRAも規定に二足歩行で式に参加してはいけませんなんて書いてない。前例がねえからな。
口取りエリアに着くと、報道陣のカメラが一斉にこちらを向いた。
(おい、俺じゃねえだろ主役は!)
でももう遅い。
スポットライトが俺の額の白星をピカーッと照らした。
思わずキメ顔してしまった。条件反射だ。
そして司会者が言った。
「それでは、優勝馬マストアンサー号、関係者の皆様です!」
そこに並ぶのは――美桜ちゃん、未来ちゃん、萌、そして俺。
どう見ても馬主・調教師・騎手・馬。
フルコンボだドン。
記念撮影が始まる。
カメラマンが言った。
「はい、では笑顔で~!三、二、一!」
……笑顔?馬にどう笑えと?
仕方なく口を大きく開けて歯を出したら、
「うわ、ブリンガー君、めっちゃ笑ってる!」
「歯並びきれい~!」
なんだこのノリ。歯医者の宣伝か。
そのまま写真は全国ネットのスポーツ紙の一面に載った。
見出し:「史上初!二足歩行で口取り式に参加したサラブレッド」
副題:「マストブリンガー、人間社会に適応中」
……適応中って何だ。俺、ペンギンか何かか?
それでも、写真の中の俺たちは、なんだかいい顔をしていた。
未来ちゃんは満足げに腕を組み、萌は満面の笑みでガッツポーズ、美桜ちゃんは優雅にハンカチを振っている。
そして俺は――ど真ん中で立ってた。
なんだかんだで、誇らしかった。
式が終わった後、萌が俺に駆け寄ってきた。
「ブリンガー君、ありがとう!一緒に立ってくれて!」
「いやいや、俺は別に何もしてねえよ。勝ったのはお前とアンサー先輩だ」
「違うよ。私がここまで来られたのは、ずっとブリンガー君が一緒に走ってくれたからだよ」
……やめろ、そういうセリフはズルい。涙腺に悪い。
と思った矢先、未来ちゃんが割って入った。
「はいはい感動の流れ禁止。次の調教メニューの話するわよ」
現実に引き戻すの早すぎる!もうちょっと余韻をくれ!
その夜、ニュース番組で口取り式の映像が流れた。
「こちらが話題の二足歩行馬。なんと、蹄でサインまで!」
…サインしてねえよ!俺の名前勝手に書くな!
画面の端に「マストブリンガー(3歳・牡)」ってテロップ。
しかも肩書きが「調教助手(自称)」ってなんだ!
だが不思議と、腹は立たなかった。
世間が俺をどう呼ぼうが、どう扱おうが、関係ない。
このチームで勝てたなら、それでいい。
そして次は――俺自身の番だ。
「なあ萌、次は俺で勝つぞ」
「うん!その時はまた二足歩行でね!」
◆
ピーターⅡは確かに強い。
いや、強いなんてもんじゃない。化け物だ。
皐月賞もダービーも、あいつの強さは桁違いだった。
だけど――俺はまだ本気を出し切ってねえ。
このまま「惜しい2着」で終わるのは、性に合わない。
だから俺は決めた。
次の舞台、菊花賞(きっかしょう)で必ず雪辱を果たす。
あいつに勝って、俺が世代最強を証明してやる。
……ただな。
奴がこのまま引退なんてしたら、どうすんだ?
「春二冠取ったし、満足だ。あとは弟(ワクチン)に任せる」
とか言ってスパッと辞めたら、俺のリベンジどころじゃない。
カスケードとのマッチレースで怪我されたら、それも困る。
だから――俺は行動した。
「…というわけで、それから俺はピーターⅡのあとをついて回っている」
「なんでだよ!!!」
朝、厩舎から出てきたピーターⅡが絶叫した。
俺は彼の真横、10センチの距離を保ちながら歩いていた。
「おはよう、ピーターⅡ。今日はいい天気だな」
「気安く話しかけるな! てか、なんで俺の調教スケジュールを知ってる!?」
「偶然だ」
「偶然で6時58分にゲート練習ピッタリ合わせられるか!!」
洗い場(あらいば)でも、逍遥馬道(しょうようばどう)でも、俺は常に奴の隣にいた。
完全に不審馬。
「待て、誤解するな。俺はストーカーじゃない」
「じゃあ何なんだよ!!」
「お前のことがライバルとして気になるから、四六時中ついて回るだけだ」
「それ以上ストーカーじみた言い訳があるか!!」
まあ、確かに俺の行動だけ見れば、完全に尾行だ。
だが俺的には、あくまで“研究”だ。
「お前の調教メニューを観察して、戦略を立ててるんだよ」
「勝手に戦略立てるな!厩舎に許可取れ!」
「許可?大原厩舎はフレンドリーだぞ?」
「俺の話だよ!!!」
昼休みも俺は彼の横にいた。
ピーターⅡが馬房で干し草を食べれば、俺も隣で一緒にモグモグ。
「なあ、ピーターⅡ、どこの牧草ブランドだ?柔らかくて香りがいい」
「話しかけるな!これ俺の昼飯だ!」
「いや、俺も食ってるぞ」
「なんで共有してんだよ!!!」
俺は、牧草で語り合う関係を築きたいだけなのに。
そして午後の調教。
奴が坂路で走るなら、俺も真後ろをついていく。
ぴったり1馬身の距離を保ち、完璧なペースメーカーだ。
「おいブリンガー!!近い!尻に息かかってんだよ!!」
「気にすんな、これはデータ収集だ」
「データ!?どこの研究機関だお前は!!」
「マストファーム研究所。理事長は母ちゃんだ」
「正式機関じゃねえ!!!」
夕方。ピーターⅡが厩舎に戻ろうとすると、俺も当然ついていく。
「お前、まさか寝るまでついてくる気か?」
「当然だ」
「やめろ!俺のプライバシーを返せ!」
「お前にプライバシーなど存在しない」
「裁判起こすぞ!!」
「馬の裁判ってどこの管轄だ?」
「知らねえよ!!!」
その夜、俺はこっそり放牧地に忍び込んだ。
遠くの厩舎で、ピーターⅡが月を見上げていた。
(くそ、あいつ…やっぱり画になるな)
ちょっと悔しかった。
俺は泥だらけで、顔に干し草つけたまま、コソコソしてるのに。
翌朝、再びピーターⅡの前に立った俺は、爽やかに言った。
「おはよう、ピーターⅡ。今日も観察日和だな」
「やめろ!お前、夢にまで出てきたんだぞ!」
「そうか、それは光栄だな」
「全然光栄じゃねえ!!」
◆
そして俺は、最終手段に打って出た。
「というわけで、今日からよろしくな、隣人よ」
俺は、ピーターⅡの馬房の隣を無理やり陣取り、自前の執務机と電話を設置した。
「やめろぉぉぉっ!!俺のプライベートスペースがぁぁっ!!」
「問題ない。これで俺たちはいつでも一緒だ。完璧だろ?」
「完璧に迷惑だわ!!」
ピーターⅡが飼い葉を食べている横で、俺は電話で牧場の経営指示を出す。
「はい、母ちゃん?来年の種付け相手だが、トニーカンの種が値上がりしてる?なるほど。じゃあ、のラインを抑えておけ。血統の幅を考えて――あ、母ちゃん、あとで牧草の仕入れリスト送っとけ」
「なあ!お前、今俺の隣で種の話するな!!!」
無視して続けた。
「あと、B放牧地の蹄跡(ていせき)が乱れてる。」
電話を切ると、ピーターⅡが全身を震わせていた。
「……ここ、厩舎だよな?経営会議室じゃねえよな?」
「俺の中では同義だ」
「お前の中を他人基準で説明してくれ!!」
その後も包囲網は着々と拡大した。
ピーターⅡが水を飲もうとすれば、俺がその水桶の温度をチェック。
「ぬるいな。代えとくか」
「触るな!俺の水に勝手に口を突っ込むな!!」
「大丈夫だ。消毒済みの舌だ」
「消毒の定義教えろおおお!!!」
さらに、俺は調教助手として正式に彼の担当に志願した。
「いや、なんで俺のチームにお前が入ってんだよ!!」
「心配するな。俺はプロだ」
「プロって何のだよ!!!」
奴が休もうとすれば、俺は指示を飛ばす。
「おい、そこの馬!追い切りの時計が2秒も速いぞ!オーバーワークだ!」
「それ俺だよ!!!」
「よし、意識があるな。健康だ」
「話を聞けぇぇぇ!!!」
昼休みには、俺が奴のブラッシングを申し出た。
「筋肉の流れが悪い。ちょっとマッサージしてやる」
「触るなっ!俺の毛ヅヤが死ぬ!!」
「いや、お前、最近ツヤ落ちしてるぞ?」
「だから!触るなって言ってるだろ!!」
「いやいや、ピーターⅡ。人間社会ではこういうのスキンシップって言うんだ」
「馬社会でも通報案件だよ!!!」
そして夜。
俺は奴の寝息を確認するため、隣の馬房の壁に穴を開けた。
「おい!!何してんだお前!!」
「防犯のための覗き窓だ。お前が夜中にこっそり逃げたりしないように監視する」
「怖ぇよ!一睡もできねぇよ!!!」
「安心しろ。俺も徹夜だ」
「もっと怖ぇわ!!!」
◆
最近、トレセン内で妙な噂が流れている。
「マストブリンガーは、ピーターⅡに惚れている」
……ありえない。
俺が男(馬)に惚れるわけがない。
あれはあくまでライバル心であり、戦略的包囲網であり、極めて合理的な監視体制だ。
「おい、ピーターⅡ。最近毛ヅヤ悪いぞ。俺がグルーミングしてやろうか?」
「結構だ!!来るな!!来るなああああ!!!」
俺の純粋な厚意を、彼は全力で拒絶する。
まるで貞操を守る乙女みたいに。
「なんでそんな怯えるんだよ。ただ毛を整えてやるだけだぞ?」
「“だけ”って言葉が信用できねぇ!!!」
「じゃあシャンプーとトリートメントもしてやる。うちは高級品だぞ?」
「やめろおお!!」
……これでいい。
俺がこれだけ近くにいれば、奴も勝手な行動は起こせまい。
あいつが引退する気配がないか、夜な夜な確認する。
「今日も無事現役だな。よし、寝るか」
「寝る前に俺の馬房のドア閉めろぉぉぉっ!!」
トレセンの調教師たちが俺たちを見てヒソヒソ話している。
「あの黒鹿毛…やっぱりピーターⅡを狙ってるんじゃ…」
「いや、あれは愛じゃない。執念だ」
「どっちにしろ怖いよ」
春の敗北を経て、ブリンガーの「勝ちたい」は「観察したい」に進化しました。
完全に方向性を間違えていますが、本人は大真面目です。
ピーターⅡとのやり取りは、もはや恋愛コメディの掛け合いにしか見えません。
ちなみにこの回、実際に「馬のプライバシー権」や「二足歩行に関する競馬規定」まで調べましたが、
ほんとに書いてないんですよね、禁止って。