蹄鉄の軌跡~あるいは馬(俺)の調教マニュアル~   作:斉宮 柴野

31 / 33
恋に浮かれていた俺だが、忘れちゃいけない――
俺の使命は“平和の監視馬”だ。

今回は、美浦トレセンで繰り広げられる
「愛」「監視」「陰謀」「盆踊り」――そして「友情」(?)の物語。

ピーターⅡとカスケード、二頭の接触を阻止せんと立ち上がった俺・マストブリンガー。
だが結果は……いつも通りだ。

※なお、登場する双眼鏡・盆踊り・法的手段はすべてフィクションです。


平和の舞、戦火を呼ぶ

恋にうつつを抜かしていた俺だが、本来の目的を忘れたわけではない。

ピーターⅡとカスケードのマッチレース。これが現実になったら、俺のリベンジは果たせなくなる。

だから俺は監視――いや、せんさくを始めた。あくまで観察。スパイ活動ではない。

 

その日も俺は、美浦の馬場の入り口で双眼鏡を構えていた。

「ふふふ、今日も順調に観察日和だな」

「何やってんだお前」

通りかかった厩務員が怪訝な顔をする。

「観察だ。科学的好奇心に基づいた情報収集だ」

「馬が双眼鏡使ってる時点で科学じゃねぇよ」

「黙ってろ、一般人」

「馬だろお前」

論破された。

 

その時、俺の視界に決定的な瞬間が映った。

ピーターⅡが、あのカスケードと同じタイミングで馬場入りしているではないか!

(まずい!このままだと二頭が会話して、世紀のマッチレースをやろうぜ!な流れになる!)

俺の馬生の出番が一瞬で終わる!

 

俺は咄嗟に走り出した。

「おいピーターⅡ!!奇遇だなぁぁぁぁぁ!!」

「お前、どこから湧いて出た!?」

「いやぁ、今日は天気がいいからな!気分転換にちょっと世間話でもと!」

「お前の世間話は大体ろくでもない!」

 

俺は奴の進行方向をブロックした。

「今日はあっちのBコースで追い切りしようぜ!」

「断る!俺はAコースを使う!」

「そう言うと思った!だが、ここで俺がブロックだ!」

「なにぃ!?」

「この俺を抜けたければ、まずは俺と懇ろにグルーミングしてからにしてもらおうか!」

「ひいぃぃぃっ!来るな変態馬!!!」

ピーターⅡは全力で方向転換し、猛ダッシュで逃げていった。

 

ふっふっふ。完璧だ。

これで奴はカスケードと接触できない。マッチレースの話も出ない。

俺は鼻息を鳴らしながら勝利のポーズを取った。

 

そこへ通りがかった調教師が呆れ顔で言う。

「マストブリンガー、お前また何やってんだ」

「チームのための危機管理行動です」

「お前の危機管理は大体迷惑行為なんだよ!」

「結果が全てです」

「結果的にピーターⅡが人間不信になってるわ!!」

 

ピーターⅡは遠くの坂路の上で、まだ俺を睨んでいる。

「……絶対に訴える」

「馬に法的手段は通じんぞ!!!」

「問題は倫理だ!!!」

 

俺は笑ってごまかした。

「まあまあ、愛があれば許されるって!」

「どんな愛だそれは!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、と……ん?」

俺が鼻を鳴らした瞬間、風に乗って懐かしい匂いが届いた。青草と闘志の香り。

振り返ると、そこには一頭の青鹿毛。静かな迫力を纏った馬体。

「カスケードじゃないか。やはりここにいたか」

「ご無沙汰しております、先輩」

 

久々の再会に、俺は思わず姿勢を正した。

「また一段と馬体が立派になられましたね」

「お前もな。筋肉の乗り方、まるで彫刻だ。仕上がってるじゃないか」

「恐縮です。デビューは秋を予定しております。じっくり仕上げるつもりです」

「そうか。俺は次走、上半期のグランプリ・宝塚記念(GI)だ!」

「おお、ついにですか。あの舞台で勝てば、本物ですね」

「ふっ、もちろん勝つさ。俺は脇役で終わるつもりはない!」

 

久しぶりに気分が良かった。俺とカスケードの関係は不思議なもんで、敵でも味方でもなく、ただ純粋に競走馬としての敬意で繋がっている。

……そこへ、地鳴りのような足音。

 

「マストブリンガーァァァァァ!!!」

怒りのボルテージMAXのピーターⅡが坂の向こうから全力疾走してきた。

「うわっ!逃げたと思ったのに戻ってきたぁ!?」

「逃げた?違う、追い詰められたんだよ俺は!お前のせいで!」

「何の話だ!?」

 

「お前、俺のスケジュール帳を勝手に同期しただろ!!!」

「ば、バレた!?いや、あれは偶然の電波干渉で……」

「黙れ!!貴様、俺の思い通りになるのがそんなに気に入らないのか!?」

「気に入らないというか、俺の愛が分からんのか!」

「やめろ!その愛って言葉を俺に使うなぁ!!!」

 

その瞬間、周囲の空気がビリビリ震えた。

カスケードがため息をつきながら一歩前に出る。

「落ち着け。感情的になるな」

「感情的なのはこいつだ!!!」

「俺は理性的だ!理性的に君を愛している!!!」

「意味がわからん!!!」

 

ピリつく空気。

これはまずい。このままだと本当にマッチレースが始まる。

とっさに――踊った。

 

「まあまあまあまあ!!ラッセーラー!ラッセーラー!!」

「……なにやってんの?」とカスケード。

「お前、壊れたのか?」とピーターⅡ。

「壊れてない!平和の舞だ!」

「どこの部族だそれは!!」

 

リズミカルに蹄を踏み鳴らしながら、二頭の間をくるくる回った。

「人は争いの中で何を得る!?怒りか!?後悔か!?いや、今こそ手を取り合う時!」

「馬が説教すんな!!!」

「よし、では俺の手を取れ!」

「誰が取るか!!」

「じゃあ尻尾を絡め合おう!」

「気持ち悪いんだよお前は!!!」

 

そこへ突然、人間組が乱入してきた。

本田社長と、ピーターⅡの馬主・尼子さんだ。

「おおお……こりゃまた派手にやってるな」

「マストブリンガー君、少し疲れているのでは?」と社長。

「ええ、少し休ませた方がよさそうですわね」と尼子さん。

「待ってください!俺は正常です!これは平和維持活動です!!!」

「……平和維持にしては動きが盆踊りでしたけどね」

「いや、これが俺の愛と理性のハーモニーなんです!!」

「JRAが黙ってないぞ、それ」

 

ピーターⅡは額に青筋を浮かべ、冷たい声で言った。

「……貴様、わざと俺を混乱させてるだろ」

「いやいや、そんなことあるわけ――」

「あるな!!」

「あります!!!」

「素直だな!」

 

カスケードが吹き出した。

「ははっ、面白い奴だ。お前たち、漫才でも始めたらどうだ?」

「漫才ってなんだよ!俺たちは真剣なんだぞ!」と俺。

「真剣な奴がラッセーラー言いながら回るか!」とピーターⅡ。

「だから平和の舞だって!」

「お前の平和はうるさいんだよ!!!」

 

人間組はますます心配そうな顔をしている。

社長がメモを取り出し、呟いた。

「マストブリンガー、要メンタルケアっと……」

「やめて!俺のカルテに変なこと書かないで!」

「大丈夫、優しくおもしろ馬って書いとくから」

「やめろぉぉぉ!!!」

 

その横で、尼子さんが優しく微笑んだ。

「でも、いいじゃありませんか。本気で誰かを気にかけられるなんて、素敵なことですわ」

「だろ!?俺は仲間思いなんだ!!」

「……ただし、やり方は最低ですけどね」

「毒舌がすぎる!!」

 

ピーターⅡは肩を落とした。

「もういい……俺が悪かった。お前には敵わん」

「そうだろう、愛の勝利だ」

「違う意味で負けた気しかしない!!」

 

その時、カスケードが静かに言った。

「……面白いものを見せてもらった。マスト、ピーターⅡ。お前らの走り、楽しみにしてる」

「お、おう!」

「もう関わらないでくれ」とピーターⅡ。

 

カスケードは笑って去っていった。

その背中を見ながら、俺は心の中で呟いた。

(フッ……これで今日もマッチレースは成立しなかった。俺、完璧だな)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その完璧な空気を、一瞬で破壊する声が響いた。

「わー!すごいスターが揃ってるね!」

この声を聞いただけで、俺の背中に冷や汗が走る。

美桜ちゃんだ。来るな、今だけは来るな。

「ねえ、みんなの中で誰が一番速いの?」

……来たぁぁぁぁぁ!!このポンコツ!なんでこのタイミングで最も面倒な質問をぶちかます!?

 

その一言で、場の空気がバチン!と音を立てて燃え上がった。

ピーターⅡの耳がピクリと動く。

カスケードの尻尾がスッと上がる。

やめろ、そのやる気スイッチは押すな!

 

「フン、言うまでもない。この俺だ」ピーターⅡが鼻で笑う。

「それはどうかな?」カスケードの瞳が冷たく光る。

「走ってみなければ、分からないのではないか?」

「走らずとも分かる。実績が違う」

「実績だけで未来が語れるなら、調教なんて必要ないでしょう」

ピキピキピキ……完全に空気が割れてる!

 

そしてトドメの一言。

「えー、でも秋にはマストブリンガー君が最強になるよ!」

美桜ちゃん、お願いだから今だけは黙ってて!!

「うん、それは正しい!正しいけど今じゃない!」俺は全力で心の中でツッコんだ。

ピーターⅡが振り返り、ギロリと俺を睨む。

「……お前、まさか裏で根回しでもしたか?」

「してねえよ!!!」

 

カスケードも笑いながら首を傾げる。

「先輩、随分と愛されてますね」

「皮肉を言うな!俺も被害者だ!!」

 

 

「ならば、ここで決着をつけようではないか!」

カスケードが高らかに宣言した。

「望むところだ!」ピーターⅡも即答。

「いいねいいね!三頭でレースしようよ!」美桜ちゃんのテンションが天井を突き抜けた。

 

最悪だ。俺の平和維持活動が、よりによってオーナーによって火に油を注がれる形で終わった。

三頭の闘志が、今にも爆発しそうなほどに燃え上がっている。

「よーし、ここで決めようじゃないか!伝説の三強対決!」

(伝説にしなくていいから落ち着けええええ!)

 

だがその時、ピーターⅡがふらりとよろめいた。

「……すまない。最近どうも体調が優れなくてな」

「え?お、おい大丈夫か?」

「どうやら寝不足が祟ったようだ。毎晩、誰かの監視視線を感じて眠れん」

ギクッ。

(ま、まさか俺のせいで!?)

「この勝負、辞退させてもらう」

「そ、そうか!無理するな!しっかり休め!」

やった!これでマッチレースは中止だ!

 

心の中でガッツポーズを決めた。

(俺のストーカー行為によるストレスで奴のコンディションを崩した!結果オーライ!)

勝負は避けられた。これで平和が保たれた。

 

……その瞬間だった。

パンッ!という乾いた音が響く。

「ならば仕方ない!」と声を上げたのは、本多社長だった。

「ピーターⅡ君が万全でないのなら、今日のところはマストブリンガー君とカスケード君、二頭でのマッチレースとしようじゃないか!」

「……………………え?」

「えええええええええええ!?」

 

俺の脳内で爆発音が鳴った。

やめろ社長!なんでそうなる!?どこからどう聞いても、今は中止で良かっただろ!?

ピーターⅡが俺の肩をぽんと叩いた。

「……そういうわけだ、マストブリンガー。俺たち95年世代代表として、必ず勝て」

「いやいや!俺出たくない!体調崩したお前のせいだろ!」

「貴様が俺の体調を悪化させた責任、きっちり取ってもらうぞ」

「無茶苦茶言うな!!!」

 

カスケードは静かに前を向いた。

「先輩。胸をお借りします」

その姿勢は凛としていて、一切の迷いがない。

俺はゴクリと唾を飲み込んだ。

(ヤベェ……この雰囲気、完全に本番前だ)

 

だがここで引くわけにはいかない。

「……上等だ!カスケード!この俺が先輩として、お前の力を試してやる!」

「その言葉、忘れません」

カスケードの瞳が燃える。

その闘志はまるで、かつてのブジキセキを彷彿とさせた。

 

そこへ美桜ちゃんが能天気に言い放つ。

「わー、いいね!マストブリンガー vs カスケード!世紀の一騎打ち!ポスター作っちゃお!」

「待てまだ正式に決まってねぇ!!!」

「グッズも作ろう!タオルとキーホルダーと抱き枕と!」

「抱き枕はいらん!!!」

「えー!人気出ると思うのに!」

「俺の人気の使い方を間違えるな!!!」

 

ピーターⅡはどこか達観した顔で俺を見ていた。

「……お前、結局自分で自分を追い込むタイプだな」

「黙れ!お前のせいでこうなったんだ!!」

「人のせいにするな、馬のくせに」

「馬だから人のせいにするんだよ!!!」

 

結局、社長と尼子さんの鶴の一声で、次回調教公開レース形式マッチ走行という名目の模擬レースが決まった。

事実上のマッチレースだ。逃げ道はもうない。

 

 

風が静かに吹いた。

カスケードはそんな俺を見て微笑む。

「先輩。今度は本気でいきますよ」

「おう、受けて立つわ……泣きながらな!!!」

 

こうして、俺とカスケード――

新旧世代を賭けた一騎打ちが、皮肉にも俺の平和工作から始まったのであった。




というわけで、ブリンガーの「平和維持活動」第三弾でした。

作者としては、“ギャグの中で静かに燃えるカスケード”を書けたことが嬉しい回です。

「ラッセーラー」で笑いを取りつつ、
「筋肉が彫刻だ」で尊敬を、
「先輩、胸をお借りします」で感動を――
一話の中に三つのジャンルを詰め込んだ、贅沢な構成になりました。

次回はついに――模擬レース編(マッチレース)。
ブリンガーとカスケード、笑いなしの真剣勝負!
……の予定ですが、作者の理性がもつかどうかは分かりません。

どうぞ覚悟してお待ちください。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。