蹄鉄の軌跡~あるいは馬(俺)の調教マニュアル~ 作:斉宮 柴野
決戦の地は、俺のホーム・マストファーム。
対戦相手は若き天才、カスケード。
……の、はずだった。
フタを開ければ、そこは完全にお祭り。
観客4万人、実況はピーターⅡ、屋台は焼きそば完売。
経営も走りも全力疾走、社長兼出走馬・マストブリンガーの
平成最大の「ビジネス・レース」開幕。
※なお、本作はフィクションです。
税務署およびJRAに実在の人物・団体は一切関係ありません。
決戦の舞台は、俺のホーム、マストファームの大型トラックコース。
距離2000m、俺とカスケードの一騎打ち――の、はずだった。
だが蓋を開けてみれば、そこはすでに祭りだった。
観客席、満員。いや、観客席っていうか、牧草地に作った仮設スタンド。見渡す限りの人、人、人!
「うおおおおお!マストブリンガーが走るぞー!」
「カスケードかっけえええええ!」
「馬って本当に喋るんだな!」
「握手会はどこですか!?」
もう収拾がつかない。俺、競走馬だよな?アイドルじゃないよな?
「ねえマストブリンガー君!どうしてこんなにお客さんが集まってるの!?」
美桜ちゃんが、なぜか屋台の焼きそばを食べながら訊いてきた。
俺はニヤリと笑った。
「決まってるだろ。稼げるときに稼ぐ!それが経営者ってもんだ!」
「け、経営者…?」
「このレースの入場料、放映権料、記念グッズ、飲食ブースの売り上げ――全部、我がマストファームの取り分だ!」
「ま、マストくん、やっぱり馬じゃなくて社長だよね…」
「どっちもだ!俺は走る経営者、そして喋る資産!」
ちなみに、この日のために俺は急遽「マストエンターテインメント株式会社」を立ち上げ、社長兼出走馬として登録済み。
税務処理も完璧。ついでにスポンサー契約まで取った。
蹄鉄エナジードリンクと馬専用サプリ・メガモーモーZ。キャッチコピーは「飲んで走って燃え尽きろ」
健康被害?知らん。
実況席には未来ちゃん、解説席には特別ゲストとしてピーターⅡを招待してある。
もちろん出演料は格安――いや、友情価格(0円)である。
「断るって言ったろうが!」と抵抗してたが、「契約書もう作った」と言ったら黙った。
法の力って素晴らしい。
スタンドには推し馬タオルを振るファンたち。
「マストくーん!結婚してー!」
「カスケード様ー!踏んでくださいー!」
やかましい。どいつもこいつも性癖が重い。
啓太は司会進行を任され、マイクを持って張り切っていた。
「さあ皆さん!ついに始まります!令和…じゃなくて平成最強対決、マストブリンガーVSカスケード!」
「お前、まだ平成だぞ!」
「えっ!?あ、そうだった!」
アナウンスがすでにグダグダだ。
スタート地点では、カスケードが落ち着いた表情で待っていた。
「先輩。すごい興行ですね。ここ、競馬場ですか?」
「うむ、臨時ライセンス取得済みだ。問題ない!」
「……いや、もう何の競技か分かりませんよ」
「金が動けば、それはスポーツだ」
「金で片づけるな!」
そこへ、解説席のピーターⅡの声が響く。
『さあ、始まりますね。二頭の対決。えー、私としては……正直、出たくなかった。というかこの茶番に関わりたくなかった』
「放送事故だろそれ!」
『ですが、彼の異常な執念によって、私の体調が悪化し、今こうして強制的に解説をさせられています』
「それ言うな!!!」
『なお、出演料はゼロです』
「やめろ現実的な暴露を!!」
スタンドが爆笑に包まれた。
俺の尊厳はボロボロだが、客の笑顔が見られるなら本望だ。
カスケードがため息をつく。
「先輩、真面目に走る気あります?」
「もちろんだ!だがエンタメ性も大事だろ?」
「……その姿勢、嫌いじゃないです」
「だろ?ビジネスも競馬も、まずは笑顔からだ!」
「なんか宗教みたいですね」
「違う、経営哲学だ!」
(……これ、もしかして本当に儲かるんじゃね?)
俺は電卓を頭の中で叩いていた。
入場料×4万人、グッズ収益、広告……総計で3億はいける!
「よっしゃあ!夢の黒字経営だ!!」
「収支計算する馬初めて見ましたよ!」カスケードが呆れる。
「馬主に任せるより確実だろ!」
「理屈としては合ってるけど間違ってます!」
◆
パドック代わりの装鞍所(そうあんじょ)で、俺は鞍上の未来ちゃんと最後の作戦会議をしていた。
今日のジョッキーは、アイドル活動で多忙な萌に代わり未来ちゃん。
問題ない!未来ちゃんのお尻も大好物だ!……じゃない、騎乗技術が超一流だからだ!!(危なかった)
未来ちゃんは白のジョッキー服にピンクのラインをあしらった勝負服。ヘルメットを被ると、真剣な瞳がキラリと光る。
「それで、作戦はどうする?未来ちゃん」
「うん、シンプルに逃げましょう!」
「逃げ、か……。弥生賞ではあれでバテて惨敗したがな」
「ふふ、あの時はあなたの心と体がバラバラだったからよ」
「……何かポエムっぽいな」
「今のあなたなら大丈夫。勝ち負けは関係ないんだから、心が一番気持ちいい走りをすればいいの」
「心が気持ちいいって、それセラピーのキャッチコピーみたいだな」
「いいから!私を信じて!」
未来ちゃんは俺の鼻面をそっと撫でた。
(……なんだこの安心感)
おかしい。さっきまで金勘定しかしてなかったのに、今は心が洗われる。
「……分かった。やってみるか!」
「うん!全開で行くわよ、社長!」
「その呼び方やめろ!!!」
そこへ整備員の藤木さんが走ってきた。
「マストブリンガー君!放送席から追加連絡!ピーターⅡが実況に乱入したそうだ!」
「はあ!?解説じゃなかったのか!?」
「ええ、マイクを奪って『俺が実況する!』って叫んで……今始まりは裏切りのマストファームとか言ってます!」
「ポエムかよあいつも!!」
未来ちゃんが笑いながら鞍を締め直した。
「今日のレース、普通には終わらなそうね」
「普通に終わった試しがねえよ」
本多社長が入ってきた。スーツの上からヘルメットを被っている。意味が分からない。
「マスト君、会場の売上、もうすぐ1億突破したぞ!」
「やったな!……って違う!本番前に金の話すんな!!」
「経営者の血が騒ぐんだよ!」
「お前もか!!!」
一方その頃、装鞍所の隅では、カスケードがストレッチ中。
静かな集中……のはずが、彼のスタッフたちがスマホでTikTokを撮っている。
「#カスケードチャレンジ」「#推しの馬が尊い」などのタグが乱立。
(何この時代……俺らSNSに食われてない?)
未来ちゃんも俺の背でスマホを構え始めた。
「ちょっと撮っておこうっと。出走前ルーティンってタイトルで!」
「おい、それバズるやつだろ!?」
「うん、社長馬、出走前に深呼吸!」
「タイトルが弱い!!課税逃れの呼吸とかにしろ!!!」
「捕まるわ!!!」
その騒ぎの最中、アナウンスが鳴り響いた。
『まもなく出走時刻です。出走馬の皆さんはゲート前へお越しください』
(きた……!)
俺の蹄が自然に地面を叩いた。ドクン、ドクンと心臓が高鳴る。
観客の歓声が遠くから波のように押し寄せる。
未来ちゃんが手綱を握る。
「行こう、マスト。逃げるよ!」
「おう!」
――そして俺たちは、装鞍所を出た。
太陽の光、カメラのフラッシュ、巨大モニターに映る俺の顔。
「うわ、カメラ寄りすぎ!毛穴まで映ってる!」
「社長、今日も最高にキマってるわ!」
「カメラに投資したの俺だよ!!!」
ゲート前にはカスケード。冷静そのもの。
「先輩。逃げるんですか?」
「ああ、逃げる。全力でな!」
「いいですね。じゃあ私は、捕まえに行きます」
「くっ……若造が言うじゃねえか」
「ふふ、若さは罪ですから」
「ポエム合戦やめろ!」
ピーターⅡの実況がスタートした。
『さあ、皆さんお待ちかね!マストブリンガー、今日もトラブルの中心に立っております!』
「おい貶すな!」
『鞍上は大原未来!彼女の尻にすべてを託した男です!』
「やめろ!公の電波で言うな!!!」
『対するは新星カスケード!冷静沈着、まるでExcel関数のような精密さです!』
「たとえが意味不明!」
スタンドが爆笑に包まれる中、俺たちはゲートに入った。
未来ちゃんが深呼吸。
「マスト、リラックスして。これは戦いじゃなくて、あなたのステージよ」
「……よし、やるか!」
「そう、それでいい!」
ピーターⅡが叫ぶ。
『全馬ゲートイン完了!スタートの瞬間、あなたの推し馬が歴史を作る!』
(こいつ実況向いてるの悔しい)
◆
ゲートが開いた。
俺は、朝日杯の時のように――いや、それ以上に迷いがなかった。
弥生賞の時みたいに焦ることも、計算することも、怒ることも、もう全部捨てた。
ただ、心の赴くままに――前へ!
風が気持ちいい。
ターフを蹴る音が最高に心地いい。
これだ。これが、俺が本当にやりたかった走りだ。
経営とか興行とか、税率とか、全部どうでもいい!
実況が叫ぶ。
《おおっと、マストブリンガー!行った、行った!ゲートから猛然とダッシュして、早くもカスケードを大きく引き離す!これはとんでもないハイペースだ!》
ピーターⅡの声が会場に響く。
《速すぎる!あいつ絶対確定申告から逃げてるスピードだ!》
「逃げてねえよ!!!」俺は思わず怒鳴った。
未来ちゃんが笑う。
「いいのよ、マスト!どんどん行って!」
「おうよ!」
後ろを振り返らない。
でも、カスケードが俺に付き合ってこないのは分かっていた。
(あくまで末脚勝負か、カスケード。いいだろう)
口の端を上げた。
「来いよ、若造。俺がどんな走りを見せるか、しっかり見とけ!」
それからの時間は、まるで夢の中だった。
ターフの緑が光に染まり、風が体を包む。
脚が勝手に動き、呼吸もリズムも完璧。
「うおおおおおお!」
叫びながら、俺はただ走る。
それはもう、ただのレースじゃなかった。
未来ちゃんの声が耳元で響く。
「マスト!このまま突っ走って!」
「任せとけええええ!!!」
後ろのカスケード?知らん!今はただ、この風と一体になって――
《マストブリンガー、完全に飛んでおります!まるでペガサス!いや、これは経営者ペガサスだ!》
「何その肩書き!?俺もう神話入りしてるの!?」
《そして大原騎手のフォームも美しい!あの座り姿勢、もはやジョッキーというよりバイクレーサー!》
「うるせえ実況!集中できねえ!」
1コーナーを回る。スピードはさらに上がる。
未来ちゃんが叫ぶ。
「いいわよブリンガー!そのままリズムを刻んで!」
「うおおお!俺、今、ターフと結婚できそう!!」
「それはやめて!地面と結婚しないで!」
風を切る感覚が、全身を包む。
目の前にあるのは、ただ広がる緑の海。
観客席の歓声が遠のいて、世界が静まり返る。
(ああ……これだ。この感覚だ)
俺は、誰のためでもない、俺自身のための走りに、ただ身を任せていた。
いやぁ……やっちゃいました。
牧場に観客4万人。屋台。スポンサー契約。
馬が実況に抗議。
そして、経営と感動の融合。
もはや競馬ではなく「企業系ライブイベント」でしたが、
書きながら作者も笑いと涙で手が止まりました。
今回のテーマは解放。
弥生賞の敗北で失った自信を、
「誰のためでもない、自分のための走り」で取り戻す。
そんなブリンガーの原点回帰です。