蹄鉄の軌跡~あるいは馬(俺)の調教マニュアル~ 作:斉宮 柴野
今回はついに「カスケード誕生」という歴史的瞬間に立ち会い、ブリンガー自身も栗東へ入厩。経営者としても走者としても、物語が大きく動き始めます。
俺の経営者としての最初の仕事は、このオーバースペックな施設の有効活用だった。
名付けて――マストファーム・レンタル事業!
「え、施設貸すの?」とオーナー。
「そうだ。最新の獣医施設や温泉施設、近隣の牧場が喉から手が出るほど欲しがってる」
「うちの温泉は家族風呂じゃないの?」
「馬用だっつってんだろ!」
特に需要が高いのは分娩シーズン。
難産の危険がある牝馬にとって、設備の整った分娩馬房と専門スタッフは命綱だ。
もちろん契約書とスケジュール管理は俺が蹄でやる。
「字、綺麗だね」と税理士に褒められた時は泣きそうになった。
そんな折、最初の“大口顧客”が決まった。
――本多リッチファーム。
カスケードの母馬、ヒロポンが入厩してきたのだ。
「おいおい……マジかよ」
俺は心の中で叫んだ。
原作最強クラスの怪物、カスケード。その誕生に俺が関わることになるとは。
ヒロポンは受胎中から体調が悪く、到着した時もぐったりしていた。
「うちで面倒見るしかねえ」
俺は即座に獣医チームを召集した。もちろん全員、一流。
「馬が院長ってどうなんすかね?」と新人獣医がぼやいたが無視した。
そして運命の日。
ヒロポンが激しく身をよじり、いよいよ出産が始まった。
「先生!陣痛きました!」
「胎位は?」
「やや不正!」
「修正急げ!」
俺は馬房の前で祈るように蹄を組んだ。
母ちゃんが隣で呑気に言った。
「坊や、大丈夫よ。命は強いわ」
「緊張感持て!」
オーナーは青ざめていた。
「な、なんかすごいことになってるね…」
「すごいどころじゃねえ!世界の未来がかかってんだ!」
「そんな大げさな」
「大げさじゃない!マキバオーに並ぶ伝説が生まれるんだぞ!」
長い格闘の末、ついに産声が響いた。
「――ンヒヒーン!」
元気な黒鹿毛の牡馬。
後に“カスケード”と呼ばれる存在だ。
獣医が汗だくで報告する。
「母子ともに無事です!」
「よっしゃあああ!」
俺は思わずガッツポーズした。
本多社長が駆けつけてきた。
「マストブリンガー君、本当にありがとう!君がいなければ、カスケードは生まれなかったかもしれない!」
深々と頭を下げられて、俺は照れた。
「いや、俺はやるべきことをやっただけです」
「馬なのにイケメン発言!」とオーナーが爆笑。
「黙れ!」
馬房の中では、ヒロポンが汗まみれになりながら子を舐めていた。
その子馬はまだおぼつかない足で立ち上がり、プルプル震えている。
でも瞳の奥に、強烈な光が宿っていた。
(ああ……これがカスケード……)
一競馬ファンとして、俺は震えた。
とんでもない怪物が今、生まれたんだ。
俺はその瞬間に立ち会ってしまった。
母ちゃんがにやりと笑った。
「坊や、いいライバルができたわね」
「ライバル?いや、化け物だぞあいつは!」
「化け物同士、いい勝負よ」
「俺を化け物扱いすんな!」
でも内心、嬉しかった。
“世代”を背負って走るなら、やっぱり強大な敵が必要だ。
マキバオーに、カスケード。
そして俺、マストブリンガー。
……面白くなってきたじゃねえか。
◆
年が明けて、俺も2歳馬になった。昔の数え方だと3歳。クラシックを走るのは3歳、昔で言う4歳。
「ややこしいなあ!」って俺が叫んだら、オーナーが首をかしげてた。
「え?別にややこしくないよ?」
「いや馬にとっては死活問題なんだよ!」
「そうなんだ〜(わかってない)」
レンタル事業は順調で、牧場には活気が戻ってきた。人の出入りが増え、ホコリまみれだった施設も復活してる。
温泉なんて毎日稼働してるし、プールも大人気。……馬用プールでまたオーナーがクロールしてたけど、もう突っ込むのも疲れた。
そして春。母ちゃんが牝馬を無事に出産した。
父はシンボリルドルフ。つまり俺の妹だ。
母ちゃんがにっこにこで言う。
「見て坊や、可愛いでしょ!あのルドルフの子よ!」
「いやそんなデレデレしなくても…」
「だってイケメンの子だもの〜」
「俺だってイケメンルドルフの甥っ子だろ!」
「まあまあ」
「“まあまあ”って何だよ!」
ともあれ、マストファーム所属は俺、妹、そして先代から残った母ちゃんの3頭。
少数精鋭。未来は……たぶん明るい。
夏が近づき、ついに俺の入厩の日がやってきた。
戦場は――栗東トレーニングセンター。
「うわあ、本当に行っちゃうんだね」
オーナー(美桜ちゃん)がしんみりしてた。
「お前が一番心配なんだよ!」
「ひどい!」
「いや本気で言ってる!」
新人調教師・未来ちゃんは相変わらず情熱だけで空回り。
「マストブリンガー君、待っててね!全力で育てるから!」
「全力じゃなくて適切にやれ!」
「……え?」
「全力=オーバーワークだからな!」
俺は出発前夜、オーナーに念を押した。
「いいか、最終的な出走登録や放牧の判断は必ず俺に確認しろ!」
「え、でも馬に確認って…」
「いいからやれ!」
さらに、顧問社労士に俺専用のホットラインを持たせた。実際はオーナーの携帯経由だけどな。
「馬専用ホットラインって前代未聞だね」
「俺が前例を作る!」
そして、俺が一番期待してる少年――牧場長の息子、啓太。
彼に、一冊の本を渡した。
【マストブリンガー著:『馬体診断から学ぶ、競走馬との対話術』】
啓太は目を丸くしてた。
「え、これ全部君が書いたの?」
「そうだ。俺の知識の全てだ」
「すごい!こんなの大人でも書けないよ!」
「親父より役立つだろ」
「うん、絶対!」
……おい、即答かよ。
本の内容はガチだ。
パドックでの歩き方、毛ヅヤのチェック、飼い葉の食い付きと馬体の関係……全部詰め込んだ。
俺の「置き土産」だ。
母ちゃんは相変わらずのんきに言う。
「坊や、いよいよだね〜」
「母ちゃん、俺、いなくても大丈夫か?」
「大丈夫大丈夫。妹もいるし」
「なんか俺だけ外されてない!?」
こうして俺は、影の経営者兼競走馬として、ついに本物の舞台へ踏み出すことになった。
「待ってろよ、栗東!」
……まあ、待ってなくても行くんだけどな。
◆
馬運車に揺られ、俺は生まれて初めて牧場を出た。
「いよいよトレセンか……」
窓の外の景色が流れていく。緊張というより、不安で胃が痛い。
栗東トレーニングセンターは噂に違わぬ巨大な施設だった。坂路コース、ウッドチップコース、ダート、芝、プール、ゲート棟……一望するだけでクラクラする。
「おお、これが魔境か……」
思わずつぶやいた俺に、隣の母ちゃん(見送りに来てた)がのんきに言った。
「坊や、がんばってね〜。私は妹と草食べて待ってるから」
「応援の言葉が軽いんだよ!」
厩舎に到着すると、調教師の姉ちゃん――未来ちゃんが飛びついてきた。
「どうしようマストブリンガー君!ゲート試験の申し込みって、どこでするの!?」
「お前が調教師だろ!!」
「だって、誰も教えてくれないんだもん!」
「管理棟だ!あっち!」
俺は蹄で方向を指し示した。
この前なんて、真顔でこう聞かれたんだ。
「ねえ、君が調教師免許を取るのはどうだろう?」
「俺、馬なんだけど?」
「でも実務は全部やってるし!」
「……否定できねえのが辛い」
この世界ならマジで受験できるんじゃないかと、一瞬考えてしまった自分が怖い。
厩舎で俺を迎えたのは、牧場で馴致を手伝ってくれた顔なじみの厩務員たちだった。
「おお、ブリンガー!いよいよだな!」
「ここでもよろしくな!」
「癒しはお前らだけだ……」
俺は本気でそう思った。
未来ちゃんは相変わらずドタバタしていた。
「よし、まずはゲート試験ね!」
「うん、一発で合格するぞ」
「え、でも練習ってどうするの?」
「ゲート入って静かに立って、合図でダッシュだ。シンプルだろ」
「そ、そんな簡単に言うけど……」
「簡単だから!難しく考えるな!」
オーナー(美桜ちゃん)も付き添いで来てたが、完全に観光気分だった。
「わー!すごいね!馬がいっぱい!」
「当たり前だ!トレセンだぞ!」
「でもみんな同じ顔に見える〜」
「二度とその発言するな!」
ゲート練習初日。
俺は堂々とゲートに入った。
「はい、閉めていいよ」
「うわっ、落ち着いてる!」と厩務員。
「そりゃ俺プロだからな」
「馬がプロって……」
「黙れ!」
問題は未来ちゃんだ。
「え、えっと……合図って、どうやるんだっけ?」
「スタート係が旗振るんだよ!お前の出番ねえから!」
「そ、そうなんだ!」
「知らなかったのかよ!」
ゲートが開いた瞬間、俺はスパーンと飛び出した。
「はい、一発クリア」
未来ちゃんが涙目で叫ぶ。
「すごい!やっぱり君が調教師やったほうがいいよ!」
「だから馬なんだって!」
夜。厩舎で藁の上に寝転びながら、俺は天井を見つめた。
(ここからが本当の戦いだ。夏の新馬戦デビュー……)
ワクワクと不安が入り混じる。
母ちゃんからメッセージ(牧場経由)。
「坊や、ちゃんとご飯食べてる?おなか壊してない?」
「心配の次元が母親!」
「だって坊やだもの」
「もう2歳なんだぞ!」
……まあ、まだまだ俺は母ちゃんの子なんだな。
ともあれ、栗東という魔境で、俺の伝説を始めさせる。
「新馬戦、絶対勝ってやる!」
俺は藁を蹴り飛ばし、静かに闘志を燃やした。
走る前に経営、交渉、レンタル事業と大忙しのブリンガーですが、ようやく「競走馬としての第一歩」を踏み出しました。
感想や「ここもっと掘り下げて!」というご意見、ぜひお待ちしています!