Rebellion beats~青春の残響~ 作:R提督(旧SYSTEM-R)
今日から、最新作「Rebellion beats」の連載をスタートしたいと思います。既に第三章までは書き溜めていますが、久しぶりの連載小説の執筆になるので頑張ります。
第一章は、物語の世界観や骨子を提示する都合上、他の章よりも若干文字数が厚めになっています。その分、読みごたえもしっかりあるかと思いますのでお楽しみに。それではどうぞ。
教室の左隅、窓際の列の一番後ろ。そこが、旭ヶ丘高校2年A組、藤原蓮の定位置だ。彼の姿や身に纏う空気感は、校内にいる時はいつもほとんど変わらない。授業中も、休み時間中も、給食の時でさえも。
今日もまた、彼は休み時間にもかかわらず、既に次の授業の教科書とノートを広げて机に向かっていた。彼の周りでは、年相応に賑やかな生徒たちの話し声が響いているというのに、蓮の席だけはまるで別世界かのように静かだ。
「まーたあのチー牛、律儀にノートなんかとってやがる。全く真面目だこと」
蓮の耳に、嘲るような調子の声が届いた。そして、それに呼応するかのような蔑みを込めた笑い声も。
(また始まったか…)
心の中だけで、蓮は一人呟いた。振り返らなくたって、その声の主が誰かは分かっている。そして、その声が自分の耳に届くたび、しっかりと読み込んでいるはずのページの文字は、途端に頭に入らなくなるのだ。
城ヶ崎隼人。いわゆるスクールカーストと呼ばれる暗黙の序列構造において、このクラスの最上位に君臨する男だ。勉強の方はそこそこながら、スポーツ万能で顔もそれなりに男前、かつ人を不思議と惹きつけるカリスマ性も備えており、自然と「一軍」のポジションを手にしてきた。それが故にか、格下と見做した相手に対しては傲慢に振る舞うところも含めて、まさに「王様」と呼ぶに相応しい存在だ。
方や、藤原蓮という男。幼い頃から、両親には愛情深く育てられ、親戚誰からも真面目で優しいと評される心根の持ち主。だが一方で、内に篭りやすい性格故に人前に立つことも、集団を引っ張ることも、他人と自分から関わることすらも得意ではない。ただ普通にしているだけで、気づけば周囲からも自然と「陰キャ」「チー牛」とレッテル貼りをされ、今の「片隅の住人」としての位置に落ち着いた。
そんな彼ゆえに、王様が無遠慮な言葉を投げつけてこようとも、立ち向かうという選択肢は最初から持ち合わせてなどいなかった。出来ることといえば、ただ嵐が過ぎるのを待つだけ。今回も、いつもと同じくそうするつもりだったのに。
「ちょっとやめなよ、いつもいつも。藤原くんが可哀想じゃん」
突然、隼人の冷たい声とは全く違った調子の声が響いた。思わず、チラッとその方向に目を向けると、一人の女子生徒の姿が目に飛び込んでくる。背中越しにでも、その正体は一目で分かる。明るい金髪ロングに真っ白な肌、そして高校2年生にもかかわらず、バッチリ決めたギャルメイク。このクラスにおける一軍の地位を占める一人であり、蓮にとっては隣の席の住人である、橘美咲だった。
「勉強に真面目なのはいいことなんだよ、私いつも試験前に助かってるんだからさ。隼人だって、ノートコピーさせてもらってお世話になったことくらいあるでしょ?」
「へいへい、悪かったよ。ったく、うちのクラスの女王様は相変わらず平民にもお優しいこって」
「何それ、女王様とか平民とか知らんし!同じクラスメイトが、目の前で悲しそうにしてるところなんて見たくないだけですーっ!」
呆れたような口調で肩をすくめた隼人に向かって、抗議の舌出しを決めてみせる美咲。隼人も取り巻きも思わず言葉を失う中、彼女は一転して気さくな笑顔を浮かべながら、蓮の方に向き直った。いかにもギャル、といった感じの派手なマニキュアが施された指先が、整った顔立ち共々彼の目に飛び込んでくる。
「ごめんね、隣でうるさくしちゃって。次の時間、プリント見せてね」
「っ…!」
その何気ない言葉と明るい表情に、蓮の心の中に温かいものが流れた。基本的にずっと孤独に過ごしているこのクラスの中で、美咲だけは蓮に対しても常に対等に、フレンドリーに接してきた。陽の光のような彼女にとって、それは別に特別なことでは決してない。スクールカーストなんて知ったことかと言わんばかりに、困っているクラスメイトには誰にでも自然と寄り添える、そんな優しさの持ち主なのだ。だから、彼女にとっては蓮とのコミュニケーションも、あくまでその延長に過ぎなかった。
だが、そんな彼女の何気ない優しさは、蓮にとっては特別な何かだった。この旭ヶ丘高校という「精神の牢獄」の中で、自分のことを蔑みも嘲りもせず、一人の個人として対等に接してくれる人物。派手で華やかな見た目の「白ギャル一軍女子」は、藤原蓮にとっては救いであり、憧れの存在であり、それでいて決して手が届かない別世界の住人だった。
思わず真っ赤になり、気まずそうに目を逸らす。視界の端でにっこり微笑む美咲の表情に、今日もまた心の中で後悔の言葉が浮かぶのだった。あぁ、「ありがとう」の一言くらい、たまにはちゃんと言えたらいいのに、と。
高校2年生にとっては、授業の時間というのは往々にして退屈なものである。終了後の下校時刻がチラつく6限目ともなれば、生徒たちの心は自然とソワソワしだすのは自然の摂理だろう。
そんな「この日最後の授業」故の、一瞬の集中力の欠如のせいだろうか。黙って担当教師の説明に耳を傾けていた蓮の目に、突然ある光景が飛び込んできた。自分の右斜め前の席に座る女子生徒の机から、消しゴムが一つ転がり落ちたのだ。ちょうど通路の真ん中、手を伸ばせば届くくらいの距離に止まった白い物体に、彼の目は思わず釘付けになる。
(あっ…消しゴム…)
教科書に目を落としつつも、蓮の目はページの文字と通路上の消しゴムの間を交互に行き来する。落とした当の女子生徒は、その事実にはまだ気づいていないようだ。彼女の机を後方からチラリと見る。他に代わりとなるものも特に置かれてはいないようだった。
(どうしよう…、手元にないのに気づいたらきっと困るよな…)
ふと、心にそんな言葉が浮かぶ。
(気づいた俺が拾ってあげた方がいいんだよな、きっと…)
もちろん、蓮も頭ではそんなことは分かっているのだ。本人も、他の生徒も黒板の方に視線を向けているこの状況、拾ってあげられるのは自分だけなのだから。しかし。
(いや、ちょうど自分でも拾えそうな位置だから、俺が手を出すのは逆に良くないのかな。他の奴も気づくかもしれないし…)
そんな言い訳をする悪癖が、また覗いた。自分が一歩踏み出すのが一番いいと分かっていても、その勇気がどうしても持てなくて目を背けてしまう回避癖。何か目の前で起きた時に、決まって発動してしまうその弱さこそが、蓮を今の立ち位置に追いやった一番の元凶だった。だが、それをどう乗り越えればいいのかも、まだ社会に出る前で未熟な今の蓮には分からなかったのだ。
その時、彼の目にふと隣の席で授業を受ける、美咲の横顔が映った。自分の視線には気づかない彼女の姿に、先ほど見たばかりの美咲の笑顔がオーバーラップする。
(橘さんは凄いよな…。俺みたいな奴にもいつも自然に優しくしてくれて。どうやったら真似出来るんだろう)
その言葉は、やがて宙に浮かんで消えた。いつも明るく、心優しく向き合ってくれる彼女に、蓮はずっと救われっぱなしだ。その優しさに対して、どう返したらいいのかも分からないまま。だがやがて、彼の心にまた別の言葉が浮かぶ。
(もしここで拾ってあげたら、相手が彼女じゃなくても少しは、誰かに自分が受けた優しさを返すことになるのかな…)
本来なら、これはここまで逡巡するような話ではないのかもしれない。ただこの学校に来て以来、自分から行動を起こすことなくずっとやり過ごすだけの高校生活を送ってきた蓮にとっては、これも立派な試練の一つだった。再び、右斜め前に目をやる。相変わらず、消しゴムに気づいている様子はない。
(よし…、拾ってあげよう!)
何度か、タイミングを図りつつ深呼吸を繰り返す。板書のため、教師がこちらに背を向けたのを見計らって、蓮は意を決して椅子の背を引き、床へとかがみ込んだ。目の前の消しゴムを拾い上げようと手を伸ばした、まさにその時。
「…!?」
彼の手に、細く白い指が重なった。思わず顔を上げると、目の前には消しゴムを落とした女子生徒の、怪訝そうな顔。
「…、何?」
「あ、いや、その…」
声量は落とした、しかし何やら冷たい問いかけに思わずしどろもどろになる。
「お、落としたの見えたから…拾ってあげようと思って…」
「ふーん…」
蓮の行動の意図を知っても、何故か冷たい声色を崩さない彼女は、やがて小さくため息をつくと思わぬ言葉を口にした。
「ありがとう。いいよ、もうそれあげるからそのまま使って。私はもう使わないから」
「…、えっ…?」
その言葉の意味を全く理解出来ないまま、目を見開いた蓮に、女子生徒は強引に消しゴムを押しつける。
「おい、お前ら授業中に何やってんだ」
「すいませーん、藤原くんが消しゴム落としてたんで、拾ってあげてました」
状況に気づいて声をかけた教師に対して、何食わぬ顔で応じつつ自分の席に戻る女子生徒。ただ一人状況を読み込めないまま、蓮は呆気に取られて瞬きを繰り返すことしか出来なかった。
(さっきのアレ、一体どういうことだったんだろう…)
6限目に続きホームルームが終わった後も、蓮はまだ状況を理解出来ないまま考え込んでいた。筆箱の中に、思わぬ形で転がり込んだ2個目の消しゴムが鎮守する。
(やっぱり、俺なんかが手を出さない方が良かったのかな。でも、なんで先生に対して嘘ついてまで俺に「あげる」なんて言ったんだ…?)
そう、蓮が頭を抱えたその時。
「なぁ、お前さっきのアレ、本当にあの陰キャの消しゴム拾ってやってたの?」
蓮の耳に、隼人の声が届く。その問いかけに対する返答もまた、どこか嘲るような空気感を含んだものだった。
「違う違うw んなわけないじゃんw あいつが勝手にあたしの消しゴム拾おうとしてたから、拾ってあげてるふりして押しつけたの」
(…、えっ…!?今なんて…、押しつけた…!?)
先ほどの女子生徒が発した、その想定の斜め上の言葉に蓮は驚愕し硬直した。あまりのショックに何も言葉を発せない彼に、さらなる言葉の刃が降りかかる。
「だってさぁ、陰キャが触った消しゴムとか自分が触るの嫌じゃない?あの暗い感じが感染りそうでさぁ。あーあ、この後買い直しに行かないといけないのダルいわー」
(触りたくない…?暗い雰囲気が感染る…?)
蓮は何も言葉を口に出来ず、何一つその言葉を理解出来ないまま、青ざめてガタガタ震え出した。最早椅子から立ち上がることすら出来ない彼に向かって、さらなる容赦ない追撃が飛ぶ。隼人だ。
「おーおー、やっぱり女ってのはこえーなぁw あいつお前のせいで震え上がってんぞw」
そう軽い口ぶりで応じながら、隼人はわざわざこちらを追い詰めるかのように近づいてくる。机一つを挟んだ距離までくると、彼は侮蔑的な視線を蓮に向けて投げかけてくる。
「まぁでもなぁ、そういう風に言われても正直仕方ねぇんじゃねぇの?せっかくだからこの際きっちり立場分からせてやるよ」
そう言うと、隼人は大上段から言葉の暴力を浴びせてきた。
「お前さ、普段から誰とも絡まずにひとりぼっち貫いてるくせして、何今更一丁前に他人と関わろうとしてんの?誰も求めてねぇんだよ、お前の優しさなんて」
「っ…!」
思わず、その言葉に蓮の目に涙が浮かんだ。
(何で?何で俺が、みんなの前でここまでの仕打ちを受けなきゃいけないんだ?俺は何も悪いことなんてしてない、ただ拾ってあげようとしただけじゃないか…!)
その反論を口にすることも出来ないまま、彼の目からはどんどん涙が溢れてくる。
(俺がさっき、どうすべきか必死に考えて絞り出した勇気は、間違いだったって言うのか…?いや、そんなはずはない。でも…)
内面から溢れ出てくる悔しさや悲しみの感情も、それを逆撫でする隼人の言葉も、止まることはない。
「いっつも美咲には優しくされてさ、自分が特別な人間にでもなったつもりか?本来なら誰にも相手されてない癖に、ずいぶんといいご身分だなおい?」
「ち、ちがっ…!」
流石に思わず口走った蓮に対し、隼人は最大級の侮蔑の言葉を口にする。その顔は、まさしく蓮の心を根本からへし折ろうとするかのようだった。
「違わねぇよ。お前みたいなクラス丸ごと暗くするような奴が、美咲みたいな奴とまともに喋れるなんて考えること自体思い上がりなんだわ。チー牛ならチー牛らしく、一生隅っこで引きこもってろや、クソ雑魚がよ」
その言葉で、ついに蓮のメンタルは完全に決壊した。隼人の言葉を許すことも出来ず、さりとてそれに対して真正面から言い返すことも出来ないまま、蓮は大声をあげて泣きながら、居合わせたクラスメイトたちが見守る中教室を飛び出していったのだった。なお、これとほぼ同時にお手洗いで教室に不在だった美咲が、ちょうど教室の同じドアから入室しようとしていたことを、この時の彼はまだ知らない。
夕方の河川敷には他に人もおらず、穏やかな時間が流れていた。悲しみのあまり、石畳に乱暴に鞄を投げ捨てて座り込んでから、どれくらい時間が経っただろうか。ようやく涙が途切れてからも、先ほど投げつけられた言葉の数々はずっと、蓮の頭の中でリフレインしっぱなしだった。
(旭ヶ丘に来たの、間違いだったのかな…)
そんな声にならない声が虚空に消えた、まさにその時。
「蓮…?お前何やってんだ、こんなとこで」
突然、背後から聞き馴染みのある声が呼びかけてきた。振り返ると、そこに立っていたのは黒の野球帽に黒Tシャツ、カーゴパンツというラフな格好の青年。5つ年上の蓮の従兄弟であり、旭ヶ丘高校における蓮の先輩であり、日本のRawstyleシーンで活躍する新進気鋭の若手DJ、KAIROSこと篠崎カイその人だった。
「カイ兄…?何でここに」
「久しぶりだな。明日この辺のハコでイベント出るからさ、前入りついでに散歩だよ」
KAIROSはそう答えると、蓮の顔を覗き込み「お前、目真っ赤だぞ。泣いてたのか?…、なんかあったんだな?」と問いかけた。美咲以外のクラスメイトからそれとは違う、自分の悲しみに寄り添った言葉に、再び蓮の涙腺が潤む。
「実はかくかくしかじかで…」
「なるほどな…。とんだクソ野郎どもに当たっちまったもんだ」
蓮から全ての経緯を聞かされ、KAIROSは忌々しそうに吐き捨てた。
「俺、ただ拾ってあげようとしただけなのに…」
「分かってる、お前は何も悪くない。むしろ人として、クラスメイトとして正しいことをしたんだ。たまたま相手がとんでもなく性根腐ってたってだけだろ」
しばし、どちらも黙り込んだまま無言の時間が流れた。ふと、KAIROSが蓮の顔を見やる。
「なぁ蓮。今年の旭祭、いつだ?」
「旭祭…?」
旭祭。演劇や屋台、お化け屋敷や軽音楽部によるライブなど、毎年多種多様な催しで盛り上がる、旭ヶ丘高校の文化祭だ。思わぬワードに、思わず蓮が聞き返す。
「確か、10月4日って聞いた気がするけど…。何でそんな先の話を…?」
不思議そうに自分を見つめる蓮の前で、KAIROSはしばし考え込んでから、「今日は6月4日…。本番まで4ヶ月なら、鍛えりゃなんとかなるな」と呟いた。その意図を図りかねたままの蓮に、彼が大真面目な顔で向き直る。
「お前さ、クラスでこんな目に遭わされて、めちゃくちゃ悔しいよな?」
「…、うん」
頷いた蓮に対して、KAIROSは思わぬワードを口にした。
「ならさ、お前をそんな理不尽な目に遭わせたクラスメイト相手に、一発逆転かましてやりたくないか?」
「一発…逆転…!?」
蓮が目を見開く。すかさずKAIROSが畳み掛けた。
「お前、今年の旭祭のライブステージでDJやれよ。機材も曲も俺が用意するし、ステージ上がれるように俺がきっちり鍛えてやる。もちろん、ブチかますのはRawstyleだ」
「えっ、ちょっ、まっ…」
予想外すぎる提案に、慌てふためく蓮。
「そんな、無茶言わないでよ!俺が人前に立つの大の苦手だって、カイ兄もよく知ってるじゃん!」
「あぁ、もちろん知ってるさ。…、
「いや、でも、そんな…」
あまりに突飛すぎるオファーに、蓮が思わずグルグル目になりかけた、まさにその時。
「藤原くん!」
突如、二人の背後から呼びかける声が聞こえた。二人が揃って振り向いた時、視線の先にいたのはまたしても予想外の人物だった。きっと長時間走り回って息も上がっているのだろう、美咲だ。
「た、橘さん!?何でここに!?」
驚きのあまり、蓮が素っ頓狂な声をあげた。
「良かった、探したんだよ!お手洗いから戻ってきたら、いきなり大声上げながら目の前で教室を飛び出してったんだもん。ビックリしちゃった」
美咲はそう答えると、ゆっくりとこちらに歩みを進めてきた。
「話は全部聞いたよ。教室で何があったかも、藤原くんが今ここで受けた提案の内容も。…、隼人のやつ最っ低!クラスメイトにあんな酷いこと言うなんて許せない!出てくる前、みんなの前で本気の平手打ち喰らわせてきたから!」
「橘さんが、俺のためにあいつに平手打ちを…!?」
恐らく初めて見たかもしれない、心の底からの怒りをあらわにした表情でそう吐き捨てた彼女を前に、蓮は絶句するしか出来なかった。そんな彼を尻目に、美咲はKAIROSに真剣な表情で向き直る。
「あの、KAIROSさんですよね。私、藤原くんのクラスメイトの橘美咲っていいます。こんなところでお会い出来て光栄です。あなたのその提案、あなたのファンとして私にも手伝わせてもらえませんか。…、私も、同じクラスの仲間として彼には一発逆転して欲しいから」
「!?!?!?」
蓮は、先ほどから目の前で繰り広げられている光景に、全く理解が追いつかなかった。美咲がわざわざ、自分を心配して追いかけてきたのもそうだが。
「橘さんが、カイ兄を知ってる…!?しかも今ファンって…」
思わずそう呟いた蓮に向かって、美咲はポケットから自分のスマホを取り出すと、誇らしげかつ自信満々に画面を見せつけた。反射的に覗き込んだ蓮の目に、予想もしない光景が飛び込んできた。表示されていたのは、楽曲配信サービスのプレイリスト。それも、Rawstyleシーンで今をときめく名曲ばかりが集まったものだ。蓮とKAIROSが、同時に息を呑んだ。
「私ね、こんな見た目だから信じられないと思うけど、Rawstyleが大好きなの。毎朝、曲を聴き込んでテンションぶち上げないと、一日が始まらないってレベルで」
「そう、だったんだ…」
「…、藤原くんも、きっと好きなんだよね?Rawstyle。それもみんなには見せないだけで、本当は私と同じかそれ以上に」
美咲の言葉に、蓮は黙ったまま反射的に頷く。理性を挟む余裕もない、ほとんど無意識のその行動に、美咲の表情がパァっと輝いた。
「ならやろうよ、文化祭!みんなのこと、ビックリさせちゃお!KAIROSさんがついてくれるんだったら、絶対上手くいくって!」
「いやぁ嬉しいねぇ、こんな可愛い子に推してもらえて、ここまで信頼してもらえるなんて果報者だよ俺は」
ただただ呆気にとられる蓮の横で、KAIROSは嬉しそうに呟いた。ようやく正気を取り戻した蓮が、美咲に問いかける。
「橘さん、何でそこまで…」
「さっきも言ったでしょ?私、自分の身の回りで誰かが辛そうにしてるところ、見たくないんだ。そういう人を見かけたらね、勝手に寄り添ってあげたくなっちゃうの」
美咲は、いつものような明るい笑みを浮かべながら答えた。
「それに、私すっごく嬉しいんだ。Rawstyleってまだまだニッチなジャンルだからさ、なかなか周りに語り合える人って少ないでしょ?だから、身近に同志を見つけられるのは最高に幸せなの!まさか、藤原くんも同じ音楽が好きって思わなかったからさ、これからいっぱい友達としておしゃべり出来るなって」
「友達…!?俺が、橘さんと…!?」
信じられない言葉に、蓮は開いた口が塞がらなかった。もちろんそれは、ネガティブな意味での驚嘆ではない。むしろ全くの真逆だった。自分が内心ずっと憧れ、心を救われてきた相手が、「自分と友達になろう」と声をかけてくれるなんて。
そんな蓮の内心を知ってか知らずか、美咲は申し訳なさそうに、しかし真剣な表情で彼と向き合った。
「押し付けがましかったら本当にごめんね?でも私、藤原くんには本気でDJやって欲しいって思ってるんだ。…、このままずっとやられっぱなしな姿、ずっと隣で見てるのは悲しいから」
「橘さん…」
「それにさ、みんなが寄ってたかってあんな言い方するのなんて許せないじゃん!私は隼人に平手打ち喰らわせてきたけどさ、藤原くんにも藤原くんのやり方でやり返して欲しいんだ!」
彼女の真剣な、それでいて可愛らしい怒り顔に、思わず蓮の表情が緩んだ。だが、それと同時に、彼の心には喜びの感情が湧き上がっていた。ずっと孤立してきた自分に真正面から向き合い、「ファミリー」の一員として応援してくれる人がいたなんて。教室ではほぼ常に孤独だった彼にとって、その事実は何よりの救いだった。そして、その気持ちに応えたいという彼の素直な感情は、首を縦に振らせるには十分だった。
「分かった。俺、やるよ。文化祭でDJとしてステージに立つ。正直、未知の世界だから不安がないと言ったら嘘になるけど…。俺のやり方で、一発逆転決めてみせる」
その言葉に、美咲もKAIROSも無言のまま、しかし満面の笑みを浮かべて頷いた。夕焼けのオレンジに包まれながら、後に「旭ヶ丘の伝説」として語り継がれることになるステージへの挑戦が、人知れず幕を開けた瞬間だった。
いかがだったでしょうか。
いわゆる「陰キャ」を描くの、実は自分にとっては結構大変な作業なんですよね。自分では自分のことは「陽キャ」だと思ったことはないですが、逆に「陰キャ」だと自覚したこともないので。実際周りからも、「どちらにも当てはまらないタイプ」だと言われることは多いです。
なので、リアリティを保つためにも彼らの思考や行動の様式は、結構研究したうえで描きましたね。少しでもリアルに描写できているならよかったです。第一章でいきなり凄まじい理不尽に晒される蓮ですが、第二章以降でどのように彼が立ち向かっていくのか、是非一緒に見守っていただけると嬉しいです。
それではまた次回お会いしましょう。