【コミカライズ連載開始】異界渡りを手に入れた無職がスローライフをするために金稼ぎする物語 作:パラレル・ゲーマー
スマホの画面に表示されたタスク管理アプリを眺めながら、新田創はげんなりとした顔をした。
『グランベル王国:魔石在庫確認・定期補充』
赤字で表示されたその項目が、彼に無言のプレッシャーをかけている。
「……あー、これ。そろそろ確認しに行く時期か」
グランベル王国に卸している魔石の在庫。
前にゲオルグから聞いた時点では、当時の消費ペースなら向こう五年は問題ないという話だった。だが、最近のあっちの国の発展ぶりを考えると、その計算が今もそのまま通用するとは限らない。
農業、冷凍保存、街灯、ゴーレム。魔石を使う場所は増える一方なのだ。
「……でも、ダンジョンで石拾いするの、地味に面倒なんだよな」
ゲーム感覚で楽しかったのは最初だけだ。今やただのピッキング作業である。
とりあえず、今の在庫状況と新しい売れ筋商品でも確認しに行くか。
まだ足りているなら、補充はまた先延ばししよう。
そうと決まれば話は早い。
創はTシャツにチノパンといういつものラフな格好のまま、グランベル王国の王都をイメージし、【異界渡り】を発動させた。
◇
王都の中心にそびえる、ラングローブ商会の本店。
裏口からひょっこりと現れた創の姿に、従業員たちは一瞬驚いた後、すぐさま壁際に張り付き、最敬礼をして道を空けた。
一階の取引ホールを歩きながら、創は店内の様子が以前と少し変わっていることに気づいた。
入り口付近の一等地には、かつては一部の貴族しか使えなかった『魔石ランプ』が、一般向けの実用品としてずらりと並べられている。
その隣には日本からの輸入雑貨や、魔石を利用した様々な生活用品。
魔石が、完全にこの世界のインフラとして社会に根付いている。
「……うん、いい感じに回ってるな」
創は満足げに頷きながら、最上階の会頭室へと向かった。
ノックもせずに扉を開けると、部屋の中では今日もゲオルグ・ラングローブが書類の山と格闘していた。
だが創の姿を認めるなり、彼は弾かれたように顔を上げ、満面の笑みで立ち上がった。
「おお! 魔法使い様! よくぞお越しくださいました!」
「どうも。特に用事はないんですけど、最近どうかなと思って」
創は軽く手を挙げ、勧められるままに最高級のソファに腰を下ろした。
すぐにメイドが紅茶と特製のプリンを運んでくる。
創がさっそくスプーンを手に取り、プリンを一口頬張ったところで、ゲオルグがニコニコと顔をほころばせながら言った。
「実はちょうど、魔法使い様へご報告したいことがございまして」
「ん? 何か問題?」
創はスプーンを止めた。
また何か面倒なトラブルか、と一瞬警戒する。
だが、ゲオルグは勢いよく首を横に振った。
「いえ! 逆でございます!」
彼は興奮気味に立ち上がると、創に向かって恭しく手を向けた。
「少々、こちらへお越しいただけますかな?」
◇
ゲオルグに案内されてやってきたのは、商会の敷地内にある巨大な倉庫の一つだった。
重厚な鉄の扉が開かれると、ひんやりとした空間の中に、無数の木箱が整然と積み上げられているのが見えた。
ゲオルグはその中の一つの木箱の前に立ち、誇らしげに蓋を開けた。
「……どうぞ、ご覧ください」
木箱の中には、大小さまざまな青黒い石がぎっしりと詰め込まれていた。
魔石だ。
だが、それは創がこれまでダンジョンから持ち込んでいたものとは、明らかに様子が違った。
創が納入していた魔石は、モンスターのドロップアイテムとして形が整い、表面も滑らかなものだった。
しかし、この木箱の中の魔石は違う。
表面には泥や土がこびりつき、母岩の一部がくっついたままになっているものもある。大きさもバラバラだ。
創は、その中から泥のついた不格好な原石を一つ、手に取った。
ひんやりとした感触。だが内部からは、確かに力強い魔力の脈動が伝わってくる。
「……ああ。新大陸のやつか」
創が言うと、ゲオルグは顔をくしゃくしゃにして、満面の笑みで頷いた。
「はい!」
新大陸の開拓。
あの『界穿ゲート』を開いてから、既にかなりの時間が経過していた。
最初の頃は、冒険者たちが偶然見つけた拳大の原石を買い取るだけだった。
だが、彼らは地道な努力を続けてきたのだ。
開拓都市周辺の安全確認、露頭の調査、浅層の採掘、そして運搬路の整備。
「最初の頃は、運の良い冒険者が見つけた物を買い取るだけでした。しかし今では、王国と我が商会が管理する採掘場から、毎日このように、荷車でまとまった量が運び出されております」
ゲオルグの声は、誇りに満ちていた。
「偶然拾った」のではなく、「継続して掘って持ち帰れる」段階に、彼らはついに到達したのだ。
◇
創は、手に持った泥だらけの魔石を見つめたまま、パッと顔を輝かせた。
「おお。じゃあ、ちゃんと掘れるようになったんですね」
「はい!」
だが、創はそこで数秒、何かを考えるように沈黙した。
「……ん?」
「はい?」
創はゲオルグの顔を見て、とても純粋な疑問を口にした。
「ということは……俺が魔石を持ってくる必要、もうなくない?」
「…………………………………………へ?」
ゲオルグの笑顔が、完全に凍りついた。
創はそんなゲオルグの硬直には全く気づかず、心の底から嬉しそうに言葉を続けた。
「いやー、良かった。あれ地味に補充するの面倒だったんですよね。量もどんどん増えてたし」
彼にとって、これは最高にハッピーなニュースだった。
定期タスクが一つ消滅する。会社員時代で言えば、恒常業務を一つ自動化したのと同じだ。
だが、その言葉を聞いたゲオルグの耳には、全く別の響きを持っていた。
それは、「神からの卒業を認められた」という、あまりにも重く、そして感動的な宣告。
「……魔法使い様……!」
ゲオルグの目から、ボロボロと大粒の涙が溢れ出した。
「え、なんで泣いてるんです?」
創はドン引きして一歩後ずさった。
「我々が……ようやく貴方様のお荷物にならずに済む日が……!」
「いや、そこまで大袈裟な話じゃ……」
創の困惑をよそに、ゲオルグは感極まってハンカチで顔を覆った。
このどうしようもない温度差こそが、彼らの関係性の真髄であった。
◇
ゲオルグはしばらく涙を拭っていたが、やがて表情を正し、深く頭を下げた。
「……とはいえ、魔法使い様。我々は、決して思い上がってはおりません」
「?」
「新大陸へ渡れるのは、貴方様があの『門』を開いてくださったからこそ。あれがなければ、我々はいまだ絶海の向こうに新大陸が存在することさえ知らなかったでしょう」
彼は真っ直ぐな目で創を見つめた。
「我々が自分で掘った、と胸を張れるのは、あの門の向こう側での話だけにございます」
その言葉に、創は深く納得した。
「まあ、ゲートは俺が作りましたけど……そこから先は皆さんがやってるんだから、十分じゃないですか?」
創にとって重要なのは、誰が最初のきっかけを作ったかではない。
ゲートの向こうで、自分が毎回手を動かさなくても仕組みが回ることだ。
「俺が毎週鉱山に行って採ってきてるわけじゃないし。だったら自給自足でいいでしょ」
創のその言葉を、ゲオルグは深い慈愛として受け取った。
創はふと、以前聞いた話を思い出した。
「でも、あの大鉱脈まで行けたんです?」
その問いに、ゲオルグの表情がサッと曇った。
「……いえ。それが……」
新大陸の奥地に広がる『迷わずの森』。
あそこには、創がかつて示した莫大な魔石の大鉱脈が眠っているはずだった。
だが、騎士団長ケイレブが音速で動く狼男に遭遇し、深手を負って帰還した事件は記憶に新しい。
現在、あの森は全面的な立入禁止となっている。
「現在採掘しているのは、新王都から比較的安全に到達できる岩場と、その周辺で見つかった浅い鉱区のみです」
つまり、本命の大鉱脈にはまだ手をつけていない状態なのだ。
それを聞いた創は、あっさりと答えた。
「じゃあ、無理に行かなくていいんじゃないです?」
「……よろしいので?」
「だって、元々渡した魔石、五年分くらい残ってるんでしょ?」
創は以前の在庫状況を思い出した。
「それに今掘ってる分もある。だったら急いで危ない森へ突っ込んで、死人を出す必要ないですよ」
その合理的な結論に、ゲオルグは一瞬ぽかんとした。
「……確かに」
「魔石は腐らないんだし。安全なところから掘ればいいじゃないですか」
創にとって、危険な森を今すぐ突破する理由はどこにもなかった。
次の資源を探す準備は必要でも、まだ余裕があるうちから命まで懸ける必要はない。
◇
「もしお時間がございましたら、実際の採掘と輸送の様子をご覧になりますか?」
ゲオルグの提案に、創は「行きます」と即答した。
せっかく来たのだし、面白そうだ。
二人は王都の郊外に設置された『界穿ゲート』へと向かった。
光の渦巻く巨大な門の前では、休むことなく人と物資が行き交っていた。
「はい、次の荷車、通れー!」
警備兵たちが声を張り上げて交通整理を行なっている。
王都からは食料、工具、建築資材が吸い込まれ、向こう側からは新大陸の魚、木材、そして魔石の原石が絶え間なく吐き出されてくる。
かつては神の奇跡だった門が、完全に日常のインフラと化していた。
「……完全に物流センターの搬入口だな」
創は笑った。
ゲートをくぐり抜けると、そこには新大陸の風景が広がっていた。
「……またデカくなってるな」
創は感心して息を漏らした。
以前シンを連れて訪れた時にも、ここはすでに立派な開拓都市になっていた。だが今は、その時よりさらに建物が増えている。
土塁と城壁が整備され、宿屋や鍛冶屋に加え、新しい倉庫や工房の看板まで風に揺れている。
「今では、こちらで生まれた商売だけで暮らす者も増えております」
ゲオルグが誇らしげに説明する。
開拓民が魚を売り、鍛冶屋が採掘用具を修理し、荷運び人が魔石を運ぶ。
単なる鉱山ではなく、そこを中心とした地域経済が完全に発生しているのだ。
二人が物流拠点となる大倉庫の前に来ると、岩場の方から荷車隊が戻ってくるのが見えた。
泥まみれの採掘者たちと、荷台に積まれた魔石の原石。
「採掘隊が戻ったぞ!」
「今日は多いぞ!」
「選別班を呼べ!」
活気に満ちた声が飛び交う中、採掘者の一人が創の姿に気づいた。
彼は一瞬固まり、そして信じられないものを見るように目を丸くした。
「……ま、魔法使い様!?」
周囲がざわつく。
自分たちが掘った魔石を、この国に奇跡をもたらした張本人に見られているのだ。
「あー、どうも。お疲れ様です」
創はものすごく普通に挨拶した。
その張り詰めた空気の中、採掘班の班長らしき若者が、一歩前に進み出た。
彼は荷台の中から、今日採れた中でも特に状態の良い原石を一つ選び出し、恭しく両手で掲げた。
「魔法使い様。どうか、これを」
「俺に?」
「はい。我々が、この手で掘り出した石です」
創はそれを受け取った。
土がついている。形も不格好だ。
彼が昔持ってきたような、完成品のような綺麗さはない。
だが、内部に確かな魔力がある。
これは、自分が拾ってきたものではない。
自分がゲートを開き、その向こうへ行った人たちが、自分たちで見つけ、自分たちで掘り、自分たちで運んできたものだ。
「……いいですね」
創がぽつりと呟くと、若者が緊張した声で「はい?」と聞き返した。
「ちゃんと、皆さんの魔石だ」
創はにっこりと笑って言った。
◇
「これまでは、魔石の供給源は全て魔法使い様に頼り切っておりました」
帰り道、ゲオルグが感慨深げに語った。
だからこそ国民にとって魔石は、奇跡であり、有限の神宝だった。
だが今、それは鉱山へ行けば採れる「資源」になり始めている。
「今の採掘量では、王国全ての需要を賄うには到底足りません」
ゲオルグは冷静に分析する。
一気に魔石が安価になることはない。価格高騰が止まり、供給不安が少し和らいだ程度だ。
「少なくとも、新しく増え続ける需要の一部を、自分たちの手で埋められるようになりました」
「魔法使い様より賜った高品質な魔石は、今後、国家備蓄として温存する方針でございます」
「ああ。それいいですね」
創は頷いた。以前渡した分を非常用の備蓄へ回せるなら、それに越したことはない。
「では……今後の魔石の納入は……」
ゲオルグが恐る恐る尋ねる。
「一旦やめましょうか」
創があっさりと答えると、ゲオルグが少し緊張した。
だが、創は続ける。
「足りなくなったら言ってください。その時は持ってきますから」
足りなくなれば、その時に自分が補えばいい。
「まず皆さんが掘った分を使ってみましょう」
ゲオルグは、その言葉をしばらく噛み締めるように黙っていた。
「……ありがとうございます」
ゲオルグは深く頭を下げた。
「何が?」
「我々に、自ら歩くことをお許しいただいて」
「いや……最初から歩いていいんですけど」
創は困ったように頭を掻き、ゲオルグは感極まったまま深く頭を下げる。
そのズレは最後まで埋まることはなかった。
「あと、森の向こうの大鉱脈は急がないでくださいね」
創は帰る前に、念を押すように言った。
「……はい」
「今の場所で採れるなら、そっちを掘ればいいじゃないですか。わざわざヤバいところに行って、死人を出す必要ないでしょ」
「次を探す準備くらいはしておけばいいですけど、まだ余裕があるうちから命まで懸ける必要はないですよ」
その言葉に、ゲオルグは深く納得したように頷いた。
帰り際。創はさっきもらった原石を見た。
「その石は、是非お持ち帰りください」
「じゃあ記念にもらいます」
莫大な金貨でもなく、貴重な宝でもない。
グランベル人が初めて自力で産業的に掘り始めた魔石。
創にとっては、それがちょっと嬉しかった。
◇
日本、自宅。
創が机の上へ原石を置く。
その横には、ゲームのコントローラーや飲み物、お菓子が散乱している。
神話級のアイテムでも何でもない、土のついた石がそこに加わった。
創はソファへ寝転んだ。
「……よし。これで魔石補充の仕事、一個減ったな」
スマホのタスク管理アプリを開き、「グランベル:魔石定期補充」をスワイプして削除する。
「やっぱ、俺がいなくても回るようになるのが一番だよな」
スローライフのためにも、人間たちが自分で発展していくのを見る楽しみとしても。
一方その頃。
グランベル王都。
新大陸産の魔石を積んだ最初の正式な定期輸送便が王都へ到着し、商会員や職人、鉱夫たちが歓声を上げていた。
加工場では、正式な定期便として届いた魔石の一部が選別され、使いやすい大きさへと加工されていく。
そして、その一つが王都の大通りに設置された公共の魔石ランプへセットされた。
カチッ。
光が灯る。
それ自体は、今まで何千回も見てきた魔石ランプの光。
でも今日は意味が違う。
誰かがポツリと呟いた。
「……俺たちの石で、灯った」
その夜、王都の一角で灯った一つの魔石灯は、これまでのものと何一つ変わらない光を放っていた。
ただ一つ違うのは、その光を生み出した石が、神から与えられたものではなく、人間たちが自分の手で土を掘り、自分の手で運び、自分の手で磨いたものだったということだけだ。
一方、その歴史的な瞬間のきっかけを作った男は、日本の山奥でゲームをしながら、タスク管理表から一項目を消していた。
『グランベル――魔石定期補充』
「……うん。仕事が減るって、やっぱ最高だな」
新田創のスローライフは、また一歩だけ完成に近づいていた。