狭い路地裏に、タッタッタッと、わたしの足音が響く。早く戻ってミレイを安心させてあげなきゃいけない。
天気は晴れているが、辺りは薄暗い。左右を背の高い建物に遮られたこの場所は、常に影に覆われている。進む度にその影に呑み込まれていくような気分に陥るのは、ミレイの心配性が移ったからだろうか。
(何考えてるの。早く抜ければいいだけでしょ)
「――」
(……?)
前方から誰かの声のようなものが聞こえた気がして、わたしは思わず足を止めた。反射的に警戒心が――同時に、好奇心が――働き、壁沿いにゆっくり近づいていく。
周囲の建物の大きさの違いから、道の先には少し広い空間――空き地のようなものが生まれていた。物置きにされているのか、いくつもの木箱が乱雑に置かれているのが見えた。
その空き地の、ちょうどこちらからは陰になって見えない辺りに、どうやら複数の人が集まっているらしく、断片的にだが会話が届いてくる。
「やっと、この日が――」
「私たち――れで救われ――」
まだ聞き取りづらい。もう少し近づいていく。
建物の角に到達し、陰から声の主を覗き見る。そこには、木箱を椅子代わりに腰掛ける、黒いローブを纏った三人の人間(男二人に女が一人だった)の姿を確認できた。
(何かしら、あの連中。こんなところにあんな格好で、見るからに怪しいわね……)
覗き見るこちらに気づいた様子もなく、三人のうちの一人、眼鏡をかけた優男が口を開く。
「さて、決行の前に手順を確認しておこう。最初に動くのは僕らだ。この街に昼の鐘が鳴り響くのを合図にして――……この近辺の建物を魔術により爆破し、暴動を起こす」
(……なん、ですって?)
魔術で、爆破……? 暴動……? なんのために? そんなことをすれば、騎士団が――
「そうなれば、騎士団が黙っていない。鎮圧のために詰め所から人員が送り込まれてくるはずだ。冒険者たちも動くかもしれない。そうして奴らの注意を引き付けておくのが、僕らの役割だ。あとはその隙をついて――司祭さまが、目的を果たされる」
残りの二人から、「おぉ……!」と感嘆の声が沸き上がる。対してわたしは声を失う。
(司祭……? どこかの神官……? 目的……そのために、わざわざ騒ぎを起こして囮になろうとしてるの……?)
彼らがやろうとしているのはれっきとした犯罪だ。しかも、そんな方法で果たそうとしている目的など、ろくなものじゃないだろう。
「今回の作戦が成功すれば、この街は大きな混乱に見舞われるだろう。仮初めの平穏は崩壊し、救いがこの地にもたらされるんだ。僕らの、そして司祭さまの手によって。――我らが悪魔、エラトマ・セリスの名の下に」
(――! こいつら、悪魔崇拝者!)
わたしは反射的に顔を引っ込め、思わず叫びそうになる口を手で覆った。
(ミレイの心配通りだった……! まだ仲間がいたんだわ……! しかも、何かとんでもない悪事を働こうとしてる……!)
心臓が激しく脈打ち、全身が熱を帯びる。この鼓動は、背に触れた壁越しに辺りに響いていないだろうか? すぐにこの場を離れなければ、気づかれるのではないか?
(早く騎士団に、アルテアに伝えないと……! それに、ミレイも避難させなきゃ――)
「――だからね」
その声は、想像以上に近くから聞こえてきた。そして、それに気づいた時にはすでに腕を取られ、先刻まで覗いていた空き地側に引っ張り込まれる。
「きゃっ!?」
「君を逃がして今の話を伝えられてしまっては、計画に支障が出るんだよ。分かるだろう?」
そう言うと、眼鏡の男は腕を引く力を強め、わたしを勢いよく地面に引きずり倒す。尻餅をつき、壁に背中を打つ。痛い。
気づかれていたの? いつから? いつの間に近づいて……
わたしを逃がさないためか、悪魔崇拝者の三人は三方からこちらを囲む。眼鏡の優男がローブの下に隠していた長剣を引き抜き、わたしの胸に突き付けた。その刃先の鋭さに呼吸が詰まり、上げようとしていた叫び声が喉奥に引っ込んでしまう。背筋が凍る。
「さて、君の処遇はどうしたものかな。聞かれてしまった以上、無事にここから返すというわけにはいかないからね」
言葉と共に、刃がほんの少し近づく。身体が震える。けれど、怖がってるなんて悟られたくない。それに、時間を稼げば誰かが気づいてくれるかもしれない。わたしは必死に強がってみせる。
「……わたしを殺すつもり? 街中での殺人は重罪よ。分かっているでしょう?」
「そうだね。全くその通りだ。けれどそれは――この街の司法が、通常通りに機能していればの話だ」
「!」
「話は聞こえていたんだろう? もうすぐこの街は大きな混乱に見舞われる。そうなれば、君一人が死んだところで誰も気に留めやしないさ」
こいつ……!
「こんなこと、騎士団だって、神殿だって……神々だって、決して許さないわよ!」
「あぁ、そうとも。神々は僕らを許さないだろう。そしてこの呪われた街を見守り続ける。――
――ずぶり、と。長剣の刃がわたしの胸の中心に突き刺される。心臓を貫き、背後の壁に刺さって止まり、わたしの身体を張り付けにする。
「あ……」
一言、声が漏れた。できるのはそれだけだった。
喉奥から血の塊が込み上げてきてゴポリと音を鳴らした。口からこぼれる。胸の傷からも流れ落ちていく。
(死ぬ……わたし、死ぬの……?)
考えなくても分かる。これは致命傷だ。貫かれた胸に激しい痛みを覚え、血液混じりの喉は呼吸が苦しい。傷口は熱を持っているのに、失われていく血と刃の冷たさが寒さを感じさせる。
痛い――苦しい――熱い――寒い――全てが混ざり合って、段々、それらの感覚も薄れていって……やがて、強烈な眠気と共に、視界が狭まってゆく。この欲求のままに目を閉じれば、わたしはそのまま眠るように意識を失っていくのだろう。
神殿の教えでは、死した魂は生前の善悪を量られてから神の元へ招かれ、生まれ変わるとされる。でも、それを見てきた者は誰もいない。だから、人によってはこう言うのだ。死は、永遠に覚めることのない眠りだと。
それが真実であるなら、たとえ何時間、何日、何年経とうと、もうわたしは目覚めることはない。眠りについてから次に目を覚ますまで一瞬で時間が経過するあの感覚が、わたしを置いてどこまでも続いて、でも意識は闇に溶けたまま……永遠に……
(怖い……目を閉じるのが怖い。目覚めないのが怖い。
あぁ、迫るこの喪失感、死への実感は、覚めない眠りこそが真実だとわたしに強く訴えかけてくる。恐怖に抵抗を試みるが、どうにもならない。やがて視界は完全に黒く閉ざされていき……けれど閉じたまぶたの裏で思い描いたのは……頼りなさの残る、あの少女。
そうだ。本当に怖いのは――
「マ――さん――!」
最期に、彼女の声が聞こえた気がした。