【完結】あのパンの香りが届かないように   作:八月森

2 / 27
2話 なんて言うんだっけ

――身体が、動かない。

 

(あ、れ……? 私、どうなって……)

 

 手足どころか指先も反応がない。眼球すら上手く動かせず、半ば固定された視界に入るのは、どんよりと前面に広がる曇り空と、端のほうでこちらを見下ろす人たちの姿。しかし見える角度がずれている。それでようやく気づいた。ずれているのは、私のほうだ。

 

 私は力なく地面に投げ出されていた。周りに人が集まり、何事か騒いでいるが、その声はどこか遠い。耳に詰め物をされたように聞こえづらかったが、断片的に聞こえるものもある。

 

「――女の子が()かれ――」

 

「――救急車を――」

 

(ひかれ……轢かれた……? あぁ、そっか……私は……)

 

 かすかに、思い出した。学校からの帰り道、横断歩道を渡ろうと歩き出したところで、猛スピードで信号無視してきた車に()ね飛ばされたことを。

 

 思い出したのがきっかけになったように、身体の感覚が少し蘇る。全身がバラバラになったような痛みが、身体の各所を走り抜けていく。

 それと反比例するかのように、身体から熱が失われていくのを感じる。背中越しに濡れた感触。おそらく、出血がひどい。制服の上に羽織った白のパーカーは、今や血の赤に染まっているのだろう。

 

(このパーカー、お気に入りだったんだけどなぁ……)

 

 場違いな感想を抱きながら、けれど同時に気づいてもいた。

 

(私、死ぬのかな……)

 

 全身の痛みと失われる熱が死の予感を突き付けてくる。暗く、深い穴の底に、自分がゆっくり沈み込んでいくような、形容しがたい恐怖。沈み込んだ先には、何もない……身体の感覚も、意識も。()()()()()()()! それに抵抗する(すべ)も気力もなく、緩やかな諦めと共に状況を受け入れていきながら、それでも私は……

 

(……死にたく、ないなぁ……)

 

 最期に、そう願った。

 

  ▼▼▼▼▼

 

「――……」

 

 気づけば私は、見知らぬ通りのど真ん中に立っていた。

 

「ここに並ぶのはハイラント帝国から仕入れた高品質の魔具ばかり! さあ、見ていって――」

 

「うちのパンは美味しいわよー! お値段もお買い得――」

 

「魔王も討伐されたし、少しは魔物の被害も減るかも――」

 

「いやー、『戦場』に近いこの街じゃ、あんまり変わらないんじゃ――」

 

「それより、最近怪しい連中がうろついてるって噂のほうが――」

 

 ガヤガヤ、ワイワイと活気のある街の喧騒。それらを耳にしながら、私は呆然と呟く。

 

「……ここ、どこ……?」

 

 情報を脳が処理できず途方に暮れる。肩から力が抜け、背負っていた通学鞄代わりのリュックサックが地面に滑り落ちた。

 

 右を見る。左を見る。再び正面に顔を向け、何度も瞬きする。しかし状況は変わらない。

 視界に入る景色も、通りゆく人々の装いも、私が見慣れたものとは全く違うものだった。地面はアスファルトではなく土を(なら)したものだし、建物は石や煉瓦を積み上げたものが多い。自動車ではなく、馬や馬車が走っている。

 

(外国……?)

 

 少なくとも街並みや人々の衣服は日本のものではない。ぼんやりとした知識しかないが、中世や近世ヨーロッパぐらいの、かなり古い雰囲気に思えた。それに外国だとしても、自動車や自転車の一台も走ってないのはおかしい気がする。

 

(そもそも私、いつの間にこんなところに……? さっきまで何してたんだっけ……?)

 

 前後の記憶があやふやで、どうしてここにいるのか分からない。何も思い出せない。

 

 往来で立ち呆ける私を不思議そうに、あるいは迷惑そうに眺めながら歩き去っていく人々。違和感を覚えるのは街並みだけじゃなく、彼らもだ。

 

 彼らの中には鎧を纏った人や、剣や槍、盾などの武具を身に着けた人も散見された。外国の法律は全く分からないが、それでも今の時代にこんな風に武器を携えていたら、普通ならとっくに逮捕されているのではないだろうか。が、誰もがそんな心配などないというように堂々と歩いている。それに何より――

 

「……」

 

 人々の中にはちらほらと、耳が長く尖っている人や、子供ぐらいの背丈なのにがっしりした体つきのひげモジャな人などが混じっていた。まるで、物語に出てくるエルフやドワーフのような……

 

(……え? 待って……まさかとは思うけど……これって、漫画や小説で読んだような、異世界転生っていうの、だったり……?)

 

 慌てて目線を下に向け、手足や衣服を確認する。

 手は見慣れた自分のもの。衣服も今朝から着ていたものと同じ、紺の制服の上にお気に入りの白いパーカーを羽織った状態のままだ。

 

(今朝……? 今朝は確か、学校に行くために制服に着替えて、それから……?)

 

 かろうじて思い出せたのはそれだけ。そこから先は(もや)がかかったように見通せない。ひとまず記憶を手繰るのを諦め、現状を把握しようとする。

 

(……多分、私は私のまま、この見知らぬ世界に連れてこられてる。それじゃあ、転生じゃなくて……ええと、なんて言うんだっけ……召喚……? 転移……?)

 

 手元に鏡がないので顔は確認できないが、それ以外は変わるところはないと思う。全くの別人としてこの見知らぬ世界に生まれ変わった訳では――

 

(そうだ、鏡!)

 

 コンパクトの手鏡なら確かリュックに入れておいたはずだ。先刻地面に落としたそれに意識を向けたところで――

 

「あ!?」

 

 バっ!と通行人の陰からボロボロの衣服を纏った赤髪の少女が現れ、落ちていた私の荷物を奪い去っていった。

 

「……っ!? ま、待って!」

 

 頭の冷静な部分は、見知らぬ土地で下手に動くことの危険を訴えていた。奪われた荷物も登下校に必要な物しか入れておらず、現状で役立ちそうな物や価値のある物などない。無理に追いかけないほうがいいかもしれない。

 

 それでも私は弾かれたように駆け出した。手鏡で顔を確認したかったのもあるが、あのリュックは現状唯一の日常との繋がりだ。それに(すが)る気持ちが私の背を後押しした。

 

「はっ……! はっ……! はっ……!」

 

 少女の足は速い。荷物を抱えているのに、手ぶらの私とそう変わらない速度で走り続ける。振り切られないように必死で足を動かし続けていくと、段々と視界に入る景色が寂れていき、人の通りも少なくなって……やがて、荒廃したスラムのような場所に辿り着く。

 振り切れないことに業を煮やしたのか、少女は足を止めこちらを振り向き、腰から、鈍く光る短剣を抜いた。

 

「!」

 

 自身に向けられる抜き身の刃。経験のない事態に息を呑む。見える限り周囲に人はおらず、誰かに助けてもらうことも期待できない。一匹の猫だけが視界の端に映った。

 

「はぁ……はぁ……クソっ、来るな……!」

 

 少女の威嚇の台詞がハッキリと聞き取れる。街の喧騒を聞いた時から気にはなっていたが、私の耳は彼女たちの言葉を問題なく理解できていた。どういう理屈だろう。

 

「その見慣れない格好、あんた、外からの旅行者だろ……! 『戦場』に近いこの街にわざわざ足を運ぶ酔狂な輩だ、さぞ裕福な暮らしをしてんだろうな……! 荷物の一つくらい恵んでくれよ……!」

 

 色々言いたいことはあるけれど、それよりも聞き捨てならない単語が聞こえた。

 

「せ、戦場……? この街の近くで、戦争してるん、ですか……!?」

 

「あ? ここまで来といて何言ってんだよ。魔物との戦争はずっと続いてる。ここは『終わらない戦場』に最も近い街、アライアンスだ。知っててこんな場所に来たんだろうが」

 

「……」

 

 絶句する。と同時に、目の前でちらつかせられる刃と同じか、それ以上に、言い知れぬ恐怖が全身を襲う。

 

 魔物がいる世界。戦争。戦場に最も近い街。

 先刻の通りにいた人々からは、それらに対する陰惨さは感じられなかったけど……

 

(でも、そっか……彼女からしてみれば、私は自分から危険な土地を見物しに来た、悪趣味な旅行者ってことに……)

 

 けれど、私はそんなこと知る由もなかったし、気づけばその危険な土地に連れてこられていただけだ。これからどうしたらいいのかも分からない。が、どうするにしろ、できれば荷物は取り返しておきたい。今は他に縋るものがない。

 

「さあ、とにかくここは引き返せよ姉ちゃん。こんなところで傷物になりたくねぇだろ」

 

「……そ、そういう訳には、いきません。その荷物は、大事な物なんです。だから……返して、ください……!」

 

 恐怖を振り払うように声を張り上げる。しかし慣れていないため、あまり大きな声にはならなかった。それでも……

 

「フシャァァア!」

 

 私のなけなしの勇気に応えてくれたのか、はたまた単に声に驚いただけか、視界の隅にいたはずの一匹の猫が、盗人の少女に飛び掛かっていた。

 

「うわ!? なんだ!?」

 

「――!」

 

 猫は少女の顔に飛びついていた。彼女は塞がれた視界を開こうとして闇雲に腕を振り回す。――取り返すなら、今しかない。少なくともこの時の私には、それはチャンスに思えたのだ。咄嗟に駆け出す。

 

「クソ、この、離れろ!?」

 

 少女がリュックから手を放し、空いた左手で顔に張り付いていた猫を引き剥がす。が、その際、彼女が右手に握っていた短剣の刃が、誤って猫の足を斬りつけてしまう。

 

「フギャ!?」

 

 悲鳴を上げた猫が地面に落下するのと、私が荷物に手を伸ばすのとは、ほとんど同時だった。

 

(ごめん、猫さん……!)

 

 怪我を負った彼(彼女?)に心中で謝罪しつつ、リュックの肩紐を掴んだ瞬間――

 

 ズブ――

 

 ――脇腹に、灼熱感が走った。

 

「あ!?」

 

 その声は私ではなく、盗人の少女のものだった。

 

「バ、バカ……! あたしは、ほんとに刺すつもりなんて……!」

 

 刺す……? 何が……? 何を、どこに……?

 

 働かない思考にやきもきしながら、妙な熱さを感じる脇腹に目を向ける。そこには、さっきまで少女が握っていた短剣が……

 視界を塞がれ混乱した少女が振り回した刃が、飛び出した私に勢いよく突き刺さって……

 

「あ……」

 

 認識した途端、顔から血の気が引く。少しして、喉奥からドロリとした液体がこみ上げてくる。

 

「ごぷ……」

 

 口から吐き出した血の塊が地面を赤黒く濡らす。立ち込める鉄錆の匂い。身体から力が抜け、その場で膝をついた私は、ほどなくして地面に横たわる。

 

「おい、あんた! しっかりしろ! おい――」

 

 少女が恐る恐る私の身体に手を添え、必死に呼びかけてくる。だけどそれだけで傷が塞がるはずもなく、流れる血の赤がパーカーの白を染め上げていく。その光景が徐々に闇に覆われていって……

 

(……このパーカー、お気に入りだったんだけどなぁ……。……って……あ、れ……?)

 

 その場違いな感想に、既視感を抱く。つい最近にも、同じことを思ったような……? ……あ……

 

(そうだ、私……学校の帰りに、車に、撥ねられて……)

 

 ようやく、思い出した。私の身に何が起こったのか。確かにあの時、私の身体からは命が失われる気配を感じて……同時に、強い死への恐怖を抱いていた。――今と、同じように。

 

(私、()()、死ぬの……?)

 

 何が起こっているのかはまるで分からないし、恐ろしさばかりが胸を埋め尽くしている。一方で、本来一度きりであるはずの死に対して〝また〟と表現することを、ほんの少しおかしくも感じてしまう。

 そんな笑えない言葉遊びを思い浮かべながら、薄らいでいく視界の端には、怪我をして歩きづらそうなあの猫の姿。

 

(猫さん……怪我させて、ごめんね……)

 

 それを最期に、私の意識は闇の底へ沈んでいった。

 

  ▼▼▼▼▼

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。