【完結】あのパンの香りが届かないように   作:八月森

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22話 この街を救いたいだけなのです

 その女性は、私たちと同じような、普通の人間に見えた。

 

 陽の光を反射して輝く金の長髪に、妖しく光る紫色の瞳。年齢は二十代後半くらいだろうか。非常に整った美しい容姿だったが、浮かべた微笑みが穏やかさを感じさせる。

 

 しかし、今はその表情こそが大きな違和感を生んでいた。危険な東門の外に単身で(たたず)み、背後の魔物たちを恐れる様子もなく、むしろ彼らを従えているかのように余裕を持って微笑むその姿。そして何より、彼女が身に着けている黒のローブは、もはや私にとって見慣れたもので――

 

(やっぱり、悪魔崇拝者……!)

 

 街中での暴動、鐘楼の破壊だけでなく、やはり魔物の襲撃も彼らの手によるものだったのだろう。そして、目の前で繰り広げられている守備隊の同士討ちも、それをじっと静観する魔物たちも、おそらく目の前の女性悪魔崇拝者がなんらかの形で関わっている。でなければ、今この場所にいて、平然と笑みを浮かべるなんて真似をできるはずがない。わけの分からない状況の中の違和感、そして胸に燃え盛る怒りの矛先を求めるように、私は彼女へ向けて一歩踏み出し――

 

「……リー、ゼ……?」

 

 その私の足を止めるように絡みついたのは、呆然としたアルテアさんの呟きだった。

 

 リーゼ……? その名前、どこかで聞いた覚えが……

 同時に、改めて目の前の女性を見る。美しい金の長髪に、妖しく輝く紫色の瞳。その特徴にも、どこか既視感があって……

 

(あ……)

 

 そうだ。私はその名前を、彼女の容姿を、わずかではあるが知っている。()しくも以前、アルテアさんの口から紹介されたばかりだ。彼女は――

 

「リーゼ――リーゼ・ヴィーゼ!」

 

「あら、アルテアではありませんか。そろそろ騎士団も何かしらの対策を講じると思いましたが、まさか最初に訪れるのが貴女だなんて。神々が触れる手を失ったこの世界だというのに、素敵な偶然もあるものですね」

 

 女性――リーゼさんは、アルテアさんの鋭い視線もまるで意に介さず、変わらず穏やかな笑みを浮かべていた。

 

 やっぱりそうだ。あの時、私が一人で街を散策していた際に偶然目撃した、アルテアさんが補償金を渡していた遺族。一年前に亡くなったという同僚の奥さん。それがリーゼさんだ。その彼女が、どうして――

 

「どうして、君がこんなところに……それに、その黒のローブは……」

 

「ふふ、『どうして』? 本当はもう、ここに辿り着いた時点で分かっているのでしょう?」

 

「……それは君が、悪魔崇拝者だということか」

 

「ええ、その通りですよ、アルテア・エーレンベルク。『悪しき思考』の悪魔、エラトマ・セリスに仕える司祭――それが私です」

 

「悪魔の司祭……君が……!?」

 

 私もアルテアさんも、驚きに目を見開く。じゃあ、さっき捕まえた悪魔崇拝者たちが言っていた司祭っていうのは、この人のこと……!?

 

「……いつからだ? いつから、そんな……様子を見に行っても、そんな素振りは全く見られなかった……それに、ここ最近は、笑顔を浮かべられるようになっていたじゃないか……! あれから一年経って、ようやく乗り越えられたのだと――」

 

「――乗り越えた? 愛する人を失った悲しみが、たったの一年で()えるとでも?」

 

「っ……!」

 

 その顔から笑顔を、表情を消して発されたリーゼさんの言葉に、アルテアさんは息を呑む。

 

「……ならば、復讐か? 君の夫を――ニコラスを護れなかった、我々騎士団への……」

 

 その問いかけに対しては、彼女は再び笑みを浮かべて否定する。

 

「まさか。騎士団の皆さん――特にアルテア、貴女にはむしろ感謝していますよ。彼を失って悲嘆に暮れていた私を励まし、援助を続けてくれたのですから」

 

「それなら、どうして……!」

 

「簡単な話ですよ。――私は、この街を救いたいだけなのです」

 

「……分からない……君が何を言いたいのか。どうして……」

 

「……こんな混乱をもたらすことが、どうして街を救うなんて話になるんですか?」

 

 困惑するアルテアさんの代わりに、私は静かな怒りを込めて問いかける。リーゼさんはそれに、初めてこちらに気づいたという顔を見せる。

 

「可愛らしいお嬢さん。戦場には似つかわしくないですね」

 

 言われずとも自覚はある。騎士の皆さんに比べれば、私は場違いもいいところだろう。

 

「ですが、そんな貴女なら分かるのではありませんか。――この街は、呪われていると」

 

「呪い……?」

 

「貴女も、魔王と魔物の関係性は知っているでしょう?」

 

 マリナさんに街を案内してもらった時に聞いた覚えがある。確か――

 

「魔王が存在するだけで、魔物が増殖・活発化する……世界中が魔物の軍勢に呑み込まれてしまう……」

 

「ええ、そうです。そして勇者が魔王を討つことでその現象は収まり、世界には百年の平和が訪れる……ですがその恩恵も、この街が(あずか)ることはありません」

 

 恩恵に、与れない……?

 

「魔王の居城にほど近いから、なのでしょうね。この地の魔物が絶えることは決してありません。だからこそ、人類は数百年もの間、〈無窮(むきゅう)の戦場〉で魔物たちを押さえ込んできたのですから」

 

「……」

 

「元凶であるはずの魔王を討伐しようと、それは変わりません。この街は、変わらず魔物の襲撃に(さいな)まれ続ける。『戦場』を迂回してきた魔物が街中まで侵入したら? そもそも、戦線自体が破られてしまったら――? ……多くの住人はそれらの恐怖にも慣れ、状況を受け入れてしまうのですが……受け入れられない住人も、確かに存在する」

 

 ――「こんな街で暮らしてるとね、魔物の襲撃に常に怯えるか、いっそ開き直って気にしないかを選ばなきゃいけなくなる。わたしは運よく後者だった。ただそれだけよ」

 

 マリナさんの言葉を思い出す。彼女は襲撃が繰り返される生活に慣れ、受け入れられる側だった。でも、私のようにまだ慣れていない人、どれだけ時間が経とうと怯え続けるしかできない人は――

 

「私もそうでした。(まれ)に訪れる魔物の侵入に、その際鳴らされる警戒の鐘に、私はいつも怯えていた。いつか彼らの毒牙にかかって命を落とすことを恐れ続けた。やがて彼が――ニコラスが犠牲になったことで精神は限界を迎え、それでも街から出るほどの経済的余裕もないことに絶望した。私たちはこの街に縛られている。――呪われている」

 

 ……確かに、呪われていると言えなくもない。気持ちが分からない、とは言えない。けれど……

 

「……そんな時でした。――悪魔の声を聞いたのは」

 

「――!」

 

「幻聴ではなく、悪魔の囁きなどという警句の話でもありません。確かな声を私は聞きました。『こんな街が存在するから、貴女たちは怯えて暮らさなければいけない。悪いのは、この街だ』、と。――そう。全ては、この呪われた街が元凶なのです。()()()私は――……この街を、滅ぼすことに決めたのです」

 

 存在すら疑われていた悪魔が、実在した……!? いや、それよりも……

 

「街を、滅ぼす……!? どうして、そんな結論に……!」

 

「そうだ……! それではただの本末転倒じゃないか! そんなことをしてなんになる!」

 

「いいえ。これこそが()()()()()なのです。この街さえ――こんな街さえなければ、人々が魔物に狙われることもない。この街を滅ぼすことでようやく皆は呪いから解放され、本当の意味で救われることになるのです」

 

 彼女は病的な笑顔を浮かべながら、迷うことなくそう言い切った。見開かれたその瞳は揺るぎなく、こちらの声に耳を貸す様子は欠片も見られない。

 

 この支離滅裂で不気味な言動、他の悪魔崇拝者たちと同様の――いや、それ以上に確固たる狂気を感じる。悪魔から直接声をかけられたという異常な事態が、彼女の精神に大きな影響を与えているのだろうか……

 

「……そのために、他の住民にもその考えを広めたのか? 君が、全ての元凶なのか」

 

「ええ。私と同じように怯えて暮らす人々に声をかけるだけで、悪魔を信仰する信徒は増えていきました。まぁ、中には反対する方もいましたが、目を合わせて熱心に『お願い』したら、最後には快く賛同してくれましたよ」

 

 お願い……?

 

「……君は正気を失っている。こんな方法で街は救われない。何より、犯した罪を見過ごすことも到底できない。だから――ここで止める」

 

 アルテアさんはそう宣言して、抜き身の剣を中段に構えながらリーゼさんを睨みつける。傍にいたディルクさんはずっと周囲を警戒していたのか、すでに臨戦態勢だ。

 

「まぁ、怖いですね。私には、戦う力など何もないというのに」

 

 そう言いながらも、リーゼさんの口は笑みの形に歪められたままだった。彼女との距離は十メートルもない。アルテアさんたちが本気で駆ければ、すぐにでも刃が届く間合い……

 

「――ところで。貴女たちはこの状況を不思議に思いませんでしたか? なぜ、本能で人を襲うはずの魔物たちがじっと留まっているのか。なぜ、騎士たちは互いを傷つけ合っているのか。――その答えを。今から、教えてさしあげます――」

 

 言葉と共に、彼女の紫色の瞳が、妖しい輝きを放った――

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