【完結】あのパンの香りが届かないように   作:八月森

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25話 丸ごと持っていけばいいんでしょ

「うー……うー……!」

 

 店に帰り着いたわたしとリタは扉に(かんぬき)をかけ、一階の作業場でミレイの帰りを待っていた。の、だけど……

 

「うー……うー……!」

 

 わたしは唸りながら、入り口の周辺を落ち着かなく歩き回っていた。見かねた母さん――ちょうどパン作りの準備で作業場にいたため、騒動が収まるまで一緒に待っているのだ――が、たしなめてくる。

 

「ちょっと落ち着きなさいな、マリナ。貴女が取り乱してもしょうがないでしょ」

 

「そうだぜ。ミレイの姉ちゃんが心配なのは分かるけど、あの騎士の姉ちゃんもついてるんだし、少しは信じてやってもいいんじゃねぇか?」

 

 リタも同意してなだめてくる。二人の言いたいことはわたしだって理解できる。でも……

 

「そりゃそうだけど……だからって簡単に落ち着けないわよ。あの子、危なっかしくて放っておけないんだから。怪我でもしてたら……」

 

 ミレイは大人しくて控えめだけど、誰かを助けるために身体を張って無茶をしてしまう子でもあるのだ。今回もそうする可能性は非常に高い。簡単に安心なんてできない。

 

「あたしにゃよく分かんなかったけど、さっきの話じゃ、ミレイの姉ちゃんはなんかしらの加護も持ってるんだろ? それなら、あたしらよかよっぽど――」

 

「ミレイの加護は戦いに役立つものじゃないし、本人も戦う(すべ)なんて何もないのよ。それなのにあの子……あぁ、もう、どうしてあの時行かせちゃったのかしら……」

 

 今さらになって後悔するが、もう遅い。それに、あの時のミレイはすでに決意を固めていて、こちらが何を言っても退く気はなかっただろうことも、分かっている。わたしに戦う力がなくてついていけなかったこと、ミルトをうちに連れ帰らねばならなかったことも理解している。それでも――

 

「それでも、マリナ。貴女が今ミレイちゃんを直接助ける方法は何もないわ。貴女にできるのは、あの子が無事に帰ってくるのを信じて待つことだけよ」

 

「……分かってるけど……分かってるけどぉ……!」

 

 母さんの言葉に(うめ)くことしかできない。何もできないのも無駄に焦ってもしょうがないことも分かってるからこそ、もどかしくてじっとしてられないのだ。わたしは再び落ち着かなくなり、うろうろ歩き回ろうと――したところで。

 

「……!」

 

 ――ふわりと、焼き立てのパンの香りが広がる。

 ここがパンを作る作業場だから――ではない。今うちではパンを焼いていない。魔物たちから煙を目印にされないよう、かまどの火は落としてある。

 それに、うちでいつも作っているパンとは香りが違う。なのにわたしは、このパンの香りを知っている。これは――

 

(ミレイ……!)

 

 これは、ミレイが過去に戻った際に香るパンの匂い。少し前にも嗅いだばかりのそれが、再び鼻腔をくすぐるということは、つまり……ミレイが今、命を落とした、ということだ。

 

(やっぱりあの子、無茶してるじゃない……!)

 

 怪我どころか、少なくとも一度死ぬような事態には陥っているのだ。途端にさっきまで以上の焦燥感がこの胸を埋め尽くす。あの子を放っておけない――今すぐにでも助けにいきたい。でも、戦場でわたしにできることは……

 

(せめて、神殿で神官でも捕まえてこられれば……)

 

 そうすれば、彼女が傷を負っても癒せるし、戦闘の支援も頼める、のだけど……多数の怪我人が出たであろうこの混乱の最中では、神官は方々から求められて休む暇もないほど酷使されてることだろう。ただの一パン屋の求めに応じてくれるとは思えない。

 

 神殿系列の孤児院に知り合いの神官もいるけれど、おそらく子供たちを護るので精一杯だ。他に神官のあては……神官……傷を癒す……

 

 ――「ちょっとした切り傷くらいなら、これを貼っておけば数日で治ってくれますよ」

 

 ――「へ~、医者や神官に掛からなくて済むのは便利ね。じゃあ、怪我しちゃった時はミレイを頼ろうかしら」

 

(そうだわ!)

 

 わたしは急いで作業場を出ると、階段を駆け上がり、二階にある徒弟用の一室に入り込む。そこはミレイとリタが寝泊まりしている部屋で、ベッド脇にはミレイの荷物である鞄が置いてある。急いでそれに駆け寄る。

 

(確か、この中に『ばんそーこー』っていうのがあるはず……! それを持っていけば、神官がいなくても……わたしでも……!)

 

 ミレイの助けになれるかもしれない。この『ばんそーこー』というのがどのくらいの効力かは分からないけど、傷の手当てくらいはできるかもしれない。いや、できなくては困る。今は、他に(すが)るものがないのだから。でも……

 

「……これ、どうやって開けるの!?」

 

 わたしが慌ててるせいもあるのだろうけど、この鞄の開け方が分からない。紐で縛ってるわけではなく、引っ張っても開いてくれない。こうなったら――

 

「分かったわ! 丸ごと持っていけばいいんでしょ!」

 

 開き直って鞄を持ち上げ、肩掛けに腕を通す。そこそこ重さはあったが、背負うのに問題はない。すぐに部屋を出て階段を駆け下り、作業場に戻って入口の閂に手をかけたところで――

 

「ごめん、行かなきゃいけないところあるから、ちょっと出てくるわね!」

 

「「は!?」」

 

 わたしの言葉に、母さんとリタがすっとんきょうな声を上げる。

 

「何言ってんだよ! 今は街中に魔物がうろついてんだろ!? そんな中外に出るってお前――」

 

「そうよ、マリナ。それに、行くってどこに? まさか――」

 

 止められるのは百も承知だ。なんの力もないパン屋が自ら戦場に飛び込むなんて、バカだと言われても全く否定できない。それどころか、現場で戦う他の人たちの迷惑になるかもしれない。でも――……わたしは母さんに向かい合い、強い決意を込めて口を開く。

 

「――わたしは、ミレイのところに行く。ミレイを、助けなきゃいけないの。あの子が助けを求めてることを知ってるのは、わたしだけだから」

 

 ――そう。わたしだけなのだ。ミレイが死を繰り返してることを知り、今もその死に抗っていることを感じ取れるのは。それを助けるために行動できるのは――!

 

「いや、お前、何言って――」

 

 わたしの宣言を訝しむリタを制し、母さんが口を挟む。態度は落ち着いていたけれど、その口調はいつになく真剣だった。

 

「――どうしても、行くっていうのね?」

 

「ええ、行くわ。今行かなきゃ絶対に後悔する」

 

「帰ってこれないかもしれないって、分かったうえで言ってるのね?」

 

「わたしはうちの看板娘よ。看板を壊すような真似はしないし、これからも店を宣伝するつもり。だから、絶対に帰ってくるわ」

 

 母さんの瞳をまっすぐ見つめて宣言する。それに母さんは一つだけ息をついてから、仕方ないというように口を開く。

 

「……いいわ、行ってらっしゃい」

 

「お、おい。いいのかよ」

 

「ええ。こうなったら聞かないもの。……でも、自分で言った言葉は守りなさいよね。絶対に、帰ってくるのよ」

 

「母さん……うん、行ってくるわ!」

 

 わたしは閂を上げ、入口の扉を開け放つ。そして馬房に向かい、馬柵(ませ)を開いてから、ミルトに飛び乗る。

 

「お願い、ミルト!」

 

 ミルトは一声高く(いなな)くと、弾かれたように駆け出した。店がある通りを抜け、大通りに入ってから北上、中央広場を東に曲がり、東門を目指して突き進む。

 

 途中、魔物の対処にあたっていたらしい冒険者を()きそうに――咄嗟に避けてくれたので事なきを得た――なりつつ、さらに全速力で駆け抜けると、やがて前方を塞ぐ形で展開する騎士団が目に入る。

 

 彼らは前方――東門から襲い来る魔物を食い止めるのに注力していたため、背後から迫るわたしとミルトにはほとんどの人員が気づいていなかった。が、気づいた何人かがぎょっとした顔で止まるように促してくる。でも、こんなところで足止めされるわけにはいかない。ミルトも急には止まれない。わたしは手綱を操りつつ、ミルトに強く呼びかけた。

 

「跳んで!」

 

 呼びかけに応えてくれたミルトが力強く跳躍する。唖然とする騎士団員を、それと争う魔物たちを跳び越えた彼女は、着地と同時に再び全力で疾走する。走り抜けた先にあるのは、開け放たれたままの東門。その門の向こうには――

 

 眼前に広がる広大で、けれど荒廃した荒野。街を防衛するための施設群。二十年ほど住んでいて初めて潜った門の向こうの景色に、ある種の感慨を覚えるが、今はそれどころじゃない。

 

(ミレイは!?)

 

 ミルトの背に(またが)って走りながら、周囲に目を向ける。門の周りの施設群には守備隊の騎士たちがいたが、なぜか仲間同士で争っている。そのさらに周囲には百を超える魔物たちが立ち並んでいたが、その大半はなぜか動かず、一部の魔物が誰かを襲っている。襲われているのは騎士の鎧を纏った何者かで、その手前にはフード付きの奇妙な白い上着を着た、黒髪の小柄な少女の姿が――

 

「ミレイ!!」

 

 わたしは再びミルトを全力で走らせ、一気にミレイの下まで辿り着く。彼女は呼び掛けに振り向き、驚愕の表情でわたしを見て……

 

 少なくとも見える範囲に怪我はしていないようだったが……わたしは、彼女が今直面している死の詳細を知らない。もしかしたら、ここまでやって来たこと自体が無意味なことかもしれない。――それでもわたしは、彼女のために何かをしたい。だから――

 

「――これ、使って!」

 

 だからわたしは、ここまで背負ってきた荷物を、彼女に投げ渡した。

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