親愛なるあなたたちへ花束を   作:川に揺蕩う論理の箱

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 タイムマシーンがあったら、未来か過去どっちに行きたいという話を君たちにしたとき、イヴァン、君は、「興味がない」と、いった。キクノ、君は、「私も興味がないです」と、いった。
 こんな感じで息がぴったりな君たちはまるで槿(あさがお)と支柱の関係性のようだった。槿がキクノで、支柱がイヴァンだ。……そういうと、悪口に聞こえるかもしれない。どうか、怒らないでほしい。本当にそう思ったのだから。
 そうそう、私は、タイムマシーンがあるなら、過去に戻りたい、といった。というのも、私は、過去に割ってしまった極上の酒をまた飲みたいからだ。ああ、だけど、内戦の頃には戻りたくないね。なにしろ、戦争のときは酒が飲めない。


アロンソ・キハーノ・デ・ラ・マンチャ・イ・デル・ソル・イ・デ・ラ・ルナ・イ・デ・ラス・エストレージャス・イ・デル・ビエント・……(中略)……・ラ・メランコリア。またの名を不在の騎士

 

 

 イヴァンは、キクノを連れて、オフィスへ帰った。彼女をソファーに寝かしつけて、傷の具合を調べた。右肩を軽く触ると、筋肉がはれているの感じた。

 脱臼か骨折か、と彼は思った。

 左腕をみようとするが、肌に布が引っ付いているので、わからない。

 イヴァンは机の抽斗からハサミと応急セットを取り出し、ライターでハサミの刃を熱し、さらに応急セットの消毒液をかけると、彼女の左肩からハサミを慎重に通し、傷口付近まで切っていく。白い肌が露出した。紫色のアザができていたが、大したことはなかった。消毒液を傷口にかけた。キクノはビクッ、と体がはねた。しかし、それを気にせず布が傷から解けるのを待った。数秒すると、軽い力だけで剥がれるようになった。

 エタノールの匂いが部屋に満ちはじめた。

 傷の具合を見ると、縦にすっぱりと切られ、青黒く変色し、ひどく腫れていた。深さは、1センチ。かなり深い。傷口から血が滲み出るピンク色の筋肉が露出していて、血を吸った糸屑がついていた。

 縫合は必要だった。が、この場にはそのような器具がない。

 イヴァンは、箱からピンセットを取り出し、これも消毒すると、慎重に糸屑をとっていく。ピンセットの先は血が付着していく。取った糸屑はローテーブルに捨てた。包帯と綿を取り出し、傷口に綿を当てて、包帯を巻いた。

 そしてイヴァンは、骨折あるいは脱臼した右肩の応急処置に移った。三角布などなかった。彼は自身のジャケットを脱ぎ、キクノの腕に巻き、余った袖を首に巻きつけ、固定した。そして包帯を腕と体を一緒になるように巻きつけ、縛りつけた。

 治療が終わると、イヴァンは立ち上がって、また電話をかけた。窓の景色を一瞥すると、霧がまだ晴れていない。と、すると、そろそろ霧は都市全体を覆い、化物が生まれはじめているだろう。

 電話の相手は出た。相手に嘘を混ぜて事情を説明した。

 

『わかった、車を出そう』

 

 

 数十分経つと、車が止まる気配がし、イヴァンはキクノを抱え、階段を下りた。そして開かれたドアの中へ入って、後部席に彼女を寝かせ、彼は助手席に座った。

 運転手は、将軍の部下のひとりであった。長めの茶髪で、目もチョコレートみたいな茶色だった。体格は筋肉質だった。その運転手は、ミラー越しに寝かされた少女を確かめ、胡乱げにイヴァンをみたが、とりあえず、車を発進させることにした。

 

「あんた、嘘をついたな」

 

「何がだ」

 

「俺は将軍からあんたが化け物に襲われて怪我をしたので、あんたが指定した病院に行け、という命令をもらった。が、蓋を開けてみたら、どうだ。あんたはピンピンしているし、おまけに傷だらけの知らない美少女までそこにいる、これは上に報告してもらうぞ」

 

「好きにしてくれ、それより、はやく病院に向かってくれ、奴らが寄ってくるかもしれない」

 

「わかってるよ、お前らを下ろすには、もう遅い。それにこの車もそこまでやわじゃない。軍用まではいかないけど、暴力団の撃ち合いに巻き込まれても、生き残れるぐらいはこの車は強いぜ」

 

「そうか」

 

 二人はそうしてしばらく黙った。ワイパーの起動する音。

 

「……あんた、その美少女と恋人なのか」

 

「は?」

 

「いや、その、なんとなくだよ、身も知らないやつを、まあ、いくら美人とはそんな手厚くするのは、なんか特別な感情があるからなのか、と思ってな」

 

「いや、ないな、ただ死にかけを放置すると、目覚めが悪くなる、それだけだ」

 

 運転手はイヴァンを見た。

 

「へぇ、あんた、いいやつだな」それからまた視線を元に戻した。

 

「かもしれないな」

 

「かもしれないって、はは、あんたおもろいやつだよ」

 

「そいつはどうも」

 

 運転手はフロントライトで照らされた、霧に覆われた道を顎でしゃくり、片手を何かを遮るようにかざした。

 

「こいつ、俺は大嫌いだぜ」

 

「俺もだ」

 

「こいつのせいで、多くの人は苦しんでいる。厄介なことに、ここから生まれる化け物はなんでもかんでも破壊しない、まるで狼みたいに、標的になる条件を満たした人間を殺すだけだ、目的も簡単、ただその血肉を食いたいだけ。こんな化け物が溢れる霧は俺は嫌いだ」

 

「だが、それでもこの霧のおかげで、発展した部分はある」

 

 運転手は舌打ちをし、「ああ、ああ、そうだな。本当にその側面があるのが解せないところだ。人生変わった奴もいる。特殊な力に目覚めた奴らが技術をつくり、街は成り立ってる。良い面もある、ムカつくぜ」

 

「そして、その技術は戦争に使われた」

 

「それが最悪なところだ」

 

 イヴァンは軽く笑った。

 

「あんたもいいやつだよ」イヴァンはいった。

 

「そうかい、ありがとうな」そう照れくさそうにその運転手はいった。

 

 

 

 キクノは目が覚めた。そして彼女の髪のように真っ白な天井と優しく光る電球をみつめていた。彼女は淡いブルーのワンピース型の患者服をきて、右腕は胸にバストバンドと三角巾で吊り、左肩は消毒ガーゼと包帯を巻かれていた。

 キクノは痛みで顔を歪めたが、起き上がった。汗が顔から噴き出したが、それを震える右の甲で拭いながら、足を床につけた。裸足だった。床の冷たい感触が伝わった。

 がくり、とキクノは体が崩れた。膝が床についた。口の中は砂を食ったようにカラカラで、喉が痛かった。水が欲しい、と彼女は思ったが、この場所を出ないと行けない。病院であろうが、追手が来ない道理なんてないのだから。

 そしてキクノはベッドの柔らかいマットを支えにして立ち上がって、ドアへ歩んだ。

 ドアの近くまでやっと着き、開こうとする。と、その刹那、ドアが急に開いた。

 キクノは取手に寄りかかって開けようとしていたため、突然の出来事に反応ができず、そのまま体が倒れた。板のような硬さに頬をぶつけた。布のごわごわした感触がした。ほのかにシャンプーの自然な香りがした。

 

「起きたか、動くのほど回復したのはいいが、お前はまだ安静にするべきだ」

 

 その言葉を聞くと、キクノの視線は回転し、天井へ向いた。そして背中と膝に手の感触と、男の顔が映った。捕まった、とわかったキクノは左腕でその胸を叩いた。が、痛がる様子はなく、男は彼女をベッドまで運び、下ろした。

 男は布団の傍に置かれたナースコールを押した。それからパイプ椅子に座り、

 

「安心してくれ、別に俺はお前を殺そうとしたやつじゃない」

 

 キクノは睨み、咳をしながら「なら、その証明をしてください」

 

「俺はイヴァン。この街で私立探偵をしている。年齢は29歳、性別は男だ。独身だ。むかしは、兵士として生きていたが、内戦後、退陣し、今はこうしてしがない探偵をしている、お前は俺が、行きつけのバーに行くときに、倒れているのを見かけ、助けたというわけだ。それに、これが何よりの証明だと思うが、お前はまだ生きている。俺が殺し屋なら、すでにお前を五度殺せる。どうだ? お気に召したか」

 

「いえ、連続殺人鬼みたいな顔をした人なんて信じません」

 

 イヴァンは眉をあげたが、それだけだった。

 

「それでもいい。信じなくていい。むしろ、この街でその判断は正しいだろう。もうすぐで、俺の知り合いの医者が来るはずだ、やつが入院するか退院していいかは判断する」

 

 その言葉を聞いてキクノは諦めてベッドで休むことにした。

 扉が開くと、女性の看護師とつるりとした頭をした医者が入ってきた。医者は微笑んで、指を見せて、この本数は何かと訊いた。

 

「3本です」

 

「よろしい、君の名を教えてくれ」

 

「キクノです」

 

「素晴らしい、誕生日を言ってくれ」

 

「12月です」

 

 医者は何度か頷くと、看護師に何かを伝えた。看護師はクリップボードに止めてある紙に書いていく。

 

「意識ははっきりしているね。右肩は脱臼だったけど、すでに整復した。左腕も深いが、傷は真っ直ぐで縫合は難しくなかった。もう大丈夫、長期入院する必要はないよ、明日になるまで安静にして、明日退院って感じで、週に1回通院してくるばいい。わかったね、それじゃあ、僕はもう行くよ、じゃあ、イヴァン、貸しひとつだよ」

 

「ああ、ありがとう」

 

 そして軽く手を振り、看護師と一緒に扉を閉じた。消毒液の残香がした。イヴァンは席から立ち上がって、扉まで歩くと、振り返り、

 

「水をもらってくる」と、いって扉を閉じた。

 

 すぐにイヴァンは戻ってきた。キクノに水が入った紙コップを渡した。キクノは礼をいい、水を飲んだ。冷たく、美味しい、と思った。

 それからイヴァンは片手に持っていた聖書を渡した。キクノは受け取り、膝の上に置いた。

 

「今日はもう寝ろ、明日になったら、ここを出る、必要なら、俺はこの部屋を出るが、どうする」

 

「………あの医者はあなたに貸しひとつと言いました。何を約束したのですか?」

 

「なに、あいつと俺は友なんだが、その関係に免じて今日の治療費は無償でしてくれないか、と頼んだのさ」

 

「無償……」

 

「ああ、俺は豪遊するほどの金は持ってないんでね」

 

「では、ほんとうにあなたが助けたのですか?」

 

 イヴァンは肩をすくめ「信じたいと思うように信じろ、お前の勝手だ」

 

「どうして助けたのですか?」

 

「人が死にかけているのを見捨てるほど腐ってないさ」

 

「私は何日間寝てましたか」

 

「まるごと一日中だ」

 

「その間、誰も来なかったのですよね」

 

「ああ、間違いない。俺と看護師以外は誰も来なかったさ、これで安心したか、早く寝ろ。もう遅い」

 

 キクノは時計をみた。もう間も無く日付を更新しそうだった。

 

「わかりました、寝ます」

 

「ああ」

 

 キクノは目を閉じると、すぐさま眠りへ意識が落ちていった。

 朝になり、目覚め、キクノは再び検査を受け、退院の判断を受けた。彼女は着ていた服をもらって、患者服から自身が着ていた服に着替え、彼女は部屋を出て、廊下を歩き、外へ出た。

 霧はまだあった。

 イヴァンは壁に寄りかかって、タバコをくゆらせ、待っていた。

 

「お前の住所をいえ、そこに行く」

 

 彼女は立ち止まった。そして困ったように眉を顰めた。

 

「ありません」

 

「なに?」

 

「私は家を持っていません」

 

「別に住所じゃなくてもいい、あるだろう、教会とか。その名前を言ってくればいい」

 

 彼女は首を振った。

 

「……記憶がないのか?」

 

「ええ、まあ、そうですね。記憶が混濁していて」

 

 嘘だった。が、それを言ったら話がややこしくなってしまう。

 

「なるほどな、これは厄介だな」

 

「──あなたの家はダメですか?」

 

 イヴァンは眉をしかめ、

 

「お前、それどういう意味で言っているんだ」

 

「どういう意味って、しばらくの間のあなたの家に居候してもらっていいですか、と」

 

「……ああ、なるほど、それはそうだ、こいつは失念していた。しかし、お前はこんな男の家に居候する危険性は理解しているのか?」

 

「まあ、それは」

 

「死にたくないのか? あるいは死ぬよりも酷いことをされるかもしれない」

 

「だけど、あなたはそんなことをしないじゃないでしょう」

 

「その確信は」

 

「私を保護したとき、監禁せずに病院に預けたという点からです」

 

「……それだけで、簡単に信じるな、この街では人に簡単に心を許されるとつけ込まれるぞ」

 

「知ってますよ」

 

「なら、なぜだ」

 

「わたし、人を見る目には自信がありますから」

 

 そう言って、キクノは自身の深い青の目を差した。底が見えない泉のようであった。

 

「なるほど、人を殺人鬼と勘違いする目か。それは素晴らしい慧眼をしているものだ」

 

 そういうイヴァンにキクノが返そうとしたときだった。霧の奥から何かやら硬質なものが、一定の間隔を持って、規則正しく床にぶつかる音が響いたのだ。それは確実に彼女たちへ近づいている。キクノは口を紡ぐ。イヴァンは音がする方角へ視線をむけた。

 音が止むと、今まで彼女たちを覆っていた霧が急に開き、その正体を表した。

 

「貴公の名を聞かしてもらおう」

 

 その声は籠った声というより、金属そのものが震えている音に近かった。光は届かないというのに、その体は白銀に輝き、傷ひとつない美しい鋼でできていた。頭には兜をかぶっており、その頭についている焦げた茶色の羽だけが、この化け物の唯一の瑕疵であった。それは、騎士だった。盾は持たず、両手に持つ、冷たく光る、自身の背丈を超えるほどの大剣がその化け物の武器だった。

 

 イヴァンは答える。

 

「そんなあんたこそ、名前を教えてくれないか、顔も見せないのにそれは失礼なものではじゃないか」

 

「ふむ、道理だ。わたくしは───」そこで一息を入れると、「アロンソ・キハーノ・デ・ラ・マンチャ・イ・デル・ソル・イ・デ・ラ・ルナ・イ・デ・ラス・エストレージャス・イ・デル・ビエント・イ・デル・マール・イ・デ・ラ・シエラ・イ・デ・ロス・リオス・イ・デ・カスティーリャ・イ・レオン・イ・デ・トレド・イ・デ・グラナダ・イ・デ・サンティアゴ・イ・デ・ラ・ルス・イ・デル・スエニョ・イ・デル・レクエルド・イ・デル・シレンシオ・イ・デ・ラ・ソレダー・イ・デ・ラ・ロサ・イ・デ・ラ・メランコリア。わたくしは太陽の王国に仕える騎士。顔はない、いや差し出す顔など持ちあわせておらぬ。何故なら、わたくしはここに『在らぬ』ものだからだ。さあ、まずは貴公の名を聞かせてくれたまえ」

 

 そして、落ち着いた動作で兜のヴァイザーを上げた。そこには、顔はなかった。虚な空洞がそこにあるだけだった。

 

 不在の騎士。それがこの騎士の肩書きだった。

 

「イヴァン、しがない私立探偵だ」

 

 汗を流しながら、イヴァンは答えた。

 

 不在の騎士はゆっくりと頷き、金属が震える声で、「それでは、ひとつお手合わせ願おう」

 

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