兵士たちが表情なく並んでいる。雨が降っていた。ヘルメットに、軍服に、雨が落ち、濡れていくが、それを気にすることはない。彼らは瓦礫に隠れて、待つのだ。隊長が、突撃という自殺の命令を下すのを。
この兵士たちの中で、私は友達をひとりできたことある。そしてその友人こそが、この戦争を愛した唯一のひとりだった。彼は人間性を失った兵士に美を見出したのだ。彼はただひたすら、犬のように待っていた。突撃という名誉を。
むかし、むかし、きしさまとせいじょさまがいました。
かれとかのじょたちは幸せに生きていましたが、ある日、わるいわるいマモノと戦いました。
きしはがんばりました。
ふかい傷をおわせました。
ですが、わるいマモノにたおされてしまいした。
傷をいやすためにマモノは逃げました。
のこったのはせいじょさまと顔がなくなったきしだけでした。
それで、おしまい。めでたし、めでたし。
雪崩が起きたかのように真っ白な霧が覆い、耳が痛くなるほどの静寂が広がっていた。
不在の騎士は正眼の構えであった。巨人が扱うような大剣であるのに、騎士の体幹は一切ぶれない。イヴァンは彼女を下がらせ、ベルトに入れてあった拳銃を掴んだ。十五発の自動拳銃だ。無骨のデザインのグリップの冷たい感触が指から伝わる。
言葉はなかった。
イヴァンは
カチリ、という音。不在の騎士は動かない。
イヴァンはトリガーに手をかける。不在の騎士は足に力を込めた。
次の瞬間、パンパンパン、と三発の銃声。騎士の駆け出し。
イヴァンが早撃ちで三発打った。銃先から三発の火花。騎士はその銃弾をナイフを扱うような軽々に振り、叩き落とす。そして、───加速する。
目の前に横から振るわれる鉄の塊。それをイヴァンはスウェーで避ける。ブン、と空気が裂ける音が耳を聞こえる。舞い上がった髪の毛が切れた。横にあった壁はバターのように切断された。イヴァンはぞくっ、とした。
イヴァンは追撃を防ぐために、すぐさま体勢を立て直し、飛び下がろうとした瞬間、
ひとつの銀色の点が迫る。
彼は横に飛びながら、銃をさらに撃つ。四発。狙うは足や腕の間接。
銃弾は伸び切った腕と傾いた体の膝に迫っていく。が、騎士は踏み出した右足を軸にし、体を回転させ、剣の腹で防ぐ。甲高い音が響く。残りの弾は五発、そうイヴァンは冷静に残数を計算していると、
「貴公、剣は使わぬのか」と、騎士が訊いてきた。
イヴァンは軽蔑するように笑い、「悪いが、俺はそんな勇敢な男ではないんでね、騎士さまとの剣戟をするのはガキの頃の夢だったが、現実はそう甘くないさ、誰が現在になっても、好き好んで近距離戦を挑むんだよ」
その瞬間、イヴァンはその言葉の逆の行動をとった。イヴァンは、騎士へ駆け出したのだ。騎士は不動の姿勢で彼が来るのを待つ。その距離は、わずかに数メートル。
一瞬にしてその距離は潰され、騎士は馬鹿正直の振り下ろしの選択をとった。剣を高くあげる、その起こりが見えた瞬間、イヴァンは、斜めへローリングをしていた。
そして、大剣が床を破壊する轟音。砂埃が舞った。視界は悪くなる。が、騎士は視線だけで追っていたイヴァンにいると思う場所へ、剣を振った。太刀風で砂埃が晴れる。舞ったのは、血ではなく、さらなる砂埃だった。
その瞬間、タンタン、と膝をついているイヴァンはその膝へ銃弾を撃った。銃弾は二発とも当たった。膝当てが壊れる、とイヴァンは思った。
が、甲高い音とともに、
「悪くない、が、わたくしの鎧を貫くにはいささか火力不足であろう」
胴体を裂くように剣筋が走った。
イヴァンは驚き、反応が遅れ、後ろへ飛び下がったが、胸に鋭い痛みが走った。それから皮膚を剥ぎ取るような太刀風。彼の体は浮き、数メートルばかり飛ぶ。体制を崩され、地面に叩きつけられた。
世界が泳いだ。そのとき、イヴァンは、キクノは無事に安全なところへ行けたのか、という全く関係ないことを考えていた。頭に鈍痛が走りながら、なんとか震える両腕を支えにして起きあがろうとする。整頓された道にぼたぼた、と鼻血が落ちていき、胸のシャツは血が滲み出て赤く染まっていく。
冷や汗が顔に吹き出しながらイヴァンは立ち上がって、砂埃の代わりに霧が視界を防ぐ景色を眺めた。そこから騎士がゆったりとした足取りで歩み寄ってきた。撃ったはずの膝当ては白銀色のままで、輝いている。白銀の鎧には指先ほどの傷もつかない。
くそったれ、化け物が、と、心の中で呟き彼はリロードをした。元の弾倉を排斥し、腰に吊るしてある新しい弾倉を取り出し、差し込む。そして薬室に給弾されているか確認する。
「奇妙だな」騎士は金属が震える声でいう。「なぜ、貴公は剣を使わぬ、貴公の体の動きは、どっちかというと、その銃という複雑怪奇なものを扱うよりも、剣に向いている。なぜ、使わぬ」
そういい騎士は虚空へ手を伸ばすと、霧が呼応するようにそこに集まり、形をつくり始める。徐々に形作られ、それは剣となった。無骨でただ切るためだけに作られた剣。
それを掴み、イヴァンのそばに放り投げた。剣は地面へ刺さった。
「使え」
有無を言わせぬ声だった。
イヴァンはちらりと剣をみ、騎士をみた。騎士は大剣を杖のように床に突き刺し、待っていた。一見明らかな隙に見える。が、騎士のヴァイザーの隙間から、狼のように鋭い殺気が飛んでいる。彼が不審な動きを見せた瞬間、あの大剣は再び振るわれるのだろう。
イヴァンは横へ視線をむけた。何も見えない。晴れる様子を微塵も見せない霧がただそこにあるだけだ。静寂だった。誰かがこの騒動を聞きつけた様子もない。なに、すぐに誰かが来るはずさ、とイヴァンは思い、剣を掴んだ。
そしてそこから振り上げるように剣を抜いた。砂埃が騎士へ散る。そして砂埃は騎士に迫る。が、騎士はただ当たるだけで大剣を抜き、足に力を込めた。当たりまえだ、と彼は思った。この騎士には目などない。その鎧の隙間から覗くのは、虚そのものである。
騎士はイヴァンに肉薄する。それに対し、銃を数発撃ち、イヴァンはさきほどの繰り返しように、正面へ突っ込んでいく。
騎士は銃弾を弾く。イヴァンは駆けながら剣を隠すように後ろへ下げ、剣を地面に対して、水平に保つ。突きの姿勢。
騎士は剣をまるで、トカゲの尻尾のように、後ろへ流した。
イヴァンは銃を撃ち、同時に突きを放つ。騎士は無視し、剣を振り上げ、受け止めた。
衝突。
甲高い音が消えるよりもはやく、騎士は、突きを放った剣を上へ跳ね上げた。そして横へ大剣を回転させ、首へ剣を振った。無駄のない最小限の動きでのカウンター。
大剣はイヴァンの首に雷のごとくの速度で迫ってくる。
そして首が大剣の刃に触れ、
「む?」
と、そのような間抜けな声を騎士が出したのは、先ほどいたはずのイヴァンが消えているからであった。そして、後ろから肩を狙った振り下ろし。騎士はすぐに反応し、回転する勢いを使った大剣の横振りをする。棍棒のように振るわれた大剣はイヴァンの剣に衝突し、互い、たたろを踏む。
「ふむ、貴公、ただの剣士ではないな、まさか魔術も使えるとは、驚くべき才能だ」
イヴァンは返事をせず、鼻水とからまった鼻血を吹き出した。そしてニヤリと笑って、「霧で一芸できるのは、お前さんの専売特許ではないんだよ」
「……なるほど、わたくしは貴公のことを軽んじていたようだ。愚かだった──許してはくれまいが、まずは謝意を表する。そして、わたくしは、騎士の名誉において、貴公を全力で倒そうと誓おう」
騎士は大剣を天に祈るように掲げ、声は石のように重く。
「さあ、とくにご照覧あれ、アロンソ・キハーノ・デ・ラ・マンチャ・イ・デル・ソル・イ・デ・ラ・ルナ・イ・デ・ラス・エストレージャス・イ・デル・ビエント・イ・デル・マール・イ・デ・ラ・シエラ・イ・デ・ロス・リオス・イ・デ・カスティーリャ・イ・レオン・イ・デ・トレド・イ・デ・グラナダ・イ・デ・サンティアゴ・イ・デ・ラ・ルス・イ・デル・スエニョ・イ・デル・レクエルド・イ・デル・シレンシオ・イ・デ・ラ・ソレダー・イ・デ・ラ・ロサ・イ・デ・ラ・メランコリア、不在の騎士の戦い方を」
その言葉を言い切ったときには、騎士はすでにイヴァンの目の前に大剣を縦に振り下ろした。が、不意にその大剣はイヴァンの視界から消え、次に斬撃が現れたのは
「…………!」と、驚き声にならない音が漏れた。
イヴァンはわずかな霧の『残穢』で見破り、剣を振り、迎え撃つ。甲高い音。そして再び甲高い音。剣が撃ち合うたびに、その音は連続してこの霧の街に響いた。不在の騎士があやつる、魔術のような、軌道の変化という奇妙な剣術と規則正しき正確無比の剣術。それに対し、イヴァンの優雅に踊る紳士のように回避をし、要所で急所を狙い打つ。
技量は相手の方が圧倒的に上だった。なのに彼が撃ち合いをできるのは、彼が持つ『一芸』のおかげだった。それは彼の眼がもつ、霧に残った音・動きの『残像』を読み取れる能力だった。この力によって、彼は相手よりも半歩早く動ける程度に読み、その動きに合わせていた。
「ぬん!」と、大声を出し、騎士は大きく振りかぶった。
イヴァンはそれを読み、後ろへ下がり、───少量の血飛沫が彼の視界に収まった。そして小さな痛みが喉に走った。彼はそこを急いで触ると、血が指に付着していた。距離を見破ったのか、彼は思ったが、いやいや、だが、たしかに俺は避けたはずだ、とも思った。推論する時間はない。また、奴の不可解な剣術かとイヴァンは決めつけた。
そして、次の行動を移ろうとすると、くらり、と体が揺れた。視線が床をむいていた。イヴァンはすぐに立ち直ったが、視界が徐々に黒い縁に覆われてきているのに気づいた。血の流しすぎと能力の過負荷。イヴァンは生まれた子鹿のように震える太ももを拳銃で叩き、騎士を見据えた。
「貴公、いい目をしているな」
「………」
「それに、貴公のその剣術、回避を主体とし、その回避と同時に攻撃をする、そのスタイル、異国の剣術だな、見事な腕だ、敬意を称する。生半可の手では貴公を倒すことはできぬだろう。ならば───」
不在の騎士は大剣を天に掲げるような姿勢をしていた。天にいる神に祈りを捧げるように真上を向いている。それは祈りではない。振り下ろしの構えだった。一見、ただの斬撃。が、イヴァンは悍ましいほどの殺気がそこから溢れているのを感じた。
一撃必殺の技。
イヴァンは寒気が背筋を急速に這ってきたのを感じた。
「受けてみよ──」
震える金属の声がした。
イヴァンは横に飛び去った。そうして『我が絶技を』と言った瞬間、音は止んだ。無音。
時が止まったかのような錯覚を覚えた。そしてまた時が動き出したとき、世界は絶たれた。歩んできた道が、その先にある建物が、街灯が、斬られていた。神罰を受けた街のようになっていた。イヴァンはその光景をみて、もうだめか、と思った。騎士へ視線をやる。次の斬撃へ移行しようとしていた。次は横へ。今度は避けることはできない。
そしてイヴァンは騎士を通し、死が到来してくるのかうかがった。死神はたしかにイヴァンに微笑み、恋をした少女のようにキスを、口づけをせがんでいる。死神はイヴァンと手をつなごうと近づきながら、両手をさしのべてきている。
が、イヴァンは立ち上がった。というのも、何度もそのような様相を彼は見たことがあったからであった。死がどのように近づき、どんなに気まぐれに見逃すのかも知っていた。死がどんなに激しいキスをしてくるのかも知っていた。昔、戦友がその激しいキスによって、無惨な死体になったのか知っていた。イヴァンはなぜだがわからないが、笑いそうになった。久しぶりに、旧友に、別れた恋人に出会ったかのような感触を覚えた。
イヴァンはすぐ横にある絶技の跡の穴へ銃を捨てた。この銃ではどう足掻いてもあの騎士の鎧を傷つけることはできない。イヴァンは剣を構えた。正眼の構えをとった。不在の騎士が看破したとおり、イヴァンは剣士だった。稀代な剣士だった。しかし、探偵となった日、剣を捨てた。血に濡れた剣を二度と見たくはなかったのだ。
彼は先ほど、『一芸をした』といった。それがこの眼だった。が、実はもうひとつだけ能力があった。この能力こそ、この騎士に勝つ一手だった。相打ちでも構わない。それでもいい。イヴァンはそう思い、踏み込もうと足を振り上げる。騎士はイヴァンを見つめ、無言で振ろうとし、
「横に飛んで!」
と、叫ぶ声がし、イヴァンはすぐさま飛んだ。
轟音が響き、騎士は吹っ飛んだ。イヴァンは振り返ると、霧の中、黒いセダンから降りたキクノがショッガンを構えていたのが朧げにみえた。彼女は腕を固定していたはずのバストバンドはなく、そこからは青黒く変色した肩が露出していた。
「はやく、乗って!」
呆然としているイヴァンはキクアは声をかけた。イヴァンは遠い場所ところを見ているような目からはっと意識が戻ってきて、車に乗り、ドアを閉じた。イヴァンが乗ると、キクノはエンジンをかけて、アクセルを全開にした。そして車は発進した。イヴァンは見返ると、不在の騎士はゆっくりと起き上がっていた。その撃たれた胸あてには小さなへこみと汚れができたぐらいで大した傷ではなかった。どんどんと離れていく騎士を見つめ、化け物が、とイヴァンは心の中で呟き、背もたれに体重を預けた。そしてタバコを取り出し、一服した。
「…ほんと、ここで吸うのだけはやめてください。息ができません」
と、キクノは心底不快そうにいった。イヴァンは応える気力はなかったが、いう通りにすぐに消した。命の恩人の苦言を無視するほど彼は恩知らずではなかった。疲れていた。とにかく、疲れていた。イヴァンは目を閉じた。そして、数秒すると、そのまま眠りに落ちてしまった。
霧は晴れることを知らない。車が地面を駆けていく音を聴きながら、騎士は起き上がると、その背をじっと見つめた。それから騎士は胸当てを触り、汚れを軽く落とした。そしてまた顔をあげ、逃げていく車をみた。
「逃がさん」
と、独言ると、騎士は、剣を作ったように、手を掲げた。すると、霧はその合図に呼応し、霧が渦巻きはじめる。
「ロシナンテよ、力を貸してくれ」
そうしてその呟きに応じ、霧は、彼の愛馬をここに出現させた。その馬は見窄らしく、鎖骨が浮き出るほど痩せぼそり、立て髪もボサボサで、粘り性が強い唾を黄ばんだ歯の隙間から垂らしていた。耳は垂れ下がっていた。
老齢の馬がここに現れた。
その馬の頭を優しく撫で、『頼むぞ』と、いうと、騎士は馬に乗った。ふらふらと騎士の重さに馬は立ちくらんだが、すぐに持ち直した。息を荒々しくふき、蹄を地面へ叩きつけた。
「さあ、いくぞ、ロシナンテよ、我が友がいった、かの悪人裁くのだ!」
馬は駆け出した。あの逃げた車を追いかけるために。霧は晴れることを知らない。あの男と少女を殺すまでは晴れるつもりはない、と言うように霧は都市を覆っていた。