一之瀬帆波の幼馴染   作:Olion

2 / 2
第2話

「夏にね、お母さんが倒れたの。妹が欲しがってた誕生日プレゼントを買うために、無理してシフトを増やしたんだって」

 

 一度口火を切ってしまえば、後は流れるようだった。堰を切ったように、私の懺悔が声に乗っていく。

 

 全てを口にした。そのプレゼントが、初めて妹が欲しいと言った、好きなアイドルの付けていたヘアクリップだったこと。病室で、妹がお母さんに泣きながら罵声を浴びせたこと。私が何とかしなきゃと思ったこと。

とにかくお金をかき集めて、けれど全然足りなくて…盗んでしまったこと。

 

 ヘアクリップを手に掴んで、鞄にしまうその瞬間。

どうしようもないほどの恐怖と、なにかよくない高揚感。あの時のことを、今でも夢に見る。ばれてしまうんじゃないかという怯えが、心胆を寒からしめるあの心地が、脳裏にこびりついている。

 

 その後のことも、どんどんと口から溢れていく。お母さんにばれて、ひどく怒られたこと。お店に連れていかれて、一緒に謝罪したこと。大事にはならなかったけど、噂が広がったこと。

罪悪感に苛まれて、逃げることしかできなくて、殻に閉じこもったこと。

 

 それからは、後悔と自責の日々で。

謝りに行った帰りの、家でお母さんが本気で泣いている姿。あの悲嘆が、何度もリフレインして。ようやく、自分が何をしてしまったのか飲み込めて。犯した罪の重大さに、圧し潰されそうで。

 

 

 それは葉月くんに向けて語るというよりも、私の独白のようだった。正直、聞けたものではなかったはずだ。

支離滅裂で、整理して話す余裕もなくて、上手く喋れなかった。声が震えているのが自分でも分かった。

 

 未だに心臓が痛いくらいに鳴り打ち続けている。話を終えて落ち着くどころか、むしろ酷く脈打っていて。息が詰まりそうで、胸が苦しくて、涙が零れそうで。

けれど同時に、どこか安堵している私もいた。ようやく、誰かに打ち明けられた。閉じ込めていた秘密を、やっと自分で開け放てた。

硬い硬い殻に、罅を入れることができた。

 

 けれど、今はその安堵が怖かった。この瞬間、私はすべてを曝け出してしまったのだ。逃げ場はない。

 

 あとは葉月くんがどう思うか、それが全てになってしまった。

 

「……」

 

 彼の反応を待つのが、何よりも恐ろしかった。

顔を上げられない。俯いて、ブランコの鎖を握る両手に、ぎゅっと力が篭る。視界に映るのは砂が蹴られて薄くなった土と、それを包む自分の震える影だけ。

破裂しそうなほどの動悸が、全身に伝播してしまったようだった。耳が熱くて、背中にじわりと汗が滲む。

 

 

 

「……なんだ。そんなことか」

 

───それはあまりにあっけらかんとした、拍子外れな声で。

 

 呟くように零されたその声は、びっくりするほど平坦で。驚いた私は、思わず顔を上げた。

葉月くんはふらふらと足を前後させ、腰掛けたブランコを揺らしながら、ぼんやりと、退屈そうに、黒く染まった空を仰いでいる。

 

「…え?」

 

「イヤ、深刻そうに切り出すもんだから、もっとやばいこと言うのかと思った。国家転覆でも企んでます、みたいな感じのさ」

 

 その冗談めかした口調に、身体中を支配していた緊張が拍子抜けしたみたいに乱れた。

彼の様子はなんというか、思っていたよりも淡々と、飄々としていて。お母さんのように、深刻な顔で──ああ、あの時は頬を(はた)かれたっけ──怒ると思っていた訳ではない。けれど、今よりもっと重大な事として取り合うものだと思っていた。

 

「けど……良くないことだよ」

 

 思わず、口を()いて出る。

そうだ、良くないことだ。あのヘアクリップを万引きした時にも、本当は分かっていた。あの時は、こんなにずっと苦しい思いをしてきたのだから、これくらい…なんて、必死に自分を正当化してしまっていたけれど、本当は。その後でお母さんに怒られて、一緒にお店へ謝りに行った時には、もっともっと身に染みて。

 

 妹のために、なんて魔が差して動いてしまったけれど、どんな事情があっても万引きは万引き。それは決して、してはならないことで。そう、良くないことだったのだから。

 

「まあ、それはそう。良くはない。けど、だから何?」

 

 葉月くんが、肩を竦めて言った。本当に、軽い調子で。

肩を竦める仕草まで、呆気ないほど気楽で。私は言葉を失ってしまう。

 

 だから何、だなんて。そんなふうに言われるなんて、想像したことがなかった。だってこれは──私にとっては、圧し潰されそうなくらいに重くて、誰にも暴かれたくなかった秘密で。けれど心のどこかではお母さんにばれたときみたいに、怒られて、叱られて、それで初めて償えるんだと、そう思っていたから。

 

 でも葉月くんは、違う。怒鳴りもしないし、顔を曇らせるわけでもない。むしろ、まるで「昨日の晩ごはん、何だった?」と軽く尋ねるみたいに、何気ないような顔をしている。

 その落差に、胸の奥がざわざわと掻き乱される。身体が熱いのか、寒いのか分からない。跳ねる鼓動が耳の奥で轟々とうるさい。

 

 どうして。

どうしてそんなふうに言えるのかな。こんなに、私は怖かったのに。

 

 あの時の恐怖も、震える手も、胸を圧し潰すような罪悪感も──全部、私にとっては今も終わっていない。

 

 それを、彼は一言で「だから何」と切ってしまう。

 

 まるで、私の中で渦巻いていた黒いものなんて、最初から存在しなかったみたいに。

怒られた方が、罰せられた方が、どれほど楽だっただろう。赦されることの方がずっと怖い。赦されてしまえば、この罪悪感をどう抱えていけばいいのか分からなくなるから。

その軽さが、いっそ苦しいとすら思えて。

 

 心が、ぎゅっと締め付けられる。なのに同時に、どこかで安堵してしまっている自分もいて。

 

 私は今、涙が出そうなくらい混乱していた。

 

「まあ盗みが良くないのは勿論だし、失敗は失敗だ。でも別にそれで人生終わりって訳でもないし。失敗なんて、誰だって山ほどやる。万引きしたって事実は消えないかも知れないけど、だからって帆波ちゃんの全部がダメってわけじゃない」

 

 彼の声は軽い。深刻に責められることもなく、かといって無理に庇うでもない。

ただ「まあそういうこともあるよ」と笑ってくれている。その距離感が、この重さを少しだけ溶かしていくようだった。

でも、それが少し怖くて。まるで心の奥にある棘を引き抜かれたのに、その跡がじんじんと痛むみたいだった。

 

「……でも」

 

「俺だってさ、今日やったみたいに制服のままゲーセン行ったり、学校サボったりしてるじゃん。なんなら夜遊びだってしてるし」

 

 それから一度、葉月くんは下を向いて言葉を止めた。しんと、瞼を閉じて。

今の私には、彼が考えている事は分からないけれど。なんだか言葉を選んでいると言うよりは、湧いて出た逡巡を整理しているような様子だった。

けど、それも一瞬のことで。すぐに葉月くんは顔を伏せたまま、冗談めかした口調で言葉を重ねた。

 

「まあ万引きと比べるのは乱暴だけどさ。帆波ちゃんみたく反省してるでも無いし、懲りずに何度も繰り返してる。先生とか、大人からしたらよっぽど不良だろ?でも別に、俺は俺だし」

 

 そう言って、彼は私に顔を向け朗らかに笑った。

その笑顔に、ほんの少しの寂しさが混ざったように見えたのは、気の所為だろうか。

 

「……でもまあ」

 

 彼はブランコを止め、こちらに瞳を合わせる。

 

「それで帆波ちゃんが『不良だから俺のこと嫌いだ』って言うなら……それはそれで仕方ないけど」

 

 わざと軽く言ったような響き。でも、心のどこかで本当にそう思っているような気がした。

 試すような、突き放すような──そんな響き。

 

「……嫌わないよ」

 

 気付けば、すっとそう答えていた。

迷いはなかった。考えるよりも先に、自然と口を衝いて出た言葉だった。それだけのことのはずなのに、なんだか、ふと決定的な分水嶺をこえてしまったような気がして。

 

「でしょ?俺もそれと同じ。もっと前から帆波ちゃんの万引きを知ってても、俺は今日みたいに遊びに誘ったよ」

 

 その言葉で、はっとした。嫌わないと言ったのは、彼に向けただけじゃなかった。

 

今の言葉は、葉月くんのことを否定しなかっただけじゃない。

気づかない内に、自分自身のことも、否定せずに肯定してしまったのだ。その実感が苦しいのに、どこか温かかった。

葉月くんの軽やかな声が、それを教えてくれた。胸が熱くなって、視界がじわりと滲んだ。

 

 どうしようもなく涙がこぼれそうになって、慌てて瞬きを繰り返す。けれど誤魔化せるはずもなくて、頬が熱くなるのを止められない。

 

 私の様子に気付いたのか、葉月くんはちらりとこちらを見て、ばつが悪そうに小さく笑った。

軽薄さを装うみたいな笑みだったけれど、その奥に、昔よく見た彼の少し控えめなはにかみの面影があって。そして、その綺麗な黄金色の瞳には僅かに真剣な色が覗いた気がした。

 

「そりゃ万引きは犯罪で、取り返しのつかないことだ」

 

 彼はゆっくりと、そう切り出しながら視線を空に戻した。少し間を置いてから、今度は落ち着いた調子で言葉を紡ぐ。

 

「けど、やったのはその一回だけだろ?しかも許してもらえて、警察に突き出されたわけじゃない。なら、もう終わったことだ。次に同じ失敗をしないように気を付ければ、それでいいんじゃない?」

 

 終わったこと。

 

 その言葉が、そっと胸の奥に静かに沈んでいくのが分かった。

苦しさは消えていないのに、心にほんのひとかけらの安らぎが灯る。涙が滲んで滲んで、どうしようもなかった。

 

──でも、それでも。

 終わったことだと言われても、すぐに全てを受け入れられるわけじゃない。怖さや迷いはまだ、胸の奥に残っている。

それでも今なら、前を向けそうな気がした。

 

「……そう、なのかな」

 

「そうだよ、きっとね」

 

 静かに掛けられた声。その短い言葉が、夜風よりも静かに胸の奥に染みていった。

 

「…あー、よく喋った。喉乾いたな。帆波ちゃんは?」

 

 ほんの一瞬の沈黙の後、葉月くんはわざとらしく鎖をぱん、と叩くように離してポケットに手を突っ込んだ。それから、揺れる鎖をやり過ごすようにして、ぎしりとブランコから腰を上げる。

その大げさな仕草は、空気を切り替えようとしているのだと私には見えた。

 

 おどけたような声音には、もう真剣さは微塵も無い。そのさっぱりとした様子に、思わず頷いてしまう。

 

「そっか。飲み物買ってくるけど、どうする?一緒に行く?」

 

「…そうだね、行こうかな」

 

 葉月くんが「ほら」と右手を差し出した。

私は一瞬何のことだかわからなくて、その掌をぼう、と眺めるしかできなくて。彼は「ん」と促すように拳を握り、開く。そこでやっと、ああ、私はまた手を差し伸べられたんだと気が付いた。

 

 今日遊びに誘われたあの玄関先では、曖昧に頷くしかできなかったけれど。

 

 そっと、その手を掴んだ。

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 バスに揺られながら、真新しいアスファルトの道を進む。

 

私は窓側の座席に座り、車窓から流れていく景色を眺めていた。

等間隔に植樹されている街路樹には、桜の花が咲き誇っている。舞い散る花びらからなる桜の浪。落花繽紛としたそれはなんというか、まだ夢見心地だった高校入学を実感させるもので。程よい緊張感を私に与えてくれていた。

 

 けれど隣に座る彼は緊張なんてものとは無縁らしく、暢気にこくりこくりと船を漕いでいる。

 

「葉月くん起きて。もう着くよ」

 

 彼──葉月くんの肩を揺さぶって起こす。ゆっくりと目を覚ますと彼は、寝ぼけ眼で私の方をみて口を開く。

 

「……桜の妖精?」

 

「ちがうよ!?」

 

 素っ頓狂な彼の言葉に、思わず突っ込む。

葉月くんの顔を見てみると、くつくつと笑っている。どうやら揶揄われたようで、少し気恥ずかしい。寝起きの第一声がこれとは、相変わらずというか、平常運転で安心したというか。

 

「もう、びっくりしちゃった。からかうのやめてよ」

 

「いや、綺麗だったから」

 

 ぽつりと落とされた言葉に、思わず息が詰まる。

 

「えっ?」

 

 彼は聞いているのかいないのか、欠伸を噛み殺しながら、窓の外へ視線を移した。その頬が少し赤らんでいて、なんだか可愛い。彼の視線の先では、満開の桜並木が川のように続いている。

 

「…桜、綺麗だな」

 

 ぼそっと呟いた声は、眠気にかすれていたけれど、不思議と素直で。私は少し驚いて彼の横顔を見つめてしまった。

普段、軽口ばかりで人を揶揄っている彼の、こんな表情を見るのは珍しい。

 

「素直だね。もしかしてまだ夢の中?」

 

 その表情に、さっきの言葉の真意を聞き出す気にもなれなくて。照れ隠しと、先程の意趣返しも兼ねて少し揶揄うように言うと、彼は口元に笑みを浮かべた。

 

「かもね。でも今年の桜は特別だろ。俺ら、高校生になるんだし。それに今度は同じ学校だし」

 

 その一言に胸がどきりと鳴る。言葉の意味はただの事実なのに、彼の声に乗せられると、不思議と胸の奥にまで響いてきてしまう。

 

 

 バスが減速し、アナウンスが流れる。これから入学する、東京高度育成高校前のバス停だ。周りに座っていた私たちと同じ新入生らしき子たちが立ち上がり、そわそわと制服を触りながら席を立ち、ぞろぞろとバスを降りていく。

 

「ほら、行こう」

 

 葉月くんが立ち上がり、先に通路に出る。その背中を追いながら、私は自分の鼓動がやけに早いことに気づいた。

 

───これから始まる日々に、思いを馳せて。

 

 もう一度、ここからやり直そう。

舞い散る桜の下、私は一歩を踏み出した。

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

増税クソイケメン(作者:覆面生徒)(原作:ようこそ実力至上主義の教室へ)

惰弱と謗られた曾祖父、老害と叩かれた祖父、馬鹿息子と揶揄される父を持つ少年は捻じ曲げられた。▼世襲政治家の家に生まれた少年──庵治征十郎が自己愛の呪縛を抱えつつ、高度育成高等学校にて増税クソイケメンとなるまでの物語。


総合評価:336/評価:7.11/連載:13話/更新日時:2026年01月28日(水) 23:00 小説情報

ようこそ一之瀬帆波の幼馴染がいる教室へ(作者:クリスマン)(原作:ようこそ実力至上主義の教室へ)

──なお、オリ主は過去のトラブルから一之瀬帆波との関係が複雑骨折してる上に超絶面倒な性格であるものとする──▼高度育成高等学校に、春の新たな風が吹く。▼新入生の中でも優れた能力を見せる男、悪原九郎。▼彼はどうやら、一之瀬帆波の幼馴染であると同時に彼女には複雑な気持ちを抱いているようで……?▼基本はコメディ、たまにシリアス。▼チョロインと化した綾小路清隆を親友…


総合評価:3360/評価:8.06/連載:29話/更新日時:2025年09月29日(月) 07:29 小説情報

ようこそ一之瀬がハッピーエンドを迎える教室へ(作者:スカビオサ)(原作:ようこそ実力至上主義の教室へ)

綾小路君の機械っぷりに心を折られたので、オリ主が生えてきました。▼そのため、オリ主と一之瀬のカップリングになります。▼それでも問題ない方のみご覧下さい。


総合評価:3483/評価:8.53/連載:43話/更新日時:2025年06月05日(木) 18:00 小説情報

ヤンデレ綾小路(♀)(作者:どこはかとなくやばい人)(原作:ようこそ実力至上主義の教室へ)

綾小路ってTSさせたら絶対可愛いしガチ恋したらヤンデレ化しそう、とか言う友人の妄想から出来た割とやべぇ話。▼※更新速度がカスです。基本趣味で書いてるため、今後改善される可能性もゼロに近いです▼※佐藤がかなり酷い目に遭います。許容できない方はブラウザバックを推奨します。▼諸々あってモチベが激減した為、暫く失踪します。


総合評価:2413/評価:8.36/未完:8話/更新日時:2023年08月02日(水) 22:57 小説情報

堀北と櫛田で『百合』(作者:百合ξ紳士)(原作:ようこそ実力至上主義の教室へ)

二人を仲良くさせれば、最強じゃないか?▼そう思った主人公は、櫛田桔梗、堀北鈴音——原作ではほとんど描かれない中学時代の彼女たちに関わっていく。▼目指すはハッピーエンド(百合)。▼……ちなみにその百合の間には、男が挟まります。当たり前だよなあ?


総合評価:2878/評価:8.04/完結:6話/更新日時:2025年09月03日(水) 21:10 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>