エブラナに籠絡されるドクター
「私に会えて嬉しいか? 学者」
「ウレシイ! ウレシイ!」
思えば初対面の時からおかしかったのかもしれない。
◆
とんでもない人物が入職してきたと聞いてきたが、書類を見て目を疑った。直接戦ったわけではないにせよ、あのヴィクトリアの戦争に大きく関与していた人物がロドスにやってきたのだ。
当然警戒していただのが……。
「学者、今日のスケジュールはどうなっている?」
「忙しいなら手を貸そう。何、遠慮することはない」
「仕事は終わったな。なら甘いものはどうだ? 準備してやってもいい。あての酒? もちろん用意している」
なぜか距離が近いのだ。
ある時はソファのそばに、ある時は廊下を一緒に。今は執務室の机に座る私の肩にそっと手を置いて酒を勧めてくる。
恐ろしく冷たい表情に、貼り付けたような笑みは蠱惑的とも言える。そんな顔が、文字通り近い。
間接的ではあったが、敵だった相手への態度とはとても思えない。変に優しい言葉をかけられる度に心臓がきゅっとなってしまう。これはときめきとかそういうのではなく、命の危険、並びに重責や恐怖が頭を掠める際に伴う痛みである。
「いつも疲れた顔をしているな」
君のせいだ、と言いたくはなったが、不敵な笑みが怖いので黙っておく。
「仕事で疲れてるからかな」
会話を流そうとすると、
「それなら料理を食べないか」
「なんだって?」
「ちょうど暇ができた時にためしに作ってみたのだ」
そう言って部屋を出る。しばらくして持ってきたのは取っ手のついた小鍋だった。
「敷物はそうだな、これにしよう」
そう言って片手に脇にあった書類をいくつか見繕って机に置く。
「おいおい……」
「この辺りは重要な書類ではなかったはずだ。何の心配もない」
重要ではないにせよ、いずれは処理しなければならないのだが。
私の心配など意に介していないとでも言うように、悠々と鍋を机に置くと蓋を取る。
「ほう、これは」
のぞき込んでみると、ほんのり濁ったコンソメのような色合いをしたスープに、薄切りベーコン、スライスソーセージ、食べやすい大きさに切ったジャガイモ、スライス玉ねぎが入っているのが見えた。普段の自由奔放な行動とは違って統率の取れた大きさの具材がひしめき合っている。
「コードルと呼ばれる料理だ。フフ……野菜や肉がバランスよく入っていて疲れた体にいいだろう」
さっそく用意されたスプーンでいただく。
なるほど。疲れた体にすっと入ってくる優しい味だった。元々は飢饉から生まれた食事で、余った肉を使ったものが始まりのため決まったレシピはないのだそう。そんな歴史を聞きながらおいしくいただく。
料理の歴史は時代を表すものだが、あの超重要人物が料理の時代背景を説明してくれるのはなかなかギャップがあった。しかも味もしっかりしていて、妙に家庭的なのも驚くものだ。
同時に、妙に自分に関わってくる意味の疑問も抱く。
「なあ、どうして私に対してそこまでしてくれるんだ」
「学者に興味があるからに決まっているだろう」
なんて直球なお言葉。また心臓がキュッとなる。
「か、艦内での生活はどうだ? 不便があったりしないか?」
慌てて話の流れを変える。
「様々な種族、立場、思惑が入り乱れた美しい場所だな。住んでいて飽きない場所だ」
「不満はなさそうでよかったよ」
「不満? 不満はないが……」
彼女の表情に陰りが出る。
「ケルシーという医者ににらまれているんだ」
「にらまれている?」
「文字通りの意味だ。道すがらよく会うのだが、私をつけているんじゃないか?」
ケルシーがわざわざ自分から見張っているのか。
「君が言ったようにロドスには様々な立場の人間がいるが、君はその中でも要人だ。ましてやあの戦争に関わっているなら、見張りや警戒をするのも仕方がない」
「いや、違う。見張りの類いでは全くない」
「ん?」
「私を見る目が完全に敵なのだ。まさに今、このロドスで悪事を企てて実行している犯罪者に向けられる目だ。警戒などという生優しいものではない。あれはなんとも不快だ」
今までの飄々とした物言いとは違い、明らかに不快感を露わにしたものだった。
なんとも言えない空気のまま仕事をし、エブラナはその後自室へと帰っていった。彼女を見届けてから、鍋敷きに使用された書類の再発行を依頼しようと事務室へと向かう。
その道中、ケルシーについての言及を思い出す。
ケルシーがそこまで敵視しているのが気に掛かる。あそこまでエブラナが言うからには、よほどわかりやすく感情を出しているのだろうか。もちろん警戒するのは当然の人物だが、今現在何か行動を起こしているわけでもない。そんな相手を不快にさせるほどの行動を彼女が取るとは思えないが。
そう思って事務室に続く通路を曲がると、
「お」
「なんだ、君か」
ちょうどケルシーと鉢合わせた。頭の中にいた人物と偶然にも接触したものだからびくっとなる。
「あの秘書をやりたがる要人はもう寝たのか?」
さっきの話を聞いていたからか、ずいぶん言葉に険があると思った。
「部屋に戻った。ところで彼女について言いたいんだが」
「なんだ?」
「いくら敵方の人物とはいえ警戒しすぎじゃないか? 当然監視はつけて然るべきだが、相手の感情を逆なでするのは危険だぞ」
ケルシーは眉をひそめる。
「残念ながらこちらも相応の理由があって警戒をしている。今の対策を緩める予定はない」
「今のところは何もしてないと思うんだが」
「本当か? 本当に何も起きてない? 何か気になることは起きてないか?」
「気になる?」
「そう。どんなに小さくてもいいが、何か気にならないか?」
「気になるか……」
思案してみたが、特に思い至らない。
「彼女が気になって仕方がない」
「……は?」
「寝ても覚めても彼女のことばかりを考えている」
「……」
急な沈黙にはっとすると、目を見開くケルシーが眼前にいた。
「何を言ってるのだ。君は」
「え? 私が何か言った?」
再び沈黙が通路を支配する。
「……覚えてない?」
「え?」
「君は本当に、今さっき口にした発言を覚えてないのか」
「いや待て。何も言ってないんだが」
一体ケルシーは何を言っているのだろう。思案していたら、急にこんな問い詰める口調になって面食らっている。
「最近の君はおかしい。初対面の時に急に喜んでいたのも……」
何やらぶつぶつとつぶやくと、意を決したようにこちらを見た。
「彼女の秘書の任を解こう」
「ず、ずいぶん急な話だな。さすがに機嫌を損ねるのはまずいんじゃ」
「君はもう一切彼女には近づくな」
そう言ってケルシーはきびすを返し、足早に通路の奥へと消えていった。
◆
おかしい? 私が?
昨日のケルシーの言葉が気になって仕方が無い。自分の行動や言動を思い返しても特に違和感はなさそうだが。
「どうした? ドクター」
エブラナが耳元でささやいた。
「わ!」
思わず右耳を押さえて彼女を見る。そこには足を組み、ソファに一緒に座るエブラナがいた。
「急に耳元でしゃべるな」
「何が悪い? こうして秘書の仕事を手伝っているではないか」
そう言って体をくっつけてくる。
「わざわざ隣に座る必要もないだろうし、談話用の机で仕事をしなくてもいいはずだ」
「そうでないと隣にいられないではないか」
はっとして彼女を見る。
机に肘をつき、足を組んでこちらを見る彼女の顔はあまりに青白い。唇はつややかに光り、怜悧な目は血が通っているか疑問に思うくらいには冷たい。薄く笑う彼女はどことなく誘われるように惹かれるものがある。このドラコ、とてつもなく顔が良すぎる。
「どうした? 私の顔に何かついているか?」
危険を察知し、慌てて手に持った書類に目を落とす。心臓が痛むが、これは……前とは別の痛みになっている。
まずい。彼女の引力に惹かれる自分がいるのがわかる。頭では絶対にダメだとわかっていても、心や体が妙な反応を示している。それを隠そうと冷や汗が出る。
不思議な心境だ。ケルシーに相談してみるか。
ケルシー……何かエブラナについて言われたような。
「ずいぶん焦っているような気がするぞ」
「べ、別に何でもない。早く仕事を終わらせないといけないと思ったからだ」
「なら私も手伝おう」
そう言って私の手に、白い手を重ねる。
「な、何を」
「まあ特段意味のあるものではない。強いて言うなら、頼みを言う前に身体的接触をして相手に信頼させる手法とでも言おうか」
指の間に白い指が進入してくる。
「頼み?」
「学者、お前は死すらも超越した未来を知っているな?」
「……」
「お前を調べてみても記憶がないというが、私には真実かどうかもわからない。だから直接お前に、体に聞いてみようと思った次第だ」
指の間を白がゆっくりと這う。
「秘密を教えて欲しい。秘密を教えてくれるのは、今この場所でも、どこかで温かな食事をしながらでもいいし、もちろん……」
さらに体をくっつけて言った。
「ベッドの上でも構わない」
耳をくすぐる甘言は、明瞭な思考を奪っていく。冷気が熱を奪うように、理性を失わせていく。
「私は、確かに後ろめたい秘密がある」
「後ろめたい? ほう」
「ずっと頭を駆け巡っている疑問がある」
「なんだ?」
彼女のなまめかしい脚に目を向ける。
「スリットだ」
「スリット?」
「君のシャツの隙間、いわばスリットみたいな場所から何も見えないのが気になってしょうがない。ショートパンツを穿いているならどう考えても布地が見えるはずなのに何も見えない。ハイレグみたいなよっぽど際どいものでも穿いてるのか、あるいは何も穿いてないのか」
「……」
「それとタイツがやけにボロボロなのは何だろうか。そういうファッションかと思ったがものすごくズボラなのか? だから穿いてないのか?」
「学者。少し待ってくれないか。想像してたものと違う」
「それともあれか? ターラーの地は食糧に困っていたと聞く。極東におけるかの上杉鷹○のような、上の者でも質素倹約に勤めるという意思の表れではな――」
どん、と頭に衝撃が走った。目に星が散り、気づけば右頬がソファの柔らかさを感じた。
「学者、しばらく失礼するぞ」
薄らぐ意識の中、エブラナが足早に部屋を出る姿を見た。
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エブラナが扉を出ると、すぐさま横の壁に背をつけ、一息吐いた。さすがの彼女も今回の流れに戸惑いを見せていた。
思えば初対面の時からおかしかったのかもしれない。
当然ながら人の上に立つ者として人心掌握術は身につけている。しかしあそこまで本音をさらすとは思いもしなかった。何が原因だ? 紫の炎がしでかしたか? そんな効果があったのか? 医者からの忠告も無視していたようだったし、自分の欲求に素直に従うような催眠状態にでも陥ったのだろうか。
学者に近づき、真相を知るというのが私の計画だった。死に最も近く、最も遠い距離にいる私にとって、死そのものが無くなっている未来はこの上なく心が動かされた。どのような犠牲を経てでも手に入れたい情報だった。だからこそ私に、あるいは私の体に興味を持たせるよう計らいをしていたが、なぜ私の服に関心が向かっているのだ? いや実質的には肉体ではあるが、そんな局所的なところにどうして興味を持つのだ?
地位や甘言、あるいはそういった方面の欲求も想定済みではあるが、先ほどの展開は想定外だ。やつは変な性癖を持っている。
しかし考えてみれば、私のふともも部分に興味を持っているようだ。仮に彼の欲求を満たしたところでどうなるかはわからないし、さらなる欲求に発展する可能性もあるが……。
「まあ、やぶさかではないな」
そうつぶやき、エブラナは薄ら笑みを浮かべて部屋に戻っていった。