本のページのめくる音。
森と風がささやく音の中で俺は、本を読んでいる。
「お兄、元気?」
つい先程まで誰もいなかった場所から、突然知っている声が聞こえた。
また遊びに来たのか……飽きないものだ。
あんまり高頻度で現れる事のないように、わざと無愛想に接してるというのに......コイツはそんな事を胃にも介さない。気付いてすらいないのかもしれない。
「元気も何も変わりはないよ。昨日来たばかりだろ?」
引続き、本に目を落とす。俺は知識を得るのに忙しい。
会話より読書が好きなのもあるが......何より今は引き受けている仕事があるのでね。
「……お兄はいつも頑張ってるね。何も知らないのに」
「酷い言い草だな。だからこそこうして歴史を学んでいるというのに」
「今度はどんな願いを叶えるの?」
......。
「"不治の病をも治す霊薬のレシピ"」
「ティルガルエリクサーかな」
「……これは、ティルガルエリクサーと言うのか」
「
ラザガルドの尾、ヴォルカアゲハ……
多分製作には雷系の魔力素も必要になったかも」
「……フン、色々知っているんだな、お前は」
「へへー。」
満足そうな声が聞こえる。
俺が知らないような事をスルスルと述べていく彼女に、
俺は少しばかりの劣等感を覚え、対抗心を静かに燃やしていた。
「今度はお前よりも先に探す」
「雑魚お兄に出来るかな」
「雑魚?それは違うな。お前よりも戦闘は上手いんだから。」
「そうやってすぐ力に甘えてたらヒトにモテないよ」
「此処、魔界に居る人間は極めて稀だ。問題ない」
「そういう事言ってんじゃないんだけどなぁ……」
「……。」
話が途切れる度に、周囲の音が再び耳を掠める。
それに心地良さを感じるより先に……彼女が再び口を開いた。
「……遂にさ。今日から私、勇者様の手助けしてくるんだ」
他の音が止まるように、その言葉は鮮明だ。
「……なんで」
「な、なんでって……。使命だから?てか前から教えてたでしょう。忘れたの?」
「……俺は……」
本から目を離して、彼奴の楽しそうな顔を見た。
もう、そんな時期になっていたのか。
あいつは、俺のようなただ生まれ落ちた存在とは違って、神の手で生まれ、神の手で育って、ひたすら役に立つ事を夢見ていた。
今回のものも、本人が本人の意思で望んだ神の指示に過ぎないのだ。
だが、それでも嫌な予感だけが香り続けている。
生産性の無い日々の続くどうしようもない、この世界。
魔族も、人族も、望む結末は同じだった。
だが、それらをまるで庭いじりのように済ませる奴等神の意思は……果たして、"命を重んじる"という事をどれほど考慮しているのだろうか。
蜂起した当時、魔族の平和を望み、聡明だった魔界の大魔王も、今となってはあまりにも、排他的で、傀儡的だ。
そんな怪物から最重要存在である勇者を守る役目なぞ……殆ど、肉壁として役に立てと言われているも同義ではないのか。
「……お兄?」
それは、唯一の家族だった。
歪な関係ではあったが、失えない存在だ。
"行かなくてもいいんじゃないか。"
そう言っても良かったかもしれないのに。
そう、片隅では考えていても……
当時の俺は、俺が思う以上に酷いやつだった。
「……精々、足手まといにならんようにな」
「はー?大丈夫ですけど。寧ろこんなとこで一人で住んでるお兄の方がいつくたばるか分かんなくて心配なんですけど!!このモヤシ!!」
「痛い痛い痛い。野蛮だぞ勇者
「猫背直せ!」
「痛い痛い痛い」
死にに行くような事を見過ごしてしまったのは......
俺に救える手段が無かったから?
俺が大魔王を恐れたから?
どれでもなかった。
第一に、どういう運命を辿るのかが見たかった。
世界がどう変わるのかが見たかった。
勇者、魔王、神共の動きを観察したかった。
本の中の世界のように物語を傍観し続ける"完全悪"の俺は、自然な結末を知りたがったが故に、それ以上動く事はしたくなかったのだ。
……第二に、楽しそうな彼女を邪魔したくなかったのもある。
彼女は、冒険が好きだった。
俺が物語を読んでいる時、あいつは物語を歩きたいと願っていた。
俺が自由に生きているのだから、お前も生き方を選べば良いと。
好きにしたら良いと。これまでもそう言い続けていた。
お門違いだろう?自分を緩め、他人を縛るなんて。
何かで一生分の後悔をした後だったなら......
配慮の仕方も、判断も変わっていたのかもしれないが。
その機会すら、もう二度と手に入れられない。
そう考えるに至らなかった俺の世界は、
嫌に囁きのみが聞こえる森の中で、
今日も静かに、ページをめくる音だけが響いている。
密かに、来客を待ちながら......。