禍福はあざなえる縄のごとし   作:ディエ

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二人目

「あ、そう言えばあの本読み終わったよ。『路地裏の猫たち』。カバンの中にあるから、委員会の時に返すね」

いつもの屋上でお昼ご飯を食べ終わった時に、先輩がそう言ってきた。

それは初めて先輩が私の家に来た時に貸した本だ。

「どうでした?」

「すごく面白かったよ。姫猫ちゃんがかわいくてさ~」

先輩はその物語の正ヒロインの名前を挙げる。

「先輩は姫猫派ですか」

「え、あーちゃんは?」

「私は蒼猫が好きですね」

私が挙げたのは主人公のライバルキャラだ。

「あ~、蒼猫君もかっこいいよね~」

先輩は嬉しそうに言うけど、私には別の嬉しさがあった。

まさか、この本のことを誰かと話せる日が来るなんて・・・

実はこれこそ、私がSF作家を目指そうと思うきっかけになった本なのだ。

でも、出版社で編集をしている桧原さんも、この作者は知らないと言っていたし、ネットで検索しても他の作品は出て来ないので、本当にこれしか書いてないのかもしれない。

私としては隠れた名作ナンバーワンだ。

「後は、赤目ちゃんが恋人を守るために嫌われ役になったりとか、王道だけど、いいシーンだよね」

「そうですね」

私はそう答えたけど、実はその辺の良さが分かってきたのは、ごく最近、先輩と付き合い始めてからだった。

別に恋愛描写に抵抗があるわけではないけど、今までは『他の人はそういう反応するんだ・・・』程度だった。自分の中では全く実感のない、フィクションの一部でしかなかった。

それが今では、身に迫るものとして感じられる。

今更ながら、この『路地裏の猫たち』の魅力が増してきているのだ。

あぁ、私は恋愛の当事者になったんだなぁ、と思える。

この作品の良さを再発見できたのは、先輩のお陰だ。

「でもさ、これって宇宙も、難しい物理学とかも出て来ないのに、SFなんだね」

あらら、そんなこと言っちゃいますか・・・

「まぁ、SFの定義は人それぞれで、書いてる人たちも分かってないんじゃないかとか言われるくらいなので・・・」

「あーちゃんも?」

「全く分かっていません。ファンタジー系のものや動物の擬人化ものがSFの賞を取ってるくらいなので、もう何でもありですね」

そう言って、日本でSFの賞を取った大人気アニメ作品をいくつか挙げる。

「でもジャンル分けなんて、そんなものですよね。何か規格があって、それに従って書いてるわけじゃないんですから」

「うーん、言われてみればそうだね」

先輩も納得してくれたようだ。

そして、そろそろ昼休みも終わるので戻ろうかとしていた時に、私のスマホが鳴る。

私Bから、迷路が発生したという連絡だ。

地図で確認すると、駅の近くの高架橋下のようだ。自転車で行けばすぐのところだけど、問題は迷路攻略後にどこに飛ばされるか分からない点だ。

これで今日の午後は潰れたな・・・

私Bからの連絡は他の人には見えたりしないので、私がいきなりスマホをいじり始めたのを見て、先輩が覗き込んでくる。

「迷路?」

「はい。今から大丈夫ですか?」

「うん。授業が始まる前に学校出ちゃおう」

そうして私たちは一旦別れ、学校の裏門で待ち合わせる。

私はもう、そういう目で見られているから、いつ抜け出しても平気だけど、真面目な先輩が授業中に抜け出るのはまずいだろう。

それに迷路に入るのなら、それなりの準備はいる。

私はすぐに教室に戻ると、カバンを持って教室を出る。まだ昼休みのざわめきの中、私に注目する人間は誰もいない。

いるとすれば、田沢先生くらいだけど、五時間目に体育があるのか、体育教官室に明かりはなく、シンとしていた。

まぁ、田沢先生ならば、いくらでもやり過ごせるからいいけど。

 

体育館横の出入り口から出て、駐輪場に寄って、裏門まで自転車を引いてくる。

先輩は多分、教室でいろいろと誤魔化すのにも時間がかかるだろうし、正面玄関まで行って、駐輪場に回って、さらに裏門に回って来なければならない。当然、真っ直ぐ来れる私が少し待つことになる。

私はスマホで、もう一度迷路の位置を確認する。

駅の近くの高架橋自体、あまり通ったことはないのに、その下ヘは行ったこともない。

一応、座標だと線路の手前になっているけど、座標と実際の入り口の場所とはかなり誤差がある。線路の手前だけじゃなく、向こう側も探すとなればかなりの手間になるだろう。それに出入り口が線路の柵の中にないとも限らない。もしそうなれば、どうしたらいいのか・・・

しばらくすると、正門の方から、先輩が自転車を引いてやって来る。

「お待たせ。先にこれ、返しておくね」

そう言って先輩はパステルカラーの表紙の『路地裏の猫たち』を差し出す。

「ありがとうございます。迷路は駅の近くの高架橋の下なんですけど、行ったことってあります?」

「ないなぁ。電車からは見てるはずだけど、意識してるわけじゃないし」

「じゃあ、線路の手前みたいなんで、こっちから行きましょうか」

 

そうして私たちは五時間目開始のチャイムを聞きながら、自転車で走り出す。

途中の自販機で飲み物を買い、細い生活道路に入り、五分ほどで目的地周辺に着く。

落書きだらけの大きな橋脚が立ち並び、その隙間は土木会社の資材置き場になっている。線路側には背の高いさび付いたフェンスがあり、枯れた蔓がびっしりと巻き付いている。辺りにはビールの空き缶や折れたビニール傘、軍手などが散乱している。

迷路が現れたのが昼間で、本当に良かった。こんな街灯もまばらにしかないような所を、夜中にうろつきたくはない。

私は橋脚やその間に積み上げられている工事用の足場の陰を見て回る。

幸い、迷路への入り口は指定された通りに、線路のこちら側にあった。

そして先輩の手を取って迷路に入ろうとしたところで、スマホが鳴る。

私Bからの着信だ。

『情報更新あり』

いや、それだけじゃ何も分からないだろう・・・

急に動きを止めた私に、先輩は首を傾げる。

私Bは周りに私しかいない個室のような所にしか出て来ることができない。だから話を聞くには、先輩と離れて、そう言った場所に行くしかない。

でもせっかくゲートを見つけたのに、今からそんな所に行くわけにもいかないだろう。一度見つけたゲートの場所が変わってしまうかは分からないけど・・・

「入りましょうか」

帰ったら話を聞けばいいかと思い、私はそのまま先輩の手を引いて、迷路へと侵入する。

 

中では錆びと枯れた蔓だらけのフェンスが縦横に走り、大きなコンクリート製の橋脚が林立している。視界は悪いけど、とりあえず、見える範囲内には黒い壁はなし。

私はいつもの通り、目玉のところへ引かれる感覚を探すため、目を閉じる。

その途端、

「ばぁ!」

「うわぁぁぁ!」

「ひゃっ!!」

三つの声が重なり、私は盛大に転んでしまう。

バクバクする胸を押さえながら見上げると、そこにはドヤ顔の私Bが立っていた。

「ど、どうしたの、あーちゃん・・・」

先輩は不安そうにきょろきょろしている。私Bの声も姿も認識できない先輩には、突然私が悲鳴を上げて転んだようにしか見えないのだ。

「だ、大丈夫・・・ 私Bがおどかしてきただけだから・・・」

私は息を整えながら、何とかそれだけ言って立ち上がり、スカートのゴミを払う。

何やってんだ、コイツは・・・

「ちょっとあんた! 人前では出てこないはずだったでしょ!?」

私は怒鳴りつけるように、私Bは平然としている。

「条件が変更されました。先輩さんと二人きりの時には出てきていいそうです」

私Bは人ごとのように言うけど、その条件を指定しているのは、私自身の深層意識らしい。つまり、私の深層意識は、私Bと話しているところを、先輩になら見られても構わないと思ったということだ。

そう考えると、自分のより深いところを先輩にさらけ出せるようになったようで、嬉しくもある。

でもそれとこれとは話が全く別だ。

「だからって、こんなことする!?」

「インパクトが大事だと思って」

「そんなのいらないから!」

そうしていると、先輩がおずおずと話しかけてくる。

「あの、あーちゃん。それ、私Bさんと話してるんだよね?」

「あ、そう。そうです。 ・・・決して私の独り言ではないので、変に思わないでください」

私は慌てて説明する。先輩は心配そうな顔をしていたけど、「分かった」とだけ言った。

「それで、情報更新って何なの?」

何とか気を落ち着かせて、尋ねる。

これで大したことじゃなかったら、どうしてやろう・・・

「まず、この迷路には禍の集積体が複数あるよ。全部壊すまで、迷路からは出られないから」

まぁ、順当な強化という感じか。

最初は目玉が一つ。次は障害物である黒い壁が出てきて、その数が増えていった。そして今度は目玉の数も増えていくというわけだ。

「あと、その集積体は移動するから。あなたの周りにいれば大丈夫だろうけど、直接触れられれば、先輩さんはどうなるか分かんないよ」

先輩のことを言われ、私は緊張する。

「それは目玉が襲ってくるってこと?」

そう言ってから、私は『あっ・・・』となる。今の言い方は先輩を不安にさせてしまうかな・・・

「そうだね。今までとはちょっと勝手が違ってくるかもね」

私Bの方は、特に気にする様子もなく、答えてくる。

目玉がどんな感じで襲ってくるかは分からないけど、今までのようにのんびり休んではいられないということか。でも、こんな訳の分からない空間の中で、逃げ回られるよりはマシかな?

「それとね」

私Bの声が珍しく真剣なものになる。

「修復機構が、もう一つ作動している」

「それは、私みたいに迷路を壊してる人が、もう一人いるってこと?」

なんだ、二人がかりでやれるんだったら、楽になるな。

そんな安心感が口調に表れていたのだろうか、私Bが否定してくる。

「全然いいことじゃないよ。一人じゃ対処できない程、危機的な状況になってるってことだから」

「その人はどこにいるの?」

「情報不足。 ・・・多分、もう、この迷路の中に入ってると思うけど、どこにいるかまでは分からないな。その修復機構があなたと同じ条件、知識で作動してるとは限らないから、情報交換できればいいんだけどね」

確かに私はもう、いくつもの迷路を攻略しているけど、分からないことだらけだ。同じ立場の人がいれば、いろいろ教えてもらえるだろう。

「この中で会えるかどうかは分からないから、もう一人の方は、あてにしないようにね。じゃあ、先輩さんから離れちゃダメだよ」

そう言い残して私Bは消える。

冗談ではなく、先輩に危険があるということか・・・

「何か、私みたいに迷路を壊してる人がいるらしいんですけど、どこにいるかは分からないって話でした」

横で待っていた先輩に、そう説明する。

「うん。目玉が襲ってくるっていうのは?」

先輩が不安そうに言う。

「今まで迷路の真ん中でじっとしていた目玉があったんですけど、それが向こうからやってくるようですね。私のそばにいれば大丈夫だって言ってたんで、手、繋いで行きましょう」

「うん」

そうして二人は歩き出す。

私が『目玉が襲ってくる』と言ってしまったせいで、先輩は緊張気味に手をぎゅっと握ってくる。

今回の迷路は背の高いフェンスや大きな橋脚、山積みにされた工事資材など、死角はいくらでもある。私は集中力を途切れさせないように、いつも以上にゆっくりと慎重に進んだ。

そして、そんなときに頼りになるのは、やはり先輩の存在だ。

襲ってくる目玉が見えない分、私より不安だろうに、私のことを気遣ってくれる。

「あーちゃんの手、安心するね」

「どうせ外に出ればそんなに時間経ってないんだし、ゆっくり行こ?」

「大丈夫? おっぱい揉む?」

最後のセリフはどこで覚えてきたんだ・・・

揉むけど。

そんなふうにして歩いていると、フェンスの角から黒い目玉がフワフワと出てくるのが見えた。

薄暗い迷路の中で黒い目玉は見えにくいかもと思っていたけど、乳白色の光を放っているため、全然そんなことはなかった。大きさは、いつもゴールに浮いているものより、少し小さいくらいだろうか。

「先輩。目玉が来ました」

私は立ち止まり、先輩を背後に庇う。それと同時に、私の手には白く輝くハンマーが出現する。

黒い目玉はしきりにギョロギョロと辺りを見るようにしながら、フワフワと不規則に動いていたけど、やがてこちらを見つけたのか、視線をこちらに向けてスーッと寄って来る。

襲ってくる、といった割には大分ゆっくりとした動きだ。

私は先輩に腰のあたりに掴まっていてもらうと、両手で長柄のハンマーを構える。

急な加速や進路変更に警戒するけど、そういったことも無く、真っ直ぐにやって来た目玉はタイミングを合わせたハンマーの一突きで粉々になる。

「よし」

私が一息吐くと、しがみつくようにしていた先輩の力も緩む。

「大丈夫そう?」

「はい、全然大丈夫です」

襲ってくるとか言われたから緊張していたけど、目玉はゆっくりと直進してくるだけだ。

不意打ちにだけ気を付けて、冷静に対処すればいい。

次に目玉が現れたのは二つ同時だった。でも、両方をしっかりと見て、順番に壊せば、何の問題もない。ハンマーは大きく重そうに見えても、実際には重さも、持っているという感覚すらない。片方を叩き壊すと、その勢いのまま反対側に振り、もう片方も叩き壊す。

大丈夫。

次は三つ同時。でも、目の前まで引き付けて、大きくハンマーを振れば、同時に叩き壊すこともできる。

大丈夫。

次はもっと沢山。私はゆっくりと後ろに下がりながらハンマーを振り回し、距離を取りながら、確実に仕留めていく。

大丈夫・・・

私は目玉にハンマーを振るうたびに、先輩と完全同調し、福を補充しなければならない。その時にお互いの考えていることが相手に伝わってしまうので、わずかな動揺も先輩には丸分かりになってしまう。

「あーちゃん・・・」

「大丈夫ですよ。まだまだ余裕です。もう少し我慢してくださいね」

「うん。がんばってね」

「はい」

前回の迷路のことを考えると、そろそろゴールも近いはずだ。先輩にかっこ悪い所は見せられないぞ。

そう気合を入れ直す。

そうして高架橋下を進んでいると、唐突に乳白色の広場が現れる。

ゴールだ。

その上には今までより一回り大きな目玉が浮いていて、ギョロギョロと動いている。今まで通りならあれが本体だ。

「先輩、ゴールに着きました」

そう言うと先輩はほっとした様子を見せる。

でもその声に反応したのか、大きな目玉がこちらを見据えると、その周りから今まで襲ってきたような目玉がポコンポコンと現れる。

あんな風に出ていたのか。

今まで壊してきたものと同じで、やはりハンマーの一撃で簡単に壊せるものだ。

でも、いくら壊してもそのそばからポコンポコンと小さな目玉は湧いてくる。

「先輩、ちょっと下がりますね」

そう言って先輩の手を取り、ゆっくりと下がりながら順番に目玉を叩き落としていく。

でも目玉はゆっくりと背後にも回り込んでくる。

私は体を一回転させて周囲の目玉をまとめて叩き落すけど、それでも目玉は途切れない。

目玉はあの本体から湧き出ているようだけど、ある程度離れれば見失って、湧く数も減るのだろうか。それとも本体に見つかったら、ずっとあのペースで目玉が湧き続けるのだろうか。

先輩は私の不安を感じ取りながら、じっと我慢している。

こんなところで気持ちで負けるわけにはいかない。

こっちには無尽蔵の福を持つ先輩がついているんだ。

出てきただけ、全部叩き壊せばいいだけだ。

私はまた下がり、呼吸を整えながらハンマーを振るう。

その一振りでいくつもの目玉が消えていく。別に直撃させなくても、近くを振り抜くだけでいい。

先輩も目玉は見えていないのに、私の動きから状況を判断して、どんどん福を送り込んでくれる。おかげで私の手からハンマーが消えることはない。

大丈夫。目玉の数は多いけど、対処できている。

自分に言い聞かせながら、また少し下がる。

見たところ、目玉が湧き出るペースは変わっていない。

湧き出る数より一つでも多くの目玉を壊していかなければ、本体には近付けない。

本体を壊せば、あの目玉が湧き出るのも止まるとおもうけど、だからと言って、これだけの数の目玉を無視して特攻をかけるのはリスクがありすぎる。

ここは一旦引いて、立て直すべきか・・・

でもそれは、離れれば目玉が湧くペースが落ちるという前提での作戦だ。

ペースが変わらないのであれば、迷路中が目玉で溢れてしまう。

私以上に不安な思いをしているはずの先輩は、私に全てを託してその思いに耐えている。

私たちには体力的にも精神的にも限界はある。一方で、目玉が湧き出るのに限界があるという保証はない。

「先輩、前に出るので、掴まっててくださいね」

完全同調で私の考えは全て伝わっているはずだけど、あえて声に出す。

それは自分自身で覚悟を決めるためだ。

「行きますよ」

一歩踏み出しただけで、目玉の密度が上がったように感じる。

私はめちゃくちゃにハンマーを振り回して、本体への道を作ろうとする。

何も持っていないのと同じとはいえ、それだけで疲れてくる。

もう一歩。もう一歩行ける、と前進する。

自分の体力のなさが情けない。

私には先輩がついているというのに。

先輩が福を渡しながら、励ましてくれる。

私はそれに応えなければならない。

 

そしてさらに一歩踏み出した時、私たちの横から一本の光の筋が走り、目の前の目玉の群れが切り裂かれる。

「!?」

驚いてそちらを見ると、そこには乳白色に輝く弓を構えた人物がちらりと見えた。

その弓から光輝く矢が放たれると、それは再び私たちの周りの目玉の群れを一筋に消し去っていく。

これは、私Bが言ってた味方か?

でも今は、はっきりと確認している余裕はない。

周囲に残る目玉を壊しながら本体を見ると、その近くの空間に矢が刺さったように浮いていて、もう目玉は湧き出していなかった。

よく分からないけど、とりあえず、目玉の後続は来ないということだろう。

「・・・よし」

私はそれだけしか言えなかったけど、安心感は先輩にも伝わっているはずだ。

疲れた体を押して、寄って来る目玉をどんどん壊していく。

目玉が湧き出してこないのであれば、一掃するのも時間に問題だ。

すぐに残りは動かない本体だけになる。

そうして私は改めて、弓を持っていた人物を探す。

その人は、フワフワの天然パーマの茶髪に赤いフレームの眼鏡、小柄で細身の体形に、大人物のスーツ。

「え、桧原さん・・・?」

どう見てもそれは、私の担当編集者の桧原さんだ。

「あ、あの人・・・」

先輩にもその姿は見えているようなので、迷路の中の演出や幻覚などではない。確かに桧原さんがそこにいるのだ。

もう一人の修復機構って、桧原さんだったの!?

そう言って近寄ろうとした時、桧原さんは鋭く言った。

「半人前!」

「え?」

その声には明確な怒りの感情があった。

「どこから来たか知らないけど、弱すぎ!」

私は咄嗟に桧原さんの言葉の意味が理解できない。

「え、あの、桧原さん・・・?」

「あなたにあすかの代わりは無理よ!」

え、どういうこと? わたしの代わりは無理って、誰に言ったの? それにまた私のこと『あすか』って呼んだ・・・

「それに後ろの娘も! 自分の力でもないくせに、付きまとったりして!」

「!?」

今の言葉は私の先輩をばかにしたな!?

私がカチンとくると同時に、乳白色に輝くハンマーを持った私Bが桧原さん目掛けて飛び出していく。

その行動には私自身がびっくりする。

え、私Bって、そんなことできるの? ていうか、なんで桧原さんを攻撃しようとしてるの? 私が怒ったから?

私Bはハンマーを構えて、桧原さんへと真っ直ぐに突進していく。

よく分からないけど、あんなのに殴られたらただじゃすまないんじゃ・・・

そうは思うけど、私には飛び出していった私Bを止める方法はない。

『危ない!』と思うと、桧原さんの前に、弓を構えたもう一人の桧原さんが出現する。

あの現れ方は、私Bと同じだ。つまり、あれは、桧原さんB・・・?

その桧原さんBは桧原さんを庇うように立つと、迫りくる私B目掛けて、躊躇なく矢を放つ。

私Bはその矢をまともに受けて、あっさりと消え去った。

「下手くそ」

桧原さんは軽蔑するような口調で言う。

「よくそんなので今までやってこれたわね」

桧原さんはスタスタと歩いてくると、苛立たし気にそう言った。

でもそれ以上、怒鳴ってくることはなかった。

「あの・・・ 桧原さんも修復機構の一部、なんですよね?」

「だから?」

「えっと・・・」

その突き放したような冷たい声に、私は何も言えなくなる。

わずかな沈黙の後、桧原さんは、私たちなど眼中にないように、大きな溜息を吐く。

「私ってば、最悪・・・」

そうつぶやくと、桧原さんは最後に残っていた本体の目玉に対して矢を放つ。その矢は目玉の中心を捉え、目玉は粉々に砕け散る。

「帰り道はそこにある白い線よ。それを辿れば帰れるから」

迷路が薄れていく中で、桧原さんの声が聞こえた。離れ離れにならないように先輩の手を握り、辺りを見回すと、そこには一本の白くて太い気流のようなものが蛇行していた。

・・・線とはちょっと違うけど、これが帰り道?

そう思っている間に迷路は消え、現実世界に戻って来る。

どこの高架橋下かと思ったけど、そこはさっきまでいた見覚えのある場所だった。スマホで確認しても、現在地は駅裏の高架橋下。迷路に入ったのと同じ場所に出て来れたということだ。

それはとてもありがたいことだけど・・・

「・・・あーちゃん、どうなってるの?」

「私にもさっぱり・・・」

あまりの展開に、私たちは途方に暮れるしかなかった。

とりあえず迷路からは無事脱出できたことだし、攻略完了ということでいいんだろうか。

その時、私のスマホに私Bから着信が入る。

『情報更新。二人で来ること』

今度は何なんだ・・・

座標はないから、どこかに来いということじゃなくて、私Bが出て来れる個室を用意しろということのなのだろうか。

どうして私がそこまで気を回さなきゃいけないんだよ・・・

でも、あんなことの後では、一刻も早く説明して欲しいという思いもある。

ここから市内に出て、カラオケボックスや漫画喫茶という手もあるけど、学校の方がずっと近い。

「先輩。私Bが私たちに話があるようなんですけど、学校で二人きりになれる狭い場所ってあります?」

「二人きり?」

「はい。そういうところじゃないと、私Bは出て来れないようなので・・・」

私も詳しいことは分からないので、どうしてもあやふやな言い方になってしまう。

「まぁ、あるけど・・・」

「じゃあ、そこに行きましょう」

「うん」

そうして私たちは自転車で学校に戻る。

こんなところを見つかれば抜け出る時よりも気まずいと思ったけど、授業中だったおかげで玄関前も駐輪場も人気はなかった。

微かに教師の声が聞こえてくるだけの校内を、先輩と私はこそこそと特別棟へと移動する。

私はてっきり図書室に行くのかと思っていたけど、先輩は階段を登らずに、一階を真っ直ぐに進む。

「今は図書室の前の多目的教室が使われているから、ここでいい?」

先輩が案内してくれたのは、特別棟一階の一番奥にある部屋で、地学準備室の札が出ている。

先輩はカバンの中から合鍵を出して、鍵を開けると、そっと潜り込んで、また内側から鍵をかける。

ほんと、先輩は何でもありだな・・・

初めて入ったその狭い部屋は、滅多に人が入らないらしく、かなり埃っぽかった。左右にはガラス戸付きの大きな木製の棚が並び、惑星模型や標本などが入っている。

私がそういった物を眺めている間に、先輩は部屋の奥から丸椅子を二つ持ってくる。

鍵を持っているだけあって、先輩はここに入ったことがあるようだ。いや、侵入したことが、かな・・・

先輩はぱっぱっと埃を払って、丸椅子を並べてくれる。

「私B、いる?」

「はいは~い」

椅子に座って呼びかけると、私Bがいつものようなお気楽な様子で出てくる。

「・・・あんた、大丈夫なの?」

迷路の中で桧原さんに矢を撃たれて消えたはずだけど・・・

「ん? 大丈夫だよ。ただ消えただけだから」

よく分からない説明だけど、それで納得するしかないのだろう。元々、分からないことだらけなんだから。

「それでね。ちょっと先輩さんに触らせてもらうね」

「はぁ?」

私Bはそう言うと、私と向かい合って椅子に座っている先輩の胸元に手を当てる。当然、その手は先輩の体を突き抜けるけど、丁度、体の中で何かをいじっているような素振りだ。

先輩は、その動きに顔を赤くして反応する。

「んっ・・・? んん・・・! うんっ・・・!」

「ちょっと、何してんの!?」

私は私Bを引き離そうとするけど、すぐに私Bは先輩から離れた。

「はい、おしまい」

「もう、いきなり何なの、あーちゃん。そんなことするために来たの?」

先輩は胸元を直すようにして言うけど、服の乱れなどはない。私Bは物体をすり抜けるのだから当然だ。

でも、問題はそこではない。

「先輩・・・ 私はこっちです・・・」

「え!?」

先輩は驚いたように、こちらを振り返る。そして再び、正面の私Bの方を向く。

これはもしかして・・・

「・・・先輩、見えてます?」

「やっほ~」

私Bが能天気に手を振る。

「・・・あーちゃんが、二人?」

先輩が呆然として視線を左右に動かす。

でも私Bという存在がいると知っている先輩は、パニックにまではなっていない。私は腰を抜かすほど驚いたものだったけど。

「いや、ほんと、今回は大収穫。あなたの能力は進化するし、先輩さんのことも分かってきたし」

呆然としている先輩そっちのけで、私Bは随分と上機嫌だ。

「・・・あの、私Bさんって、あーちゃんの幻覚、妄想だって言ってなかった? どうして私にも見えるの?」

「私、びーちゃんでいいよ」

私にこっそり訊いて来た先輩に、私Bが口を挟む。

なんだよそれ、そんな雰囲気じゃないだろ・・・

「びーちゃんが何かしたの?」

あ、先輩、そんな簡単に乗っかっちゃうんだ・・・

「そうだね。桧原さんの言葉でピンと来てね。先輩さんの力のことを、自分の力じゃない言ってたでしょ。つまり、先輩さんのその人間離れした福は文字通り、人間のものじゃなかったってこと。その福は修復機構のものだよ」

「先輩も修復機構の一部だったってこと?」

「ううん。先輩さんはただの人間。でもどこからか手に入れた修復機構の福を宿してる。だからそれをちょっと弄ってチューニングを合わせれば、私のことも認識できるわけ。完全同調の応用だね」

「私も迷路の中であーちゃんのお手伝いができるようになるの?」

「禍福を見ることはできるようになるから、一緒に入り口を探したり、目玉を警戒することは出来るだろうね。でも福を自分では使えないってのは変わらないから、過信しないようにね」

先輩の質問に、私Bが直接答える。

「そっか・・・ でも今まで以上にあーちゃんのお手伝いができるのはうれしいな」

「はいはい、仲良しでいいねぇ」

私Bはからかうように言う。

「あと、私の能力が進化っていうのは?」

「まず、帰る方法が分かったでしょ? 迷路が消える時に出る、白い気流みたいなの。あれを辿れば、入った所と同じ場所に出られる」

「あんなの今までなかったよね?」

「それを見ることができるようなったのが、進化の一つだね。より正確に、大規模に禍をコントロールできるようになったってことだよ」

「そんなレベルアップするようなことしたっけ?」

確かに目玉は沢山壊したけど、そのせいとも思えないけど・・・

「桧原さんが、教えてくれたでしょ? それでやり方が分かったんじゃない?」

「それだけで?」

「見た感じ、桧原さんは禍福のバランスの取れた優秀な修復機構のようだけど、禍の適性で言ったら、あなたの足元にも及ばない。禍のコントロール、つまり迷路の中のことに関しては、桧原さんに出来てあなたに出来ないなんてことはないんだよ」

「半人前って言われたけど・・・」

「それはその時までのこと。今はもう違う。桧原さんは、白い線って教えてくれたでしょ? 親切なことだけど、あれでもう自分の限界を露呈しちゃってるんだよね」

私Bは面白そうに言う。

「どういうこと?」

「桧原さんが白い線って言ったものは、あなたには大きな気流に見えた。つまり桧原さんが二次元として認識しているものを、あなたは三次元として認識できているってこと。認識だけでも、それだけの差があるんだよ。しかもあなたには、事実上無限に福を供給できる先輩さんが付いてる。自信もっていいよ」

私Bはにこりと笑う。

よく分からない奴だけど、私や先輩のことを気遣ってくれているのだろう。

「あと、情報面だと、近くに禍が湧き出ている元凶があるはず。それを何とかすれば、禍は増えないし、迷路もこんな頻度じゃできない」

「迷路ができなくなるわけじゃないんだ」

「まぁ、迷路の方は自然発生とかもあるからね。とにかく、元凶を探すことだよ」

「近くっていうだけじゃねぇ・・・ それは一か所なの?」

「多分ね。桧原さんもそれを探してるはず。それか、もうある程度アタリは付けているかもしれないし」

「そっか・・・ 聞いたら教えてくれるかなぁ・・・」

「私のこと、容赦なく撃ち抜くくらいには敵対的だったけどね」

私Bが憤然という。確かにそうか・・・

「あと、私の代わりとか、私じゃないとか言ってたのは?」

「情報不足。でも、この世界にはあなたがもう一人いるのかもしれないね。そして、桧原さんはそっちの方のあなたと会ったことがある。あくまで推測だけど」

「私Cか・・・」

一体、何人出てくるんだ・・・

「注意した方がいいよ。その私Cが友好的とは限らないからね。あなたの知ってた桧原さんとあの桧原さんが、ちょっと違うように」

「そっか・・・」

「更新された情報はこんなとこだけど、他に何かある?」

私Bがそう言うと、先輩がおずおずと話しかける。

「えと・・・ 今更なんだけど・・・」

「ん?」

「私、あーちゃんと一緒にいて、いいのかな・・・」

先輩の言葉に、私と私Bは顔を見合わせる。

迷路の中で桧原さんに『付きまとってる』とか言われたのが引っ掛かっているのだろう。

私Bは『あなたが答えなさい』と言うように目くばせしてくるけど、そんなことされなくても、答えは決まっている。

私は先輩の手を両手でしっかりと握る。

「先輩、ずっと一緒にいてください!」

「・・・はい」

先輩はしっかりと、そう答えてくれた。

私Bはいつの間にか、いなくなっていた。

結局その日は、6時間目の授業も半分を過ぎていたので、教室には戻らず、そこで時間を潰して、図書委員の作業だけをして帰った。

 

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