禍福はあざなえる縄のごとし   作:ディエ

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結晶

タクシーで三十分程走ると、市の外れの森の手前に位置する、問題のテーマパークのランドマークでもある大きな展望台が見えてくる。

7階建てのビルの屋上に相当する、地上20メートル以上からの眺めは、森の木々を越えて市街地を眺められる。ただ、そこにエレベーターはなく、それだけの高さを外壁に付けられた螺旋階段で上がるしかないという話だった。

タクシーは国道沿いにある『悠久の丘・ヒストリーパーク』とかろうじて読める、古い看板の所を曲がり、広すぎる駐車場に入って行く。

20年近く前に、何かの工事中に土器だの遺跡だのが出たらしく、それらの資料館を中心として整備されたものだ。

ライブ演奏もできる屋外広場。市街地を一望できる巨大な展望台。土器や勾玉を作れる体験型施設。化石と土器と刀の資料館。大量の錦鯉のいる庭園。丘の上の結婚式場と、そこから続く鬱蒼とした散策路。一軒だけのお食事処。

出来た当初こそ、物珍しさもあって賑わったようだけど、そのような突発的な企画が長続きするはずもなく、すぐに廃れていった。

近くに大きな道の駅ができたこともあって、とっくに忘れ去られたような場所だ。

私は、古びた観光案内の看板を見たことがあるだけで、来るのは初めてだ。

 

二人を乗せたタクシーはヒストリーパークの手前の橋を渡り、律儀にタクシー専用乗降口と書かれた錆びだらけの標識の前で下ろしてくれる。

「あーちゃん、何か黒いのがいっぱいいるよ・・・」

タクシーのドアが閉まるのを待って、先輩が言う。

「あれが禍ですね。迷路の外にいるのは無害らしいですから」

市内でも見かけることはあるけど、先輩の言う通り、ここはその密度が違う。

タクシーを降りるとすぐに、小さな黒いモヤモヤが、あるものは飛び跳ねながら、あるものは転がるようにして、私の足元に寄って来る。でも先輩の足元は素通りだ。

パッパッと手で払うようにすると、一旦は離れるけど、また寄って来る。

迷路の外ではかわいいんだけどなぁ・・・

「あーちゃん、何か感じる?」

「いえ、特には。少し歩いてみますか?」

「うん」

広い駐車場にはぽつぽつと車が止まっているけど、人影はない。奥にはお食事処も見えるけど、薄汚れた窓ガラスは廃業してからの年月を感じさせた。

駐車場脇の石畳は、作られてから補修などされたこともないのだろう。幾何学模様で面白いデザインのブロックだとは思うけど、もうめくれあがってボロボロだ。

その石畳を通って園内に入ろうとすると、その門の近くに止めてあった赤いコンパクトカーから、一人の女性が降りてくる。フワフワの茶髪と赤い眼鏡が印象的な美人さんだ。

「桧原さん・・・」

私が言うと先輩は思わず体を硬くするけど、私は優しい桧原さんも知っている。

「こんにちは」

桧原さんはそう、にこやかに挨拶してくるけど、そこには何か、危うさを孕んでいた。

「桧原さん、どうしてこんなところに?」

「奥只見さんたちが来るって聞いてね」

「・・・誰からです?」

「シャドウよ。奥只見さんも持ってるでしょ?」

これは多分、私Bのことだろう。前に見た桧原さんBも、超五感的な情報を教えてくれるようだ。

「それで、奥只見さんたちはどうしてここに?」

「迷路の最後の目玉を壊した時の欠片が、ここに来ているようだったので。 ・・・何か知ってますか?」

私がそう尋ねると、桧原さんは黙り込む。

「桧原さん?」

「・・・帰ってくれる?」

「え?」

「お願いだから帰って。そして、ここには近付かないで欲しいの」

「え、何か迷路と関係が・・・」

「うるさい!!」

突然、桧原さんに怒鳴られ、私はビクッとしてしまう。

疲れ切ったような、焦ったような顔。こんな桧原さんは初めて見る。

「・・・この前のことは謝るわ。その娘の力もあげる。だからここには近付かないで。お願いだから」

その切羽詰まった様子に、私は心の中で桧原さんに謝りながら、その本心を聞くために桧原さんの言葉に集中する。

「何かあったんですか?」

「別に、何もないわよ」『ついにここまで・・・ 私だけの場所なのに・・・ 帰れ! 近付くな!』

私には桧原さんの穏やかな声と、叫ぶような声が同時に聞こえてくる。

「・・・先輩、帰りましょう」

「・・・うん」

理由は分からないけど、桧原さんはただただ、ここに来てほしくないようだ。今の私たちには、それを押して何かをしなければならないという目的はない。

ちらっと振り向くと、桧原さんは疲れ切った様子で、肩を落として歩いて行く。その先には巨大な展望台と、それに続くスロープがあった。

「あの、本当はあんな人じゃないんですよ」

「うん、それは分かるけど・・・ 大丈夫かな・・・」

ついこの間まで入院していたというけど、原因は精神的なものだったのかもしれない。迷路の中で会ったときは、強くて高圧的という感じだったけど、今は何かに怯えているように思えた。

でも本人が望んでもいないのに、そこまで深く踏み込むことは出来ない。

私たちは桧原さんの姿が見えなくなると、近くにある道の駅まで歩き始める。

そこにはバス停があるはずで、バスが来るまで道の駅で時間を潰してもいいし、あまり待つようならまたタクシーを呼んでもいい。

「あーちゃん、怪我はどう?」

「え? あぁ・・・」

そう先輩に言われるまで、怪我のことはすっかり忘れていた。

そっと脇腹を押さえてみるけど、痛みは全く感じない。だからこそ、怪我のことを忘れていたのだけど。

右手の包帯を外してみると、もう傷はふさがっていた。こっちの方は脇腹よりは軽いと言っても、かすり傷程度ではなかったはずだ。

「うそ・・・」

私は半ば呆然として、右手を先輩に見せる。

「うわ~、あーちゃん、すご~い・・・」

「すごいって言うか、気持ち悪くないですか? 治るの早すぎですよ」

手の傷を面白そうに観察する先輩とは対照的に、私は顔をしかめる。

傷口を触ったり、手を握ったり開いたりしてみるが、痛みも違和感もない。見た目だけでなく、本当に治っているようだ。この分だと、脇腹の傷も治っているのだろう。

「でも膝の怪我は時間かかったよね?」

「ですね」

膝の方はいつ治ったか覚えていないけど、このような異常な早さではなかった。

「目玉の傷だからですかね・・・」

「道の駅行ったら、脇腹の怪我も見せてね」

先輩が興味津々という様子で言ってくる。

「あんな人がいる前で嫌ですよ」

「トイレとかでいいから」

「そんなとこで何するつもりですか」

「別に。怪我の様子、確認するだけだよ」

いやいや、それだけじゃ済まないでしょ。

確認のためには、Tシャツめくり上げて、キュロットスカートを下ろさなければならないんだ。流石に血がだらだら流れてる状態では先輩も慌てていたけど、治っている状態でそんな恰好をしたら、それこそ誘っているようなものだ。

 

そうしてテーマパークの手前の橋を渡り終えた頃、私Bからの着信があった。

そこにはいつもの座標だけの表示と、『緊急事態』の文字。

「緊急事態ってだけじゃ、分かんないでしょうが!」

私は慌てて表示された座標を地図で検索すると、そこはこのテーマパークの奥に位置する展望台のあるあたりだった。

桧原さんはその方向に歩いて行った。

先輩も私の様子から事態を察したようだ。

「行きましょう!」

私たちはすぐに走り出す。

橋を渡り、広い駐車場を走り抜け、でこぼこの石畳を越えて、その勢いのまま、展望台へと続くスロープを駆け上がる。

私は途中で息が切れてしまうけど、先輩は余裕でスロープを上がりきると、辺りを見回している。

「あったよ!」

先輩が迷路への入り口となるゲートの前で手招きする。

何となく様子が違うようにも思えたけど、細かいことを気にしている暇はない。

私は先輩の手を取って、迷路の中へ飛び込んだ。

はずなのだが。

「え・・・?」

そこにあったのは、元の景色が延々と繰り返される迷路ではなく、薄暗く、重苦しい雰囲気ではあるものの、元の景色と同じだった。

「先輩?」

「大丈夫。さっきのと同じくらいだから」

まずは先輩の体調を確認してから、周囲を見渡すと、少し先で桧原さんが両膝を地面についてうずくまっていた。

「禍にやられている。危険な状態だよ」

私Bは現れるとすぐに桧原さんの元に飛んでいく。

「桧原さん!?」

私たちも駆け寄ると、桧原さんの目の前には吐瀉物があった。

「あすか・・・」

桧原さんは苦し気に片手を伸ばしながら、絞り出すような声でつぶやく。

「大丈夫ですか!?」

私は桧原さんの手を取り、再び周囲を見回した。

今のところ、目玉はいない。そして、展望台のあった方向から、徐々に景色が迷路の中のそれに変わっていっている。

次々と巨大な展望台が林立し、それらがでたらめにスロープで連絡されていく。これは迷路が出来る途中ということなのだろうか。

「桧原さん、立てますか?」

私は桧原さんの腕を引き上げ、肩を抱く。反対側からは先輩も支えてくれている。

「・・・え、奥只見さん? あなたも」

桧原さんは顔を上げると、今気付いたかのように、私と先輩を交互に見る。

先輩が私の近くにいると目玉の影響を受けないように、桧原さんも私の近くにいることで、禍の悪影響がカットされたようだ。

「来ないでって言ったのに・・・」

桧原さんは自分の足で立とうとするけど、すぐにガクガクと震えだし、とても自力で立てるような状態ではない。

「すみません。とりあえず、ここから出ましょう」

「ダメよ・・・ 向こうから迷路が来てるでしょ? 私が押し留めてるから、あなたたちが先に出なさい」

「そんなこと言って、倒れそうになってたじゃないですか。タイミングを合わせて一緒に出ましょう」

「ダメ! ここは私がやるの! あなたたちは出て行って!!」

桧原さんは強引に私たちの手を振りほどこうとする。何がそうさせているかは分からないけど、冷静な状態でないのは明らかだ。

「先輩、お願いします」

「うん」

私は先輩に目配せをして、桧原さんを支えてもらう。おそらくは向こうから迫ってきている迷路のせいだろうけど、弱り切った桧原さんでは、先輩を振りほどくことは出来ない。

そして私は周りの空間に意識を集中させる。

向こうからじわじわと迷路が広がって来る感覚が分かる。その迷路を押し返すことができれば、目玉が出現する前に、安全に脱出できるはずだ。

「そう。周りの禍を意識して。自分で迷路を作り出すイメージで・・・」

いつの間にか、私Bも現れて、そうアドバイスしてくれる。

桧原さんがこの奇妙な空間を作り出して迷路を押し留めていたというなら、自分にもできるはずだ。

目を閉じて、周囲の空気を感じ取る。

私も同じようなものを作り出せば、押し留めることができるはずだ。向こうの禍よりももっと高く、もっと幅広く、もっと高密度の禍を・・・

カチッと、何かが自分の中で組み上がった感じがした。

いける。

私は自分のイメージした空間を広げて、向こうからやって来る迷路にぶつける。

「やめて!! そんなことしないでー!!」

桧原さんはそれを見て、先輩の腕の中で泣き叫ぶ。

先輩は一応、桧原さんのことを押さえているけど、どうしたらいいのか分からない様子だ。

それは私も同じだけど、今はまず、あの迷路を何とかするのが先決だ。

私の展開した空間が、向こうから広がっていた迷路を一気に消し去ると、そこには元の展望台が現れる。

そしてその展望台のすぐ前、地面の少し上には大きな黒い、多面体の結晶が浮いていた。質感は黒い目玉と同じだけど、それは人間ほどの大きさがあった。

あれほどの大きさであれば、桧原さんが立てなくなるほどの禍を放っていても不思議ではない。

そして、かなり離れてはいるけど、動かないのであれば、叩き壊すことは簡単だ。

「先輩」

「ん」

私たちはキスをして、禍の結晶を叩き壊すための福を補給する。

それを見て、桧原さんはまさに半狂乱といったふうだ。

「やめて!! やめて!! やめて!!!」

そして私が柄を伸ばしたハンマーを振るうのと、桧原さんが叫ぶのは同時だった。

「せーのっ!」

「私のあすかを殺さないでー!!!」

私の振るったハンマーは確かにその結晶を捉えた。

でも粉々に砕けることはなく、壊れたのはほんの一部だけだった。

そしてそこから噴き出した猛烈な禍は、私の作り出した空間を消し飛ばし、私の意識も奪っていく。

薄れゆく意識の中、一瞬見えたのは、結晶の中に逆さに入っている私自身の姿だった。

 

次に私が目を覚ましたのは小さな室内のようだった。

体を捻った不自然な姿勢で寝ていたせいか、腰のあたりが少し痛い。

「ん・・・」

足を伸ばそうとするけど、すぐに何かにぶつかって身動きできない。

体を起こそうにも、柔らかく、やけにいい匂いのする枕が私の頭を支えている。そこから頭を離すのは、大きな損失のようにさえ思える。

目を閉じれば、すぐにでもまた寝入ってしまいそうだ。

「あーちゃん・・・」

先輩の声が、頭のすぐ上から聞こえる。

ゆっくりと目を開けると、先輩が覗き込むように、私を見下ろしていた。

つまりこれは先輩の膝枕か。道理で気持ちいいわけだ。

「せんぱい~」

私は頭をぐりんと回すと、先輩の太腿の匂いを胸いっぱいに吸い込む。

「ちょ、あーちゃん・・・」

「奥只見さん。そういうのは後からにしてもらえる?」

すぐ近くで桧原さんの声がして、私はバッと体を起こす。

室内だと思ったそこは、桧原さんのコンパクトカーの後部座席だった。私の隣には先輩がいて、桧原さんが運転席から振り向いている。

窓の外はテーマパークの駐車場で、丁度日陰になっている。

「目が覚めた?」

「・・・はい」

私は気まずさから、姿勢を正して答える。

「奥只見さんは、どこか痛いところとか、体調が悪いとか、ある?」

「・・・いえ、大丈夫です」

私はそう答えるけど、尋ねてきた桧原さんの方がよっぽど、やつれて見える。近くで見れば目の下のクマもすごいことになっている。

「よかった。私も諏訪さんも無事よ。あなたのおかげでね」

「え、えぇ」

どうやら私が気を失っている間に、二人はある程度話し合っているようだ。

「それで、奥只見さん。あなたに大事なお願い事があるんだけど」

「何ですか、お願いって」

「そのためには説明しなくちゃいけないことが沢山あるわ」

そう言って桧原さんは、冷たいペットボトルの乳酸菌飲料を渡してくる。私のために近くの自販機で買ってきてくれたのだろう。

「ありがとうございます」

先輩は紅茶、桧原さんは炭酸飲料を飲んでいた。

「まず、一番基本的なことだけど、あなたはこの世界の人間じゃないわ」

「え・・・ それって、どういう・・・」

まさかもう死んでる、あの世の人間だとでも・・・?

「あなたはパラレルワールドからやって来た、奥只見あすか。この世界の奥只見あすか、オリジナルは結晶の中にいた娘よ」

「でも、私には昔からの記憶もあるし、そんな異世界に来た覚えは・・・」

そう言いながら、私は桧原さんの回答を予期していた。SFの知識が変なところで生きている。

「そういった細かい出来事までそっくり同じ世界線から来たからよ。だから何の違和感もないのね」

まぁ、そういうことだよね・・・

「でも当然違うとこもあって、あなたは当たり前だけど、奥只見あすかが死なない世界線から来た。だからオリジナルのあすかの死に関することは何も知らない。正確にはまだ死んでないけどね」

まてよ・・・ もし私がこの世界に元からいたオリジナルの代わりなのだとしたら、重大な問題が生じる・・・

「・・・別の世界から来たのは、私だけなんですか? 先輩との関係も、そのオリジナルの関係を引き継いだだけなんでしょうか」

「それはあなた独自の関係よ。オリジナルのあすかは諏訪さんとは出会っていない」

そう言われ、私はほっと胸をなでおろした。

先輩との関係が人からの借りものだなんて、考えたくもない。

「あの、あーちゃんが別の世界から来たって言うんだったら、その世界のあーちゃんはいなくなっちゃうんですよね?」

先輩がもっともな疑問を出してくる。

「その世界には、また別の世界から奥只見あすかが転移、スライドしてくることになるはず。その世界には、そのまた別の世界からスライドしてくる。パラレルワールドは無限にあるから、無限にスライドすれば問題はない、はず」

「はず?」

「私だって修復機構の一部に過ぎないのよ。世界の仕組みを分かってるわけじゃないわ。でもそうなってるはずなのよ。よくSFであるネタね」

桧原さんは冗談っぽく私に目をやり、先輩も私の方を向く。

「これってSFで説明できることなの?」

「SFはあくまでフィクションですから。私たちに起きてることを、それっぽく説明することは出来るかもしれませんが、それが事実だと証明する方法はありませんね」

「じゃあ、どうするの?」

「もう、そういうものとして受け止めるしか・・・」

「そういうことね。当人たちが分かってないんだから、諏訪さんが分かろうとする必要はないわ」

「まぁ、そういうことなら・・・」

先輩は自分なりに、無理矢理納得したようだった。

「次はオリジナルのあすかのこと。こっちのあすかも修復機構の一部で、私と一緒に行動していたんだけど、こっちの世界に、私とあすかの二人がかりでも対処できないほどの亀裂ができたの。そこからどんどん禍が溢れ出してきたのよ。最期の時に、私は力を使い果たして脱落。あすかはその身を犠牲にして、亀裂に蓋をしたの」

「それが、あの結晶・・・」

「ええ。あれはあすかが死の直前という極限状態で、自分を核にして作り出した、究極の迷路なの」

「え? あの結晶自体が迷路ってことですか?」

てっきり、あの結晶が迷路を作り出しているものだと思っていたけど。

「普通は現実世界の中に迷路があるでしょ? あすかがやったのは、その迷路の中にもう一つ迷路を作り出して、その中に現実世界の一部を包み込むという三重構造を作り出すということなの。現実世界の中に、あの異空間があって、そこに黒い結晶があって、その中に隔離された現実世界が入っているの」

桧原さんは両手で空間を囲うようにして説明してくれるけど、いまいちピンとこない。

「禍の迷路の中で何時間経っても現実世界では数分しか経っていないでしょ? それはつまり、迷路の中と比べて、現実世界の時間はゆっくり流れているということにならない? その究極形が時間停止。あすかは自分の作り出した迷路に包まれて、時間の停止した現実世界の中にいるの」

あの、頭を下にして浮いていたのが、停止した時間の中だとすれば、停止する前の状態は・・・

「あなたが見たのは、展望台から身を投げた、オリジナルのあすかの姿なのよ。コンクリートに激突する寸前で時間が止まってるから、まだ死んではいないわ・・・」

そう言って桧原さんは運転席に体を沈め、溜息を吐く。

「あすかは自分の死の直前という極限状態で禍の迷路を作り出して、それで世界の亀裂を塞いだの。そして、それと同時に、自分自身を禍の迷路で包み込んだ。禍の迷路に包まれているあすかの時間は止まってるから、永久に迷路の核として機能し続けるし、その迷路は永久に世界の亀裂を覆い続ける。それで完璧なはずだった・・・」

「・・・だった、というのは?」

私は恐る恐る尋ねる。

「世界の亀裂はあすかの自己犠牲でも押さえ込めないほど大きくなってしまったのよ。それでオリジナルのあすかは世界に死亡認定されて、代わりのあなたがスライドして来た」

そうして桧原さんはまた溜息を吐く。

「・・・時間切れなのよ」

桧原さんの声には諦めが滲む。

「じゃあ、これから、どうなるんですか?」

「多分、今度は私が死ぬわ」

桧原さんはあっさりと言う。

「そして別の世界から、別の私がスライドしてくる。そしてまた命がけであの亀裂を何とかしようとする。焼け石に水とは言うけど、冷めるまで無限にかけ続ければいいのよ。世界は残酷よね」

「・・・それって、あーちゃんも死ぬってことですか?」

先輩が震える声で尋ねる。

「そうよ。修復機構の一部なんて、パラレルワールドからいくらでも、それこそ無限に引っ張ってこれるんだもの。手っ取り早い使い捨ての消耗品なのよ、私たちは」

桧原さんの吐き捨てるような口ぶりに、私は呆然として声も出なかった。

確かに私Bは、私のことを修復機構の一部、ただの歯車に過ぎないと、何度も言っていた。決してヒーローでも何でもないのだと。

それでも私は、大事な役目を果たしているのだと思っていた。

自分自身が使い捨ての消耗品だとも知らずに。

「オリジナルのあすかは最期の時の直前に、自分の持つ福を抜き出して、どうやってそれを知ったのかは分からないけど、これからやって来る自分とペアになる人物、つまり諏訪さんにそれを託した。そうすることであすかは完全な禍だけの存在になって、より禍への適性が高まる。その状態で結界を張ったのよ」

先輩の強烈な福は、オリジナルの用意周到な計画の一部というわけだ。

「それで、私のお願い事だけど、これで現状を変えられる可能性があるわ」

再び桧原さんが運転席の横から顔を出す。

「何です?」

「オリジナルのあすかが自分の福を抜き出す時に使った、福を移動させるキーがどこかにあるはずなの。それを持って来てほしいのよ」

「それってどんなものなんですか」

「見た目は分からないわ。あすかは教えてくれなかった。ごく普通の物に力を込めただけだから、他の人には全く分からない。でも同じあすかであるあなたなら、見ればそれと分かるはず。そのくらい異常な力を放っているはずよ」

「それがあれば、みんな助かるんですか?」

そう尋ねると、桧原さんはふっと笑う。

「欲張りすぎね。でも誰かは助かるかもしれない。その程度のものよ」

桧原さんは運転席に座り直すと、シートベルトを締めた。それに倣って私たちもシートベルトを締める。

「今日は送っていくから。私の方でも準備があるから、明日また来てくれる?」

そう言って桧原さんは車を走らせた。

車の中では三人とも無言だった。

桧原さんは先輩のことも送っていくと言ったけど、まだ荷物が残っているからと、私の家の前で二人とも降りる。

「私は駐車場で待ってるから、見つけ次第、お願いね」

私たちはそう言って、来た道を戻っていく桧原さんを見送った。

「桧原さん、車中泊するつもりなのかな」

先輩がポツリと言う。

「そうかもしれませんね」

迷路の中での異様なまでの興奮状態と、その後の一見、友好的な態度。やはり私の知っている桧原さんではない。

相当追い詰められていることは分かるけど、原因が分からない以上、どうすることもできない。

私たちは部屋に戻ると、先輩は広げていた勉強道具を片付けて、何となく二人で並んで座る。

桧原さんからあんなことを聞かされた後では、何を話していいか分からない。

「ねぇ、あーちゃん・・・」

しばらくの沈黙の後、先輩が口を開く。

「何ですか?」

「これから私が言うことに、全部『うん』って答えてね」

「・・・うん」

「あーちゃんは大丈夫だよね?」

「うん」

「あーちゃんは死んだりしないよね?」

「うん」

「私を置いて行かないよね?」

「うん」

先輩は私の服の袖をぎゅっと握って、肩口に顔をうずめてくる。

「・・・ありがと」

先輩は泣いていた。

私には、かすかに震える先輩の髪を撫でてあげることくらいしかできなかった。

どのくらいそうしていただろうか。

先輩は私の腕を離して鼻をかむと、にっこりと笑って見せる。

「えへへ、泣いちゃった」

「いつでも泣いていいんですよ」

「うん、ありがと」

先輩はそれで落ち着いたようだ。

「桧原さんの言ってたキーって、心当たりはあるの?」

「いえ、全く。でもオリジナルが私と同じなのであれば、この部屋にあるはずですよ。他のところになんか行きませんから」

「そっか。じゃあ私は手伝えないから、今日のところは帰ろうかな」

そう言って先輩は荷物をまとめて、立ち上がる。

外はもう夕暮れ時で、暑さもおさまったころだ。

「さっきの、約束だからね」

「分かってますよ」

そう応えると、先輩はうん、と頷いて、自転車で帰っていく。

それを見送りながら、今度は私の方が泣いていた。

あんなことを言われた後では、お互いに泣き続けて、何も進まなくなってしまう。それが分かるからこそ、先輩は早めに切り上げたのだろう。

 

私は涙を拭いながら、部屋に戻る。

桧原さんとはいろいろ話したから、そろそろ私Bが出てくるかとも思ったけど、そんなことはなかった。

特に捕捉することはないだけなのかもしれないけど、いまいち出てくる基準が分からない。

とりあえず、形も大きさも分からないキーを探してみる。

今まで、そんな変なものを見たことはないけど、意識していなかっただけで、今見れば分かるということなのかもしれない。

机の引き出しの中、ベッド周りのチェストの中、飾り棚の中と一通り見てみるけど、特に変わったものは何もない。

クローゼットの小物入れの中、ハンガーに掛けられた服のポケットの中、カバンの中なども探すけど、やはり何もない。

ポスターの額の裏や、出窓にもなし。机の裏やベッドの下にもなし。

こうなると、嫌な可能性に思い至る。栞のように本に挟んであるというものだ。クローゼットの中と合わせて、何百冊あると思っているんだ・・・

仕方なく、私は一冊一冊、パラパラとめくり始める。

無心で作業をしていると、どうしても桧原さんのことに頭が行ってしまう。

 

桧原さんは、福を移動させるためのキーを持って来てくれと言った。それを使って、先輩の持っているオリジナルの福を返してもらうのだろう。言い方は悪いけど、ただの人間である先輩が持っていても、無限に福を供給するような代物だ。修復機構の一部である桧原さんが持てば、さらなる効果を発揮するのかもしれない。

オリジナルがそのキーを使って福を抜き出したというのだから、同じように使えば先輩に悪影響はないだろう。

そして福の供給という役目が無くなれば、先輩は迷路に関わる必要はなくなる。私としては一安心だ。

でも、どうしてオリジナルは自分の福を先輩に預けたんだろう。

オリジナルと先輩は会ったことがないと言っていたけど、一旦どこかに預けておいたのを、先輩が受け取ったという形なのだろうか。

どうして先輩なんだ・・・

桧原さんの口ぶりでは、オリジナルと長い間パートナーとしてやっていたようだったし、桧原さんに預ければよかったのではないか。そうすれば、私がこんなことをしなくても済んだのに。桧原さんが嫉妬しなくても済んだのに。

最初に迷路で会った時の桧原さんは、確かに先輩に嫉妬していた。本来、自分がもらえるであろう、オリジナルの福を先輩が持っていたからだ。オリジナルは桧原さんの気持ちを分かっていなかったのか、それとも、気持ちとは別にそうする必要があったのか。

それに、桧原さんはオリジナルの行為を、自己犠牲だと言ったけど、本当にそうなのだろうか。私とオリジナルの考え方がどこまで同じかは分からないけど、私だったら好きな人を残してそんなことはしない。

何か違う気がする。

桧原さんとオリジナルとの間に、何かすれ違いが起きている気がする。

 

そんなことを考えているうちに、全ての本を調べ終わってしまった。

休み休みやったのもあって、もう十時過ぎだ。結局、この部屋にはキーはなかった。

自分の部屋以外に隠すとは思えないし、家以外の他の場所というのも論外だ。

では誰かに預けたのか?

オリジナルは先輩には会っていないし、桧原さんは当然、受け取っていない。両親とは顔も合わせていないし、他にいないではないか・・・

でもそこで、そういえば一人いた、と思いだす。

なぜかスマホに連絡先があった人。考えてみれば、確かに信頼できる。

担任の田沢先生だ。

もう時間も遅いし、明日、学校に行ってみよう。どうせ部活の顧問か何かでいるだろう。先輩にも学校で待ち合わせしましょうと、メッセージを送っておく。

そうしてさっさと布団に潜り込む。

今日はいろいろありすぎた。明日のために早目に寝てしまおう。そう思うのだけど、目を閉じれば先輩の涙と、その後の笑顔が思い出される。

 

私は、先輩が帰ると言ったときに、引き留めなかったことを少し後悔した。『今日は泊っていきませんか』とさえ言えば、今、私の隣には先輩がいたはずだ。

でも、私はすぐにその考えを吹き消した。

桧原さんの様子からすると、キーを持って行けば、桧原さんは命がけで何かをやろうとするかもしれない。そして、その時に私も命をかけなければならないかもしれない。

でもそれを理由に先輩に甘えるのは違う気がした。

そんなのはまるで、明日死ぬ人間の、最後の一晩のようではないか。何かやる前から諦めているようなものだ。

それはただの強がりかもしれない。でもたった一晩で、何が伝えられるというのだろう。

私は再び目を閉じた。

私の先輩への思いは、そんな簡単なものじゃない・・・

 

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