禍福はあざなえる縄のごとし   作:ディエ

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禍福

その時、スマホに着信があった。この音は私Bからだ。

すっと手の平にスマホを出して操作すると、そこにはやはり、迷路の出現を示す座標が表示されていた。

でも今回はそれだけではなく、『一般人が取り込まれた可能性あり』という一言が添えられていた。

ドキッとした。

なぜか真っ先に先輩の笑顔が浮かぶ。

そして、以前に私Bが説明してくれた、一般人が迷路に入った時の症状、心停止、呼吸停止、廃人という言葉が蘇る。

慌てて表示された座標を検索すると、もろにこの湖陵高の校門付近だった。

さっき別れたばかりの先輩の後姿が頭をよぎる。

先輩が禍の迷路に取り込まれたとしても、私に何か落ち度があるわけではない。単に運が悪かっただけだろう。

でも中で怪我をしたりしても関係ないかというと、そんなことはない。ましてや死んだり廃人など、以ての外だ。

そう考えた時には、すでに私は走り出していた。

幸い、暮れゆく夕日の中で、迷路の入り口を示す揺らめきはすぐに見つかった。

迷路が強力になっているため、見つけやすくなっているのか、出現直後に現場に来たことが関係しているのか。

そしてそのゲートのすぐ手前には、女子生徒のものと思われる一台の自転車が倒れていた。

先輩のものかもしれない。

ゲートは一般人には見えないらしいが、入れないとは聞かされていない。偶然、ゲートが自転車の進路上に現れてそのままゲートに侵入、自転車だけがはじき出された、とかだろうか・・・

とにかく、私は何の躊躇もなくゲートに飛び込んだ。

 

そこは校門とそれに続く生け垣、そして校舎前の広場が延々と繰り返される世界だった。

見える範囲には誰もおらず、耳を澄ますが何も聞こえない。迷路に入った人間が同じ場所に飛ばされるわけではない、ということなのだろうか。

こんな自分の位置すら分からなくなるような場所で、人を探し出すことなど不可能だろう。だとすれば、あとはできるだけ早くこの迷路を攻略して消滅させるしかない。

私は目を閉じて深呼吸をする。

よし、あの引かれるような感覚はある。

でも目玉のところまで、どのくらいかかるだろうか。前回は一時間ほどで、その前が三十分程度だったと思う。今度は一時間半かかるか、二時間かかるか。

先輩が慎重な人間で、訳の分からない状況だからと、その場でじっとしていればいいんだけど、逆にむやみに動き回るようなタイプにも思える。体動かす方がいいとか言ってたしなぁ。

もっとも、私だっていきなりこんな状況に置かれたら、どうするか分からない。

その時に良手を取れるか悪手を取ってしまうか、結局は運ということになるのだろうか。

私は気付かないうちに小走りになっていた。

 

いくら急いでも、迷路の中での移動距離は関係ないとは思うけど、そうはっきりと確認を取ったわけでもない。今の段階では単なる私の推測だ。この迷路のことは、私にとっても未だに分からないことだらけだ。

それでも、もし先輩が危険に晒されているとしたら、急ぐに越したことは無い。

分かれ道に出るたびに、深呼吸をして、引かれる感覚を確かめる。

前回は小さな禍が道案内になったので、今回も黒いモヤモヤを探すけど、こういう時に限ってどこにもいない。

焦るな、焦るな・・・

私は自分に言い聞かせる。こんな時は焦ってもろくなことにはならない。

一度立ち止まり、乳酸菌飲料を一口飲むと、深呼吸を繰り返す。

ちゃんと引かれる感覚はある。迷ってしまったわけではない。前回と同じだ。攻略はできる。大丈夫。

私は自分の感覚を信じて、迷路の中を小走りで進んでいく。

 

するとその先に、初めて見るものがあった。

目の前の道を、高さ2メートル以上はある黒い壁が塞いでいたのだ。端はしっかり生垣の所まで伸びていて、すり抜けることも、乗り越えることもできそうにない。

この景色の一部としては場違いなもので、その黒い滑らかなガラスのような質感は、目玉と同じように見える。恐る恐る触れようとするけど、強力な磁石のような反発感がある。その場でもう一度感覚を確かめるが、引かれるような感覚は確かにその壁の向こう側からする。

ここが新しいゴールということなのか、それとも迂回して進めということなのか・・・

迷う時間も惜しい。

私はハンマーを出現させると、バットのように水平に振り抜いた。

その壁は目玉の時と同じように、ガシャンと簡単に砕け散った。破片がその場に残ることなく消えていく様子も、目玉と同じだった。

でも、迷路はそのまま残っていて、引かれる感覚はその道の向こうを示している。

迷路の中の新しい要素ということだろうか。でもあんな形だけの壁に何の意味があるんだろうか。

その時はそう思っていた。

でも二つ目の壁も同じように壊し、三つ目の壁も壊そうとした時、その効果を思い知ることになる。

三つ目の壁はハンマーでは壊せなかった。

ハンマーを出現させた時には、いつもより色が薄いなとは思った。でも特に気にすることなく、振り抜いた。いつも通りにハンマーは消えたけど、目の前の壁はヒビが入っただけで、壊れてはいなかった。

「え・・・」

目測を誤って、ハンマーがうまく当たらなかったのかと思い、もう一度ハンマーを出現させようとするけど、どれだけ念じてもハンマーは出現しなかった。

「どうして・・・」

そこで私は思い出した。私Bが、私のことを福の適性が低いと言っていたのを。

まさか、エネルギー切れ・・・?

ヒビの入った壁を叩いてみるが、反発の方が強くて、素手で壊せるようなものではない。

ハンマーの元である福は時間が経てば回復するようだけど、どのくらい時間がかかるか分からない。私Bはオナニーでも回復するようなことを言っていたけど、とてもそんなことができる状況ではない。

この壁は迂回すべきだったのか。今更ながら後悔する。

でも引かれるような感覚は、確かにこの壁の向こうからしてくる。それに不完全な打撃だったとしても、この壁にはすでにヒビが入っている。ここは直進して、また壁があったら迂回しよう。

そう考え、私は後ろに下がると、助走を付けて思い切り壁に飛び蹴りを喰らわせる。

私の足はドンッと壁に触れることはできたけど、次の瞬間には壁の反発力で体ごと跳ね返される。

ろくに運動をしたこともない人間が、カンフー映画のように着地できるわけもなく、私は無様に背中から地面に叩きつけられる。

「! いったぁ・・・」

息が詰まるような感覚に咳込みながら、立ち上がるけど、何かおかしい。一回飛び蹴りをしただけなのに、まるで100メートル走をした後のような疲れ方だ。

これはまずい。まずいけど、今、死にかけている人がいるかもしれないんだ!

壁のヒビは大きくなったような気もする。

私は二度目の飛び蹴りを放つ。また背中から着地するけど、ヒビは確かに大きくなった気がする。

心臓が信じられないくらい速く動き、口の中がカラカラになっている。膝に手を当てて、ようやく立ち上がり、黒い壁を睨みつける。

迷路から出られたら、きちんと運動するんで、この壁を壊させてください。

私は誰にともなく、祈る。

そして渾身の三度目。

飛び蹴りによって、ようやく壁は崩れた。でも、それと同時に私の体は大きく宙に放り上げられる。

壁を突き抜けた勢いと、壁の裏側の反発力が合わさって、吹き飛ばされたんだな、と思った瞬間、私の目の前に地面が迫った。

一瞬の衝撃で何も見えなくなり、自分の体がどうなっているのかも分からなくなる。

次の瞬間には来るであろう激痛に体を強張らせたけど、それはやってこなかった。

ゆっくりと体を起こすと、全身にギシギシとした痛みが走る。でも我慢できないほどではない。

「くっそ・・・」

手足を動かしてみると、痺れたような感覚はあるけど、きちんと動く。骨折はないようだ。

一番ひどい痛みは左膝で、結構な出血がある。カバンの中からタオルを取り出すと、それで傷口を縛って止血する。迷路の中で汗を拭くために用意していたんだけど、早速役に立ってしまった。

あとはブラウスの肩やスカートの腰の部分とか、破けてしまっているところにも傷があるはずだけど、今は何も感じない。多分、膝の痛みに搔き消されているんだろう。

「くっそ・・・」

私はまた悪態を吐いて、あちこち打ったところを確認しながら、のろのろと足を引きながら歩き始める。

学校指定のスカートなんてどこに売ってたっけ・・・

注文して届くまで、この暑い中で冬用スカートか・・・

いっそのこと、届くまでサボろうか・・・

そんなふうに気を紛らわせながら歩く。

 

私は初めて、この迷路に恐怖を感じていた。

誰もいない、誰の助けも得られない場所で、一人きりだ。そして、次に壁が現れれば、それを壊す手段はない。第一、もう目玉を壊すことさえできないのだ。

あの目玉、禍の集積体を壊さなければ、迷路から抜け出ることはできない。これは私Bがはっきりと断言していたことだ。

それに、この疲労感。ゆっくり歩いているのに、全然楽にならない。こんな状態で、あとどのくらい歩けるのだろうか。

もし、このまま動けなくなったりしたら、どうなるのだろう。

そんな不安に駆られながら、立ち止まるのが怖くて、私は惰性でのろのろと歩いていた。

そして、曲がり角を曲がったところに、うずくまった人影を見つける。

私と同じ制服だ。

「先輩!?」

私が痛む足を庇いながら駆け寄ると、その人影は顔を上げた。

「奥只見、さん・・・?」

それは確かに先輩だった。

返事をしたので、とりあえず生きてはいるし、廃人にもなっていない。

「先輩、大丈夫ですか!?」

私が先輩の前にしゃがみ込むと、先輩は私の姿をまじまじと見て、涙を浮かべた。

「んっ・・・ 大丈夫~・・・」

そう言いながら、先輩は泣き出してしまう。

「せ、先輩・・・」

私はどうすればいいのか分からず、おろおろするしかない。

やがて先輩は自分一人で泣き止むと、涙をぬぐい、鼻をすすりながら、顔を挙げた。

「あの、大丈夫ですか・・・」

「うん、大丈夫。心細かったから・・・」

それはそうだろう。

もう何度もこの迷路に入っていて、不完全ではあるけど、説明を受けている私だって、怖いんだ。何も知らない先輩は、どれだけの恐怖に耐えていたのだろう。

しかも迷路の中と外とでは時間の流れ方が違う。

迷路の中で何時間も彷徨っていても、外に出れば、ほんの数分しか経っていない。逆に考えれば、数分前に迷路に入った先輩は、この訳の分からない空間の中で、何時間も一人でいたということになる。

私ならまともでいられる自信はない。

「先輩は怪我とかないですか? 具合はどうですか?」

「私は大丈夫。それより奥只見さんこそ、そんな怪我して・・・」

「これは見た目だけで、大したことはありません」

先輩の姿を見て、私には強がる余裕が出てきた。折角会えた人間が不安がっていたら、それは先輩にも伝染してしまう。

先輩には怪我はなさそうだけど、疲れは見えた。多分、私と同じ種類の疲れだろう。あるいは私よりもひどいのかもしれない。

ここにいてはいつまで経っても疲れは回復しない。でも動き回ったとして、何がどうなるというのか・・・

私はそんな消極的な考えを振り払った。

「先輩、歩けます?」

「歩けるけど・・・ どこまで行っても同じ景色のままで・・・」

「歩けるなら大丈夫です。一緒に行きましょう」

「・・・うん」

そうして先輩は少しよろけながらも立ち上がった。

 

『体を動かせば、心も動く』

 

何かの本で読んだ言葉だったけど、まさに今の状況だ。じっとしていても気が滅入るばかり。歩いていれば、何か閃くかもしれない。

今、一番不安なのは先輩のはずだ。

「奥只見さん、怪我、大丈夫? まだ痛むの?」

それなのに、人の心配だ。

「平気です。血も止まっているみたいですし」

そう言って、とりあえずゴール目指して歩き続ける。その後のことは、意識的に考えないようにしていた。

何か方法はないのかと期待を込めて、時々スマホを覗くが、私Bからの連絡はない。

「ここ、電波、届かないんだよね」

先輩も自分のスマホを覗き込む。

「・・・そうですね」

もう、奇跡的な何かを期待するしかないのだろうか。そして、その奇跡が起こらなければ・・・

くぅ、と私のお腹が鳴る。

まさか、餓死とか・・・?

嫌な想像が頭に浮かぶ。

その時。

「はい」

先輩がポケットの中から飴を一つ差し出す。

「え?」

「私のもあるよ、ほら」

そう言ってもう一つ出して見せる。

「ありがとうございます」

そう言って受け取ると、二人で飴を舐める。

「・・・いつも持ってるんですか?」

「たまたまね。最後の二個だけど」

先輩はえへへと笑う。

「どうぞ」

私は乳酸菌飲料のペットボトルを先輩に差し出す。

「ありがと」

先輩はそれをほんの少し、口を湿らせる程度に飲んだ。先輩も最悪の事態を考えているのかもしれない。

いつもはいろいろとしゃべってくれる先輩も、さすがにこの状況では口数も少なくなる。

でもその顔には絶望などは見られない。しっかりとした意志の力があった。

そんな先輩を心から尊敬する。

先輩がいれば、まだ頑張れる気がした。

 

そしてどのくらい歩いた時か、何回か壁に突き当たり、迂回するはめにはなったけど、ようやくゴールである目玉のいる白い広場に辿り着く。

試しにハンマーを出そうとしてみるけど、やはり何の反応もない。

果たして、この迷路の中で『福』は回復するのだろうか。

もし回復しないとすれば、本当に最後だ。

「疲れた?」

歩みを止めた私に、先輩が尋ねてくる。先輩にはあの目玉が見えていないのだろう。

「あそこのフェンスのところで休みましょうか」

先輩はそのまま歩いて行くけど、その先には目玉が浮いている。ギョロギョロと動いていた目玉が、先輩の姿を捉え、ピタリと止まる。

「先輩!」

咄嗟に私は先輩の肩を掴み、先輩と目玉の間に体を割り込ませる。

「な、なに?」

驚いた顔をする先輩には、何の異常も見られない。

「あ、いえ・・・ こっちで休みましょう」

そう言って先輩の手を引いて、目玉から離れる。すると目玉はまたギョロギョロと動き始めた。

「・・・奥只見さん、ここのこと、何か知ってるの?」

不審そうに尋ねる先輩に、私は答えられなかった。

よく考えれば、別に先輩に秘密にしなければならない理由はない。

でも自分でもよく分かっていないことを、見えていない先輩に、どう説明しろというのか。それに、これは私の問題だ。私が先輩を巻き込んでしまったに違いない。

そんな考えから、何とか誤魔化そうという方向にいってしまう。

「・・・ここっていうと?」

「この変な世界のこと」

「いえ、何なんでしょうね・・・」

「本当は?」

先輩がずいっと真面目な顔を寄せてくる。

それは詰問などではない。ただ本当のことが知りたいという思い、そして私のことを心配している気持ちが見て取れた。

「ど、どうして・・・」

先輩の真っ直ぐな視線に、私の態度は揺らぐ。

「だって、こんなところで怪我までしてるのに落ち着いてるし、まっすぐ歩いてるかと思えば、急に引き返したりするし」

「・・・落ち着いてなんかいません。歩いてるのも適当です」

「じゃあ、今のは何? あっちに行っちゃいけないの?」

「それは先輩が・・・」

危ないと思ったから、と言いかけて、口をつぐむ。どうせ見えないのだ。危険があるなど、知らない方がいいだろう。

先輩の視線に耐え切れず、私は顔を伏せた。

「私には教えられないこと?」

私は黙り込むしかなかった。

「・・・そうやって隠し事するんだったら、私にも考えがあるよ」

「な、なんですか・・・」

先輩の決意を込めた話し方に、私は思わず顔をあげた。

「奥只見さんにも黙ってたけどね・・・ 私は人の心が読めるんだよ」

「え?」

「・・・こんな風に!」

何を言ってるんだ? と思う間もなく、先輩が私の手をぎゅっと握って来た。

その途端。

 

『私に好意を向けてくれる大事な先輩』

『あなたはそんな怪我までして何を抱えてるの』

『絶対に元の世界に戻してあげますからね』

『私には本当のことを教えて』

『先輩のことは私が守って見せます』

『あなたのことは私が守ってあげるから』

 

二人の思いが交差し、混ざり合って、互いの心へと流れ込む。

これはまるで、というか、まるっきり、私の本心が聞こえてくる力が双方向になったようなものではないか。

私はその力に唖然とするけど、先輩にしてもそれは予期したものではなかったようだ。

先輩はびっくりした様子で手を離す。

「え、なに・・・ 今まで、こんなことは・・・」

先輩は突然のことに混乱しているようだったけど、それは私も同じだ。

でも私にはそれよりも、やらなければならないことがあった。

私の右手には、これまでにないくらいの強い輝きを放つハンマーが出現していたのだ。

「先輩、私の後ろに隠れててください」

私は背後に先輩を隠したまま、目玉の方に踏み出していく。

そして目玉がピタリとこちらを向いた瞬間、私は片手で長大なハンマーを振り上げると、一撃で目玉を叩き壊した。

その欠片が消えていくのと同時に、迷路はゆっくりと薄れていく。

「先輩! 手、つないでてください!」

そう言って先輩の手をしっかりと握る。

その数秒後、私たちは別の高校の校門前に立っていた。

はぐれないように手をつないだ先輩は、しっかり横にいる。

ようやく迷路攻略だ。

すぐに先輩の様子を見るけど、怪我もなく、大丈夫そうだった。

「・・・先輩、何か具合悪いとか、そういうのあります?」

「いえ、大丈夫、みたい・・・」

そっか、良かった・・・

私は大きく溜息を吐く。

「奥只見さんは?」

「私も大丈夫です」

先輩は辺りを見回しながら、混乱しているようだけど、まぁ、それはそうだろう。

いつものように現在地を確認すると、今までと比べれば、割と近くのところだった。車で三十分から四十分といったところだろう。

私はすぐにタクシーを呼ぶ。

タクシーの運転手は私の怪我を見て心配していたけど、自転車で転んだと誤魔化した。

そして、自分たちの高校に戻って来るまで、先輩はずっと無言だった。

自分の中でこの出来事を整理しようとしているのだろうか。

「え~と・・・ とりあえず、今日は帰りましょうか・・・ 説明は明日にでも・・・」

先輩の様子を伺いながら、私はそう切り出した。辺りはそろそろ暗くなり始めている。

「怪我は大丈夫なの?」

「はい。あまり酷かったら病院行きますから」

「うん、そうしてね」

「あと、今日のことは秘密ということで・・・」

「分かってる。じゃあ、明日ね」

「はい、ありがとうございます」

そう言って、私は自転車で帰っていく先輩を見送る。

一人になると、途端に膝の傷が痛みだした。

 

私は家に帰るとカバンを放り出し、帰りがけにドラッグストアで買ってきた傷口に付かないガーゼと保護用の防水フィルムを持って、脱衣所に入る。

「おかえりー」

すると、そう言いながら、すぐに私Bが現れる。私の部屋じゃなくても、人の入って来ない場所であれば出て来られるようだ。

今日の迷路は初めてのことが多すぎる。私Bが出て来るということは、当然、情報更新もあったということだ。

早速説明を聞こうではないか。

「何から聞く?」

「何でもいいよ・・・」

もったいぶった様子の私Bに、呆れ声で返す。

でも、一番気になっているのは、あれだ。

「先輩って何者なの? あの力って私のと同じだよね?」

「心を読む力? 同じだねぇ。でもあの人はただの人間。禍福は見えてないし、もちろん禍福に影響を与えることもできない」

「ただの人間があんなことできるわけないでしょうが」

破れたブラウスとスカートを脇に避け、下着だけを洗濯機に入れて、浴室に入る。

「ただの人間にもいろいろあってね。世界の修復機構の一部じゃないってこと」

「ふ~ん・・・」

あんな超能力みたいな力を持っていても『ただの人間』の範疇に含まれるくらい、修復機構の一部というのは特別らしい。未だによく分かんないけど・・・

「で、更新されたところなんだけど、禍福の概念は世界や修復機構だけじゃなくて、そのただの人間にもあるんだよね」

「禍寄りの人間とか、福寄りの人間とか?」

右膝を縛るタオルをゆっくりとほどくと、少し時間を置いてから、ゆっくりと血が滲んでくる。

シャワーで傷口をさっと洗って水分をふき取ると、ガーゼを当て、防水フィルムを張り付ける。痕にならないといいなぁ・・・

「ほとんどの人間は誤差範囲だけどね。でもその中で、あの先輩さんは例外中の例外。極端に福の適性が高いんだよね」

「どのくらい?」

「・・・あなたは禍の適性が高くて防御特化だって言ったよね。あの先輩さんはもっと極端。超攻撃特化型。ただの人間だから、いくら福があっても何かできるわけではないんだけどね。で、これが今回の一番の収穫なんだけど」

「なに?」

あちこちの擦り傷を確認していた私は顔を上げる。

「人の心を読める力があるでしょ? それを同じ力を持つ人間に使うと、完全同調状態になる」

あれか、お互いの考えてることがごちゃごちゃになって、お互いに伝わってしまうヤツ。

「そうなると、お互いの禍福が平均化しようとして、大量の福があなたに流れ込むことになる」

あぁ~、なるほど。だからごちゃごちゃになった後、福が回復してハンマーが出たんだ。

「・・・全然わかってないでしょ」

私Bは不満げに言う。私の反応が良くなかったらしい。

「何が?」

「今回、どうしてそんな怪我したの? 自前の福が無くなったせいでしょ? 下手したら、本当に飢え死にの可能性だってあったんだよ?」

改めてそう言われれば、今更ながらにぞっとしてくる。

どうやら私Bは、連絡が取れないだけで、迷路の中の様子は把握できているようだ。

「それが、あの先輩さんが一緒にいれば、福は回復し放題。いくら福をもらっても、先輩さんの福は即時に回復するからね」

「・・・何? 先輩とお友達になって、一緒に迷路を攻略しろってこと?」

お友達になってとか、人と一緒にとか、一番嫌なんだけど・・・

でも私Bも、その辺の心情は理解しているようだ。

「そうは言ってないよ」

そう、なだめるように言うけど、次の瞬間には悪い笑みを浮かべる。

「完全同調に入るのに、相手の同意はいらないんだよ。引きずってでも連れて行って、必要な時にあなたが相手の心を読めばいい。そうすれば自動的に福は回復するよ。何回でもね」

そんな犬猫連れて行くんじゃないんだから・・・

「あなた、スタンガンとかノックアウトドラッグとか、知ってるよね?」

なんか、ますます非現実的な提案だなぁ・・・

「やり方は好きにすればいいけど、あの先輩さんを連れて行くことは、すっごく有益だってこと。正義のヒーローでも何でもないんだから、できることは何でもしないと。迷路はどんどん強化されてるし、攻撃性も高まってくるからね」

「・・・他に福の回復方法はないの? 迷路の中で自然回復とか」

「情報不足。でも、おそらくあなたの場合は、自然回復はしないかな。 ・・・あなた迷路の中で気持ちいいことできる?」

「あんな所でできるわけないでしょ」

「じゃあ、今のところ回復方法はありませーん。他に聞きたいことは?」

「いや、もういいわ・・・」

ひらひらと手を振ると、私Bは消えて、浴室に一人になる。

ずっと一人で気楽にやってきたのに、先輩と一緒に行動なんて・・・

先輩に何かあったら、こんな私に責任が取れるとでも思っているのか・・・

「・・・はぁ~」

盛大な溜息が出る。どんどん気が重くなる。

こういう時の気分転換は、あれだ。丁度、私Bもいなくなったし。

私は目を閉じて、お気に入りのイラストを思い浮かべる。

そうして自分の体に手を伸ばそうとするけど、自分の体に触れる前に、先輩の柔らかな手の感触がよみがえってくる。

なんで先輩が出てくるんだ。私は巨乳ちゃんに気持ち良くしてもらうんだ。

今度は唇を舐め、巨乳ちゃんとのキスを想像する。でもそれはいつの間にか、ちょっと怒ったような先輩の顔になっていた。

だから出てくるなっての・・・

「バカバカしい・・・」

そう呟くと、一人でしようとしていた行為は切り上げて、さっさと体を流してお風呂から上がることにした。

 

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