―――体が重い。
気付いた時にはベッドの上に居た。
ただただ、体が重い。指先に力を込めると僅かにながら反応が返って来る。感覚が少し鈍いが、体は動く。四肢に感覚を伸ばし、肉体の制御権を取り戻す。
「うっ……ぐっ……」
「……! 鴉羽様……!」
起き上がろうとすると物凄い重みを頭に感じる。凄くだるい。起き上がろうとする体を支えてくれる姿が直ぐ横に現れた。侍女服姿……だから図書館の魔本の従僕か。従僕がいるという事はここは安全地帯なのだろう。上がっていた警戒心を解いて、そのまま力も抜く。
「終わった……のか……」
「はい、あれから1ヶ月が経ちました。あれ以来鴉羽様は眠ったままでした。さ、此方をどうぞ」
「1ヶ月もか……ありがとう」
コップに注がれた水を飲んで喉を潤す。気付かなかったが、どうやら結構喉が渇いていたらしい。喉を通る水の感触に心地よさを覚えると、周りを見る余裕が出て来る。どうやらどこぞの病院にいるらしい。まあ、死にかけたしそれもそうか。
「鴉羽様が瀕死の重傷を負い、昏睡状態に陥ってから1ヶ月、色々とありましたがその説明は後程……まずは各所に連絡を入れますので」
「あぁ、うん。ありがとう」
「いえ、それでは」
頭を下げて病室から従僕が去って行く。この感じ、図書館の手すきの従僕がローテを組んで俺の看病に回っている? いや、チクタクマンの襲撃を考慮して護衛についている感じか、これは。次に襲撃された場合は即座に反応して迎撃出来る布陣か。
ベッドに寝転びながら足元を見れば、ララがベッドの上で眠っているのが見える。ベッドの横、床を見るとチビが丸まっている。部屋の隅の気配は……ウェルギリウスかな? 他の連中はここにはいないみたいだ。まあ、女性陣は追い出されているのかもしれないが。
何にせよ、生きて帰って来れた。
俺は、だが。
頭は重く、体もだるい……それでも今自分の命の気配を感じたくて、眠る事は出来なかった。だからベッドに入ったまま起きていると、10分後ぐらいに再び病室の扉が開いた。そうやって入って来たのは久遠でも家族の姿でもなく、館長だった。
「やあ、尊くん。起こしてしまったかな?」
病室に入ってきた館長は疲れた気配を見せようとはしないが……どことなく疲れてる様に感じられた。手を上げて挨拶するとベッド横の椅子に座った。
「いや、待ってました。色々と気になってる事があって眠れないんで」
「おっと、なら君の疑問に答えなくてはね……本当に大丈夫かい?」
「あー……まだちょっとふらつくけど、体に異常はなさそうです」
「そっか。じゃあ余り長話しないように気を付けようか」
ベッド横のボタンを押すとベッドの前半分が軽く持ち上がって上半身が起き上がる。最近のベッドはハイテクだなぁ、と思っているとその音に釣られてチビが目覚める。わんわんと吠えながら前足をベッドの上に乗せて来る姿を撫でまわす。おー、よしよし。心配させたな。ララも心配……しんぱ……し、死んでる! 人のベッドの上で死んでるコイツッッ!!
「さて、もう聞いているかと思うけどあの事件から既に1か月が経過している。あの時転移防止装置がオフになった後、即座に乗り込んで君たちの救出に入ったんだ。全員、傷が酷かった……けど特に君がほぼ限界近かった。回復魔法で何とかなるラインも超えていてね、かなりギリギリだったよ」
回復魔法はモンスター向けのものだ。人間にも通じるのだが、重症に対してはモンスターほど効果がないとされている。蘇生魔法も回復魔法も、システムとしてモンスター向けである事を忘れてはならないという話なのだが……まあ、今回みたいに回復魔法で治るラインを超えたダメージを受けていると戻って来れなくなるという話だ。
「だけど丁度ノアの中にこれが1本だけ残されていた。ノアの貨物ログを確かめた時にこれを見つけた事には何らかの運命を感じたよ」
そう言って館長は空になった瓶を見せて来た。どこか、感じた事のある気配がする。いや、知っている。この気配には懐かしさを感じる。
「エリクサー……」
「あの世界で精製された最後のエリクサーだよ。緊急事態だから使わせて貰ったよ。それで君の治療を行った。お蔭で君を含めて4人全員助かった。中々ギリギリの所だったけどね」
4人は。
だが館長が辿り着く前に既にこの世を去った1人だけは、何をどう足掻いても救う事は出来ない。そもそもアレは彼女が自分で選んだ結末だったのだ。それに口出しする権利はこの世の誰にも存在しない。
「続きを、お願いします」
解った、と館長が続ける。窓の外に気配を感じて視線を向ければ、窓にミレーナが張り付いている。それを後ろからエストが引き剥がそうとしている。君達、じゃれるのはいいけど他の病室の迷惑には……え、特別病棟? あ、はい。
「あの戦いでこの星の水位が1メートルほど上がったんだ」
「致命傷じゃないですか」
1メートルも増えたら地球文明って大打撃受けるって話じゃなかったっけ? いや、これ政府が隠し通せる範囲超えてるだろ。
「まあ、あの後ノアが増えた水を分解して消してくれたから良いんだけど」
マジでギリギリの戦いだったんだなぁ。こういっちゃアレだけど、こっそり作ったマガツキュウビやオールドテイルズがいて本当に良かった。アレら抜きだと間違いなく海王戦で詰んでただろうし。
今後も同じことがやれれば良いんだが、首相も国連ももう許してくれなさそうな感じがするんだよなぁー。裏ボス作りはオールドテイルズで最後かなぁ。
「ついでに月もサンゴ迷路も元に戻したよ」
「創造の権能ォ……」
「そして世界的に所有権の主張が始まったよ」
「創造の権能ォ……!」
造物エンジンは創造主の創造という権能そのものだ。造物エンジン単品はあの女神の物を生みだす力に匹敵する激やばパーツだと言えば解るだろう。それがノアのメインエンジンとして搭載されている。つまり、ノアを制する者はこの星の王者になるのだ。誰だって欲しい。
どの国だって手に入れたい。それだけの価値がある。
だからどの国にも手を触れさせてはならない。個人で所有して良いものじゃないんだ。
「で、ノア争奪戦はどうなりました? まさかどっかの国が手にした訳ではないんですよね?」
俺の言葉に館長は微笑みながらうん、と頷いた。
「ノアは再生した月に海を生みだすと、そこに停泊したよ。地球に存在する限りどこかの国の領海に存在し続ける必要がある……それを回避する為に自分が生みだした月の海を領地として、そこに停泊する事を選んだんだ。今は世界各国がどうやってアプローチするかを検討しているよ……勿論、その窓口は君や此方が担当する事になるだろうけど」
ついでに今はノトスがノアに残ってノア内の整理や管理を行い、ジュニアにノアのあれこれを教えるつもりらしい。ということはあいつ、今は月にいるのか。ジュニアも無事そうで良かった。
まあ、解ってた事だ。そして造物エンジンを活用した新しい合体システムはこの先の戦いに必要な技術でもある。俺みたいに精密なレシピを構築して合体を繰り返しているなら話は別だが、合体のほとんどが手探りだったこの世界の人間にとって再合体機能は戦力を大きく更新する為に必要な力だ。
なんとか、なるべく多くのマスターが活用できるように手配したい。
今回の戦いで理解出来た事だが、人類は弱い。まだまだ戦うだけの力が身についていない。海王で負ける様じゃこの先、本気で連中が暴れた時まるで話にならないだろう。もっと戦力を底上げする必要がある。だからノアによる合体環境のアップデートは是非とも適応したい。
その為の苦労はまあ……必要経費として受け入れるしかあるまい。
「アレから1か月、全く地上の混乱は収まっていない。ノアも過度に創造して修復や復興を手伝う事は堕落や依存、新たな争いに発展するものだと判断して今は月から地球の観察とデータ収集に集中している……どこもてんやわんやという様子で世界は慌ただしくやってるよ」
「そう、ですか。ありがとうございます」
はあ、と息を吐き出してベッドに沈み込む。少しだけ疲れた。
しかしあの時……過去を改変した結果生み出されたこのエリクサー。もっと重要な局面で使う筈だったものがまさか、こんな所で俺の命を繋ぐために使われるなんて想いもしなかったな。しかし、一体どういう経緯でノアに積み込まれたんだ?
「……」
「どうしたんだい?」
「いえ……助けられちゃったな、って」
懐かしいなぁ。白紙の物語の1人目、ウェン。何の力もなくて、運命を大して変える事も出来ない脆弱な少年だった。だけど彼があの時死ぬほど痛みに耐えて頑張って、そうして残した成果がこうやって俺の命を救う事になるなんてなぁ。
マジでどう転がるか解らねぇもんだ。
「しかし……ギリギリだったね」
「ギリギリ、ですか?」
館長の言葉に首を傾げる。
「あぁ、来週……漸く準備が整うから開かれるみたいだよ」
そこで一旦言葉を区切り、そして館長が続けた。
「合同葬儀。あの戦いで死んだ人たちを見送る為の会が、尊くんにも招待状が来ていた筈だよ」
合同葬儀。そっか。
「それだけ死んだんだ……」
「うん、海上の戦いも君の戦いに負けない程壮絶だったよ。彼らは地上を守る為に死力を尽くして戦っていた……そうやってこの世を去った人たちに別れを告げる必要がある」
はあ―――と息が零れ、天井を見上げる。
合同葬儀か。
もうそこに本人はいないだろうと解っていても、区切りは付けなきゃならない。出なきゃならねぇなぁ、俺も。ちゃんと、お別れしておかないと。
「それと、これを君に渡しておくよ」
そう言って館長は1枚の手紙を渡してきた。受け取ったそれを今、確認するだけの気力はない。受け取ったそれを眺める。
「これは……?」
「―――歪沢椿くんの遺書にあった、君への手紙だよ」
そっか。
本当に全部、死ぬ事前提で動いてたんだな、あいつ。
手の中にある手紙が、見た目以上に重く感じられた。今はまだ、これを開けるだけの余裕はなかった。ベッドサイドテーブルに手紙を置いて、一旦寝かせておくことにする。
わしゃわしゃ。
片手でチビの頭や首を撫でて溜息を吐く。
「帰ってきたかぁ」
どれだけ失っても、勝った以上は日常がやってくる。
ただいま。