親切を無碍にする行為が取り締まられる中、
電車で席を譲られたのを断ってしまったお年寄りの運命は!
その日、私、関譲二郎(68歳)は
電車に乗っていた。
日曜日のお昼前という事もあり、
満員とは言えないまでも座席は全て埋まっていた為、
私は吊り革を持って立っていた。
そんな私を見た青年が、
「こちらの席をどうぞ」
と、席を譲ってくれる。
私は考え事をしてた事もあり、突然の申し出に、
「いや!結構!」
と反射的に断ってしまった。
もちろん多少は席を譲られるほど老人に
見られたことへの憤りもあったのだろう。
言い方は自分でも少しキツかったと思う。
断ってしまってから、
「しまった」
と後悔する。
しかし、後悔先に立たず。
私はその場で通報され、逮捕されてしまった。
「日本人の親切心を名所名跡、文化に並ぶ、
第三の観光資源として育てよう!」
観光大国日本を喧伝するようになった政府は、
次なる一手として
親切で礼儀正しい日本人そのものを観光資源
として打ち出す。
観光資源の強化の為に、
より親切心が育まれる環境づくりが話題になった。
そして、同時にその親切心を毀損する行為が問題となった。
親切を行っても、それが受け入れられないと
人は臆病になり、親切の芽が摘まれる。
親切心をまもろう!
人々は親切を毀損する行為を無くそうとした。
そこで作られた法律が「親切促進法」である。
取り締まられるべき、親切を毀損する行為。
これを説明する際、よく使われたのが
電車などで譲られた席を断る老人の存在であった。
事実、政府が行なった調査の結果、
何故席を譲らないのかという質問への回答の
約半数が「譲っても断られるから」であった。
また、多くの人が同様の経験をしている事から
「席を断る=悪」という構図がすんなりと
受け入れられていった。
それに対し、老人達も一応は抵抗した。
立ったり座ったりがしんどいとか、
健康のために立っていたいなど反論したが、
多くの心理学者や社会学者が
「年寄り扱いへの怒り」が根本である事を
立証してしまった為、抵抗は不発に終わる。
政治家などに助けを求めた老人も少なからず
いたが、そもそも政治家に電車やバスを
利用する者がいない事から
「嫌ならタクシーに乗れば?」
と素で返されたらしい。
そういった背景があった為、
譲二郎の一件は恰好のネタとしてニュースでも扱われた。
断る際に譲二郎が強めに「結構!」と言っているシーンが、怒って顔を赤くし、頭から湯気が出ているアニメーション付きで、何度もお茶の間で流れた。その度に、断られた青年が涙ながらにその時の辛さを語るインタビュー映像が使われた。
まんまと譲二郎は「老害」の代表格としてメディアで扱われたのだ。
世間では、席を譲られて断る行為を、
譲二郎ハラスメント、略してジョーハラ
と呼ぶ事が流行した。
注目の的となった譲二郎は裁判に掛けられたが、
担当した弁護士からも「如何に反省しているか」
という一点のみでしか弁明を許されなかったし、
彼自身もそれを受け入れた。疲れたのだ。
判決は「半年間の親切促進教育」という事だった。
親切を促進させる為の精神と振る舞い方を
半年に渡って受け続け無ければならない
という刑罰だったが、まだ自宅から通えるだけ、
禁固刑よりマシだった。
譲二郎は一生懸命にその教育を受けた。
アンガーマネジメントから始まり、
親切を行う人の心理状態や目的、
どうすれば相手が親切を行いやすいか、
その都度、講師や受講生達とロールプレイングを行いながら、一つ一つ身につけていった。
時には講師から怒号を受けたり、
受講生同士熱が入りすぎて言い争いになる事も
しばしばあったが、充実した半年を過ごした。
半年後、
電車の座席に座っていた少年は
視界にお年寄りがおぼつかない足取りで
歩いてくるのに気付いた。
すぐさま席を立ち、
「おじいさん、こちらの席をどうぞ!」
と元気に言う。
老人はその声に驚きつつも嬉しそうに
「それは、それは、ありがとう」
としっかりと少年の目を見て言う。
そして、譲られた席に座りながら、
「本当に助かったよ。ありがとう」
と再び礼を言うと、
持っていた手提げの中からアメ玉を一つ取り出し、
「嬉しかったから、これはお礼」
と言って手渡す。
少年は何度も喜んで礼を言ってくれる老人に照れながらも誇らしく、嬉しかった。
そして、次、電車でお年寄りがいたら絶対また席を譲ろう!と誓うのであった。
隣の車両では政府関係者達が、
半年前とは見違えるほど成長した関譲二郎の様子を確認し、親切促進教育の成果を実感していた。