小説投稿サイトなので当然ですわね。なので何かしら書いておきますわよ~~~!!
お好きなもの全部のせですわ。
白い空間があった。
四方を白い壁に囲われ、白い天井が蓋をして、ほのかに発光する謎の模様が、白い床に敷かれている。
空間、と言うより部屋だろうか。
その中央に、二つの人影があった。
小さいのと、大きいのとで二つ。
大きい方は人間だった。身長は170前後、年のころは10代半ばだろうか。
茶色の短髪、よくあるTシャツに長ズボンを身に着けている、温和そうな男性だ。
彼は腕を組んで瞳を閉じ、うんうんと唸りながら、眉根を寄せつつ何かを一生懸命思案している。
小さい方は、少女だった。おおまかな見かけは、だが。
腰まで届く黒いロングのストレート、涼し気な黒色のワンピースからは、褐色の手足が覗いている。
気怠そうな、俗に言うジト目だろうか。その眠たそうな、あるいは不機嫌そうな瞳で、男のことをじぃっと見上げていた。
おおまかな、と。そう言った通り、彼女は普通の人間では無かった。頭頂部には白色の輪が浮かび、彼女の背部からは、黒い翼が覗いている。
そのうち彼女はふわりと地面から少し浮かび上がり、口を開いた。
「……どう、決められた?」
「ごめん。まだ……」
「そっか、分かった。ゆっくりで、いいよ。」
うすく瞼を持ち上げた彼は、二言そう答えた。
それを聞いた彼女は静かに頷き、床に降りた。再び男をじっと見上げて、じっと待つ。
彼は申し訳無さを感じながらも、瞳を閉じて思考のサイクルに脳を投じる。
彼女が機嫌を損ねた様子はないが、こんなやり取りも3度目だ。既に立場は呑みこめている。待たせてないで早くしないと。そうやって焦れる思考がノイズになる。
あぁ、でも。仕方ないじゃないか。
誰に言うでもなく、彼は言い訳をした。
無理だ。決められるわけがない……あの中から、自分の転生先とか選べるかぁ!!
彼が心の中でそう叫ぶ。煮え切らない思考に匙を差して、またぐるぐると渦巻き始めた。
・・・
さて。
さて、だ。なぜこうなっているのか。その話をしよう。
彼は、彼はふと気が付いたらここに居た。
前後の記憶は曖昧で、本当に気が付いたら。だった。
気が付いたらこの白い部屋の中に立っていて、目の前に羽と輪っかのある女の子が、目線の高さで浮かんでいた。
状況が呑み込めず、首をかしげて頭にハテナを浮かべる彼に向って、浮かぶ彼女はこう言った。
『やっと起きた。じゃあ、転生先を選んでほしい。』
開口一番にそれだった。
『はい?なんて?ここはどこ?』
と、彼がそう聞き返したのも、無理ない事だ。
彼の問いかけに、彼女はコクリと一度頷いて、淡々と回答した。
『転生先を決めてほしい。ここは、転生する為のところ。』
淡々とし過ぎている。
いや、質問には答えているのだが、彼の心境を理解できていない。
聞き返したはずなのに、増えた情報が殆どなかった。
彼は少し考えこんでから、もう一度口を開いた。
『え……っと、ごめん。状況が分からない。まず転生って?ここは何?僕はどうしてここに?それに君は一体何者なの……?』
彼女の最初の問いかけには答えず、彼は自分の知りたいことを聞くことにした。
この時の彼に余裕はなく、質問の意味も不明だったからだ。
分からない事は答えようが無い。答えるためには聞くしかないだろう。
彼はこの時そう開き直っていた。
……というか、現実味がないから、夢だと思う事にした。爪を立てて握りこむと痛かったので、白昼夢というやつだ。初めての経験だなぁ、と、そういうことにした。
若干の自棄である。
そんな彼からの疑問を受けて、彼女は二、三度目を瞬かせた。
『……分からない?ちょっと、待ってね。』
彼女はそう言うと地面に着地して、こめかみあたりに左手を当てる。
すると彼女の頭頂部に浮かぶ輪がぐるぐると回転し始め、ほのかに光り、んみょんみょんみょ、と、奇妙な音が鳴り始めた。
輪がそうなっている間、彼女は瞳を閉じて、たまに頭を揺らしていた。
そんな状態が、大体1分ほど続いたかと思うと、突然ぱたっと光と音、動きが止まった。
彼女が目を開き、一度伏し目がちに目線を下げてから、あらためて彼の方に向き直った。
『まだ何も、伝えてなかったみたい。ごめんなさい。』
そうして、それはもう深々と頭を下げた。90度を優に超え、もはや立ち前屈だ。
頭頂部の先から輪っか動かないんだ。羽があると服って菱形の穴がいるのか。随分体が柔らかいな。無関係の人ならそう思ったかもしれない。
しかし、これに慌てるのは彼である。いくら夢の中とはいえ、少女に頭を下げさせてまで、不手際を責めたい人間ではなかった。
むしろその状況に、
彼はすぐさま謝罪を受け入れて、頭を上げるよう懇願する。
『いやいや大丈夫だから頭を上げて、間違いは誰にでもあるし』『怒ってないよ、本当に、まったく。これっぽっちも』『むしろ僕の方こそ聞き方が悪かったし、お互い様ってことで』『だから頭を上げて欲しい、お願い。僕が悪いことしてる気になるから』
と、そうやって手をわたわたしながら、早口でまくし立てた。
幸いにも、彼女も食い下がることはなく、すぐに顔を上げてくれた……眉尻は申し訳なさそうに下がってはいたが。
『……転生は、死んだ後に、今とは違う世界に行くこと。』
世間に白い目で見られる事態を見事に防いだ彼が、ふぅ、と額を拭っていると、彼女がまた宙に浮き、先程のように目線を合わせて話し出した。
『えっ?あ、あぁ。さっきのか。教えてくれるの?』
『うん。こっちが、悪いから。私でいいなら、教える。』
『全然!むしろ助かるよ、ありがとう!』
色々唐突ではあったが、ようやく今の状況が分かりそうだ。
彼はそう安堵して、これ幸いと彼女の説明を聞くことにした。
ここに来る前の記憶は朧気で、思い出そうとすると胸が痛んで思考が止まってしまう。彼女に聞けば、分かるだろう。
・・・
……説明はたどたどしく、少し分かりにくい部分も多かったが、聞き返せば彼女は真剣に答えてくれた。それこそ嘘偽りなく、正直に、まっすぐに。
だから十数分もすれば、聞きたいことも、知りたいことも、先の質問の意味も理解できた。納得もした。今いるここが、夢じゃないことも。
うんうん。そっかぁ。なるほどなぁ。
話を聞き終え、彼は二、三度頷いた。
頷いて、空を見上げようとした。
白い天井がよく見えた。電灯も無いのに、周囲の白が目に染みて。
『僕、死んだのか』
ぽつりと、雫が零れたように、呟いた。
本当は、少しだけ覚えていた。
朝、家を出たことを覚えていた。
友人たちと登校しようと、バス停に向かったことを覚えていた。
近くの横断歩道を渡ろうとしている子どもがいたことも覚えていた。
……そこに、暴走車が突っ込んでいったことも、覚えていた。
『そっかぁ、そっ……か、ぁ』
ポツリ、ポツリと、数滴の雨が彼の頬を濡らし。やがてそれは、大雨になって。
一度降り始めた水は、一度漏れ始めた水は、そう簡単には止むことがない。
まるで何かに許しを請う様に、膝を屈して腕全体で顔を覆う。
地に伏せて、嗚咽を抑え込むように体を丸めても、決壊したダムでは感情の洪水は止められない。
彼は泣いた。
家族への申し訳なさに泣いた。会えなくなった友人を想って泣いた。やり残しを思い返して泣いた。将来の夢が浮かんで泣いた。果たせなかった取り留めない約束を振り返って泣いた。
……見ず知らずの子供を助けたことを後悔して泣いて、そんな自分の弱さにまた泣いた。
泣いて、泣いて、泣き続けた。
その間、彼の隣には一つの影があった。慰めの言葉は無かった。叱責も、軽蔑も。
彼女はただ、何もせずに隣に座って、漏れ落ち続ける彼の声を、一言も零さずに聞き続けた。
・・・
弱冠にも満たない、儚く短かった一生分の涙を、彼は204分かけて流し切った。
今はゆっくり呼吸を整えている。
『……ごめん、変なところ見せちゃって』
鼻を一つすすって、目元を襟で拭った彼がそう言った。
まだ地面に座ったままで、気恥ずかしさで目線は床の模様を見ていたが、呼吸も落ち着いてきている。
『大丈夫、人間なら普通。正常。』
『はは、ありがと……女の子に励まされるの、なんか複雑だな。』
かけられた彼女の言葉はやはり淡々としていたが、本心だろう。じゃなければこうやって頭を撫でたりしない。
……嫌、では無かった。むしろ、心地よい気さえする。久しぶりの慈愛の感触は、確かに彼の心を落ち着かせた一助だ。
けれども、相手の手は小さくて、自分の体は大きくて。
意識してしまって、なんだがむず痒くなった彼が慌てて立ち上がる。
『あー……うん!落ち着いた。それで?僕は何を決めるんだっけ?』
『決めてもらうのは、転生先。でも、ゆっくりでいい……無理はダメ。』
彼は失念していた。彼女は宙に浮かべた事を。
立ち上がって逃れたはずの彼女の手は、未だ頭上にあって。彼は、彼の頭より余程小さな手で、優しく撫でられ続けていた。嫌ではない。本当に嫌ではないのだが、彼の気恥ずかしさがそろそろ限界に達していた。別の意味でまた泣くかもしれない。
『あの、うん……もう大丈夫だよ?』
『?、何が?』
『いや、頭。撫っ……でなくても平気だから』
『そう、分かった。』
そうやって伝えれば、彼女は手を放して床に降り立つ。
彼女に対しては、遠回しに何かを察してほしい、というのは悪手のようだ。彼はここでそう学んだ。
離れた二人の
『……んっ、んんっ!あ~、そうだ。決めないとなんだっけ、僕の転生先』
数秒の沈黙の後、一つ咳き込んでから、彼はそう言った。
耐え切れなくなると、声で場をリセットしようとする癖があるようだ。
見つめ合うのが恥ずかしくなったのが理由なのは、言うまでもないかも知らない。
それはともかく。
ここにきて、ようやく彼と彼女の最終目的が合致した。
何も知らなかった彼は、自分の置かれた状況を理解した。
説明不足だった彼女も、彼に決めて欲しい事を共有できた。
ここから次の場面を経て、最初の唸り悩む彼と、静かに待つ彼女の場に繋がるわけだが。
彼が長く悩むことになる理由までは、もう少しだけ付き合ってもらおう。
・・・
目的の一致を果たした彼と彼女。
『じゃあ、選んで。』
『ごめん、もう一度ちゃんと候補から教えてほしい。そのあと一つずつ聞いていくから』
とはいえ、彼女の口下手が解消されたわけではなかった。端的過ぎる彼への要求が、再び場に出される。一応転生先については先に聞いていたが、ギャン泣きしたせいで頭から吹っ飛んでいた。
しかし彼も、すぐに不足を補うように質問した。
既に色々曝け出している彼だ。無用な遠慮はしない方が良いだろうと、短い関係ながらも理解していた。
彼女もまた、己の不足は知っている。彼の言葉に素直に頷き、聞かれたことを答えた。
『分かった。候補は、四つある。好きに選んで。
一つ目が、《戦争狂いの星・ヲグタクル》。
二つ目が、《異種族と魔族の世界・サロメジア》。
三つ目が、《怪異と迷宮の世界・
四つ目が、《隔離された現世・
彼女の口から、候補たる四つの世界が提示される。
彼の新しい人生を、この中から自由に選べるということだ。
うんうん、そっかそっか……どれも地雷臭しかしないんだけど?
彼は心の中で、そう呟いた。
名前はまだ良い。異世界に転生させるのがこの部屋の、彼女の役目だと聞いていたから。異世界ネームだと納得できる。
ただ。
ただ、冠題が。冠題がよろしくない。物騒な要素が多すぎる。
嘆きたい気持ちと、泣きつきたい気持ちを、彼はどうにか抑え込んでいた。一縷の望みを棄ててはいなかったからだ。
まだ!各々の詳細を聞けばまだ、マシかもしれない!戦争=スポーツかもしれないし、怪異との共存ピースフル世界かもしれない。
藁にも縋る思いで、彼女に聞く。
『……えっと、じゃあ一つ目の世界から、順番に教えてくれる?僕のいた世界の違いと、危険とかを。分からないことは、合間に質問するから』
『ん。じゃあ、ヲグタクルから───
彼の要望を聞いた彼女が、一つ頷いてから語り始めた。
ここから、口下手の彼女の説明に、ちょくちょく彼の質問が挟まるため、会話は省略する。
数十分、あるいは数時間弱経過して、転生先の候補について、彼はある程度理解できた。
・一つ目、《戦争狂いの星・ヲグタクル》。
端的に言えば、様々な種族が入り乱れた戦争が7000年続いている世界版戦国時代。
しかも基本的に停戦協定とかがない絶滅戦争。もともと種族は一万種近くいたが、現在は数百種族にまで減っているらしい。血で血を洗うが日常で、地面は黒色なのが普通の星。
『スキル』という多彩な技能が存在しているとのこと。転生した場合、『スキル』を多数扱える天童才児として生まれて、その集団のリーダーになれるらしい。祭り上げられて死ぬ未来しか見えない。
・二つ目、《異種族と魔族の世界・サロメジア》。
普人族・森人族・鉱人族・妖人族・獣人族・魔人族の六種族が存在する世界。魔人族は世界の敵って扱いで、魔族と呼ばれてるらしい。
ときどき魔人族から魔王が出てくるので、異世界から勇者を送って討伐させている。
『魔力』『魔法』『魔技』がある世界。転生した場合、向こうの世界で受肉した後に、勇者として召喚されるとか。転生=魔王討伐直行だ。怖すぎる。
・三つ目、《怪異と迷宮の世界・
幽霊や妖怪、モンスターが存在してて、更にはダンジョンがある世界。
放っておくと人間が絶滅しかねないので、戦える力を持った人間が戦ったり討伐したりしているらしい。文明的には僕のいた世界と同じか、一段上とのこと。
『巫力』『魔力』があって、これを用いた武器や技能を駆使して戦う。あとたまに『異能』っていう固有能力が使える奴がいるとか。転生した場合、『魔力』『巫力』『異能』の才能を持たせてくれるらしい。幼少期に戦力鑑定が必ずあるらしいよ。逃げられない!
・四つ目、《隔離された現世・
向こうの主神に切り取られた隔離世界である『
『
『スキル』『ツリー』『ジョブ』『レベル』が存在するらしい。『
彼の所感だが、纏めるとこんなところだった。
この四つ。
この四つのうち一つを選べば、晴れて彼は転生し、その世界の住人となる……の、だが。
ぶっちゃけ全部嫌だ。
身も蓋もないが、それが彼の偽らざる本音だった。
何ひとつとして平和でピースフルな世界が無かった。
全ての世界が HURTFUL である。絶望と苦痛の予感しかない。
説明を受けた彼は頭を抱えた。
それを見た彼女は、転生先を悩んでいるんだな、と思った。
・・・
説明を終えて暫く。17分経ったころ。
『決まった?行きたい、世界。』
『……まだちょっと悩んでいいかな?』
『うん、分かった。』
彼女からの問いに、彼はそう答えた。
それを聞いて、彼女は頷いた。
そしてじっと、じっと彼を待った。
・・・
『決めた、かな。転生先。』
更に73分経過して、浮かぶ彼女がそう聞いた。
『……もう少し、待ってほしい』
『悩むの、良い事。大丈夫。たくさん、考えて。』
彼がそう答える。
彼女は頷いて、彼を見上げる。
ここから更に114分後。そこで頭の一幕に戻る。
・・・
「……どう、決められた?」
「ごめん。まだ……」
「そっか、分かった。ゆっくりで、いいよ。」
彼の答えを聞いて、彼女はコクリと頷く。合わせた目線の高さに浮かぶのを止めて、床に足を付けた。
そうして、下から彼を見上げる。
再び唸って悩み始めた彼の眉間には、深い皺が寄っていた。あんまりに長い間そうしているから、そのうち折り目が付いてしまいそうだ。
もっともこの空間では、怪我や飢餓や老化は起きないから、無用な心配ではあるのだが。
彼をじぃっと見守りながら、彼女は考えていた。
彼女がここで転生先に送る仕事を始めてから、実に100億年程経っている。
そのうち一定水準以上の知性体を送るようになったのは、約2億13万年ほど前からだが、人間程に何かを悩む知性体は珍しいものだ。
たった820……790万年だったかも。まぁとにかく、そんな短い歴史でありながら、人間という種の特異さは彼女の記憶に残っている。
人間は推測という点において、他の知性体とは違って『思考』をよく利用する。悩む、ともいう。
勿論それだけではなく、過去の出来事や現在の状況を鑑みての推測も行うのだが、個人の範囲。とりわけ死後については殆どの場合『思考』を利用している。
幾人かは死後の分岐を確認する技能を得ていることもあるのだが、大概が勘違いか、嘘だったりと的外れなことも多い。それもあってか、信用するに能わない情報として切って捨てていることが大半の為、『思考』に依る推測以外の方法がないと考えているようだ。
悪いことではない。そういった側面のおかげで、人間の『思考』はかなり特殊な育ち方をしていて、稀に未来予知の異能に近い推測結果を得ることもある。『思考』を用いて悩むことは、人間の種族特性とも言えるかもしれない。
今回の彼も、よく悩む人間だ。
自身の置かれた状況は既に理解しているのに、悩みに悩んで、まだ悩んでいる。悩んでも転生先の候補は四つしかないのだが。
まぁ、どれを選んでも向こうのサポートは十分に付けさせる。ゆっくり悩んで、選んでほしい。
数百回の輪廻で一度有るか無いかの転生、それを経験することなど普通は考えたりしないものだし、今回の彼は、碌な説明もないまま『転生部屋』に送られている。
転生待ちをしている異世界の何某が急かした結果らしいので、彼女や他の担当に落ち度は無いが、彼にとっては関係のない事だ。不得手ではあるが、少しでも寄り添って対応しよう。そう彼女は考えていた。
知性体の異世界転生、というのはそう頻繁に起こるわけではない。
彼女が担当している2億13万年の間で、精々5万回前後だ。
そのうち、人間は彼女が手掛けた分だけで4299回も異世界転生を行っている。今回の彼で4300回だ。他の知性体は大体200回、多くても800には届かない程度しか異世界転生をしていないことを考えれば、これは異常な数である。
それというのも、どうにも異世界の管理者・担当者・創造者・神が、よくよく人間経験者を欲しがるのだ。
というか、人間に近い『思考』偏重知性体を各々の世界に作るのが、ここ800万年程のブームらしい。そこに配置するのに、人間は丁度良い塩梅とされている。
最近は似た知性体の存在する世界も多くなって、人間を求める声も減ってはいるが、一時期は、こちらに断りなく数十人単位で殺して勝手に持って行ったり、生きたまま攫ったりする不逞な世界もあった。その世界の輩に同僚と
無理やりな異世界干渉をされると、次元の穴が増えるのだ。
それを埋めるまでに、穴から異世界の異物が入ってきたり、存在してないルールが混ざったり、
情報・集積担当の
やりがいが多くなって良いと言っていた指導・補佐担当の
かく言う彼女、転生・門番担当の
まぁ、碌な説明も無しに攫われた人間が可哀想、とは思っていた。何とかしてあげたいな、とも。
そんなものだから、彼女……クロは、本人が無自覚ながら、結構身内贔屓が激しい。あるいは身内庇護か。
クロは自分の世界が大事だ。そこに住む者たちも。だから聞ける要望は聞くし、答えられるなら答えるし、不安そうなら寄り添おうとする。
彼の頭を撫でていたのも、唐突な奇行ではなく、クロにとっては普通の行為だった。
アレだけ取り乱しても、ショックを受けても、後悔していても立ち直って見せた。それは凄いことだ。偉いことだ。彼が遠慮しなければ、もう少し褒め続けていただろう。
クロはやはり無自覚だが、甘やかし癖もあった。本人の口下手と低身長で、向いている訳では無いのだが。
ちら、と。クロが改めて彼を見た。
眉間の皺が少し目立つが、その顔にはまだあどけなさが残っている。人間の寿命は、知生体の中でも短い方だ。その中でも彼はまだ若く、子供だった。未成熟ともいえる。
珍しい訳ではない。世界を見れば、長命種だろうが、若命種だろうが、寿命や年齢に関係なく、死ぬときは死ぬものである。
生き返らせることは出来ない。すでに彼の肉体は無くなっている。
異世界に送れば、クロの手も離れてしまう。往き帰らせることは出来ない。
クロに出来るのは、望んだ世界に送り出すこと。丁寧に、心を込めて仕事をすることだけだ。
焦らず、決めて良い。この世界で過ごす、最後の時だから。
クロは、心の中で彼にそう声をかけた。聞こえはしないが、それは確かな心遣いだった。
ふと、気付く。
彼の瞼が少し開いていた。転生先を決められたのかと、クロは再び浮かび上がって、彼と目を合わせた。
「決められた?転生先。」
「……」
クロの問いかけは聞こえているはずだが、彼は答えない。
口は堅く結ばれて、瞳は細いまま、ふらふらと泳いでいる。
言葉は無かったが、クロには彼の感情が分かった気がした。
「……なにか、迷ってる?」
コテンと首を傾げてクロがそう聞くと、ピクリ、と彼の肩が動いた。どうやら図星のようだ。彼はクロを見て一瞬口を開いたが、声は無いまま閉じられ、俯いてしまった。
はて。
クロは逆方向に首を傾げた。迷っているのは分かったが、ソレが何かは分からない。
聞けばいいのだが、クロの方は相手を急かすより、言ってくれるのを待つタイプだ。
庇護対象な相手には、特にその特徴がよく出てくる。結果として、また数分間の沈黙が再開された。
・・・
数分の沈黙の後、彼が先に口を開いた。
「僕は……僕は、本当に転生した方がいいのかな」
俯いたまま発せられるその声は、小さかった。震えるような、恐れるような。
子供が怒られるのを待つような声でもあったし、慰められるのを待っているような声でもあった。
クロが聞き取ったその声。その声の性質は不安だった。
異世界への、ではなく、彼自身に向けられる不安。自身の無さ、ともいえる。
「どうして、そう思うの?」
クロは聞き返した。彼の心の機微を正確に読み取った……わけではなく、単純に分からなかったからだ。
不安を感じていることは分かっても、彼が何故自信を無くして、異世界に行っても良いのか聞いてきた理由が、クロに理解できなかった。
彼にとって、クロの問いは求めた言葉ではなかったが、生来の真面目さが故に、彼は少しだけ逡巡してから話し出した。
「分かってるんだ。転生した先で求められている立ち位置は。転生特典だって言われてた才能とか聞いたら、さすがに分かる。
僕は……僕に、
「才能は、きっとあるんだと思う。そういうのを持たせてくれるんだと。でも、僕なんかじゃ無理じゃないかと思ったんだ。
だって僕は普通の人間だ。特別な才能は無くて、人に誇れる取り柄なんて無くて、だから……だから、そんなものを貰っても、僕なんかじゃ使いこなせない。
怪物なんかに立ち向かえないし、戦争なんて怖くて仕方ない」
「それに、たとえ転生したとしても、きっと僕は逃げ出してしまう。それがわかるんだ、僕には。だって、僕はもう知っているから、死ぬことの怖さを知っている。
痛かった、苦しかった。でもそれ以上に、自分が動かせなくなっていくのが怖かった。
自分の体が自分から離れていくような、見捨てられていくような感覚が怖かった。
子供を助けようなんて、思わなかったら良かったって、あんなに怖いなんて知ってたら、動けなかったはずだって、僕は分かるから」
「だから僕なんかじゃ無理だよ。子供を助けたことを後悔して、泣いて、自分より小さい君に慰められるような、弱い僕じゃ。転生したって何もできないまま、蹲って流されて、いつの間にか死んじゃうんだ。
きっと死ぬことが怖くなって、誰かの命を見捨ててしまう。もしかしたら、身代わりにすることもあるかもしれない。そんな僕が、転生していいはずがない……」
彼は、彼の恐れを吐きだした。一切の飾りなく、一切の嘘もなく。
己の弱さを、醜さを、誇張も秘匿もなく曝け出した。
クロは言葉を挟む事無くそれを聞いていた。すべて聞いていた、零すことなく聞いていた。
聞き終えたクロは、首を振った。今度は縦ではなく、横に。
それは、否定であり肯定だった。
彼を卑下する言葉を否定して、彼という人間を肯定した。
そうして口を開く。口下手で、淡々としていて、それでも確かな優しさを込めて。
「貴方はきっと、自分が酷いって、思ってる。弱くて、卑怯だって。臆病で、利己的だって。
そう思ってる。でも違う。少なくとも、私はそう思わない。」
「……君に何がわかるのさ。今日ここで、初めて会ったような君に!」
思わず彼が反論する。己の言葉を否定されたから、という一面はある。けれど大きな理由は、核心を突かれたからだった。人間は隠した物を暴かれることを嫌う。
自分を守るために必死に纏った悪の皮を、クロの短い言葉に剥がされ、彼は揺れる。
悪なら、
悪なら、優しい言葉をかける相手を疑う。
悪なら、子供を助けたことを後悔しても、
だから……僕は悪じゃないといけないのに。
そうやって、また必死に悪の皮を被ろうとする彼に、クロは声をかける。
「君は、呪わなかった。」
「……へ?」
「聞いてたよ、全部。あの時の、君の涙の声。」
塞ぎこんで、暗示に必死な彼の耳に、クロの言葉は不思議と通った。
通ってしまって、顔を上げた。
目の前に、クロがいる。目線を合わせるように浮かんでいる。
「聞いて、たって……何を……」
「確かに、泣いてた。後悔もしてた。けど……誰かが代わりにとは、言わなかった。一度も。」
「ぁ……」
へにゃりと、彼の眉が下がった。乾いた喉で、生唾を呑んだ。
「謝っても、恨まなかった。惜しんでも、貶さなかった。君から、何で僕だけ、なんて言葉は、出なかった。生きていたいと願っても、自分以外に死んでほしいとは、言わなかった。」
「でも、僕は……」
言い淀む彼の頭に、するりとクロの腕が伸ばされた。ぎゅっと、後頭部が引き寄せられて、肌触りの良い感触が彼の顔を包む。
「君は、今わの際にあって、人の心配ができる人。君は死を見て、恐れても、他人を見捨てたくない人。」
「……」
「私は、決して深くは知らない。けど、貴方の優しさは、聞いてたよ。」
「っ……ぅぁ……」
ぎゅう、と。彼の腕が、クロの胴体に回される。彼の頭が少しだけ深く、クロのお腹に沈み込む。
「だから、否定しないでいい。偽ったり、しないでいい。貴方は、優しくて、強い人。」
「っう、ぁ……ぁあ、ぐ……」
「大丈夫、ひーろーに、ならなくてもいい。主人公なんて、やらなくてもいい。貴方は、貴方であるだけで。きっと、何より価値がある。」
歯を食いしばって、顔をうずめて、彼は再び涙を流す。
最初のように、苦しさから、辛さから流した涙ではなかった。
それはきっと、優しさと、暖かさから流れた涙だった。
今度の涙は、少しだけ懐かしくて、少しだけ心地良い。
頭に感じる手のひらの感触と、湧き上がる熱に身を任せて、彼はまたしばらく泣き続けた。
・・・
さて。
さて、だ。
そろそろ彼も落ち着いた頃、そして我に返って憤死しそうになった後。
二人は少し離れて座っていた。向かい合う形ではなく、隣り合うような形。大体50cm弱の間を開けて、彼とクロは座っていた。
その形をとった理由は色々だ。紆余曲折あってその形になった。
まずあの後、二度目の落涙を経た彼は、気疲れから床に腰を下ろして座り込んだ。
行儀を気にする余裕もなかったので、胡坐をかいていた。
しかしクロの方は変わらず立ったまま、彼の事を見ていた。先までとは違ってクロが見下ろす形だ。
別にそれ自体は何でもなかった。既に彼はクロの事はある程度聞いている。
創造主たる神のいなくなったこの世界で、神業代行を行う五基の内の一基。
異世界や
それが目の前に立っている、転生・門番担当の
ただ、そんな上位存在だろうが、見た目は少女だし、話してみても口下手な少女でしかない。そんな相手は立たせておいて、自分だけ座って休む。というのは、彼の好みではなかった。
だから彼は、クロに向かって一言、『君も一緒に座らない?』と声をかけてみたのだ。
クロもそれに頷き、てちてちと彼の近くに寄ってきた。
これはまぁ、彼が悪いというか、クロが素直すぎるというか。言葉の難しさ、という事だろう。
あろうことかクロは、彼の脚の間に乗ってきたのだ。
クロとしては、『一緒(の場所)に座ろう』と誘われたから、言葉通りにそうしただけなのだが、『一緒に(床に並んで)座ろう』と誘った彼としては、想像だにしていなかった事態なわけで。
突然胡坐をかいた股の上に座られて、彼は2、3秒ほどフリーズした。
散々泣き付いたり、抱き着いたりしたのに今更?と思われるかもしれない。
しかし、しかしだ。
過去に囚われて、未来を恐れて泣いた先の二回と、感情の整理が済んでいざ転生先を考えよう、とした今の彼では、まったく精神状態が異なっていた。ぶっちゃけると年相応の、健全な男の子マインドを取り戻していた。
先の通り、クロの見た目は少女である。彼にとっては異性である。身長差があると思われるかもしれない。しかし忘れる勿れ。彼はまだ十代半ばだった。
思春期真っただ中だった14歳前後だって数年前。その頃を思い返せば、クロ程度の身長の異性は少なくなかったのだ。
そんなわけで、彼はそれはもう慌てた。慌てふためいた。心の中では
跳ね飛ばす訳にも行かず、どうにもならない両腕で宙を掻いた。声を出そうにも、目の前に後頭部が来ていて、大声は憚られる。千日手だ、もう降参したい。
ちなみにクロの方はと言えば、突然彼が、背後で無言のまま腕を振り回し始めた状況になっている。
自分が何かしたのかと思い、首を傾げたり、左右に揺れたりしながら原因を考え始めた……彼の上に座ったままで。
クロにとっては、異性だのなんだのは良く分からないものだ。神業代行の五基の中に雄型もいなかった。やろうと思えば性転換は出来るらしいが、仕事で必要だと思ったことも無く、試したことも無い。だから性差や、そういう感情についての知識が不足していた。
そんなわけで、どれだけ考えてもクロが彼の異変の原因に気づくことはなかった。気付かないまま、彼の上で体を揺らしたりしてソレを刺激し続けている。
我に返った彼が冷静に、小さな声で『ごめん、降りてもらって良い???』と言うまでの2分26秒間、二人はそのままくっついて過ごしていた。
そんな事があって、面と向かって座るのは……となった彼。かといって離れて座ると、クロの声量では会話が難しい。色々と鑑みた結果の隣席対話形式という訳だ。
「なんか、ドッと疲れた……」
「ごめん、ね?」
「あぁ、いや。大体僕のせいだし。むしろ、ありがとう。色々と」
「そう。なら、良かった。」
疲労感が漂う彼だったが、その表情は心なしかさっぱりとしているように見える。
お礼を言われたクロの方も、少し嬉しそうな雰囲気を、それとなく漂わせているように見えなくもない。
彼は感情を二度も吐き出したことで、未練に区切りをつけ、未来と折り合いを付けられた。
過去と未練を捨て去る事無く、現状と転生を受け入れた。
それも偏にクロのおかげだと、彼は深く感謝している……散々悶える羽目にも会っているが。まぁ、概ね大恩人で相違ない。
クロは、彼の助けとなれた事が嬉しかった。
ジト目と口下手ゆえか感情表現が乏しく、無愛想に見られやすいクロだったが、彼はクロの事をよく理解し、さらにはお礼まで言ってくれた……なぜだか少しよそよそしいが、優しい良い子だ。間違いない。
「そろそろ決めるよ。転生先」
彼がそう言った。過度な気負いはない。過度な恐れもない声色で。
「もう、平気?」
「うん。おかげさまで、今はすっきりしているから」
「良かった。私が、役に立ったなら。」
横顔を見つめるクロの問いかけにも、淀みなく答えられている。
彼は手のひらを組んで立ち上がり、天井に向かって裏返すようにしながらぐっ、と体ごと腕を伸ばし、そのまま左右に倒す。
凝り固まった体の節々がぱきぱきと音を鳴らし、少しの痛みと心地よい解放感とともに、彼は大きく息を吐きだした。
腕を下して片手は腰に据え、利き手の手のひらを1度、じっと見てから拳を握った。
顔を上げた彼がクロの方へ向き直ると、同じ高さで目が合った。
「転生先、決まった?」
「うん、決めたよ……長く待たせちゃってごめん」
謝る彼に、クロはふるふると首を横に振った。
「沢山悩んで、それでも選べた。簡単じゃない、凄い事。」
「そっか、嬉しいな……僕は向こうでもやっていけるかな?」
「貴方の強さと、優しさは、誇っていいもの。自分を、見失わないなら、大丈夫。」
「信じられるよ。君が言うなら。じゃあ、お願い」
「わかった。こっち、来て。」
クロは頷き、彼の手を引く。辿り着いたのは部屋の中央。床の模様が最も緻密な場所。
その手前に彼を立たせてから、クロはその背後で、両手を何かを掬い上げるような形にして、胸の前に掲げる。
「『
クロがそう唱えると、掲げられた両手の中に白い立方体が浮かぶようにして現れた。
それと同時に、床の模様、四方の壁、部屋の天井が白く光り、大気が振動する。
「《
バキン、と。音がして、彼の目の前、空間の中央に罅が入る。
床の、壁の、天井の光が強くなるにつれ、その罅割れは広がって欠片が割れ落ちた。
目の前で起きた「空間が割れる」という超常に、彼が息を呑んだ。次第に罅割れは広がり切って、彼の目の前に黒を浮かべる。
黒。があった。そうとしか表現できなかった。
周囲には白い光が満ちているのに、ソレから瞳に帰ってくる色は無く。外縁も認識できないソレに、厚みがあるのかさえ分からない。
ただ、強いて言うなら、彼にはソレが、孔のように感じられた。
縦方向に長い楕円状。横に1m以上、縦には2mを超える幅で、ソレは空間を黒に塗っていた。
彼が一歩進めば目の前から他の色は消え、二歩目を踏み出せば黒に呑まれる。その程度の距離しか離れていない。
「……っ」
彼は。
彼は後ずさった。空間が穿たれるという異様から、光すら吞む黒の孔から、無意識に数歩、距離をとった。
すると丁度、彼の少し後ろにいたクロの隣に立つ形になる。チラリと目端に映ったクロの方へ、彼は目を向けた。
「……何それ?」
思わず、と言ったような声が出る。
彼の目に映ったクロは宙に浮いていた。会話するときとは違って、目線より少し高い位置で、両手で何か白い物を構えていた。
クロの握るそれは、クロの身長と同じくらいに柄が長く、柄の上部からは前方に向かって大きく突き出すように刃が生えていた。
刃は先端に行くほど、柄の下側に緩く湾曲しながら細くなり、その曲線の内側にのみ鋭さを持った片刃だった。刃の根元。その逆方向からは、鋭い槍先じみた突起も生えている。
彼は思わず聞いてしまったが、既に想像はできていた。クロは転生担当と同時に、門番担当でもあると聞いている。荒事も仕事のうちなのだろう。
彼の頭の中には、典型的な死神のイメージ図が浮かんでいた。命を刈り取るような刃を備えた純白の武器。答えなんて決まっている。
「これは、ますたーきー。」
「いや絶対違うよね!?」
彼は思わずそう叫んだ。
想像と違いすぎる答えにびっくりして、目線が大鎌とクロの間を2、3度往復した。
いやだって、大鎌じゃん。どこをどう見ても
そう思ってクロを見ているのだが、物騒な『
あぁ、これは本気で分かってない時のアレだ。
彼はそう理解した。
気付けばその頃には、部屋の光は元の明るさまで治まって、部屋の異変は中央に浮かぶ黒孔と、
「え、本当に鍵なの?大鎌とか、武器じゃなくて?」
「どんな物にも、なる。武器にも。けど、今回は扉を開ける用に、使う。」
「扉?」
「んと、あの黒いのが、扉。それにますたーきーを刺すと、転生先の、門になる。」
「え……あ!もしかして『
コクリ、と。クロが頷いてから、ふよふよと浮んで孔へ近づく。そこに恐れや躊躇いは感じられない。自分で作りだした孔なのだから当然かもしれないが。
彼は己の常識も、意識も、存在すら全て呑み込んでしまいそうなあの孔が、未だに少し怖かった。
そんな様子は欠片も無く、孔へと近づいたクロは、両手に握る
「《
クロが唱える。彼はその先の一幕を見逃さないよう、じっと注視した。注視、しようとした。
一瞬の空拍を置いて
彼がそう思った瞬間には、コトは終わっていた。
彼が認識できたのは、クロが構えて、空気が鳴った。それだけ。
それだけで、孔はクロの言う門になった。
黒の孔は最頂点から最下点まで一直線に裂かれ、左右に別れた黒は押戸のように、徐々に奥へ向かって開かれていく。
そうやって孔だった楕円は、空間を黒で塗りつぶすことを止め、その中に極彩の景色を映し出していた。目まぐるしく変わる森羅万象。荒ぶる世界の千変万化。
空、雲、星、草、木、土、岩、砂、水、雪、氷。あらゆる自然がそこにあって。
生物、食事、風土、建物、社会、発展……そして戦争。あらゆる営みもそこにあった。
それらが1つの、定められた楕円に詰め込まれている。たった数メートルのすぐそこに、彼の行く先が存在している。
この中に一歩踏み込めば、彼は世界を渡って行ける。ならばそれは、正しく扉で、異世界へ続く門だった。
「……これが、異世界……?」
「そう。ここを進めば、選んだ世界。」
「そっか……これが……」
「開けたら、暫く閉じない。から、直ぐ入らなくても、大丈夫。」
彼の呟きに、隣へ戻ったクロが答える。クロは彼を見ているが、彼は門を見ていた。
彼は。
彼は目を奪われていた。瞳に映る全てが美しく、残酷で、知らないことばかり。呼吸すら忘れ、扉の先の未知に意識を捕らわれていた。
クロを疑っていたわけではない。本心から信じている。ただ、言葉で説明されていただけの『異世界』が目の前にあることで、ようやく異世界転生を実感として捉えることが出来ていた。
クロはそんな彼の様子を見て、猶予はまだあることを伝えた。役目が終わればクロの『
そうやって考えながら、クロは大鎌の形を白い直方体へと変えて、左手のひらに浮かべて、彼を見ていた。
「……ごめん、やっぱり少し。まだ少しだけ怖いからさ」
「ん。大丈夫。ゆっくり──
弱音を吐いた彼の言葉に、クロは優しく返事をしようとした。
それはそうだ。これから彼は、自らの意思でこの世界を去る。待ち受ける試練に、困難に、恐れを抱かないわけがない。心細いだろう、不安だろう。転生すれば、立ち止まる暇もない。ならせめて気のすむまで、ここで沢山休んでほしいと、そう考えていた。
「行ってらっしゃいって、言ってくれないかな」
「休ん……え?」
「あぁ、えと。転生したら、僕を知ってる人はいなくなるでしょ?」
「……うん。異世界だから、全部が初めてに、なる。」
「だよね。僕さ、言い忘れたんだ」
予想外のお願いで、少し戸惑ったクロ。
ただ、その後に続く説明?理由も、うまく繋がっていない。飛び石のように、彼の言葉は点々としていて、何が言いたいのかが分からない。
一体何を望んでいるのだろう?珍しくクロから疑問を投げる。
「言い忘れ、って。何を?」
「行ってきます。だよ」
「出かける時の、挨拶?」
「そう。普通の、特別じゃない声かけ」
彼はそう言って、俯きながら自分の利き手の手のひらを見ていた。
いつものように、目線の高さに浮いていたクロには、彼の表情は伺い知れない。
ただ、そこからは口を挟まないようないい気がして、静かに彼の言葉を待った。
「……喧嘩したわけじゃないんだ。急いでたわけでもない。はは、寝不足だったのかな?ただ何となく面倒くさくて、ドアを出る時、言わなかった。返さなかったんだ。
友達とバス停で会った時は言えてたんだ。『おはよー』って。それで、昨日の番組とか、ゲームとか、バス待ちの間はそういう取り留めのない話ばっかりして……ふと、横断歩道に目が行った」
「ああ、なんか小さい子がいるな。元気そうに手を上げてて、偉いなぁって思ってた。
……そこに、車が突っ込んできそうなのが見えて。走っちゃった。
僕さ、別に正義感とか強くないんだよ。そりゃあ、理不尽な事件とか、イジメで自殺とかさ、そういうニュースに腹は立つけど。だからって、じゃあ僕が全部無くしたい、警官になって、教師になって、とかは考えなかった」
「普通の人間なんだよ、僕。前にも言ったかもしれないけど。人並みに卑怯で、人並みに面倒くさがりで、人並みに悪戯好きで、人並みに正義感はあって、人並みに優しくて、人並みに……後悔する。
あの日。僕が死ぬ日に戻れるなら。一番心残りなのが、親に何も言えなかった事なんだ。行ってらっしゃいに、『行ってきます』って返さなかった事……戻れないのは分かってる。教えてくれたから」
「……挨拶ってさ、約束だと思うんだ。私は貴方を見ています。貴方も私を見て下さいって、そんな約束。
あいさつ運動とか、適当にこなしてる人もいたけど、それでも声を掛けられたら、その人の事を認識できた。あ、この人面倒くさそうな声だな、とか。あ、この人眠そうな声だな、とか。顔を見なくても声で誰か分かったりね。挨拶だけで色々伝わる。気持ちとか、気分とか」
「……だけど、僕。伝えなかった。親からの約束を受け取らないで、返さないまま死んじゃった。言いたいことも、感謝も、謝罪も。思い返したら沢山あったのに」
そこまで言って、彼はクロの方へ首を向けた。
涙はなかった。声も震えてない。ただ、細められた彼の目は乾いているのに泣きそうで、わずかに上がった口端も引き攣っていて、笑みのようには見えなかった。
後悔。あるいは懺悔。独白中に両手は固く握られ、その拳は白くなっている。
二度とない今生の中で、次を選んだ彼が最後まで持ち続けたもの。
「転生したら、僕は戻れない。今からじゃ何も残せない」
「……」
クロは閉口している。待たなければいけない。聞かなければいけない。彼の望みを。彼の祈りを。
「ただやっぱり、寂しいから。この世界に何も残らないのは怖いから。僕のこの気持ちが、無かった事になるのは嫌だから……だから、約束して欲しくて」
「……」
「クロ、君は僕を、忘れないでいてくれる?」
彼は。彼が縋るような表情でそう言った。
彼も既にそれは呑みこんでいて、でも消え去る事だけは嫌だった。
だから彼は、クロに頼んだ。憶えていて欲しいと。
異世界に行く彼を見送って、忘れないで欲しいと。
クロは、この世界が好きだ。そこに住む者たちも。だから聞ける要望は聞くし、答えられるなら答えるし、無理なことは無理だと言う。
「わかった。」
クロはそう言った。
「私は貴方と、約束する。貴方の後悔を、忘れない。」
「……ようやく、決心がついたよ」
クロは重ねて誓った。彼の目を見て、約束した。
それを受けて、彼はすっと立ち上がり、目線を門へと向けた。
握った両拳は開かれて、心残りを手放した。しっかりとした足取りで、門へ向かって歩き出す。
その背に向けて、声がかかった。
「行ってらっしゃい。気を付けて。」
門の手前で、彼は足を止めて。振り返って手を振った。
「ありがとう、クロ……行ってきます!!」
大きな声でそう言って、笑顔で彼は門へと消え───
ブツッ
───門へと入った彼は。
四方から伸びた四つの影に、四割されて消えていった。
「は?」
晴れて彼は転生した。
《戦争狂いの星・ヲグタクル》 《異種族と魔族の世界・サロメジア》《怪異と迷宮の世界・
へ、転生先の
「……は?」
人間として生きた彼の「……みとめない。」終わった。
「ふざけるな。」からは、新たなる転生先「ゆるさない。」る、彼の様々な冒険「ころす。」て欲しい。
「彼の、決意を、馬鹿にするな。」
「彼の、願いを、踏みにじるな。」
「……『
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「《
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注意喚起
現存していた運営世界のうち3つが、他運営世界の1つ存在に完全に破壊されました。現在それ以上の被害はありませんが、実行した存在は
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