彼女には一番必要なものだと思った。

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子供扱い

 

「船長。俺、今日の行先よく知らないんだが、本当に大丈夫なの?」

「なんだって!?」

「今日の行先の島!この記録で本当にあっているのかって!」

 

 小型船の甲板から声を張り上げるが、その返事は帰ってこない。

 どうやら、エンジンと波の音にかき消され、操縦室にいる船長には全く届いていないらしい。

 仕方なしにと、操縦室の窓からジェスチャーとハンドサインも使ってみるが、向こうは舵から手を離すことが出来ない故、どちらにせよ、こんな状況ではまともなコミュニケーションなどできないと、諦めて手に持っているタブレットに意識を移す。

 

 「監獄島」

 

 現代の技術、化学体系では解明することが難しい、まさに人知を超えた力を持つ少女たちが集められた島。

 その目的は、「大魔女」を復活させることで人類を滅ぼすためだった……。

 タブレットに保存されている資料を読み込んでいくと、そこには本当にこの世のものとは思えない情報がつらつらと書かれており、全く飲み込むことができない。

 ここまでファンタジーで現実離れしていると、これから向かう目的地も、もしやそういう設定のアトラクションなのではないかと疑ってしまう。

 いや、彼女たちの経歴を見れば、むしろそうであって欲しいものだと思う。

 指で画面をスライドしていくと、次々と少女たちのプロフィールが入れ替わっていく。

 そこに表示されている彼女たちの過去の経歴や、持っていた魔法の効果が書かれているのを見れば、こんな少女たちいるという事実に思わず眉を顰めざるをえない。

 どうやら、ここに書かれている魔法やらはもう無くなっているとのことだが。

 最近、特に大きな災害もなかったはずなのに、大騒ぎしていたのはこういうことだったのかと、駐屯地での違和感が腑に落ちる。

 

 しかし、もう少し大人しく上官に従っておけばよかったな……。

 言っては悪いが、こんな怪しげな場所に送られるということは、実質左遷みたいなものだろう。

 現に、自分以外の隊員はおらず、小型の船一隻で向かうことになっているわけで。

 今回は定期の物資調達だから人員はいらないとは言っても、これではなんとも……。

 

 どんどんナーバスになっていく心を紛らわすように視線を上げると、青空は厚めの雲に覆われ、冷たい風がその頬に吹きつけてくる。

 まるで今の心情を表しているかのようなだ。

 

 しかし、こんな海上のど真ん中で荒れると、命に関わる事態にまでなりかねないところだが、幸い、今はまだ波が荒れる様子もなく、このままいけば到着までは持ちそうな気がするが…………帰りはどうなるだろうか。

 

 俺は端末の電源を落として懐にしまい、波揺れに踏ん張りながら立ち上がると、甲板をゆっくりと歩く。

 操舵室の窓を軽くノックしてから扉を開く。

 少し波が高くなってきたせいか、船長はこちらには目もくれずに、両手で操縦桿をしっかり握っている。

 俺は邪魔にならないように壁際に寄りかかる。

 

「これ、帰りまでに間に合いますかね」

「天気予報は午後から雨足が強くなるってさ」

 

 変わらずこちらに顔を向けることなく、声だけでそう返す。

 

「あ、そうだ。おそらく帰りは向こうで一泊してからになるだろうから」

「ええ……マジすか?」

「なんだ、本土に女でも置いてきたのかい?」

「そんなんありませんけど……」

「じゃあいいじゃないか。それとも、休日にやることがあるんですかい」

「ないすけど、振休が半日とかになったら、損じゃないですか」

 

 一つ愚痴をこぼしてみるが、これ以上は操縦の邪魔になると察すると、俺は諦めて甲板に戻ると、隊服の内ポケットから煙草と一本取り出し、口にくわえる。

 風が来ないように手で火元を覆いつつ、ライターを点火する。

 一度大きく吸い込んで、左で摘まんで口から離すと、息を吐き出す。

 吐き出した煙が、高速で動く船によって置いて行かれ、霧散して、やがて見えなくなる。

 

 頭がスーッとなる感覚が落ち着くのを待ってから、空いた右手で、再度タブレットを取り出し操作していく。

 改めて監獄島の現状と今後の予定、今日の作業内容に目を通していく。

 一通り流し見て頭に叩き込んだところで、また少女達のプロフィールが記されているページに飛ぶ。

 どれもこれも、ろくでもない環境や事件に巻き込まれただの、そうでなくとも魔女によって目を覆いたくなるような被害にあったと思われるようなものばかり。

 やはり見ていて気持ちの良いものではなく、つい画面から目を離して、そのまま懐に戻す。

 

 再度一服。

 

 …………こういう子供たちがいる、ということは頭では分かっていた。

 かといって、日本中全てを把握しきり、それを救うこともまた不可能に近いのも理解していた。

 はずだったが、改めてその事実を目の前にまざまざと見せつけられると、中々飲み込むことはできない。

 被災地救助やらでさんざ見てきたはずだが、やはり慣れるものではないな…………。

 

 いや、こんなこと、慣れてしまったらもう人として終わりだ。

 振り払うように顔を上げると、水平線の先にぽつりと小さく見えていただけだったはずの目的地が、気づけばはっきりと確認できるほどの大きさになっていた。

 

「そろそろ着くから、準備しておいてー」

 

 声のする方に目を向けると、操縦席の横窓を開けて、顔と手だけを出して船長がそう呼びかけてくるのが見えた。

 俺が右手を挙げて理解したことを伝えると、すぐに窓を閉めて戻っていく。

 

 左手を軽く伸ばして、指で吸殻を軽く叩いくと、灰がパラパラと海に落ちていく。

 そして反対側の手で上着をまさぐると、内ポケットから取り出した携帯用の灰皿に、それを押し付ける。

 しっかり火が消えているのを確認してから、丸ごと放り込んで蓋を閉じると、再び内ポケットに戻す。

 それでは上陸に備えて、荷物やら装備やらを取りに行くために、また揺れる船の上をゆっくりと進んで船室の扉を開く。

 軽くかがんで扉をくぐると、今度は船長もこちらに視線を送りながら口を開いた。

 

「どうも、海流がおかしなことになっているみたいだから、少し遠回りすることになりそうだ」

 

 聞きはするが、自分にできることなどなく、はーい、と適当に返事を返してから船室に降りていく。

 

 ……海流?

 船長の言葉に引っかかり、頭を捻るが、すぐに報告書の中にあったおかしな文言が思い当たる。

 そういえば、ついこの間に一時的に島が空中を飛んで移動した、みたいな報告があったような気がする。

 そのあまりに現実離れした話に、聞いた当時は流石になにか計器の異常とか、フェイク動画による早とちりだろうと思ってスルーしていたが、これから向かう島や少女たちの報告書を目を通した以上、その話を信用せざるを得ないか。

 島一つが消えたり現れたりするのであれば、そりゃあ海に影響はで出るだろう。

 

 そう思考しながらも、手と足を動かして準備を進める。

 …………よし。

 準備が終わったところで、再び操縦室に戻って外の景色に目を向けると、島の外周に沿って横向きに走行しているところだった。

 

「随分、厄介な場所に来ちまったみたいですね」

「そんな言いかたしなさんなよ、新人さん。面倒なのは入り方だけだ。どこまで把握して身構えているのかは知らないが、そんなに警戒せんでもいいぞ」

「というと?」

「そりゃ、少々癖が強い子もいるが、総じてどの子もいい子たちだよ。ってことだ」

「いい悪いは関係ないですけどね。災害……っていうと今回はふさわしい気がしないでもないですけど、まあ、とにかく、そういう人たちの手助けをするのが、俺たちの仕事なんで」

 

 操縦席の背もたれに腕をかけつつ、船長の片口越しに島を眺める。

 波止場はどこかとしっかりと目を凝らしていると、斜め前方、島の先に立っているいくつかの人影が見えた。 

 はっきりとした姿までは判別できないが、割と身長差があるようであることだけは分かった。

 向こうもこちらに気づいている様子で、自らの身長を超えた頭の上で大きく手を振っているようだった。

 それが誰か、個人までは分からないので、船長に聞いてみることにする。

 

「あれ、手を振っているのが見えるんすけど」

「ああ、そうだね。あれは……絵描きの子と物書きの子だったかな」

 

 なるほど、流石に何度も来ているわけあって、詳しく知っているらしい。

 もう少し情報があれば特定できそうだな。

 少しでも見えないかと、横の壁に掛けられている双眼鏡を手に取って、覗き込む。

 少女たちの顔ははっきりと見えないが、船長からの情報と面影をすり合わせていけば、ある程度は分かる。

 頭の中に詰め込んだプロフィールから、写真と名前を引っ張り出してみる。

 ……夏目……城ケ崎……宝生……かな。

 なんとなく分かったので、双眼鏡は降ろして元の位置にかけなおす。

 

「もう一周しつつ、少しずつ近づけてくからな」

「任せますよ」

 

 遠目ながら分かるくらいに、元気そうに手を振る姿を横目に通り過ぎていく。

 

 …………なんか気まず。

 

──────────

 

 追加で島一周分を船に揺られていると、ようやく船着き場で待っている少女たちが肉眼でもはっきりとその姿がとらえられるようになった。

 速度を落としながら、船はゆっくりと波止場に滑り込んでいく。

 窓越しにに見えるはしゃぎようと、そのたびにこちらにまで伝わってくる波止場の板材の振動が、少女たちがいかに待ちわびていたのかを表している。

 そうして近づいたところで、改めてその周囲を見回してみる。

 

「車とかないんすよね」

「整備もできないし、ガソリン運んでくるのもコストかかるしね。もっと本格的に問題解決に踏み切ろうとなったら、大規模にして使えるようになるんだけど……。あ、リヤカーと猫車は入ったところにあるから。固定するのにちょっと時間かかるから先に行っておいて」

 

 文明の利器に頼りたいところだが、そういうわけでは仕方がない。

 船が停止すると、続いて細かい振動と音も途切れ、エンジンまで切れたことを確認する。

 船を降りる前に、改めてしっかりと装備が取り付けられていることを確認してから、船室の扉を開く。

 

「画材画材、画材はどこ?」

「早く紙とペンをよこせ」

「二人とも落ち着きなさい?あれ、今日は違う人なのね」

 

 甲板に出ると即座にその声が耳に飛び込んでくる。

 エンジンは止まりつつも、慣性及びジャイロ効果を失ったせいで、船はこちらの動きに合わせて大きく傾く。

 バランスを取りつつ、上方の足場に足をかけて体全体を持ち上げる。

 数時間ぶりの安定した足場の感触を確かめながら、心を落ち着かせる。

 

 …………よし。

 

 改めて目の前の三人を確認すると、姿勢を整える。

 相手は十代、優しい言葉遣いを意識して口を開く。

 

「お待たせ。今日からこちらの担当になったのでよろしく」

「早く早く~。ちゃんとノアの画材は持ってきてくれた?」

 

 小さい子の片方が、ぴょんぴょんと跳ねて荷物を急かしてくる。

 たしかこの子が城ケ崎だったか。

 画材を求めるということは、船長が言っていた絵描きが趣味の子はこの子のことか。

 

「ちょっとまってね。今、運ぶためのリヤカーをとってくるから」

 

 そのまま海に落ちてしまわないように一言残して落ち着かせると、先ほど言われたリヤカーを求めてその場を離れる。

 海にせり出た桟橋から、確かな土の地面に変化する。

 さて、リヤカーはどこに…………あった。

 軽く周囲を見回すと、あっさりと岸壁に立てかけられている何台ものカートがすぐに見つかる。

 とりあえず一台を引っ張り出してくると、手で押しながら慎重に桟橋の上を渡る。

 船ではケツの方から太めの縄が出ており、船長も箱と共に桟橋に上がっているところだった。

 一旦、リヤカーを船のそばに停めてから、再度船に飛び乗る。

 

 しばらくの間、物資と共に船室と甲板を往復する作業を繰り返していると、船長が戻ってきた。

 固定が済んだとのことで、そこからはバケツリレー方式で、船長が船から物資を持ち上げ、自分が陸からそれらを受け取っては桟橋に並べていく作業をひたすら繰り返す。

 

 ……と、木の板が軋む音でその手を止める。

 

「船長、一旦ストップで。これ以上は橋が崩れかねんすよ」

「分かった。じゃあ、ここに出ているやつを片っ端から屋敷に持っていくぞ。えっと……嬢ちゃんたち、案内を」

「もちろんです」

「任せろ。わがはいがここのことを完璧に教え込んでやろう」

 

 そういって、三人はこちらに背を向けて歩き出した。

 自分も、その先導に従ってリヤカーと共に連れられていく。

 順番は、先頭には身長が低い二人が仲良さそうに並んで歩きつつ、そのあとに高めの少女が一人、俺がそれについていく形だ。

 

 しかし、本当にこんな小さな子供だけなのか……。

 医療スタッフと電気設備のエンジニアあたりは女性スタッフが常駐しているはずだが、忙しくて生活の全てには手が回らないだろう。

 とあれば、ある程度は自分たちで生活基盤を作っているはず。

 

「君たちに聞きたいんだが、ここの生活でなにか不便していることは?」

 

 そう疑問を投げかけると、足を止め、そろって振り返る。

 拒絶されているわけではなさそうだが、若干怪しんでいるようで、訝しげな視線にさらされる。

 ……初対面の人間に対して、すぐに仲良しとはいかないのは分かる。

 だが、ここまで警戒心をあらわにされると、船で見たような、彼女たちが受けてきた扱いに信憑性が増す。

 

「いや、ちゃんと十分な食事がとれているのか、とかね。もし足りていなければ生死に関わりかねないから」

 

 居心地の悪さに、つい言い訳臭い言葉をつらつらと並べてしまう。

 

「……のあは一杯お絵かきできれば十分だよ?」

「わがはいも今の生活で十分だ」

「私も、そんなに思いつかないわね」

 

 三人揃ってそっけない返事が返ってくる。

 こちらを警戒して本音を明かさないのか、それとも本当に今の生活に満足しているのかは、こちらに図ることはできない。

 「それなら良かった」その一言だけ返すと、また歩き始める。

 

 結局、それ以上にこちらから特に話すこともなくひたすら彼女たちを追っていくと、やがて森の中に入っていき、更にそこからしばらく進んでいくと、左右が木に挟まれた道の先からはなかなかの大きさの屋敷が現れた。

 

 正直なところ、もっと酷い環境なのではないかと想像していたのが、その想像に反して、一見屋敷の外装は整えられているように見えた。

 さて、この大きなリヤカーをどこに置いておいたものかと、軽く周囲を見回していると、先導してくれていた少女たちは、建物の大きさに合わせて巨大化されたその扉を開けて押さえてくれている。

 家屋も扉もこれほどのサイズなら、玄関も相応のスペースがあるということか。

 いつまでもその状態で待たせておくわけにもいかないので、そのままリヤカーごと屋敷に入っていく。

 通り切ったことを確認すると、小さい二人は扉にかけていたその手を離し、駆け足で先回りしたかと思えばすでに靴を脱いで上がっている。

 背後からは支えを失った扉が、ゆっくりとした動作で、重量を感じさせる音と振動を響かせて閉まる。

 安全を確認したところで、今か今かと待ちわびた様子の少女たちの方に籠を向けてゆっくりと降ろす。

 すると、我慢ならんといった様子で籠に食いつくと、いそいそと彼女たちは籠から箱を降ろしていく。

 俺もそれを手伝おうと思ったが、最前線でやってくれているその勢いに入り込むことができずに、仕方なく断念。

 箱部分に体重を預け、一時の休憩タイムに入る。

 

「とりあえず、箱にラベルが貼ってあるけど一応中身を確認してからすぐに必要なものとそうでないものを分けといてね」

「ありがとう、お兄さん」

 

 そう声をかけると、夢中になっている低身長二人を差し置いて、割と大人びた方の少女の言葉を受け取る。

 波止場でもこの二人をなだめていたし、恐らくここの保護者的な役割になっているのだろうか。

 ここにいる子供たちの中で、特に大きく年上というわけではなかったはずだが……。

 まあ、ある程度役割が決まっているのなら、そこは彼女に任せてしまっていいだろう。

 正直なところ、子供に任せるのもどうかと思うが。

 

「ところで、他の子たちは?」

 

 手持無沙汰になってしまったが、この場で懐のものを取り出すわけにもいかず、軽く周囲を見回してみる。

 しかし人の気配をこの場にいる人数以上に感じることもなく、聞こえてくるのは静寂だけ。

 事前に確認したリストに載っていた人数とは不釣り合いな気がする。

 

「他の子は基本的に医務室の方で寝ているの。あまり動けるような体調でもなくてね。あとは…………帰る場所がある子たちはそっちにね」

 

 ああ、それでか。

 となると、まともに動いて屋敷を利用できているのは目の前の三人くらいというわけで……。

 この広さには随分と不釣り合いだ。

 ……掃除とか大変そう。

 

 そんなことを考えていたら、ガコン、という音と共に尻に軽い衝撃が走る。

 立ち上がって振り返ると、リヤカーの籠の中身はすっかり空となっており、荷物によって保たれていたバランスが失われて、こちらに傾いたらしい。

 大人二人で積み込んでそこそこ苦労していたほどの量にもかかわらず、対して降ろすことはやる気あふれる若者にかかれば随分と簡単だったらしい。

 そんな少女二人はこちらには目もくれず、その箱の中身を確認することに勤しんでいる。

 

 さて、あと何往復したら終わるかね。

 

 楽し気な彼女たちを一瞥してから、気合を入れなおして、再度リヤカーの持ち手を掴んで軽く力を込めた。

 

ーーーーーーー

 

「さて、これで最後かな」

 

 そういうわけで、最後の一回分運び終えると、持ち手から手を離し、玄関広場にリヤカーの籠が降ろされる。

 そして、自身も全身の力を抜いてその場に座り込む。

 軽く顔を上げてみれば、玄関先には何往復分かの物資の山が積みあがっている。

 ここまで体力を使うつもりは無かったのだが、頼りにしていたもう一馬力である船長は、整備に加えて、怪しくなってきた天気に備えてさらに厳重に船を固定しなくてはいけないというわけで。

 当然、このサイズと重量を目の前の少女たちや医務室に横になっているであろう他の少女に頼むわけにもいかず。

 結局のところ、一人ですべての積み荷を運ぶことになった結果、このように随分と消耗してしまった。

 これを仕事として給料をもらっている以上は、文句なんてありようはずもないが、かといって人間である以上は疲労が溜まるのは当然のところだ。

 今回ばかりは他の隊員もいないし、少々腰を下ろして休んでいても構わないだろう。

 

「お疲れ様。よければどうぞ?」

 

 背後から、そんなねぎらいの言葉がかけられる。

 同時に、頬の横に差し出されたグラスを受け取り、首だけを回して振り返ると、黒髪の少女がささやかに笑みを浮かべている表情が目に入った。

 そこいらの百円ショップにでも売っていそうな、どこか見覚えのある透明なコップの中には、茶色で透けた液体が揺れていて、夏によく感じる麦の香りが漂う。

 

「ありがとう」

 

 そう一言感謝を伝えてから、その中身を煽る。

 よく冷えた液体がのどを通り抜け、全身に水分が行き渡ると、一気に生き返るような感覚。

 一息吐いて落ち着いたところで、麦茶をくれたその子は自分の隣にしゃがみ込んできた。

 名前は……。

 

「宝生だったっけ」

「あら、知っておいてくれたなんて。私、嬉しいわ」

「ここにいた子たちの名前は、全てリスト化されて共有されているから」

「それは、乙女のプライバシーが守られているのか、気になっちゃうわ。……一体、私はどこまで知られちゃっているのかしら?」

「最低限のプロフィールだけな」

 

 一応釘を刺しておいてから、自分の手の中にある残りわずかも、一気に飲み干す。

 プライバシーを気にしているようなので、こちらから雑談を振るのも躊躇してしまい、手持無沙汰になった。

 なんとなく手持ちのグラスを目の前に持ってくると、透明なガラス越しに、歪んだ少女たちが映る。

 

 ……少々気まずさを感じ始めたところで、少女も口を開いた。

 

「そこの二人もあまり素直じゃないように見えるけど、感謝しているのよ?」

 

 ……以外だ。

 

 全く対応が遅れているのだから、恨みさえすれ、感謝されるとは思っていなかった。

 そもそも、自分たちが魔女なんて呼ばれるようなことになる前に、気づくべきだったのだ。

 そんなこちらの内心を知る由もなく、彼女は言葉を続ける。

 

「友人達を帰るべき場所に帰してくれたのは、あなたたちのおかげよ」

「……それは、今までの苦労が報われる思いだ」

 

 君たちはそうじゃないのか。

 その言葉が喉を着いて飛び出しそうになるが、無理矢理飲み込んで我慢する。

 先ほど言っていた、医務室で治療を受けている子供達はまだ体が動かないから帰ることができていないだけ、というのはまだ分かるが、今目の前にいる彼女たちに関しては、健康体そのものに見える。

 

 ……否定してほしい、嫌な推測が頭によぎる。

 

「…………」

「…………」

 

 もう、それ以上に深堀するべきではないし、したくもない。

 

「んー、これはいらない!」

「それはわがはいがネタ用に使うものだ」

 

 そろって無言になると視線の行く当てもなく、荷物を仕分けする少女たちの様子を眺める。

 しばらくの間、そのまま待っていると、二人の手が止まった。

 どうやら、分別が終わったらしい。

 俺は膝に手を掛けて立ち上がると、二つに分けられた荷物の山の、全く興味を持たれていない方へ近づく。

 

「さて、それじゃあ必要ないものは運んじゃいますかね」

「そっちの箱は全部持って行って構わないわ。保管場所は案内しなくても大丈夫なの?」

「ゲストハウスの場所。問題ないです」

 

 船中でみた資料に載っていた地図を思い浮かべる。

 ゲストハウスの中が、現在は倉庫として利用されているはず。

 まあ、そのゲストハウス自体はもう取り壊され、エレベータも新造されているはずなのだが。

 そして、いくつか積み重なっている箱を再度リヤカーに積みなおし始めた。

 

ーーーーーーー

 

 さて、ガタガタと車輪を回してリヤカーを押しながら数分。

 本当に新造したのかを疑うほど、雑に建てられたプレハブ小屋の前に着いた。

 その扉の前で一度リヤカーを降ろすと、横開きになっている扉を引いてカートが通るスペースを確保する。

 中には先ほどの扉よりも一回り小さい扉があり、その横にはおなじみのエレベータ用の下向きの矢印マークでできた、コントロールパネルがある。

 たった一つしかないそのボタンを押すと、ボタンに加えて上部のパネルが点灯し、箱が存在している現在の回数が表示される。

 地下と地上の二つの階層しかないので、大した待ち時間もなく、すぐに箱が到着したことを知らせるベルが鳴る。

 自動で扉が閉まらないように固定し、引っ張ってきたリヤカーを押しこむ。

 車体全体が入り切ったことを確認してから、固定を外せば直ちに扉が閉まり、次に感じるのはエレベータが下降したとき特有の浮遊感。

 エレベータを呼んだ時と同様に、待ち時間は短く、すぐに階下に到着する。

 自動で扉が開くと、乗り込んだ時と同様に、再度扉を固定してからリヤカーと共に降りる。

 ……と、明らかに肌に感じる温度が変わる。

 

「寒っつ」

 

 地下あるせいだろうか。

 

 袖を伸ばして誤魔化しつつ、体を震わせて奥まで進んでいくと、そこには不自然な空きスペースがあった。

 残っているものはなにもなく、なにかがあったかのような形跡だけがある。

 それ以上に見ることはなく、その奥にまで視線を移すと、さらに広い暗闇が見える。

 今いる空間とその闇を隔てるための扉があったであろう、枠だけになったそれを横目に、壁から突き出た照明のスイッチを押す。

 パチパチと数回の点滅の後に、光の点灯が安定する。

 中の状況がはっきり視認できるようになってから、改めてその先を確認する。

 元暗闇の部屋には、持ってきたものと同じような箱が積まれており、そこから、ここでの生活がある程度安定していることが見て取れた。

 先程聞いたときは、彼女たちは生活に困っていないようなことを言っていたが、案外本音だったのかもしれない。

 少し安堵する。

 明かりの下で改めて周囲の安全を確認してから、荷下ろしを始める。

 

 

 …………しばらく作業をしてから。

 一通り荷下ろしが済んだところでふと視線を周囲に送ると、資材の山の隙間を縫って更に大きな扉があるのが見えた。

 あれについても、送られた資料の中にあった。

 

 …………本当にこの扉の先にあるのか……?

 ゆっくりと近づいていく。

 扉に触れる。

 どうやら、鍵はかかっていなさそうだが人一人の力だけで開けられそうにもない。

 これもどこかに操作盤が……。

 

 あった。

 マニュアル通りに操作すると、重厚な音を立てて、その扉が開く。

 そしてその先に見えた光景は…………今の時代には不釣り合いな、拷問器具だった。

 

「趣味悪」

 

 そんな感想が、そのまま口をついて出てしまうのと共に、顔をしかめる。

 いやいやながら、再度部屋の中を見回ってみれば、最初に目に入ったもの以外にも大量の拷問器具のようなものが並んでいる。

 やはり悪趣味だな。

 魔女狩りだっていうのなら、磔と火あぶりだけでもよかろうに、わざわざ少女たちのトラウマに合わせて作り直しているのだから本当に。

 どれだけの罵倒を組み合わせても足りない。

 てか、前任たちはこれを先にすべて撤去するべきだろ。

 

 これ以上は見ていられなくなり、そそくさと部屋を出て再度操作盤を操る。

 またも重々しい音を立てて扉が閉まって、改めて隙間などがないかを確認してからその場を離れる。

 途中で置いてきたリヤカーを回収してから、元来た道を辿る。

 

 しかし皮肉なものだ。

 かつて少女たちの命を奪おうとしてきたこの場所は、今度は命を繋ぎ止める食糧庫として使われているというのだから。

 まあ、良い方向に転用されているのだからまだましか。

 

 と、俺を待っていたかのように口を開けていたエレベータに乗り込むと、屋敷に戻った。

 

──────────

 

 …………寝床に着いてから、何時間が経過しただろうか。

 

 べッドの中で目を閉じるものの、日中に地下で見た処刑台のことがフラッシュバックしてしまい、なかなか寝付けずにいた。

 ベッドの中で身じろぎしているうちに、また鮮明にあの時のイメージが思い返される。

 あの後、資材を置いて地上に戻ると、空には厚い雲が張っており、その下を通って屋敷に戻ることとなった。

 そうして、屋敷に到着するとすでに船長も到着おり、今後のことを伝えられた。

 案の定というべきか、今朝の見立て通り、天気の影響で今日中に戻ることはできそうにないとのことだった。

 そんなわけで、一晩を明かすことを余儀なくされ、夕食をとり、シャワーを浴びて、寝る体勢になったまでは良かったんだが……。

 

 仕方なし。

 

 同じ部屋のベッドで寝ている船長を起こさないように、慎重に体を起こす。

 忍び足で部屋を進み、やはり慎重に扉を開いて部屋を出る。

 どこかに一服できる場所はないかと、月明かりが入ってくる窓沿いの廊下を外回りに徘徊し、階段を見つけては登っていく。

 途中、部屋へつながっているであろう扉を見かけるが、どれもシーンとしており、廊下は外から差し込む月明かりだけ。

 

 少しして、ようやく途中で外へ通じていそうな扉の前で足を止めると、近くの部屋にいるであろう子供達を起こさないように、静かに手をかける。

 

 扉の先はバルコニーに繋がっていた。

 雨は一時的に止んでいるようで、涼しげな海風が吹き抜けている。

 そのまま奥まで進んでいき、手すりに腕を載せて体重を預けると、懐からたばことライター取り出し、風上に自らの体を置いて火をつける。

 

 ゆっくり吸って、吐き出す。

 口から流れ出た煙が夜風に流され、霧散していく。

 階上からであれば、水平線が一望できるようになっている。

 すっかり凪いだその水面を見れば、一時の静寂に時が止まったような気さえする。

 

 …………最悪だ。

 穏やかな景色とは反対に、頭に浮かび上がってくるのは昼間の光景。

 暇ができると、ナーバスなことばかり考えてしまい、吐き気がする。

 

 背後からの扉がきしむ音が、再び時計を動かしはじめた。

 振り向くと、そこには昼間にお茶を渡してくれた少女が一人、扉を体を使って開けているところだった。

 なぜそんな奇妙な行動をしているのかと思えば、両手になにかを持っているようだった。

 

「あら、お邪魔だったかしら?」

「随分とお行儀が悪いようで」

 

 宝生マーゴはそういいながらこちらに近づいてくると、体重をかけていた広めの手すりに、その手に持っていた缶を置く。

 俺は口にくわえていた煙草を手に取ると、もう一方の手で懐から灰皿を取り出し、それを押し付ける。

 

「あら、別に吸っていても私は構わないわよ」

 

 その、慣れているとでも言いたげな言葉に、自分の眉が額によって行くのが分かる。

 

「そっちが構わなくても、世間が構ってくるんでね。未成年のガキに受動喫煙とか、自衛隊員がそんなことしているとばれたら一瞬で炎上もんだ。……全く、どこに行っても分煙だのなんだの、生きづらい時代だよ」

「ここには、あなたと私しかいないじゃない?」

「分からんぞ。その懐にスマホでも仕込まれているかもしれんしな」

 

 俺は彼女の方に目を向け、その全身を見回す。

 すると、その体を庇う様に、空いた手を自らの体に回す。

 

「不躾ね。あまり寝巻の少女を見るものじゃないわ」

「5年経ってから出直してこい」

 

 とは言ってみるものの、向こうは年頃の少女だ。

 見られていい気はしないだろう。

 再びはるか上空に視線を戻すと、雲が消え失せた空に輝く星が目に入った。

 

「随分、今朝とは言葉遣いが違うのね」

 

 こちらを試すかのような口ぶり。

 

 しまった。

 あんな胸糞悪いものに加えて、この子の年齢とは不相応な雰囲気。

 連続してろくでもないものを見せられ、その空気に充てられて少々気が抜けていたのかもしれない。

 

「もしかして、そっちがあなたの本音なのかしら?」

 

 肘をついて、空いた両手を軽く組むと、そこに顎を置くように。

 

「……はあーーーーー……、完全に油断してた。まあ、もういいか」

 

 俺はバルコニーの手すりを背もたれにするように体を預けて、天を仰ぐ。

 

「ふふ、私は普段からそっちの方がいいと思うわよ?」

「ほざけ。会って一日も経ってないガキに理解を求めるほど浅い人生送ってない」

 

 手すりに置かれた、恐らく物資の中に含まれていたであろう缶コーヒーを、手に取る。

 プルタブを引くと、中の空気が抜ける、プシュ、という音がやたらと響いて聞こえた。

 そして、一口だけ含んでから。

 

「ガキがこんな時間まで何の用だ」

「寝ようとしていたのだけれど、ちょうど廊下が騒がしくなったのが聞こえてきたのよ」

「そりゃ失敬。用が済んだのならとっとと戻りな。嫁入り前の女が軽々しく男の前に肌を晒すもんじゃねえぞ」

「あら、いつもの通りの格好なのだけれど……、やっぱり気になる?」

「ハッ、アルコールの味も知らん、乳臭いガキに発情するほど拗らせてないもんでね」

「それは残念」

 

 そう言って、少女も缶を手にとっては口をつける。

 安物にありがちな表面上の苦みと、香りが口の中を通っては鼻から抜けていく。

 

「あなたは、私を子ども扱いするのね?」

「少なくとも、15、16でそれを期待してくるガキは、胡散臭くてごめんだね」

「……ちょっと傷ついちゃった。これでも、人よりは大人にみられることが多いのよ?今までだって、最後まで気づかれなかったもの」

「大人ぶろうとする時点でお察しだよ」

 

 二人の間に冷たい海風が通り過ぎていく。

 男は上着を脱ぐと、隣の少女の肩にかける。

 それに対して、少女はどこか驚いたような表情で、フロントの部分を握っている。

 

「……紳士なのね」

「そりゃ、仕事だからな」

「本当にそれだけ?」

「……ここのやつらの経歴は一通り目を通した。詳細は知らんが、お前らみたいなガキはなにも考えずに寝て、飯食って、遊んでいたらいいんだ。厄介ごとは俺たち大人の仕事だ」

 

 風が流れてくる水平線を眺めると、コーヒーを一口流し込む。

 

「お前らは世間を知らなさすぎる。本当はこんな島にいつまでも留まらないで、色んなところに行って、色んな経験して、そんでやらかしたら大人に頭下げて……次の日なったら、またやらかして反省していけばいいんだよ」

 

「やっぱり子供扱い……。じゃあ、どうしたら大人として見てくれるのかしら?」

 

「とりあえず、煙草にコーヒーを合わせないところからだな」

 

 肩下辺りから見上げてくる、そのどこか心配そうな表情を見て、缶を手すりに戻すと、ついその頭に手を置く。

 

「まあ、大人になろうともせずそのまま年を食っていくだけの人間も多いからな。なろうとしているその心持だけで上等だ」

「かたくなに認めないように固執するところ。ちょっと子供っぽくてかわいらしいわね」

「知らなかったのか?男つうのは、ジジイになっても心はガキのままなんだぜ」

 

 そういってやると、小首をかしげてどこか満足そうな表情に変わる。

 果たして、これも作っているのか本音から来ているものなのか……。

 ……我ながら嫌な人間だな。

 子供の素直な反応をそのまま受け取ることができないなんて、大人になっちまったのか。

 少女の頭から手を離して再び缶を手に取ると、合わせるようにそろってコーヒーを味わう。

 二人の間を沈黙が満たすなか、また波の音と風の音だけが、やたらと響いて聞こえる。

 

「……ねえ、愛って何だと思う?」

 

 だからか、次に出てきたその言葉が、とひどく重たいもののように感じた。

 

 愛。

 これはまた難しい問題だ。

 隣に立つ少女がこれまでにどんな経験をしてきたのか。

 その過程を文面として、情報として、知識の一つとしては知っているが、その結果としてなにを失ったのか。

 内心も正体も、他人には測り知ることはできない。

 

 さて、どこから話したものか……。

 

「お前さん、”恋”はしたことあるかい?」

「それは、私に対する嫌味かなにかで?」

「いや…………そうだな、悪かった」

 

 地雷だったか、素直に謝罪の言葉を口にする。

 

「もう、ちょっと意地悪を仕返しただけよ。続けて頂戴」

 

 …………。

 

「……世の中、駅前でも歩いていれば学生カップルとか、よう見かけるわけよ。ほほえましいと思いつつもな。あの男女はどうして付き合っていると思う?」

「それは……お互いに好きだから」

「ま、ガキならそんなもんだ。むしろ、そのくらいが健全だと思うが。じゃあ次。夫婦とカップルの違いって何だろうな?」

 

 マーゴは答えられない。

 もちろん、知識として知っていることではあるのだが、過去に受けたトラウマによってそのその認識が歪んでいる。

 歪んでいるということですら、最近になってようやく友人たちに気づかされたこと。

 そんな彼女は、その質問の回答を持ち合わせてはいない。

 

「これはあくまで俺の持論だ。恋人っつうのは、相手の良いところや美点だけを見ているにすぎないのさ。だから世間では蛙化現象だの冷めただの、しょうもない言葉が流行するんだ」

「愛はそうではないと?」

「愛は無くなったり、治まったりすることはない。欠点や悪いところですら受け入れることができるようになったとき、愛すると呼ぶことができるようになる。…………と、俺はそう思う」

「じゃあ、私はそれをどう示してあげればいいのかしら……。あの子達のために、私ができることがあるのか……」

 

 あの子達というのは、十中八九昼間に一緒にいた夏目と城ケ崎のことだろう。

 

「……別に大したことをする必要性はないと思うがね。ちょいと古臭い考えと思われるかもしれんが、男は必死こいて金稼いで、女は衣食住を整えて、ってのが普通だと思う。お前さんはまだまともな方法で金を稼ぐのはまだ無理だろうし、とりあえずは、そいつらのために毎日美味い料理でも用意して迎えてやればいいんじゃないか」

「……けど、いつか別れることになるでしょ?そうなったときはもう……」

「はっ」

 

 つい、吹き出してしまう。

 最近の子たちはもっと別れに対してドライなものかと思っていたのだが、そういうわけでもないのか。

 自分の中の認識とズレた様子に、おかしさが込み上げてくる。

 

「乙女の悩みを笑うのは感心しないわ」

 

 それを見た少女は、不満そうに少し頬を膨らませる。

 なんだ、年相応の表情もできるじゃないか。

 

「いや、すまんな。……まさか今の時代にそんなことかと。もう、通信技術も交通も発展しているんだ。話がしたくなったら電話してやればいいし、別に会おうと思えばバスなり電車なり、いくらでも会う方法なんてあるだろ。……ほんと、いい時代になったもんだ」

「あら、さっきと言っていることが違うんじゃない?」

「俺にとっては生きづらいけどな。こんな老害に金使うより、少なくともガキにとっては過ごしやすい世の中になるように金使って欲しいもんだ」

「……言うほどお年を召しているようには見えないけれど?」

「お、なかなか世辞が上手いな。なんか欲しいもんでもあるのか」

 

 そうして、クスクスと笑みがこぼれる。

 もう中身がわずかになった缶を軽く揺らしながら。

 

「あなた、いい男ね。ちょっと興味が湧いてきちゃった」

「5年経って、酒とこいつらの味が分かるようになってから出直してこい」

 

 空になった缶を煽る。

 ぽつぽつと、冷たい水が顔に触れるのを感じる。

 その道筋を追って顔を上げると、いつの間にか、雲が夜空を覆っていた。

 また雨が降り返してくる前に屋敷の中に戻ろうと踵を返す。

 

「もうちょっとお話していってもよくない?」

「雨に降られるのはごめんだね。お前さんこそ、女が夜更かしすると肌によくないぞ。せっかくの綺麗なお顔が台無しだ」

 

 それだけ言い残して、軽く手を挙げてその場を後にした。 

 

──────────

 

「あら、随分と早いのね」

 

 次の日。

 

 昨夜はそのまま自室に戻ると、そのまま眠りについた。

 誰かに見られているわけでもないが、普段からの習慣は抜けることはなく、目覚まし無しでも早朝の定刻通りに目が覚めた。

 朝食は物資に入っていた、適当な缶詰でも食べて、さっさと島を離れる準備をしようと思ってた。

 で、とりあえず水分補給がてらに、食堂に来たわけなのだが……。

 

 扉を開けると、昨晩の少女、宝生マーゴがそこにいた。

 

「それはお互い様みたいだな。ちゃんと眠れたのか」

「おかげさまでね。寝つきのよさのあまり、こうして普段よりも早く起きちゃったわ」 

 

 こちらとしては、昨夜は少々説教臭いことをしてしまい、なんとなくむずがゆさを感じてしまうところなのだが。

 一方、目の前の少女は、そういいながらも、初めからこちらを待っていたかのような期待の表情と共に、こちらに距離を詰めてくる。

 

「で、なんの用があってわざわざ来たんだ?」

「あら、お見通しなのね。つまらないわ」

「ん、まあ。奥の部屋から火の元の気配を感じるし」

 

 そう返すと、彼女は少しうつむいて、今度は自身なさげになる。

 なぜ待ち受けるようなことをしたのか、大方察しはつくが、それをこちらから言い出すのは、なんか違う気がする。

 そのまま、彼女の方から明かすのを待って数秒、

 ゆっくり、小さめに、躊躇い勝ちに口を開いた。

 

「……朝食を作ったの。折角だからあなたもどうかしら、と思って」

「朝食…………?なんで」

「なんでって……。あなたが言ったんじゃない」

 

 いや、確かに、まずはそういうことをしてあげたらどうだろう、という話はしたが。

 まさかその翌日に、しかも自分にそれをしてどうする。

 

「お気遣いはありがたいが……。他の小さいのに回してあげたほうがいいんじゃないか」

「意地悪な言い方するのね。あなたも、若い女の子の手料理をいただく機会なんて滅多にないんじゃない?そんな貴重な機会をみすみす逃してしまっていいの?」

 

 昨晩に話をした時のように、こちらを測っているような、からかってくるような台詞。

 その影にどこか見覚えがあるような気がした。

 

「今、他の女のこと考えたでしょ」

 

 なにか、試すような口調で。

 

「だったらなんだ。お前には関係のないことだ」

「そういう問題じゃないわ。目の前で会話している女の子を放っておいて、別の人と会話されたら気分が悪くなるのは当然じゃなくて?」

「俺はちゃんと会話しているはずだが?」

「女心」

「人道ならともかく、それを気にしなきゃいけない関係性になった覚えはないな」

「そういう問題?」

「そういう問題」

「ケチね」

 

 宝生はそういって、拗ねたように顔をそらしながらも、軽くこちらを小突いてくる。

 さて、どうしたらいいものか……。

 虚空に視線を移して、頭を悩ます。

 

 すると、胸元、彼女の頭がある位置から小さく声が聞こえてくる。

 

「……子供のちょっとしたわがままよ。大人なら聞いてくれてもいいんじゃない?」

 

 食堂の奥の方から、ブーンと換気扇が回る音と、パチパチと正体不明の音が、静寂の空間を突き抜けて聞こえてくる

 

 ……さきの意趣返しのつもりか。

 ここまで言ってくれているのに断るのも忍びない。

 

「ここで、適当な席に座っていればいいのか?」

「……待ってて」

 

 そう言い残すと、少女は奥の方にある扉を開けて、その先の部屋へ消えていった。

 あそこが厨房だろうか。

 

 手持無沙汰になり、改めて食堂をぐるりと見回すと、空のテーブルと何脚もの椅子が並べられている。

 既に健康状態が回復している少女たちはこの島を離れているため、今現在でこの屋敷に残っている人数を考えると、持て余していそうな気がする。

 ふと隅の方のテーブルに行って、軽く指でなぞってみると、その先が灰色に染まった。

 人数に対して屋敷が広すぎるせいで管理が行き届いていないのか。

 

「なにか気になることでもあったかしら?」

 

 後ろから声をかけられる。

 普通に、前からくればいいものの、なんでこう人の裏をかこうとするのか。

 俺は平然と、椅子の上で尻を滑らして体を回して振り返る。

 

「いや、掃除とかどうしてるんだと思って」

「今は私とナノカちゃんの二人でなんとかしている感じよ。この間見たから分かると思うけど、アンアンちゃんとノアちゃんの二人が散らかしているからキリがなくて困っちゃうわ」

「ナノカ……黒部か。確かあの子は姉がいただろ。家族との仲も良好だったはずだし、健康になったら大変そうだな」

「……そうね。他に一緒に住んで面倒見てくれる人がいてくれたらいいんだけど」

「…………一番は、ちゃんと全員が帰るべき場所を見つけて帰ることだ」

「…………準備できたからこっちきて」

「厨房で食うのか」

 

 言われるがままに奥の扉をくぐると、コメの炊き上がる香りと塩の香りが分かった。

 部屋の中を軽く見回すと、自分の家にあるものとはかけ離れたサイズの鍋が並んでいる。

 人数を考えればこの大きさにもなるか。

 呼ばれたもののどうしたらいいか分からず、閉じた扉の前で呆然と立ちつくしていると、宝生は左手にお椀、右手で鍋からお玉を手によそっている様子を眺めるだけ。

 いつまでも立っているのも落ち着かないので、今度こそ適当に空いている席に腰を下ろす。

 やがてトレーにいかにもな定食の献立を並べて持ってきた。

 

「お待たせ」

「なんか、全部やってもらったみたいで申し訳ないな」

「こちらがお願いしたんだもの。大人しく座ってくれればいいのよ」

 

 そう言いながら、自分の対面にある椅子の背もたれに手を掛け、引いて座った。

 そうして、目の前に据えられた茶碗を手に取り、右手で箸をとると、順に味わう。

 

「……どうかしら?」

 

 正面から真っ直ぐこちらを見据え、おずおずと、かつ非常に注意深くこちらの様子、もとい味への反応を伺ってくる。

 

「普通」

「そこは嘘でも美味しい、って褒めておくべきじゃない?」

「じゃあさっきのは嘘。特別味がどうってわけではないが、愛情を感じて俺は好きだ」

「なにそれ」

「他の子どもたちへの気持ちがこもってていいんじゃないか、ってこと」

「やっぱりなにそれ」

 

 呆れたようにそういうと、彼女は前のめりになっていた姿勢を正し、背もたれに体重を預けるように座り込む。

 俺は気にせず、眼前の食事をありがたくいただき続ける。

 咀嚼をしている以上は、こちらから話題を振ることもできず、また二人の間を静寂が埋める。

 

 まだ他に起きてくるような気配もなく、広めの食堂は自分の咀嚼音。

 そして、先ほども感じた換気扇の音などが、再び主張を始める。

 

「ありがと」

 

 そんなこちらの様子を見て、クスと笑みを浮かべながら。

 

 ……なんだ。

 普通の女の子じゃないか。

 

「優しいのね」

 

 目を細めてそう続ける。

 

「こっちが先に言わせてもらいたい」

「嬉しいわ。あなたにそう見えているなら」

 

 と、意識の外側からきしむ音が耳に飛び込んでくる。

 ほぼ反射的にそちらに目を向けると、開かれた扉には寝間着姿の城ヶ崎ノアが眠そうに瞼をこすりながら立っていた。

 

「マーゴちゃん……」

「おはよう、ノアちゃん。先に顔を洗ってきちゃいなさい」

「はーい……」

 

 その言葉を受けると、大人しくこちらに背を向けて扉を引き返していった。

 それに合わせる訳では無いが、俺も皿に残ったおかずや茶碗の米をまとめてかき込んむ。

 しっかり飲み込んでから手を合わせて席を立つ。

 

「ごちそうさん。人が増えてきそうだし、ここらで船に戻るよ。船長も向こうについてるみたいだ」

「お粗末様。食器はそのままで構わないわよ。私から誘ったものだし、これからお仕事みたいだし」

「なんか棘を感じる気がするが、言葉の額面通りに受け取らせてもらうからな」

「後からなにか徴収しようなんてないわよ。人聞きが悪いわ」

 

──────────

 

 雨は止んでわずかな雲が流れる空は暗みがかっており、ようやく水平線から朝日が差し込んでこようかと時間帯。

 俺は波止場で船長と共に出航の準備をしていると、屋敷のある方向から一つの人影がそばに立った。

 

「もういってしまうのね」

「もともとは一日で帰るつもりだったからな。戻ったら半休扱いとかになりそうで、損した気分だ」

 

 船長が操縦室に入ると、エンジンの震える音と共に、周囲の水面が細かく波打ちだす。

 

「さて、向こうの準備もできたみたいだし、さっさとお暇させてもらうよ。早朝から連れ出して帰ってこないとなったら、他の子どもたち心配をかけるかもしれんしな」

「折角お見送りしてあげようと来たのに、そんな言いぐさはないんじゃない?」

 

 忘れ物がないことを確認すると、桟橋から船に飛び降りる。

 それに合わせて船体も大きく揺れて転びそうになるが、なんとか耐えると改めて宝生に向き直る。

 

 なにか言いたげな表情をしているので、そのまま待っていると、彼女は口を開いた。 

 

「……次はいつ来るの?」

「定期の物資の補給か……。それと、そのうち施設の設備改修やらで人がたくさん来るだろうから準備しておけよ」

「いけずね。そういうことじゃないの分かってるくせに」

 

 朝日が昇ると、その眩しさに目を細める。

 目が慣れてゆっくり瞼を上げると、そこに移った少女は、朝日に照らされ…………とても美しいと思った。

 

「そんなに熱い視線を向けられると……照れちゃうわ」

「……ま、また近いうちに来るさ」

 

 船長に合図をすると、船はゆっくりと前進していき、それに合わせて少女の姿も小さくなっていく。

 胸の前で小さく手を振る彼女に軽く手を挙げて、それはやがて見えなくなった。

 




解釈不一致ですかね

※追記:加筆修正しました

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