血の繋がりがあるから。そんな理由で俺は妹の世話をしていた。両親がやるべき家事や愛情を注ぐなんてことはもう俺一人しかやれない。
兄一人、妹一人。我ながら歪な家庭で育ててしまったと思う。
「兄さん」
当然のように妹の不満だの恨みなんてのは俺へと向かう。昔のようにこちらへと屈託なく笑いかけてくることはもうない。随分前から感情を
「ボクのこと、愛してるよね?」
明らかに冷めきった声。どこか達観してしまった潤んだ目。当然のようにそれに呼応する言葉を言ってしまう。
わずかでも妹の助けになるような言葉遣いにしたくてしている敬語の口調。
「もちろん。君のことを愛してる」
聞いてきた妹は無表情を動かさずにこちらの言葉を聞くと、部屋の中へと引きこもる。何もせずともそれだけで充分だと言わんばかりだ。
…昔はあんなのじゃなかったのにな、と思う。
しかし俺もかなり過保護だった自覚もあるし、不充分な兄貴であったと自認している。親から子に向けるような感情も渡せなかったとわかっている。
その結果が突き放したり近づいたりする俺への態度だ。日課のように繰り返すこれは妹離れもできない兄への優しい対応か。学校の様子とは違う、らしい。
学校の様子なぞ学年が違うので見たこともないが、随分と家とは異なるようだ。さほど噂を聞くこともないので詳しくは知れていない。
「…はぁ」
扉は俺のことを拒絶せんと隙もなく閉まっている。何度見ても慣れない妹の奇行。体に溜まったのが疲労か心労なのかもわからない。
なんせ夜のこの時間だけは妹の様子が変化している。どうしてなのか、それくらいは聞きたい。しかし聞いたところでどうしようもないものだろう。
貴重な眠る時間を無駄にすることもしたくない。やれることほ近くの壁によりかかって寝るだけ。朝になればきっと妹が起こしてくれる。
…とはいえ、実際はどうも変わりはない。
地獄の日々の、延長だ。
「…起きてよ、お兄ちゃん」
朝も倦怠感は抜けない。少しだけ声に反応できないで目をパチパチとする。
視界に入ってきたのは少しだけ表情が崩れた妹。心なしか上機嫌なのはなぜだろうか。二度寝したら遅刻するようなギリギリの時間なのにも関わらず、だ。
そんなことを深く考える暇もなく、ブレザーを着用する。別に妹と俺のでさして変わることもないのだが
『お兄ちゃんのブレザーは着れないの』
と言われたのでやめている。体臭やブレザーそのものが問題ではないような口振りに傷つきはしたものの、何も言われないよりはマシだ。
「ほら、おにぎり」
口もとにそっと運ばれたソレを丁寧にもそもそと噛む。梅の酸味が眠い体を起こし、米を噛む感覚が意識を目覚めさせてくれる。
「おはよう。今日も起こしてくれたんだね」
「おはよう。…一緒に行かないと面倒なトラブルに巻き込まれるし」
挨拶を返してくれたのと同時に少し辛辣な妹と家を出る準備をする。さほど中身の詰まってない学習バッグ。万が一のために入れてある辞書。妹が入れてくれた桃色の弁当箱。
「髪の毛
「ん、わかった」
されるがままに梳かれている長い髪は妹からの提案だ。正直伸ばす理由はないと思うのだが、それはあくまでも俺視点の話だ。妹にはどうしても必要な理由があるらしい。
どんなことを言われたかもわかっていないが、鼻歌交じりにやれるルーティンにまでなっている以上は変えるのも躊躇ってしまう。
そもそも切る為にお金を使う余裕もないのだ。下手に妹に髪を切ってもらうのもどうかと思ってしまうし…
「…終わった?」
「うん。行こうか」
こちらの問いかけに頷くと、こちらと変わらない背丈の妹がくっついてくる。その様子はどこから見ても満足感に満ち溢れている。
(こうなると尚更に不気味なんだよなぁ…)
つまり妹から俺は嫌われていないということである。あの夜の行動は果たして何をしたいからなのだろうか。変わることもない、というのに。
ふと空を見上げる。朝も遅いというのに、薄すぎる三日月が映っていた。
「…なんだ、もう昼か」
授業のことなどわかりっこない俺は昼の時間になってから飯を食うだけである。誰かに誘われでもしない限り自分の席から動くつもりはない。
「
「…別にいいが、同級生ならパイセンとか呼ぶんじゃねぇよ」
まあ、クラスメイトに誘われたなら行くのも
「鍵は?」
確か記憶があっていれば鍵はかかっていたはずだ。しかしそんなものを持っているようには思えない…自信満々に誘ってきたからには問題ないと思うのだけれど。
「なぜかは知らんけど壊れてたからな!」
「大声で言うもんじゃねぇよ。特に俺等が報告する義理もなさそうだから黙っとけ」
きっと壊れてた鍵を後で直す先生が可哀想だが、まあ校舎の不具合だしなんとかしてもらえるだろう。軋む扉を開け、
「そんで誘った理由はなんだよ」
「んなもんねぇけど?」
目を逸らしながらぴゅーぴゅーと鳴らない口笛を吹かれれば嘘だと流石にわかる。最もわざとやっているのがわかるくらいのオーバーリアクションなら聞きやすくはある。
「…最低限は答えてやるよ」
まあ別に悪評なんて腐るほどあるものだし、目の前のコイツから流されても変わらない。それに男と男だ、女に襲われるより抵抗しやすい。
そんな意図での言葉も目の前のこいつもわかったようで、わざわざ日陰から外に出ていき、両手を広げる。
…コイツの言動が様になっているのは努力したからなのだろうな。少し羨ましいことだが俺にはどうしようもないものだ。
「相変わらずお優しいお兄様なことで…こっちとしても本当に男なのか疑ってるよ」
「黙れ。こっちのほうがカモフラージュになるだろ。兄妹の片割れとしてな」
「死神姉妹ってのも?」
「まあ延長線上のものだ」
とはいえそれも俺からではなく妹の発案だ。どちらの可能性かを考えるだけでナンパ避けにも充分な効力がある。
…死神姉妹については勝手についた尾ひれだけど。
「そ!俺はその死神姉妹ってのが超気になるわけだよ。厨二病大歓喜の名前の由来が、だ」
死神姉妹。どこから広がったのかは覚えていないが…俺と妹の容姿が似ているからとヤンキーであることが関係していたことのような気はする。
曰く、姉を見たら死だと思え。
曰く、妹は優しいが姉と見分けがつかない。
曰く、姉は人を殺したことがある。
強いて言うのなら妹に対する悪評がどこにもなくて助かるというべきなのか…孤立している俺でも知っているくらいの噂の中に妹への罵倒が無くて何よりだ。
「俺が知るわけないだろ。そもそものっけから噂が間違ってるし」
まあ当然噂の中で姉だのと言われている時点で風評被害である。妹との見分けのつかせ方は瞳の色くらいしかないようなものだし。
「そんなんてっきしトランスジェンダーとかそっちなのかなって。ほら、男だってパッとわからないんだよ」
「…喉仏がないのがそんなに変か」
自分の喉に女と変わらない手を当てる。本来あるべき突起はなく、ただただ滑らかな曲線を描く喉。病院に行っても『男性ホルモンのバランスが崩れている』との一点張り。
本来ならボサボサであったはずの髪も妹に手入れしてもらってこのザマだ。
「だってお前、普通に声も高いじゃん。普通に妹と入れ替わられてもわかる気しないんだよ」
「あのさぁ…ま、あってるから何も言えないんだけど…」
実際に一度だけ入れ替わって騙したこともある。そのときはバレたら死ぬようなものだ、妹が頑張っていたことだけは覚えている。
「あとさ、噂についても気になるんだよ。あることないこと多そうでさ」
こっちと話しながらスマホを見せてくる。中に入っていたのはまとめられた噂。犯罪をどれだけしたかとか不良をどれだけ返り討ちにしたかとかのくだらない噂ばかりだ。
最後に細かくはわからないが『SCP-3135』とかなんとか書かれてある。正直こいつのオカルトは聞くだけで頭がこんがらがるのだ。
「不良との集団戦は確実に合ってる。援交の噂は二人とも嘘。…病院送りにするとき相手をお姫さま抱っこしたのは本当だな」
「お前なんなんだよ…?」
妹の見本になるような行動を最低限やっているだけに過ぎない。少々行動が荒っぽいものの、人を助けるという必要最低限くらいは学んでいる…はず。
「あ、でもこれだけは違うな」
正直根も葉もない噂ばかりだが、一つだけ真実が混じっている。なんでこういうベタな噂になるようなものが過去になるんだか。
指を指した一文を目の前のクラスメイトは呆れたように苦笑いを浮かべ、茶化すような声でこちらにツッコミを入れてくる。
「『姉は人を100人殺したことがある』…いやいや、流石に違うだろ?」
「そうだよ」
肯定の意味を込め、くだらない噂の真実を正す。確かに人を殺すときに100人なんぞ一々数えているような人間がいれば、それはもう見殺しにし過ぎだろう。
「俺が殺したのは…一度だけだ」
罪人の告白を聞く聴衆の視線のごとく突き刺さる太陽の光。
濁り切った深い海の底に溺れていく心には似合わない
俺にはどうも。
人を殺したことは受け止めきれなかったのだ。