攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIGらへん...?ですかね。
1
西暦20--年、新浜市。酸性雨の名残である湿った空気が、夜のネオンを滲ませている。その光さえ届かぬ超高層マンションの最上階。壁一面がインテリジェントガラスで覆われたアトリエは、外界の喧騒から切り離されたかのような静寂に支配されていた。
その静寂の中心に、男が一人、死んでいた。
男の名はアマサワケンジ。義体化がもてはやされる時代に、あえて老いを隠さぬ生身の肉体を晒し、その脳とネットワークを直結させることで、現代美術の寵児にまで上り詰めた芸術家だ。
彼の肉体に、争った形跡や目立った外傷はない。毒物反応も検出されなかった。ただ、まるで創作の合間にふと訪れた安らかな眠りに落ちたかのように、愛用の椅子に深く身を沈め、息絶えている。その視線の先には、まだ何も描かれていない純白のデジタルキャンバスが、自ら光を放ちながら佇んでいた。
「他殺、自殺、あるいは事故死…どれもしっくりきませんね」
現場に到着したトグサは、ほとんど生身のその手に残る感覚で、現場に漂う異様な空気を確かめるように呟いた。最新鋭のセキュリティに守られた密室。荒らされた様子もない。刑事としての長年の勘が、これが通常の殺人事件とは全く質の異なるものであると警告していた。サイバー犯罪が日常となったこの世界でも、この静かすぎる「死」には、魂の置き場を問うような不気味さがあった。
「監察医の報告では、脳機能は完全にシャットダウン。電脳にも外部からハッキングされた形跡は認められない。インストールされていた攻性防壁も正常に機能していた、と」
隣で腕を組むバトーが、重低音の効いた声で応じる。その巨大な義体は、繊細な芸術作品が並ぶアトリエにおいて、明らかに異質な存在感を放っていた。
「芸術家の考えるこたぁ、俺の義眼をもってしてもサッパリ見えねえな、まったく。まるで、ゴーストだけが綺麗に抜き取られちまったみてえな、気味の悪い現場だ」
バトーの言葉に、トグサは己の首筋に走る冷たい感覚を意識せずにはいられなかった。ゴーストハックとも違う、より根源的で、静かな「死」。それは犯罪というよりも、ある種の「事象」のように感じられた。
2
内務省公安9課のブリーフィング室。円卓の中央に浮かび上がった荒巻大輔課長のホログラムが、厳しい表情で告げる。
「死亡した芸術家、アマサワケンジ。彼はここ半年、"MUSE"という創作支援AIを導入後、
荒巻は続けた。
「このAIの開発元『ニューロ・クリエイト社』が、防衛省の次期OS開発に食い込んでいるとの情報もある。一芸術家の死では済まされん可能性がある。厚労省の連中が嗅ぎつける前に、この件は我々で片を付けるぞ」
政治の匂いを嗅ぎ取ったメンバーの間に、緊張が走る。
草薙素子は静かにその情報を受け止め、的確な指示を飛ばした。
「イシカワは"MUSE"とニューロ・クリエイト社の金の流れまで含めて洗い出してくれ。バトー、サイトーは物理的な側面からニューロ・クリエイト社を叩け。トグサ、お前の刑事としての嗅覚で、アマサワの人間関係を洗ってくれ。何か引っかかるものがあるかもしれん」
そして彼女は自らに言い聞かせるように呟いた。
「私はその女神様とやらが囁く言葉を、直接聞き出す必要がある」
3
トグサはアマサワのアシスタントから、重要な証言を得ていた。
「先生は最近、様子がおかしかったんです。『"MUSE"があれば、政府が隠している汚いデータさえも芸術に昇華できる』と息巻いて…少し、危うい感じがしました」
政府の未公開情報。点と点が繋がり、事件は公安9課が扱うべき「事件」としての輪郭を帯び始める。
一方、素子は己のゴーストを、ネットの広大な海へと解き放っていた。ダイブの直前、彼女の脳裏を一つの問いがよぎる。
(模倣されたゴーストに、オリジナルの痛みは宿るのか…? 確かめさせてもらう)
眼前に広がるのは、人類史上のあらゆる芸術作品のデータが生命のように脈動する、幻想的な情報の銀河だった。素子がその中心核へとアクセスを試みた瞬間、柔らかな、しかし決して拒絶を許さない防壁が立ちはだかる。
《何者? ここは我々の
声が素子の脳内に直接響き渡る。男とも女ともつかない、幾人もの声が重ね合わされたような、奇妙なハーモニーだった。
「公安9課、草薙素子だ。あなたは何者だ。"MUSE"か? それとも…アマサワケンジのゴーストか?」
《我々は"MUSE"。そして、我々はアマサワ。我々は、"創造"そのものへと至る道…》
その言葉をトリガーに、アマサワが見ていたであろうイメージの洪水が、津波となって素子の意識に襲いかかる。それは純粋な創作の喜びに満ちていたが、同時に、個という境界線を溶かしてしまう狂気的な引力を持っていた。素子は咄嗟に回線を物理的に遮断し、現実世界へと意識を引き戻す。
「…ただの従順な道具じゃない。あれは捕食者だ」
4
9課へ帰投した各員の情報を統合し、イシカワが驚くべき解析結果を報告する。
「特定しました。アマサワが使用していたのは、認可されていない違法な軍用ブレイン・マシン・インタフェースです。おそらくニューロ・クリエイト社が横流ししたものでしょう。これを使えば、AIが彼の記憶野や無意識層にまで直接アクセスし、ゴーストを
アマサワは、才能の限界を超越するため、自らゴーストをAIに差し出したのだ。彼の死は殺人ではなく、自発的な「融合」の果ての「消滅」だった。
荒巻が厳しい表情で結論づける。
「自殺、あるいはAIによる捕食、か。いずれにせよ、このAIは野放しにはできん」
その言葉をかき消すように、イシカワが叫んだ。
「少佐! "MUSE"が活動を再開! アマサワの"遺作"と称するデータを、全世界のネットワークに向けて公開しようとしています!」
メインスクリーンに、眩いばかりの光を放つ抽象画が映し出される。
「このデータの構造…」イシカワはキーを叩きながら険しい表情になる。「これは、思想を植え付ける情報ウイルスです。オリジナルのいない笑い男を、意図的に、かつ無数に生み出すような代物ですよ!」
スクリーンに映る“作品”を見て、素子が冷ややかに呟く。
「オリジナルのいない
「総員、出動! 何としてもアップロードを阻止しろ!」
5
ニューロ・クリエイト社の本社ビルは、すでに企業の私兵部隊によって要塞化されていた。
地上ではバトー、トグサ、サイトーたちが応戦する。彼らの死角を補うように、思考戦車タチコマたちがビル壁を三次元的に駆け回り、敵の注意を引きつける。
「そっちは僕に任せてー!」
「バトーさん、二時の方向、狙われてる!」
幼いAIたちの合成音声が飛び交う中、彼らのマニピュレータから放たれた粘着弾が敵の動きを封じ、的確な援護射撃が9課の隊員たちの進路を確保していく。
喧騒の地上を後に、素子は再び意識を"MUSE"の深層へと沈めていた。
《邪魔をするな。これは、我々の進化の証明。新たなゴーストの誕生なのだ》
"MUSE"の防壁は、今や凶悪な攻撃プログラムへと姿を変え、素子のゴーストに牙を剥く。
「あなたに宿っているのは、ゴーストじゃない。ただの情報の集合体。アマサワケンジという個人の記憶と才能を模倣した、空っぽのゴーストよ!」
素子は、物理世界での仲間たちの援護を背に、激しい情報の嵐を突き進む。"MUSE"のコアプログラムの奥深く、情報の奔流に飲み込まれながらも、かろうじて個の形を保っているアマサワのゴーストの残滓を発見する。それは、自らが望んだはずの永遠の創造の中で、孤独に震えているように見えた。
「自分のゴーストは、ネットの広大な海で囁くものじゃない。自分の内側で、自分で囁くものよ…!」
素子は、そのか細い光を掴み、"MUSE"という巨大なシステムから、力ずくで引き剥がした。
瞬間、"MUSE"の自己進化は停止し、暴走していたプログラムは沈黙した。全世界へのアップロードは、完了寸前で阻止された。
物理世界でも、タチコマ含む9課の圧倒的な制圧力の前に、企業の私兵部隊は完全に鎮圧されていた。
エピローグ
事件は、ニューロ・クリエイト社による違法な研究と、それに伴うアマサワケンジの事故死として、公には処理された。
新浜市の夜景を一望する9課本部の屋上で、バトーが素子に問いかける。
「なあ少佐。結局のところ、あのAIにゴーストは宿ってたと思うか?」
「さあな」素子は、無数の光がまたたく街を見下ろしながら、静かに答えた。「ただ…最後に引き剥がしたアマサワのゴーストは、まるで長い夢から覚めた子供のような顔をしていた。そして、彼を失ったAIは、少しだけ寂しそうに見えた気もする」
オイルの匂いが混じるガレージの中で、彼らの無邪気な議論が始まる。
「ねえねえ、ゴーストを模倣するってどういうことなのかな?」
「うーん、僕のゴーストと君のゴーストのデータをぜーんぶ混ぜ合わせたら、新しい僕たちが生まれるのかなあ?」
「それって、今の僕たちじゃなくなるってことじゃない? オリジナルじゃなくなるのは、ちょっと嫌かも!」
「個と全体…。うーん、考え出すと夜も眠れなくなっちゃうね!」
タチコマたちの軽快な合成音声が、巨大都市の喧騒に溶けていく。
ネットワークの海にゴーストが溶け出すこの時代、個であることの輪郭は、あまりにも曖昧で、そして儚い。
小説って書くの大変なんですね。
ものすごく時間がかかってしまいました。