ヘルシャー帝国の象徴ともいえる帝城は、帝都の内部にありながら堅固な城塞だった。周囲には水生の魔物が放たれた幅二十メートルはある深い堀が存在し、魔法的な処置が施された城壁と共に守りの要となっている。
入り口はただ一つだ。巨大な跳ね橋で通じる正門だけであり、入るには許可書だけではなく詰所で実施される厳しい検査を突破する必要がある。下手なことをすれば堀の中に真っ逆さまとなり、魔物に喰われて白骨化することになるだろう。
そして、ハジメ達は光輝ら勇者パーティを全面に押し出す形で入城検査の時を待っていた。許可書などは持っていないが、人類の救世主たる勇者という立場なら何とかなるだろうという考えだ。
「次……見慣れない顔だな……許可証を出してくれ」
やがて、時は来る。門番の兵士は、正装ではなく冒険者のような服装をしている一行に胡乱な目を向けてくるのだが、光輝がステータスプレートを差し出すと……
「いや、許可証はないんですけど、代わりにこれを……」
「は?ステータスプレート?一体……」
その中身を見た門番は、天職の欄にある勇者の文字に目を瞬かせ、何度も光輝の顔とステータスプレートを交互に見る。その門番の様子に、周囲の同僚達が何事かと注目し始めた。
「えっと……勇者……様、ですか?王国に召喚された神の使徒の?」
「あ、はい、そうです。その勇者です。こちらにいるリリアーナ姫と一緒に来たのですが……ちょっと事情があって」
「は、はぁ……」
門番達はざわつく。リリアーナ姫と別行動だったことや、事前連絡の無かったことに彼らは疑問を抱いてしまうが、相手はあの使徒である。とりあえず、上に取り次いでくれることになった。
詰所にある待合室で待たされること十五分。跳ね橋の方からドタドタと足音が聞こえはじめる。
「こちらに勇者殿一行が来ていると聞いたが……貴方達が?」
「あ、はい、そうです。俺達です」
そう言って姿を見せたのは、一際大柄な帝国兵で装備も豪華であり、周囲の帝国兵の態度からも上の地位にあるのだろう。彼は光輝をジロジロと見てステータスプレートを確認し、やがて一行に目を向けた。
その過程でシアにも目が行くのだが、彼は大きく目を見開くと、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべる。その嫌な目線を受けたシアは、僅かに身じろいだ。
「確認しました。自分は、第三連隊隊長のグリッド・ハーフ。既に、勇者御一行が来られたことはリリアーナ姫の耳にも入っており、お部屋でお待ちです。部下に案内させましょう。ところで、勇者殿、その兎人族は?それは奴隷の首輪ではないでしょう?」
「え? いや、彼女は……」
光輝は返答に困ってしまった。奴隷ではないことは一目瞭然であり、ハジメの恋人であることを断言するにしても、亜人差別の総本山とも言える帝国で公言するのは不味いのだから。
やがて、答えを得られないと判断したのか、グリッドと名乗った男はシアに視線を向けると、とある質問をした。
「よぉ、ウサギの嬢ちゃん。ちょっと聞きてぇんだけどよ……俺の部下はどうしたんだ?」
「部下?……っ…あなたは……」
グリッドから発せられた唐突な質問。最初は何を聞かれているのか理解できなかったが、すぐに察した。
樹海から出たばかりのハウリア族を散々追い詰め、シアの家族を何人も殺し、攫って奴隷にし、ライセン大峡谷まで追い詰めた帝国の部隊。その隊長こそが、目の前の男なのだ。
「おかしいよな?俺の部下は誰一人戻って来なかったってぇのに、何で、お前は生きていて、こんな場所にいるんだ?あぁ?」
グリッドはシアにジリジリと迫り、ならず者のチンピラのように恫喝する。彼は連隊長という立場から現場にはいなかったが、珍しい青色がかった白髪の兎人族がいるという報告を受けていたことから、覚えていたらしい。
シアはガン詰めされてしまうが、神殿騎士から酷い差別を受けたウルでの一件で慣れたものだ。さらに、王都で魔人族の大軍を相手に大立ち回りを繰り広げたこともあり、チンピラ紛いの恫喝程度では怯むことはない。
彼女は気圧されるどころか、背筋を伸ばして真正面からグリッドを見据え、思わず足を止めた彼に向けて言い放った。
「あの人達ですか?よく分からないですけど、何故か死んでましたよ。魔物にでもやられたんじゃないですかね?あと、私のことであなたに答えることなんて何一つありません」
「……随分と調子に乗ったこと言うじゃねぇか。あぁ?勇者殿一行と一緒にいるから大丈夫だとでも思ってんのか?奴隷ですらないなら、どうせその体で媚でも売ってんだろ?売女如きが、舐めた口を利いてんじゃねぇぞ」
グリッドは剣呑に目を細め、脅すようにそんなことを言うが、彼の存在はシアの眼中にない。視線を向けておらず、空気のように扱っていた。むしろ、売女呼ばわりに他の女性陣が怒りを目に宿して睨んでいた。
自身に向けられる女性陣の眼差しを受け、流石に不味いと思ったのかグリッドは誤魔化すように笑いながら、光輝に提案した。
「申し訳ありませんがね、勇者殿。この兎人族は二ヶ月ほど前に行方不明になった部下達について何か知っているようでして、引渡し願えませんかね? 兎人族の女が必要なら、他を用意させますんで、ここは一つ……」
「話はここで終わりだ」
しかし、グリッドが言い終わる前に冷酷な声が割り込んできた。邪魔されたことにグリッドが怒りの表情を浮かべながら視線を向けると、そこには鋭い目線を向けるハジメがいた。
「なに……」
「お前の部下達は何者かによって殺された。それがただ一つの事実だ。これ以上、お前の我儘に付き合うつもりはない」
「我儘……だと……!?」
「部下のことが悔しいのは分かるが、弱そうに見えた相手に当たり散らすのはやめろ。惨めに見えるぞ」
「……っ」
図星だったのか、グリッドはそれ以上何も言わなかった。帝国の連隊長という立場でありながら、私情に任せて一人の兎人族を相手に当たり散らすのは不味いと思ったらしい。彼は部下に命じて、勇者一行を案内させた。
リリアーナ王女と再会してからが大変だった。昨晩の騒動において裏で糸を引いているのはハジメなのではないかと追及されたのだ。彼女は帝国との協議で多忙であり、そんな中に厄介事を持ち込んで来たハジメ達に怒っていた。
「ナグモさん、樹海で何があったのですか?昨晩の騒動は何なのです?そろそろ、ガハルド陛下から謁見の呼び出しがかかるはずです。口裏を合わせる為にも無理を言って先に会う時間を作ってもらったのですから、最低限のことは教えてもらいたいのですが……」
「すまないが、機密事項にあたるので教えられることは限られている。あの騒動は必要なことだった……とだけ言っておこう」
「もしかして、帝国を相手に何か行動を起こすつもりですか?」
「俺達はもう何もしない。これから起こるであろうことにも一切関与はしないと約束しよう」
「もう……分かりました、庇ってあげられるのは今回だけですよ?」
リリアーナはこれ以上、追及しなかった。願わくば、帝国が地図から消えたり自分達に災厄が降りかかったりしないでくれと思うのだった。
「ところで、帝国側にはどこまで伝えた?」
「一応、教会の末路と神の真実についても、陛下にはお伝えしています。特に動揺する様子はありませんでした」
さらに、リリアーナから聞き出してみると、彼女はすでにガハルドに対してトータスの真実や王都襲撃の顛末に至るまでの全てを話したようだ。
流石は実力主義の国のトップなのか、神が狂っていようが関係ないらしく、これまで通りに弱肉強食でやっていくと不敵に笑ったそうだ。
また、ハジメのことも話されている。ハジメ達は王都を守った立役者として陛下から認識されており、魔人族を撃退した方法やたった数日で帝都にリリアーナを送り届けたであろう方法について興味を持たれているようだった。
ある程度、帝国側との協議内容について聞いたところで部屋の扉がノックされた。時間切れらしく、ハジメ達はガハルドの待つ部屋へと入った。
そこは、三十人程は座れるような長テーブルが置かれた簡素な部屋だった。上座の位置には当然ながら、ヘルシャー帝国皇帝ガハルド・D・ヘルシャーがおり、頰杖をついて不敵な笑みを浮かべている。
彼の背後には明らかに手練れな二人の護衛がいるのが見える。それだけではなく、壁の裏や天井裏、閉まった扉の外にも気配が感じられた。
「お前が、ハジメ・ナグモか?」
部屋に入った瞬間、真っ先にそんなことを言いながら、ガハルドは鋭い眼光をハジメに向けてプレッシャーを放ってくる。
強者こそ正義という弱肉強食の帝国を束ねる男なのは間違いなく、その威圧はただならぬものだ。リリアーナは勿論のこと、光輝達も思わず後退りしてしまった。
しかし、その威圧に動じない者達もいる。大迷宮の攻略者たるハジメ、ユエ、シア、ティオ、香織、幸利は平然としていた。そんな様子を見て気に入ったのか、ガハルドは口元を吊り上げた。
「ええ、勿論です。お目にかかれて光栄です、皇帝陛下」
「くく、礼儀が分かってるじゃねえか。だがな、俺は堅苦しいのが嫌いなんだ。普段通りに話してくれて構わん」
「分かった。多少は崩した言葉を使わせてもらう」
あまり敬語を使わないハジメだが、流石に相手が国のトップであれば礼節は弁える。今後のことを考えると、この対応は妥当だろう。
やがて全員が着席するのだが、ようやくハジメから外されたガハルドの視線が他の者達にも向けられる。最終的に彼は雫に目を向け、楽しげな笑みを浮かべた。
「シズク、久しいな。俺の妻になる決心は付いたか?」
「前言を撤回する気は全くありません。陛下の申し出はお断りさせて頂きます」
「つれないな。だが、そうでなくては面白くない。その澄まし顔が俺への慕情で赤く染まる日が楽しみだ」
「そんな日は永遠に来ませんよ。何故なら、もう私には心に決めた相手がいますので」
「相手だと?一体、そいつは誰なんだ?」
ガハルドはその相手に関心を持った。さぞ、雫が惚れてしまう程の戦闘者なのだろうと。嫉妬とかそういったものはなく、単に興味があるだけだ。
「彼女に手を出すのは止めてもらおうか」
「ほう、お前が……その纏っている空気、普通の人間ではないな……勝てる気がしねえ。お前の名は何と言う?」
「幸利だ」
「ユキトシか、覚えたぞ。ところで、シズクのことはもう抱いたのか?」
ガハルドは鋭い眼差しを幸利に向け、真剣な表情でそんな質問を投げかけた。
「「「「ぶふぅーー!?」」」」
真剣な表情でとんでもないことを尋ねてきたので、雫を含めた数人が吹き出してしまう。護衛の男達も頭を抱えていた。
「ちょっ、陛下!いきなり何をっ……」
「シズク、お前は黙っていろ。俺は、この男に聞いてんだよ」
「まあ、いずれは……」
「清水くん!?その、私は……嫌というわけじゃないけど……こ、心の準備が……」
ガハルドと幸利のやり取りに、雫が顔を真っ赤にしてしまう。しどろもどろになってしまい、その様子をガハルドがニヤニヤとして見ていた。
「これはいいものが見れた。だが、これはあくまで余興だ。本題は南雲ハジメ、お前とその仲間達の力についてだ」
ガハルドの雰囲気がガラリと変わる。纏っていた覇気をそのままに、ふざけた雰囲気を脱ぎ捨てて抜き身の刃のような鋭さを放ち始めた。そして、ハジメ達との謁見の時間をとった最大の理由に切り込んだ。
「リリアーナ姫からある程度は聞いている。お前は異世界由来の強力な力を持つ大迷宮攻略者であり、そこで得た力でアーティファクトを創り出せると……」
「ああ」
「お前の持つ力とアーティファクトがあれば、魔人族の軍勢や最近現れた謎の化け物を一蹴できると……?」
「否定はしない」
「そして、その力やアーティファクトを王国や帝国のために使うつもりはないと?」
「そうだ」
「ふん、一個人がそれだけの力を独占か……そんなことが許されるとでも?」
「圧力に屈することはない」
その瞬間、帝王の覇気が更に強くなり、その背後にいる護衛も殺気を放ち始める。奇襲のつもりなのか周囲に隠れている者達の気配が薄くなり、一触即発の状態になった。
緊迫する空気にリリアーナが動けなくなり、光輝達は顔を強張らせて臨戦態勢をとる。しかし、ハジメは平然と立ち上がると右腕をはね上げてガハルドに向けた。
「流石は皇帝といったところか」
ハジメの右腕が光を纏い、そこだけアームキャノンへと変化してエネルギーの集束を開始する。やるならやってやるという意思表示だ。
そのまま、ハジメの全身に光は波及していき、肩、胴体、左腕、下半身の順番でパワードスーツへと変わり、最後に頭部が変化すると、バイザーの赤い光がガハルドを射抜いた。
「どうする、続けるか?」
「それが、異世界由来の力ってやつか」
ハジメの視線は周囲に隠れている者達に向けられる。すでに気配で察知していたが、サーモバイザーによる熱源感知で丸見えだった。
「何人も隠れているみたいだな」
「はっはっは、止めだ止めだ!ばっちりバレてやがる。今やり合えば皆殺しにされちまうな!」
ガハルドが豪快に笑いながら、覇気を収めた。それに合わせて周囲の者達も剣呑な空気を収めていく。ハジメもパワードスーツを解除して座り直した。
「随分と楽しそうだな」
「そりゃ、俺は帝国の頭だからな。強い奴を見て心が躍らない方が変だろ?」
「それはそうだな。俺も同じだ」
ハジメもガハルドも戦闘者である。強い存在に心が躍るのは同じであり、立場を抜きにすれば仲良くできそうだと互いに思った。
「で、だ。そちらの聖女殿にも聞きたいことがある」
「何でしょうか?」
すると、急にガハルドの視線が香織に向けられる。
「お前は南雲ハジメと恋仲にあるらしいな」
「はい、そうですけど……」
「関係はどこまで進んだ?」
相変わらずのノンデリセクハラ皇帝である。聖女として名の知れている香織に対してもセクハラ発言をかましてしまった。
「ハジメくんのことなら、抱きましたよ」
「「「「ぶふぅーー!?」」」」
香織の発言に対して、今度はハジメやガハルド、帝国側の人間を含めたこの場の全員が吹き出してしまう。
「まさか、男に抱かれるのではなく男を抱く側かよ……とんでもねえ聖女じゃねえか……」
「その……ベッドの上だとハジメくんは弱いので……この前は二人がかりでやりました」
「南雲ハジメ、強く生きろ……」
香織はそう言って微笑む。香織の生態の一部を知ってガハルドら帝国の人間は完全にドン引きしていた。この生き物が本当に聖女なのだろうかと……
「……と、取り敢えず……お前達のことは理解できたからよしとしよう。ああ、そうだ。今夜はリリアーナ姫の歓迎パーティーを開く。是非、出席してくれ。姫と息子の婚約パーティーも兼ねているからな。神の使徒である勇者一行の祝福は外聞がいい。頼んだぞ?形だけの勇者君?」
その場に爆弾発言だけを残し、ガハルド達は退室する。リリアーナの意思を無視した政略結婚に光輝は憤慨するも、ハジメによって諭されるのであった。