“元”調査兵団第四分隊副長モブリット•バーナー。彼は2025年の日本に、どこにでもいる会社員として生きていた。日本人の両親のもとに生まれ、過去の面影は感じられない。今、彼の手には進撃の巨人21巻がある。
密かに憧れていたループタイをもらう前に死んでしまった。そんな彼が原作完全再現のループタイを自作する話。
鳩の撃退法という作品で「パソコン」ではなく製品名を書いていて、リアルでいいと思ったため、NacだのFINEだの細かい時間などが多めです。でも怖いので一応伏せ字にしました。後読みやすくしてみたつもりです。
少しだけキャラ崩壊するかもしれないです。
『地下室にあったものはなんだ?希望…だったのか?それとも絶望か?』
「はぁ…」
“元”調査兵団第四分隊副長モブリット•バーナー。彼は2025年の日本に、どこにでもいる会社員として生きていた。日本人の両親のもとに生まれ、過去の面影は感じられない。
彼の手には『進撃の巨人』21巻がある。
彼は生まれつき記憶があったわけではない。友人に漫画を勧められた彼は、試しに読んでみた後、あれよあれよとこの作品に夢中になっていた。よくあるファンの熱中ではない。まさに夢の中で見た景色を現実で見たような親近感があったのだ。
最初は2週間に1巻と決めていた。
だが5巻20話で見た人物。名前を知らないけれど、幼い頃の自分の写真を見せられたような感覚があった。それから次第に読み進める手が速くなり、読み始めてから2ヶ月程、ついに自分が死んだであろう部分まで来たのだ。今日は休日だったのだから早く寝て仕事に向けて体を休めなければいけないと思いつつ読み進めた。
今、分隊長、ハンジさんに申し訳ない気持ちと、自分の命を投げうってまで助けることができたという安心感がある。でも、それよりも、ため息と共につぶやいてしまう。
「この、勲章…ループタイ?……いいなぁぁ…」
もちろん分隊長を助けられて嬉しい。光栄におもう。でも彼にも多少なりとも憧れがあったのだ、まだ新兵だった頃から、上官のあのペンダントのような特別な存在を手に入れたかった。
myPhoneのブラウザで『進撃の巨人 ループタイ』と検索してみると緑色のそれの画像が並ぶ。主にエルヴィン団長のトレードマークとなっているようで、『エルヴィンモデルのネックレス』と華奢な金色のネックレスが売られていた。また、23巻の特装版としてリヴァイ兵士長仕様の薄っぺらいクラバットと共に売られていたが、原作とは違い楕円で、金色で、調査兵団のエンブレムがデフォルメされていなかった。それに、なんだこの首の後ろで止める安全パーツは。
彼にも欲がないわけではない。分隊長に振り回されて表に出す間がなかっただけだ。この好奇心のような、探究心とも言えるような興奮は、分隊長譲りのものなのだろうか。もう一度21巻をめくり、目的のページで付箋を挟む。
部屋を見回す。少し探ると探していたものが見つかった。机の上のNacBookをどかしてA4のコピー紙をおく。シャープペンの芯を出して紙にペンを走らせる。
『進撃の巨人のループタイを再現する』
一度、手を止めてmyPhoneを持つ。時刻は2時36分。眠気はない。明日は会社があるのに、もう寝なければならないとわかっているのに。myPhoneを置き、代わりにシャープペンと21巻を持つ。
枠 銀色 直径2、3㎝
ヒモ 茶or黒? 約100cm
下地 アクリル絵の具
レジン、プラバン白、黒いところは紙を黒く塗る
記憶をたどり、一部は推測で補完しながら横に完成イメージの絵も描いた。枠の大きさと紐の長さは手にループタイを乗せた時の大きさの関係から。初めて描いたはずなのにやけにうまくできた。レジン、プラ板なんて名前しか知らない。友人がよくものづくりに使い、作品の作り方を長々と解説してくれたおかげだ。
空枠と紐はネットで調べたら見つけることができた。早速、当日お急ぎ便で注文した頃には、東の空が白む気配が見えていた。
眠気と闘いながら充電の乏しいmyPhoneを操作し、会社に「体調が悪く、熱もあるので休む」という旨を送信する。myPhoneの充電が切れると同時に意識も切れた。
***
顔に当たる暖かな日差しで、彼は目覚めた。壁掛け時計は11時過ぎを指している。体を起こすと、頭が酷く痛んだ。顔を洗い、冷蔵庫の冷水を飲むとあるか無きかましになった。
熱もなければ体調も悪くない。社会に出てからは珍しくほぼ完璧な状態だった。それに今日は休みだ。背中を熱いシャワーで流している時思わず鼻歌がでた。
長らく着ていなかったベージュのシャツにゆったりとしたズボンを履いて自室に戻ると、酷く空腹であることに気づいた。確かにもう12時になろうとしている上に、丸一日何も食べていない。キッチンの棚に賞味期限の切れた焼きそばを見つけ、お湯を注ぎ、時間を測ろうとmyPhoneを取りに行ったが、充電が切れていた。充電器を刺して壁掛け時計を見る。
11時43分。
48分ごろにお湯を捨てようと頭に刻み、Nacbookの電源を入れる。会社からの通知を見て思わずため息をつく。一瞬対応しようとしたが手を止め、代わりにNacアプリStoreを開き、FINEをインストールする。
勘で書いたパスワードが通ると、見慣れない比率の見慣れた画面が映し出された。友だちリストから目的のアイコンをクリックしてメッセージを打ち込む。
『お久しぶりです。』
いや違うな、と考えて書き直す。
『突然ごめんね!』
これも違う。backspaceキーを連打する。
なぜだろうか。どうもいい文章が思いつかない。こういう時こそAIの出番だ。ありがたいことに会社が給料を減らしてまで払ってくれているものだ、最大限活用する必要がある。チャットを新規作成し、キーを叩く。
『FINEで送るメッセージを考えてください。彼女は大学時代の友人で、一緒に食事をするような仲です。数ヶ月前に彼女に勧められた、進撃の巨人という漫画に出てくるループタイを作りたいのですが、材料をどこで調達すれば良いかわかりません。彼女はよく色々なものを作っていたのでその方面には詳しいだろうと思い、質問しようと思っています。そのための文を生成していただきたいのです。』
送信するとすぐに文章が出現する。
『これは良いきっかけですね!彼女もきっと喜んで相談に乗ってくれるはずです。
大学時代の友人で、一緒に食事をするような気兼ねない仲とのことですので、親しみを込めた、それでいて要点が伝わるメッセージ案をいくつか提案します。』
そして3種類の絵文字たっぷりの文章が。友人とはそういう関係じゃないと思いながら改善点を送る。
『絵文字を使わずに、もう少し短くしてください。』
『承知いたしました。絵文字を使わず、もう少し短く、要点を絞ったメッセージ案を提案します。』
絵文字がなかったので安心し、片方の文章をコピーし、FINEにペーストする。少し手直し必要な情報を入力し、送信する。
『元気にしてる?前に勧めてくれた『進撃の巨人』、ついに読み始めて今すごくハマってるよ。教えてくれてありがとう!
それで、作中のループタイを自作してみたいんだけど、レジンとアクリル絵の具をどこで揃えたらいいか分からなくて。
手芸に詳しかったから、もし良い店や調達方法を知っていたら教えてもらえないかな?
また近いうちにご飯でも行きたいね。』
やっぱり変な文章だったかな、などと考えながら時計を見ると、時計は12時を回っていた。慌ててキッチンに行き、焼きそばの水を捨てる。明らかに太くなっている麺にソースをかけると食欲をそそる濃い香りが立ち上る。Nacの前に戻ると、もう既読が付いていた。間も無く返信も来た。
『わあ!ハマってくれるとは!』
『嬉しい!』
『あの漫画は本当にすごいよね!』
『何か込み上げてくるものがあるというか』
『でもなんか』
『文章変じゃない?』
『AIでも使ったの』
『?』
友人は短文を連投するタイプだ。それを眺めながら焼きそばを頬張る。溢れる唾液とソースが混ざり合い、舌が喜びで震えている。胃も食物を渇望している。
『じゃあちょっ』
『と聞いてほしいんだけど』
『レイスのキョジンおるでうそ』
『いるでしょ』
『誤字した』
『壁から体を出すところで』
『内臓が見える』
『でも巨人って消化しないよね』
『強いていえば』
『胃液くらい』
『なんで』
『腸まであるんだろう』
『原作もさ』
『消滅しちゃう』
『から見れなくて』
『どう思う?』
焼きそばを咀嚼しながら返答する。
『人間が中に入っているから、その体の構造をもとに巨人の体を作っているのでは?』
『あー』
『まだ最終巻まで読んでいないのでよくわからないけれど』
『確かにそうかもしれない!』
『それより材料の入手場所を教えてほしい』
『ああごめん』
『安いのでよければ』
『100均で売ってる』
『量も少ないからちょうどいい』
『いいやつは専門店とかなら』
『スタッフにも聞ける』
『レジン使うならUVライトもいる』
『全部100均でそろうよ』
『ありがとう』
礼をしている鳥のスタンプを送信後、また考察が送られてくる前にNacを閉じる。
myPhoneはすっかり元気になり、現在時刻を知らせていた。
GoogloMapで『100均』で検索すると、近くの駅の隣にあると知った。冷えた焼きそばをかきこみ、myPhoneを持って玄関に向かった。
スニーカーも最近はずっと靴箱の奥に眠ったままだった。いつもの押し込めるような固い靴とは違う。
外は心地よく晴れ、遠い空にはほつほつと雲が整列していた。
通勤ラッシュ外の道には人はまばらで、枝が切られたばかりの木からつくつく法師が主張するのを聞きながらのんびりと歩いていると、心が洗われるようだった。
時々すれ違うスーツ姿の社会人を見ると焦る気持ちもある、が、今日は絶対に働かない。あとで上司からなぜなぜラッシュを食らおうが同僚から嫌味を言われようが今日の自分には知ったこったない。
どうしても焦燥感が焼きそばと結託して胃を痛めつけ、それを振り払うのでうだうだした気分に陥るのはやはりどうしようもない。
今まであまり意識したことがなかったが、100均ショップは本当に駅の隣にあった。それに仕事終わりに何度かスナックを買うために寄ったことがあるが、100均であることに気づいていなかった。
しばらく店内をぶらぶらした後、目的を忘れていたことを思い出した。myPhoneでFINEを開き、友人のトークルームを見ると、1人で語っていた痕跡があった。myPhoneをポケットにしまい、代わりにメモを取り出す。
ループタイ
☑︎台座
☑︎紐
◻︎レジン 緑
◻︎アクリル絵の具 緑
◻︎白プラバン
UVライト
計画書を書いたとき、ついでに書いた買い物メモだ。
レジンなどは全てハンドメイドコーナーにあるだろう。上を見ながら『ハンドメイド』の看板を探し、棚に滑りこむ。ガタイのいい男が平日の真っ昼間にハンドメイドコーナーで商品を見ているのが珍しいのか、背中に視線を感じながら商品を眺める。
レジン、アクリル絵の具、プラ板を見つけ、買い物かごに入れる。
しかし、UVライトが見つからない。近くにいた店員に声をかける。
「すみません」
「はい!」
「UVライトって…、どこにありますか?」
「ご案内しますねー!」
快活な店員が案内したのは化粧品コーナーだった。横にはネイルの小瓶が並んでいる。UVライトはジェルネイルか何かを硬化するためにも使うそうだ。
UVライトをかごに放り込んだ時に、アクリル絵の具用の筆を忘れていたことに気づき、それも手に入れた。
レジの隣には菓子が並んでいる。いつのまにか15円になっているうまか棒のコーンポタージュ味をついでにかごに放り込み、セルフレジで会計をする。
セルフレジといえば、少し前にテレビで、セルフレジを利用した窃盗が多発していると聞いた。ご丁寧にその方法まで説明した上で、最近は店員が目を光らせていると言っていた。そのせいで何もしていないはずなのになぜか少し緊張する。
店を出ると、ちょうど目の前を新社会人であろう、スーツ姿の集団が通って行った。彼らも同じように毎日忙しく会社に通っているはずに、学生の部活帰りのようにはしゃいでいた。
一般的には働いている人間より今日休みの人間の方がよい状態にあるとされているようで、過ごし方は人それぞれだ。
少し羨ましさを感じた。
でも、こんなにも穏やかな一日を過ごせたのはいつぶりだろうか。穏やかだけれど、少しウキウキする日。こんな日は美味しいものを食べるに限る。
それなりにサイズの大きい駅には飲食店がある。エスカレーターで登ってすぐに緑地に赤文字で書かれたレストランの看板が目に飛び込んできた。洋風ないい香りがする。吸い込まれるように中に入る。
「いらっしゃいませーお好きな席へどうぞー」
よく通る声の店員の方へ軽く頭を下げ、席に座る。縦長のメニューを手に取り、めくる。あたたかで美味しそうな料理の写真が並ぶ。が、見るだけで腸が変なふうによじれる感覚がある。どうしても油っぽいものは受け付けない。ページを戻り、ほうれん草のソテーとミネストローネ、そしてフォッカチオと言うパンの注文番号をテーブルの紙に記入する。コロナの後からだったか、人とあまり話さず注文できる設備のある店が増えたと思う。
店内の賑やかな喧騒を聞きながらソファに身を預け、メニューをゆっくりと眺めていると、両手に皿を乗せた店員が料理を運んできた。まずフォッカチオが、直後にミネストローネが、フォッカチオを千切って二口食べたところでほうれん草のソテーがやってきた。
ミネストローネをスプーンで掬って口に入れると、スプーンのヒヤリとした感触と共にあたたかな液体が流れ込んでくる。トマトの軽やかな風味の中に、さまざまな野菜が染み込んでいて、舌を心地よい気持ちにさせるこの味は、どこか懐かしさを感じる。これよりもずっと質素だが、壁の中にいた頃、似たようなものを食べたことがあるようだ。さまざまな野菜を煮込み、少しだけ干し肉を浮かべた、幼少期のご馳走だった。
少しミネストローネの味に慣れた頃にほうれん草のソテーの苦味を感じ、水と共にパンを齧り、またトマトの風味を愉しむ。横を子供がガチャコインを握りしめて走っていったと思えば、その小さな手には大きく見えるガチャガチャのカプセルを持って笑顔で母を呼びながら戻っていく。
胃が満たされ、心も穏やかな気持ちで満たされ、値段をみる。たったの650円。1000円札を出してもお釣りが来る。
とても良い気分で変わり始めた空の色を眺めながら帰ると、大きめの茶色の封筒がポストに入っていた。品名は『カラワク・ループタイ』。驚いたことに、もう台座が届いていた。
これで材料が揃った。今晩にも作り始められる。
しかし今日はとても疲れた。頭の奥がどこかスッキリしないいつもの状態ではなく、紙の上に載せる重石のように落ち着いた疲れだ。体がとろける。
夜風で軽く冷えた体を温め、部屋に戻るとやかましくmyPhoneが鳴っていた。友人からのFINEだ。
『前さ』
『今度会おうって』
『送ってくれたよね』
『来週の』
『夜だったら空いてるから』
『毎日』
『いつ空いてる?』
『どこ行く』
『?』
などと続いている。開いてもまだ店の候補が送られてくる。その勢いに気圧されつつも返信をする。
『水曜日が休日だからその日なら』
『水曜日』
『OK』
『じゃあ』
『さっきの店は空いてないや』
『どこがいい?』
『じゃあ駅前に良いお店があるからそこでどう?』
『いいね』
『何時に会う?』
『5時から』
『空いてるよ』
『じゃあ5時にここで』
GoogloMapのスクリーンショットを送ると、myPhoneとモバイルバッテリーに充電ケーブルを刺すと、ベッドに倒れこみ、気を失うように眠りについた。
***
数日が過ぎ、水曜日になった。元々は思い立ったあの日に完成させるつもりだった。しかしお急ぎ便を使ってもその日のうちに完成させるなら、電話の心配もしない休日なのにわざわざ体に鞭打ち眠気を殺し作業しなければならない。
この数日、なかなか進まない毎日にやきもきしながら過ごした。いつものように始まって、半分過ぎて、終わる毎日なのに、その毎日がなかなか過ぎない多いものに感じた。1日はいつもの長さなのに、同じ1週間が8日あるように思えた。
しかし今日は、待ちに待った休日だ。5時から友人に会える。大学の頃からだからそう長くはない付き合い、どうせすぐなくなるであろう繋がりだと思っていたが、思いの外ずっと、長い付き合いのように、こうして年に一度会っている。
友人に会うのは5時、駅前のドーナツショップだ。ポンデリングが美味しいので、早く退社できた仕事帰りには毎回寄っている。
友人に会う前にループタイを完成させたい。
なぜかずっと置きっぱなしになっていた1年前の新聞を広げ、その上に裏が白いパチンコの広告を敷き、その上に材料を出していく。紐を外した台座、緑のアクリル絵の具、筆、白いプラ板、紙、ネームペン、緑色のレジン、そしてUVライト。ハサミも必要だ。UVライトはACアダプタに繋いで使うので、コンセントの周辺でやらなければならない。
まず、アクリル絵の具を開け、少しだけチラシの上に出してみる。とても良い色をしていた。それを筆でならしてとり、慎重に金属の台座の上に滑らせると、美しい緑の斬撃が引かれる。側面につかないように注意しながら均一に塗り、むらのないことを確認するとそっと床に置いた。
次に調査兵団のシンボルである自由の翼のパーツを作る。アニメや特装版の特典では正式な形に近いが、原作では平行四辺形を並べたような形になっている。技術の都合もあるが、原作の方を再現したい。原作でのループタイの羽パーツの枚数は、黒の方は誤魔化されておりあまりよくわからない。しかし白側が3×4枚なので同じようになっているのだろう。それを再現できることが一番よいものだが、そのままやると1パーツが非常に小さくなってしまい、成功率が下がるので、不本意ながら苦渋の選択をした。
紙に必要な分だけ黒く塗ったものと、買った白いプラ板を、それぞれハサミで細かく切り、均等に斜めに切っていく。これで完成だ。小さく、特に黒く塗った紙の方はインクが乾き切っていないので指にしつこくくっついてくる。インクうつりにも気をつけなければならなかった。
乾くのを待つ間に、UVライトの包装を剥がす。中に針金が入っているのか曲がるようになっている。コンセントにACアダプタを刺し、そこにUVライトも刺すと紫の光が点灯した。
台座の表面を指の腹で軽く触れてみると、既に十分に乾いていた。一度床に置き直し、レジンの蓋を開ける。すぐに中身が出てきてしまったので慌てて台座に流す。うまく薄く広がったが、少し気泡が入ってしまっている。こういうのは爪楊枝でつつくとよいだろうと思い、コンビニでもらった箸の中の爪楊枝で気泡を触ってみる。気泡は右に左に逃げ、思うように潰せない。枠の端に追い詰め、ようやく空気中に出すことができた。
レジンの硬化時間は数分かかるそうだ。2〜3分と書かれているものが多い。適当に1曲分にしようと決める。
「アルクサ、音楽かけて」
「はい、あなただけのカスタムミックスを再生します」
スマートスピーカーから流行りの曲がかかり始める。ただ待つのは時間がかかるが、何か加わると途端に素晴らしい時間となることがある。
紫色の光にに照らされ眩しく艶ついている台座内のレジンを眺めているうちに間奏に入ったので少し台座を傾けてみる。驚いたことに既に流れない。もう一度レジンを流し、もう一度固めるか少し思案する。しかし早く自由の翼の紋を浮かび上がらせたいと言う欲求に駆られた。
つまんでもうまく扱えないのはもうわかっているので、先程レジンの気泡を突いた爪楊枝で触れてみると、レジンがうまい接着剤となって拾い上げることができた。台座内のレジンに沈めると容易に離せられる。角度を間違えないようにしなければならないので、何度も裏の金具の位置を確認した。
黒のパーツを置いた後に、白のパーツを重ねていく。レジンが流れるせいで、今まで置いたパーツがずれていく。それを突いて修正していると、紙を黒く染めていたネームペンのインクが染み出し、線を描き始めていた。慌ててつつくのをやめて硬化させる。幸い背景に馴染み、被害はないように見えた。
パーツが固定された。あとは枠をレジンで満たしていくだけだ。表面におかしな緩急がないように、中心に行くにつれ緩やかな膨らみを持たせるように、そして気泡も入らないように、丁寧にレジンを重ねていく。透明のレジンを買わず、緑色のレジンを重ねていくことに不安はあったが、むしろ目立ちすぎない、落ち着いた色合いになった。
硬化は早いが、表面がベタつかないようになるには多少時間がかかるようだった。3曲ほど聞いて、もう良いだろうと爪楊枝で触るとまだ跡がつき、慌ててレジンを乗せて再硬化させた。今度は目立たない部分をそっと触り、それでも一応、UVライトで照らしたまま放置した。
久しぶりに会うのだから、あんまりおかしな格好では行けないだろう。クローゼットを漁ると、深い青緑色のニットベストが出てきた。いつ買ったものかもわからない上に、なんとも言えない変な色をしているが、どこか馴染みを感じ、白のシャツの上に着る。
今日は一応休みだが、部下からの電話は絶え間なくmyPhoneを振動させる。それに対応しては、Nacを操作する時間を過ごし、気づいたら4時を回っていた。慌ててNacを閉じて、myPhoneの充電を確認するとジーンズの後ろポケットにねじ込んだ。ループタイの状態を確認すると、UVライトと共に熱々になっていた。
一応、まだレジンの面には触れないようにして紐を固定する。手の上に乗せてみると、その確かな重みに感動する。しかし長く愉しむ時間はない。紐を頭に掲げたが、何となくまだ首にかけたくない気がしてやめた。代わりにそれをシャツの胸ポケットにそっと入れておく。
朝のニュースで寒気が流れ込むと言っていた外は、一週間前よりずっと寒く感じた。ドアを開けたと同時に吹き抜けた風もあるかもしれない。
駅へと続く一直線の道。向こうに駅の陰に隠れようとしている夕陽が目に吹きつけてくる。最近幹だけになるまで切られた街路樹は隠そうともしてくれない。
ドーナツショップに着いたが、まだ友人の姿は見当たらなかった。待たせていなかったことに安堵しながら列に並ぶ。まだドーナツは手に取らず、店員の前で反射的にコーヒーを頼んだ。
運が良く窓際の、机の端に夕陽のかかる席が空いた。コーヒーのカップを手で包んでいると、手の内側だけ温まる。温まった手で目頭を抑えると、疲れが吸われるようだった。
窓からスーツ姿の人々をみると、憂鬱な気持ちになるとともに面白さも感じた。何か楽しそうに笑いながら歩く3人の女性、電話しながら小走りで通る若い男、同じく電話をしながらなぜか頭を下げ続ける新卒であろう者、昼間から飲んだのか顔の赤い中年の男、朝の通勤中に毎日見かける私服のそばかすの女性、コンビニの唐揚げを頬張る学生、スマホを見ながら歩く人、単語帳を見る高校生、車椅子の人、ランドセルの重そうな小学生、イヤホンの音が洩れていることに気づかない人、近くの高校の制服を着た一団、男、学生、女、なんとも言えない人、集団、人、人、人…。するすると流れ続ける人を頬杖をつきながら眺めると何だか眠くなってくる。
ガラスを叩くコツコツという音で我に帰った。少し寝ていたかもしれない。顔を上げると友人が口角を上げて見つめていた。目が合うと友人は窓の前から去り、すぐに自動ドアから駆け込んできた。
「遅くなってごめんね、ちょっと電車が目の前で行ってしまってさ」
店の時計は5時27分を指していた。
「待ってたよね」
「いや、こっちも寝てた、と思うよ」
「確かにねー、かなりぐっすりだったよ」
友人は寝顔を思い出したのかクスッと笑った。
「あ、買いに行く?ドーナツ」
列に並んでいるあいだ、友人はひっきりなしに話しかけてきた。昔と何も変わらない。
「ドーナツを選ぶだなんて、なんか意外だね?」
「なんでだろう、何となく?」
「疲れてた?脳が糖分を欲しがってたとか」
「ああ、うん、そうかもしれない」
「どれにする?」
一般的な形のドーナツにさまざまなチョコレートがかかったもの、ザクザク食感と謳われる少し形の違うもの、捻れたような形に、期間限定のポップが置かれているもの。
「ポンデリングにするよ」
「ポンデリング?意外なような気がするけどなんか納得するよ!」
「そっちこそ何にするの」
「ええぇー決められないなぁ。なんかいいのない?」
「じゃあ…」
ショーケースの下段に並んだ、幼児の握りこぶしサイズのボール型のドーナツを指す。
「決められないならあれとかどうだろう?ドーナツじゃないかもしれないけど安いし、いろんな味があるからいいんじゃない?」
「へぇ、こんなのあるんだ。じゃあそれにしようかな」
友人は即決して専用の箱を取ると、片っ端から乗せられるだけ乗せていく。初めは雑に、箱から溢れ出したらそっと乗せていた。
「あ、これ8個までだって。そんなに乗せられないみたいだよ」
「個数制限あるの?」
「ほら、新しい箱」
「ありがとうー」
乾いたコーヒーが底に張り付いたコップの代わりに、今度は紅茶を頼んだ。席に着くと友人は、早速ピンク色のボールを一つ口に放り込み、咀嚼し、飲み込んだ。咀嚼が足りなかったのかうまく食道を通らないらしく、渋い顔で紅茶を飲んだ。
「で、ループタイはできたの?」
「一応。今日作ったばかりだからまだつけてはないけど…」
「見せてよ!」
胸ポケットからループタイを引き出し、夕陽を受けてつややかに光る端の丸みを目で追いながら友人に手渡す。友人のループタイを観察する好奇心たっぷりの深い目もまた、同じように輝いていた。
「へぇぇ〜!これかぁ。いいねぇぇ、原作そのまんまだね!」
友人は感嘆の息をもらしながら表面をさまざまな角度から眺めた。
「ねえ、このパーツどうやってるの?」
「こっちは白いプラ板を切ってあって、黒い方は紙を黒く塗ったのを、」
「ループタイの台座ってどこで買ったの?」
「ネットで探したら、」
「ネットであったの!じゃあじゃあ」
「材料とか作り方とかまとめるので今度読んでください…」
「じゃあこれだけ!どうして急にループタイを作りたくなったの?」
「原作の21巻を読んで、…まあ、勲章をもらっているのが羨ましくなったので」
「羨ましい?あはは、面白いこと言うね」
友人は悪戯っぽく笑った。
「じゃあさ、かけてあげようか!ループタイ」
「え?」
「ほら、進撃でもヒストリア女王が9人にループタイつけてあげてたからさぁ。まだつけてないんだよね?うん、そうしよう。今ここでひざまづくことはできないから、頭下げて、ほらほら」
友人に言われるがままに頭を下げる。友人も真剣な面持ちになり、ループタイの紐を緩めると、髪に触れないようにそっと頭に通す。
原作あった通り友人の手にそっと口付けをする間、店の喧騒が消えたように感じた。その束の間の簡素で陳腐な芝居が、とても長く遠い時間のようだった。
「うん、やっぱり似合うね」
友人の声と共にドーナツの香りが戻ってきた。
少しの間、酔ったようなクラクラとした放心状態になった。
「どうしたんだい、そんな顔して」
「いや、なんでもないよ…。ありがとう。ドーナツ食べよう」
ポンデリングを手に取り、一粒もぎ取って口に入れても、友人はずっとこちらを見ていた。気まずさを覚えながら口の中に広がる爽やかな砂糖を味わって、飲み込んだ。気が急いてしまったのか十分にばらけていなかったそれは、先ほどの友人と同じように食道の壁を押し付けながら降りていった。
紅茶のカップを手に取ろうとした時、友人と目が合う。硬直すると、友人が言った。
「でも、ありがとうね」
「え?…あ、ループタイのこと?」
「助けてくれて」
「何が」
「あの時はお礼が言えなかったからさ。大学で会った時からずっと言いたいと思ってたんだ」
友人の目の奥に光を感じる。その胸をくすぐる力に覚えがある。
「久しぶりだね」
「…お久しぶりです、分隊長」