「ハンナさん! 星を見に行きませんか!?」
ある日の、夕食時。
ハンナがおいしくもないご飯を食べていたところ、シェリーからそんな提案が飛んで来た。
正面に座った彼女は、唐突に、前触れも無く、そして割と大声でそんなことを言うものだから、食堂に集まっている人たちの視線を一気に浴びるのを感じていた。
ハンナは人差し指を口の前に添え、暗に『少し声を抑えなさいな』とジェスチャーをするも、シェリーには届いていないようだった。
「ハンナさん!」
「分かりましたから少し声を抑えるということをしたらいかがですの?」
「いやぁ、ハンナさんがぼーっとしてて聞こえてないのかと」
「あなたから言われた事を考えてただけですわ」
そしてスプーンで流動食のような一応主食と思われる物を口に入れて、咀嚼して、飲み込んで。その間に少しだけ考えて、言う。
「星、ですか」
「そうです! 牢屋敷の中庭でもいいんですが、外に出て見上げるのもいいと思いまして!」
机から乗り出すように顔を近づけさせて、言う。きらきらとした目は、シェリーが抑えきれない好奇心を発揮してるときのそれで。抑えきれないと言わんばかりの口の広がりも、それで。
つまりはそれは、ハンナが大好きな、シェリーの表情で。
「ま、まぁ? シェリーさんが行きたいと言うのなら、行ってやってもよろしくてよ?」
そんなシェリーにまっすぐに言うのは恥ずかしくて、周りの目も同様で、遠回しの、裏の裏のような物言いになってしまうのも、自分のいつも通りで。
「決まりですね! では、ご飯を食べたらすぐに出発しましょう!」
シェリーはそう言うなり、ぱくぱくと夕ご飯を勢いよく食べ始めるのを見て。
――星、かぁ。
その後に行われることに、ハンナは思いを馳せるのだった。
その日は、雲が一切無い夜空だった。
夜、寒い日。誰かを抱きしめる。
そんな状況に、ハンナはいい記憶がない。できるのなら、それを追想するような状況からは避けたいとも思っている。
けれど。
「ハンナさん。綺麗ですね!」
野原に寝転がって、その手は大好きな人と繋がれていて。
その温かさが、その優しさが、今がハンナが抱えている記憶とは違うものだと思わせてくれる。
「そう、ですわね」
「推理小説で星座のことを取り上げたものがあって、見てみたかったんですよねー。私が住んでるところはビルとかでうまく見えないんですが、ここなら建物も無いから見放題です!」
シェリーの好奇心は、いつも突然だ。自分がそれに付き合う相手になっていることが、嬉しいと思う。
まして。
――好きな人と、星を見る、かぁ……。
ハンナも、実のところ、『星を見る』という行為には憧れているものがあった。
シェリーとはまた方向性が違うけれど、少女漫画の中で時折、そのようなシーンがあった。
だから、憧れないかと言ったら嘘になるし、自分がもしそうだったなら、と思うことだって多い。
だからある意味では、それが叶った、と言う事で。
夜に、空を見上げている。ただ、それだけ。
たった、それだけのことなのに。
胸が、どうしようも無く、高鳴るのが分かった。
「ちなみに――」
黙っていて、突然声をかけられたらきっと、自分は変な声が出てしまうだろうと思えた。だから自分から声をかけたものの――盛大に上ずった声になってしまった。
「シェ、シェリーさん、星を見ているのはいいですが。どれがどれ、っていうのは分かりますの?」
「分かりません!」
即答だった。
しれっと、けれどはっきりと、シェリーは言った
ハンナが夢見ていた――恋愛小説の中で描かれていた二人は、そこにあるのが何と呼ばれる星座か、という話をよくしていた。ならば、誘ったシェリーにはそういった知識がきっとあるのではないか、そう思えた、のだけれど。
「日本の空であれば、時期的に、どこかに『夏の大三角形』というものがあるらしいんですが、どれがどれなのかはさっぱりです」
竹を割ったような、さっぱりとした言い方だった。
「ここでカッコよく『あそこに見えるのがー』ってできればいいんですけど、星を一緒に見られればそれで私には十分でして。知識を披露できず、すみません」
帽子は地面に落ちていて、空いた頭を掻きながら、シェリーは言う。
別に謝る必要はないと思う。ハンナ自身も、シェリーと一緒に星を見上げられた、というそれだけで、十分に嬉しく思えているのだから。
「ハンナさんこそ、星を見ることで場所と時間が分かったりしません? とあるミステリ小説だと、探偵役がそんな能力を持ってまして」
「んなことできたら苦労しませんわ……。月が見えるので、少なくともここが地球ということは分かりますけど」
「流石ハンナさん! 博識ですね!」
「コイツぜってぇそう思ってねーですわ!」
思わず出てしまったツッコミに、シェリーが声を上げて笑う。釣られて笑いそうになる。
想像してたのに比べて、全然ロマンチックのカケラもないし、場所は牢屋敷だし、自分たちは囚われの身。
自分が知ってるものとは、全然違ったけど。でも、一つだけ。好きな人と星を見られると言うことは叶えられたから。それは嬉しいなと思う。
ハンナは、シェリーと繋いでいる手に力を込める。きゅっと、優しく握り返される感触があった。
力の調整が難しいだとか、そんなことを言っておきながら。手を繋ぐ時の手は、優しくて、温かい。看守から逃げるときや、看守に立ち向かうときの頼もしい手とは、また違う感触があって。
外は少しだけ涼しいけれど。手から感じる温かさのおかげで、寒くもなんともなくて。
胸の中にある、浮かびかけていた嫌な記憶は、シェリーが全部壊してくれたように思えた。
「ハンナさん」
不意に名前を呼ばれるその声色が優しくて、くすぐったくて、胸がほっと温かくなるのを感じる。隣を見る。へにゃりと表情を緩めた人の顔が見える。
「星って、季節によって見え方が違うらしいんですよ」
「……らしい、ですわね。スマホがあれば、詳しいことも分かるんでしょうけど」
「夏頃になったら、また星を見に行きませんか? きっとその時には、また別のものが見えるかも知れないですし」
「夏……」
「はい! 大体、七月くらいでしょうか?」
数ヶ月後の予約を、この人は取り付けてきた。
ほんの数日前に、悲惨な出来事が起きて。二人が牢屋敷から居なくなったというのに。この人は。
お気楽というか、なんというか――――。
「それに、秋の時期と、冬の時期も! あ、冬はちょっと寒いかもしれませんね。その時は娯楽室の窓から見ましょうか。布団を監房から持ってきて、温かくすれば寒くないですよ!」
そして更には、冬まで話が飛んだことに、ハンナはどうしようもなく愛おしさを覚えた。
今の季節は春。こんな、いつ魔女になってしまうかも分からない。またいつ、殺人事件が起きてしまうかも分からない。そんな時に――冬になったら一緒に見ようと、能天気に言ってくれる大好きな人の気楽さに、どうしようもなく、愛おしさがこみ上げてくるのが分かる。
「あなたは
「えへ」
皮肉がほんの少し。誉め言葉が十割未満。この人がどっちで取ったのかは分からないけれど、照れくさそうに笑うのを見ると、後者かな、と思う。
「ま、数ヶ月語の予定なんて駄々余りですし。シェリーさんが連れ出してくれるんなら、行ってやってもいいですわよ」
――一人で行くのはまっぴらごめんですわ、と、暗に込めて。言う。
「じゃあ、その時にはお菓子か何かを準備して、お茶会もしましょうか! 準備の時間はまだたっぷりありますし!」
「その前にまず星の知識を得てくださいな。わたくしもあなたも、何も分かんないまま見てたら、三ヶ月後も同じ事の繰り返しですわよ?」
「図書館にある本にありますかねー?」
「探せばいいでしょう? もしくは詳しそうな誰かに聞くとか。準備の時間はまだあるんですから」
「――――ですね!」
なんだか隣の人に釣られて、数ヶ月後のことを考えている自分がいるのに、今になって気づく。
ついさっきまでは、そんなことがあるかどうかも分からないと思ってたくせに、話してるうちに、その日が来るのを楽しみに思えてしまっている。
――なんなんでしょうね、まったく。
この人といると、不安だとかそういった感情は、全部無くなってしまう気がする。
スマホの時計は、2120。もうしばらくしたら、スマホからフクロウの鳴き声が聞こえてくる時間。
短かった星空鑑賞会は、終わりの時間。
「そろそろ、戻りましょうか」
「ですね」
こういうとき、いつも先に立ち上がるのはあっちの方だ。
そして手を差し伸べてきて――一緒に、帰ることになる。
もう少しここにいたいな、という気持ちは、無い訳では、もちろんないのだけれど。
一緒に帰る人がいて。次の予定があるから、たぶん、大丈夫。
タイトルは『星を見る囚人』と書いて『ほしをみるひと』と読みます。
シェリーちゃんとハンナちゃんのロマンチック星空デートを書こうとしたらやっぱりいつもの空気になりました。しかたねーですわね。
シェリーちゃんとハンナちゃんは末永く四季の星空を眺めていてほしい。なんなら冬の夜空を一緒に見て、ハンナちゃんの冬の記憶の中に楽しくて温かい記憶をたくさん作っててほしい。
ところで。
シェリーちゃんは星空知識があるかどうかって一ったら、無くは無い程度かなと思いました。でも知っててもおかしくなさそう。知ってた所でハンナちゃんに知識を披露するかどうかは、また別の部分かもしれませんね。