頭のてっぺんから感じるのは、ほんの少しの涼しさと、すぅぅっという微かな物音と、「んー……」という鳴き声なのかなんなのか分からない声。
背中から感じるのは、シェリーさんの体の、柔らかさと、温度。
――つまり、そういうことで。
「んー、同じシャンプーと石鹸を使ってる筈なのに、ハンナさんからはいつもいい匂いがしますよねー。なんでなんでしょう?」
監房の、ベッドの上。わたくしは、今日もシェリーさんに捕まっている。
「知らねーですわよ。ただの勘違いで、同じ匂いなんじゃねーんですの?」
「違いますよー。私、鼻はいい自覚ありますよ?」
「あのマズい飯をぱくぱく食ってる人の言葉は信用なんねーですわー……」
ベッドの上で、シェリーさんの膝の上に載せられて、後ろからシェリーさんに抱きしめられている。場所は、監房の中。――しかも、シェリーさんの。
シャワーを浴びて、自由時間が終わるまでの短い時間。シェリーさんはいつもいつも、わたくしをこうやって監房に連れ込んで、抱きしめてくる。
――そりゃあ、いつでもいいとは、言いましたけど……。
――でも、人前では禁止って言いましたわよね?
――シェリーさん、アリサさんが入ってきたらどうするおつもりですの? っていうか、ちゃんと弁明は考えてますの? ……どうせ考えてねーんでしょうけど。
シェリーさんに言える言葉は、たくさん頭の中に浮かぶ。浮かんで浮かんで溜まっていく。それでも、結局口にした事はない。
「んー、落ち着きますねー」
――わたくしは一切合切まったくもって落ち着かねーんですけど。
頭の上から聞こえるシェリーさんの落ち着いた吐息は、その言葉を表しているかのようで。
鏡を見ているわけでもないし、振り向けもしないから、シェリーさんの顔は確認できないけれど、きっと落ち着いた顔をしているだろうなということは分かる。
心臓はうるさいし顔は熱い。好きな人に抱きしめられて落ち着けるわけはない。けど。
――シェリーさんが落ち着けるんなら、このままにしてやることも、やぶさかじゃねーですわね、と。思えてしまう。
――でもやっぱり、頭の匂いをかぐのは、ちょっと恥ずかしいですわね、と。
とはいえ、この状態で抵抗なんてできるわけもないし、するつもりもないから、そのまま。
わたくしからの言葉もなく、そして無抵抗だからか、シェリーさんが頭のてっぺんに何かを擦りつけてくる感覚がある。たぶん、おでこかそこらだと思う。すりすりと音が聞こえて、そしてまた、息を吸う音、感覚。
わたくしは今日も、シェリーさんに甘えられている。
ハグがストレス発散に効果的、ということはシェリーさんが証明してくれたとおり。実際、シェリーさんに抱きしめられるわたくしも落ち着け――てはいないけれど、少なくとも、ストレスは溜まってないと思う。心臓がうるさいだけで。
だから、まぁ、この時間はわたくしたちにとって必要なんでしょう、と思う。心臓がうるさいのは置いておくとして。
「――――――、」
だなんてことを思ってたら、シェリーさんの手がお腹から、少しだけ上に移動する。シェリーさんの掌が、ぴたりと胸に当てられる。
「ハンナさん」
頭の上から、声が振ってくる。
「心臓、すごく動いてますね」
「いちいち言わないでくださいまし。……あなたのせいですわよ」
「そうですかー」
問い詰めるように言ったはずなのに、そういうとこは聞かずにしれっと流す。……別にいいですけど。いつも通りですし。
わたくしの心臓を、というか胸を撫でてきて、変な声が出そうになってるわたくしをよそに、頭の上ではむふん、と息を吐く音がする。
「ハンナさん、ドキドキしてくれてるんですかー」
嬉しそうな声が、聞こえてくる。
顔を上げる。シェリーさんの青色の髪がかすかに見える。シェリーさんが、わたくしの顔を上から覗き込んでくるのが見える。上下逆さまになったシェリーさんは、にへ、と表情を緩んだものにして、額をこつんとぶつけてきた。
シェリーさんの温度と、シェリーさんの肌の柔らかさが伝わってきて。恥ずかしいのに、心臓はうるさいのに、なぜか釣られて勝手に笑ってしまっていた。
「…………」
――なんなんですの、まったく。
身体の反応は別のものなのに、シェリーさんが嬉しそうにするものだから、こっちまで釣られて嬉しくなってしまう。
恥ずかしいのに、どこか、落ち着けてしまう部分もある。
自分自身の感覚が、分からない。
誰かに抱きしめられるということが、本当に、こんなに、落ち着けるものだなんてのは、ずっと知らな――
突然の浮遊感。
考えていたのはほんの一瞬なのに、気がついたら身体が持ち上げられて、ぐりん、とわたくしの身体が横に半回転。気づけばシェリーさんと向かい合う形になっていた。
「………………」
にっこりと、微笑むシェリーさんが目の前に見える。髪を下ろした、いつもとは違うシェリーさんが見える。
痛みがあったら思いっきり怒れたのに、痛くもなければ苦しくもなかった。当たり前のように、ぬいぐるみを持ち上げるかのように、自然にわたくしを持ち上げて、そして体勢を変えたシェリーさんは。
「ハンナさん、軽いですねー」
だなんてことを、しれっと言いやがりまして。
――その前に言うべき事があるんではなくって?
視線で訴えるも、にっこりと笑うだけ。通じてないようだった。
ただでさえうるさかった心臓の音が、口から出てきそうになる。おまけに顔が熱くなる感覚もある。
「…………ッ」
何を言おうか、何を抗議しようか、考えて考えて。
「…………なんなんですの」
考えた結果、碌な言葉が出なかった。…………ああもう。
「ハンナさんのお顔が見たくて」
「さんざんっぱら見てるでしょうに」
「すぐ近くで見たいんです」
――んな子どもみたいな理由で人を持ち上げんじゃねーですわよ!
そう言いたかった。抗議したかった。でも、口からは出てこなかった。
だって。
シェリーさんの目が、やけに、熱を持って見えた気がしたから。
「ハンナさん……」
そして熱っぽい目をしたまま、その顔がゆっくりと近づいてくるのが、見えたから。
「え」
わたくしは。そう、言うのが、精一杯、で――――。
ピピピ、ピピピ。
アラームの音が監房に響いて、身体が不意にびくりと跳ねた。
シェリーさんの顔の動きがぴたりと止まったかと思うと、子どもが浮かべるような緩い笑顔になって、その顔が離れて行くのが見えた。
「時間切れ、みたいですね」
「………………、です、わね」
鳴ったのは、自由時間終了の十分前に設定しているアラームの音。
そろそろ監房に戻らなければ、寝床から閉め出されるばかりか、懲罰房行き。
「…………」
シェリーさんが、何をしようとしていたのか。
シェリーさんが、何を考えていたのか。
聞きたいと思った。――けど、これまでと同じように、口からはうまく言葉が出てきてくれない。
さっき以上に、心臓がうるさく鳴っているのに、改めて気づいた。
シェリーさんが触らなくても、音で伝わってしまうんじゃないかと思えるくらいに、ドクン、ドクン、と、大きく、鳴っている。
気がつけばシェリーさんの腕に手を添えていた。アラームが鳴らなかったなら。きっと、わたくしは。シェリーさんの手の拘束がなかったとしても、動かなかったんだと思う。
そして、そのまま――。
ホゥ、ホゥ、とスマホから、アラームとは別の音が流れる。
もうすぐ自由時間が終わるというゴクチョーからの通知。
流石にこの音が鳴ったら、監房に戻らないとロックがかかって閉め出されてしまうし、そうなったら懲罰房行きでシェリーさんと二日間会えなくなる。
それだけは、困る。
だから、どれだけ後ろ髪を引かれようとも。どれだけシェリーさんに聞きたいことがあっても、出て行かなければならない。
ほんの少し、寂しいな、と思いながら。
「ハンナさん。また明日、ハンナさんを迎えに行きますね」
「――――髪を整えてもらいに、の間違いではなくって?」
言いたい事とは別の言葉が、口からでてくる。相変わらずわたくしの口は、頭に浮かんだ言葉とは別の言葉が出てしまう。
それでもこの人は。はっきりと、わたくしの口から出てこない方の言葉を、くみ取ってくれる。
「それもありますが。やっぱりハンナさんと朝一番に会いたいので!」
「………………、勝手にしろー、ですわ」
「はい! 明日もよろしくお願いしますね! あとまたハグさせてくださいね!」
――それを口に出すんじゃねーですわよ。
そう言いたいのはやまやまだったけれど、このままやりとりをしてたら本当の本当に閉め出されてしまう。今度こそ、今日の所は、おしまい。
「ハンナさん、また明日! おやすみなさい」
「はい。おやすみなさい、シェリーさん」
最後のやり取りをして、監房へ。
自室に戻って、ベッドに入って。それから僅かな時間のあとに、ロックの音が響く。
「…………ん」
ベッドの中が、ほんの少し、涼しいな、と思う。
それはきっと、さっきまで感じていた、シェリーさんの体温のせい。
「…………――――ん」
ほんの少しだけ、寂しいな、と思う。
けれど。
ポンッ、とスマホが音を立てる。
見慣れたメッセージアプリの通知。送信者は――見るまでもない。
賑やかな、シェリーさんの声が聞こえてくるような文字が並ぶ。
「……こっちでも賑やかですわね、まったく」
シェリーさんの声と共に、シェリーさんの感覚が背中に甦ってくる気がして。
涼しい感覚は、勝手に、いつの間にか、どこかへ行っていた。
『同じシャンプーと石鹸を使ってるはずなのに』
をテーマにして書いてったらンナ吸いをするシェが出てきました。書きました。お納めください。