シェリハン作品   作:みょん!

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二度目のキスは鉄の味

 ――ファーストキスはレモンの味。

 これまで読んできた少女漫画の中の、どこで植え付けられた知識かは分からないけれど、わたくしの中にはずっと、ファーストキスには、そんなイメージがあった。そしてファーストキスにはどこか、特別な物、というイメージがあった。

 だから、もしもその時が来たならば――と、思った時も、あった。

 ――――で。

「…………ん」

 突然わたくしの唇を奪ってきたシェリーさんは、と言えば。

「…………えへ」

 正面に座って、人なつっこい笑顔を浮かべて見せて。

「ハンナさん、知ってます?」

 そしてどこか得意げにそう言って、わたくしの方を見て、こほん、と咳払いを一つ。

 シェリーさんは、わたくしの恋人は――しれっとした顔をして。まったく恥ずかしがるような素振りも見せないで。顔色も表情もいつも通り。

 シェリーさんの唇の感触を、やっと今、思い出したわたくしと言えば。かーーーっと頭が熱くなって煮えたぎってるわ顔は熱くて熱くてたまらないわ心臓が役割と思い出したのかものすごい勢いで鳴り始めるわ手は震えるわ。

 つまりキスの味がなんだったのか思い出す余裕もへったくれも何もない。

 なのにこの人は。わたくしの恋人は――――。

 

 ――私とハンナさんは晴れて恋人同士になりました。そうですよね?

 ――……ええ、そう、です、わね。

 ――恋人になったら、キスするのは当然ですよね?

 ――…………はい?

 ――では!

 

「……………………――――――――」

 思い出すだけで頭を抱えたくなる。ロマンチックさもへったくれもない。

 意中の人と口づけをする。それは叶えられた。

 場所はどうあれ、虹が出る蒼空の元での口づけをする。それも叶えられた。

 でも状況があまりにも余りにも――――。

 なんでこんな人を好きになっちゃったんでしょう……。割と本気で、そう思った。

 このノンデリクソ女、と口から出かけるも、抑える。言うのはこの人の話を聞いてから。

 きっとこの人も、『初めてのキスの味は』――だとか、そういうことを言うんだろうと思う。

 ならば返す言葉は一つだけ。

『知ってましたわ』、と。

 そうしたらきっと、わたくしの初めてを奪ったこの人は言うんでしょうね。

『あらら。そうでしたか』、と。

 意外そうな口ぶりで、まったく意外だと思ってない顔で言うんだろうなと、思っていた。

「ハンナさん、知ってます? キスって、モルヒネの十倍もの鎮痛作用があるんですよ」

「……………………はい?」

 ……………………ええ、と。

 ……………………はい?

「他にも、エンドルフィンという落ち着けるためのホルモンと、そして――」

「ちょ――――ちょちょちょぉっとお待ちやがりなさい!」

「はい」

 知識披露が止まらなくなりそうだったので、止める。止めなければ延々としゃべり続けてただろうと思うのだけれど、待て、と言った途端ぴたりと言葉を止めて、じぃっとわたくしの方を見てくる。

 『待て』をされた犬のように、じぃっと。

 こんなときなのに。初めて、唇を奪ったくせに。…………事もあろうに、言うのが、それですの?

「貴女。…………何も、感じませんの?」

 ――キスしといて? そんな、何事もなかったかのような顔して?

 ――わたくしはこんなにも死にそうなほどになってるというのに?

「何も、というと?」

 そんなシェリーさんは、唇に人差し指を当てて――これはいつもの疑問を覚えているか、もしくは何かを考えているときの仕草だから、直前にキスしたことは関係無いと思う、たぶん――首を傾げる。そこまで言っても全然照れる様子もなければ様子がおかしいようでもない。本当に、キスしたくせになんとも思ってないように見える。――マジですの?

 まるで、わたくしだけが無駄に恥ずかしがってるだけみたいで。わたくし自身がバカみたいに思えてくる。……シェリーさんの反応が普通、なんでしょうか? いやいやそんなことは。

「…………キス、したんですのよ? しかも、貴女、の、方から…………」

「ああ、そのことですか。ハンナさん、意中の相手とキスするのが憧れだって言ってたので、お付き合いするとなったならばいいかなぁと。……ダメ、でしたか?」

 シェリーさんはどうやら、一緒に探索している時に一度言ったかどうかのことを覚えていたようで。どうやらシェリーさんの行動の原因はこっちのようだった。

 そしてやっと、やったことについて気が回ったのか、今度はキスした事に対しての是非を聞いてくる。別にわたくしはそこまで言いたいわけじゃない。そして貴女にそんな顔をしてほしいわけでもない。

 ほんの少し上目遣いになって聞いてくる仕草は、犬のそれ。今シェリーさんの背後に尻尾があったのなら、しゅんと垂れ下がっているだろうということが分かる。

「…………ダメ、じゃなかったですけど…………。その、何か、思う所があるのではなくて?」

 わたくしがそうなのだから、シェリーさんにも、と思ったのだけれど。

 この人と言ったら。この人は。

「ああ、感覚、のことですか。…………んー、そうですね。よく分かりませんでした!」

 だなんて、はっきりと言ってきた。

 そして、更には。

「ハンナさんも分からなかったなら、もう一回、やりますか?」

 まるでわたくしの思考を読んだかのようなことを言ったかと思うと、唇に人差し指を当てて、誘うような事を言ってくる。

 分からなかったのは事実だけれど、かといってそれをやりなおしたいかと言ったら、それは別の話で――――。

「口へのキスは特別なもんですのよ? そう簡単にしていいもんじゃねーですわ」

「えー?」

 どこか不満げな、そしてどこかもったいぶるような、そんなシェリーさんが見えて。

「仕方ないですねー。じゃあ次は、ハンナさんからしてくださいね?」

「…………」

 ――ほんっとこの人は。乙女心ってものをまったく分かってねーんですから。

 ――それでも、この人を好きになってしまったのはどうしようもなく、事実で。

 だから、わたくしは。

「………………うっせーですわ、この脳筋ゴリラ」

 そう、言うしかできなかった。

 

 そうして。

 わたくしのファーストキスは、よく分からないまま、終わった。

 

◇◇◇

 

 わたくしとシェリーさんの関係に、名前が付いた。

 それでも、自由行動の中で大体一緒の毎日を過ごすことは変わらないし、服がもったいないからと洗濯をするときにシェリーさんが手伝ってくれるのも――服を何回破られたか分からない――変わらない。

 そして、牢屋敷の中で起きることも、変わらない。

 少しの時間が経って、また一人がいなくなって、一人が地下へと送られた。

 そしてわたくしは、一人監房(べや)になった。

 シェリーさんはわたくしのことを気遣ってか、自由時間が終わって監房に閉じ込められる度に通話を掛けてくるか、メッセージを送ってくる。

 ――気にしすぎですわよ。

 と思いつつも、嬉しくないかと言えば、嬉しいことで。おかげでぬいぐるみを作る暇もない。衣装を縫う暇もない。

 今となってはほぼ、自由時間イコールシェリーさんとの一緒の時間となっていた。恋人同士だから、と言われれば、それはそうなのだけれど。一緒にいることが、わたくしにとっては一番安心できることで。ストレスが溜まれば醜い魔女になってしまうと言われている中、シェリーさんと一緒なら、心強くて、頼もしくて、安心できて――魔女にもならないんじゃないかと思えてしまう。

 

 そんなシェリーさんとの関係が変わって、しばらくして。

 

『んー』

『…………シェリーさん?』

 シェリーさんが、ちょくちょく口づけをしてくるようになった。

 鼻の頭とか、手の稿とか、額とか、背中とか。

 やる前に『ハンナさん、キスしていいですか?』と聞くのはまだいいとして、結構な頻度で不意打ちでやってくるからわたくしの気が休まらない。

 そもそも、シェリーさんの『キスしていいですか?』は『これからやるので覚悟してください』の意だから、わたくしに選択権もへったくれもない。

 そしてそれが嫌かどうかで言えば、嫌なわけがないから、シェリーさんに身を委ねるだけ。

 けれど、それでも。シェリーさんは野原でしてきたときのように、口にすることだけはなかった。

 一応、聞いてみたところ。

『口へのキスは特別、なんですよね?』

 だなんて、イタズラっぽく笑って、その責任をわたくしにおっつけてきた。確かにそうは言ったけれど、そこまで律儀に守らなくてもいいんじゃ。とも思う。

 ――その思考が、シェリーさんからキスされてもいい、と思っているということに、少しだけ後で気づいて。

 その瞬間を見られたのか、とてもとてもニヤニヤとした笑みを浮かべたシェリーさんがいて。

『ハンナさんがしてくれるんなら、いいですよ?』

 だとか言ってきた。

 とっ捕まえようとしたら逃げたので、その自由時間は追いかけっこに費やすことになった。

 

 

 

 ――そんな日が、ずっと続けばいいのにと、思った。

 ――恋人と結ばれて、それで毎日を過ごせれば、それでよかった。

 

 

 

 貴女と過ごした時間は、温かかった。優しかった。愛おしかった。

 このまま、誰も魔女になんかならずに、こんなクソみたいな場所だけれど、貴女と一緒に過ごしていければ、よかったのに。

 心を誤魔化すのは、慣れてる。思考を表に出さないことだって、わけないこと。

 わたくしにとって、己を騙すことなんて、我慢することなんて、わけないこと。

 

 ――――だった。

 

 貴女といるときの【わたくし】は、強くあれた。貴女が一緒だから、心強かった。

 でも。

 

 一人きりの【わたし】は、違っていて。 

 

『私は先に行くよ』

『――――――ッ!』

 抑えが、利かなかった。

 浮遊の魔法で天井近くまで浮かんで、そのまま全体重を込めて、氷で殴りつけた。

 手はもう感覚はなかった。自分が殺したという感覚もなかった。

 だから。友だちが目に入ったとき。友だちが声を上げようとしたとき。

 咄嗟に身体が動いて。

 そして。――――――そして。

 

◇◇◇

 

 地下から出てきたのは、まるで砂時計のような処刑台だった。

 中に放り込まれて、扉が閉められたと思った瞬間、ガラガラと、地鳴りのような音がし始めて、そして頭上から、岩がいくつも落ちてきた。

 頭に、何度も岩がぶつかる。当たる度に痛くて痛くてたまらなくて、声を上げそうになる。けれど、殺してしまった人が感じた痛みに比べれば、きっとこのくらいは屁でもないのでしょうね、とも思う。殺人という最低で最悪で劣悪で汚くて人でなしで――どうしようもない罪を犯してしまったのだから、そんなわたくしが刑を受けるのだから、痛いなんて言っていられない。甘んじて、受け入れる。受け入れる、しか、ない。ない、んです………………。

 頭にガンッと衝撃が来た。それと同時に、真隣に大きい岩が落ちてきて――同時に足に鈍い痛みが走った。視界の陰で、何羽も蝶が舞うのが見えた。

「…………ぐっ、…………ぁ、ああッ…………」

 覚悟してた場所とは別の所からの痛みで、勝手に声が漏れた。声を、出しちゃいけないと、思っていたのに。声を抑えようと歯を食いしばると、口の中でギリ、と音が聞こえた。

 岩は止まるどころか、次々と落ちてくる。頭に、身体に、当たる度に痛みが走る。それでもわたくしは、倒れたままでいるわけにはいかない。声を上げるわけにはいかない。背筋を伸ばして、最後まで、最期まで、気高い、自分で、いなければ、いけない。

「…………」

 処刑台は、透明なガラスでできている。だから証言台にいる皆の顔も、見えてしまう。その表情も、全部。だからシェリーさん(だいすきなひと)がわたくしを見ているのを、何かを言いたそうにしているのも、見えてしまう。

「…………」

 シェリーさん。

 シェリーさん、シェリーさん。わたくしの、愛しい人。

 このような形で、シェリーさんを一人残してしまうことになるのだと、シェリーさんを置いてってしまうのだと思うと、胸の中に重くてどろどろとしたものが湧いてくる思いがした。

 けれど、もう、どうしようも、ない。だってわたくしは――友人さえもこの手で殺してしまった、罪人なのだから。このままわたくしは、先になった人たちのように、魔女に、なって――――。

「…………――――――」

 魔女になる。醜い姿になりはてる。

 大好きな人に、その姿を――――、見られて、しまう。

 その姿を、想像、してしまった。

 視線を下げる。手の爪が、驚くほどに伸びていた。

「――――――――ッ!」

 はっきりと、自身が、魔女になると、醜い姿になると、認識してしまった。

 怖いと思ってしまった。

 嫌だと思ってしまった。

 抑えていたはずの思いが、出てきてしまった。

 

 ――わたくし、魔女になりたくありませんの。

 貴女と一緒に書いた本の中に、貴女の綺麗な字の隣に書いた、わたくしの小さな思い。

 これまで本の中で続けられてきたことを否定するわたくしの言葉にも、貴女は茶化しながら、その隣に続けてくれた。わたくしの言葉を否定せずに、そのままを受け入れてくれた。……嬉しかった、のだと思う。だから、その先を、続けてみたくなった。

 ――貴女と一緒なら、なってやることもやぶさかでもねーですわ。死ぬくらい嫌ですけど。

 本に書いたこととは、少し別のことを言葉で伝えたら、シェリーさんは花が咲くように笑って見せて。

 ――その時は一緒に魔女になりましょうね! ハンナさん!

 ――貴女、人の話聞いてましたの?

 ――えー? でもでも、ハンナさんが――――

 

 ――そんなやりとりを、しましたっけ。

 走馬灯のように、一気に記憶が呼び起こされた。

 一緒になら、なってやってもいい。それは本音だった。

 一人じゃないなら、寂しくないから。大事な人を置いていかないから。

 ――だけど。今は。…………やっぱりそれは、叶えられなかった、な…………。

 止めようとしたけれど、顔を出したらもう引っ込んでくれなくて。なんとかして抑えようとしても、意味は無かった。

 考えている間で、勝手に、身体が動いた。左足は岩で潰されていて、立つことができなくて。ずるずると、惨めに、這いずるような形で、処刑台の、壁面へ。

 出られるだなんて、思ってない。

 助けなんて、求めてない。

 生きたいだなんて、思ってない。

 ただ。

 ただ――――わたくし、は。

「わたくし、魔女に、なりたく、ありませんの…………ッ」

 死ぬことは分かってる。

 死ななきゃいけないことだって分かってる。

 今だってまだ、二人も殺しただなんて、わたくしがわたくし自身を信じられない。

 でも、罪を犯したのは、事実。投票されて、処刑されているのも、事実。

 だからわたくしの行く末なんて、もう決まってる。

 でも。どうしても。

「罪深くても、醜くても――――ッ、人間のままで、いさせて――――!」

 魔女になんかなりたくない。

 醜い姿になりたくない。化物になりたくない。

 出てきちゃった思いはどうしようも無かった。

 わがままだってことは分かってる。

 死ぬことだってことも分かってる。どうせいつかは終わる命なのだから。でも、でも。でも!

 終わるのなら、せめて、人として、死にたい。醜い姿の【わたし】ではなく、【わたくし】として、気高い姿で、人として――――。

 ガラスを殴った手を見る。爪が驚くほどに伸びていた。黒くなりつつあった。それが、自身の身体が魔女にありつつあるということの証拠。止まらない。止められない。

 嫌だ。

 殴る。血がガラスにこびりついた。割れるわけはなく、そして手の形が変わっていくのが見える。

 嫌だ。なりたくない。魔女には、醜い姿には。わたくし、は。

「分かりました!」

 背後から、声がした。

 不思議と、轟音の中でも、はっきりと、その声は聞こえて。

 振り返る。瓦礫の向こうで、青色が、動くのが、見え、て。

「あああぁぁぁぁぁッ!!!」

 シェリーさんは――――証言台を飛び越えて、看守の方へ、わたくしの、方へ、向かってくるのが、見えて。看守の鎌で肩を酷く斬られたのが見えたのに、シェリーさんは、逆の腕で、ガラスをたたき割った。その手に蝶を纏わせて、貴女は、わたくしの元へと、岩を掻き分けて、進んでくる。

「ハンナさんがっ! 置き去りが嫌だって、言ったので!」

 そう、高らかに、宣言する。

「――――――」

「私がいっ――、一緒、ですから! ハンナさ、んはっ、大丈、夫です!」

 わたくしの頭に当たるように、シェリーさんの頭にも岩が降り注ぐ。大きな岩がシェリーさんの頭に当たり、頭が下を向く。それでもすぐにシェリーさんはわたくしの方を向く。シェリーさんの青色の中に、赤色が混じって見える。頭からも、背中からも、何羽も蝶が現れる。蝶になりきれていない血が、頭を伝って顔に流れていた。

 轟音の中、シェリーさんの声だけは、はっきりと耳に届いた。

「なれはてには、させませんっ!」

 そう言って、手を伸ばす。

 おそるおそる伸ばした黒ずんだ手を、シェリーさんは、はっきりと、掴んで。そして、びっくりするほど強い力で、わたくしを、引き寄せた。

 繋いだ手は、夢でも幻でもなんでもない、毎日のように何度も繋いだ、忘れようのない、大好きな人の、頼もしい手。

 血で滑りそうになったところを、指を絡めて、しっかりと握りしめてきた。

「どう、して…………」

「ハンナさんはもう、大丈夫ですよ」

 二人でいる時に聞く、恋人(シェリーさん)の優しい声が聞こえる。掌から、大好きな人(シェリーさん)の温もりが伝わってくる。冷たくて寒くて凍えていた心が、急に熱を持つのが分かる。きゅっと握りしめてくる手は、ガラスを殴り割った手とは思えないくらい、優しい感触だった。

 岩が落ちる中を掻き分けて、そもそもそれよりも前に看守に斬られた状態でわたくしの所に来たシェリーさんは、見るからに満身創痍で。背中からは蝶がずっと飛び立っていて、片目は血で塞がっていて。どう見ても、わたくしが受けている痛みなんかよりも、よっぽど痛いはず。それなのに――それでも、笑顔で、笑いかけてきた。

 魔女になっているわたくしじゃなく、貴女は、人間なのに。魔女になってあるわたくしですら、痛くて痛くてたまらないのに、人の、貴女は、醜い魔女(わたくし)と同じ場所に、いようとする。わたくしの隣に、いてくれようとしている。

 どうして。

 どうして。貴女は。まだ、生きていけるはずなのに。罪を犯したわたくしなんかとは違うのに。

 どうして――――。

 ギリ、と口の奥で音が鳴る。

「なんで、来たんですの」

「ハンナさんを、一人にしっ、たくないからです」

 笑顔で言って、その途中で頭に岩が擦る。けれど、言葉は止まらない。

「どうなるか分かってやがりますの?」

「分かってますよ」

「分かってねーで――ッ!」

 言っている途中、脳天に岩がぶちあたり、言葉が途切れてしまった。シェリーさんのようにはいかない。さっきよりも痛みが強い気がした。シェリーさんの顔が見えにくくなる。目を擦ろうとしたら、ぬるりとした感触。血で片目が見えなくなったのだと分かる。

 痛いのが鈍くなっていったはずなのに、また痛みがぶり返してくる。これはなんなのだろうと思っていると、そんな間にもシェリーさんの頭に岩が直撃した。見るからに痛そうな音が聞こえて来た。

 ――なのに。この人と言ったら。

「くすっ、ハンナさん、そんな顔しないでください。このくらい平気ですよ。ハンナさんの方こそ、痛くないですか?」

 自分がどんな顔をしているのか分からない。少なくとも、目の前の大好きな人(シェリーさん)のように、笑みは浮かべられていないんだろうな、と思う。

「痛いに決まってますわ」

 ――処刑、されてんですのよ?

 だなんて、言えない。だって今の処刑は、今はもう、わたくしだけのものじゃないのだから。

 愛おしい人(シェリーさん)を巻き込んでしまったのだから。

 殺人を犯したのは、処刑されるべきは、この醜い魔女の姿となったわたくしのはずなのに。

 愛してる人(シェリーさん)が、来てしまったのだから。

「痛くて痛くて、たまんねーですわ」

 少しだけ、嘘を吐いた。

 身体の方は、痛みは、もちろんある。でも、痛いのは、そっちじゃない。わたくしは、貴女を巻き込んでしまうのが、痛くて、痛くて痛くて痛くて痛くてたまらなくて――――――――――。

「なら――――」

 ふと、醜いわたくしの顔に、シェリーさんの手が近づいて来た。触れる感覚。温かくて、柔らかくて、今のわたくしの、黒くて醜い、異形の手とは全く違う、人間の、貴女の、手。

 そして、貴女の顔が、近くなって、きて。

「…………ん」

 ――何をされたのか、分からなかった。

 感触は、頬への柔らかい手のものと、そして、もうひとつが、唇、に――――。

「…………、っふ…………」

 触れる感触が、もうひとつ。口の中にも、柔らかい感触があって。

「………………む、…………ぅ、ふ…………」

 舌同士が触れる。そのまま絡めてくる。何も分からないまま、わたくしにできることは、シェリーさんと繋いでいる手を握ることだけ。段々と息が苦しくなってくる。鼻から息を吸うと、シェリーさんの匂いが、さび付いた匂いと共に香ってくる。

 シェリーさんからされる、二度目のキスは、長くて、熱くて――そして、血の味がした。

 頭の中がじん、と痺れる感覚がある。頭に何回か衝撃が走った気がしたけれど、痛みなんてものはない。わたくしの感覚は、シェリーさんの感覚と、シェリーさんの匂いが、全てだった。

「………………」

 やがて、手が離れる。

 夢だったのか、幻だったのか、感覚がふわふわとしていて、分からない。

 ただ、唇の、そして口の中の感触は、はっきりと、していて。

「痛み、無くなりました?」

 すぐ見えるようになった大好きな人の顔は、こんな状況なのに、へにゃりと崩れた、人なつっこい笑顔だった。

「キスって、モルヒネの十倍もの鎮痛作用があるらしいんですよ」

 そう言って彼女は、わたくしの、愛おしい人は、笑顔を見せる。顔から血が流れてるのに、まったく痛そうな素振りもみせず、初めてキスをしたときと同じようなことを、言ってくる。

「…………な、に、しやがんですの」

「ハンナさんが痛そうなのが見てられなくて、つい」

 ――つい、でやることですの?

 すごく、すごく。ため息が、出た。

 こんな時、なのに。処刑されて死ぬことになっているわたくしに。貴女は。貴女という、人は――――。

 こんなときに。こんなときなのに。貴女は、全っ然、変わらない。殺人というどうしようもない罪を背負っているわたくしに、今でも、ずっと変わらないで、いてくれて――――。

「貴女は、…………貴女は、なんで、そうなの?」

「なんでなんでしょうねー? ハンナさんが大好きだから、でしょうか」

「それで、ここまで来たんですの?」

 そんな理由で、来ただなんて。

 ハンナさんが痛そうだからという理由でキスをしてきただなんて。

 ほんっと貴女は。バカ。大バカ。救いようのないバカ。

「……………………ばか」

 言ったら、涙が出てきた。痛いじゃない。苦しいでもない。別の、涙が出てきた。

 血が流れた時は全然感じなかったのに、涙の時はやけに、頬が冷たく感じられた。

 愛おしい貴女がそばにいる。大好きな貴女が一緒にいる。

 それだけで、強くあれる気がした。【わたくし】でいられる気がした。

「――――――」

 シェリーさんの頬に、手を伸ばす。

 視界に入った手は、汚い黒色ではなく。醜い異形のものではなく。【わたくし】の、洗濯で荒れた、見慣れた、見窄(みすぼ)らしい手。貴女が好きと言ってくれた手。

 シェリーさんの、頬に触れる。触れた感覚もある。シェリーさんの頬の柔らかい感覚も、流れた血の濡れた感覚も、はっきりと、分かる。

 身体中が痛い、痛くて痛くてたまらない。

 シェリーさんは痛がってるようには、見えない。強がってるだけなのかもしれないし、本当に痛くない――わけはない。わたくしと同じ、人の姿をしているのだから。少なくとも、今は、シェリーさんとわたくしは、人で、あるのだから。

 同じ痛みを共有しているのなら。せめて。

 ――キスというものは、もう少し、ロマンチックなものだと、思ってましたわ。

 人生を振り返って、そう思う、一回目も、二回目も。恋人からキスしてきた理由は、しょーもないもので、とんでもないもので。ノンデリ極まりないもので。

 けれど、三回目(さいご)を同じ理由でわたくしからやるのは――――類友、というものなんでしょうね、と思う。

 手に、身体の痛みと共にありったけの力を込めて、やっと、シェリーさんの顔を、近づけさせることができて。

 にこりと目を細める大好きな人へ、初めて、わたくしの方から、口づけをする。

 ――息がすぐに切れて、シェリーさんのようには、いかなかったけれど。

 顔を離す。頭から血を流した、大好きな人の、満足したような顔が、すぐ近くに見える。

「……………………ばか、ですわ。本当、貴女という、人は――――」

「人のこと言えませんね。ハンナさんも」

「…………ええ。そうかも、しれませんわね」

 おそらく――わたくしの顔は、笑えてるんだろうと思う。

 だって、目の前の大好きな人(シェリーさん)も。安心したように、笑っているのだから。

 

 

 

 もう、わたくしにできることは、何もなかった。

 どうしようもなく、もう、力が入らなくて。

 シェリーさんと手を繋いでいることで、精いっぱいで。

 だから、わたくしは。――わたくし、たちは。

 このまま、終わりを、待つだけ。

 一緒に逝きましょうと言ってくれた、貴女と、その瞬間を、待つだけ。

 だから、今のわたくしに、できることは。

 額をくっつけたままの、貴女を。

 大好きで、愛おしくて、心の底から、愛していて――。そして、大バカな、わたくしに笑みを見せ続けてくれている、貴女を。

 

 ずっと、目に焼き付けること、だけ、だった。




初めましての方は初めまして。みょん!です。
これまで投稿してきた作品の中では、初めての空気感でお送りしました。基本的に優しい世界を描きたい人です。例外は、あります。これとか本にしたあれとか。

今回の作品は本編中2-4のifとなります。
弊世界線の2-4は、ハンナちゃんとシェリーちゃんは処刑台の中でしっかりと手を繋ぐことができたし、その中で幸せなキスをして終わったんです。だから2-4は、私の中ではハッピーエンドということになっています。よろしくお願いします。

本編中とは様々な部分で異なる部分がありますが、ifのものということでひとつご容赦ください。

今作の元となった青空への叫びがこちら。
だから私はシェハが処刑台の中で掌を合わせた後、『ハンナさんが痛そうだから』という吹っ飛んだ思考のもと、『傷には鎮痛作用がある』というトンデモ理論でキスされて、「もう、痛くないですよね?」って儚げに微笑むバナさんと色々思考がこんがらがって「…………ばか」としか言えないンナさんが見たいって言ってんの!!!!!
以上です。ご静聴ありがとうございました。
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