「ハンナさん」
始めに名前を呼ぶ。それからハンナさんの頬に手を当てる。その二手順。
ハンナさんにキスをするときの合図――というには余りにも簡単なもの。けれど、いつもその流れをしていたら、いつの間にか頬に触れるだけでハンナさんの身体がぴくりと反応するようになりました。そして顔を近づけると、緊張したような顔になって、やがて開けていた目をきゅっと瞑ります。
――キスしてるときのハンナさんは、可愛いんですよね。
額に、優しく唇を落とす。「ひゃっ」と微かな悲鳴が、下の方から漏れ聞こえる。
顔と手を離すと、やっと身体が自由になったハンナさんが、むーっとした顔をしているのが見えます。顔を赤くして、眉を顰めて、そして口元を尖らせて。
これが、怒っている顔じゃないのは、幾度となく『ノンデリゴリラ』と言われ続けて、やっと分かりました。――そのあとの私の行動によっては、もちろんハンナさんが怒ることになるんですけど。
そう、やっとです。ハンナさんがどうしてキスをした後にぷりぷりと怒ったような顔をするのか。そしてその理由を推し量ったつもりで言ったことが、火に油を注ぐ結果になっていたのか。私の考えが、根本的に間違っていました。
――ハンナさんは、キスされるのが苦手なのではないでしょうか。
その実、逆でした。
――ハンナさんは、キスされるのが好き。
やっと、その理解にたどり着きました。
てっきり、されたことに怒ったのだとずっと思っていました。だからおでこにキスして、ハンナさんがその顔をしたとき、毎回止めていたのですが。どうやらそれが間違っていたようです。
「…………シェリー、さん」
考えに浸っている時間が長かったのか、ハンナさんの手が、いつの間にか私の服の袖を掴んでいました。くい、と引っ張ってきて、そして上目遣いに私を見てきます。それが、少なくとも、『もうやらないで』という合図ではないのは、目に見えて分かるはずなのに。それまでの私は、一体何を考えていたのでしょうか。
「はい」
ハンナさんにかける言葉は、それだけで充分です。
ハンナさんは安心したように頬を緩めて、服の裾から手を離します。
二回目からは手順を踏む必要はありません。ハンナさんの顎下に手を当てて、顔を上げさせて、鼻を突き合わせるように、ついばむような口づけを一つ。
ハンナさんはそれで満足してくれないのは、これまででよく分かっています。ハンナさんの手が何かを求めて彷徨うのが見えて、その手を優しく掴んで、掌を合わせます。ハンナさんの細い指が、私の指の間に絡んできて、そしてすぐに一つになって。
きゅっと手を握られる感触に、間近で見るハンナさんの優しい笑顔に。どうしようもなく、ハンナさんが可愛く思えて、愛おしく思えて。
ハンナさんの目をじぃっと見ると、頷くように瞬きを一つ。ハンナさんにはそれだけで伝わります。『ハンナさん、これからキスしますが、大丈夫ですよね?』といちいち確認して拗ねられていた頃の私とは違います。
言葉は不要。繋いだ手にきゅっと少しだけ力を込めてから、ハンナさんの口元――ではなく、頬に、もうひとつ。
目を瞑っていたハンナさんの目が開いて、睨むような目になります。手をぎゅっと掴むのを見ると、ハンナさんがほしい場所は違うようです。――分かってましたが。
そんなハンナさんの反応が可愛いなと思っていると、口元が尖ってきました。もう少し待つと本当に怒ってしまうので、ほどほどにしておきます。
「すみません」
謝ると、ハンナさんは『怒ってねーですわ』と呆れたような声で言います。けれどその声は、やっぱりどこか温もりがあって、微笑ましくて。くすりと笑ってしまったせいか、ハンナさんが手を強く掴んできました。反省、反省。
今度こそお望み通りに、口元へ。先ほどのついばむようなものではなく、長く、長く。ハンナさんの方は息継ぎが必要なので、一度離してから、もう一度。ハンナさんの温かさを口の中に、そして吐息から感じるのと同時に、手を強く握られるのが分かります。ハンナさんの声が微かに漏れ聞こえるようになって、きゅっと瞑っているハンナさんの顔が赤く染まるのが見えて。
ハンナさんの舌に。ハンナさんの歯に。私の舌が触れる度に、微かな反応となって、掌から伝わってきます。
嫌だったら、ハンナさんはすぐに顔を離します。もしくは終わった後に本気で怒ります。
けれどハンナさんは、今の今まで、それをしてきませんでした。
むしろ、続きをせがんだりも、してきました。
そこまで見ておいて、どうして私は、ハンナさんがキスされるのが苦手だって思っていたんでしょうね? 今では分かりません。
ただ、キスしているときのハンナさんが可愛くて。
キスしている時の私の頭もふわふわとして、幸せで。
だから、でしょうね。
私が、ハンナさんに、キスをせがむようになったのは。
――もちろん、ハンナさんが恥ずかしがっちゃうので、人が来ない場所限定で、ですけど。
◇◇◇
くた、と談話室のソファに脱力したハンナさんがいました。
「貴女…………やりすぎ、ですわよ…………」
「すみませんってば~」
ハンナさんが続きを求めるものだから――と人のせいにしちゃうのはよくないとは思いますが。ハンナさんが余りにも可愛くて、可愛くて。キスを続ければ続けるほど、ハンナさんがとろんとした顔になって、それがまた可愛くて。
気がつけば、ハンナさんがこうなっていました。
悪いのは私なんでしょうか? ――私なんでしょうね。きっと。
「…………でも。…………嫌、では、ないので…………。その。…………やめよう、とか、思わないで、くださいまし…………」
言葉が尻すぼみに小さくなっていくのが分かります。ハンナさん自身もここまで言うつもりはなかったのかもしれません。ハンナさんをじぃっと見ていたら、キスしているときと同じくらいに、顔がかぁぁぁぁっと赤くなっていって、ぷるぷると震えだして。
「――――――~~~~~~っ!」
両方の袖で、顔を隠しました。わなわなと震える口元だけが、そして見えている部分が紅く染まるのが見えて、そんなハンナさんが可愛くて可愛くて。
「――――――だぁっ! 抱きしめんなー! ですわ! 暑苦しぃ!」
【怪力】の魔法は絶対に発動させません。ハンナさんが可愛くて愛おしくて大事だってことを伝えるのは、これが一番だから。
抱きしめたあと、ほんの少し手を緩めて、ハンナさんと顔を合わせて。
「ハンナさん、可愛いです」
口にして、はっきりと言います。
「そして、大好きです。ハンナさん」
「~~~~~~~~っ」
キスをしているときのハンナさんも可愛いですし。
こうやって思い切り照れてる所も、可愛いと思います。
――けど、それを口にしたら、
きっと言われちゃうんでしょうね。
――この、ノンデリクソ女!!!!!
と。
今日5月23日は『キスの日』らしいですね。
なのでシェリーちゃんがハンナちゃんにキスしたがりになってる日常のお話を書きました。
弊牢屋敷のシェリーちゃんは、いつの間にかキス魔になってました。どうしてでしょうか? 私にも分かりません。