大晦日の日。
私はハンナさんと同じ炬燵に入って、ハンナさんを抱きしめながら一緒に音楽番組を見ていました。
ハンナさんと一緒に過ごす、初めての年越し。いつもであれば寝ている時間も、今日はそこまで眠くなっていませんでした。ハンナさんもそこまで眠くないようで、『ハンナさんと一緒におせち料理を食べたからでしょうか?』だなんて言ったら、ハンナさんから、とても可愛い反応が返ってきました。
今日は大晦日。あと一時間もしないうちに、新年になる時間。
十二月三十一日から、一月一日になる一瞬をどう過ごすか、というのは、学校の中でも話題になっているのを聞いたことがありました。
そんな私が提案したのは、年越しの瞬間に地上から足を離す遊び。俗に言う、『大晦日ジャンプ』ってやつです。もちろん両親としたことはないですし、私自身もやったことはありません。冬休みが終わってからの学校で、そんな話をしているのを聞いた――そんな程度の知識です。
自分でやっても何も面白みがない。じゃあなぜやろうかと思ったかと言えば、答えは一つです。ハンナさんの反応が見たかったから。これ以上も以下もありません。
【浮遊】の魔法を持っていたハンナさんは、話題に出したらきっと渋るのだろうと思いましたが、思いのほかすんなりと、やると言ってくれました。
当初は手を繋いで一緒にジャンプするだけ――だったのですが、テレビから聞こえるカウントダウンの声を聞いて、ハンナさんの顔をまじまじと見ていたら、なんだか、ハンナさんの照れる顔が見たいな、と思ってしまって。
思い立ったら即行動。
ハンナさんと繋いだ手を離し、後ろに回って。そしてその軽い身体を持ち上げて、一緒にジャンプ。
新年の瞬間は、ハンナさんの驚く顔が視界いっぱいに映っていました。
元の体勢に戻って、後ろからハンナさんをぎゅーして、ハンナさんを宥めること、少し。
付けっぱなしのテレビには、人でごった返す様子が映っていました。
――初詣、って言うんでしたっけ、こういうの。
新年には神社に参拝をするものだ、という知識だけはあります。一度だけ夜に義親に連れて行かれた覚えもあるにはありますが、その意味も意義も、正直まだよく分からないまま、今に至ります。
「こんな寒いのに、よく集まるものですわね」
前の方から、ぽつりとそんな声が聞こえてきました。ハンナさんの平坦な声からは、うまく感情を読み取れませんでした。マイナス方向の感情、でもなければ、おそらくプラス方向の感情でもない、と思います。だとすればきっと、言葉通りに素直な感想なのでしょうね、と思うことにしました。
そんなハンナさんを見ていて、ふと、閃きがやってきました。
「そうだ、ハンナさん。初詣行きませんか?」
「…………は?」
大好きな人は、みかんの皮を剥く手をぴたりと止め、振り返って私の方を見てきます。ジト目で。
――まーたこの人は変なことを言い出しましたわ……。というかさっきのわたくしの話、聞いてました?
だなんて言葉が聞こえてきそうな顔をしたまま、はぁ、と小さくため息を吐くのが見えました。
「ごめんなさい、シェリーさん。上手く聞こえませんでしたわ。もう一度言ってくださる?」
「はい! 初詣行きましょう、ハンナさん!」
もう一度。
ハンナさんはもう一回ため息を吐く。今度は、もう少し長く。
それからみかんを一欠片口に運んで、噛んで、飲み込んで、もう一回ため息を吐いて。
もう一度私の方を向きます。ジト目で。
「聞き間違いじゃなかったようですわね。……シェリーさん、貴女そんなに信心深い人でしたっけ?」
ハンナさんは、私の方をまっすぐに見てきます。可愛らしさにまた抱きしめたくなりましたは、今は証言の時間。ハンナさんに言われた言葉をどう返すかを優先的に考えます。
私が信心深いかどうかで言えば、まったくそんなことはないですし、特別何かの宗教を信仰しているわけでもありません。
でも初詣は、信心深いかどうか、ということもあるけれど、もうひとつ行く理由があることも知っています。
「恋人と初詣に行くのは、デートのよくある形らしいですよ」
「………………」
初詣について、自分の中の知識と照らし合わせた上で、言ってみます。
ハンナさんは口をぽかんと開けたまま、くりくりとしたお目々を見開いて見せて。
「…………シェリーさん」
そして、さっき以上のジト目がやってきました。あとため息。
――私、何か変なこと言いましたかね?
「…………そうやって、当たり前のようにぽんぽん言わないでくださいまし。…………その、家の中だから、いいですけど…………」
よく見ると、ハンナさんの耳が紅くなっているのが見えます。そして、手がぷるぷるとしているのも。これはどちらかというと、怒り、ではなくて、照れ、の方だというのは、ハンナさんと半年以上一緒に過ごして分かっています。今、ハンナさんは嫌がっている訳ではない、ということ。
「え、初詣は恋人同士で行くものじゃないんですか?」
「だぁっ! そういうことじゃなくて!」
返しがまずかったのか、ハンナさんは威嚇するような声を出す。ばし、と叩いた炬燵の天板が小さく震えて、そしてその手は叩いた形のまま、止まる。
「…………シェリーさんとは、恋人、ですけど…………。その、………………当たり前のように言うんじゃなくて…………」
――ああ、そういうことですか。
なんとなく、察しました。この反応は、よくあるハンナさんのパターンの一つ。『このノンデリクソ女!!!』のパターンですね。
ハンナさんとは何回も人生を共にしましたし、ハンナさんとはほとんど一緒にこの一年を過ごして来ました。でも、元々人の感情に疎いのもあり、ハンナさんのことを、全て分かっているとは恥ずかしながら言えません。特に、恋人関係に関してのものは、こうやってハンナさんにため息を吐かれることや、やんわりと怒られることも、ほどよくあります。ハンナさんから推薦いただいた少女漫画を読み込んではいるものの、まだまだ勉強不足なのは否定できません。
「シェリーさんはそうなのだから別にいいんですけどね……今更ですし…………」
前の方から、ぽつりとハンナさんの声が聞こえます。けれどその声は怒っているものではないのが分かりますし、ため息もいつもの温度のように感じます。
ハンナさんが怒っているわけではない――とは言っても、私がハンナさんがほしい答えを返してあげられていないということは事実です。
「ハンナさん、さっきのは無しです。撤回します!」
だから、少しだけ考えて、考えて。答え方を撤回して、修正します。
「ハンナさん、私と初詣デートしましょう!」
「だからそういう意味で言ってんじゃねーですわ!」
これも失敗のようです。
◇◇◇
十数分後、私たちは外へ出ていました。
先ほどまで降っていた雪も止んで、地面にはうっすらと雪が積もっています。雪玉を作るには心許ない量ですが、振り返った道路には、歩幅の違う二人分の足跡が、しっかりと残っていました。
ハンナさんと相談し、行くと決めたのは、歩いて十分ほどの神社。渋るような事を言いつつも、最終的にお誘いに乗ってくれるハンナさんはやっぱり優しい人だと思います。
さく、さく、と靴が雪を踏みしめる音だけが聞こえます。手を繋いでいる以上、滑って転んでしまえばハンナさんを巻き添えにしてしまうから。注意して注意して、ハンナさん直伝の『足全体で接地する』歩法で歩きます。
「ハンナさん、寒くないですか?」
はぁ、と隣から息を吐く音が聞こえて、隣を見ると。ハンナさんが鼻の下までマフラーに顔を埋めていました。
「いいえ、まったく。貴女が用心に用心を重ねてくださりましたし? 暑いくらいですわ」
「お褒めいただき光栄です!」
「褒めてねーですし皮肉ですわ。わたくしが毎日巻いてますのに、なんでシェリーさんはマフラーの巻き方をいつまでも覚えねーんですの?」
「マフラーを巻いてもらってる時、ハンナさんの顔が可愛いなぁって思いながら見ているので」
「わたくしの顔じゃなく、巻く手の方を見なさいな」
「えへ」
「えへじゃねーですわ」
――まったく、シェリーさんは。
そう優しい声で聞こえる小さな声に、やっぱり、どうしても、嬉しくなるのを感じます。今手を引いて、ハンナさんを胸に抱き留めたくなりましたが、地面は雪。転んでしまったらハンナさんが大変になってしまうので、ここは我慢、我慢。
その替わりに、ハンナさんと繋いでいる手に、ほんの少し力を込めます。
手に感じる温度が、少しだけ高くなったな、と思うのと、ほぼ同時に。
ハンナさんの方からも握り返す力がほんの少し強くなったのを感じました。
視線を隣に。
ハンナさんが優しい顔をして、私の方を見上げてきていて。
――私は今、歩いているのが雪道なのを、とてもとても、後悔しました。
雪道じゃなかったら、今きっと――ハンナさんの顔をすぐ近くで見たくて、お姫様抱っこをしていただろうから。
◇◇◇
二人で並んで神社にたどり着くと、想像していた様子とは少しだけ違っていました。
「ガラガラですね」
「罰当たりな事言うもんじゃねーですわよ」
テレビの中では人が行列を作っていたのに、来た神社は人がまばらにいる程度。騒がしさはまったくなく、しん、とした静寂だけがありました。
「並ぶせいでハンナさんが寒い思いをしなくていいってことにしましょう。ハンナさん、行きましょうか!」
「しーっ。シェリーさん、声は小っさく、ですわ」
「ごめんなさーい」
それでも大きいですわ、という声は聞かなかったことにします。
ハンナさんとの初めての初詣で気が高ぶっているんでしょうか、足がはやく動いてしまい、ハンナさんが何度か小走りになってしまうのが見えました。意識して意識して、足をゆっくりと進めます。鳥居を潜り、ゆっくりと歩き、手を清めて、またゆっくりと歩いて。
そして、本殿へとたどり着きます。
一度も来たことがない神社だし、どんな神様が祀られているのかも、分かりません。
だから。
隣でハンナさんが手を打つのを聞いて。
ここに来て初めて。
――お願いごと、するんでしたっけ。
だということに、思い至りました。
私の頭は、ハンナさんと初詣デートをする。それしかなかったから、いざお参りをする段階になって、どうすればいいか分からなくなって。
顔は正面に向けたまま、隣を見ます。
ハンナさんが両方の手を合わせて、静かに、目を閉じていました。
金色の髪の毛は暗闇の中でも輝いて見えて。その顔は、家で見るよりも整って見えました。
――綺麗、ですね。
お願いごとをするハンナさんを見て、心底、そう思いました。
ハンナさんがどんなお願いごとをしているのかは、想像もできません。だから私にできることは、お願いをする形を取りながらも、ハンナさんの方を、じぃっと見ていること、だけで。
「――――」
ハンナさんを真似して、手を合わせているだけで。なんだか気持ちがすぅっと、落ち着くような気がしました。きっと、お参りをしているから――ではなくて、ハンナさんが見せる初めての姿を見て、新しいハンナさんを知れた嬉しさ、なのだろうと思います。きっと。
ハンナさんは両方の手を合わせたまま。まだ動く気配はありません。
――ハンナさんから反応があるまで、このままでいましょう。
そう思いつつも、せっかくだし何か一つくらいは、お願いごとをしようとも思いました。
頭に浮かぶのは、これまでの十四年間のこと。――じゃなくて、今年の一年足らずのこと。
大好きな人に会って、大好きな人と何度も人生を過ごして――今は、一緒に高校生活を過ごしています。
一年を――ハンナさんと出会ってからの部分だけ――振り返って、なら、今年はどんな一年にしたいか、と考えたら。
私のお願いごとは、一つだけでした。
手を合わせて、目を閉じます。
「――――――」
そして、お願いごとを、胸の中で、唱えて。
そして目を開いた後。つん。と、脇腹をつつかれる感覚がありました。
隣を見ると、ハンナさんが目を細めて私の方を見ていました。
「終わりましたの?」
「ええ、今ちょうど」
嘘は言っていません。ハンナさんには全部正直に話すと決めたので。
「じゃあ出ますわよ。他の方のご迷惑にならないように、ですわ」
後ろを見ると、五人ほどの人が並んでいました。お願いごとをしている――というよりも、ハンナさんのお願いしている様子を見ている――うちに、どうやら人が来ていたようです。
ハンナさんに連れられて、案内看板の指示に従って、外へ。
おみくじを引いていると、ハンナさんの鼻が赤くなっているのが見えました。
「ハンナさん、おみくじの見せあいっこは帰ってからにしましょう」
「? 別にいいですけど。結ばなくていいんですの?」
「ハンナさんと一緒に引いたものですから。一年間大事にお財布に入れておきます」
「…………」
ハンナさんの動きが私を見上げるままで固まります。それから瞬きを一つして、動いたかと思った途端、流れるようにハンナさんの鼻だけでなく、頬の部分まで朱が指すのが見えました。
「…………、凶かもしれませんわよ、それ」
「その時はその時です。ハンナさんと一緒に引いた方が大事なので!」
「――――~~~~~~っ! だ か ら ! 貴女は!」
「しーっ、ですよ、ハンナさん。ここは神社です」
「ああもう………………」
大きな大きなハンナさんのため息が聞こえます。けれど、その後で挙げた後のハンナさんの顔は、どこか優しい表情をして見えました。
「ここでしゃべり続けてたら、貴女が何をしでかすかわかんねーですわ。一緒に帰りましょう」
ハンナさんが私の手を取って、そして引っ張ってくれます。ハンナさんの二歩は、私が大きく踏み出せば一歩で足ります。でも今は、ハンナさんと一緒の歩幅で歩きたいな、と思いました。
一緒に鳥居を潜って、ハンナさんに倣って一礼をしてから、外へ。
帰り道の道路には、私たちの足跡だけが残っていました。
来た時と同じように、手を繋いで歩いて。頭に浮かぶのはやっぱり、手を合わせていたハンナさんの美しくて可愛らしい姿。
「それで――、ハンナさんはどんなお願いごとをしたんですか?」
やっぱり、聞かないではいられませんでした。
「人のお願いごとを聞くもんじゃねーですわよ」
「ハンナさんがしたお願いごと、知りたいんです。ハンナさんのことは、全部」
渋そうな顔をしていたハンナさんは、少し迷ったような顔をして、そして少しだけ唸って、私の方を見上げてきます。
じぃっと見てくるハンナさんの視線が何を訴えているのかは、正直分かりません。なので、にっこりと笑顔を見せてみます。
その反応が正しかったのかどうかは、分かりません。でもハンナさんは、はぁぁぁ、と息を吐いてから、ぽつりと、言います。
「シェリーさんと、来年も一緒にいられますように。…………それだけですわ」
言葉全部が小さい声だったけれど、一番最後の言葉は、より小さくなっていました。
小さな声ではありつつも、周りは静寂。私にははっきりと聞こえました。頭にもしっかりと。
「そうですかー」
――なんだか、嬉しいなと、思いました。
でもそれを口にするのは、少しだけ早いな、とも思いました。
「ハンナさんのお願いは、そうなんですねー」
そう言いながら、無意識に手に力が入っているのを、言い終わってから自覚しました。ほんの少し力を緩めると、ハンナさんの方から力を入れてきて――そして手をぐいっと引っ張ってきます。
ジト目のハンナさんが、そこにいました。
「それで? まさか、わたくしだけに言わせるだなんてことはねーですわよね?」
引く力はそこまで強くなくて、私の体勢を崩す目的ではないと思いました。ハンナさんも、足元が悪いところでキスしようとはしないのでしょう。きっと。
ハンナさんが言うのは『貴女も巻き添えですわよ』ということで。
少しだけ恥ずかしそうな、それでいてどこか嬉しそうにも見えるハンナさんが見えました。
少しだけ、からかってみたくなっちゃったのは、仕方ないと思います。
「どーしましょうかねー」
「ちょっと、わたくしだけなのは不公平ですわよ。シェリーさん」
思った通りの反応をしてくれるハンナさんに。なんだか嬉しくなって。胸がうきうきして。
ハンナさんの手を取ったまま、踊り出したくなりました。
けれどここは雪道の上。そんなことをしたら数秒後には転ぶこと必至です。
「さーて、どうしましょうかねー」
だから私は、ハンナさんからの答えをはぐらかしながら、いつ答えを言おうかと考えます。
――一緒でしたね。って。
そう言ったときの